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2005.05.30

後楽園という名の聖地

昨日は新日本キックボクシング協会の興行だった。僕は、大学時代からのご縁でこの興行の進行などのお手伝いをさせていただいている。あまりたいしたことはしていないが「僕らがゴーを出さないと試合が進まない」という立場だ。


昨今の格闘技ブームで会場は超満員、14試合の熱戦が繰り広げられた。メインはK-1にも出場して知名度は全国区の武田幸三。得意のローキックでムエタイ戦士を33秒で秒殺した。

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会場の後楽園ホールは僕のような格闘技好きには聖地ともいえる空間である。小学生の頃よりプロレス、空手に目覚め、高校時代はアルバイトでためたお金のほとんどを格闘技に費やし、大学に入学する頃は「格闘技の知識はもしかして日本でもトップクラス??」と思い込んでいた僕の人生を語るには欠かせない場所だ。


「今まで後楽園に何回足を運んだのだろう?」とふと考えた。


プロレスに、キックに、ボクシング。プロ空手に、ムエタイに・・・ブルーザー・ブロディの運命の新日本登場、藤波VS木村のワンナイトマッチ、センティアンノーイVSラモンデッカーの激戦、鈴木VS竹山の頂上対決、東京三太の華麗なテクニック、村上竜二が制した士道館大会、旧UWFでの前田の孤独な戦いなど・・・通なら垂涎ものの試合の数々、後楽園での思いでは数え上げればきりがない。


その一つ一つのドラマはよくも悪くも僕の性格形成に影響を与えている、と思う。


後楽園ホールの名物に、チケットを購入するために並ぶ階段がある。高校生だった僕は学校をさぼり後楽園へと向かう。当日チケットを手に入れるために薄暗い階段でひたすら待つのだ。時にそれは8時間あまりにも及ぶ。その間、「ゴング格闘技」や「格闘技通信」を読みながら試合へのモチベーションを徹底的に高めるのだ。


試合の展開を予想し、様々なシュミレーションをする。相応の歳になると興行主の思惑だとか、興行の流れ(ここで誰が勝つと興行が盛り上がるのか)なども予想要因として加わってくる。この時間がなかなかたまらないのだ。


壁にはファンが書いた落書きでにぎやかだ。僕もこの階段には「猪木VSフォアマン絶対実現!」だとか「レイス、ハンセン、ニックはIWGPへの参加を!」だとか数々の落書きを残した。


この壁は何回か塗り替えられているのだろう、僕が書いた頃の落書きはもはやないが、今でもファンが書いているのがいとおしい。そこには今の格闘技ブーム、ならぬ格闘家ブームとは一線を画す者たち熱い魂の咆哮でうめ尽くされている。


かつて格闘技ファンは隠れた存在だった。「君、もしかして格闘技ファン?」と知り合った人が格闘技ファンだと知った時、僕らは妙な興奮と感動を覚えた。僕は一人の格闘ファンとして現在のように格闘技の裾野が広がるのは嬉しい。けど、いいようのない思いにかられるのだ。テレビで寝ながら見る格闘技って一体何なの?と。


それは、業界がメジャーになったことに対する疎外感かもしれない、と思う。けど、今の格闘技ブームにはモヤモヤがたくさんあるのだ。それが何なのか、今は僕の言葉で語る事はできない。けど、そのいいようのない思いのカギは後楽園の階段にあるような気がするのだ。

May 30, 2005 | | Comments (5) | TrackBack (0)

2005.05.27

プチ冒険

「海外は危険じゃないか?」と言われることがあった。内戦などで危険な国に行きさえしなければ、「夜中の歌舞伎町の一人歩きの方が恐いのでは」というのが僕の実感覚だ。


けど、海外にいったことのない人の無知に付け込むような報道がなされたりするので、危険イメージが一人歩きする。僕の感性からいうと、カンボジア、コンゴ、インドなどなど、国名に濁音が入っている国は危険そうなイメージがある。が、それらの国もいってさえしまえば思っているより安全だ。(コンゴはいったことないけどね)

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人民解放軍の服を購入しヤミバスに備える(中国・ゴルムド)

とはいえ、「この人危ない!」だとか「この場所はうさん臭い」だとか直感を感じるようにしないと旅先では痛い目をみる。インドあたりの安宿にいくと「MISSING PERSON(行方不明)」の貼り紙がたくさん貼ってある。旅行者がある時、ふと消える。理由はさまざまだろうが、大丈夫だろう!と軽挙妄動の末の災難だろう。


そもそも、人間には危険を察知するセンサーのようなものが備わっている、と僕は考える。それは動物としての防御本能のようなものだと思うのだが、その危険に直面すると興奮するタイプの人が存在する。いやむしろ、そういう危険に進んで飛び込むのを好きなタイプさえ存在する。


