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2005.04.30

勘が働かない場所

GWに中東に行く予定をたてたが、直前にキャンセルした。4月に入ってテロ組織が米英に対して観光客も含むテロ宣言をしたり、イギリスの領事館が事務を休止したり、テロ組織の幹部の裁判がはじまるというニュースが入ったりとしたからだ。


「まあ、いってしまえばなんとかなるだろう」と考えていた。事実、いままでに「危険」という地域にいったことがないわけではない。夜ごと強盗がでる街があった、民主化を求める学生と治安部隊が激突した地域もあった。


けど、僕には守るものが増えすぎている。万一、何かあったらいろんな人に迷惑がかかる。交通事故が嫌だから会社をつくってからバイクに乗らなくなった人間だ。会社は当面は問題なく回っていくだろうが、次の事業展開は僕の頭の中に多くは暗黙知として存在している。いまここで何かあってはならない。


長い旅をしていた時は、これからいく場所のことについて情報収集をする時間と余裕があった。これから向かう場所を旅していた人と知り合って、現地の生の情報をゲットして次の目的地へと向かう。そこには、安宿や美味しい店、ビザの取り方に国境の情報などなど、多種多様な情報があった。


今はインターネットが発達しているためこれらの情報は集めようと思えば日本にいながらに集められる。事実、今回行こうと思っていた国について「全然、問題ない」「治安は悪くはない」という情報もあった。


けど、ネットでは情報の発信者の顔が見えない。誰がどのような意図で情報を発信しているかわからない。そして何より、言葉に含まれているニュアンスが分からない。


僕は何をするにおいても自分の勘を大事にする。「なんとなくこの仕事はうまくいきそうだ」だとか「恐らくこれはこういう形になるだろう」といったインプレッションを大事にする。そこには、論理的どうこう考えるより、自分の直感は多くの場合正しいものだという僕なりの経験則がある。


けど、自分の勘が働くのはあくまで自分の得意分野だけの話だ。例えば、自分が現在行っている広告の仕事については自分の勘はある程度働く。「こうした方がいいな」「これは辞めた方がいいな」「このお客さんとの仕事はまとまるな」という直感は働く(ような気がする)。


けど自分の領域外の仕事に手をだした場合、この勘は働かない。当たり前だ、その仕事に費やした時間や労力、考えた量などが絶対的に違うから勘などは働くはずはない。(勘とは、ある時にひらめくものなどではなく、論理をつきつめたものだと思う)


新しい事業を始めようとする人は多いがうまく行く人は少ない。それは、勘が働かない分野で勝負をしようとするからだ。自分の勘が働かない分野で戦うなどは恐ろしくて僕には考えられない。


僕は中東については今回がはじめての旅行となる。いままで、現地の旅行情報を集めた事もないし、近隣国にいったこともない。だから、いろんな情報に接した今、「いっていいのか、悪いのか」の勘が働かない。と、いうよりその「情報」も発信元の分からない「情報」だ。勘を働かせる素材としては2流品だ。


常に勘が働くポジションで仕事をする、というのは僕が大事にしていることだ。勘が働かないことに手をだすならどんな魅力的な仕事でも辞めた方がいい。痛い目をみるのがオチだ。


とはいえ、勘が働く領域を少しでも増やしていくのが僕らの責務だ。だから本を読むし、人と会う。旅をしたり、物事について考える。そして少しずつ自分のキャパを広げていくということが、勘の働く領域を広げるということだ。


今回はかなり苦渋の選択だったが、いたしかたない。と、いうことで連休の予定が一気にふっとんだ。勘を信じる生き方をするのも辛いものだ。

April 30, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.04.27

いったい誰が??なぜ??

ブログのアクセス解析をみていたら、「センティアンノーイ」から僕のブログにたどり着いた人がいたようだ。恐らく3月20日の日記「ムエタイ王者の戦い」にたどりついたのだろう。


センティアンノーイは、サガットやノックィー、チャモアペットと並び称されるムエタイの強豪選手。衝撃の左ミドルキックと勝利を確信した時に相手選手に行う「殺しのキス」に、当時キックをやっていた僕はしびれた。今から15年くらい前の話だ。

「貧乏な家庭を助けるためにムエタイ選手となって孝行したい」というステレオタイプのムエタイチャンピオン像をよくも悪くも持っていた最後のムエタイ世代ではないだろうか?彼らに比べると今のムエタイ選手は正直、見劣りがしてしまう。


ただ、多くの人にとって「センティアンノーイ」など聞いたことはない名前だろう。いったいどんな人が、どんな意図でセンティアンノーイで検索をかけたのだろう?考えると興味はつきない。


K-1をみていて、「今の選手にはダメだな、あの頃が懐かしいよ」と検索をしたのだろうか?卒業論文でムエタイの歴史を書こうと思って検索をしたのだろうか?それとも「センティアンノーイ」といった安宿があって、それを調べようとしたのだろうか?


