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2005.07.30

死刑囚的生き方から

「無期懲役を宣告さえた受刑者はだらしなく、粗暴になる者も少なくないが、死刑を宣告されると次第に目が輝いてくる」という元刑務官の話を昨日参加した研修で聞いた。


一般的に考えると、死刑囚は粗暴になったり、生活が無気力になったりするようだと思うのだが、自己を見つめる創作活動に目覚めて目がキラキラしてくる、そんな人が多いのだという。

かつて『世紀の遺書』(講談社)という本を読み、衝撃を受けたことがある。戦争犯罪人(戦犯)として処刑された700人の遺書や遺稿をまとめたこの本は、生きることと死ぬことについて深いレベルで考えさせられる。(もちろん、死刑やら戦争という視点で読んでも多くを考えさせられる)


戦犯(戦争犯罪人)といわれるが、実はその規定はあいまいだ。多くは勝者が敗者を一方的に、見せしめ的に断罪する。時には勝手に法律をつくりあげてもだ。


この本の中には20代で命を失った人の遺書も残されている。戦犯という汚名を着せられたが、中には「上官の命令で作戦を行ったのに死刑になった」「通訳の問題があって死刑になった」「そもそも、無実で死刑になった」という人も数多くいることだろう。


が、僕の記憶ではほとんどの人が、それぞれの死生観を悟り、いつかくる最期まで自分の生を輝かせようとする姿勢を持っていたように思う。「死ぬ気で頑張る」「死ぬ気でやってこい」などと僕らが軽々しく口にはできない、生命を生き切ることの覚悟の重さを感じた。


人間は誰しもいつかは死ぬ、それは誰しもが知っている。けど、そこに期限を入れている人はほとんどいない。死刑囚はその原因はともかく、「いつか死ぬ」に漠然とではあるがタイムリミットが入る、日付けが入る。それは、数十年先ではなく、数年とか数カ月とかいうごくごくリアルな期限の中で。


その中で人は「生きることのあるべき姿」を考える。そのために「自問自答」を繰り返す。自分が起こしたことを反省する人もいるだろうし、現実を見つめない人もいるだろう。が、ほとんど誰しもが「自問自答」を繰り返して日々を過ごしていくだろう。その中で宗教の助けなども得ながら「死生観」のようなものが生まれ、最期の生命を生き切ることに全神経を使っていく。だから、日々を怠惰に過ごしたりはできなくなっていく。


「今日がだめでも明日やればいいや」「来年は無理だけど、10年くらい先にはね」などと時として僕は考える。けど、10年先はおろか明日も生きているという確証はない。だが、それを言葉にするのは簡単だが実感覚で明日死ぬ自分をイメージすることができない。


ただ、死ぬ事に日付けが入った人、いつか死ぬということを前提に仕事をしている人は、生きている間の時間の密度や学びの濃さが違ってくる。僕などの凡人は、死ぬ事をきちんと考えて、生きるということに全神経を使わねばならない。でないと、生きている間にやりたいことは成し遂げられない。


研修から帰って、「まずはひとつひとつの仕事にきちんと期日を設けよう」と考えた。自分が死ぬ事を考えるのはとても難しいことだ。だが、「ひとつひとつの仕事の終わり(=死)」として期日を設けるのは、死ぬことを意識するために今の自分ができるささいなことではないかと思ったのだ。


仕事や生きるということに「激変」「急激」「ドラスティック」は少ない。少しのことを変えたら大きく変わる、と考えるとこれも悪くはないと思うのだ。

July 30, 2005 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.07.29

ワタミの社長の講演会

昨日はたびたび本ブログに登場する渡邊美樹氏(ワタミ株式会社代表)の講演会が有楽町であり、追っかけを自認する僕は最前列で参加をしてきた。


「date your dream」と銘打たれたこの講演で、わずか1時間ばかりの時間だが、夢に日付けをいれて目標を達成することについて渡邊氏の経験と現在の取り組みを中心に話があった。

僕は、この社長のファンだ。著書は全て読んだし(たぶん)講演会にも10回近くはいっただろう。わずかではあるが、ワタミの株を買ったし、氏の手掛けるNPO法人に募金もした。だから、氏の講演に参加をしてもほとんどがどこかで聞いたことのあるような話ばかりだ。


では一体、何ゆえ講演に出向くのか?


それは、2点ある。ひとつは、氏のオーラのようなものを感じたいからだ。


「あいつがいると雰囲気が明るくなる」という人がいる。それはその人の存在感というか、オーラというかが影響しているのだと思う。氏のオーラは非常に強い。存在感もめちゃめちゃある。「彼のいう通りにしていれば、夢が実現しない方がおかしい」とさえ思ってしまうような迫力や説得力がある。


そんな人と短くても同じ空間に身をおいて、一定の時間を過ごすということはとても重要なことだ。元気やエネルギーは伝播して伝わるものだからだ。そんな空間に好んで自分を置く事は大切なことだ。


もひとつは、言葉でかたり尽くせないものに価値がある、と思うからだ。


「人間は頭で100考えて、10から15を話すことができて、1から2を文章にできる」ということをどこかで聞いた。なるほど、常日頃、いい文章がかけなくて呻吟している僕にはものすごく実感できる言葉だ。渡邊氏の著作はどれも秀逸なものばかり、僕は非常に影響を受けた。


けど、その著作の裏には文章にできなかった、数十倍もの思いや考えが存在するのだ。だから本を読むより、直接話を聞いた方がよい。ほとんどの人間は書くより、話をするほうが自分の考えを伝えられるからだ。


さらに進むと、「話はできないけど頭の中で考えている」ことを推測するには話を徹底的に聞かないといけない。これは僕がいくたの講演や研修にでて得て感じたことだ。人間はかたり尽くせないところまで語ると、言葉にできないものが顕在化してくる存在だ、と思う。だれしも経験はあるだろう。ぺらぺらとしゃべっているうちに「俺、いいこというじゃん」という瞬間が。これが、話ができなかったことが、話ができるようになった瞬間だ。


氏の潜在意識にある考えを理解するには直接、直接話を聞くしかない。


「方法は無限にある、と信じる事。それは奇跡をもたらす」-昨日の講演でもっとも印象に残った言葉だ。文章になっちゃうとやっぱり「へえ〜、だから」なんですけどね・・・


追記 今日は終日、原田隆司氏(天理大学講師)の研修2ヶ月目です。

July 29, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.07.28

無題

昨日(今朝?)はお客さまと酒を飲み、夜中の2時すぎに帰ってきた。


世界陸上の番宣を見ていたらすっかりとはまってしまってしまった。3時になってそろそろ寝よう、と思ったらうちの猫が起きてきた。この猫は、普段4時半に起きて散歩をせがむ非常に手のかかる猫だ。


あまりにうるさいので無視を決め込むと、かみついてくる。何のかんのいって、3時半くらいまで起きてしまった。普段、超朝方の生活をしている僕にはちとつらい。


僕のブログは書きだめをしない、をポリシーにしている。朝、猫と散歩して思いついたことをネタにしている。自分がブログを書く朝に何を思いつくか、にも大きな意味があると思うからだ。


結局、今日は朝がばたばたしていたので、散歩にいけなかった。なので、今日は猫の写真で場つなぎ(?)を。


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散歩する猫、としてうちの近所ではちょっとした有名猫

July 28, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.27

不安や葛藤との共存

「ガイドブックと中国語の本がない!」


空港を一歩でた時に気がついた。時は1995年、場所は中国は上海の国際空港。会社員3年目だった僕の始めての海外旅行、それが中国の一人旅だった。


空港を出ると5〜6人のタクシーの運転手に囲まれた。「俺のに乗れ、俺のに乗れ」と強引で煩い。「とりあえず今日の寝床を確保しよう」と思った矢先にガイドブックと中国の会話本がない事に気がついた。きっと、両替をした時にでも盗まれたか落としたのだろう。

こりゃ困った。そもそも、ホテルも予約していない一人旅だ。


とりあえず、人のよさそうなタクシーをつかまえて中国東方航空のオフイスへと向かおうと思った。何でも、格安航空券はリコンファーム(航空券の予約確認)をしないと予約がキャンセルになってしまうかもしれないと聞いていたからだ。(今考えれば空港でできるのに、と思うのだけど)


「中国なら筆談でなんとかなるよ」とは良くいわれる。けど、彼の国の漢字と我が国のそれとでは書体や意味がやはり異なる。少なくとも僕のつかまえたタクシードライバーは何を話しているか、書いているかが分からなかった。これでも大学では中国語を専攻したのだが・・学生時代の不勉強を後悔した。


やりとりをしていると、他のドライバーが割り込んでくる。「中国東方航空??俺の方が詳しいぞ。なんならホテルも紹介するぜ」といっているようだ。他のドライバーも割り込んできた。「こいつは俺が先にみつけたんだから俺によこせ」と何となくいっているようだ。いつしか僕を取り囲んで、3人のドライバーが口論を続けていた。


「本当でこれで大丈夫なんだろうか?」と不安に思った。「ガイドブックがない中で、ちゃんとホテルを見つけて、電車に乗って蘇州、南京といけるだろうか?」と不安に思った。「ホテルくらい調べてくればよかったな」と思った。


結局、僕はその中でも一番押しの強そうなオジサンのタクシーに乗った。地図がないので、どこを走っているかさっぱりと分からない。良く見るとオジサンの左の頬には切られたようなキズがあった。日本で道ですれ違ったら避けてしまうようなタイプの人だ。「本当に大丈夫かよ??」と思ったが乗ってしまったのはしょうがない。


結局、僕は中国東方航空でリコンファームを済ませることに成功した。その後で、南京行きの電車の切符を買いにつれていってもらった。「我 欲 買 電車的票」と筆談したら「汽車的票?」というので、つれていってもらったら、どうみても長距離のバス乗り場だった。


オジサンは自信を持って「ここだ!」という。明日の8時にここにくれば、南京行きに乗れると言い切る。僕はオジサンの熱意に負けて、おかしいなと思いながら南京行きの電車の切符を買った。


その後、ホテルを探した。「そこそこ高いホテルにいけば日本語をはなせるスタッフがいるだろう」と思い、「中高級的宿泊館」と書いた。オジサンは自信を持って「任してくれ!」という。


ついた所は空港からすぐそばのそこそこのホテルだった。僕はさんざんと市内を回って、いくつかの雑務をこなして、結局は空港のすぐそばに戻ってきた、というわけだ。その間、4時間くらい。とにかくへとへとだった。


ホテルで僕は日本語を話せるスタッフを探した。ガイドブックと会話本がなくなった状況を話して、明日からの想定会話集をつくってもらった。「南京はこの電車ですか?」だとか「これはいくらですか?」だとかを次々と中国語に訳してもらった。


これで一安心、と思ったらそのスタッフが一言。「あなたは明日バスで南京行くんですか?遠いですよ」と。僕は確かに電車の切符を買った。「いや、電車ですよ」というと、スタッフは笑っている。何でも、中国語で電車は「火車」、車やバスを「汽車」というらしい。僕は確かに「汽車的票」は買っていたのだが・・そういえば中国語でそんなことを習った記憶が蘇ってきた・・・