僕が旅行をしていた頃、夜のプノンペン(カンボジア)は強盗や野犬がいて危険と言われていた。10時をすぎると誰一人歩いていない。そんな中を「街の様子を見にいってくる」という旅行者がいた。「大丈夫!大丈夫!」といって外出していった・・。1時間後には無事で帰ってきて武勇伝(?)を語っていたが、僕にはこういう神経は信じられない。


この他にも僕が旅をしていた頃は、「内戦が続くアフガニスタンに入る」だとか「タイからカンボジアを船で抜ける(これは違法でタイの出国スタンプが押されない)」だとか「ミャンマーの少数民族のエリアに入る(ここには麻薬王という人がいるらしい)」だとか冒険系の話を聞いた。


「へえ〜すごいなあ」とは思ったが、僕には真似できない。そんな所で危険な目にあって一生を棒にふってはバカバカしいからだ。


危険な状況、こりゃまずいな、という状況に置かれた時に人間のタイプの一端が垣間見れる。これは旅であっても仕事であっても同様だ。僕は「石橋を叩いてわたる」に近いタイプだと自分を分析している。トラブルや危険(リスク)などがあった場合、まず最悪のことを考える。その上でそうならないために打つべき手段を考える。これが僕が考えるもっともポジティブな思考方法なのだ。


そんな僕にもプチ冒険ともいうべき、なんちゃって冒険をしたことがある。中国人しか乗れないヤミバスに乗ってチベットに入った時、インドの田舎町で野宿をした時、モンゴルの大草原で雷に打たれた時、入国カードの職業欄に「忍者」と書いた時、それはささやかながらの緊張感を伴った。


冒険、というのもおこがましい僕なりのささいなプチ冒険だ。かつては、危険に向かっていくのを厭わない冒険野郎をうらやましく思う時もあった。会社を一気に成長させるには、冒険野郎の性格が適している、とも思う。


けど、これは無い物ねだりだ。プチ冒険野郎にはプチなりの生き方、会社経営がある。これは旅をして得た僕の生きる技術だ。

May 27, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.05.25

144人中 135位

「朝早く出社する」これは僕の経営者としての美意識だ。尊敬するワタミの渡邊社長も、日本電産の永守社長も朝は早いらしい。誰でもいいと思っているけどなかなかできないこと、これはパワフルだ。早起きはその典型だろう。


僕にはこうした美意識、というものがいくつかある。「仕事をする上でこれだけは譲らない」という価値観みたいなものだ。僕のブログの随所にそのこだわりのようなものが現れているだろう、と思う。


その他の美意識のひとつに「平日の昼間からゴルフをやらない」というものがある。創業以来、クライアントや友人から何度も誘われたが丁重に断り続けた。

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「なぜ平日のゴルフを?」その理由の一つはクライアントや社員が業務をしている時間帯にゴルフに興じるのに後ろめたさがあった。接待をするのも仕事のうち、とは分かるのだが接待をしないといただけない仕事ならいいや、と思っていた。


もう一つは僕は意志が弱い。だから、はまり込みそうなもので仕事に影響のありそうなものはなるべく避ける。だからタバコもギャンブルはほとんどやらない。最近は深酒もしない。平日のゴルフには僕を引き付けてやまなそうな危険な香りがただよっていたのだ。


今回、クライアントからゴルフのお誘いをいただいた。何でも140人でプレーをするというのだ、という。このクライアントには大変にお世話になっているし、多少無理なお願いもしている。今まで何回もお断りしたのだが僕の美意識という偏屈な考えだけで不参加をしてもいいのか、と考えた。


僕は、ゴルフをやろう!と決心した。会社をつくった時と比べ、周囲も僕も大きく変化している。その中で、ゴルフはやらない!と意固地になってもしょうがないと思ったのだ。ゴルフにはまって仕事がおろそかになるのならそこまでの人間だ、と変に納得したのだ。


昨日は、そのクライアントさんのコンペ。お笑い芸人、相撲取り、野球解説者、プロゴルファーとそうそうたるメンバーの中で僕はプレー(もどき)をした。結果は散々だったが、自分にしてはまあこんなものだろう、と納得できるものだ。いままでの人生、ゴルフに時間と労力をかけていないのだから仕方ない。


順位は144人中135位の結果に終わった。飛び賞ということで、バーバーリーのハンカチ6枚セットをいただいた。ゴルフを初めた、となるとゴルフにいこう、という話がいくつか舞い込んできた。仕事もきちんと、ゴルフもきちんと。新しい僕の美意識だ。