一つのアクセス解析からドラマが生まれる。海外にでなくても、日常のささいな事が自分の向き合い方次第でネタになる。インターネットで自在に情報を発信できるようになった世の中は素晴らしい、とつくづくと思う。

April 27, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.04.26

人生は甘くない、か?

「今、この不景気の時に会社を辞めてどうするんだ?人生はそんなに甘くないぞ」-退職を申し出た僕に上司が語る。大学を卒業して入社した会社を辞める時だから9年も前の話だ。


僕は感覚的に思った。この人は腹の裂けるような挫折を繰り返して「人生は甘くない」と悟ったのだろうか、と。その上で、僕に対して「人生は甘くない」と語っているのだろうか、と。

たかだか3年弱いた会社だが辞めるのは大変だった。毎日ルーティンで行っている仕事、そこには知らず知らずのうちに慣性の法則が働くからだ。日々、行っていることを止めるのは、新しい事をはじめるよりもずっと体力と耐力を使うものだ。


僕は上司とのやりとりを数回した。「なぜ会社を辞めるのか?」「これからどうするのか?」など聞かれたことについて思っている事を語った。しかし、それらは僕の中で漠然としたものでしかなかったので、第三者に分かりやすく伝える事は至難の業だ。


「なんとなく○○だと思ったんですよ」との言葉に上司がひっかかったようだ。「なんとなくで辞めてどうするんだ」と。「具体的なビジョンみたいなものはないのか」と。


それがないから困っているんだろう、と僕は思った。それを探したいから辞めるんだろう、とも思った。それが会社にないから会社を去るんだろう、とも思った。が、それは語る事はできなかった。


僕は辞めるモードにスイッチが入っていた。お世話になった会社の方、任せるよといって仕事をいただいたクライアントには不義理になるかとも思ったが、それらの方が自分の人生を最後まで面倒をみてくれるわけではない。ある程度の割り切りをする必要がある、と思った。


話は平行線をたどった。そして最後にだめ押しのごとく出てきたのが「人生は甘くない」だ。


上司の記号化された言葉は僕の決意を変えることはできなかった。当時の僕は「人生甘くない」という上司に、自己と妥協せずに戦うビジネスマンの姿を重ねることができなかった。


言葉だけなら場末のスナックのお姉さんでも語る。けど、「人生」について語る人が、人生というものとどっぷりと組み合っていない場合、聞き手はミスマッチを感じる。


僕は「人生が甘いか甘くないか自分の人生をつかって実験したい」と生意気に語った。僕は考えていた。例えば、人生をめちゃめちゃ楽しんでいる人がいる。それらの人にとって、「人生は甘い」ということが広がるとマズい。自分たちが甘受している蜜が減ってしまうからだ。だから、「人生は甘くない」という教育がなされた、と。


そんな風に考えると、たかだか26歳くらいで「人生は甘くない」としたり顔で語ることに極度の嫌気がさしてきたのだ。


あれから9年。人生が甘いのか、甘くないのかはまだ答えがでていない。ただ、人生には敗者復活があるし、裏口入学のようなものがある、とは思っている。これは、20代の僕には実感覚として分からなかったことだ。


もしかすると、人間が生きるということは、記号化された言葉の真意を自分で確かめる過程のことなのかもしれない、と思うのだ。

April 26, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.04.25

自虐的な日本人

ある国でのこと。とあるパーティーに招待をされた。男性3人、女性3人の合計6人、みんな旅で知り合った人達だ。イスラエル人やインド人、パキスタン人で会場はいっぱいだった。


僕らは飲んで飲みまくった。夜中12時くらいになっただろうか??気がつくと女性3人が外国人にお持ち帰りされようとしている。まっ、個人のやることだしな、と僕は冷静を装う。が、次の瞬間めちゃめちゃ頭にきて久方ぶりに人をどついた。

