2021.10.14

言葉の限界が、世界の限界

 

「言葉の限界が、世界の限界」

 

 

これ、わたしがサンスクリットを習った先生の言葉です。

 

 

「サンスクリット語を習うということは、単に言葉を知るだけではない。世界の見え方を変えることなんだな・・・」と考えてもいなかった視点をいきなりもらいました。これ、私には衝撃でした。

 

 

もう一つ、この先生の言葉に「ブッダ(お釈迦様)の見ていた空の色をいつか見てみたい」というのもありましたね。

 

 

インドに行けば「お釈迦様ゆかりの地」というのはいまでもあるわけです。で、そこで数々の説法をした逸話も残っている。

 

 

じゃあ、インドに行って「ゆかりの地巡り」をしたらお釈迦様と同じ空が見えているか?というと、そうではないというわけですね。

 

 

令和の時代の、日本語という言葉を使う国民って視点からの「空の見え方」ができるだけで、「お釈迦様の見ていた空」とは全然別だろうという話でした。

 

 

言葉には、さまざまな概念やら思念やらがまとわりついているわけです。だからこそ、少ない言葉でコミュニケーションができるメリットもあるわけですが、物事を見たり、考えたりする際に「固着」が生まれてしまうデメリットもあるわけです。

 

 

自由にものをみているつもりでも、自由にものを考えているつもりでも、「日本語」って枠組みに束縛をされているということです。

 

 

自分が直面している悩みも、「日常的に使っている言葉(日本語)で考えているからこそ生まれる」なんてことがあるわけで、サンスクリット語に世界をみたら「悩む意味が分からないだけど・・・」なんてこともきっとあると思うのです。

 

 



 

October 14, 2021 in 感じたこと | | Comments (0)

2021.10.05

「新しい現実」がやってきた

 

 

うちの会社のHPが英語対応になりました。

 

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http://company.visionary-c.com

 

  

数年前から「いつかやらないと・・・」と思っていたのですが、ようやく海外に向けて情報発信の糸口ができたことになります。

 

 

いままでも、海外から突然メールがくることはままありました。たぶん、TwitterInstagramをきっかけにうちの会社を知って、メールを探してアクセスしてくるんでしょう。今後は、海外とのやりとりがもうちょっと戦略的に&頻繁になっていくと思います。

 

 

「いつか仕事をネタにして海外に行きたい」と創業時の事業計画書に書いていたのですが、ゆるゆると形になっている気がしていて、ありがたい限りです。

 

 

コロナ禍の前から兆しはみられていましたが、国をまたいだ「越境EC」(=海外にものを販売する)が、中小企業にもどんどんとオープンになってきていますね。

 

 

参入するためのハードルが日々刻々と低くなっているようです。同時に、海外から見たときの「日本語の壁」がどんどんと「ラクラクと超えられるもの」になりつつあるようです。

 

 

まさに、「新しい現実」がやってきている感じですね。

 

 

仕事をしていると、時々「新しい現実がやってくる時期」に巡り会うときがあります。で、そのチャンスを活かすと、仕事は一気に上向いていく。

 

 

この中小企業における「越境EC」って、そんな「新しい現実」なんじゃないかと私は思っていますよ。

 

 

ただもちろん、誰でも彼でもが「越境EC」でうまくいくわけがありません。

 

 

そこは、何のビジネスでもそうなんですが、「その事業を行うための条件が揃っているか、揃っていないか?」が大切なわけで。

 

 

この「条件」だけは、一朝一夕に揃えられるものではないとも思います。

 

 

「新しい現実」というチャンスは、誰にでも開かれている。

けど、実際には「条件」を準備してきたものにしか開かれていない

 

 

という世界なわけですね。ある意味では公平だし、ある意味ではシビアなものですね。ということで、今後、当社が行ってきた「準備」が十分であったか?独りよがりではなかったか?などが試されていくというわけです。

 

 

October 5, 2021 in 仕事のことについて | | Comments (0)

2021.09.24

本の企画案をまとめました



とあるご縁から、本の出版企画をまとめることになりました。

 

 

先日、出版社の窓口の方にメールをしました。現在、社内で揉んでいただいているようです。

 

 

数年前から「いつかやりたい」と思っていたテーマでした。でも、わたしがそのテーマで文章を書けるとは世界の多くの人が知らないはずで・・・

 

 

そんな状態で待っていても、ぜったいに声なんかかからないわけです。

 

 

なので編集者(出版社で本づくりにあたる人)と会ったら「このテーマなら書けるし、書きたい」とお伝えするようにはしていました。

 

 

でもちょっと小難しい分野の内容なんです。

 