May 25, 2005 | | Comments (9) | TrackBack (0)

2005.05.22

週末、僕は変身した

かつて、「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」というCMがあった。僕の周りの経営者でもめちゃめちゃ遊ぶ人は高いアウトプットを出していることが多い。


一つには遊んだ、という経験から得られた発想や人間関係が商売に役立つということだろう。外に遊びにでるといろんな刺激が得られる、とは僕らも一度は経験していることだ。


もうひとつは、遊ぶという行為は自分の中の真面目モード(例えば仕事など)との対比の中で振り子のような意味合いを持つ。遊べる、というのは精神のバランスがとれているということだ。遊べるから真面目になれる、というのは真理だろう。


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週末、僕は忍者になった。どこぞのパーティーなぞではなく、通ってるスポーツクラブのイベントだ。なんでもこうしたイベントはたまにやっているらしい。僕がこのクラブに入会した頃、浴衣祭りみたいなものがあった。浴衣でスタジオレッスンをする人たちを見て「なんだかようわからん世界だな〜」と感じた。今回は逆に僕がそれを周りから感じられた番だ。


僕は、最近つき合った人達には「真面目そう」と言われることが多いのだが、基本的に目立ちたがり屋だし、負けず嫌いだ。やりたいくないことはやらないし、「やる」ときめたら徹底的にやる。「アホだね〜」と周りからの冷めた視線は、時と場合によっては最大の賛辞と感じる人間だ。


先週、「来週は仮装ですから!」とインストラクターに言われた時は特に気にもしてなかったのだが、この1週間、僕のメールに「土曜日よろしくね!」だとか「シスターの服をゲットした」だとかと入った。そのメールの主は僕の結婚式(これも目立ちたがりだった)に出席している。僕の性格を知っていて焚きつけたんだとしたら大したものだ。


遊びは義務になっては面白くない。「イヤだけど、みんながそういうから〜」だとか、「飲みにいかないと景気が悪くなったと思われるからな」みたいなのはナンセンスだ。そう、キーワードは「無邪気」!無邪気な遊びには、仕事などの真面目系の神さまが思わず微笑むのだ。


とまれ、このページにアクセスしていると思われる仮装仲間さんたちお疲れでした。来月またやるんですってね??困ったね、期待水準はあげていかないと…(誰が期待してるんだ、というのもありますがね)      

May 22, 2005 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.05.21

YUKIという女性の「生きる美意識」

YUKIのコンサートツアー「JOY」のファイナルにいってきた。J.A.M.解散後、ソロになってからのコンサートは皆勤だが、いままではZEPPなどのライブハウスどまり。遥かにスケールが大きい日本武道館での2時間あまりは月並みな表現だが、最高!だった。

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新しいアルバム「JOY」と昨年のコンサートのDVD


強力な個性から溢れるキャラクターは、可愛らしくもあり、恰好よくもあり、私にとって異性ながら憧憬の対象であり、という不思議な存在だ。聞く人を幸せにしたり、ポジティブにしたり、せつなくさせたり・・彼女にかかるとどんなフィーリングでも自分の世界でまとめてしまうのだから素晴らしい。


以前のブログにも書いたが、今回のツアー前、彼女にとても不幸なできごとが起きた。「今回、コンサートができるか分からなかった」と途中でいって観客の涙を誘ったが、それは僕たちが生きている上でこれ以上ないんじゃないか、と思うほど辛く悲しいできごとだ。「立ち止まると悲しくなる」そんな張り詰めた糸のような状態でライブをする姿は純粋に素敵だと思った。


残念なことに僕と同世代の男性からYUKIは評判がいまひとつだ。「なんだかロリっぽい」だとか「どこがいいのか分からない」などといわれる。


僕もなぜ彼女に惹かれるのか、を考えたら「生きる美意識」とか「生きる姿勢」というキーワードが浮かんだ。「死ぬまでワクワクしたい」「死ぬまでどきどきしたい」と彼女が「JOY」という曲で歌っている。彼女という人間をもっとも象徴している部分だ。


僕は、CDやライブを通じでこうしたメッセージを訴える彼女の姿に、そしてそんな美意識で生きている姿に僕は共感しているのだ、と思った。きっと僕の中の美意識と共鳴しあってるのだろう。


極論だが、世の中には「才能がある人」とそうでない人がいる。「努力をする人」と努力をしない人がいる。僕たちの周りには、「才能がある人」も「努力をする人」も数多く存在する。けど、「才能があって努力を継続できる人」は少ない。彼女はそんな数少ない人のひとりだとつくづく思った。


そんな優れた人に僕などの凡人は、生きるためのメッセージをもらっている。今朝もPCからはYUKIの曲が流れる。

May 21, 2005 | | Comments (7) | TrackBack (1)

2005.05.19

長旅は逃げ、か??