「日本の女性は軽いからどうぞいっちゃってよ」みたいな事を白人の男に冗談まじりに言う日本人を目にしたからだ。それは僕らと一緒に来た日本人3人を指していることは明らかだ。英語が達者なのだろう、身振り手振り含めて面白おかしく話をしているようだ。


たまたまパーティー会場で隣あった人だ、素性も名前も知らない。けど、その貧困なる精神は同じ国民として黙っていられない。そいつが「日本の女性」と軽々しくいう時には、僕の回りの女性全て含まれるからだ。同じ国の異性にどうしてこういう言い方ができるのか?


一気に酒が抜けた。「お前一体何考えてるんだ!」とその男を問いつめた。「別に深い意味はないっすよ〜。というかあなたに言われる筋合いはないでしょ」と開き直る姿に思わず・・・(暴力はふるってませんよ、念のため)


僕はとりたてて愛国主義者ではない、と思う。けど、「日本人ってね○○だよね」と自虐的に他国の人間に話をする同国人の姿は耐えられない。


カンボジアでの話。バイクタクシーがアンコールワットなどの観光を1日7ドル程度で一緒に回ってくれる。観光が終わってホテルに帰ろうとすると、女性どうですか??と運転手の多くが話をもちかけてくる。


しかし、僕が観光をお願いした運転手はそういうフリも見せない。3日間の観光を終えて彼と住所交換をするときにいみじくも彼が語った。「同じ国の女性をどうして売るようなことができるのか俺には分からない」と。僕はこの感覚はごくごく正常な感覚だと思う。


別に、日本はいい国ですよ、と吹聴して旅をしろといっているのではない。少なくとも自虐的に日本のことを語るのだけはよそう。たとえ自分が面白おかしく語っているつもりでも、向こうはそう思わないかもしれないし。


長い旅にでることのできる人はそう多くはない。いうなれば「エリート」なのだ。「エリート」は相応の義務(ノーブレスオブリージュ)を負うということを肝に命じたい、と個人的に思うのだ。


April 25, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.04.24

今日は終日休み

ブリジットジョーンズの映画を見に行った。

April 24, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.04.23

人を羨む、ということ

朝8時半から朝礼がはじまる。今日一日の予定と受注予定の報告をする。予定、といっても飛び込み営業ばかりしていたのでアポイントはほとんどない。毎日が新規開拓の日々。9時半をすぎたら会社にいられないような雰囲気に僕は会社を飛び出す。社会人のスタートをきった12年ほど前、石川県金沢市での話。


企業に経営コンサルティングを提案する仕事、といえば聞こえはいいが仕事は泥臭い。次々と会社を訪問しては「社長いますか、専務いますか」とやっていく。単なるもの売りではない、なかなか仕事はとれない。さぼろうか、と思う気持ちに「お前は大学時代に運動をやっていたんだ」という天の声(?)がブレーキをかける。そのはざまで葛藤が続く。「俺って以外に弱いんだな」と自信をなくしていく自分・・。

会社を飛び出して僕は路線バスを乗り継いで営業にでかけていく。そのバス停の近くに、大手広告代理店「D」の営業所があった。代理店っぽい独特の雰囲気をかもし出しているそこの社員は、地味な田舎都市だっただけに目立っていた。襟元に輝く「CED」のバッチは当時の僕には光輝いてみえた。「いいなあ〜あいつらは新規開拓なんかしなくてクライアントからも頭下げられるような仕事してるんだろうな」と。彼らの内実など知らずに当時の僕にとっては憧れの対象であった。


当時の僕は、彼らをはじめいろんな人が羨ましかった。それも身近な人ばかり。某建設会社で働いていた友人M君の話を聞いては「いいなあ〜そんなにでっかいプロジェクトやれて(俺は飛び込み営業・・)」と、某出版社で働いていていたM先輩の話を聞いては「いいなあ〜全国に会社のお金で出張できて(俺は地回りから動けない・・)」と、某旅行会社で働いていたSさんの話を聞いては「いいなあ〜会社から家賃補助と地方勤務の手当てがそんなにつくの!(俺は会社都合で地方勤務になって自腹で家を借りている・・)」と。人を羨む前に自分で努力せい、と自分にいいきかせたが、羨ましいものはしょうがない。