「本当に僕は南京までいけるんだろうか?」始めての海外旅行の1日目は散々なうちに終わった。


結局、僕は南京までいって5日間ほどの短い旅行を終えた。「本当に大丈夫??」といった思いと常に隣り合わせの旅行だった。僕はその中国旅行がトリガーとなって、20数カ国にいくことになるのだが、この「本当に大丈夫??」という経験が僕を大きくしていることにいつしか気がついた。そしてそれが旅の楽しみでもあることに。


旅をしていると、慣れてくる。見ず知らずの街に夜中の電車で到着しても「何とかなるだろう」と思えてきたりする。でも、そんな慣れは旅の面白さから僕らを遠ざける。


僕はこの旅行から数カ月後、会社を辞めて旅人となった。それは、会社というものに慣れていく自分への極度の嫌悪感だったような気がするのだ。どの会社にも理不尽な部分はあるだろう。けど僕は、会社の理不尽さを「しょせん会社ってそんなもんでしょ」と自分を慣れさせることができなかったのだ。


仕事を辞めて常に思っていた「このままいって大丈夫??」と。けど、そんな不安や葛藤は自分をとても大きくすることいつしが気がついたのだ。


先が見える不安と先が見えない不安、僕は先が見えない不安の方が好きだ。動けば何かしらが見えてくるし、それらを少しづつでもつむいでいけば不安もいつしか霧散する。(そうすると新しい不安が誕生してくるのだが・・)


慣れが生じてしまうと仕事をしていても旅をしていても面白みに欠ける、ドキドキ感に欠けている。そう考えるとイキイキ、ワクワクということは幾許かの不安と共存しているということなのだ。


僕らは安直なポジティブシンキングを学ぶよりも、不安や葛藤との共存共栄をはかることを考えた方がいい。それらは僕らをイキイキさせる萌芽なのだから。そんなことを考えるのだ。

追記

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「この向こうは地雷原さ!もし俺がお前をおいていったらどうする?」と冗談まじりに語ったバイタク運転手。「おいおい大丈夫かよ!?」が旅の面白みであるのだが、ちょっとビビった。(カンボジア・シェムリアップ近郊)

July 27, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.07.26

歴史から学ぶ、ということ

「戦争を知るということは、これから10年を生きるうえで、とても大事なヒントを与えてくれる」- 実践マーケッターの神田正典さんによる新著『人生の旋律』が発売された。


この神田正典さんは知っている人には超有名だし、そうでない人には全く無縁の人だろう。1999年のある日、僕は神田さんが書いた『あなたの会社が90日で儲かる』を読んで衝撃を受けた。「小予算で顧客を獲得できる」といった中小企業のダイレクトマーケティングに一大旋風を巻き起こした本だ。

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当時は広告代理店で働いていた僕は、神田さんが主催する顧客獲得実践会に自腹で入会して、50,000円の教材を購入した。そして、まだあやふやだったマーケティングを勉強して、そもそもマーケティングとは?といったところから理論武装をしていった。


2001年に会社を作った時は「神田さんがいい時代に現れてよかった」と思った。それほどまでに、彼のノウハウはパワフルで即効的だった。会社が比較的に早い段階で軌道にのったのも、彼のマーケティング技術に追うところが多い、と思うのだ。


その神田さんは、中小企業のマーケティングから派生して、英語の加速教育、「フォトりーディング」という速読法、企業のメンタルヘルスなど幅広い活動をされている。最近、始められたのがリビング・ヒストリー・プロジェクトという非営利活動だ


先人が体験した歴史を、次世代へと継承すると同時に、そこから得られた知恵をこれからの世の中に生かしていこうとされている。今回の本もその活動の一環として出版されたのだろう。


本の中でこういう一節がでてくる


日本経済は、70年周期でまわっているという仮説がある。(略)たしかに、歴史の大きな流れを追ってみると、70余年前と今の時代とで、怖くなるほど同じような出来事が多数起きている。


なるほど!そんな例として、


「バブル景気が終焉する有様は、1905年からはじまった大戦景気が1920年の株価暴落により恐慌へと一転したプロセスと酷似している」「阪神淡路大震災の72年前には関東大震災が起こっているし」「2005年に中国で激化した反日デモは、その70年前、1935年に中国共産党が抗日救国統一戦線を提唱した「8,1宣言」を彷彿とさせる」


と例をあげている。最近、この話は僕が尊敬するコンサルタントもよく話をされている。今から70年前の1936年には国策の基準が定められ、日独防共協定が締結されて戦時体制へと突入した時期だ。大きな時代の変革が訪れた時代だ。ドイツと堅い同盟を組んだ当時と、アメリカと歩調を合わせる現代、似ていなくもないかな、と思う。


僕は一つ一つの歴史の事実を検証していないのであまり知ったかぶりで偉そうなことはいえない。けど、歴史は繰り返すというのは、歴史を勉強していると何とはなしに感じることがある。少なくとも、1930年代の日本と現在は国をとりまく環境だとか、僕らの意識だとかが極めて似ているような気がするのだ。少なくとも僕の知っている範囲では。


僕は今の時代にあったバランスのいい考え方は政治家がしてくれている、と考えている。政治家に文句がある人は自分が立候補してでやればいいだけの話だ。だから、「自衛隊の海外支援=軍国主義」みたいな安直な考えは持っていない。日本の政治はそんなに未成熟ではないし、政治家が私利私欲だけで行動している訳ではない、と考えている。


だから、戦前の軍備拡大路線に走った時代がそのまま繰り返すとは思ってはいない。けど、これからどんな時代が始まるのか、を予想するには歴史の中に数多くのヒントが存在する、と思っている。


1930年代の僕らの先達が何を考えて、何を期待して、何を楽しんでいて、何を夢見てたのか・・そんなことを考えると、これから先の時代が見えてくると思うのだ、と考えた1冊だった。


July 26, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.07.25

仕事と家庭の両立

サイバーエージェントの藤田社長が、奥菜恵と離婚した。


4月に発売された藤田社長の本の中では、「しつこくてかわいい」だとか「言葉を尽くさなくても通じ合えている、そんな居心地のよさ」だとか、離婚説が流れていた巷の噂どこ吹く風、といった感じだっただけに驚きだ。


W不倫だとかの無責任な報道がなされているようだ。だからといって藤田氏の経営者としての実績が否定されるものではない。とかく人の足を引っ張るのが好きなマスコミの報道を鵜呑みにして自分の意見、みたいにいうのは、こと人の不幸事の場合はやめよう。(離婚が不幸かどうか、はこの際、別の問題として)

今回の件を通じて考えた。


起業家にとって、仕事と家庭の両立は大変だ。ビジネスの一線で活躍した経営者が、家庭生活に恵まれないことは多い、と聞く。仕事一辺倒で、気がついたら家族との間にミゾができていて、その不満を充すために不倫をするといったケースは小説でもおなじみのパターンだ。


僕ら経営者はまず大前提として「僕らは、ビジネスで成功したいのか、人生で成功したいのか」といった問題設定を明確にする必要があるだろう。ビジネスと家庭との両輪を回すといった、人生の成功を志向したいのであれば、ビジネスで使う程度の労力を家庭に使う必要性があるだろう。


けど、僕らは考えてしまう。「仕事がうまく行けば、家庭もうまく行く」と。けど、そんなことはない。むしろ、仕事の成功と家庭の成功は反比例をしている、といった方が近いとも思う。


「仕事、仕事といって全然、家のことをやってくれない」とはどこの家庭でも繰り返されるワンシーンだろう。実は僕の家にでも、よくある。


僕は考える。「俺らの仕事は週休2日、9時から5時まで働けば給料をもらえる仕事ではないんだ」と。「自分が止まった時には、会社は止まるんだ」と。「仕事とお金の流れを常に円滑に流れるようにしないといけないんだ」と。そのためには「朝、会社に早くいって仕事する。夜は寝れるのなら10時には寝かしてくれ」と。「朝、5時から猫の散歩もしてるだろう」と。「気が向いた時には洗濯もしているだろう」と。「なんだ、俺もたまにはやってるじゃないか」と。


妻はおそらく考える「だれのお陰で働けているのよ」と、「大阪に出張したり、釧路に出張したり、アメリカに突然いったり、夜中まで飲んだり・・好きにやれるのは家庭がしっかりとしているからではないか」と。「あたしだって、会社で働いてるんだ」と。「仕事、仕事は自分だけじゃないんだ」と。「夜ごはんは簡単でいいよ、というけど、簡単なものをつくるためにどれだけ面倒か知っているのか」と。そのたもろもろ・・・


お互い言い分はもっともだ。ここで、それぞれがお互いの話を聞けば、そこそこ問題は解決する。

けど、「そうはいったってねえ〜俺らの仕事は普通のOLさんとかとは違うんだよ」だとか「そもそも社長業はねえ」と始まるとやっかいだ。そんなことは立場が違うのだからいわれても仕方ないではないか、となる。相手が踏み込めないフィールドで論理を展開するのはフェアではない。


一般的にこのようなことが続くと、無条件に夫の成功を望んでいた妻に嫉妬心が働く。夫の成功を素直に喜べなくなっていく。人によっては、夫が成功しないことを望むようになっていく。それが、家庭が円滑にいくことを疎外していると考えてしまうからだ。


そんなことから、両者の間にミゾができていく。人によっては夫の成功を素直に喜べない自分に罪悪感を感じる。その罪悪感が夫との距離をますます遠ざける結果となっていく。


もともと、すべての男性は女性から生まれている。ごくごく単純な生き物、それが男だ。「よくがんばってるねえ〜」とか「すごいねえ〜」との女性の一言で満足する生き物、それが男だ。けど、その賞賛が足りない場合、人は無意識にでもフラストレーションを感じる。人間は賞賛を渇望する生きものだからだ。


「社長の仕事は誉めてもらえない仕事」だという人がいた。なるほど、確かにその通りだ。だから、繁華街にいって誉めてもらう事にお金を費やしたりする。


ここまで書いてきて思った。そういえば、女性も単純な生き物だ。ねぎらいの一言のありなしで、天国と地獄を行き来する。それが女性だ。ビジネスと家庭の両輪を回すには、賞賛やらねぎらいやらそのささいな一言が大事なのだ、とちょっと思った。


経営者が若い人たちの尊敬で憧れのの対象となるためにも、起業家にとって仕事と家庭の両立は不可欠だ。今日は自らの自戒と反省を込めて。

July 25, 2005 | | Comments (5) | TrackBack (0)

2005.07.24

今日は1日休み

8時に起きてゴルフの打ちっ放し。あいかわらず、いまいちだ。


帰って神田正典さんの1年ぶりの新著『人生の旋律』(講談社)と、伝説の打撃コーチ高畠導宏氏の生涯を書いた『甲子園への遺言』(講談社・門田隆将)を読む。あとは、「女系家族」のビデオを少々。


午後から渋谷で韓国映画「マラソン」を見る。5才のココロを持つ20才の青年の物語。自閉症という障害にもかかわらず、フルマラソンを完走した青年の実話に基づくのだそうだ。惜しみない愛情をそそいだ母親との関係が物語の一つのテーマとなっていたのだが、僕はどうもいまいち感情移入がしきれなかった。ヒトラーを見ればよかった、と後悔しきり。


夜は渋谷のデパ地下でカレーを食ったが、これが実にまずい。その上、量も少ない。そういや、10日ほど前も水道橋駅前の中華料理屋で恐ろしくまずい天津丼がでてきた。これはまずい、を通り越して「ここまでのモノをよく出せるな」と感銘を受けてしまうほどひどかった。話のネタとしては一流のまずさだった。


今日のはそこまではいかないので、話のネタとしての価値もなく、残念。最近、どうも飛び込みでいく店の運がいまいちだ。それにしても、あんな店が存在しえるのだから、関東の人は温情だね。関西だったら、一気に吹っ飛んでるだろう。


これから、うちの猫の散歩にいって10時には寝るつもり。最近、9時すぎるとどうも眠くていかん。とまれ、明日からまた気合いをいれてきましょう!