「長い旅は逃げだ」みたいなことを口にする人がいる。別にそれぞれの価値観だ、とりたてて気にするほどのものではない。


ただ、旅をしていた時期は「逃げ」といわれるとちょこっとは反発心があった。「他人の奥底まで知って逃げだとか簡単に断罪(?)できるほど全能なのかい?」と。


けど、最近は思うのだ。やはり旅は一種の「逃げ」だ。

とはいえ、僕のいう「逃げ」とはネガティブな意味ではない。そもそも、生きている限り自分の人生から逃げることはできない。現実は日本だろうが海外だろうがどこまでも追い掛けてくる。「逃げ」で海外にいってもそこには現実が広がっている。それならそれで「逃げ」をポジティブに考えよう、という発想だ。


僕が旅をしていた時、日本経済は転げ落ちはじめた。拓殖銀行や山一が倒産し、リストラが続く中で中高年を中心に日本には閉塞感があった。その閉塞感はつきつめると、多くの日本人に「逃げ」の場所がないところからくるのだ、と旅をしていて感じた。自分の「逃げ」る場所をつくることが閉塞感や不安に対処するいい手段なのではと考えた。


日本で人間関係に悩んでいた人は旅に出てもコミュニケーションが苦労するだろう。仕事に行き詰まった人はいつしかその行き詰まりを打開する策を考えなくてはならない時が訪れるだろう。日本から逃げて旅に出た、という人は海外での現実から逃げたくなる時が訪れる時もあるだろう。


どうせどこにいっても現実から逃げられないのなら、何かあったら逃げられる場所をあえてつくろう。仮にリストラされても「逃げ」の場所があると安心だ。「逃げ」をネガティブにとらえる人の多くが現実の中で苦労している。これからは発想の転換が必要だ、と個人的に思うのだ。

May 19, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.05.18

高僧タマニャー

1997年にミャンマーを1ヶ月くらい旅した。敬虔な仏教徒が多い国だ。どこの商店や家庭にも信仰している僧の写真が飾られていた。その中の一人に僕はなぜか会いたい、と思った。後にそれがタマニャーという高僧だと聞いた。ミャンマー人の中でも徳の高い人気がある高僧だという。

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タマニャーにいただいた写真入りのお守り 


ある人には「アウンサン・スーチー女史が軍事政権から一時釈放された時に真っ先に訪れたのがタマニャーの所だ」と聞いた。他の人には「あまりにも信仰されしすぎて政権からにらまれている」だとか「少数民族との間でいざこざがあったときにタマニャーが行ったらすぐさま解決した」と聞いた。


「一年で悟りを開いた」だとか「タマニャーは空を飛べる」などといったことを真剣に話す人もいた。
何としてでも会いたい、と僕の思いは熱望へと変わっていった。


ただ、その旅行で僕は体を壊した。とにかくミャンマー料理が会わなかったのだ。タマニャーはパアンという街に住んでいる、とは聞いていたが簡単にはいけない。行っても謁見できるか分からない、ということで、再びのリベンジを期待して僕はミャンマーを去った。


それから4年の月日が流れた。僕は勤めていた広告代理店を退社して会社を作ろうと思った。その前にぜひどこかに旅行に行きたい、と考えた。会社を作ってしばらくは寝食を犠牲にしてでも働こうと思っていたからだ。


「タマニャーに会いに行こう」と直感がやってきた。僕と妻はミャンマーへと飛んだ。ちょうど21世紀が始まる2001年正月の話だ。世界遺産のバガンでも古都マンダレーでもない、僕たちはタマニャーの住むパアンというごくごく地味な街で新世紀を迎えた。


詳細は省くがタマニャーとの謁見は実現した。タマニャーが側近を介して一言「何か質問があれば一ついいですよ」とおっしゃった。僕は「これから会社をつくるのだが名前をどうしたらいいか考えている」と聞いた。


タマニャーによると「私の写真を胸に入れて、落ち着いた状態で心と向き合いなさい。その時にわき上がってきたのがあなたの会社名です」とのこと。僕はホテルに帰って自分の心と向き合った。数秒後、「ぱらりる〜」ととても会社名とはいえない言葉が頭をよぎった。そんなんじゃだめだ、と思っても広告代理店 博通だとかマンガにでてくるような会社名しかうかばない。


雑念が多すぎる・・結局、僕が影響を受けた本のタイトルをそのまま会社名にした。結局、僕の会社の名は21世紀のはじまりに、ミャンマーの安ホテルの一室で決定された。会社の生命は、21世紀がスタートする時期に、とてもいい場所で吹き込まれたのだ、と最近ふと思った。


