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2005.03.29

旅のスタート地点

「どこかでみたことある風景」---駅を降りてそう思った。仕事ででかけた神戸は三ノ宮、記憶の糸をたどると8年前にいきついた。僕は三ノ宮から港に行って鑑真号という船に乗り、アジアへの旅に出た。上海からはじまる旅のスタートが三ノ宮だったのだ。

三ノ宮までは夜行バスで行った。東京駅からの道中、当時流行していたglobeの歌が流れていた。「FACE」という曲の一節「反省は毎日で悔やまれることが多すぎて〜」というフレーズがなぜか頭に残った。別に反省することはなく自らの意志で旅に出たのだが…そんな日のことを思い出した。


東京駅から仲のいい友人に電話をした。「とりあえず数ヶ月姿を消すから」と。「あいかわらずうさんくさい生き方だな」とこれ以上ない褒めた言葉(?)を贈ってもらって旅にでた…そんな日のことを思い出した。


そう、あの時は大阪から旅仲間が見送りにきてくれた。ベトナムだとかを一緒に旅していた女性2人組だ。「めちゃうらやましいわあ〜」としきりにいっていた…(そのうちの一人はまもなく長旅にでたが)そんな日のことを思い出した。


船には中国から出稼ぎに来ていた女性が2年の就業期間を終えて乗船していた。30人くらいの女性が涙でハンカチをふっていた…そんな日のことを思い出した。


いままで記憶の隅にあって思い出すこともなかったこれらの記憶。それが、三ノ宮を訪れただけで思い出された。「人間の五感はすごい!」。だから移動する、ということに億劫になってはならん、と思った出張の1日だった。

March 29, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.27

ゆるやかな同士的結合

僕は社会人のスタートを石川県の金沢市できった。営業部長から「メシのうまいところにいかないか」といわれ、新人研修が終了後すぐに赴任した。その時に僕以外にももう一人地方勤務が決まって福岡県に赴任したのがY。その彼が結婚をして週末は結婚披露宴に参加した。

いうなれば同じ時代を生きてきた同士だ。慣れない土地で商品知識もままならないまま、一日30社とか40社とか会社を飛び込みしまくった。中々成果があがらず、自信をうちのめされた。ゆかりもない土地で同じ世代の同僚もおらず、友人もいない日々。気がついたら週末の二日間、一言も話をしていないこともあった。恐らく彼も同じ生活をしていたのかもしれない。そんな同士だけに感無量、だ。


同じ職場で仕事をしていた訳ではない。けど、同じような環境で同じような仕事をしていたため共通言語のようなものが生まれていく。僕が「クライアントのために」と語る時、言葉を重ねなくても彼の頭には僕の世界地図が描けている、ような気がしている。こういった同士は貴重な存在だ。私は3年弱、彼は7年近くで会社を辞めた。そして現在、僕は広告、彼は経営コンサルティング業界で仕事をしている。


「ゆるやかな同士的な結合」僕はこれからの会社組織はそんな形になると思っている。同じような仕事観を持つ会社同士がゆるやかな形で結合し、新しい仕事やプロジェクトを生み出すのだ。彼とはぜひとも何かしらやっていきたいものだ、と思う。


とまれ、結婚おめでとうございます。

March 27, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.24

旅にでて何か変わりますか?

何かを変えたい、と思っている人へ


「旅にでて何か変わりますか?」と聞かれたことがある。当たり前のことなのだが、何かがドラスティックに変わる事など全くない、というのが僕の実感。


小学生くらいだったら「ガンジス川で焼かれる遺体を見て人生が変わったんです」みたいなこともあるだろうが、20歳を超えてなかなか人間の価値観なんて変わるものではない。逆に、旅にでたくらいでコロコロと何かが変わるのであれば、日本で何をして、何を考えてきたのかを問うた方がいいだろう。

巷では「簡単に、楽に、早く、なりたい自分になる」ノウハウが全盛だ。「土日だけで誰でも成功できる起業術」「1日10分のトレーニングで1ヶ月50冊本が読める」「誰でも簡単にセラピストに、将来は独立して開業」などなど。


でも、ちょっと考えればそんなのは荒唐無稽、ということに気がつくはずだ。長い修練と実践、そして絶え間ない反省が何をやる上でも必要、ということに。でもこの当たり前の事が当たり前でなくなっている。だからこそ、ノウハウが一人歩きして跋扈しているのだろう。


何かをしてすぐさまドラスティックに自己が変わるものなどない。それは旅とて一緒だ。何かを変えたいのなら、旅で自分を掘り起こす作業をしなくてはならない。その作業なしに何かを変えようとおもっても無駄、というのが僕の持論。