その後、僕は3年で会社を辞めて旅にでて、約2年の間、履歴書に残らない時間を過ごすこととなった。旅にでて大きく変わったことの一つが、この人を羨む、という気持ちがどんどんとなくなってきたということだ。


例えば、給料が高い友人の話を聞く。「いいなあ〜」とは思うのだが、そこで天の声が聞こえる。「お前は彼が働いていた時に世界を旅行して好きな事ができていたではないか」と、「だから給料が低いのは当たり前ではないか」と。友人や知人が「こんな仕事してるんだ」と聞いても、「家を買いましたよ」という年賀状を見ても、「若くして課長に昇格」と聞いても、純粋に話をきける自分になっていたのだ。


僕は人と違う生き方を選んだ。それは他人と競争をしなくていい生き方だと気がついた。それがめちゃくちゃラクチンな生き方だと気がついた。給料が低くても、たいした仕事をしてないなと思っても、地位が不遇でも仕方ないのだ。人と違う生き方を選んで、旅行という禁断の果実を食べてしまったのだから。


旅を終えて就職した会社は住宅の営業会社だった。月々の給料は15万円くらいだった。(売れればもっともらえるが中々お金が入ってこないというトリックに入社して気がついた)それでも他の人を羨まない自分がいたのには驚きだった。僕は人と違う生き方をしたからそんな給料でも仕方がないのだ。


うちで働いてもらっている社員さんが友人と会社の話をする。「うちは嫌なこともあるけど、なんだかんだいってもいい会社かもしれないな」という印象を持ってもらいたい、というのが僕の会社づくりの根底にある。


なぜか?それは人に対して羨みを抱く、というのは自分自身の成長にものすごくブレーキをかけることだからだ。1日の大半過ごす会社が、自己成長の大きな手段である仕事が、他人を羨むネタになっては人生つまらない。経営者が行う会社づくりは、この環境づくりに終止するものだとさえ思うのだ。

April 23, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.04.20

偏狭なナショナリズム

内モンゴルから蘭州という街に電車で向かった時のこと。食堂で飯を食べていると3人の中国が話かけてきた。僕が日本人だと知るや、そのうちの一人が紙に何かを書いている。見るとそこには、軍人と思しき人が鉄砲を担いで日章旗をかかげている。それを見てにやける二人がはやし立てる。筆談するに「お前の国の祖先は我が国を侵略した。それについてお前はどう思うのか?」といっているらしい。


僕は相手にせずにいた。それが無難だと思ったからだ。が、彼らは次第にエスカレートしてきたので頭にきた。「日本が50年前にやったことについて、その時代を生きていない私がどういう責任を負うのか?」と書きなぐった。

彼らの理屈は「祖先がやったことは日本国家として責任を負う」のだという。「では責任を果たす、というのは具体的に何をしたらいいのか?謝罪するのか、お金を払うのか?」と筆談を勧めた。まずは謝罪、だと彼らはいう。「人民的感情」の「総意」として納得できないのだそうだ。その後も、たらたらと「日本軍がどうの」、だとか「鬼人」だとか続く・・


「戦後の国際裁判で中国の判事官は日本の指導者を見せしめ的に絞首刑にしたでしょう。中国国内でも多くの日本人がBC級戦犯として処刑されたでしょう。サンフランシスコの平和条約知っているか?日本がODAでどれだけ中国にお金を援助しているか知っているか?そもそも靖国問題云々とお前らが日本の政治に対して侵略を今しているんではないか?」と感情的になった。いつのまにか3人だった中国人が10人くらいに増えている。それらに対しての明確な答えはなかった。あくまでも感情論での話ばかりだ。


僕はかなり頭にきていた。人に文句をいうのなら感情ではなく理論で勝負するのが筋だろう。やばいかな、思ったが筆談をすすめた。「チベットに対して、ウィグルに対して君らの国が今現在、何をしているか知っているか??彼らの基本的な人権みたいなものは守られているのか?日本が今現在、同じようなことをしているか?過去よりも現在が大事ではないか??」とすすめた。


正直、こういう理屈の展開はすきではない。そえが日本の過去の免罪符になるわけでもないからだ。ただ、彼らの感情ばかりの偏狭なナショナリズムにはうんざりしていた。日本=鬼畜とステレオタイプに決めつけられて反発しないほど僕はヤワではない。その日本という言葉には、僕自身もそうだが、家族や友人、祖先などが含まれるからだ。