追記 タマニャーは昨年、お亡くなりになられたそうだ。ご冥福をお祈りしたい。


May 18, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.05.17

週のはじめに

先週は大阪、兵庫と出張しすっかりと更新が無沙汰してしまった。今週は仕事も、夜もそこそこと予定が入っている。気合いを入れる週だ。


朝、喫茶店で新聞を読んでると「アルバイトを入れる」という直感がいきなりやってきた。たまにこういう直感がやってくる。それは、ほとんど週あたまの朝にやってくる。そして、それに素直に従うと案外と何事もうまくいく。


仕事であれ、将来やりたいことであれ、なぜか急にひらめくのだ。そして、それは振り返ってみると、特別たいしたことのないアイデアだったりする。今回の「アルバイト採用云々」もそうだ。以前に考えたようなことだ。けど、それが案外と値千金のアイデアだったりする。自分の腹にきちっと落ちる。


直感は論理を超えたところで訪れる。一生懸命に何かを考えた後に訪れる。


そういえば先週はブログを書かないで、いろんな考えごとや頭の痛い話をしたな、と思った。天才の脳みそは分からないが、凡人の場合はものごとを考えつくした先にやってくるのが直感だろう。


新しい事業展開であれ、人の採用であれ、今までの仕事のほとんどが直感の積み重ねだということに気がついた。とまれ人材コンサルタントをしている友人にアクセスをした。


May 17, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.05.09

旅するノート

ある国に「夢は大好きな場所を旅行して歩くこと」という女の子がいた。けど、貧しい彼女にとって海外は夢のまた夢。海外は距離的にも経済的にも庶民には手の届かない時代の話。女の子は考えた。自分が可愛がっている人形に海外を旅してもらおう、と。


彼女は空港に向かい、これから海外に行く人に人形をたくした。首には小さなノートがかかっており「この子は文字が書けません。お願いです、この子が訪れた場所のことをこのノートに書いてもらえますか?」と一言。更に、「この子はいろんな場所にいきたがってます。あなたが旅先で知り合った方でこの子を預かってくれる人がいればぜひお願いしたいのです」とも。その人形はある人の良さそうな老夫婦にたくされてアメリカへと向かった・・・。


それから数年、世界各国の見聞録が記された汚いノートを首に下げた人形が彼女のもとにかえってきた。多くの方の善意が彼女と人形に壮大な旅をさせたのだ・・。

そんな話をベトナムで聞いた僕は、早速パクろうと思った。翌日ノートを買って、自分のプロフィールと旅先の情報をまとめて、大阪から旅行に来ていた女性に託した。「このノートが訪れた場所のことを何でもいいから書いて、とにかく信用できそうな人にこのノートを託してくれ」とお願いをして。


もう一言、「ノートを受け取った方へのお願い!ハガキに一言でいいので今○○にいます!と書いて送ってください。あと、一番最終ページまできたら僕の自宅まで宅急便で送ってください。」とノートの表紙に書いておいた。


ベトナムで誕生したこのシステム(?)は僕の名字をとって「大塚ノート」といわれた。1册だけでは心もとなかったので、ベトナムで2册、タイで1冊、チベットで2册、ネパールで1冊、インドで1册が知り合った旅行者へと手渡された。


数カ月後、世界各地よりエアーメイルが届くようになった。


「ベトナム→香港→北京→ウルムチ→パキスタン」とやってきました、と神戸の旅行人から手紙が届いた。「インドでノートを受け取った!なんて素晴らしいプロジェクトだ」となぜかドイツ人から英語で手紙が届いた。バングラディッシュから、イスタンブールから合計で10通くらいのノートの旅行情報が寄せられた。


「これは1年もたてば日本に帰国するノートもでてくるな」と思った頃から急に情報がなくなってしまった。旅人達の善意が前提となっているこのプロジェクト。伝言ゲームのため趣旨が伝わってないのだろうか?半年ほどでぱたっと情報がとまってしまった。


僕が世界へと旅立たせた7册のノート。一体いまどこを旅しているのだろう?どこかの安宿の片隅で埋もれて沈没しているのだろうか?それとも、アマゾン川あたりで藻屑となってしまったのだろうか?そんなことを考えると興味はつきない。


ノートの旅立ちから8年がたった。もはや帰国は難しいかなと思うが、まだ幾許かは諦めきれていない。いつか自宅のポストに汚くなったノートが投函されるのを夢見るのもなかなかおつなものだ。


何か「大塚ノート」について知っている方、ぜひ情報をください!