 

なので、「うーん、何とも言えないですね」というレスポンスがあることがほとんどだったわけです。マーケット(本を購入してくれる人の数)も小さいでしょうから、編集者としてもちょっとリスキーな企画。

 

 

こちらも場面が替われば「カードをつくりたいんです!」という方に企画を売り込まれる側になりますから、編集者や出版社の論理はよくわかるつもり。なので、「いつかご縁のある出版社さんが現れればいいな・・」くらいの感覚でいたわけです。

 

 

それが今回、ちょっとだけ展開したわけですね。

 

 

今回の話が形になるかどうかはまだわかりません。出版は、さまざまな要因で企画がきまりますし、現時点では不確定要素はたくさんあることでしょう。

 

 

ただ、確実に「いつかこのテーマで書く方向へと向かっている感覚」がやってきているのは事実。

 

 

「感覚」ですから、理屈を抜きにした世界です。目には見えない世界ですから、もしかすると私の独りよがりな思い込みかもしれない。

 

 

けど、長く仕事をやっていると「感覚」がホンモノかニセモノかくらいの区別はつくようになります。

 

 

「ニセモノ」の感覚は、どこかつっかかりがあります。あえて言語化すると「すっきり」でなく「ざらついている」感じというんでしょうかね。

 

 

この感覚さえあれば、時間軸はそんなに気にならないわけで・・・早く企画がきまって本を出せればそれはそれでいい。けど、何年も先になったとしても、それはそれでいいって世界なわけです。

 

 

仕事をする目的っていくつもあるのでしょうが、「いい方向に向かっているホンモノの感覚」を手に入れることも大切な目的だと思うわけです。

 

 

「ホンモノの感覚」はおそらく、たんたんな日常の積み重ねの先にしかやってこないはずです。なので逆に言えば、この感覚があるときは、「日常の積み重ねを飽きることなくやっている」ことの何よりの証になるわけです。

 

 

企画をまとめながら、こんなことが頭をよぎりました。

 

 

September 24, 2021 in 仕事のことについて | | Comments (0)

2021.09.16

この会社ならなんとかしてくれそう

 

企業は、「頼まれること」で成り立っています。

 

・「この商品、売ってください」と頼まれる。
・「ノウハウがないので教えて」と頼まれる。
・「自分の代わりに手伝って」と頼まれる。


経営の世界では、「貢献」とか「用立て」という言葉も使われます。要は、「どこかの誰かの役に立つ」ということです。


「頼まれること」がなくなったら、企業はおしまい。なので、「自分(自社)は何をもって人様から頼まれるか?」を真剣に考えるのは、とても筋のいい質問だと思います。


「他人から『頼まれる』わけだから、べつに自分から考えなくてもいいのでは?


と思われるかもしれないですが、人は理由なく「頼む」という行為をしません。


・この人ならちゃんと解決してくれるかも
・この会社だったらこの情報があるかも


といった「ここなら何とかしてくれる予感」があるから、頼むわけです。我々の消費行動を振り返ってみても、「この店なら欲しい商品が置いてありそう」「ここでなら、いい美味しいお酒を飲めそう」といった「予感」から行動をしているはずですし。


こういった「予感」は、「自分が周囲に何ができるか?」をきちんと考えることなしにつくることはできないと思います。

 

逆に言うと、「自分が周囲に何ができるか?」を一生懸命考えた先に、「磁力」みたいなものを生み出すのかもしれないですね。それが、仕事や人間関係を引き付ける、みたいな。

 

 

September 16, 2021 in 仕事のことについて | | Comments (0)

2021.09.10

「目には見えない世界」と「リアリズムな世界」

 

2020年は「オンライン講座」普及元年でしたね。

 

 

わたしも時間ができたので、たくさんの講座をうける機会ができました。

 

 

いま定期的に参加しているのは、

 

 

・キリスト教神学

・ヒンズー教の源流をさぐる

・大乗仏教の歴史

・アリストテレスの二コマコス倫理学

・法華経

 

 

あとは、毎年参加している國學院大学の神道講座と、なんだかんだで5年以上参加しているインド哲学。この二つもオンラインになりましたから、けっこうな数ですね。

 

 

「すべての講座に共通しているものって何だろう・・・?」

 

 

と改めて考えると、「人間を生きづらさから解き放つ知恵」みたいなことがあるような気がしくるわけで。

 

 

こうした知恵の中には「人間の生きる力を削いでいくもの」への理解と、それにたいしての対処法(または予防策)がふんだんに盛り込まれています。

 

 