旅にでると喜怒哀楽が凝縮されている。そういう意味で自分が何か?自分はどういう人間か?の問いをつきつけられるチャンスは、日本にいるときよりはあるかもしれない。ただ、それを活かすも殺すも僕たちの旅にとりくむ姿勢しだいなのだ。

March 24, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.22

僕はなぜ旅にでたか〜2〜

その写真を見たのはいつの事だっただろうか・・・。路上で物売りをする一人の青年。それは若き日のお笑い芸人(?)高田純次。


中東か南アジアだろうか・・現地の人と一緒にモノを売っている彼の姿だった。汚い格好に身を包み、伸びきったヒゲが不潔感もろだしだった。どこかのインタビュー番組だったかもしれない。「若い頃、こんな姿で旅してたんですよ・・」と彼一流のトークで面白おかしく話していたワンシーン。ふとある日それが蘇ってきた。

自分の人生にもあんなワンシーンが欲しい、とふと思った。みんなが仕事をする中、ふらふらと海外で路面で物売りをする。そんな写真があれば一生涯ネタになる、と思ったのだ。僕はこんな生き方をした、という証になると思ったのだ。(少なくとも高田純次はきっちりとネタにしていた)


人に比べて特別なにができる、というわけではない。かといって「普通」というくくりで束縛されることが人一倍嫌な僕のわずかな選択、それが旅であったのだ。


前にも書いたが、旅にでるにはいろんな要因が絡み合っている。それを紐解いていくのはナンセンスなことかもしれない。ただ、僕はネタをつくるために海外に出た。それは人と違う生き方がしたい、という魂の咆哮であったとさえいえるかもしれない。


日本社会に「復活」して7年あまりの時間が流れた。今、考える。人と違う生き方がしたいから海外にでる、といのは我ながらいい選択肢だった、と。人と違う生き方がしたい、という欲求に従った自分の選択を褒めたい、と。


けど、「日常生活の中でも人と違う生き方はできるのだ」という視点を旅にでた当時の僕が持っていたら、もっともっと地に足ついた大人になっていたとも思うのだ。人生はリセットができないからどっちがよかったのかは分からないけどね。

March 22, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.20

ムエタイ 王者の戦い

「ラジャダムナンスタジアム」-格闘技に少しでも関わる人間であれば、一種の畏敬の念を持って語られるムエタイ(タイ式キックボクシング)の殿堂のひとつ。(最近の格闘技ファンはそんなことないかな?)


多くの格闘技ファンをいろんな意味で迷わせた名著「空手バカ一代」でも「虹の挑戦者」でも、ムエタイは神秘の国の最強格闘技、として描かれていた。貧しい子供が生活を支えるために幼少からムエタイの練習に励み、チャンピオンになって富と名声を手にいれる、というステレオタイプのタイ式サクセスストーリーとともに語られていた気がする。


数万人ともいわれるムエタイの選手人口。その中から最高峰の二人が新日本キックボクシング協会のリング上でタイトルマッチを行ったのだ。

ワイクー(タイの伝統的な戦いの踊り)からはじまったこの戦い。試合中には戦いを促す音楽が流れ、一種独特の雰囲気で試合は進む。


最終的にはチャンピオンが一度のダウンを奪ったものの、大きな山場もなく判定勝利。これが日本人同士の戦いであれば凡戦の一つだろう。会場からヤジのひとつもでたかもしれない。


けど、ムエタイにはそういったヤジを封じ込める独特のオーラがあるような気がするのだ。選手の動きの一つ一つに、ムエタイ500年の歴史の中ではぐくまれた、すごい意味だとか攻防だとかがあるような感じを受けるのだ。その雰囲気は場内に伝播し、会場を支配する。


だから、ムエタイの試合を今流行の格闘技などの試合と同様のレベルで語るのはナンセンスだ。


初心者のファンが「うーん、ムエタイはやはり渋いですね〜」と、何だかわけの分からないのに語る。
それに、先輩ファンがうんちくをたれる。「やっぱガードとデフェンスの一体化は芸術の域まで達しているよな」「あの蹴りはセンティアンノーイを彷彿させるよ」だとかいう感じで。その構図が古くからの格闘技ファンにはたまらない。(少なくともファン歴25年くらいの僕には・・)


そんな語りを促すような格闘技。何か深い意味を感じられるような格闘技。今はやりの格闘技が、「完全決着」「エンターテイメント」「ショーアップ」が主流であるがために、ムエタイの存在感がますますと光輝いてくると思うのだ。

March 20, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.19

NLPの創始者に会う

NLP(神経言語プログラム)というコミュニケーション技術のような、目標達成技法のような、自己啓発のようなスクールに通っている。月に1回、土・日曜日の朝10時から19時まで。講義あり、実習ありとなかなか盛りだくさんだ。今日はその5ヶ月間の授業で、特別l講師としてNLP創始者直伝の技術を学んだ。