May 9, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.05.08

麻薬捜査に入った警察官に

映画「ミッドナイトエキスプレス」を10年以上ぶりに見た。トルコの空港で麻薬所持で逮捕されたアメリカ人男性が拷問やらいつ果てるともしれない監獄生活に精神を磨耗していく話。


数年前にタイを舞台にした同じような映画(主人公は女性2人だった)があった。けど、緊張感をあおる映像や主人公が精神的に参っていく様子は、「ミッドナイト〜」とは比べようもない。とても重〜い映画だけど一見の価値はあるだろう。

「もし、俺のバックの中に麻薬入れられてたらしゃれにならないな」という感情は、長い旅をしている人なら一度はもったことあるのではないだろうか?


ちょうど、僕が旅行していた頃、ヨーロッパの人がマレーシアで死刑になったという話を聞いた。議員はおろか、首相クラスまでがマハティール首相に嘆願をしたらしいが死刑は執行された、という。なんでも覚醒剤の密輸だったらしい。


この麻薬の密輸、というのは自分が知らない間に運び屋になっているということもあるそうだ。僕は国境をこえる時には荷物に何かまじっていないかを確認しながら旅をした。


そんな僕が、一度だけタイで肝を冷やした。明け方4時くらいだろうか、激しくドアをノックする音が聞こえる。「policeだ!」といっているようだ。ドアを開けると警官が3人と麻薬犬が飛び込んできた。所持品検査をする、といっているらしい。


僕が宿泊している宿は密売人がいる、といわれている宿だった。たまに抜き打ちの検査があるとは聞いていたが・・とはいえ僕はやましいことはない。面倒だな、と思ったがきちんと従おうと思った。


その瞬間、不吉なことを思い出した。


僕はある旅行者から漢方薬のようなものを預かっていた。カンボジア人のドクターが調製した薬で体のふしぶしが元気になる薬だという。ちょうど、両手いっぱいくらいで見た目は大麻に似ている。彼は1年間以上の旅に出るので一足先に帰国する僕に荷物を託したい、といわれて軽く引き受けたのだ。


けど、それが純粋な薬かどうかは分からない。というより、その荷物を預けた人も長年の友人というわけではなく旅先で数日前に知り合った仲だ。一瞬のうちに「彼のいっている事にウソがあったら」と青ざめた。麻薬密輸に関してよくある話だ。「知り合った人から預かったんです」は通用しないのが世界の常識だ。


警官は僕のバックパックの中から荷物をだしはじめた。人間の心理は正直だ、例の薬が入ったビニール袋に僕は目を向けてしまった。それを見たのか、警官が袋を開けろ、という。中から出てきたのは葉っぱ、見た目は乾燥大麻に似ている。


「これは何だ?」との問いに「健康のための薬だ」といった。「どんな健康だ?」といわれたので咄嗟に「あっち系の薬だ」と夜に役立つ薬と適当なウソをついた。緊迫した雰囲気にちょっとでも警官を笑わせないと、思ったからだ。


警官は麻薬犬に薬の臭いを嗅がせる。その時、犬に土下座してでも媚びたい、と思った。この犬のためだったら何でもいうことを聞く、と思った。わずか数秒がとてつもなく長いように思えた。


結局、僕はシロだった。一気に脱力した。冷静になってみると足音や声から推測するに十数人でガサにはいっているようだ。タイが麻薬撲滅に本気だから変な宿にはとまらないほうがいい、という噂は本当だった。翌朝、聞いた話によるとイスラエル人のカップルが捕まったそうだ。異国の地でなんちゅうこと!だが自業自得だ。それが自発的に所有していたものなら。


それ以降、何があっても素性の分からない荷物を預からない、というのを決めたのはいうまでもない。


May 8, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.05.06

3年で一人前、について

学校を卒業して入社した会社を僕は2年と11ヶ月で辞めた。それは「3年勤めないと社会人として認められない」といった風潮(?)へのせめてもの抵抗だった。2年と11ヶ月がダメで3年はいいのなら、なんて社会はくだらないのだろう、と考えた。


誰がいった言葉なのか分からないが「まずは3年会社に勤めないと話にならない」といわれる。けど、昨今は「ドックイヤー」といわれる忙しくてせわしない世の中だ。現在の1年はかつての7年に相当する、というくらい社会は早く動いている。


それでも、僕の見聞きしている限り、社会人として認められるのは3年のままらしい。これってちょっとバランスを欠いているんじゃないか、と常々思っている。そもそも勤続年数で社会人云々をいうこと自体がどうなんだろう?とも思う。