で、それに触れていくと「目にはみえない世界への理解が深まらないと、人間は生きづらさから完全に解放されることはない」とさえ感じるのです。

 

 

たぶん、人間には「目には見えない世界に触れないと生きていても何かが物足りない」という種類の人がいるわけです。わたしはたまたま、そういう種類の人間だったという事なんでしょう。

 

一般的に「目には見えない世界」って会社経営だとかの「リアリズムな世界」とは、対極にあるように考えられがち。けど、たぶんそんなことはないわけです。

 

 

そんなことを私なりに解明していきたいのかもしれないですね。



 

September 10, 2021 | | Comments (0)

2021.08.30

【備忘録】2021年8月の読書

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本は借りずに、すべて買う派です。で、途中で「面白くない」とか「まったく集中して読めない」という本は次々と手放します。

 

 

かつては、「どれだけ沢山の本を読むか?」にエネルギーを注いだ時期がありました。ただ現在は、「読む必然性がある本とちゃんと向き合う」を読書の規範(?)としています。

 

 

ここに挙げた本は、今月(20218月)に一通りすべて読んだ本。備忘録としてコメントをつけてメモしておきます。

 

 

  • 『法然対明恵』(町田宗鳳著)

明恵という真摯な修行者と、南無阿弥陀仏の念仏で救われると説いた法然とを比較する面白い考察。異質な両者の対立軸は、現代の宗教界にも通じることがたくさんありそう。日本仏教再生へのヒントがたくさんありそうな本。

 

 

  • 『哲学の先生と人生の話をしよう』(國分功一郎著)

気鋭の哲学者による人生相談。相談に答えるというのは、相手の生を受け止めること。そして、語られていないことに想像を果たすこと。そんな事例となるような本でした。頭のいい方の話の展開方法は違うなあ。

 

 

  • 『天才 富永仲基』(釈徹宗著)

300年前、大乗仏教についての独創的な研究をした町人学者。「大乗仏教とは何か?」を考えるために読んでみました。

 

 

  • 『内村鑑三』(若松英輔著)
  • 『アウグスティヌス』(出村和彦著)

どちらも歴史の教科書に出てくるかのような偉大な人物ですね。共通するのは、キリスト教に生涯をささげたという点。キリスト教神学に最近ちょっとだけ興味があるので読んでみました。この本に限らず若松先生の著作は深い洞察を与えてくれるから好きです。

 

 

  • 『不要不急』

10人の僧侶による混迷の時代を生きるヒントです。本の企画はとてもいいと思うのですが、一人一人のパートが物足りず、ちょっと内容が浅い気が。5人くらいを選んで対談してもらえば深い話が展開されてよかったのに、と無責任な感想。

 

 

  • 『太平洋戦争への道』(半藤一利、加藤陽子、保坂正康)

日本が戦争に突入した6つの分岐点をめぐる対談。幅広く、ざっくりと昭和の歴史を知りたい方にはお勧め。国際連盟を脱退した時の外務大臣・松岡洋右について知りたくなった。卒論の時に調べたはずだけど(笑)

 

 

  • 『日本哲学の最前線』(山口尚著)

新進気鋭の哲学者の仕事がざっくりとわかる本。世界には、自分とまったく違う頭の使い方をする人がいるものだと改めて思う。哲学者と宗教者は、これからの時代で絶対に活躍するはず。てか、活躍しないと次の世界のグランドデザインができないとさえ思う。

 

 

  • 『運命と選択の科学』(ハナー・クリッチロウ著)

「人間はどれだけ自由意志があるのか?」を脳科学の点から解明した本。ヨガの先生がおススメしていたので読みました。「なるほど!」だけど、全面的に認めたくない自分もいます。自由意志ってのがあるってのが、自分のアイデンティティになってるからかしらね。

 

 

  • 『言志四録(4)』(佐藤一斎)

大河ドラマを見ていたら、久々に読みたくなった本。智慧ある隠者が語る、人生訓、処世訓。単なる道徳に聞こえないのはなんでなんだろう?と読むたびに思う本です。

 

 

  • 『ビジョナリーカンパニーZERO』(ジム・コリンズ著)

わたしが一番影響を受けたといっても過言ではないビジネス本『ビジョナリー・カンパニー』。シリーズを重ねるごとに、「ああ、最初のが一番よかったなあ」と思うのはどこかかなしい。この本もいい本だと思うよ。けど、『ビジョナリー・カンパニー』のシリーズとなると、物足りなさを感じてしまうのよね。偉大な作品の後は、難しいね。

 

 

ということで、9月もいい本と出合えますように。

 

August 30, 2021 | | Comments (0)