NLP30年の歴史でその創始者が来日をしてワークショップを行うのは初の快挙、だという。僕がNLPを学んだのは、経営者が参加するようなセミナーでたびたびNLPの噂を耳にしていたから。目標達成に、コミュニケーションに実践できる技術だ、と聞いていたから。


世の中なにごとも、簡単に、手軽に、楽に、ただちに、手に入る時代。それはセラピーの技術などの職人的なスキルとて同様で、世の中には「すぐさまセラピストになれますよ!」といった広告がかまびすしい。けど、そんなに簡単に人を癒したり、自分を変えたりするスキルが学べたりできるわけがない、と思う。


だからNLPにも過度の期待はしていなかった。何よりも日常での実践が大切だと思っていたからだ。ただ、「他人と自分とは世界観が違うんだ」ということがなんとなく腹に落ちたのはNLPにでての成果だった。その世界観に併せたコミュニケーションの技法もあるんだ、と痛感した。


けどそれがただちに、「NLPにでたから劇的に変わったんだ!」ということにはつながらない。地道に学んだスキルを、授業での気づきを、日常の現場で試してみて、絶え間ない反省と再実行を繰り返していくプロセスが不可欠だと思う。その過程を抜きにして、安直に「コミュニケーションの達人になれる」と思う人がいるのであれば、おきらくだな、と思う。世の中にそんな魔法の杖は存在しない。


僕が今、参加している授業にはそんなことを考える人がほとんどいないような気がする。それは、学ぶ環境として凄く恵まれたこだと思うのだ。


March 19, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.03.18

訃報

出張先の大阪でソロ歌手のYUKI(元JUDY AND MARYのボーカル)の長男が1歳でなくなったニュースに接する。4,000人に1人といわれる幼児の突然死、とのことだが「なぜ彼女の子が・・」と呆然となる。

ソロとしてデビューしてからのコンサートは皆勤の僕(と奥さん)にとっては思い入れの深い歌い手の1人。


最近発売されたアルバムもオリコン1位となって、5月には武道館でのコンサートも決まっていたのに・・。神というものが存在するならなんて残酷なんだ、と思う。


彼女が子供について語る時、それはあたかも大人の子供について語るかのようだったことを思い出す。
僕はそんな物のいい方がすごく好きだった。


当面、プロモーション活動は自粛するそうだが、今月末からのコンサートは実施するとのこと。ご冥福をお祈りするとともに、彼女が落ち着きをとりもどすことを心より願いたい。

March 18, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (2)

2005.03.17

僕はなぜ旅にでたか〜1〜

どんなに衝撃的な出来事であれ、その出来事が起こった一瞬を見て評価を下すのは易しい。が、本質的に重要なのはそれが起きたプロセスであり、過程だと思う。


例えば1941年、日本が真珠湾を攻撃した。運命の12月8日、その一日の一瞬をとらえてて日米戦争を語るのはナンセンスだ。むしろ日中戦争から三国同盟締結など、それまでに至る過程を分析、検討しなくては日米戦争の本質が見えてくるわけがない。


旅に出ている時「なぜ旅に出たのですか?」という質問を何回もいただいた。僕の場合、上海の安宿でバックパッカーなる人種を知り合って「会社を辞めて旅にでよう!」と思った。彼らの精神的な自由さへの憧れ、みたいなものがあったのだと思う。常に、そういう言い方で説明をしていた。


しかし、それはあくまでも旅に出ようと思った「一瞬」のことであり、僕が旅にでた「本質」ではない。旅にでようと思うまでにいたったプロセス、その中で考えたことや悩んだ事、不安に思ったことこそ、僕はなぜ旅にでたか、の答えであるはずだ。しかし、それを他人に伝えるのは難しい。僕自身の悩みや思いが複雑に幾重にも絡まっているからだ。それは簡単に説明できるものではない、と思う。


だから旅人は思考省略をする。「なぜ旅に出たか?」を安易に、つまり「一瞬を」語ろうとする。けど、語れば語るほどそれは、本質から離れていくような気がするのだ。


「なんとなく会社がいやになっちゃってね、思いきってでてきたんですよ」という一言。「なんか面白い事があるんじゃないかってね」という一言。「沢木耕太郎の小説を読んで絶対旅にでたいと思ったんですよ」という一言。それは旅にでた一瞬の瞬間であって本質ではないと思うのだ。僕は旅をすることを重々しく語る輩は好きではない。けど、安易に、そうそうやすやすと旅にでた理由など語れるはずはない、とも思うのだ。