July 24, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.22

社長と経営者の違い

「社長になるのなんか簡単だよ。300万円の見せ金と登記手続きをする労力さえあればいいんだからね」当時大学生だった僕に、ご縁があった某広告代理店の創業社長は語った。


「へえ〜かっこいいけど、この人だからいえるんだろうな」と思った。将来、独立して何かしらやりたいとは思っていたが、全然具体的ではなかった僕。借金だらけだった当時、300万円なんて大きすぎて漠然としていた僕。社長の話は全く未知の世界の話でしかなかった。

それから十数年後、自分が起業して当時の社長の話が嘘や誇張ではないと分かった。


法律が改正され、最近では300万円の見せ金がなくても会社がつくれるらしい。現在では会社を立ち上げて社長になることは別段難しい事ではない。やるきさえあれば誰にでもできる時代になった。


誰でもが社長になれる時代だけど(というか、そういう時代だからこそ、か?)現実は厳しい。90%の会社が数年のうちに淘汰されていくといわれている。「組織は健全な形で永続してなんぼ」だと考えている僕にとっては、永続している会社とそうでない会社を分けるものは何だろう??は創業以来のテーマだった。


そのためには倒産をした会社に学ぶべきだ、と思った。成功事例にはあまり一般化できる法則のようなものは少ないが、失敗事例には法則化できることがある、と思った。倒産社長の集まりである八起会の野口先生の話を聞き、ベンチャー企業をつぶした社長の伝記を読みまくった。裁判所を見学して倒産社長を現実に見に行った。


その結果、「倒産法則」のようなものがあるような気がした。ちょっと長くなるのでここでは割愛するが、倒産にはある一定の法則が存在する。それさえ気をつければ、ほぼ大丈夫だろう、と思った。(経営は運によるところが多いので、「絶対大丈夫」は使えない)


僕はその中で自分のセルフイメージを「社長」ではなく「経営者」にする必要性を感じた。「社長」と「経営者」と、同じようでいてその両者を分けるものは大きい、と感じた。


「社長」だとどことなく偉そうだ
「経営者」だとどことなく偉いだけではなさそうだ

「社長」は自分の利益ばかり考えている人もいそうだ
「経営者」は自分はもちろん世の中のことも考えてそうだ

「社長」にはアホもいそうだ
「経営者」にはアホはいなそうだ

「社長」には哲学がない人もいそうだ
「経営者」には経営哲学がありそうだ

「社長」には大枚をはたいて飲む人もいそうだ
「経営者」は分相応に飲みそうだ

非常に主観的なのかもしれないが、そんなことを考えたのだ。


30を過ぎて同窓会などをやると「あっ!この人はこういう職業なんだな」というのがどことなく分かる、そんな経験はないだろうか?銀行員は銀行マンらしく、先生は教育者らしくなっていく。営業マン、警察官、公務員、それぞれがその仕事の持つ特異性に準じたキャラクターを身に付けていく。これはセルフイメージが無意識に体に染み付いているからにほかならない。


僕の会社では、社員は「専務」「常務」を除いて自由に役職をつくってよいことにしている。人間は自分のセルフイメージ通りの人間になっていくから、自分が好きなようなイメージをつくればいい。


「営業部長」は営業部長らしく、「経営企画室長」は経営企画室長らしくなっていく。どんな役職を自分につけるかで先々の姿がある程度までは形づけられていく。


昔の人はいった、「役職が人をつくる」と。実際、役職が変わると別人になる人は多い。「セルフイメージ??たかだかそんなこと」と侮る人とそうでない人は、数年単位でみると大きな意識の開きができていく。その開きはそうそう簡単にはうめられない。

July 22, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.07.21

組織における平等と公平について

創業時、取材にきてくれたマスコミは一社もなかった。初めて黒字決算を出した時も、新事業を始めた時も、大手企業から仕事を受注した時も、どのマスコミも取材にきてくれなかった。


一方、トヨタ自動車の場合は、社長が変わると大きなニュースになる。北米での売上が好調でもニュースとにる。会長の言動がニュースとなり、時には株価に大きく影響を及ぼす。


マスコミは「客観的な事実」を報道する、といわれている。僕の会社が黒字を出したのも、トヨタが黒字をだしたもの「客観的な事実」には違いがない。では、何でトヨタだけがとりあげられるのか?

それにはニュース性があるからだ。多くの人が知りたい、という欲求があるからだ。そして、そのニュース性というフィルターで客観的な事実をふるいにかけている時点で、マスコミは「客観的な報道」をしていないことになる。


マスコミはその会社の編集方針、つまり「会社の主観」に基づいて報道をしている。


今日1日の中で起きている「無数の客観的な事実」(それには「うちの猫が暑さで暴れている」などの客観的事実も含む)の中から、ニュース性の高いモノを取捨選択しているだけにすぎない。どんなニュースを選択し、どのように報道するか?は極めて主観性の強い作業だ。そんな主観の数々を通じて、僕らは客観的な事実に辿り着く。


組織における人間の評価、についでも同様だ。「客観的で公平」な評価方法などこの世の中には存在しない。ある人を客観的に公平に評価するとしたら、一生をかかっても評価などしきれない。というか、自分で自分のことを全て分からないのに、なぜ他人が客観的に評価などできるだろうか?


そこには、経営者やリーダーの「主観」が大きく反映される。そんな環境の中で僕らは仕事をしている。学生ならともかく、数年でも働いた人であればその程度のニヒリズムを持った方が生きていくのにストレスがたまりにくい、と思う。


高い成果を残す人とそうでない人を給料、待遇、昇進など「公平」に扱うのが「組織における公平」だとしたら、高い成果を残している人はバカバカしくなる。けど、「公平」の美名のもと、そんな組織は案外と多い。


学歴が高いだけで出世街道に乗っている人、取り立てて実績もないのに昇進している人、営業成績が低いのに上司に好かれたため昇進した営業マンなどなど、「公平でないな」という人は僕らの周りにもいることは僕も認める。


けど、「公平でない!」と思う前に、その人が「公平でない」状況を獲得するためにしたことに思いを馳せた方がエネルギーの使い方としては賢い。もしかしたら、人知れずに行っている努力や太鼓持ちなりの修練があるのかもしれない。「不公平だ」を訴えるより健全だと思う。


「組織における公平」が唯一守られるとするのなら、それは「機会への公平」だ。所属するメンバーの皆に同じようなチャンスが与えられる、これは経営者として考えねばならないことだ。


そんな中で、高い成果を残せる人とそうでない人を「公平」に評価していくのは経営者の大切な役目だ。チャンスを活かす殺すも、その人の器量だ。そこでは、高い成果を残せる人の視点から考えた「公平」のみが正義だ。


一つ気をつけたいのは、「組織における機会」とは大手をふって現れないことだ。誰しも試合やオーディションの前には周到に準備をする。けど、仕事の現場では、いったいどれが試合でどれがオーディションかわからないことが多い。


「私にはチャンスが巡ってこない」という人は、「これやっといて」といったささいなお願いごとをないがしろにしている可能性はないだろうか。案外とそんなことが試合だったり、オーディションだったりとするのが仕事の世界だ。チャンスはチャンス顔してやってはこないのだ。


誰にでも自分にあった適正があるものだ。モノを売るのが得意な人、企画をたてるのが特異な人、事務処理に長けた人、モノをつくるのに才能を発揮する人などなど・・・


そんななかで経営者の「主観」から「公平」な評価をされる分野もあるはずだ。そう、「公平」は与えられるものではなくて、認めさせるものなのだ。


「組織は誰でも公平」というのは先日来ブログで書いている、「自由でノビノビ」派と根は一緒。戦後の日本の教育の悪しき遺物だ。誰もが公平な社会が社会の停滞を招く、というのはとある国で数十年の実験を経て実証された。時代錯誤だし、僕らが生きていく資本主義とは相容れないと思う。


「公平」を殊更に訴える人は、「みんな特別扱いすることなく、すべて同じように扱ってくれ」といってるようで僕は人間としての幼児性しか感じない。


誰もが公平な組織、というのは幻想だ。人には持って生まれた役割や特性がある。せめて「公平」ということは、自分なりの役割を否定することだ、ということを考えてから「公平」を語ろう。

July 21, 2005 | | Comments (6) | TrackBack (0)

2005.07.20

僕の考える組織論 2

「自由の国、アメリカにはそれを守るために兵役がある」と当ブログに鋭いコメントをいただく「エンジェルズ・プロデューサー」氏から意見をいただいた。


なるほど!「自由を守るには相応のコストが必要だ」という僕の主張を訴えるに、これほどエモーショナルで分かりやすいな言葉はあるだろうか。


イスラエルでも韓国でも、自由を守るために兵役が存在する。自由は自然に存在するものではなく、自らが追求し獲得していくものなのだ。

「俺はこれから帰ったら兵役なんだよ。もちろん嫌だけど、義務だからね。それがあるから今回の旅もイキイキとしてくるんだろう」と、シルクロードを一緒に旅していた韓君(ソウル出身)は語った。「自由でノビノビ」派はこの言葉をどう聞くのだろうか?


「自由でノビノビやっていれば個人の自由が守れる」なーんてのは、戦後のある時期に跋扈した教育体系の悪しき遺物だ。それは無責任で義務を果たさない人間を大量生産した。


教育の最終的な目的は、あらゆるものからの自由だとは思う。経済的な自由、精神的な自由・・けど、これらは結果であって目的ではないんだと僕は考える。


今回、もう一度、この項を書こうと思ったのは思いの他、反響が多かったからだ。(反響は電話や携帯へのメールが多いんですが、よければコメントに残してくださいね)案外と、今現在の組織が抱えている問題の多くはここに根があるのではないか、と思ったのだ。


僕はこのことについてちょっと理論武装(?)をしようと思った。「自由でノビノビ」派は比較的頭のいい人が多い(ような気がする)。論破されないようにしようと国語辞書を調べた。


「組織」には次のように書かれていた。
【組織】個々のものが何らかの秩序をもって全体を構成すること。また、その秩序ある全体、とある。

「秩序ある全体」とは何か?次のように書かれていた。
【秩序】物事が正しい状態を保つために守るべき一定の順序(きまり)、とある。
『新明解国語辞典 第6版』(三省堂)


僕は解釈論者ではないが、「一定の順序(きまり)が存在する」これは組織が成立する前提条件だ、と少なくとも辞書は語っているようにとるがいかがだろうか?


