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2005.08.31

偉くなって変わったな

「お前、偉くなって変わったよな」と会社をつくってからいわれたことが何回かある。


ある時は、電話では済まないような内容を簡単に済ませようとして注意をされた。「以前のお前だったらきちんと訪問して話にきただろう!」と。


お客さまでもあり、大学の先輩でもあるこの方の言葉は真をついていただけに痛かった。創業してから1年とちょっと、ようやくと会社の萌芽ができはじめた頃の話だ。「俺にもできる!」と会社経営に手ごたえを感じていて、確かに調子に乗っていた時期だったのでこの言葉は厳しくも有り難かった。

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創業時につくった会社を潰さない12の必要要件
1番目が「経営者の高慢及び経営能力の過信」となっている


経営者が罹る病気の一つに「高慢病」というものがある。文字どおり、自分の地位や能力などを鼻にかけて舞い上がってしまう病気だ。この病気は自分では自覚症状がないのが恐い。そして、一度かかると係わりある方の信用を根こそぎ失ってしまう可能性を持っている点でかなりの難病だといえる。


僕も自分なりには気を付けているつもりだが、たまに「お前変わったよな」と言われるとハッとする。知らず知らずのうちにこの病気におかされていた自分に・・。自分に対して的確なアドバイスや注意をいただける周囲の人の存在なしには、この病気は防ぎようがない。


僕にとってのこの病気の当座の対処法は、「朝早くから働くこと」「必要以外の場所でタクシーに乗り過ぎないこと」、あとは「分不相応の付合いはしないこと」だ。


僕は、何となくこの3つさえ押さえておけば高慢病の萌芽はつめるのではないか、と考えている。(朝起きと分不相応はともかく、タクシーはちょっと最近増えぎみです。絶対に乗らないということではなくて、必要以外の時は極力乗らない、ということなのですが・・)


全くの私論だが、自分の経験からこれらを守らないとかなりの確率で高慢ウィルスがやってくるようだ。


そんな一方で、「偉くなって変わったよな」と言われる事が褒め言葉(?)のケースもある。それは、その言葉をいっている方に進歩や成長がなく、単に観念的に、半分はやっかみでいっているケースだ。


僕は人間って「偉くなったから変わる」のではなく、「変わったから、偉くなる」存在だと考えている。(自分が偉くりたいか、はともかくとしてね)


「変化できる、昨日の自分を打ち破れる」ということは経営者として何よりの必要条件だ。昔のままのやり方や考え方に固執していてはすぐ時代に翻弄されてしまう、僕らが生きているのはそんな厳しい時代だ。そんな時代では、「経営者の仕事は変わること」といいきってもいいくらい大事なことだ。


極論だが、そんな時代で偉くなれるのは、変われる経営者だけだ。仕事のやり方、事業の戦略はもちろん、家族との生活、プライベートでの遊ぶ場所や遊び方、読む本や観ている映画、時間をともにする友人など・・成長していく自分にあわせて自らが意識して変えていかなくてはならない。でないと次のステージは見えにくいままだ、と思う。


そんな人間をみて「お前、変わったなあ」とちゃちゃを入れるような輩もこの世の中には案外と多いのだから注意だ。そんな人の言葉に惑わされてしまってはならない。そんな場合は、僕らの努力や進歩が形になりつつある、と素直に思えばいい。それは高慢病とは一線を画す、と僕は考えている。要は「お前変わったな」という周囲の言葉に自分の感性がどう反応するか、だ。


「お前、変わったな」という言葉は、僕らにとって自分を戒めてくれる言葉である一方、僕らがきちんと変化をしている事に気をつかせてくれる言葉、でもあるといえる。


いずれにしても、言われてハッとする「お前、変わったな」とは無縁でいたいものだ。


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追記
飯を食べた中華料理屋さんで、壁に飾ってあるサインが目にとまりました。「真鍋」って書いてあるのでブログの女王・真鍋かおりさんのサインかと思ったのですが、「82.7.16」という日付け、「pansy」という文字から考えると、伝説の(?)グループ、パンジーの真鍋ちえみさんのサインでは!!だからどう、ということではないのですが、ちょっと感動(?)したので写真に納めました。同じ世代の皆さんは知ってますよね??

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August 31, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.30

ある経営者の死

ご縁がある経営者が亡くなったそうだ。(まだ直接は死の事実を聞いてはいないのだが、いろんな客観的な事実から考えると間違いはないと思う)


その方とは年に1、2度開催される経営者向けのセミナーで顔をあわせるくらいの仲だった。


深い話はしたことないが、たまにお会いするとアルバイトやパートさん活用の話、新規事業への参入の話などをしていただいた。自身の経験を交えながらの話は、本人がある業界に外部から参入して大きな成果を挙げた方だけに大変に参考となる話ばかりだった。

まだ40代前半、だったそうだ。自分が創業した会社を残して亡くなっていくなんて、なんて無念だっただろう、と思う。


人は自らの死を選んでこの世の中に生まれてきた、という考え方がある。人の死には残されたものへの何かしらのメッセージ、という考え方がある。人の死は肉体の死であって魂は生き続けている、という考え方がある。


けど、同じ時代を生きている若い方の死に直面すると、そんなことは後づけ哲学にしかすぎないんではないか、と僕は思う。死に直面した人、それを取り巻く周りの人が、自らの苦悩を乗り越えるための手段であり哲学でしかないんではないか、と思う。


そんな哲学って大切なことなんだろうけど・・・その経営者がどのような思いをもって亡くなったのかは分からない。けど、僕が同じ立場だったら無念で悔しくて心残りでたまらないだろう。


僕はまだ自分の死が現実的ではないけど、臨終に際しては「この世の中には何もやり残したことはない」といって亡くなるよりも、「まだ行きたくない」と無念で悔しくて心残りのままで死んでいきたい、と思う。「あなたの死には意味がある」なんていってもらうよりも、「お前の無念、俺(私)が果たす」と周囲にいわれて死んでいきたい、とも思う。


僕はその経営者とたまたま同じ時代を、同じような仕事をして生きてきた。一年に数回のご縁しかなかった方だが、そんな出会いであっても奇跡的だ。同じ時代を生きた同志としてその経営者の分まで生き切らないと、と考えた。


ご冥福をお祈りします。


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August 30, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.29

あの時、左にいっていれば・・

「あの時、左ではなく右にいったから人生大きく変わっていたな」という瞬間が僕にはいくつかある。


その一つは、大学入学時のオリエンテーションの時。教室にはじめてむかった瞬間だ。


階段をのぼって左に行くべき所を、僕は過って右に向かってしまった。すると、一人の男性が声をかけてきた。「君、新入生??クラブ決まったの??」と。

彼は応援団の学生だった。時はバブル、いろんなサークルが華やかな勧誘をしている中、僕に初めて声をかけてきたのが応援団だった、といのもいかにもな話だ。


僕は極真空手の本部道場に入門していたので、大学の運動部と二足の草鞋をはくつもりはなかった。「僕は他にやりたいことがありますんで」とやんわりと断った。が、そんなことで引き下がる人たちではない。「何をやりたいの?」という話から、つい僕は「空手をやっている」という話をしてしまった。


その日から、「史学科1年3組10番」は武道系学生からマークをされることになる。個人情報保護法案などない時代、僕の個人データは完全に流出した。「空手をやっているでかい奴がいるぞ」と。


授業が終わると、教室の前後から合気道部だとか、少林寺拳法部だとか、空手部、キックボクシング部だとかの学生がやってくる。「一度、練習に来てくれ」としつこい勧誘だ。さりとて僕はあまり嫌ではなかった。大学で運動部に入るっていうのはちょっと夢でもあったのだ。


それは高校時代の柔道部の恩師が語っていた一言だ。


「武道やスポーツは始めるのに遅すぎる事はない。だから、他の人が中学の3年間でやったことは、高校の1年間で取り返せる。高校の3年間でやったことは、大学の1年間で取り返せる。けど、大学の4年間でやったことは、一生かかっても取り戻せない」と。

そんだけ奥が深いのが大学の運動部だ、といっていた言葉はなぜか僕の感性に引っ掛かっていた。そんなこと自分の言葉でいってみたいな、と。


僕は興味本意の直感で、少林寺拳法部とキックボクシング部の練習に参加することにした。


正直、僕は少林寺とキックをバカにしていた。当時の僕は空手が格闘技最強だと思っていたからだ。当時の僕は、屈強な体格の人がお互いの持てる力を出し合うのが武道だと思っていた。空手の業界にいくと、80㎏以上あった僕でも小柄である。けど、少林寺やキックをやっている方はみなさん小さくて、弱い感じがした。(見た目は恐かったが・・)