旅に出たのか、を本質から語る事は難しい。それは、自分の人生と直面をして、問いかけをしなくてはならないからだ。

March 17, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.03.16

僕はは自己顕示欲が強い

「君、昆明(中国の大きな都市)いくんだってね。だったら宿は○○で、バスは●●をつかうといいよ。そんで昆明から他の都市に行くのにはねえ〜」


ベトナムはハノイで知り合った親父バックパッカーの話が延々と続く。「ベトナムから中国に抜けようか、タイまで飛行機で飛ぼうか迷っている」と口にしたところ延々と中国の旅情報の話になってしまったのだ。かれこれ3時間は続いているだろうか・・・。


何でも5年近く中国を旅してきたため、「中国のことは何でも知っている」のだそうだ。確かに情報量はすごかった。中国と韓国の文化の相違、墓地での野宿情報など非常に興味ぶかかった。が、僕が求めていたのは押し売りで一方的な彼の情報ではない。旅をしているもの同士の会話から生まれる刺激のようなもので十分だったのだ。


とかく旅をしているとこの手の人にであった。自分が旅した国の事、出会った人やおこった出来事を芸人よろしく語っていくタイプの人だ。旅をした最初の頃は、日本語を話す機会が少ないからな、と思っていたのだが次第にこの手のタイプの多くは自己顕示欲が強いのだと思うようになっていた。それを具現化するための手段として旅が存在しているのだともいえるかもしれない。


旅をすると自分が発見できる、などといわれる。そんな簡単なものなのか、とも思うが自らの経験であえていうのであれば「俺は自己顕示欲が強い!」という発見が僕にはあった。ぺらぺらと語る人間に嫌気がさす瞬間、それは自己の内面が投影されたことに対する嫌気なのだ。


旅は発見の連続だ。喜怒哀楽を通じて自分が何に怒って、何に感動して、何に悲しみを覚えるのかがビビッドにつきつけられる。それは社会人として日常を過ごしていても当然、経験はできる性質のものだ。が、喜怒哀楽の密度が濃く、感情を振り返るに十分な時間がある旅の途上だからこそ自分という人間がよりリアルに感じられるのだろう。


会社をやっていても喜怒哀楽は訪れる。それが自己発見のきっかけとなる。ただ、社会人として自分の感情に直接向き合うには我々は忙しすぎる。時間がなさすぎる。多くの発露された感情は行き場をなくしてただよっている。


年に数回は海外へ、を標榜しているのはこうした消化されない感情のたな卸しをしたいからではないか、と僕の内面が訴えているのかもしれないと思うのだ。

March 16, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.03.15

人は感動するためにいきる

「うぉーーーパキスタンの空の色にそっくりだ!」


空港から市内へと向かうタクシーに同乗したマサシが叫ぶ。バンコクから飛行機で1時間あまり。カンボジアはプノンペンの空の色は青くどこまでも高く眼前に広がっていた。美しい、などといった言葉では表現できない、それを通り越して恐ろしいまでの青々しさだった。


カンボジアは危険、といわれていた。ポルポトは存命中だったし、タイとの国境はクローズされていた。バンティアスレイ(※注 仏教遺跡)には軍人が同行しないといけなかったし、「なぜか夜になると銃声が聞こえる」とも他の旅行者から聞いていた。


その恐ろし!というイメージとのギャップが、空の色の美しさを更に際立たせていたのかもしれない。
2人して「すっげー」を連呼しながらプノンペン市内へと向かっていった。

あれから8年の月日が経った。が、いまだにあのプノンペンを超える空の色にはであっていない。モロッコでもチベットでもインドでもあの空を超える感動は味わえなかった。いつしか旅をしながら、カンボジアを超える空の色を無意識にさがしている自分がいた。


人にはうまく伝えられなくても、文章にはまとめることはできなくても、思い出すだけで何やら興奮してきて、無性に動きたくなってきて、胸が締め付けられるような感覚〜そう、そんなカンボジアで体験した感覚を各国の青い空に求めていたんだろうと思うのだ。


「人間は感動するために生きる」そんなことを考えたのはここ3〜4年のこと。誰から聞いたのか、本で読んだのか、突然思い付いたのかは今は定かではない。が、ある頃を通じてこれが僕の生きる根底として根付いていることに気がついたのだ。


会社をしているとしんどいことはある。月末にお金がなかったこともある。クライアントから仕事をきられたこともある。原稿がなかなか進まず、締切ギリギリまであわてることもある。利益をあげて稼げばごっそりと税金をもっていかれる。よしこれから!という時に社員さんが辞めたりしちゃう。