その瞬間、食堂にしらけた空気が流れた。数分後、警察官がやってきてパスポートを見せろ、という。「なぜだ?」と聞いてもいいから、となかば強引にだ。政治的な発言はやばかったな、と背中に冷たいものが走った。僕は逃げるように自分の座席に逃げた。


すると一連の経緯をみていた中国人のおばさんが自分の寝台車にこい、と手招きをしてくれた。片言の日本語で「しばらくここにいるとよいよ」といってくれた。捕まることはないだろうが・・何がおきてもおかしくない国だけに不安になった。結果的に何もなかったが・・・。


最近の中国の一連のデモを見ているとこの時のことを思い出す。中国の反日教育は有名だが、上海や北京などの都市部の人は冷静に対日問題を考えている、と聞いていただけに驚いた。近隣諸国を敵や悪としてとらえた偏狭なナショナリズムは、ナチスの例を出すまでもなく大きな不安をはらんでいる。それは現在、着々と進行している。

April 20, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.04.19

夢をたくせる存在

「サザエさんに出てくるカツオ君。彼って昔は「すてきなお兄さんで憧れの存在」に見えたんだけど、いつしか「仲はいいけど悩みは打ち明けられない友達」みたいな感じになっていて、次第には「一言多い後輩」、「結婚しても生みたくない子供のタイプ」って存在が変わってきたんだよ、とまじめに話す友人がいた。


至極あたりまえの話、である。こちらはわずかばかりでも成長をしているし、テレビの中の彼は基本的に成長がとめられている(?)存在だからだ。

中学生の頃、僕は高校野球が好きだった。報徳の金村、名電の工藤、早稲田の荒木、池田の水野ら全盛の時代、彼らはまさにスターだった。マウンドに、バッターボックスに立つ姿に僕はしびれまくった。


それがここ最近、高校野球を見ていても子供がシロウト野球をやっているような気がして熱狂的にはなれないのだ。


当時と比べて高校野球のレベルが落ちていることもあろう。が、根は冒頭のカツオ君と同じような問題をはらんでいるような気がするのだ。自分の憧れの対象として「一生懸命に部活動をやっている高校生」ではあまりにもものたりなくなっているのだ。


僕はプロレスも好きだった。特にアントニオ猪木さんに関しては熱狂的な信者の1人だった。


今日、4月19日は1984年に「アントニオ猪木VS長州力」の伝説の名勝負が行われた記念すべき日だ。蔵前国技館を埋め尽くした観客の異様なまでの興奮、卍固めが決まった時の感動、ギブアップしない長州に締め上げる猪木さんとのコントラストの美しさは今でも鮮明に思い出せる。


そのプロレスもここ最近は「カツオ君現象」がおきたのか、夢をたくせるレスラーが不在なためまったく見なくなってしまった。確かにプロレスの技術は猪木さん全盛時代と比べて格段に進歩している。演出もなかなかこっているようだ。しかし、何かがたりないのだ。それは今のプロレスラーの年齢が僕より若いから、といった単純な問題ではないような気がしている。


要するに、スポーツであれ、芸能であれ、プロフェッショナルの存在であれ、夢をたくせる人間が少ないのだ。(イチローや松井などはもちろん別ですよ)僕は人間って夢をたくす存在がいてはじめて精神的なバランスがとれるのだと思う。


歳をとると夢をたくせる人が少なくなってくる。逆に、突き上げられるように自分が夢をたくされる存在になってくる人もでてくる。そして夢をたくされる人間は、なかなか生きづらいのも日本という社会の特殊性だと言われている。ライブドアの堀江社長などはそのいい例だ。足を引っ張る人がでてくる。


それでも、僕は夢をたくされる存在でありたいし、自らが夢をたくす存在でもありたい、としみじみと思うのだ。ただ、夢をたくされる存在であるためには、高校生の部活動レベルであってはならない、とも思うのだ。


April 19, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.04.17

韓国の旅行から帰って

30歳で1,000万円のお金を持って世界に旅にでた。それから20年の月日が流れた、という人に会ったのはベトナムでのこと。彼は中国を5年、韓国を1年かけてまわった、と話していた。その彼が語った。「中国がストレートのウィスキーだとしたら、韓国がロックで、日本は水割りなんですよ。つまり根は一緒ですね。僕らのルーツは間違いなく中国や韓国にあると実感しましたよ」と。