が、その思いは50キロ前後しかないキックボクシング部の先輩とスパーリングをして粉々にされた。3分の間、僕は先輩に全く触る事ができなかった。しかも、ハイキックを4発も5発ももらってヘロヘロだった。空手でできつつあった「おれはちょっとやれるかもよ」という自信は粉砕された。更に、この先輩がキックボクシング部の中では特別強いという訳ではなかったことに衝撃を覚えた。


「すげえ〜、こんなに小さい人がこんなに強いなんて!!」それは、僕が空手を辞めて、キックボクシング部に入部をしようと思った瞬間だった。それから大学の4年間はこの部を中心に学生生活がまわっていった。


昨日、そのキックボクシング部に僕を熱心に勧誘していただいた先輩が自宅にいらっしゃった。僕の結婚式にいらして以来だから3年ぶりか。


蓼科や伊豆に学生服で合宿に出かけた時も、金がないといってはヤバいアルバイトに出向いた時も、政治家のボディガードをして選挙カーで回った時も、場末の街で飲みにでかけた時も、そんな街々でバトルを繰り広げたときもその先輩の姿があった。


もしもこの先輩と会わなかったら僕の人生はどういう方向に展開していただろう。もしも僕があの時に右ではなく、左にいっていたら僕の人生はどうなっていただろう。僕の人生は粛々と進んでいただろうが、今ほどは面白、おかしくははなかったかもな。


出会った頃は、「思い掛けない偶然の出会い」と思えたものが、時がたつと必然みたいに感じてくることがある。この人との出合いは必ず訪れるべきだった、と思えたりすることがある。


へべれけになって、上半身裸になって学生の時と全く変わらない振り付けで踊る先輩を見てそんな事を思った。


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追記
最近は夜の飲み食いが多いので2キロ太りました。今週はジム強化週間にします。今、決まっている予定以外は絶対に夜の約束を入れない、と思ってますが意志が続くかしらん???

August 29, 2005 | | Comments (7) | TrackBack (0)

2005.08.28

10日もたてば過去のこと

小学4年生の頃、僕にはコンプレックスがあった。


そのことを考えると、これから先の将来は苦悩と悲哀に充ちていて、夜も満足に眠れず、生んでくれた親を恨むこともしばしばだった。


悩みはどれくらい続いたのだろう?


ちょっと忘れてしまったが、「たのきんトリオ」(1980〜83)が世の中に現れるまで僕はこの悩みにつきまとわれた記憶がある。

その悩み、とは自分の名前だった。


はじまりは、友人と喧嘩をした際に「お前は名前の最後に『こ』がつくから女だ!!」といわれたのが原因だった。


僕は和彦(かずひこ)という名前だ。


「○子」という名前などではなく、単に読み方が「かずひこ」というだけなのだが、子供の僕にはショックだった。周りを見渡すと「浩二」「俊一」「祐治」「隆義」と男らしい名前が居並ぶ。


唯一名前に「こ」がつく男のクラスメート、橋○秀彦君は、「おかま」だとか「すぐ泣く」だとかいわれて、男らしいとはほど遠いクラスメートだったのも僕を撃沈させる要因だった。


痩せてて、体も弱かった僕は真剣にこの名前のせいだ、と考えた。


そんな僕を救ってくれたのがテレビドラマ「三年B組金八先生」から登場したアイドルグループ「たのきんトリオ」だった。


田原、野村、近藤の名字をとって「たのきん」と名づけられたこの伝説(?)のグループには、「田原俊彦」(としちゃん)「近藤真彦」(マッチ)と名前に「こ」を持つメンバーが2人もいたのだ!


更に「義男」と勇ましい名前を持つ野村義男(よっちゃん)が、一番陰が薄く、ちょっと女々しいキャラだったのも僕の自信を復活させるのに拍車をかけた。当時、爆発的な人気を誇ったこのグループの登場で僕の悩みは霧散することになる。


さて、ここから一つネタを考えよう。


悩みとは無縁、という人はいないはずだ。それは小学生であれ、ビジネスマンであれ、お年寄りであれ変わらない。人にはその人格や人間性、ステージに応じた悩みが用意されている。精神世界風にいうと、それらは僕らが生まれる前に僕ら自身が用意している、といわれる。そんな悩みを乗り越えて、魂を磨いて自分を進化させるのが生きる目的だとされる。


だから悩みに対するマネジメントの技術を僕らは手に入れる必要がある。


去年、とある仕事で揉めに揉めた。ある格闘技のイベントだったのだが、「ああでもない」「こうでもない」と邪魔をする輩がいたのだ。それもそこそこ力のある人だったので最悪だ。イベントの当日(といいうより進行中も)揉めて、僕の師匠筋にあたる方々は疲弊していた。そんな中で15年来のお付き合いをしている先輩がこういわれた。「腹が立ってもしょせん10日もたてば過去のことだしな」と。


そうなんだ、悩みやいらいらの多くは時間が解決してくれるのだ。


「たのきんの登場」で悩みが霧散していたと思っていたけど、結局のところはある程度の時間の経過で悩みの質が変化していて、たのきんという触媒がたまたま現れたにすぎなかったにすぎない。つまるとこは時間の経過が僕の悩みを解決してくれたのだ。それ以来、僕は悩んだり、いらいらしたりすると呪文のごとく「10日もしたら過去のこと」「10日もしたら過去のこと」と唱え続ける。


悩みだとかいらいらは僕らが正しく考えるスタミナを奪ってしまう。現実と向き合う体力や勇気を奪ってしまう。とにもかくにも10日間もたてば過去のことなのだ。考えてみるといい、10日前に食べたものなど覚えてはいないではないか。僕らは幸いにもその程度の記憶メモリーしか持ち合わせてはいない生き物なのだ。


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追記
たのきんトリオは、としちゃんが仕事で干されて、マッチが自動車レースにのめり込み、最終的には浜崎あゆみのバックバンドをつとめるよっちゃんが芸能界で居場所をキープしているような感があります。25年前の日本で誰がそんなことを予想したでしょうね??(僕はちなみによっちゃんが好きでした)

August 28, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.26

リーダーが行う言葉のマネジメント

「お前」という言葉がある。


仲の良い友人同士であれば、親しみの意味が込められているニュアンスがある。「お前」ではなく「お前さん」となると、上の人が下の人をねぎらうような語感がある。


が、上司が部下に「お前」とやると非常にぞんざいで傲慢な言葉となる。もちろん、「お前、本当に分かってるのか??」という具合に、怒っている時にこの言葉が出てしまうことはあるかもしれない。


が、ごくごく普通の日常会話で「お前」が普通になってしまうと最悪だ。

「お前、今月の売上予定はどうなんだ?」
「お前、○○会社は今月いけるか??」
「お前、来月は実家に戻るのか??」
その昔にお世話になった僕の上司は「お前」を多用する方だった。


初めは、「俺は部下だししょうがないな」と思っていたが、ある時点からとてもストレスになっている自分に気がついた。「俺は少なくともお前といわれるような生き方はしてない」と。


それから僕のささやかな抵抗がはじまった。


「お前」と呼ばれても聞こえないふりをした。「お前って言葉はよくないですよ」と遠回しに、ぼやかして酒の席で話をした。ご本人はそんなに気にとめてない、それが問題だったが徐々に少なくなっていった。


けれど、結局のところは会社を辞めるまで、僕は「お前」「お前」といわれ続けた。


話は突然に変わる。


ライブドアの乙部さんの本を再び読んだ。するとこんな記述があるのに気がついた。


(堀江社長が)「綾子さぁ、あれはどうなったんだっけ?」と話しかけてきて、私の心をほぐそうとするんです。(『ライブドア広報 乙部綾子』P148より)


「へえ〜、堀江社長って乙部さんを綾子って呼んでるんだ!」


ひとぞれぞれだから文句をいうつもりはないけど、僕は違和感を感じた。


堀江さんは、他の女性社員も名前で呼ぶのだろうか?尚美だとか、百合子だとか、晶子だとか、聡美だとか、京子だとか??もし、そんなだったら凄いね。僕はうらやましくも何ともないけど、単純に凄っ(一部軽蔑)、と思う。

 
けど、綾子さん(及び側近?の一部女性社員)を除いては、田中さんだとか、藤崎さんだとか、江藤さんだとか、高田さんだとかと呼んでいたら呼ばれたその人達はどう思うのだろう??僕だったら嫌だね。何か取り残された?みたいで。