けど、会社をつくって始めて銀行の記帳にいった時の「ジーッ、ジーッ」と入金を記帳する音の素晴らしさ。自分の会社に引いたFAXに初めて着信があった時の「ピー」という心地よい音。「お前がやるなら出資するよ」といわれたあの一言。自分の仕掛けた販促策が炸裂し、資料請求が続いた瞬間。そんな体験をもう一度したくて、もう一度味わいたくて僕は仕事をしてるのだ、と最近思うのだ。


感動を求める点においては社会人として働こうが旅人をしようが根は一緒。むしろ、旅をしている人の方が感動というものに対して貪欲だし、正直だと思う。自分がささいなことに感動できること。これが僕が旅をしてきた中で学んだ大きな財産だと最近つくずくと思うのだ。

March 15, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.14

これからの時代 企業のステータスとは?

「お前は28歳か!なら、なんだってできるじゃないか!」


ミャンマーのバガンで知り合ったイタリア人。半年はフルーツピッキングの仕事でお金ためて、あとの半年は旅行をしているという。もうそんな生活を15年くらい続けているそうだ。当時、彼は35歳。40ちょっとまでは今の生活を続ける、と息巻く。


海外に行くとそんな人がごろごろしている。そんな人の生き方に触れるたびに自分の中で何かが変化をしていく。「そうだ、28歳はまだまだ何でもできる年なんだ!」と、強がりでなく本心からいえるようになっていく。

会社を辞めて立ち止まった。それは、急行から各駅停車の電車に乗り換えたような感覚だ。いままで速すぎて見えなかった世界がそこには広がっていた。様々な価値観を持った人がそれぞれの価値観で生活していることに気が付いた。


突っ走るのも人生、のんびりとまわりを見渡すのも人生、と思った。当時の僕はいずれ近いうちに突っ走る人生を進むだろう、と旅を続けていくうちに何となく感じていた。


旅を続ければつづけるほど、何かを考えたり、企画や計画をたてたり、お金を稼いだり、、何かを積み重ねていく中からえられる感激を渇望している自分に気が付いていたのだ。それはアンコールワットやモンゴルの大草原を見た感激から得られるものとは異質のものだった。


それらを叶えるのは仕事しかない。その思いは予感から確信へと変わっていっていた。そんな自分だからこそ、ゆっくりと周りを見渡しながら生きていくこの時期が重要だと思ったのだ。


ただただ、焦る。年齢がどんどん重なっていく。スキルが積み重なっていかないような不安感。周りが次々と偉くなっていくような錯覚。それをかき消したのが、先のイタリア人の言葉などだ。


今、僕が経営する会社はこうしたイタリア人でも働いていけるような組織体をめざして奮闘中。そんな社員が存在することが会社のステータスであり、成長の源である。そんな時代は確実に近付いている、と思う。

March 14, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.13

スポーツクラブの効用

いままで、金曜日の夜はたいがい仕事関係の飲みが入っていた。が、ここ数ヶ月はエアロビクスのようなエクササイズに通っている。


20代のインストラクターに「おじさんがんばって」といわれむかついたこともままある。おまえらがランドセルしょってた時から社会人やっていたんだ、と。けど、最近はすっかりと習慣になってしまった。

それにしても金曜日の夜9時すぎに毎週決まったようなメンバーがスタジオに集まるのは興味深い。みんなどこで何をしている人かわからないけど、何回もあっているうちにどことなく性格みたいなことがわかっきて面白い。


その昔、日本企業が弱くなってきた遠因について「ラジオ体操をしなくなったため」という説を聞いたことがある。高度成長時代の日本企業は、ラジオ体操によって職場の仲間と同じ動きを繰り返すことにより仲間意識や連帯感を強めていた、というのだ。これが経済発展を遂げるために重要だった、というのだ。


これがあながちトンだ説ということでないのは、心理学でいうところのミラーリングという考え方で説明できるそうだ。人は自分の動きを真似されると無意識にもその人に好意を寄せたり共感を得たりする、ざっくりというとそんなようなものだ。


金曜日の夜、スポーツクラブに集まっている同志。名前もしらないし、どこで何をしているかもわからない。ダイエットしたかったり、インストラクターに恋してたり、なんとなく家に帰りたくなかったり人より早く振り付けを覚えたかったり、と参加の動機もまちまちだろう。


が、お金と時間を使ってスポーツクラブに足を運ぶ人はとてもポジティブな思考の持ち主だと思う。


そうした同士と同じ動きを隔離された空間でエクササイズを行うことは潜在意識にポジティブなメッセージを刻んでいる行いのような気がする。そう、そうした人を結果的にミラーリングしているのだ。