2泊3日の韓国旅行にいってきた。親と一緒だったのでどんなもんだろ、と思ったが結構力をいれて回ってきたので盛りだくさんだった。2回目の韓国訪問だが、短い時間だったので何ともいえないが、日本と韓国とは根は一緒だったのだな、と思った。


「せんぷうき」「せんたくき」など同じような言葉があるのは周知のごとく、アイドルなどに対しての美的感覚や長兄を敬い、謙譲の精神を持つところなど、よく似ている国民性だと思う。もしかすると彼のいう通り、日本のルーツなのかもしれない。


竹島をめぐる問題だとかで揉めているが、隣接する両国が仲がいい、というのが世界の中でそもそもめずらしい話であって(タイとミャンマー、ベトナムとカンボジア、インドとパキスタン、中国とモンゴルなども仲が悪かった)良い悪いは抜きにしてこれくらいの問題は目くじらを立てる程ではないのかもしれない、と思う。


僕は単純に同じ感覚を持つ民族同士仲良くしたいと思うだけだ。パフォーマンスのNANTAは素晴らしかったし、焼き肉も冷麺もうまかった。チョン・ジヒョンに代わるだけの女優は少なくとも日本にはいない。両国が理解するためには草の根レベルの話として皮膚感覚としてお互いの国のことを知る事が大切、とあたりまえながら思う。

April 17, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.04.14

今から韓国へ

母親が8月で還暦を迎える。そのお祝いに海外にでも、と韓国にいくことになった。まあ、4月くらいでいいんじゃない、と軽く予定を決めたのだが、この時期は広告業界にとってはゴールデンウィーク前の非常に忙しい時期。もちっと予定を考えれば、と思ったのだが父親、妻、妻のお母さんを巻き込んだ日程を変更するわけにもいかない。予定は計画的に、と消費者金融の広告が頭をよぎる。ともあれ、今日から2泊、韓国にいってきます。

April 14, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.04.10

経営と酒と

先週は付合いが続いた一週間だった。月曜日から連日、夜は繁華街に繰り出し2時とか3時近くに帰宅する毎日。翌日に酒が残りにくい焼酎を飲んだり、熱めの風呂に入ったりしてお酒を抜くようにはしているが、ここ最近は酒のぬけがどうも悪い。だから、という訳ではないがブログは一度も更新できなかった・・・。連日の酒が文章を書いたり、物事を真剣に考えたりする「体力」と「耐力」を失わせたのだろう。


だからといって「酒はほどほどに」という訳にいかないのも僕たちの仕事。


「酒を飲まずに続かない人間関係は長続きしない」だとか「そもそも酒を介してのビジネスがナンセンス」だとかいう話も聞く。確かにそれは正論だ。けど、お酒が介在して本音がでる方もいる。お酒がでる場所で本領を発揮する方もいる。相手のタイプに合わせて仕事をするのは基本中の基本だ。

会社をつくって半年頃の事、知り合いから相談が寄せられた。ある事業を始めるために広告を手伝って欲しい、と。関西の方だったのですぐさま現地に赴き、話を聞きにいった。そこから3日間にわたり昼夜を問わず酒を飲みながら話を聞いた。これからのビジョンや戦略、その方の仕事観やなぜその仕事をするのか、ということを。夜中まで酒をのみ、翌日は昼からビールを飲みつつ徹底的に話を聞いたし、僕の考え方もぶつけた。


創業時の会社にとってはとても有り難いお話だった。が、大きな話には相応のリスクも生じる。話を聞くまでは資金繰りや同業者との軋轢、人員の確保など考えるといろんな問題点がありそうな話でもあった。けど、この3日間の話を通じて僕の不安は氷解し、その経営者のビジョンに共感をしていた。その後、その会社とは億の仕事をやらせていただく関係となった。


もし仮に万が一、この時、お酒の存在がなければどうなっていたか、と思うのだ。3日間も話が続いただろうか、と。お互いの本音がさらけ出せただろうか、と。よっしゃやったる、と心底思えただろうか、と。


お酒を飲みすぎることによって仕事に影響がでる、というのはナンセンスだ。そのためには何かしらの歯止めをかけなければならない。僕の場合は、酒を飲んだ翌日の遅刻には注意する、とにかく這ってでも会社にくる、と決めている。これは僕の仕事人としての美意識だ。それさえ守れれば酒を飲むのはいいと思っている。


あとは、「誰かに取り入るための酒は止めよう」と思っている。「自らが楽しめない酒はなるべく止めよう」と思っている。お酒はうまく使えば仕事を円滑にし、悪く使えば身を崩し人間関係を破壊する、だからこそ自分なりの美意識が必要だと思うのだ。


体調のこともあるので来週はほどほどにします。(といってもすでに予定がちらほら、ですが)

April 10, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.04.04

旅にでて後悔したこと!?