こういう論理の展開をすると、多くの「自由でノビノビ」派はこう反論すかもしれない。「そんなのそれぞれの解釈じゃないですか」と。確かにその通り、個々人の勝手だ。僕だって好き好んで人の組織論に口を出すつもりはない。


けど、それは「自由でノビノビ」派が自分の力で立ち上げた組織体に「自由でノビノビ」を導入(?)する場合に限定される。どうぞ勝手に好きなように組織をつくればいい。それで成功するのならそれは素晴らしいことだと皮肉ではなくて僕は思う。


ただ、「自由でノビノビ」派が、すでに存在していた組織を引き継ぐ際にはちょっと勝手が違う。そこには、先達が組織を作り上げてきた、という伝統があるからだ。「自由でノビノビ」が本当にいいのか?を思考省略せずに立ち止まって考えてもらいたいのだ。で、ないとメンバーが路頭に迷うことになってしまうかもしれない。


僕らは数年もすると日本という組織のリーダー層として活躍していく世代となっていく。組織の大小を問わず、チームを受け継ぐようになっていく人も多いだろう。その時に、安易に「自由でノビノビ」を導入するのはどうか?と思うのだ。


組織は規律が大事だ。どんな規律を守るのか、は社長であれリーダーであれ、それらの人の美意識から生まれる。「とにかく身だしなみにはこだわる」という組織があってもいい、「挨拶だけはきちんとしろ」という組織があってもいい。そこには正しいや間違いは存在しないのだ、とにかく一定の規律をつくって周知徹底させることが必要だ。


逆に、リーダーが定めた規律がどうしても嫌な人は組織をでていってもらう、という姿勢も必要だ。所詮、万人に受ける組織など何の価値もないのだ。所属するメンバーには「なんていい会社だ」といわれ、辞めていったメンバーからは「あの組織はダメだな」と唾棄される、というのは(辞めていく理由にもよりますけどね)いい組織の条件、だと思うのだ。それだけ、リーダーの美意識が発揮されているということだからだ。


ちなみに僕の会社には「楽して儲けるを否定する」だとか「時間を守る」だとかをはじめとしていくつかの規律を定めている。それさえ守ればあとは常識的な範囲で何をやってもいい。これが僕が考える「自由でノビノビ」の第一歩だ。


「自由でノビノビ」はともすると「ノビノビ」だけになっちゃうんだよな、との言葉もいただいた。うーむ、深い・・ノビノビとした組織はいくつも知っているが、自由でノビノビとした組織があまり存在しないことに改めて気づかされた。やはり「自由でノビノビ」は獲得するものなのだ。

July 20, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.07.19

営業は最高の知的ゲーム、だが

ここ最近、NTTやKOOIの代理店を名乗る業者からの営業電話が続いている。「先日ご依頼の工事の件で」だとか「来週の予定はいつにしましょうか」など、いかにもウチと取引があるようなしゃべりをするのだという。


たいがい、僕が電話にでて事の真意を確かめる。「先日ご依頼の件・・???誰が??誰に対して??」」だとか「一体何の目的で電話してきてるの??」だとか、言葉の揚げ足をとっていく。


先方に「営業電話です」と向こうに言わせるまでは電話を切らない。人によっては「すみません」というし、人によってはガチャ切りをする人もいる。


blog

藍染めの民族衣装を売るモン族の一家(ベトナム・サパ)


いきなりこんな事を書くと僕は大の営業嫌い、と思われるかもしれないが実際は正反対だ。


会社を成長させていくためには取引先である会社、個人とのパートナーシップが何よりも大切だ。だから飛び込みでの営業は大歓迎、だと考えている。


そんな中から生まれた縁が僕の将来を大きく変えるかもしれない。だからなるべく営業マンには会うし、フィーリングが会えば仕事を頼む。


ただ、アポの取り方ひとつとっても騙しのような形でこられるのはいただけない。


大概の営業マンは会社にやらされているのだろうと思う。けど、僕は「どんな営業のやり方でも成績さえあがれば」という考え方は持っていない。当然、騙してアポをとろうというスタンスは僕の美意識と大きく乖離する。どんなに優れたサービスであってもそんな会社に何かを頼もうとは思わない。


今は新規開拓営業受難の時代、だ。インターネットが爆発的に普及し、ダイレクトマーケティングのテクニックが巷に溢れ、「営業マンを使わないでも売り上げをあげる」という流れが企業の大中小を問わずできつつあるような気がする。


けど、「陰が極まれば陽になる」のが世の中の常だ。ダイレクトマーケティングやインターネットが普及すればするほど、高度な専門性を持つプロとしての営業マンは今後今まで以上に必要となるだろう。そんな時には専門性があって、自分の美意識を持っている営業マンが活躍することになる。人間は自分の美意識と共感しあった人との仕事を本能的に求めるからだ。


僕は世界を旅している時、よく写真を撮った。帰国して現像すると、モノを販売している人のスナップが多いのにある時から気がついた。「モノを売っている人の姿は美しい」と僕の感性が反応しているようだった。


本来、モノを販売することは自分の知識と経験と体力と智慧を総動員して行う最高の知的ゲームのようなものなのだ。それは一種のアートだ。美しく、素敵でない訳がないのだ。


そんな仕事を、子供騙しのテクニックを使って自らをおとしめてはならない、と思うのだが電話をいただく代理店諸君、いかがお考えだろうか??

July 19, 2005 | | Comments (7) | TrackBack (0)

2005.07.18

受験勉強は無味乾燥??

「東大生を100人だして超進学校にする」弁護士・桜木によるおちこぼれ高校の再建計画を描いた漫画『ドラゴン桜』(講談社)を読んだ。


受験に対してのノウハウから効果的な学習法、はたまたメンタルな部分まで・・「自分にもちょっとできそうかな」と思わせるだけの説得力があり僕は完全にはまった。「東大合格の方法」だけではなく、「子供の育て方まで見えてきます!!」との推薦の言葉もあながち嘘ではないな、と思った。


「勉強だらけの毎日、か・・」この漫画を読んで、いままでほとんど思い出すことのなかった浪人時代のことを思い出した。僕にとってそれは長い人生の上で重要な一年だった。

18歳の時、僕は受験マシーンと化した。


受験を思い立ったのが高校3年生の秋、試しに受けた試験で偏差値28.9をマークし全国順位ペケ4位からのスタートだった。本格的に始めたのは、卒業をまじかに控えた高校3年の2月。もちろん、浪人を前提にだ。


僕は、高田馬場の一橋学院という予備校に通うことにした。「1日10時間は勉強してください」と初日に釘をさされた。僕は無試験の基礎コースに入学した。そんな所にくる生徒は、勉強する習慣がついていないことが多い。だから、とにかく量をこなすことが大事なのだ、という。


僕はけっこう単純だ。量が大事、ということが納得できれば徹底してやる。1日12時間は机に向かう生活がスタートした。予備校と自宅とを往復するだけの毎日。雑誌も読まず、テレビも見ず、ひたすら暗記と問題に没頭した。眠くなると釘を腕に指して眠気を防いだ。やることがアホだ、と自分でも思うのだが。


僕は受験勉強を通じて、2つのことを学んだ。「人間の能力は努力に比例して向上するものではない」と「量はある時から質に転換する」ということだ。


勉強をはじめて数カ月、僕は偏差値45〜50を推移していた。勉強はしているのだが、なかなか実績に現れない・・・。あせりが生じたある日のこと、それは突然にやってきた。いままで理解できなかった古文がスラスラと読めるようになったのだ。


僕は、成績は序々にあがるものだと思っていた。けど、そんなことはなかった。成績はある時に急激にあがる。こんな経験は今までなかった僕の中では驚きだった。ある時点から、知識の臨界点でもくるのだろうか、急に何かが分かり出す瞬間がきたのだ。


その瞬間の訪れとともに、勉強の「質」が変わった。時間、という「量」一辺倒だった僕の勉強に、明らかに「質」的な変化が訪れたのだ。効果的に、効率的に、無理、無駄なく勉強ができるようになっていった。


そんな実体験から僕は何をするでも「量」をおっかけることを重要視するようになった。たんたんと何かをしていれば、それはある時に質的な変化となって現れる。これは快感だ。はじめから「量」をおいかけた人間は、質的な変化がおこっても、「量」だけは守れる。そのように体が馴れてしまっているからだ。


逆に、はじめから「質」を追いかけてもそれはなかなか変化をしていかない。そればかりか、質的な変化を追いかける人は「量」で圧倒的に負けてしまうことが多い。


仕事をしていてスランプにぶち当る。いままで順調にいっていたのに・・と悩む。それは、質的な変化が訪れる前兆かもしれない。量だけはきちんとおいかけて、「質」の変化がくるのをあせらずに待つことが大事だ。


人間の能力が努力に比例して向上するのなら単純だ。もしそうなら、僕は英語もぺらぺらだし、中小企業診断士でもとっているかもしれない。努力がする成果に反映されるのだからね。そうではないからこそ、たんたんと量を追いかける姿勢が必要なのだ。


『ドラゴン桜』でこんな台詞がでてくる、「なるほど、これが勉強ってやつか・・」。僕も浪人時代、そんな実感を味わった。少なくとも高校までの僕にはそういう瞬間は存在しなかった。


とまれ、受験勉強は世間一般でいわれているほど悪いものではない。少なくとも、全く勉強をすることのなかった僕にはね。『ドラゴン桜』にはそんな思いを思い出させるいいようのない迫力とパワーがあった。ぜひおすすめの一冊だ。


July 18, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.16

僕の考える組織論

「先輩らのやり方にはついていけません」とある日、後輩からいわれた。運動部にいた大学3年(だったかな)の頃の話だ。僕らが上級生になってから「強権的」で、「畏縮してしまって」、「練習がノビノビできない」のだという。


「だったら君らが理想とする組織は?」と聞くと「自由でノビノビとした環境で行いたい」とのこと。服装(当時は学生服で学校にいかなくてはならなかった)やら、練習の時間やら、部の規律みたいなことまでに話は及んだ。

いままで、いろんな組織をみてきた。ある時は自らがメンバーとして所属し、ある時はクライアントとしてつきあった。


経営の本を読んだり、歴史の本を読んだりしても僕は「組織」にとても関心がいく。なぜか?個人をして非凡な成果を挙げられるもの、それは組織以外に存在しないからだ。


昨日、都市銀行で働く30歳を目前にした友人と飲んだ。何でも「百億単位のディールを手掛けている」とのこと。とてもではないけど、個人レベルではどんなに頑張ってもそれだけのことはできない。組織の力、はすごいものがある。


リーダーが100人いれば、100通りの組織が存在する。それぞれが、個性的でオリジナリティーあるものだ。それを承知の上で、「規律を重視する厳しい組織」と「メンバーの自発性に任せる自由な組織」と2つのパターンに分けて、僕なりの組織論を考えてみたい。


はじめに結論をいう。


「自由でノビノビしていて明るくて風通しがよくて、各個人の自発性に任された組織」これが理想な組織なのは僕も認める。そんな組織がつくれれば最高だ。


けど、「そんな組織を創るために各個人の自発性に任せる」とリーダーが考えているとしたらリーダーとして思考省略の際たるものだ、と思う。


「各個人の自発性を高めたい」がゆえに組織としての規律を明確にして、それをリーダーは周知徹底させねばならない。そのためには厳しい姿勢を打ち出す事も大事だ。それが組織の文化となり、結果的に所属するメンバーが自発的に、ノビノビと仕事ができようになるのだ。