ライブドアには知り合いがいるので、ちょっと聞いてみよう。


さて、ここからひとつネタを展開しよう。


僕は、かつてムカムカイライラした経験から、社員及びお取引先を「お前」呼ばわりはしない。(怒った時を除く)同様に、あだ名や名前で呼ぶこともしない。周りで聞く人によっては誤解を招くし、だいいち名字で呼んでいないと、いざ怒る時にやりづらいではないか。


だから僕はなるべく年上の方には「さん」「先生」で、年下には「さん」「君」づけで呼ぶ。これはお客さんはもちろん、僕らがお金を払っている業者さんでも変わらない。これは僕のプチ経営哲学の中の「リーダーかくあるべし」の根底をなしている。


組織は、今のままでいいんだよ、だとか何があっても守られているといった「母性」。これはいい、これはダメだといった価値観を明確にする「父性」。自由でわきあいあいにノビノビやっていく「子供性」。それぞれの側面が織りなって成長、進化していく。


「母性」が前面にでると、自分では何も動けない無用の長物みたいな組織になるし。「父性」が前面にでると、厳しくてしんどいイケイケの組織になる。「子供性」が前面にでると、子供のあつまりみたいなシロウト組織になる。


名前やあだ名が跋扈する組織は「子供性」の象徴だ。ベンチャー企業がビジネスマンとしては未成熟な人の集まり、として一般にはとらえられがちなのもこの点においてであろう。


僕は個々の社員は、「子供性」を前面に出して仕事をすればよい、と思う。けど、リーダーの使命感を持っている人間は、組織の「子供性」が暴走しないように、「父性」の側面をきちっともっていないといけない。自分なりの仕事観をもっていて、「これはよくてこれはダメ」を打ち出せないといけない。


「人は人だし」だとか、「人間は生まれながらに自由」みたいな美名をタテしてここ数年で組織から急速に父性が失われた。


小中学校の学級崩壊などその際たるものだろう。先生が「子供性」と「母性」ばかりで「教育」しているので、生徒になめられているのだ。(いうだけなら誰にでもいえますけど、教育現場で「僕がやれば」という自信はありますよ)


近しい先輩後輩の関係なら「子供性」ばかりもありだろう。飲んで和気あいあいとやるのもいいだろう。


しかし、「上司と部下」「リーダーとメンバー」という関係においては「子供性」ばかりも「母性」ばかりもありえない。それはリーダーとしての責務を放棄しているに等しい。


たかだか名前の呼び方だが、物事は常に小事が大事の性格を方向づける。もし自分にリーダーの自覚があるのであれば、簡単に考えてはいけない。


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追記
明後日は僕の師匠が千葉から東京にこられます。久方ぶりにお会いするのが楽しみです。

August 26, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.25

三つ子の魂・・・

「宿題は7月中に終えて8月は遊びまくろう」


夏休みがはじまった時にはそんなことを考えるのだが、
だいたい3日もたたないうちに挫折する。


小中学生の頃からのそんな性格は今でも変わっていない。


今日は月に1回の研修なのに、まだ宿題が終わっていない。毎日つけなければいけない日誌も中途半端だ・・・


昨日やればいいのに、銀座で古くからの腐れ縁(?)の方々とご飯をたべて、パンケーキをたべてワインと焼酎とビールとシャンパンにすっかりとKOされてしまった。


意思が弱いのか、酒の誘惑に弱いのか・・・


毎日ブログを書く、ということはそんな僕への挑戦であり、鍛錬の場でもある。


最近はまったりとした内容(?)が多かったけど、明日からは気合いをいれてまた書きます!これから宿題を片付けるので、今日もこの辺で!


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August 25, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.08.24

インドに行きたい・・

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たまーにインドに行きたくなる。
バラナシの沐浴場の近くでチャイを飲みながら
ぼーっとしたくなる。


人生はバランスだ。
陰に極まれば、陽に反発していく。


時間や予定に追われまくると、ぼーっとしたくなる。


そういやここ1ヶ月ほどは昼も夜もかなり突っ走った。
ちょっと「いろんな予定が入っているモード」に極まりすぎてしまった。
こんな時は無理をしてでも、休まないといけない。


「おいジャパニ!!そんなに突っ走って何があるんだ??」
とインド人のせせら笑いが聞こえるような気がする。


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August 24, 2005 | | Comments (7) | TrackBack (0)

2005.08.23

格闘技のお手伝い

昨日は、代々木第2体育館で開催された、格闘技のイベント「TITANS」の手伝いにいってきた。僕の役割は「大会ディレクター」。名前だけき聞くと格好いいが、要は裏方全般だ。

いろんな人に怒られて、いろんな人に文句を言われたが大会は相応に盛り上がりをみせて終わった。
終わりよければ全てよし、といっていいだろう。

メインエベントはK-1でも有名な武田幸三選手が壮絶なKO負けをして幕を閉じ、非常に残念だったが・・

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現役ムエタイチャンピオンと武田選手に勝ったジョン・ウェイン・パー選手(右)


昨日までは、こちらの準備に力をいれる事が多くて回りの方にいろいろとご迷惑をおかけしました。今日からはきちんと本業に精を出します。


昨日は夜、遅かったので今日はこのあたりで。


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August 23, 2005 | | Comments (5) | TrackBack (0)

2005.08.22

30歳までには何とかしたい

「30歳までには、自分の進むべき方向を決めないと」と僕は社会人として働きはじめた23歳の頃に考えていた。


「今の仕事を一生続けているイメージは湧かない。将来は何かしら手に職をつけて転職しよう」と考えた。


まずは、「最低3年は働かないと社会人として認められないから、嫌でも3年は働く」という戦略がでてきた。次に「勉強をして人にはないスキルを身につけよう」という戦略がでてきた。転職本を読むと「人にはない自分だけのスキルをつける」みたいなことの重要性が書いてあったからだ。

更には、「28歳くらいになると転職の幅が狭まってくる、だからそれまでにはある程度の方向性はつけたいな」という戦略がでてきた。


つまり23歳だった僕は、「28歳くらいまでに人にはないスキルを身につけて、転職市場でそこそこの価値ある人材になる」なーんてことを考えていたのだ。


僕が採用の面接官として数百人の人にお会いした経験から、23歳の僕が考えたようなことは常識はずれのことではない、と感じている。


特に「30歳までには何とかしないと」というのは極めて一般的な思考パターンのようだ。30歳までに自分の進むべき道を明確にして、あとは仕事にまい進する、というイメージは少なくとも僕と同じ世代を生きてきた人であれば何となく漠然と持っていた(いる)はずだ。


今日は、この「30歳までには何とか」をネタにしよう。


僕は、26歳から2年間、旅をしながらアルバイトをする日々を過ごした。そんなだから「30歳までにどうの」といえなくなってしまった。帰国しても仕事がないのだからお先は真っ暗、だ。「30歳までに」よりも、まずは当座の生活資金を稼がなくてはならない。


でも、僕は妙な解放感(?)を味わっていた。それは「30歳までに自分の方向性をつける」という呪縛からの解放だ。だいたい、「30歳までに」の根拠なんて全く無いではないか。人それぞれ成長や進化のスピードは違うのだから。


旅をして僕は考えた。「僕らは目に見えないものに生き急がされている」と。


僕らのいる社会は長い軸で物事を考えられない構造を持っている。


学生時代は「いい就職先」を考え、就職すれば「いい転職先」や「会社での出世」を考えさせられる。転職や出世に成功したら「いい老後」について考え、いい老後を迎えられれば「病気や死」が直面してくる。誰が音頭をとっている訳ではないのだが、ちょっと先にあることを意識しながら生活をしていかざるをえない構造が存在している。


旅に出る、ということはそんな「生き急ぎ」レースからの棄権だ。考えてもみるといい、履歴書に2年間の空白ができる時点で、ごくごく普通の社会人としての就職は困難になる。(実際はそうでもないと思うけど)


逆にいうと、だから自分の道を思考省略しないで自分で考えないといけなくなってくる。裏口入学や敗者復活戦を探さざるを得なくなったりする。(実際に社会には裏口入学や敗者復活が多い、と僕は思います)


そんなことをしているうちに「30代までには」という職業人が「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」と消化不良になってきて仕事に焦ったり、悩むようになってくる。そんな中で、センスのいい職業人が「生き急ぎ」に気がついて生き方を変えたりする。