一般に、誰にでも24時間は平等に与えられているといわれる。確かに時間の流れだけ考えればしごくごもっともだ。だけど、時間の密度や深さは人によってまちまちだ。


例えば、法人営業で新規開拓をする時。いたずらに訪問件数だけ稼ぐ営業マンがいる。一方で受け付けの突破の仕方やアポイントの取り方、効果的な活動のやり方を常に考えてッブラッシュアップする営業マンがいる。


セミナーに参加して、「ああいい話聞いたなあ〜」で終わる人もいれば、10年は食べていけるビジネスモデルを考えるきっかけとする人もいる。


能力の違い、といってしまえばそれまでだが、両者の間にはある一定の時間経過の中から得られる「学び」が違う。それは、学びが多い人の方が深くて密度の濃い時間を送っている、ということだ。


そう考えると、社会人として認められるという3年といっても人により天と地との開きがある。それを、「3年はやらないと会社の事は分からない」とひとくくりにするのはナンセンスだ。そこには時間に対する密度や濃さといった視点が全く欠落している。


僕は、「何年やったから一人前」だとかいう時間を軸に考えるのには抵抗があった。とはいえ、「一つの仕事を3年も続かないで偉そうに」といわれるのにもちょっとへこんだ。


けど、修行僧のごとく嫌々と会社勤めをするのなら、すぱっと辞めた方がいいと思った。その決断は、最終的には自分にしかできない。その決断が正しいのか、そうでないのかは、決断をした時点では分からない。


損か得かでは決して答えはでるものではなく、自らの直感を信じるだけだ。そのためには、「3年」といった根拠のない数字に惑わされてはいけない、と思うのだ。

May 6, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.05.05

社会人として直面する矛盾

12年くらいまえのこと。社会人になって3週間の新人研修を受けていた。そんな時に「新人のうち数名は新人研修が終わったら地方勤務になる」という噂を聞いた。僕はこの会社の最終面接で「3年間は東京勤務」と担当役員から聞いていただけに驚いた。


数日後、僕は「メシのうまいところに」の一言で石川県への転勤が決まった。社会人になって3週間あまり。「えっ!約束が違うでしょう」の一言もいえないままに・・・。

僕なりの人生設計のようなものは社会人のスタートから打ち砕かれた(と当時は思った)。地方にいくのが嫌だ、ということではない。多くの人間にとって一生ごとである就職で、約束ごとを平気で反古にする会社の姿勢が嫌だった。毎年、数名の新人が地方勤務でスタートしているのを知るに及んで不信感は高まった。「なんだはじめから計画的じゃないか」と。


最初の数カ月は覚える事も多い、勢いで何とかやっていった。けど、信頼といった根本の部分で自分にブレが生じていた。会社が「社員の生活の向上のため」といっても僕は素直に受け取れなかった。個々の上司などは信頼できる方も多かった。けどそれが、会社という組織体になった時に無責任になってしまうような感覚を持っていた。


ある日、僕は上司に思っている事を話した。「就職前にいっていたことと違うんですね。こうした部分で信頼関係ができていなくて、僕は会社を一生信じられるんですかね?」と。


数分後、上司の「それが会社組織というものだ」という言葉に僕は失望した。では、「それが会社組織」という時の「それ」とは一体何だろう?「社員と雇用に関わる約束をしていても、雇い人の都合で勝手に説明もないまま思うように人員を配置できる」というのが「会社組織」なのだろうか?


それならそれで僕は十分納得できる。会社が労働者の時間と労力のみを買っている、と考えれば社員の生活やビジョンなどよりも、会社としての都合が優先されるべきだろう。


けど、会社は「社員にとっていい会社」みたいな美辞麗句を掲げている。その矛盾が何ともいやだった。学生あがりの安直な正義感、といってしまえばそれまでだが、これは僕にとって大きな問題だったのだ。「それが会社組織」という何とも耳障りのよい言葉でうまく丸め込まれるような感覚を覚えた。


結局、2年と11ヶ月会社にお世話になったがこの疑問は解消できなかった。(矛盾を矛盾としてとらえられなかった自分は未成熟だと思うが、旅にでると矛盾を抱えられずに海外にきているやつが多かった)


「会社を辞めて旅に出たい」などというと「働くとはこういうものだ」とか「社会とはそんなもんだ」というアドバイスをいただくことがある。そんな時に聞いてみよう。「こういう、とは具体的にどういうことか?」「そんな、とはどういうことか?」と。


大人世代が若い人に人生論をぶちまける。僕はすごくいいことだと思う。けど、こういう生意気な後輩や部下に負けないだけの理論武装はすべきだろう。少なくともそれが、若い人の考えを真正面からどっぷりと受け止める、ということだ。


逆に、社会の矛盾と向き合いはじめた若い世代の人。体のいい言葉で話をはぐらかされて自分の夢を見失う恐ろしさを見つめよう。自分の将来は自分しか責任をもてないのだから。

May 5, 2005 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.05.04

今日も一日休み

6時に起床、ネコの散歩を1時間あまり。相田みつをとドラッカーの本を読んで、午後からスポーツジムへ。特別プログラムで2時間のスタジオプログラム。夕方から映画「ペイフォワード」を見て、anegoとk-1MAXをザッピング。特にこれといったこともない一日。休みぼけしないよう、明日から始動開始します!