体も心も健康になるにはスポーツクラブはすばらしい場所だ。逆に「かったるいなあ〜」「眠いなあ〜」といった想いにみちている朝の満員電車はマイナスのミラーリングの場としては最悪だ。こんな場所にいてネガティブにならない方がおかしい、と常々思うのだ。


March 13, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.12

若造の理想を考える

「若い時に旅にでないと人生にロマンがないんだよね。今の選択はとってもいいんじゃないの」
会社を辞めて1年くらいたった頃、勤めていた会社の上司と再会した。池袋で魚を食べながら、会社を辞めてからの話を聞いていただいた。


上司といっても直属の上司ではなかった。地方営業所に勤務していた僕にとっては「本社の偉い方」という存在の方だった。なかなか、本社の方とお会いすることはないが、その上司はよく営業所にみえていろいろと話を聞かせていただいていた。旅先からたびたびハガキをお送りしていて、帰国すると年賀状をいただいていた。御礼の電話をすると「一度お会いしましょう」ということになったのだ。

久しぶり、といっても1年くらい振りだった。特段、お互いが変わったことはなかった。が、僕の内面では大きな変化があった。猛烈なスピードで走っている電車から各駅停車に乗り換えたような感覚。当初はそれを恐れながら、旅にでるに及び1人2人と個性的な生き方をしている人たちに遭遇するたびに、こうした生き方はなかなかできるもんじゃないな、と自己満足にひたってる自分がいた。きっと「僕は決して勤め人では納得しないぞ!」といったオーラに漲っていただろう。


自分の考えを理論(理屈?)としても確立しはじめていた。「なぜ旅にでるのか?」「自分はどうありたいのか?」旅先で考えたこと、聞いたこと。自分の生き方を論理的に肯定する作業を無意識にしていた。そのプロセスで何とはなしに自分に変化がみえるような気がしていたのだ。


上司がいった冒頭の言葉、ありがたかった。特に、会社でまっとうに何十年と仕事をやってこられた方の言葉だっただけに嬉しかった。


が、今は思うのだ。当時の僕は理想と現実の矛盾とを自分の中で解決できずにいた。そのモヤモヤは、大義名分を伴って旅に行くという行動となってあらわれた。ごく普通の生活の中での現実と理想の矛盾と戦っている多くの人、社会人として働く大多数のそれらの人。当時の僕はそれらの人を「現実と直面しない人」とした感覚でとらえていたのだはないか、と。


上司がどのような意図で上の言葉を贈っていただいたのかはわからない。ただ、大義名分や大きな事ばかりを話していて現実を直視しない僕にいいようのない不安定さを感じていたのではないかと思うのだ。されど、ロマンという言葉で若造の生き方を肯定していただいた上司、今はその器の大きさに感謝する自分がいるのだ。


今ふと思う。もし自分が同じような部下て、同じようなシチュエーションだったらどう反応するだろうか、と。現実を直視しろ、だとか人生を甘くとらえるな、だとかの記号化された言葉を吐かないで若者(といっても私も35歳で若造だが)の不安定な理念に酒をのみながら付き合えるだろうか、と。少なくとも私は上司の言葉に救われる思いがした。振り返って、今の僕自身が他人を安心させるような言葉を語れるだろうか、と。

March 12, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.11

沢山のお金を手にしたら・・・?

会社とは、社長の成功観が凝縮されたものだと思う。


「お金を稼ぐのが何よりも好き」という社長なら、売上至上主義の会社をつくるだろう。
「人に奉仕するのが大好き」という社長なら、従業員にとって居心地のいい会社をつくるだろう。
「とにかく目立ちたい」という社長なら、とかく話題をふりまく会社にしたがるだろう。


なので、僕は経営者と仕事をする時にその方の成功観を確認するようにしている。でないとあとあと話が噛み合なかったりするからだ。特に、お金に関しての価値観を知っておくことは大切だ。


僕の成功観の中でお金の位置づけは、「何かをしたいときに自由に使えるお金がある」程度で十分。
家や車は所有するだけで疲れるので持たない方針だし、繁華街で大枚をはたくのもある程度までで十分満足できる。


だから、年収で億単位のお金を稼ごうとは思わない。少なくとも収入が仕事のモチベーションにはならない。


けど、年間で億単位のお金を自分が手にしたらどうなるんだろう?といった興味はかなりある。自分が、回りが、家族がどう変化していくのか?は大変に興味深い。その上で「仕事はお金が全てじゃないよ」と、ちょっと格好つけて語ってみたい欲求はあるのだ。