僕は旅をしていて、30代や40代で長旅をしている人と多く出会った。そんな人らを見て僕は考えた。「別に自分の道を定めるのに40代だろうが、50代だろうがいいではないか」と。


自分の人生の時間軸を、短いものから長いものに変えるだけで自分の可能性は広まってくる。特急電車に乗るのもいだろうが、各駅停車にでも乗った感覚で自分を見つめてみてもいいのではないか、と思うのだ。そんな中で自分の方向をみつけりゃいいのだ。


ただし、1点だけ気をつけないといけない、と僕は考えている。仕事をする上での基礎体力は20代や30代のうちにしか身につけられない、と。


自分の道が決まらないから仕事に力が入らない、というのは理解できる。だから、といって力を抜いた仕事をしていたら仕事をする体力や筋肉、持久力のようなものは永遠に身につかない。


将来的に、自分の進むべき方向が見つかったとしても、練習不足や運動不足でよいパフォーマンスを挙げられなくなってしまっている。「読み、書き、そろばん」と昔の人はいったが、それらを中心にビジネスを行うだけの筋力だけはつけておかないといけない。


その筋力は、机上の勉強でつくものではない。ビジネスの現場で数々起こるトラブルや課題ととりくんでいるうちに身についていくものだ。


人生に長い時間軸を持つ、だけでは不十分だ。長い時間軸を持つからこそ、日々の練習を怠らないようにしないといけない。特に20代のころは先輩やら上司やらで溢れているので好環境だ。ある程度、強制される仕事をしないと、職業人として未成熟の人間のがんばりなんてきかないからだ。


もし今の僕が20代で「30歳までには何とか」と悶々としているのなら、まずは目の前の仕事をきちんとやってビジネスの筋力を鍛えるだろう。(その結果として自分を取り巻く環境が変わらないのなら、ずっと居続ける場所ではない、と考えて転職をするだろう)


ビジネスの筋力さえついてしまえば、何をやるにも応用がきく。机上で資格の勉強をするよりはこれからの時代、可能性は広がってくるだろう。


資格はアプリケーションソフトと一緒だ。(一生懸命勉強している人すみませんがあくまでも極論です)「エクセルができる」「ワードができる」と感覚的には同じだ。僕は、アプリケーションを使う能力〜仕事を通して得られた企画力やら読解力、文書力やら忍耐力〜の方が職業人としては重要だと考えている。


アプリケーションはいつか廃れる時がくる(ことが多い)。けど、ビジネス能力は一度つけば半永久的に応用が利く。


これらの能力が30歳までに完璧に身につけるできないことからも、「30歳までには」にはちょっと眉唾でいた方がいいと僕は考える。もうちょっと長い時間軸をとったところで全く問題は無いだろう。20代は仕事をするスタートダッシュに立つまでの準備期間、くらいに思った方が自分をいじめないでいいのではないだろうか。


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追記
僕は、いろんな資格勉強に手をだしましたがすべて、途中で投げ出しました。「人にないスキル」=「資格」と思われがちですが、資格になるほどまでに学問が体系化された時点で「人にはないスキル」ではないと思います。(負け惜しみ??)資格の最高峰である弁護士でも食べられない人は数多くいるとききます。弁護人としてのコミュニケーション力、洞察力、問題解決力などは、資格のための勉強ではなく、実践を通してではないと身に付かないと思います。ビジネス力を磨くのは、資格の最高峰、弁護士とて一緒ですね。


August 22, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.21

ヒトラー〜最期の12日間〜をみて

組織が成長の曲線を描いている時、マネジメントは比較的簡単だ。リーダーはイケイケだし、メンバーもモラルや意識が高い。給料や待遇、昇進なども相応にふるまうこともできる。


けど、一旦下降線を描いていくと、モラルや意識の低下から組織の実力以上のトラブルが起きたり、相互不信が起きたりして人間関係がすさんでくる。組織によっては、責任の転嫁が始まったり、アジテーターが出現したりして内部から崩壊をしていく。


数々の歴史はそんなことを教えてくれている。


映画「ヒトラー〜最期の12日間〜」を見に行った。僕の周辺ではこの映画の評価が高かったのでそれなりに期待をしていった。


敗戦が濃厚となって地下壕で最期の抵抗を続けるナチスドイツ。ヒトラーは全盛時代の勢いはなく、もはや戦争を続行させるモチベーションは尽きている。


神経症とも思える言動は僕らが今まで知ることのなかったヒトラー像だ。


カリスマ性を失ったヒトラーに翻弄される人々たち。これら数々の人々のドラマが織りなっているので、「ヒトラーの最期」というより「ナチスドイツの最期」といった方がタイトルとしては適切であろう。


これでもか、と続く自殺や戦闘などの残忍なシーン。戦争の野蛮さを訴えるのは結構なことだ。けど、それが極めて恣意的であるような気がして僕は逆にしらけてしまった。「戦争は残酷だ!」とやっていれば戦争がなくなるわけではないからだ。(そんなんで戦争がなくなるのならベトナム戦争の一連の映画で平和は訪れるはずだろう)


見ていてとても後味の悪い映画だった。


一つだけ、組織が崩壊する寸前のすさんだ人間模様が面白い、と思った。昼間から酒を飲んで酔っぱらう政府の高官達。敗戦が迫った時にお偉い人はストレスを酒や遊びで紛らわせようとするのは古今東西変わらないらしい。日本でも敗戦前はお座敷遊びが流行った、というからね。


気分転換、といえば聞こえはいいだろうが要するに「逃げ」だし「思考省略」だ。物事に直面したくないために、気分転換と称して酒や遊びに逃げる。平和な現代にもそんはリーダーはゴマンといる。資金繰りや経営悪化を直視しないリーダーが。


だいたい、飲んだり遊んだりに理由がつきはじめると良くない。結局は楽しいから飲むし、楽しいから遊ぶのだ。僕も気をつけないと、と思った。


話は突然に変わる。


僕は旅をしている時にとある写真と出会った。それは、カメラマン・ロバート・キャパが撮影した「ナチス協力者」という一連の写真だ。フランスのある都市で、ナチスに戦争協力をしていた人たちがドイツ陥落とともに、頭を刈られて、街を追われる写真だ。

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一市民が戦争によって人生を翻弄されるさまが凝縮されていて僕は衝撃を受けた。


髪を刈られた女性が子供を抱えて街を追われる(写真中央)、それを取り巻き嘲笑しヤジを飛ばすフランス市民たち。戦時中なのだが、ごくごく日常の風景の中で繰り広げられる市中引き回しは、僕はどんな戦争写真よりも戦争映画よりもインパクトがあると思う。(虐殺のシーンなどの残酷な戦争写真は、その衝撃度が凄すぎるが故に、戦争の本質をゆがめてしまう、と僕は考えている。)


僕は旅にでてこの写真をときどきながめた。そして思った。「自分があの時代を生きていたらナチス協力者にならなかった、と胸をはっていえるだろうか?」と。歴史の教育は戦争の悲惨さを知る事よりも、自らへのそんな問いかけからはじまる、と思うのだ。


僕はこの写真はどんな戦争映画よりもインパクトを持っている、と思う。皆さんはどう感じるだろうか??


↓この写真についてのコメントがあります
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追記
今日はお手伝いをしている格闘技イベントの記者会見でした。明日は本番なので本業はお休みをいただきます。]


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August 21, 2005 | | Comments (7) | TrackBack (3)

2005.08.19

スポーツクラブで経営ビジョンについて考える

「お友達やお世話になった方にオリジナル紙芝居を贈りませんか?詳しくはフロントまでお問い合せください」その館内放送を聞いて僕は違和感を感じた。


僕が通っているスポーツクラブ(○ナミスポーツ)の更衣室での話だ。


僕はこのスポーツクラブに2年ほど前に会員となった。体重が増えてきたのと、寝ても目のクマがとれないので「こりゃまずい」と入会をした。「経営者の健康は会社の最大経営資源」と考えると健康を維持して、体力をつけることは何にも増して重要な仕事、と意識を変えた。だから、どんなに予定があっても週に2回は這ってでもでかけるようにしている。

最初はあまり熱心に通ってなかったのだが、いつしか素敵なインストラクター(♂)の存在を知るに及び僕は気合いをいれて通いだした。夜通し飲んでいても翌日は動くことができる体力、めんどっちいなあ〜と時には思いながらもブログを更新できる体力があるのはこのスポーツクラブのお陰だ。
 