May 4, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.05.02

将来の選択肢

「10年後、君は飯田橋で広告代理店を経営している。社員は○○名で売り上げは○○億円。年収は○○万円になっているね。この10年間に、20数カ国を旅行して、大阪に転勤したこともあったよ。そういえば結婚もしているね。お相手・・??それは中学生の同級生さ!」


10年前(1995年)超高名な占い師に仮にこういわれたら、僕は全く信じられなかっただろう。


当時の僕にとって広告代理店、といった職業には縁もゆかりもなかった。「会社を経営したいな」とは漠然と思ったがお金はないし、ノウハウもアイデァもない。まして「20数カ国」云々についてはパスポートももっていなかった当時の僕には絵空事であっただろう。中学生の同級生云々にいたっては、誰??とその相手を想像もすらできないお笑い話だ。


しかし、現実は当時の僕が思いもよらなかった方に動いたのだから不思議だ。

旅をしていて僕は考えた。僕には将来への選択肢がいくつかある、その選択肢の中から自分にとって最適なものを早くみつけなければならない、と。それもなるべく早い段階で、そう少なくとも30歳までには、と。


当時の僕にとって、「自分ができること+自分がやりたいこと=将来の選択肢」だった。もともと好奇心は強い方である、やりたいことはいくつもあった。けど、それと経済活動を結び付ける手段が全くわからなかった。要は「それで飯くっていけるの?」という思いが行動にブレーキをかけていた。


「年齢制限○○歳まで」「経験者のみ」といったフレーズに、選択肢が徐々に狭まってくるような窮屈な感覚を覚える。やる気はあるのだが、社会がそれを受け入れてくれないような錯角の中で、わき起こる焦り・・・。ある会社のアルバイト募集で落とされるに至っては自信はズタズタにされた。


人間は具体的な敵に対しては案外と頑張れるものだと思う。けど、この見えない焦りや不安から受けるダメージにはもろい。いつまで続くか分からないし、相手の姿がみえないからだ。


「一体、自分はどうしていけばいいのだろうか?」とインドでもチベットでも(たまに)考えていた。その考え方にふと、ある変化がおきた。「自分の将来は自分が現在用意している選択肢の中にはないのではないか」と。


所詮、自分が現在用意している選択肢なんて、今現在の世界観の中でつくったものでしかない。けど、いろんなことをやって、いろんなことを考えて、世界観が広がっていけば、今の選択肢以外のこともでてくるのではないか、と思ったのだ。


目の前にあることを確実にこなしていく。すると何かしらの成果なり、反省、気づきなりが生まれる。それを次に生かしていけばどんどんとできる事が増えていく。それは、将来への選択肢が増えていくことに繋がる、ということだ。


僕は会社を辞めて旅にでた。それは、大学を卒業した時には考えもしていなかったことだ。会社で仕事をしていくうちに、「会社をやめて旅にでる」という選択肢が生まれてきただけにすぎない。それが巡りめぐって会社をつくる、ということに結果的にはつながった。一つ一つの課題をクリアーして数多くの新しい選択肢が生まれてきた結果だ。


年齢制限を嘆くより、目の前のことを着実にこなす方が生産的だ。社会には裏口入学も敗者復活もある。野球選手や宇宙船のパイロットになりたい、という目標があるのならいざ知らず、年齢云々だけで入り口が制限されるほど社会は非人情ではないし、人材が豊富なわけではない、と実感覚として思うのだ。


現在、僕は将来に対しての目標だとかビジョンを漠然と持っている。けど、それは今後の生き方次第でどんどんと変わっていくことが経験として分かっている。自分の今現在の選択肢にない将来の自分は何か、を考えるとそれは楽しいものだ。自分があたふたしなくても、大きな流れのようなものが新しい選択肢を運んでくるような感じはたまらない。


将来に対して焦るのなら、今できる何か、に着手しよう。それがある日、大きなうねりとなる、ということを信じながら。これは僕の仕事上の信条だ。だから、会社が安定期に入ったからといって、仕事をさぼるわけにはいかないのだ。

May 2, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (1)