組織には「規律を重視する厳しい組織」の側面がないと、永続はしないと僕は考えている。逆説的だが、明るくてノビノビした組織をつくりたいのなら、組織としての規律をしっかりとしないといけないのだ。


例えば僕の会社に「自由でノビノビ」を導入しよう。朝の遅刻は「自由な出勤スタイル」として認め、仕事の内容も「自発性」として本人任せにし、クライアントを呼びつけにしたりしても「それぞれの価値観だから」と誰も注意せず、日報も「成果さえあげれば自由っしょ!」と・・・。


確かに、企業が成長し、発展している時であればこのスタイルでもいいかもしれない。仕事はふんだんにあるし、社員のモチベーションも高い。そんな時は、社長も社員もイケイケだ。規律を守るのも大事だが、当面の仕事をこなすことが重要になってくる。そんな環境の時のマネジメントしては「自由にノビノビ」もありだろう。


けど、環境が悪化してくるとこういう組織では頑張りがきかない。自由で、自発的で、明るく、ノビノビやっていた組織は環境悪化に弱い。こういう状況になった時はリーダーはメンバーの能力や性格を考えて最良の手段をとらないといけない。


けど、明るくノビノビに馴れてしまったメンバーはそんな時にナアナアに馴れてしまっている。「自由でノビノビ」は環境の悪化とともに「ナアナア」と言葉を変えてしまうのだ、と僕は考えている。


かつてお取り引き先に「社員には自由で自発性に任せている」という会社があった。急成長して、社内も明るくて、みなやる気に満ちているようだった。


ただ、一番の売れ筋商品がぱたっととまった時、売上が急激した。社内の雰囲気が悪くなった。「誰が悪い」「営業部が売らないからだ」と責任の擦り付けあいになった。


リーダーが「自由でノビノビ」を大義として志向すると、責任の所在が不明確になる。だから環境が悪くなると弱い組織になる。リーダーは「皆の自発性に任せていたのに」となり、メンバーは「それはリーダーの責任でしょ」となっていく。「自由でノビノビ」はともするとリーダーが責任をとらない、という無責任組織を生み出す恐れがあるのだ。


その会社は事業縮小を余儀無くされ、多くの社員が会社を辞めた。


「僕は社員の自発性に任せる組織を創りたいと思った。けど、そのためにはひとりひとりの高い職業人としてのモラルが必要だと痛感した」とその社長は語った。


そう、「自由でノビノビ」には職業人としての高いモラルが必要なのだ。そんなモラルを入社数年の人間に持てといっても無理だ。だからある程度の規律をつくり、「これはいやだな」ということもしていかないといけないのだ。


戦後の教育は「義務」を忘れて「自由」だけを教えた、といわれている。そのせいか、僕の考える組織論には異論を持つ人も多いかもしれない。


が、組織のリーダーとして何をするか?ということを徹底的に考えると、僕には「その組織を健全な形で永続させること」という答えしかでてこないのだ。そのためには、「自由でノビノビ」だけでは無理も限界もある。


「自由でノビノビ」は組織においてはあくまでも小義だ。リーダーは「自由」を大義にしてはならない。目的と手段を同一にしてはならない。少なくとも営利団体、のリーダーたるものは。


追記 
結果的に運動部でのいざこざは、僕らがある程度の条件を飲んでカタがついた記憶があります。まあ、後輩に手を出していたりもしてましたから反省はしきりですけどね。でも、そんなことがいい部活を作るものだと思ってました。ただ、僕の根本は当時も今もあまり変わっていないのも事実です。いや、むしろ強くなっているかもしれません。


July 16, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.15

起業予備軍の人たちへ

「週末起業」という仕事のスタイルが何年か前から流行している。「会社を辞めずに、小資本で起業するまったく新しい起業コンセプト」だという。


確かにローリスクで商売をするのは大切なことだ。けど、ぼくはこの「週末起業」に代表される起業ブームみたいなものには、ちと違和感を感じるのだ。


ある日、小資本の起業をサポートする「コンサルタント」のメールマガジンを読んでいた。するとこんな趣旨のことが書いてあった。


「あなたが今、会社員だとしましょう。会社の机の周りには何がありますか?パソコンも電話もFAXもあるでしょう。それらがタダで使えるんですよ。起業のために使わない手はないでしょう」と。本当にこれってコンサルタントを名乗っている人が書いてるの??僕は早速、作者にメールを打った。

「起業するということは、安易に依存をしないということだと思います。会社で働こうと、独立しようと他人に依存するのが習慣になっている人は、単発の「成功」はできても長期的な「成功」はできないと考えています。


会社の備品に依存するような「起業人」を、コンサルタントと名乗っている立場の人が大量生産しようとしてどうするのでしょうか??何か戦略的な意図でもあるのでしょうか??少なくとも僕はそんな「起業人」のつくり出したサービスや商品がまともだとは思えません」と。


コンサルタント氏からは、弁解のような、それでいて自己を主張するようなメールがきたが、僕は腑に落ちなかった。週末企業をしたい、という人が書いたブログだったりするのならここまで反応はしなかっただろう。僕だって会社の電話から私用電話をかけたことはあるし、PCで遊んだこともある。


けど、コンサルタントという立場の人が、こんなメールマガジンをのうのうと発行している、そしてその人が業界ではそれなりに名前の通った人だっただけに・・・僕の感性は、反応したのだ。「何考えてるんだ!!」と。


近年、いろんな働き方が登場した。週末起業もひとつの考え方としてはありだろう。実際、インターネットの発達した現在、この起業スタイルで月にいくらかの売上をあげることは可能だとも思う。


けど、そんな起業家予備軍を手ぐすね引いて待っている「コンサルタント」には要注意だ。起業マーケットは急成長しているので新規の参入者も多いと聞く。業界は有象無象であふれている。なけなしの起業資金をレベルの低い自称「コンサルタント」に費やしてはならない。


コンサルタントを選択するのであれば、「その人の仕事に対する姿勢」を確認するのがよい。インターネットでは素晴らしい事を書いているコンサルタントも、直接会って話をすると「どうも違うな?」ということがある。この場合、多くは自分の仕事に対する姿勢とコンサルタントのそれとにギャップがあることが多い。


起業ブームは喜ばしいけど、僕は一種の新興宗教ブームにも見える事もあるのだ。立派な宗教家も多いが、殺人を犯すような「宗教家」もいる。起業をしたいのであれば、「会社に残る、独立する」といった働くスタイルはともかく、この辺を他人の評判などに依存しないで見極めることが大切だと思うのだ。

追記 コンサルタントには素晴らしい能力を持っている人も多いです。実際、僕もだいぶお世話になっていますしね。多くの授業料を払いましたが、多くはアウチでした。偉そうなこといいますが、「コンサルタントを名乗るだけの勉強をしていない人が多いんだな〜」というのが実感です。

July 15, 2005 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.07.13

破壊王 永遠に

1984年大好きだったアントニオ猪木さん率いる、新日本プロレスは崩壊に直面していた。アメリカの大手プロレス団体の上陸、長州力やアニマル浜口など看板選手の移籍など・・・

僕は毎週『週刊プロレス』『週刊ゴング』を見て悩んでいた。中学3年生の自分に何ができるわけではないのだが、それほどまでに感情移入をしていたのだ、

そんな時に、明日のメインエベンター候補として入門した橋本真也が、月曜日になくなった。享年40、あまりにも早い死だ。新日本の世田谷道場にいくと、坊主頭で練習する姿がういういしかった。武藤や蝶野といった今をときめくスターが集結していた時代だ。

正直、僕はレスラーの彼に対しての思いは薄い。僕は、アントニオ猪木や坂口征二に憧れていた世代だ。この時代を知っているものには現在のプロレスはあまりにも軽いし、薄い。ただ、そんな中で存在感があった彼の死は、プロレス業界につかずはなれずのスタンスを20年以上もとっている僕には大きすぎる。

ご冥福をお祈りする。

July 13, 2005 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.07.12

私は謝りもしないし、反省もしないわ!

「私は謝りもしないし、反省もしないわ!」


ドラマ「黒革の手帳」で米倉涼子扮する銀座のママが語ったセリフに僕はしびれた。ここまで言い切られると、爽快だ。格好よすぎる!(僕は単純だ、ちょっと米倉涼子のファンになった。)


働いていると、「何があっても、私は絶対に反省しない」オーラをギンギンにさせている人がいる。何を話しても、環境や周囲やその時の状況の責任に帰す人がいる。時には無意識のうちに自分を被害者にしたりする。

周囲は「自分の責任を他に転嫁している」のだと苦々しく思う。けど、多くの場合、本人は本心から悪いと思っていない。「反省しろ!」という言葉はまず間違いなく響かない。


「反省しろ!」という人と「反省なんてしない」という人のギャップは永遠に埋まらない。そもそもの立ち位置が違うからだ。


「起きてしまったことだ、反省をしてもしょうがない」という考え方がある。逆に、「反省をして次に結び付ける」という考え方もある。


僕は後者のタイプだ。いうなれば会社経営とは「反省と行動のサイクルをいかに素早く回していくか」が全てだと考えている。


そんな僕には、「反省なんてしない」という人はちょっと怖い。


上昇気流に乗っている時であればいい。本人の持つエネルギーが、反省以上の成果を生み出すこともあるだろう。ただ、下降気流に入った時には反省という要素を生活に加えないと、なぜか分からないが同じような問題が、形を変えて次々と現れてくる。


問題を解決するには場当たり的な対応では限界がある。その根本原因をつきつめて、根っこから断ち切らないと問題は次々と襲ってくる。


そして解決されない課題は利息をつけて大きくなって僕らの目の前にあらわれる。常に、問題に追いかけられる人生が待っている。


「反省をしない!」と生涯を通じて言い切れる人はごくごくわずかだ。「ああ、あの時にこうしておけばよかった」と後悔しても、その時は遅いことが多い。


僕は昨年くらいに「先省」(せんせい)という考え方を教えていただいた。物事が起きる前に、「先」に反「省」をしてしまうのだ。


今現在の自分を将来のある時点から眺めてみる。「あの時に、ああしておけばよかったな」と将来の自分に反省をさせるのだ。これはなかなか効果的だ。物事が起きてしまってから「反省」するでも、物事が起きる前に「先省」するでも思考のエネルギーは一緒だ。


先に反省する方が、いろいろと打つ手を考えられる分だけおトクだ。「起きてしまったら反省してもしょうがない」派にはぜひともお勧めしたい思考パターンだ。


反省しない派(?)の人は、元々すごいエネルギーを持っている人が多いような気がする。それに、反省をいう作業が加わると、ものすごい強力な武器となる。


米倉涼子扮する銀座のママも幾度の危機を迎えた。ドラマの中での話だが、彼女に「反省」という行動が少しでもあれば、もっと成り上がってたのに、と思うのは僕だけだろうか?