そんなものだから、わずかではあるがこのスポーツクラブ運営会社の株を買った。


僕は株式投資にはあまり興味がない。尊敬する経営者の誰もが、「本業で稼げ」といっているからだ。株を勉強する時間があるのなら、売上をあげることを考えた方が結果的には効率的だ。


でも、「この会社頑張ってるな」だとか「この経営者は素晴らしいな」という場合は長期保有を前提に株を買ったりする。その会社のポリシーや存在にお礼をするような感覚、一票を投じるような感覚と考えてもらえばいいだろう。


食品の商品開発力がすばらしい「無印良品」、経営者である渡邊社長の生きざまが好きな「居酒屋ワタミ」、外出がちな我が家にはなくてはならない「オリジン弁当」などなど、僕にとって「この会社があって良かった」という会社に限定して僅かだが投資をする。このスポーツクラブもそんな会社の一つ、だ。


そんなだから株価があがっても、さがっても売ることはない。ひたすら株を持ち続けるので株価を気にする事もほとんどない。欲があまりないせいか、どの会社も好調に株価は推移しているようだ。唯一、このスポーツクラブを除いては。


冒頭の話に戻ろう。


はあ〜??何でスポーツクラブで紙芝居を売るの??」
「スポーツクラブって健康だとか体力向上だとかを目的とした施設でしょ??ちょっと軸がぶれてない??」僕の感性はそう反応した。


この会社にとって紙芝居を販売することは事業の中でどういう位置付けなのだろう、と思い僕はこの会社のHPにアクセスした。経営目標や経営ビジョンのページのようなもにそれらのカギがあるかもしれない、と思ったのだ。いくつかページをたどるとこの会社の社長の挨拶にこんな一文があった。


フィットネスクラブ運営中心の事業から健康事業へパラダイムチェンジ

健康・福祉・機器・サービス”など、お客様の健康に関するトータルサポートを提供していく企業にチェンジバリューしてまいります。


きっとこれが会社のビジョン、みたいなものかな。これを読んでも、これと紙芝居がどう結びつくかわからない。健康事業、というくくりでサプリメントやプロティンの販売をするなら分かるよ。それらは「お客さまの健康に関するトータルサポート」のビジョンに基づいいた商品企画だしね。けど、紙芝居って・・


もしかして健康に関する紙芝居?と思って調べてみたが、どうもそうではないようだ。「健康に関するトータルサポート」と紙芝居がどう結びつくのか、僕はいまもって謎である。


さて、ここから一つネタを考えよう。


今の時代、「売れるものは何でも売ってしまえ」では成熟したお客さま、クライアントに対しては全く通用しない。サービスの受け取り手は「売らんかな」の精神を見抜いてしまうだけの感性を持っているからだ。


当然のことなのだが、会社のビジョンのようなものを打ち立てて、それに基づいた商品構成を粛々と行うことがいままでも、今後も大切だ、と思う。


例えばうちの会社は「成長、発展したいと熱望する企業、個人に対して、利益向上に直接結びつく、最先端の情報、ノウハウ、企画、バイタリティを適価にて提供する」とビジョンのようなものを明文化をしている。


だから、広告のスペースを販売したり、ダイレクトメールの企画等をしたりするのはもちろん、お客さまの利益向上に結びつくもんもだったら何を提案しようが、販売しようが一切構わない。


でもこれって逆にいうと、お客さまの利益向上に結びつかないものに関してはうちの会社は着手をしない、提案をしない、販売をしない、ということの意思表示でもあるのだ。たとえどんなに儲かる仕事であってもね。そんな美意識が形になったもの、それがビジョンというものだ。


「何でもやります、何でも売ります」という会社はそのビジョンが不明確が故に淘汰をされていくのがこれからの時代の現実だ。僕らはそんな時代を生きている。


ほとんどの人はあまり意識していないが、僕らは商品やサービスだけではないものをサービスの提供側に求めている。それは、企業としての姿勢であり、美意識であり、ビジョンだ。


混迷の時代だからこそ、しっかりと姿勢をもった会社との結びつきを僕らは無意識にも求めている。そんな美意識や姿勢をしっかりと打ち出せる会社がファンを獲得し、これからの時代を生き残る事ができるのだ。


紙芝居など売る前に、「健康に関するトータルサポート」を真剣に考えてみてはどうだろう??そんなことを真面目に一生懸命に愚直にやる会社だったら、もっとファンはできると思うのだけどね。


追記
最近、ヒゲを伸ばしています。ある程度のびたら髪をばっさりと切ろうと思ってます。この間、めずらしくファッション雑誌を読んでいたら「男40代 これでごまかす髪のお悩み」みたいな記事がありました。ヒゲを伸ばして、髪をばっさりと切って・・と、まんま今の僕がやってることと一緒なんですけど・・。


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August 19, 2005 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.08.18

暗黙知のマネジメント

創業時、僕にはコーチがいた。


週に1回30分から1時間、会社や経営の課題を中心に電話で話をする。気がついたことを僕がしゃべる。それに対して「こういう見方はできないか」だとか「相手だったらどう感じるか」という視点を投げかけてくれる。その中で、いろんな気づきを僕が自らで得ていく、というものだ。


この方にコーチをお願いするきっかけは、とある研修会に出席した時にたまたま隣り合わせたことだった。「コーチングの勉強をしている」というその方と、「会社を立ち上げたばかり」の僕と何かしらの縁があったのだろう。結局、僕がバタバタしだすまでの1年半くらい(だったかな)はコーチングをお願いをした。

コーチといっても、経営のプロなどではない。


ごく普通の会社で働いているOLさんだった。(でも仕事の意識は高い方、でしたから普通ではなかったかもしれません)年齢は僕より下だったからたぶん僕の方が職業人としてのキャリアもあっただろう。けど、僕はその方とのやりとりで多くのものを得た。


人には、「口に出して語れること」と「考えていても口にだせないこと」がある。「なんていったらいいのかわかんないけど感じていること」があったりする。小説家などがそれをうまく表現すると僕らはものすごく共感する。「そうだ、俺はこれがいいたかったんだ!!」と。


でも、これからの時代は僕らは自分の中にある「口に出せない内面」を書いたり、話したりして表現することが大切になっていく、と僕は考えている。それらを小説家任せにしていい時代は終わったのだ。


ちょっとこむずかしい話になるが、知識には「顕在知」と「暗黙知」とがある。「顕在知」は僕らが言葉にできる知識だ。業務マニュアルなどはその際たるものだろう。誰にでも分かるように知識が顕在している状態、それが顕在知だ。


一方の「暗黙知」は僕らが言葉にできない知識のことだ。「なんとなくこうだと思う」といった直感、「そういやかつてはこうだったな」という経験からくる予感、「こっちが売れるだろう」というセンス、職人の持っている匠のワザ。それらはすべて暗黙知、だ。なかなか言葉にすることは難しい。


だけど、これからの時代はこの暗黙知をどれだけ顕在化できるかが大事だ。なぜなら、僕らはインターネット革命で僕らは大量の知識(=顕在知)を手に入れられる環境を生きている。一昔前だったら考えられなかったことだ。


でも逆に、そんな時代だからこそ顕在知はどんどん価値をもたなくなっていく。すでに顕在知のデフレ化はおきている。「僕はこんな知識(顕在知)をもっています」といったところで、小学生がインターネットを駆使しさえすればすぐさま逆転されてしまう時代を生きている。だからこそ、すぐさま言葉になりえない暗黙知に僕らは目をむけないといけない。僕ら職業人は顕在知ではなく、暗黙知で勝負する時代なのだ。


では、暗黙知を顕在化するにはどうすればいいか?


