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2005.04.23

人を羨む、ということ

朝8時半から朝礼がはじまる。今日一日の予定と受注予定の報告をする。予定、といっても飛び込み営業ばかりしていたのでアポイントはほとんどない。毎日が新規開拓の日々。9時半をすぎたら会社にいられないような雰囲気に僕は会社を飛び出す。社会人のスタートをきった12年ほど前、石川県金沢市での話。


企業に経営コンサルティングを提案する仕事、といえば聞こえはいいが仕事は泥臭い。次々と会社を訪問しては「社長いますか、専務いますか」とやっていく。単なるもの売りではない、なかなか仕事はとれない。さぼろうか、と思う気持ちに「お前は大学時代に運動をやっていたんだ」という天の声(?)がブレーキをかける。そのはざまで葛藤が続く。「俺って以外に弱いんだな」と自信をなくしていく自分・・。

会社を飛び出して僕は路線バスを乗り継いで営業にでかけていく。そのバス停の近くに、大手広告代理店「D」の営業所があった。代理店っぽい独特の雰囲気をかもし出しているそこの社員は、地味な田舎都市だっただけに目立っていた。襟元に輝く「CED」のバッチは当時の僕には光輝いてみえた。「いいなあ〜あいつらは新規開拓なんかしなくてクライアントからも頭下げられるような仕事してるんだろうな」と。彼らの内実など知らずに当時の僕にとっては憧れの対象であった。


当時の僕は、彼らをはじめいろんな人が羨ましかった。それも身近な人ばかり。某建設会社で働いていた友人M君の話を聞いては「いいなあ〜そんなにでっかいプロジェクトやれて(俺は飛び込み営業・・)」と、某出版社で働いていていたM先輩の話を聞いては「いいなあ〜全国に会社のお金で出張できて(俺は地回りから動けない・・)」と、某旅行会社で働いていたSさんの話を聞いては「いいなあ〜会社から家賃補助と地方勤務の手当てがそんなにつくの!(俺は会社都合で地方勤務になって自腹で家を借りている・・)」と。人を羨む前に自分で努力せい、と自分にいいきかせたが、羨ましいものはしょうがない。


その後、僕は3年で会社を辞めて旅にでて、約2年の間、履歴書に残らない時間を過ごすこととなった。旅にでて大きく変わったことの一つが、この人を羨む、という気持ちがどんどんとなくなってきたということだ。


例えば、給料が高い友人の話を聞く。「いいなあ〜」とは思うのだが、そこで天の声が聞こえる。「お前は彼が働いていた時に世界を旅行して好きな事ができていたではないか」と、「だから給料が低いのは当たり前ではないか」と。友人や知人が「こんな仕事してるんだ」と聞いても、「家を買いましたよ」という年賀状を見ても、「若くして課長に昇格」と聞いても、純粋に話をきける自分になっていたのだ。


僕は人と違う生き方を選んだ。それは他人と競争をしなくていい生き方だと気がついた。それがめちゃくちゃラクチンな生き方だと気がついた。給料が低くても、たいした仕事をしてないなと思っても、地位が不遇でも仕方ないのだ。人と違う生き方を選んで、旅行という禁断の果実を食べてしまったのだから。


旅を終えて就職した会社は住宅の営業会社だった。月々の給料は15万円くらいだった。(売れればもっともらえるが中々お金が入ってこないというトリックに入社して気がついた)それでも他の人を羨まない自分がいたのには驚きだった。僕は人と違う生き方をしたからそんな給料でも仕方がないのだ。


うちで働いてもらっている社員さんが友人と会社の話をする。「うちは嫌なこともあるけど、なんだかんだいってもいい会社かもしれないな」という印象を持ってもらいたい、というのが僕の会社づくりの根底にある。


なぜか?それは人に対して羨みを抱く、というのは自分自身の成長にものすごくブレーキをかけることだからだ。1日の大半過ごす会社が、自己成長の大きな手段である仕事が、他人を羨むネタになっては人生つまらない。経営者が行う会社づくりは、この環境づくりに終止するものだとさえ思うのだ。

April 23, 2005 |

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