July 12, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.07.11

大多数にご用心

「会社辞めちゃいましたよ」と一回り下の友人からメールが入った。


大学を卒業して3ヶ月。一流といわれる会社に入ったのだが「このままいてもしょうがない」と決断をしたらしい。


そういえばここ最近、彼と同じ世代の人間が何人か会社を辞めた、と聞いた。ニート(15歳から34歳までの無業者)が社会問題として注目されている時代だ、そんなに珍しい事ではないのだろう。

僕はここ数年、わずかではあるが現役の大学生と仕事でやりとりをしている。


近年、とくに顕著なのが「大学を卒業してから就職する」という学生の割合が減ったことだ。大学4年生の秋で、まだ就職をしていない学生がゴロゴロしている。


それぞれの人生だ、就職しようとしまいと勝手だ。ニートという生き方が市民権を得られ(?)はじめている現在、仕事をしないという選択肢には多くの人が集まっているようだ。


いままでは少数派だった「仕事をしない人」が大多数になっていっている、とよく「識者」といわれる人が困った顔してテレビで語っている。


僕は、凡人がもし何かしらことを成し遂げようとするのであれば、大多数が集まるフィールドで勝負してはならない、と考えている。


もし、「仕事をしない人」が大多数になっていく社会であれば、「仕事をきちんとする」という選択肢を選ぶことが自己を実現させるための戦略としては有益になってくるんではないか、と思うのだ。


僕が会社を辞めた頃、転職するのが一般化したとはいえ仕事を辞めてフラフラしている人間はまだ少数派だった。大多数は「仕事をきちんとする」派だった。


だから、会社を辞めて「仕事をしない」というフィールドに入った時に、猛スピードで走っている電車から途中下車して違う世界に来たような感覚だった。


「仕事をきちんとする」派とは一線を画したわけだ。競争したり、勝った負けたとは無縁になった感じがした。自分の可能性がちょっとひらけたような感じがした。


凡人が事をなすには、混んでいないフィールドを探して、その中で自分の個性を発揮するのが一番だ、とも思うようになっていった。事実、「仕事をしない人」のフィールドは現在と比べてかなりすいていたように思う。


僕は、会社を辞めたり、旅にでたりする中で「皆と同じ行動をする」という選択肢が一番最悪、だと思うようになっていった。皆と同じ行動、ということは自分よりも能力の高い人や才能のある人がゴロゴロしている世界に嬉々として身を置くということだからだ。


誰の影響を受けたか分からないが、僕は「皆と同じ行動をしないために」まず満員電車に乗らなくなった。住宅や車など「人が持っているから」だけの理由で買わないようにした。昼飯も人が食べる時間には食べなくなった。


広告の仕事をしている人は夜型の人が多い、だから朝仕事をすることにした。なんでもかんでも大多数と逆に逆に、と心がけた。平日にディズニーランドに行くと、乗り物が自由に乗れるようなものだ。皆と同じような行動をする、ということは相応のコストや労力がかかる。それが、この社会の現実だ。


僕は22とか23歳の選択を尊重したい。自分の人生に自分以上に責任を持てる人間はいないのだからね。


けど、皆がニートだったり、退職をしている時代というのは、仕事をしていない人が大多数となるということをちょっと考えてもらいたいのだ。大多数は一見安全なのだが、そんなことはないのだ、と。


ある新入社員はいった「個性が発揮できない会社なんです!」と。でも、非常に極論だけど、これからの社会、会社を辞めるという選択自体が没個性になっていくのかもしれない、とも思うのだ。


July 11, 2005 | | Comments (6) | TrackBack (0)

2005.07.09

夢を持つことを伝える難しさ

「教師になろう」と大学2年の頃に思った。4年の時には教育実習にいって平安文化だとか律令制度について高校生を相手に日本史の授業をした。


けど、教壇にたてばたつほど「自分には教えるものがないな」と思うようになっていった。


教育、というのは自分と生徒とが真正面から向き合うものだ。生徒は教師に対して子供の感性で、人間としての度量や力量のようなものを感じとる。正直、僕にはそれに耐えられるだけのストックのようなものがなかった。

yoshida

松下村塾で偉才を教育した吉田松陰


教育要綱(だったかな?)に従って授業をしないといけないのもイヤだった。「教えたいこと」と「教えるべきもの」には相応のギャップがあった。教員採用試験も面倒だった。今さらマークシーとの試験のための勉強が、とてつもなく時間の浪費と思えた。


そんなことで学校教育とは別のフィールドで仕事をすることになったのだが、いまでも僕の将来的な夢は教育に関わること、だ。


僕は教育で日本が変わる、とは思わない。時代は日々刻々と動いているが、その中で人間ができることなどごくわずかなことだ。逆に、僕らの意図とはうらはらに時代は自らが変化をしていっている。


教育の存在価値は、そんな時代の中を乗り切るための知識と智慧の伝播だ。荒唐無稽だが、幕末に多くの才人を排出した松下村塾みたいなものが将来的に作れれば最高だ、と思っている。


話は変わる。僕には影響を受けた経営者が何人かいる。そのうちの一人が渡邊美樹氏(ワタミ株式会社代表)だ。つぼ八のフランチャイズ経営から頭角を現し、居食屋「和民」という業態を開発し、上場一部を成し遂げた「外食産業の風雲児」だ。


「仕事をすることは人間性を高めること」、「夢に日付をいれないと夢は実現しない」、「お客さまの笑顔が世界一集まる会社」などのメッセージを渡邊氏は社員に語るらしい。人によっては、ちょっと照れくさいようなことを本気で真剣に語る。


僕はそんな氏の美意識に共感をしてしまったのだ。月に1回は講演活動をしているらしいが、できうる限り僕はおっかけをして生きて働くエネルギーをいただいている。


そんな渡邊氏が現在手がけているのが学校教育だ。中高一貫の学校の理事長となり、「夢」というキーワードを中心とした教育を行っているそうだ。


「若い人に夢がない」とは、かねてからよく言われる。その理由はさまざまとあるだろう。けど、今の中学一年生が生まれた頃にバブルは崩壊した。「景気が悪い」「リストラ」などで意気消沈した大人世代を見て「夢を持て」というのも酷な話だ。


そんな中で「外食産業の風雲児」が立ち上がった。僕はとある縁から、渡邊氏が中学生を相手に「夢を持つことの大切さ」の話をしているビデオを見た。100名ほどの学生を前に1時間ほど渡邊氏が語る。


ただ、正直いって理事長の話に学生がついていけているのか疑問だった。若い世代が「夢」といものについて免疫がないのだとしたら、外食や教育、福祉の産業で現在進行形で夢を追求している渡邊氏の存在は大きすぎて、漠然としているのではないか、と。


教育には最初から「レベルの高いモノ」を見せるという考え方もあるし、「ちょっと上のレベル」をみせるやり方もあると思う。渡邊氏の話は、かなりの「レベルの高さ」だ。


ビデオを見ていて思った。中学生の僕だったら漠然としすぎて、理解できるどころか、「理事長だからそんなことがいえるんでしょう!」と反発をしただろう。


僕は、「レベルの高いモノ」をみせて反応する若い人は少ないような気がする。逆に、この手の人は自分で勝手に夢を持っているはずだ。


学生によっては、外食産業を一代でなしとげた経営者の話よりも、高校受験に成功したOBや有名企業に就職した卒業生の話の方が具体的な夢という点では反応できる、と思うのだ。


まずは「あっ、これなら自分にも現実できそうだな」というところから徐々にできることを広げていく。そんな中で、いろんな選択肢を用意してあげる。外食産業で経営者になるでもいい、植木職人でも宇宙飛行士でも、システムエンジニアでもいろんな選択肢を示してあげる。


けど、その選択肢も、レベルの高いものから、実現性の高いモノまで用意することが大切だ。人間には越えられない、分のようなものはあるのだから。


そんな情報に触れることで「実現できるかもしれない」と生徒が思ってもらえれば、「夢を伝える教育」の役割は達成できたといえるだろう。


僕らが生きている世界を、「前の世代から引き継いだもの」ととらえるのではなく「後の世代から預かっているもの」とらえるとする。


すると僕は思うのだ。「今、自分ができることを何かしないとな」と。「あなたたちの世代はなにもしなかったではないですか」と後の世代にいわれないためにも。


僕は将来、教育の世界に従事したいと考えている。その際、生徒に夢を伝えるためには、自分みずからが夢をもって生きてきたことが大前提だ。夢を語らなかった人間が夢を語れ、とうながすのは傲慢だ。


僕はたかだか1本のビデオをみただけだ。渡邊氏の教育活動の断片しかみていないので誤解を承知の上で本稿を書いている。渡邊氏にはぜひ、自らの夢み邁進していただきたきたいと願っている。


企業経営者から教育活動、という渡邊氏は僕にとってはまだまだ「レベルの高い」存在だ。けど、渡邊氏にもっていない個性や能力を自分はもっていることを信じて夢を叶えていきたい、と思うのだ。それが、後の世代にちょこっとでも影響をするのを信じながら。

July 9, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.07.08

今日のブログ

昨日の夕方から出張にいってお昼に帰ってきた。ブログを書いて、アップしようと思ったらコンピュータの電源が切れた。だから、バックアップをとれというのに〜。

今日は残念なことに、もう一度ブログ書いて復旧させるだけの精神力と時間と体力と耐力がない。明日また、にします!

July 8, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.07

歴史に学ぶということ(新撰組をネタに)

今回はちょっと長め

俗に、「歴史は繰り返す」といわれる。例えば「変革の時代」「安定の時代」「発展の時代」の間を行き来しながら歴史は創られているととらえると、歴史は何となく解釈がしやすくなる。


今から140年ほど前、日本は国2つに割れた。江戸幕府(徳川家)を守るグループと、新国家を創ろうとするグループと。いわゆる明治維新、というやつだ。

kondou

新撰組局長 近藤勇


まさに「変革の時代」だ。270年続いた鎖国体制が終わり、絶大な権力を持っていた徳川家が幻想だと多くの人が気づいた時代。歴史の表舞台に登場したのは、大名などではなく「この国をなんとかしないと」という若者達だった。


西郷隆盛、坂本龍馬、勝海舟‥‥キラ星のごとく今の日本のラフスケッチを描いた人物が登場した。


これも「変革の時代」の特徴だ。源義経、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、歴史上の人物といわれる人は、「変革の時代」に活躍した人が多い。それだけ非凡が活躍する時代なのだろう。


こうした明治維新の時に活躍した人物で僕が好きなのが、近藤勇(新撰組局長)だ。会津藩とともに最後まで幕府を守る側についた新撰組の長。


剣術道場の跡取りから身を立て、愚連隊の集まりのような新撰組を精鋭部隊にし、35歳で反幕府軍に処刑され、命を落とすまでの数年間を「新撰組がいなければ明治維新はあと数年早かった」とまでいわしめるほど太く、短く生ききった男だ。


僕らは日々、いろんな課題に悩まされる。でもそれは、自分にだけ特別なものではなく、かつて(というようり現在も)誰かが同じように悩んでいたことが、何となく形や登場人物を変えてでてきているだけでしかない。だから、歴史には学ぶことは多い。数多くの人が営んできた人生のエッセンスを学べるからだ。