まずはしゃべることだ。ぺらぺらと思っている事を語る事だ。「自分の夢は周囲に語れ」とよく本に書いてある。あれは、自分の暗黙知を顕在化させる意味で重要だ。ぺらぺら話をしているうちに「俺ってこんなことを考えていたのか」と気がついたりするものだ。あの、司馬遼太郎も奥さんと話をしながら小説の構想をまとめた、という。それだけしゃべるのはパワフルなのだ。


僕がコーチングを受けて思ったのは「しゃべる人がいるやつは強い」ということだ。しゃべっていさえするとどんどんと自分の中が整理されていく。これを実体験として気がついたのは大きな財産だった。


もひとつは、書く事だ。書くという作業は片手間で行うはできない。きちんと自分と向き合わないと文字に起こすことはできない。「俺がいまなんとなく感じている事ってどういう風に書いたらいいんだろう」と呻吟しながら、自分の中に眠っている暗黙知に問い掛けをしていく。そんな作業ではじめて暗黙知は顕在知となっていくのだ。


暗黙知を顕在化するのは面倒な作業だ。だけど、それをきちんと取り組むか否かで僕らを取り巻く環境は大きく変わっていく。


例えば、不安や心配事に対してバタバタすることなしに適切に処理ができるようになる。心配事は暗黙知にあるがゆえに僕らを悩ます。「なんとなく心配だな〜」という不安な気持ちは、その正体不明さがゆえに僕らをストレスまみれにしていく。けど、不安な気持ち(暗黙知)を顕在知へと変えてしまえば、心配事の多くは霧散してしまう。


D・カーネギーという悩み研究の大家もかつてはこういった。「混乱こそ悩みの第一理由」と。不安という混乱は顕在知にしてしまえば、大方消えてしてしまうものだ。


その他にも、部下や後輩にきちんと仕事を教えたりできるようになる。もう「俺のやり方を盗め」という時代は終わった。きちんと仕事は引き継ぎをしていかないといけない。その時に、「きちんと仕事を引き継げる人」とそうでない人がいる。僕はこれって、暗黙知をどれだけ部下や後輩のために顕在化したか、の違いだと考えている。


暗黙知を顕在化する作業をすれば、自分自身の仕事を一度見直せる。「自分しかできない」と思っている仕事を他の人に任せられるようになる。


そのたもろもろ、暗黙知のマネジメントをすることはパワフル、だ。


暗黙知は、僕らが話をしたり、文字を書いたりして顕在化することを待ち望んでいる。僕はブログを書いていて思ったことがある。「俺の暗黙知は一体どこまであるんだ???」と。


僕が長い旅をしていたのは7年も8年も前のことだ。いろんな所にいって、いろんな人と知り合ったが、ほとんどを忘れてしまったことばかりだ、と思っていた。けど、毎日ブログの文章を書く中で、多くの知識が顕在化された。するとどんどん、いままで奥底に眠っていたような暗黙知の芽みたいなのがでてくるんだ。


インドで電車強盗にあったり、ミャンマーで暴動があったり、タイで泊ったホテルが売春宿だったり、といままで忘れていたことがどんどん思い出されたのだ。これは暗黙知の深いところにあって、いままで存在すらも記憶の彼方にあったできごとばかりだ。暗黙知を顕在化させる作業を続けると、暗黙知が急激に整理がなされはじめるのだ、と最近では思うのだ。


今日のブログは抽象的、ですいません。


皆さんに分かりやすく書けない、ということは僕の中でまだこのテーマは「なんとなくこういうこと」と、暗黙知レベルなんですね、きっと。もうちょっと顕在化できるよう、がんばっていきます。


追記
この間、築地でご飯をたべました。そん時もぺらぺらしゃべるうちに「暗黙知」が突如あらわれました。話しながら「そうそう、俺が思っていたのはこれだよ」と思いました。一緒に話をしている人には、さも僕がそのことを常々考えているように思うのかもしれませんけどね。

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August 18, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.17

点の旅と線の旅

「そろそろ日本に帰ろう!」インドのダラムサラという街で僕はふと思った。


旅にでてきて4ヶ月あまり、当初はインドからパキスタンを抜けてイランに行こうと思ったのだが、途中、チベットはもちろん、ネパール、インドで見聞きしたチベット文化圏のもつ魅力にはまってしまっていた。


それとともに旅のスピードが落ちていった。次々と移動を繰り返すのではなく、一つの街に何日も滞在して現地のチベット人と仲良くなる、というスタイルにかわっていった。その過程で、チベットの精神的な指導者ダライ・ラマがいるインドのダラムサラにいくことが今回の旅の最終的な目的となっていったのだ。

長い旅に出るのは簡単だが、旅を終えるのは難しい。それには慣性の法則が働くからだ。


昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続くこと、僕らは無意識にでもそれを信じているし、望んでいる。それにブレーキをかけて、今日と違う明日をつくりだすことは相応に骨が折れる。会社を辞めて旅にでるのが大変なのも、慣性の法則があるためだ、と思う。


当初は「非日常」だった旅が、時の経過とともに「日常」へと変化をしていく感覚。旅での「日常」があまりにも淡々としているがゆえに旅をする人はそこに「待った!」をかけるチャンスに悩む。それは「このままでいいのか」と仕事に悩む会社員と本質的にはあまりかわらない。


僕にとって「日本に帰ろう」の転機はダライラマ猊下との謁見だった。わずか、5秒ほどの謁見だったが「旅を辞めて帰国して何でもいいから仕事したいな」という気分になった。ダライラマ猊下が直接の原因だったかどうかは今では思い出せないのだが。


数日後、僕はデリーの旅行会社に日本行きの航空券を買いにいった。大人が4人も入れば窮屈になってしまうような事務所でカタコトの英語で切符をとった。スタッフが発券の手続きをしているとき、僕は机の上にあった世界地図を何気なくながめた。


その瞬間、僕は衝撃が走った。「何?? 俺ってこれだけしか移動していないの??」と。


この時の旅、旅のスタートは神戸だった。船で上海に向かい、天津、北京を経由して内モンゴルで草原にいって、シルクロードを西へ西へと向かった。そこからチベット、ネパールを経由して、北インドを1ヶ月ほどかけて回った。その間、4ヶ月あまり。電車とバス、ヒッチハイクだけでよく動いてきたな〜と思っていただけにショックだった。その旅行会社の地図では僕が移動した距離は20㎝ほどしかなかったのだ。


「まだまだお前の知らない世界があるんだぜ」とまだ訪れたことのない中東やアフリカ大陸が僕を嘲け笑ってるかのようだった。お釈迦様の手のひらから抜けだせない孫悟空、みたいだとも思った。反面、ちょっと嬉しくなった。まだまだいける国がたくさんある、という事実に。世界は限りなく広い、を痛感した瞬間だった。


僕らはよくいう、「世界は広い」と。ただ、それを実感覚として感じることって少ない。僕はモロッコにオランダ経由でいった時、「なんて遠いんだ!」と思った。でも、それって「点の旅」で味わった遠さなんだ。モロッコとオランダと日本とを結ぶ3点の中で遠さを感じているにすぎない。


僕がインドで感じたのは「線の旅」をしてきて感じた遠さ、だった。中国では24時間電車にのった。チベットに入る時には44時間バスに乗った。ネパールに入る時には2泊3日をバスで移動した。そんな「線の旅」をしてきて僕はかなり遠い場所に来た、かなり動いたと思っていた。けど、それは世界地図の中ではわずかな実線を描くにすぎなかった。


日本に帰って働くようになって7年が経過した。その間、僕は「線の旅」をすることなしに「点の旅」をちまちまとしている。(「短い線の旅」はしてるかな?)それも楽しんだけど、どこかしらに納得のいくまで「線の旅」を続けたい自分もいるのだ。僕の世界地図はまだまだ白紙の場所がいっぱい残っている。生涯をかけてちょっとでも汚していきたいものだ。


追記
インドから日本までは飛行機で10時間くらい。4ヶ月かけて歩いてきた道をひとっとびは何ともいえませんでしたね。話は変わりますが、将来、チベットの聖地カイラスに航空機を飛ばす計画があるそうです。「線の旅」でしか行けなかったカイラスに「点の旅」で気軽にいけるのは僕らにとって幸福なことなのかな、と考えるとなんともいえません。


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August 17, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.08.16

荷物の大きさと夢の実現度

「カバン重いねえ〜一体、何が入ってるの」と僕はよくいわれる。


特に出張で飲みに出た時など、新地やミナミなどの繁華街には似つかわしくないでかいバックをもっていく。正直、あまりかっこうのいいものではない。お客様にも「ホテルに置いてきたら?」といっていただくのだが、「すみません性分なもので」と丁重にお断りをする。


中に入っているのは本と雑誌がそれぞれ2〜3册、ノートパソコンに、システム手帳に、ネタ帳と称したノートが1〜2册、名刺に各種ペン、あとはクライアントの広告関連の資料、靴下や歯ブラシ、カメラにテープレコーダー、i-podなどが入っている。


飲みにでかけてこれらの物が役立つ事はあまりない。(というよりほとんどない?)けど、飲んでいると時として「あれどうだったっけ?」という話になる時がある。その時に、「資料がないから明日にしましょう」だとか「コンピュータがないから今はだめですね」は僕の美意識としてはちょっといただけない。そのわずかの機会のために僕はでかいバックを持って飲みに出る。