March 11, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.10

田坂広志先生の講演に参加しました

昨日は、田坂広志先生(多摩大学大学院教授)の講演
「なぜ、我々は志を抱いて生きるのか」に参加。


僕の会社運営に多大な影響を与えた田坂先生。
その魅力は文章では語り尽くせない。

何が凄いか、というと僕が「なんとなくこんな感じ」
と思っていた事を先生は言葉にできること、文章にできること。その上でそれを自分自身で実践してきたし、今現在も実践して成長途上にいる、と本人が語られるようにいまでも高い志を持っていることにつきる。


研ぎすまされた感性と高いレベルの論理的な構築とで抽出された仕事や自己成長、生き方などの哲学は
ご自身がビジネスマンとしての実務経験があることと相まって一言一言にいいようのない重みがある。


その先生が語る。


私が語っている言葉のどれをとったって、自分が発見したものなんてない、と。人間、5000年の歴史の中で誰かが言葉として語っていることを再構築したにすぎない、と。私たちは言葉は語り尽くした、と。今はその言葉を行することが必要なのでは、と。


僕が書いてしまうと陳腐な、どこかで聞いたことのあるようなメッセージでしかない。が、これがいいようのない迫力を持って僕への問いかけとなった。やはり、本当に迫力あるメッセージは直接聞かないと、と思った一夜。


インターネットが隆盛してきて様々なコンテンツにアクセスできる昨今。が、言葉では語り尽くせない思いだとか、余韻だとか、間とかタイミングはいくら言葉を重ねても文章では伝える事が難しい。そんなことを感じた一夜だった。


March 10, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.09

大義名分は不安の証

「帰国してからすべきこと 〜
旅で世話になった人への手紙書き、旅ですすめてもらった本の読破、
年賀状の返事書き、借金の返済、アルバイト探し・・・」

97年の2月、4ヶ月の旅行から帰国する際に書いた日記が手元にある。
バンコクの空港で夜中の飛行機を待っている時間に書いたものだ。
いま改めて読み直すと「帰国したらどうしよう!」という当時の不安が改めて蘇ってきた。

当時、よく下痢をした。
体調が不安定だったのかもしれないし、何とはなしに神経的にまいっていたのかもしれない。
好き好んで旅にでてきたが、なかなか自分らしい生き方をするのは骨が折れることだった。

旅先で知り合った人の話に内面がフラフラと浮ついてしかたなかった。
地に足をつけていない感覚は心地のよいもののようでもあったが、やはりしんどかった。
俺はこのままでいいのか?という自問は常に続いていた。

帰国して真っ先にしたことは手紙を書いたこと。
海外で知り合った旅人に、お世話になった現地の人に書いて書いて書きまくった。
それは俺はこんな人生を生きているんだぞ、と存在を証明するかのようであった。

物心ついた時から手紙などとは無縁の男だ。
一心不乱に手紙を書くその姿は狂気的、ですらあったかもしれない。
そして、アルバイトをした。知り合いの電器店で電気工事の仕事をした。
もっと生産性のある仕事をしてもよかったのだが、何となく自信がなかったのかもしれない。
手短かなところで仕事を見つけた。時給950円だったが貴重な収入源だった。

とにかく先が決まっていない不安にかられていた。
自分が行動しなければ何も変わらない。
いつまでもフリーター生活が続くのではないか、という不安。
本を読んでも自分の将来にどう結びつくのかが全く分からない。だから実感が湧かない。
その結果、すごく大きなものを求めたがる。

世界平和とか、人類の共存だとか、戦争のない社会、だとか。
妙な宗教にはまる人と精神構造は同じだったかもしれない。

旅には行きたいのだが、それが本心からなのか、やけっぱちになってなのか、
不安から現実逃避したいだけなのかが自分でも理解できなくなっていた。

あれから8年近くがたった。
きちんと仕事を見つけて、会社をやっている今でも不安の種はつきない。

周りからは「いいですね、順調で」などといわれることもあるが、
「ひっしこいて世の中の流れにしがみついてるのにどこが順調だ」と思うときもないわけではない。
ただ、大きな物を求めたがることはなくなったような気がする。

世界平和も戦争のない社会も大切だし尊いが、まずは自分が食べること、
家族が生活できること、そして係わりのある人が幸せに暮らせることが重要だと思っている。

人間は自分が不安にかられていると大きな大義名分を掲げたがる生き物だ。
それではじめて自己の不安を解消できる生き物なのだ。

あるセラピストがいっていた。
「人って癒されていないと回りを癒したくなるんですよ」と。

仕事をしていて大義名分を掲げたくなった時、自分に不安がないか自省しなくてはならない。
足下が地についているか自省しなくてはならない。

これは旅をした経験から学んだ大きなことだ。

March 9, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.08

ブログ再開設!