組織の長、という視点から近藤をとらえてみると非常に興味深い


1. 組織が急成長の過程で
近藤は実績をあげて出世をしていく。そうすると日常の業務よりも、大名などとの接待に忙しくなっていく。「いったい近藤局長は何の仕事してるんだ」と現場との意志疎通が図られなくなっていく。「みな分かってないな」という近藤との間にギャップが生じる。組織は見えない形で瓦解の路を歩みはじめる。


→現代もまま見受けられる話ではないだろうか?経営者が実務ばかりしてもダメだし、接待ばかりしてもダメなのだ、と僕は思う。その辺のバランスをとるのが経営者の重要な仕事だ


2.同じく、急成長の過程で
新撰組は「脱退するものは切腹」という厳しい掟が定められていた。No.2の土方歳三が中心となり父性的で、強権なリーダーシップを発揮した。組織が大きく急成長する上ではそれはよかった。ただ、組織が大きくなりはじめるとそれだけではまとまらない。新撰組は明らかにマネジメントが不足していた。


→新撰組は「幕府を守る」という明確な目標を持つ組織だった。ただ、それを機能させるにはマネジメントが必要なのだ。社長の圧倒的なリーダーシップで急成長する会社は多い。けど、それが続く会社は少ない。すくなくともマネジメントのスタイルを変えないと組織は永続しない。


3.大義や目的を守るということ
「徳川幕府を守ること」が新撰組の目的だった。ただ、その組織の目的というものは変えてはならないものなのか?組織にとって一度掲げた大義は変えてはならないものなのだろうか?近藤はそんなことを悩んだ、と思う。


→時代の流れによって経営者は戦略を変えないといけない。一度決めた目標は変えてはならない、というのは悠長だ。朝令暮改でないと、現在の早い社会では生き残れない。


近藤は度重なる幕府の失態に「本当に幕府は守るべきものなのか?」との思いをもったこともあるだろう。けど、組織としての大義とその思いの狭間で悩んだのだ、と思う。僕らにもよくあることだ。


以上、3つの事象をあげてみたがこれらって、僕ら会社をやっている人間が直面するような課題、だと思うのだ。


いわゆる文明、みたいなものは明治維新の頃よりも進化をとげたかもしれない。けど、人間というものの本質があまり変わっていない以上、こうした組織の長としての課題も常に繰り返されるのだ。


新撰組には組織をまとめたり、物事を意志決定したり、リーダーとしてのあるべき姿を考えるヒントが豊富だ、つくづく思うのだ。新撰組に関してはまたいずれ!

July 7, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.06

ネガティブな想像と事実と

個人的な体験を4つほど。

1.
「極真空手の本部道場では、練習が終わると汗の水たまりが数センチできる」「極真空手の黒帯は5人から10人の戦闘能力がある」と高校生の頃、ある本で読んだ。


強さに憧れていた僕は、「そりゃ凄い!ぜひやってみたい」と思った。けど、「俺に耐えられるかな?」とちょっと恐かった。

実際、僕は道場に入門してみた。僕が見た限りでは道場に、汗の水たまりが数センチできることはなかった。黒帯は確かに強かったが、初心者の僕が放ったパンチがあたって苦しんでいる黒帯を見て「決して超人の集まりではないな」とも思った。


2.
「今度、大学でキックボクシング部に入るんだ」と大学入学の頃、友人に話した。「やめとけって!大学の武道系の部活なんてリンチで人殺しがある世界だろ?」といわれた。


確かに某大学の空手部や応援団でそんな話があったのは知っていた。「お前のいる大学は右翼系の大学なんだから」と、いわれた。「●●大学では砂利の上で腕立てやらされるらしいぞ」ともいわれた。


そういわれると、ちょっと怖い感じ(?)のOB関係者もいたかな?と頭をかすめた。大丈夫だろうかな、とちょっと思った。


実際、僕は大学生活をこの部を中心に過ごした。もちろん五体満足だし、当然その業界筋とのやりとりもない。


3.
「会社を辞めて転職すると給料は絶対にあがらない」と勤めていた会社を辞め時に聞いた。「えっ!今以上に給料が少なくなるの?」と愕然とした。


「会社のレベル」みたいなものも下がる、といわれた。「下から上には絶対にあがれない」とも聞いた。経済的に困るだろうな、と思った。俺は普通の生活を送れるのだろうか、ともちょと不安に思った。


僕は数年後、広告代理店に就職した。社員数を会社のランクの一つの指標として考えるのなら、25分1になってしまった。それだけみると、中堅会社から中小企業に「ランクダウン」したといえるかもしれない。


けど、給料はあがった。会社のランクが下がって、転職をして中途で入った会社なのに・・・


4.
「会社が倒産すると経営者は債権者集会で糾弾される」と何かの本で読んだ。すでに会社を起こしていた僕は「そりゃ怖いな〜」と思った。一家は離散で、経営者は債権者から追い掛けられて、自宅をとられて・・。


ある時、取引先が倒産した。うちの会社も、いくらかの損失がでた。弁護士から手紙がきて、債権者集会にいった。「すみません、今回は私が至りませんで・・」と社長が挨拶をする。そして、弁護士から「資産が全くありませんので、みなさまにお返しできるお金はございません」と事務的にいった。


20人ほどいた債権者から質問がいくつかあった。糾弾するような感じではなく、「いままでの経緯を教えてくれ」だとか「何が倒産の原因だったんだ」とかいったごくごく普通の質問だ。


会議は、15分で終わった。参加者から社長に対して糾弾も罵倒もなかった。倒産した社長は軽い(?)悠々とした足取りでエレベーターに向かっていった。


人間は唯一、想像をする生き物だ。だから夢やビジョンを描けたり、芸術を生み出したりできる。けど、想像は諸刃の刃だ。時に不安や恐怖、恐れや疑心といったネガティブな想像力に僕らは襲われる。


けど多くの場合、事実はわれわれのネガティブな想像よりも簡単だし、シンプルであることが多い、と思う。人間の悩みについて書かれた名著『道は開ける』の著者D.カーネギーはいった。「年月がたつにつれて、私は徐々に自分が悩んでいたことの90パーセントは決して起こらないのを知った」と。


会社を辞める、転職する、旅に出る、事業を起こす、昇進する、新しい仕事をする・・一抹の期待とともに不安や恐れに僕らは襲われる。当たり前だ、想像力がある唯一の生き物、それが人間なのだから。


ただ、それら不安や恐れに打まかされては何もできない。時間はもったいない。一体これから先にどんな事実が待ち受けているのか、をネタにして楽しもうというような無邪気な姿勢が、何をなすにおいても重要だと僕は思うのだ。

July 6, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.05

ブランド化された広報担当

僕は月に30〜40冊くらい本を買う。だいたい買うパターンは3つに分けられる。


1. ジャンルは問わず、パラパラとめくって気になるキーワードが一つでもみつけられれば、迷わず買う。「いい本だろうか?」と選択はせず、とにかく自分の直感に頼る。


2.知り合いが「これはいい!」といった本も買う。あとは、尊敬する企業家が薦める本もほぼ買う。これは、ともすると偏りがちな読書のジャンルを広げるためだ。


3.「何でこんな本が出版されるんだろう?」という本も買う。10年後、本棚を整理していた時に、「いたいたこの人!」だと「あの頃、こんなのが流行ってたよな〜」という本も買う。

最近、僕は一冊の本を購入した。春先に一世を風靡したベンチャー企業の広報担当者の本だ。その名も『ライブドア 乙部綾子』。  


副題が「私のポジティブ仕事術40のヒント」と売れるビジネス書の王道をいっているし、さらには「スペシャル写真集収録」(!)と思わず手に取らずにはいられない要素が満載だ。


僕は個人的にくだらない本はない、と思っている。


本は読むタイミングで受け取り方が変化する。10代の頃は理解できなかった恋愛小説が、歳相応になって実感覚として分かるようになった、ということはよくあることだ。


あとは著者に対しての敬意からだ。いくら本が出しやすい時代になったとはいえ、やはり本を出すのは大変なことだ。


脳みそと時間を動員しなくいと本を書くことはできない。少なくとも僕は自分の本を出していない。やってもいないヤツがやっている人間を批判するのは無礼、というのは僕の仕事をする上で大事にしている姿勢だ。


この本を読んでいて思った。俗にいう「男に人気のある職業」ってマーケットの水平展開がないな、と。キャピタルアテンダントやアナウンサー、といった男性に人気のある職業というものがある。特に女子アナウンサーは商業マーケットとしても確立されていて、毎週ゴシップ記事が週刊誌を賑わしている。


けど、秘書にしても、看護婦にしても、デパート店員さんにしても(それが「男に人気のある職業」かどうかはさておき)商業マーケットとしては確立されていない。


一連の報道を通じて、乙部さんみたいな広報担当が企業のブランド化に役立つ、ということが実証された。今後は、「男性に人気のある職業」として広報担当や社長秘書みたいな商業マーケットができつつあるかもしれないな、と思った。


近い将来に「ブランド化された広報担当」のマーケットができるかも‥‥「そういや広報担当ブームって乙部さんからだったよね」という時代が来るかもしれないな、と感じながら読んでいた。


そんな想いを裏付ける(?)かのように巻末にライブドア堀江社長のコメントが載っていた。


世の中にある撞の親近感を持たれるキャラクター作りという観点からいうと乙部綾子は、期せずしてうまくいったということなのであろう。第二の乙部綾子を作ってみようと思った。(P190)


さすが非凡な経営者、だ。乙部さんのこの本も彼女が書いているブログも、堀江社長の「乙部キャラクター作り」戦略の一端として見ると、なかなか勉強になる。


少なくとも、乙部さんが語っている「稼ぐ男はココが違う!」「私のメール術、教えます」「運命の上司と出会う方法」に赤線を引き引き読むよりは、ライブドア堀江社長の戦略の中でこの本のポジショニングは何か、として乙部さんの本を読む方が実りは多いだろう。特に僕ら経営者には。


近年、企業が戦略の一つとして本を活用することが多くなってきた。企業のブランドを作ったり、営業のサポートをしたりするのが目的という本が増えてきた。


多くの場合、それは読み手に分からないようにカモフラージュされるのだが、「この本が出された真の目的は何か?」を読むのは一種の知的ゲームとしてなかなか面白いものだ。

やはり、くだらない本は世の中に存在しないのだ。

July 5, 2005 | | Comments (1) | TrackBack (4)

2005.07.04

臥龍、という考え方

「実力を蓄えながら、自分の時代が来るまで時を待つ龍のこと。それを中国では臥龍、といいます。長い人生、あせってもしかたがない!自分の時がくるまでがんばれ」


インドから帰国すると学生時代にお世話になった広告代理店の社長からそんな手紙がきていた。


当時の僕は迷走していた。このまま旅を続けるのか、帰国して社会復帰をするのか、と。会社を辞めて1年と半年。当初は、「会社を辞めた朝の空の青さがすがすがしかったこと!」などとみなに吹聴していたのだが、なにか建設的なことをしたい、と思うようになっていった。

さりとて、僕には仕事人として誇れるスキルがあった訳ではない。飛び込みの営業マンで2年と11ヶ月働いただけだ。そういや、いつか「これからは資格だ」と税理士試験や中小企業診断士などにも挑戦したが、長続きしなかった。求人募集などを見ても28歳くらいだと、何かしらの技術がないとそこそこ年齢制限に引っかかってくる。