だいたい、僕らは偉くなっていくと自分で持つ荷物が少なくなっていく。社会人になりたての頃は手帳にノートに筆箱に、ときちんと揃えていたのが、それらが面倒になっていくのだろうか。それとも、でかい荷物をもっているのは見た目としてはあまり格好よくない、からだからだろうか。


でも、本当に偉い人の荷物は大きいし、重いと僕は思っている。でもそれはその人が直接持つわけではないから僕らには分からないけど。(ヴィトンのスーツケースは持ち主が持つ事はない、らしいですね)


僕は荷物の大きさと夢の実現度は比例する、と考えている。だから「カバン重いねえ〜なんで?」といわれると「夢がびっちりとはいってるからさ」と冗談で答える。でも、これってあながち冗談ではないのだ。


荷物はそれを持つ人の準備の象徴だと思っている。ある日突然に仕事のチャンスが訪れる。その時に僕らが準備をしていないとチャンスの女神は遠くに逃げていってしまう。職業人として持つべき荷物をきちんともって、チャンスの女神がやってきたら絶対にくらいつこう、という僕の姿勢が荷物の量だ。


「こりゃ凄い!」だとか「なるほど、そういう手があったか」というアイデアは万全の準備をしていないと取り逃がしてしまう。みすみすそんな機会を取りこぼすのなら、面倒だけどいつでもでかいバックをもっていた方がいい。


高校時代に柔道をやってた頃、全国大会にいくような学校を見学したことがある。驚いたのは試合に向かうための荷物がハンパではない量なのだ。


柔道着を2着持ってくるのは当然だし、寒かった時のための上着やら(夏にですよ!)、暑すぎた時の冷風機やら、いろんな怪我を想定した応急セットだとか(僕らみたいな学校は湿布とコールドスプレー程度しかもっていない)、試合時間が長引いた時のエネルギー補給のバナナだとか、ひと休みする時の枕だとか・・・とにかく準備の質と量が違うのだ。


僕らは大量の荷物を持つ事を恥じてはいけない、面倒臭がってはいけない。それは夢を実現する必須アイテムだ、と思うのだ。まだ検証はしていないけど、荷物の量と夢の実現度には何らかの相関関係があるのではないか、と僕は考えている。


追記 今日は午後にブログを書きました。普段、朝に書いているので書くのに骨が折れました。朝と昼と頭の使われている部分が違うようですね。

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August 16, 2005 | | Comments (6) | TrackBack (0)

2005.08.15

素の自分と、無の自分

「僕は素の自分で勝負する??そりゃ素ではなくて、無なんだよ」と元カリスマホストの城崎さんがどこかの雑誌でモテナイ君(女性にモテたい人)に語っていた。(どこの雑誌か忘れちゃいましたが)


なるほど!「無」とはいいことをいうと思った。


その昔に読んだ、就職のマニュアル本にも書いてあった。「素の自分で勝負する、と語る人は現実を見つめたくないための逃げをしてるにすぎない」みたいなことが。

僕は大学4年の頃、いっぱしに就職活動をした。


世間の大学生と違う事はパンチパーマだったこと(面接の前はドライヤーでパンチを伸ばしてからでかけたけどね)と、自己分析や面接対策みたいなことをほとんどしなかったことだろうか。バブル景気は崩壊していたが、「俺だったら企業は欲しいはずだ」と妙な自信だけがあった。まさに、素(無?)の自分で勝負をしようと思った学生の一人だった。


ある会社の面接でのこと。


「今、目の前に1億円あったら働きますか?」と面接官に聞かれた。僕は答えた「恐らく働くと思います」と。「なんで?」と聞かれたので、「もっとお金を増やしていきたいからです」と答えた。「じゃ、1億円じゃなくて、100億円だったら?」と聞かれて僕は困った。そんだけあったら働かないだろうな?と直感的に思ったからだ。


けど、面接のワンシーンで「働かないと思います」と答えるのは得策ではないような気がした。「働きます。仕事していないと人間がダメになりそうですからね」と無難に(?)答えた。


すると「人間がダメになりそうだから働くの?」と面接官からするどい突っ込みが入った。「いや、そういうわけではないですけど・・」としどろもどろになる僕に面接官はこういった。「そもそも何で働くのか考えた事ある??」と。


これは、僕がこと働く事に対して、「素」ではなく「無」の自分で勝負していていたことがはからずとも露呈した瞬間だった。


僕は働くという事について真剣に考えた事がなかった。もちろん「働くとは自己成長」だとか「自己実現のため」だとかいう言い方が面接試験ではオーソドックスな解答だとは知っていた。でもそれって、他人の借り物の言葉だ。僕は自分が心底から思っていない事を口にするのが大学生の頃から嫌いだった。「自分の言葉で語りたい欲求」は人一倍強かった。


さりとて、「僕はなぜ働くか?」ということを自分の言葉で語るよう自己分析をしていなかった。単純だ、「素の自分で勝負する」という言葉で逃げていただけだったのだ。


冒頭に出てきたモテナイ君も、「素の自分で勝負する」という体裁のいい言葉で、モテないという現実から逃避しているにすぎないのかもしれない。素の自分を訴える前にすべきことは他にあるだろう、自分を磨いたり、最低限のお洒落をするなどと。(もしも本心から女性にモテたいのならね)


僕らは体のいい言葉で思考を省略したがる性質がある、と尊敬するコンサルタントから僕は学んだ。物事を深く考えたり、自分を分析したりするのはとても骨の折れる仕事だ。事業の戦略を描くのも、ともすると自分の都合の悪い事には目をつぶっていたくなったりとする。「まあ、こんなもんでいいっしょ」とやりたくなっていく。


でもそれって僕ら経営者が絶対に陥ってはならない思考のクセだ。一つ一つの事に対して、きちんと考えて自分なりの考え方を借り物でない言葉で語れないといけない。そこが経営者としての明暗を分ける、と僕は思っている。


そう考えると僕らが働く環境には、思考省略に適した言葉がいくつも浮遊している、と思うのだ。気をつけないといけない。


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追記
その面接官は僕を最終面接まで残してくれました。役員との最終面接で「では、当社にきていただけますか?」と僕は入社の決断を迫られました。「いま、正直いろいろと考えている」と正直な気持ちを答えると、ちょっと怒り気味で「今日はお帰りください」といわれその後、一切の連絡がなくなった。「何で???」、、素の自分をさらけだすのは難しい。

August 15, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.14

人の為、というまやかしについて

「私は営業には絶対の自信があります。だからこの支店にやってきました。今日からはビシビシとやります。それが皆さんの為だからです」と新任支店長が挨拶をした。僕が28歳の頃、バックパッカーの生活を辞めて住宅メーカーで営業の仕事をしていた時の話。


今までの支店長が退社をして、新しい支店長が赴任した。


支店長、といっても年齢は僕より2〜3つ上だ。何でも400人いる営業マンの中でもトップセールスで活躍をしているらしい。50支店ほどある中で営業成績は下から数えて5位には毎回入っていた僕のいた支店。テコ入れのために強力な人材が投入された、と聞いた。


挨拶もそこそこに初日から「営業の心得」みたいなレクチャーがあった。昼飯の時間をぶっつぶして延々と3時間あまり、「君らは負け癖がついている」だとか「俺が意識を変えてやる」とかいわれた。


当時、営業は僕をいれて4人くらい。正直、みなしらけていた。確かに凄い実績のある人なのだろうが、そんな人がいきなり正論を語っただけじゃ人間は動かない(というより動けない)。最初から厳しさばかり打ち出しても人はついてこれない。多くの場合、人間関係がある程度できてからでないと厳しさはマイナスになるだけだ。


上司と部下との関係でも安心感(母性)が形成されて、はじめて厳しさも、ルールの徹底も、方針を打ち出す(以上、父性)こともできるようになる。「この人だったら大丈夫だな」という安心感の土台がないと厳しさを打ち出すことは難しい。この新任支店長はそれを一っ飛びにして、いきなり組織に父性だけを注入し始めた。


とはいえ、僕はこうした父性のようなものが嫌いではない。部下に媚びないのはリーダの基本だからだ。方針や方向性を明確にできない人間より、よほどリーダーとして頼りがいがあるからだ。


けど、僕は気になった。支店長が二つ目には「厳しいこと言うようだけど、これは君らの為なんだ」と口にすることに。


朝8時から夜中の11時、12時まで毎日せきたてられるように働いた。平日は毎日「1日50面談」とうい指令で飛び込み営業をする。すると突然に携帯電話がかかってくる。「いまどこにいるんだ?住所をいえ」と。住所をいうと、「近くにある建物の名前をいえ」という。どうやら住宅地図で調べているらしい。売れない営業組織の営業マンに対しての信用度はほとんどゼロに近かった。