2021.08.20

新刊『いちばんていねいな、オラクルカード』が発売されます

 

久しぶりのブログになります。

 

 

今日はお知らせです。823日(月)に新刊が出版されます。

 

 

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テーマは、オラクルカード。会社を創業したのが20011月で、オラクルカードにかかわったのがその年の秋のこと。つまり、今年で20年目になるんですね。

 

 

当時は一部のアーリーアダプター(新しいものを進んで受け取る人)にしか知られていない商品でしたから、一軒、一軒とお店を開拓したのがはじまりのはじまり。

 

 

その頃を思うと、「まさかオラクルカードで一冊本ができるなんてね・・・」という心持ち。摩訶不思議なような、偶然に偶然が重なったような、必然の運命に導かれていたような気分です。

 

 

本についての詳しいことは私が書くよりも、会社の精鋭がまとめたこちらのブログが詳しいです。

 

 

https://ameblo.jp/oracle-tarot/

 

 

ぜひ、お手に取ってみてくださいね。

 

 

August 20, 2021 in オラクルカード&タロットカード | | Comments (0)

2020.08.18

私がインド哲学と縁ができたきっかけ(のひとつ)

 

「結果に執着せずに、行為に取り組む」

 

 

これ、インド哲学の大きな主題(テーマ)の一つ。俗に「カルマヨーガ」と呼ばれるものです。

 

 

我々の行為のほとんどは、「結果を意識してなされる」ものばかりです。

 

 

◎人間関係をつくるために(結果)、異業種交流会へ行く(行為)

 

◎他人からの「いいね!」を得るために(結果)、SNSに投稿をする(行為)

 

 

という具合ですね。

 

 

私は若い頃、数々の「成功法則」「自己啓発」の教えの洗礼を浴びました。セミナー行って、本やテープ(当時はカセットでしたw)を買って、とにかく食い荒らしました。

 

 

これらの「哲学」は、たいがいが「成功した姿をイメージすることの大切さ」が説かれます。ということは、「結果を意識しまくり」なわけです。

 

 

けど、インドの哲学ではそこにゆさぶりをかけるわけです。

 

 

自分が「これこそが正しい生き方だ!」と感じていたことが揺らされるので、人によっては「否定」や「疑い」といった形で反応してきます。当たり前といえば当たり前の反応ですね。

 

 

けど、中にはこういった話を聞くと「漠然とした質問」が頭の中にたちあがってくる人がいます。

 

 

Q:「結果を考えずに行動していたら、社会は成り立たなくないですか?」

 

Q:「結果を考えずに行動して、とんでもない未来になりませんか?」

 

Q:「結果を考えないのだとしたら、生き方が刹那的になりませんか?」

 

Q:「そもそもなぜ、こういう教えが大切だと説かれるのですか?」

 

 

たとえば、こんな反応ですね。

 

 

「否定するでも肯定するでもなく、自分の中に自然と質問がたちあがってきた」

 

 

これこそが、インド哲学のすべてのはじまりかと。

 

 

私は、31歳で会社をつくりました。運よく、数年後には会社は軌道に乗りました。最初は生活がカツカツでしたが、数年もすると倍々で収入は増えてきました。いままではいかないようなお店にいきはじめたのもこの頃ですね。

 

 

でも、いつしか自分の中に質問が立ち上がってきたのですね。

 

 

それは、「成功ってどこまでいったら成功なの?」というシンプルな質問でした。

 

 

「小さな成功をすると、次の成功が欲しくなる。で、さらにその次・・・」このループがずっと続くかと思うと、面白いような、チャレンジしたいような、うんざりするような、そのレースから逃げ出したいような複雑な気持ちが入り混じっていたことを今でも思い出します。

 

 

で、「この問いの答えはどこかにないか?」を探しにかかるわけです。

 

 

この世界、「問いが明確であれば、いつか答えはやってくる」摂理のようです。数年後、私は、インド哲学と巡り会うという僥倖に恵まれたというわけです。

 

 

August 18, 2020 | | Comments (0)

2020.08.17

「無念」を引き継ぐ

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毎年、お盆の時期にはここに慰霊にいきます。

 

 

先の戦争(太平洋戦争です)で「戦争犯罪人」として裁判にかけられた人が、処刑された場所といわれています。(ここが処刑場があった場所かどうか、本当かどうかは知りません。けど、このあたりであるのは間違いないはずです。)

 

 

個人の方が立てた碑らしいですが、反対運動もあったようですね。

 

 

そのためか、碑文にはとても抽象的な言葉しか書いてありません。ましてや、「戦争犯罪人」として処刑された方のお名前もありません。公園の一区画にあるこの碑がどんな意味合いを持つのか知らない人もきっと多数かと。