学生時代の頃からの友人と話をする。すると皆が何か非常に社会のお役にたっているような印象を受ける。社会の中で存在する場所をそれぞれが20代のうちに取り合っているみたいな感覚を受ける。はじめは、それを端で見ていて、「僕は自分なりの生き方をしている」と一種の居心地の良さを感じていたのだが、僕はむしょうにその輪にくわわりたくなっていった。


僕は、住宅メーカーで1年働いて、29歳で広告代理店に転職した。いままで経験したことのない全く新しいフィールドだ。社長も専務も部長も30代の若い会社。が、ある分野では相応の地位を築いている会社だった。見ること、なす事が初めてのことばかりだった。


広告業界では、若い人や女性が相応の権限をもって仕事をしている。僕と同世代の人が一線で活躍する-これには焦りを覚えた。けど、僕には残念ながら広告人としてのスキルも、仕事を円滑に進めるための人間関係もないのだ。もし僕が「皆と肩を並べて働けるようになりたい」と思うには、実力を蓄えながら臥して時を待つしかないのだ。


そこでは、職業人としてセンスが人並みはずれてある人間を除いては一足飛びにジャンプすることはできない。イヤでも淡々と、毎日のつみかさねをしながら時を待つしかない。今思うと、そこには数多くのライバルがいるように思えた。「この業界で一人前になっていくのは大変だ」とも思えた。


けど、淡々と仕事をしていくうちに「ライバル」の数多くが幻想、だと思うようになっていった。職業人としてこうなりたい、という思いは明らかに僕のほうが強い、ということに気がついたのだ。


僕は「広告人として飯をたべていけるようになりたい」と考えた。そんな扉の前に並んだつもりだった。けど、多くの人が日々の業務に忙殺されて扉に並んでいないような気がしたのは幸いだった。


なりたい自分になる、ということは順番待ちだ。そこには、追い越し割り込みも存在しない。もちろん、魔法の階段のようなものがあるわけではない。淡々と努力(このことばはちょっと嫌いだけど‥)を続ける個人が、腕を磨きながら自分の時代がくるのを待っている。そんな職業人や
プロフェッショナルの世界があるような気がする。


僕は遅ればせながら「広告人として一人前になる」という順番に並んだ。あとは、腕をみがいて並んでいさえすれば、順番を抜ける人がでてくる、違う扉に並びはじめる人がでくる‥‥そう、いつか自分の時代がこない訳がないのだ。


今、僕の目の前には漠然とした目標のようなものがある。一応の目安としていまから7年後に「こうなっていたいな」という自分の姿だ。そこでは、何人もの先達が腕を磨きながら、自分の時がくることを既に待ちはじめている。


僕も遅ればせながらその扉に並ぶ。あとは、やることをやったらあせってもしょうがない。自分の腕をみがきながら、時の来るのを待つだけなのだ。


そこでは、「成功」できるかできないかは分からない。けど、扉に並ぶ過程で「成長」は確実に約束されているのだ。

July 4, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.02

泣けた手紙

旅先での僕の楽しみは、中央郵便局(G.P.O.)にいくことだった。旅先からハガキを出す際には「7月中旬にはチベットのラサあたりに行きます。暇なら一報を!」の一言と住所を必ず添えておいた。


住所、といってもいたって簡単だ。ラサの場合「TIBET LHASHA G.P.O. to KAZUHIKO OTSUKA」。わずかこれだけで手紙が届くのだから世界の郵便システムは素晴らしい(といっても数多くの郵便物がいまだ行方不明だが・・・)。

長い旅にでた時、僕はよく手紙を書いていた。


僕の場合、1ヶ月も旅をしていると名勝旧跡にはあまり興味をそそられなくなっていく。街から街へといった旅のスピードが徐々に落ちていく。「今日はバスのチケットをとりにいった!」といっては一仕事した感じになっていく。チャイなどを飲みながら、一日ぼーっとしたりする日が増えていく。そういや今日一日誰とも話してないな、と夜になって気がついたりする。


旅先から自分を見つめて、手紙を書く・・・なーんてことは全くない。要はヒマで人とのコミュニケーションに飢えていたのだ。それともなきゃ、「僕は旅にでてこんな生き方をしている」という傲慢な自己主張だろうか・・。


そんな僕にとっては、手紙をいただくのは何より楽しみだった。知り合った旅行者と連れ添ってG.P.O.に行く。手紙があった奴は、それこそ欣喜し。手紙がみつけられなかた奴は落胆し、「明日こそは」と唇を噛む。そんなことに明け暮れていたのだ。所詮、それが僕の旅の現実だ。


そんな僕がちょっと涙した手紙がある。


1997年、チベットに向かった僕は高山病にかかった。チベット入り起点となる中国のゴルムドからラサまでバスで44時間。悪路に続く悪路と、標高5,000メートルをこえる山脈越えにすっかりと体がまいってしまった。


ラサに到着し、ようやくとホテルを見つけたが、呼吸は苦しいわ頭は痛いわで全く動けない。何せ息が続かないので1階から2階にいくだけで15分はかかるのだ。食事ものどを通らず、なぜかやたらと蠅がたかる。幻覚がみえる。なぜかバングラディッシュで苦しんでいる僕が見える。


酸素ボンベで濃い酸素をを吸うのだが一向に回復しない。宿にあったガイドブックにも「高山病は最悪死に至る。治らない場合は平地にいくしかない」と書いてある。近い平地といえばネパールあたりだろうが、そのネパールにいく気力と体力がない・・・そんな日が1週間も続いただろうか。僕はかなり精神的にまいっていた。ちょっと旅にでたことを後悔していた。


だが、結果的に回復した。(ここにもちょっとしたドラマ?があったがこれはいずれ)回復して僕がまっさきに訪れたのがラサのG.P.O.だった。


そこには1通の手紙がきていた。旅に出るちょっと前に、「若者はなぜ旅にでるか」といったNHKの番組に僕は出演した。その収録でプロデューサーから紹介された女性からだった。


手紙には「自分をとりまく現実はどこまでも追い掛けてくる。旅は逃げではなくて、現実に向かう事なんだ」みたいなことが書いてあった。チベットの土地で高山病にかかって精神的に不安で、旅にでてきた現実をちょっとだけ後悔していた僕にはなんだか響く言葉の数々だった。僕はラサのGPOの前で泣けてきた。


数カ月後、帰国をするとその女性は日本にいなかった。「海外で日本語教師になる」といっていたが、その夢の実現に向けて旅立った後だった。以来8年あまり、その女性と会うチャンスはなかった。あのラサでの手紙が最後だった。


その女性はもう手紙を送ったことも忘れているかもしれない、とも思う。けど、自分が何気なく書いた一言が読み手を自分の想像以上に感動させたり、歓ばせたり、感傷に浸らせたりするんだということはいずれどんな形でも伝えたい、と思うのだ。


僕はブログというメディアを使って自分を表現する。それがこれからの経営者として必須だと思うからだ。ただ、表現するということは時に人を不快にさせたり、傷つけたりする可能性を併せ持つ。


けど僕の表現することが、読み手に対してわずかでもプラスの影響力があるであれば、それは表現なされるべきだろう。「人生観が変わった」「感動した」などといった大それたものではなく、「ちょっと気合いが入った」「なるほど!と思った」でも表現する価値はあるはずだ。


それを地道に行っていくことが、「広告」というモノや商品を表現する世界でメシを食べている経営者としての使命だとも思うのだ。

July 2, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.07.01

鳴らない携帯電話

かつて、携断連(けいだんれん)という組織が存在した。「携帯電話を、断固として拒否する 連合会」の意で、僕は会長だった。1996年当時、日本に普及し始めた携帯電話を断固として持たない、という主旨で会員は僕以外に3人いた。


1970年生まれの僕は20代中半にインターネット革命に遭遇した。社会人になりたての頃は、ウィンドウズも携帯電話もインターネットも少なくとも僕の周辺には存在しなかった。そんな中でひたすらアナログにこだわる一部の人種(?)がいた。僕はそんな一人だった。

ただ、携断連は数年で解散を迎える。会長の僕が真っ先に志(?)を曲げて携帯電話を持ち始めたのだ。「電話がないとさすがに‥」という職場の空気に負けたのだ。けど、持ってみるとこりゃ便利だ。携帯電話は仕事で欠かせないツールとなりはじめていった。


それから数年後、僕は会社を創業した。社員2人の小さな所帯、外出することも多いのでクライアントや協力業者にはすべて携帯に電話をするようにお願いした。1日に20〜30件の電話が鳴る。ものすごく多忙な日々だったが、一つ一つの電話が創業した僕には有難かった。それが業績に結びつくのだと信じて疑わなかった。


そんな時に僕はあるセミナーの席上、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったコンサルタントから衝撃的な話を聞く。「社長の携帯電話はかけるもの。携帯電話がガンガン鳴っているようではいつまでも儲からない」と。


僕の中でこれは大きなパラダイム変革だった。創業期はともかく、ある程度会社がまわり始めたら社長の仕事は将来を考えたりすること。そのためには携帯が鳴らない仕組みをつくることが大切、という話だった。


僕はすぐさま実行にとりかかった。基本的に携帯電話の番号を教える事を少なくした。今まで電話をしていた案件をメールに切り替えた。付き合いの幅を狭めた。飲みに行く回数を減らした。仕事を社員にどんどんとお願いするようになっていった。


数ヶ月後、結果は具体的に現れていった。僕の携帯はどんどんと鳴らなくなっていった。それと反比例するかように会社の業績は上がっていった。創業時は社長のエネルギーが会社を発展させる。その時期を過ぎれば、社長の携帯電話が鳴る件数と業績には一定の因果関係があるのでは、と思うようになっていった。


けど、最近思うのだ。「携帯電話が鳴らないと寂しいな」と。先週末、僕はアメリカに5日間でかけた。成田に帰国して、早速携帯の留守番電話をチェックする。


「お預かりしているメッセージはありません」の寂しい機械音。メールをチェックする、受信件数は僅か2件。仕事の本線とはあまり関係のないメール、だ。アメリカでは携帯を持っていなかったのだから、もうちょっと電話があると思ったんだけど‥‥。


僕の周りで「この人は凄いな!」という経営者には2パターン存在する。僕のように携帯がほとんど鳴らないタイプと、ガンガンと携帯が鳴るタイプと。何とはなしに、中間はあまりないような気がする。


僕は携帯が鳴らない、という選択肢を選んだ。その結果、業績はあがったが、一抹の寂しさ(?)を覚えるようになっていった。携帯依存症、というのがあるらしいが、やはり携帯電話は人と人とが結びついているのを実感できるツールなのだ。


人はコミュニケーションを通じて、生きるためのエネルギーを他人からもらっている。そう考えると、携帯が鳴らないということは生きるエネルギーが不足しているのでは、とも最近は思うのだ。僕は鳴らない携帯をみつめて考える。もう一度、携帯が鳴るような仕事のスタイルに戻そうか、と。


追記 尚、携断連メンバーのうち、一人を除いてはみな携帯を持ち始めた。その最後の砦の一人は、自宅の電話も毎月基本料だけ、という筋金入りの男だ。世の中に日和らない姿勢は友人ながら素敵すぎる。


July 1, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)