「あれ、髪の毛の質が変わってきたな」鏡を見てそう思った。中国からチベットを抜けて、ネパール、インドと4ヶ月近くの旅行から帰ってきた時の話。どちらかというと剛毛に近かった髪の毛が、わずかではあるが細くなってしまっていたのだ。「そういやあまり髪の毛を洗ってなかったからな」と旅での過去を振り返った。その時は将来おこる悲劇も知らず・・・。

北京から内蒙古を経由してシルクロードを西へと向かった。その道中で病気になってしまった。咳がでてとまらない。梅雨のような天気が続く毎日、僕は安ホテルの部屋で寝てばかりいた。10日ほどは風呂にも入らず、食事もほどほどの日々を送った。


その後、体調が復活し、たまたま知り合った韓国人と敦煌を目指した。敦煌は砂漠の街だ。昼間は砂漠にいって疲れていたせいもあり、夜は風呂にも入らずそのまま寝てしまう日々が続いた。汗も乾くので何となく清潔な感じがしていた。そこから、チベット入りの起点となる街までいって、チベットの首都(区都ではない)のラサに入った。


そこで僕は高山病におかされる。ラサは3,800mくらいに位置している。なのに蠅がやたらと飛んでいる。数十匹の蠅にたかられてベットで高山病にうなされる日々。1週間、食べ物ものどを通らず、歩くこともままならずの日々だった。幻覚も見えたし、幻聴も聞こえた。あまりにもしんどくて飛行機に乗って低いところに降りようと思ったが、その体力がなかった。もちろん風呂には入れない。


その後、チベット医学(これはすごい!)の治療の甲斐あって、ネパールへと向かった。バスで2泊3日の旅。なんだか臭いな、と思ったら自分だった。というより、一緒にバスをシェアした日本人にも汚いやつがいたからあまり目立たなかった。ネパールの国境近くの街、タトパニという所で温泉に入った。体の血液が逆流しているのか、と思うほど血行がよくなった。垢がこすってもこすっても出てきた。「ああ生き返った」とじいちゃんみたいな台詞がついつい口から飛び出した。


振り返るにこの期間は1ヶ月で4〜5日くらいしか風呂に入らなかったのではないか。「まっ、そんなこともいい思い出だ」と思っていたのだが、それは数年後しっぺ返しをもらうこととなる。


ここ最近、髪が薄くなった。それは僕も自覚している。見ても、触っても分かる。「会社をやって苦労しているから」といってしまえば格好いいが、そうではないんだ。この風呂に入らなかった期間が影響したんだ、と思うのだ。「髪は若い時からの摂生が大事なんだ」と多少薄くなった髪の毛をとかしながら語る父親の姿が思い出された。冷や酒とおやじの小言はあとで効く、と昔の人はいいことをいったものだ。


久方ぶりに会う友人の視線が頭部に向かう時、集合写真で頭皮が見え隠れしている自分を見つける時、「最近髪の毛が薄くなってなあ」との言葉に誰一人として「ううん、そんなことないよ」と言わないことに気がついた時、僕はこの旅をしていた期間のことを思い出す。さりとて僕はどんなに髪がなくなっても、旅にでたことを後悔しないだろう、とも思う。


バックパッカー各位はぜひともご留意を。数年遅れできますから。


April 4, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.04.02

サイバーエージェント藤田社長の本

5年前のこと。自宅のHPからネット広告の資料請求をした。時間は夜中の2時。すると明け方4時には「資料請求ありがとうございます」と御礼のメールが来ていて驚いた。更に、8時半に出社すると担当から電話がかかってきた。「本日お時間ありますか?」と。凄え会社があるんだな、と思った。