 

 

ここに慰霊にいった、というだけで「何を考えているんだ!」という人もいらっしゃるかもしれませんね。それは、靖国神社の閣僚参拝があれだけの問題になっているのを見ても明らかです。

 

 

けど、私が毎年ここにいくのは「戦争処理をめぐる戦後の混乱の中で、亡くなった方の『無念』をわずかでも引き継ぎたいな」と思うからです。

 

 

なぜ、そういう思いを持つかわからないのですけどね。思えば、若い頃からの心の奥底からの発動のようなものかと。

 

 

そうそ、そこには「右翼や左翼」「軍国主義や平和主義」といったイデオロギーは存在しません。むしろ、そんなものとは対極にある世界です。

 

 

「人は亡くなるときに、何かしらの『無念』を持つんじゃないか?」と思うのです。で、それを後世に引き継いでもらえる人生は、そうでない人生よりも豊かだと思うのです。

 

 

「戦争犯罪人」という最後は、我々が想像もできないほどの「無念」だったのかと。で、そんな「無念」を引き継ぐのは、同じ国で生きる(そして、そのメリットを存分に享受してきた)人間として当然だと思うのです。

 

 

「だって、戦争を起こした人たちでしょ?」「法律に基づいて処刑された人でしょ?」など、いろいなつっこみは入ると思います。

 

 

けど、処刑されたご本人たちはこれらにこたえるすべをもちません。それこそが、最大の「無念」のはず。

 

 

わたしの知っている中での「事実」を伝えることが、わずかばかりの「無念」に応えることなのかと思うのです。

 

 

いままで、ご縁ある方にこの辺のお話をしたことがありました。今年もどこかで機会があればやりたいですね。



August 17, 2020 in 訪れた場所のこと感じたこと | | Comments (0)

2020.08.05

主流か、傍流かって話



SNSを使って起業する」という話があります。

 

 

一見すると、なんとなく現実的な話に聞こえます。

 

 

SNSは多くの人との結びつきを可能にします。で、友達の友達とも次々と関係が結びやすいです。だから、サービスや商品を記事としてアップすると、申し込みが入ったりします。

 

 

けど、SNSってそもそも何?」ってことを考えると、「SNSを使って起業する」ことがいかに荒唐無稽かがクリアーになってくるはずです。

 

 

なぜなら、SNSには「商品を買いたい気分の人」「サービスを受けたい気分の人」がそもそも少ないからです。自分に置き換えていえば、わかりますよね。

 

 

SNS主流は、「暇つぶし」「なんとなく」「同じ趣味や好きなの人の情報をゲットしたい」「同じ趣味や志向の人とつながりたい」です。(あくまで、私の見立てですけど)

 

 

「ビジネスの情報をもらいたい!」「何かのサービスを受けたい」という人は、決していないわけではないでしょうけど、SNS全体からみたら傍流なのかと。

 

 

たとえば、Amazonというネット通販があります。

 

 

ここには「商品を買いたい気分」の人がたくさんいるわけです。そのための、仕掛けもたくさんあるわけです。

 

 

「この商品を買った人はこんな商品を買っています」ってリコメンド機能、ワンクリックで商品を購入できる機能。そのような仕掛けがお客さんをどんどんと「その気」にさせています。そのためのお金と人が投資されているわけです。

 

 

同じように、百貨店の高島屋や伊勢丹には「お金を使う気まんまんの気分」の人が、東京ディズニーランドにも「お土産を買う気まんまんの気分」の人がいるわけです。

 

 

こうした企業は時間をかけて「気分を持った人」とコミュニケーションをとってきたわけです。

 

 

そう考えると、起業して続けていくためのポイントは「商品を買う気持ちまんまんの人と適切なコミュニケーションをとる」ことが挙げられるかもしれませんね。

 

 

そこは、SNSのように「すぐに」「誰とでも」「インスタントに結びつく」ことができる世界ではありません。

 

 

「時間をかけて」「自分のサービスを好んでくれる人と」「じっくりと関係をつくっていく」世界です。

 

 

前者が刹那的な一瞬一瞬の付き合いだとすると、後者は成熟した大人の付き合いといってもいいかもしれないですね。

 

 

個人起業家であっても、ここを目指さしたいものですね。

 

 

でないと、一発花火を打ち上げることはできても、永続的に仕事を続けていくことはできにくいでしょうし。そのためには、主流と傍流とを取り違えないことが大切なのかと。

 

 

August 5, 2020 in 経営をするということ仕事のことについて | | Comments (0)