一昨日(3/6)は新日本プロレス旗揚げの記念日。
猪木VSカール・ゴッチの伝説の一戦が行われた
記念すべき日だ。(1972年)

そんな日にブログを立ち上げよう、と思い立った。
といっても、これで3度目の挑戦。
いつも1週間くらいで続かなくなってしまうのだ。

書く事はいろいろとあるのだけどね。
今回は長く続けることを目的にやってきます。

March 8, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

営業の仕事はできる、とはいったが

「やっぱ手に職つけないで旅にでるなんて自殺行為ですよね!どう思います??」

ミャンマーの安ホテルで部屋をシェアした日本人バックパッカーが語る。彼は7年間、DTPデザイナーとして働き、1年間かけてユーラシア大陸を旅しようと退職してきていた。僕はこの言葉にただ、笑ってうなずくしかなかった。

大学を卒業して2年と11ヶ月働いた会社では営業の仕事をした。飛び込みや電話を中心に経営トップ層とアポをとり、法人コンサルティングの企画を提案する仕事。可もなく不可もない仕事。自分にとってあっているようでもあり、他に適職があるような気もしていた。

「僕は営業の仕事してたから何なりと売れるよ」といってはいたものの胸をはって「これが天職だ!」とはいえなかった。逆に、それが天職であれば旅などに出なかっただろう、と思っていた。

リストラされた50代の人が職安で「何ができるの」と聞かれ、胸をはって「管理職ができます」という・・・それに似た悲哀が自らにあるような気がしてならなかった。唯一、僕には若さがあるにすぎなかった。

旅にでると文章を書いたり、写真をとったり、「旅=仕事の一部」みたいな人がいた。

それらの人は僕の憧憬の対象だった。文章を書くのも決して苦手ではなかった。さりとて、私がそういう方向を目指そうとは思わなかった。なぜなら、圧倒的な力を持つ人間の前では自分の技術の低さは歴然としていたから。

小林紀晴という写真家がいた。彼も20代後半で会社をやめてアジアに旅にでた。そして旅人達の写真をとり「ASIAN JAPANESE」という本で発表した。

そこに表現されていたこと、「僕と同じ年代に、同じような地域を、同じようなスタイルで旅をして、ここまで表現ができるのか」と驚愕した、それとともに大きな嫉妬も。

少なくとも僕は文章で身をたてるなんておこがましいことはできない、と強く思った。では自分には何ができるのだろう??

インドでもミャンマーでもチベットでもふと一人考え事をすると考えていた。これが天職だ!と思えるもののきっかけがつかめたのは社会復帰した後、5年近く後のことだった。

March 8, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.03.07

旅人たちの人生設計

「パキスタンからイランに抜けたい!?まずは、タイあたりでロンリープラネットを手にいれろよ!」

1995年の秋。場所は上海のバックパッカー宿。「戦後、50周年の中国がみてみたい」と会社を休んで中国の一人旅。明日、日本に帰るという時に宿泊したドミトリーのベットの上。40代半ばのバックパッカーが、これから世界一周に出るという若者にアドバイスをおくっていました。

旅をしていれば何気ないワンシーンですが、私には何ともいえない衝撃が体に走りました。パキスタンやイランやカンボジアそうした国を一人で旅行している人が大勢いることにです。

別段、世間ずれした生活をしていたつもりはありません。当時の私は26歳。國學院大学文学部を卒業し社会人としてごくごく普通に仕事をしていました。

ただ、大学時代から運動部にいたのでバックパッカーなる人種とごくごく単純に接点がなかったのです。なんだかむしょうに自分が行った場所のことを語りたいと思いました。自分が知り合った人のことや、感じた出来事を自分の言葉で語りたいと思いました。会社を辞めて一体自分がどう感じるかを試してみたくなりました。

「人生は甘くない」という大人世代に「本当にそうかどうか自分の人生をつかって確かめたい」と偉そうにいって会社を2年と11ヶ月で辞めたのはそれから3ヶ月後のことでした。

あと、1ヶ月で退職金がもらえたのですが、「3年勤めて一人前」といった「世間」に対してのせめてもの意地で2年11ヶ月で退職をしました。その後、2年間、履歴書に残らない時間を過ごすことになります。

旅をしていた頃、いろんな場所にいって、多くの人と知り合って、多くの喜怒哀楽を感じました。その後、流れながれて、現在は広告会社を経営しています。

最近、感じることは「旅で人生が劇的に変わることはなかったが、今の自分のべースになっているんだな」といういうこと。

バックパッカーの方、人生設計の一つにお役立てください。人生、裏口入学の道が確実にあると思います。旅をしていたからマイナス、というわけではありません。

経営者の方、35歳、会社設立5年間、従業員10名以下の社長奮闘記としてお読みください。その他、この雑文がご縁で多くの出会いがうまれればと思っています!

March 7, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)