それは、1週間で110時間働くと豪語する藤田社長率いるサイバーエージェントの創業間もないころの話だ。その藤田社長が本を出したので読んでみた。

「渋谷ではたらく社長の告白」と題されたこの本。


企業パートナーとの出会いと分かれ。インターネットの寵児ともてはやされての上場からネットバブル崩壊、それに伴う社員の離反やマスコミからのバッシング。ライブドア堀江社長、楽天三木谷社長など、いまをときめくIT経営者とのエピソードもあり、なかなか面白く読んだ。


藤田氏と僕とはいくつか共通点がある。福井県出身の氏に対して、僕が社会人のスタ−トをきったのが同じ北陸の石川県。初めての仕事が法人への飛び込み営業。サラリーマンにはなりたくない、とは思いつつ自分になにができるかわからない葛藤、のようなもの。そして何より、企業の永続的な繁栄を検証した名著「ビジョナリー・カンパニー」に衝撃を受け、企業そのものが作品といわれるような会社をつくりたいと思ったことなどだ。


とはいえ、氏は上場企業のオーナー。僕は中小企業の代表。同じような時期に、同じような環境で仕事をはじめて、同じような本に感化されて、そんな二人だけど今は売上ベースでは数百倍の開きがあるのだ。


これを「経営者としての力量の違い」といって片付けてしまえばそれまで。本を読んでみて氏と僕の違いを考えてみた。


まず一つ目は「志の違い」について。藤田氏は「21世紀を代表する会社をつくる」と人生の目標を定義している。僕は「かかわりある人の成長と成功」を人生の目標としている。どっちがよくて、どっちが悪いという問題でもないだろうが、前者の方が大きいことを成し遂げるような感じがする。夢は大きい程よい、と子供のころいわれたが、この志の違いが氏と僕の成果の差だろうか?と。


二つ目は「経営のポジション」について。氏はインターネットという成長曲線まっただ中の業界で戦うことを経営のポジションにした。僕は、インターネットの広告もやったが、基本は紙の広告にこだわった。自分の会社がどのポジションで戦うか?は経営にとっての一大事だ。これを誤ると会社は崩壊するし、正しければ(=市場から支持されれば)多少ダメ経営者でもそれなりの成果を残すことができる。その違いだな、と。


最後は「自分に対しての自信」について。本の中で藤田氏は自分をこう分析(?)する。「怪しい臭いを感じるとさりげなく遠ざける能力が備わっていた」(P107)「私には優秀な経営者を会ってすぐ見抜く力が備わっていたようです」(P199)「営業出身で採用や取材も巧みなプレゼンテーションでこなしてきた私は」(P229)と自信満々なのが回りを巻き込むために大事なのかな、と。僕はここまでいえる自信は正直ない。


そんなことをいいながら僕は上場にも、会社を必要以上に大きくすることにも興味がない。それは「俺ってなんのために経営をしてるんだろう」と思いたくないから。


ネットバブルが崩壊し、社員が造反、マスコミからのバッシングの嵐の中、藤田氏は会社の売却を検討する。そんな頃、藤田氏はこう考えた、と書いている。


サイバーエージェントを設立したとき、絶対に凄い会社に育てると胸に誓いました。恋人とも別れ、仕事だけの人生をえらびました。一日たりとも休まず働き続けていました。美味しいものも食べず、遊びにもいかず・・・。すべては自分の夢のために犠牲にしてきました。会社経営に、人生を捧げてきたつもりでした。そんな自分の生き方が本当に正しかったのか・・。自分の望んでいた人生はこれだったのか・・。そんなことすらもわからなくなっていました。(P270)


一般的に上場をすると、株主が直接的にも間接的にも口を出してくる、という。「売上をあげろ」だとか「今は設備投資をしろ」だとか「社長は遊び過ぎだ」だとか・・会社のことを一番考えているのはオーナー社長なのに、株主というだけで口を挟んでくる人がでてくる。無理をして売上をあげなくてはならなかったりもする。たとえそれが自分の志と相反していてても。


僕はそういう世界はごめんこうむりたい。とはいえ、そういう世界で戦いながら志を通そうとする経営者を尊敬する。10代、20代の若者たちが「自分も起業してみたい」と夢を抱くような成功者のイメージを、私たち企業家が体現する必要があると思う、という藤田氏。同世代の代表としてぜひとも頑張ってもらいたい、と心から思う。企業家志望の方は読んでおいて損はないと思います!


April 2, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)