夕方、事務所に帰ると見込み客の所に夜訪する。行きと帰りの車中では、「数字があがってない」だとか「意識が低い」だとかと散々とやられる。そんで「俺らは売らないとだめだろう。厳しいようだけどこれは君らの為なんだ」と締めくくられる。


「君らのため」といわれても僕はそれを実感できなかった。甘ちゃんを言うかもしれないが、「君らのため」と本心から思ってるんならもっとマネジメントのスタイルは変わっているはずだ。僕は「君らのため」がまやかしで、欺瞞で、うそっぽく思えてきた。


「人の為、と書いて偽りと読む」と聞いたことがある。


僕は「君のために僕はいってるんだ」だとかを殊の外口にする人をあまり信用しない。だいたいそんなものはメッセージの受け取り手である「君」が「俺のためにいっているかどうか」を感じるものだろう。本物は「君のため」などとは軽々しく口にしない、と僕は考える。


だいたい、「君のため」といった時点でどうしても考え方の押しつけになってしまうではないか。押しつけられた考え方が嫌であっても、違うなと思っても、「君のため」とやられると僕らは弱い。これって精神的なセクハラではないか??


僕は幾多のメッセージをブログ訴えている。僕の書くことは理想論だとかプチ哲学ばかりなのでともすると読み手に押しつけをしている、と読めるかもしれない。けど、それは本意ではない。僕の志向したいのは「僕はこう考えるけど、みなさんだったらどうだろうか?」だ。だから、批判、罵詈雑言、中傷は大歓迎、だ。その中から新しい考え方が生まれるから、だ。


僕は社員に対してもメッセージ的なことをいうことがある。でも、その中のどれひとつとったって「君のためにこれをいっている」なーんてのはない。「僕はこう考えるけど、もしその考えがよければ共感してもらえればいいし、悪ければ反発してくれ」という考え方だ。そんなやりとりの中から所属する人の成長を促す組織は誕生していく、と思う。


「あなたの為を思って」だとか「社長のためなんです」だとかの言葉を軽々しく口にするヤツには気をつけよう。善意の仮面をかぶって自分の考えを押しつけるようなやっかいもの、の可能性は大きいと僕は思う。

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追記 
この支店長とは3ヶ月付き合って僕が退社をしました。退社を口にすると「そりゃ困ったな〜本部の手前、新しい人をいれるまでいてよ」の言葉。「君のため」がまやかしだと思った僕の感性は間違っていなかった、と思った瞬間でした。

August 14, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.13

人間にとっての才能をかんがえる

人と逢っても、本を読んでも、写真集を見ても、BARで飲んでも、映画を見ても、音楽を聞いても、建物を見ても、イベントに行っても・・・悔しいくらい、世界中に「スゴイヒト」「スゴイサクヒン」は溢れている。


「こりゃ、すげえや!」とココロが震えるとき、俺は98%の感動の後、2%のツバを吐く。「オレも絶対に負けねぇぞ」そのツバの中に、明日の俺がいるから。(
高橋歩『LOVE&FREE』サンクチュアリ出版より)


僕は旅をしながら新聞記者の試験を受けていた。その時、前職でおつき合いのあった富山県にある塗装会社の社長から手紙が来た。「東京で一度飯を食わないか」と。

当時、僕は旅をしながら電気工事のアルバイトをして新聞記者になるための勉強をしていた。(旅の魅力にはまってしまい、あまり真面目にはしてなかったが・・)会社を辞めて1年くらいが経過していたが、今後をどうしていいかが分からない、そんなタイミングだった。


新宿のワシントンホテルでしゃぶしゃぶを食べながらお互いの近況を語った。この社長はベンチャー企業の雄として富山県ではかなり有名な方だ。僕はちょっとその迫力に押されぎみ(?)、だった。


僕の現在の話を一通り聞くと社長は語った。「君はね、一言でいうと天才を見てないんだよ」と。きょとんとする僕に社長は続けた。「頑張れば何でもできる、というのはある意味真実かもしれない。けど、自分が勝負できる分野で頑張らないと、努力は報われないだろう」といわれた。


「新聞記者になりたい、と思っている人間の中にはとてつもなく文章力のある奴がいたり、小説家と文学論を論じる事ができる人間がゴロゴロしてるんだ。そんな中で勝負しよう、と思ってるなんて俺にはよほどのバカかとしか思えない。そんなんは、天才を見てないから甘い夢を見れるんだよ」と手厳しかった。


今思えば確かにそうだ。僕は子供の頃からまともな本を読んだ事が記憶にない。国語の感想文も「まんが日本の歴史」で義務教育の9年間を通した男だ。高校でも勉強をした記憶が一切ない。それで一念発起して大学に入ったのだが、大学に入学してからは運動ばかりの生活だった。3年くらいから余裕がでてきて勉強をやったが、それとて「運動をしている学生にしては勉強した」程度のことだ。そんなんで、文章を書く事が好きで好きでたまらなかった奴らだとかと一緒に勝負ができる訳がない。


けど、当時の僕は信念を持っていた。「努力は才能に勝る」ということを。これって僕のように格闘技が好きだった子供が小さい頃に刷り込まれた価値観なんだ。努力をした人間が才能ある人間より強くなる、というのは。(当時のスポコン漫画には一様に主人公のセンスや才能、という視点がなかった。子供が読む漫画だから当たり前といえばあたりまえか)


でも、そんな話は社長に通用しなかった。


「じゃ、毎日10時間文章を書きつづける努力をしてみるといい。数日間は努力できるだろうけど、きっと長く続かないだろう。でもな、1日10時間文章を書く事が、さほど苦もなくできる人間がいるんだよ。それが才能のあるやつなんだ。そんな奴と戦ったって勝ち目は見えてるだろう。格闘技のトレーニングだって毎日のランニングを当然のこととしてやるやつと、頑張らないとできない奴がいるだろう。それと同じだよ」と。


僕は「なんてきっついことをいう社長だろう」と思った。「へえ〜そんな夢もってるんだったらがんばりゃいいじゃん」とでもいってくれよ、と思った。僕は半分怒り任せてこういった。「じゃ、僕の才能って新聞記者とは違うどこかにあるんですかね」と。社長はいった「ある。俺の会社にくればそれは分かる」と。


社長の会社では新しく新規事業を始めるという。その仕事をぜひやらないか、という話になった。「これってもしかして人生の転機?」と思ったが、僕は丁重にお断りをした。「もうしばらくモラトリアムでいたい」と。社長の「才能論」(?)へのせめてもの反抗だったかもしれない。


あれから8年が経過した。今の僕は「人間には越えられない才能」のようなものがあって、それを素直に認める事が大事だと思っている。いつしか社長の考え方といっしょになってしまった。


考えてみるといい、会社をつくって大きく展開する人もいれば潰す人もいる。それって単に努力や時の運だけではないのではなかろうか?プロ野球の選手などと一緒で、経営者としての才能があるかないか、が大きく影響しているのではないか、と思うのだ。


経営者が「経営者としての才能」を持っているか否かが会社の盛衰を握っている、と僕は素直に思う。


でもその才能ってのは客観的に測定することなどができない。だから、結局は本人の主観にしかすぎなくなる。「俺ってこれをやるとちょっとがんばれるかも」をきちんと認めてやって、自信を持てるようになるまで才能の芽を育ててやることが大事だと思う。そうすりゃそのうち「俺ってこれに才能がある」と思えるようになるだろう。才能なんて自己満足でいいのだ。


僕は人間には誰しも一つは才能がある分野があると考えている。会社という組織は自らの才能を発見できる組織でないといけないとも思っている。才能はある日突然に気がつくものではなくて、自分に問い掛けをしないと見つからないもの、とも思う。


僕は少なくとも新聞記者になったり芸術家になったりする才能はない、と言い切れる。けど、そんな才能を持っている人をうらやましく思ったり、負けないぞ、と思ったりはする。写真家・小林紀晴の書いた旅の本を海外で読んだ時には「すげえやこいつ!」と半分は尊敬をし、半分は嫉妬をした。


でも彼が僕の才能がある分野にきたら徹底的にやっつけてやる(?)自信がある。だから、何という事はないんだけどね。別に才能に勝ち負けはないし。(それだけ嫉妬している、ということかしらん?)


僕の才能は一体何か??


僕を知っている方はみなさんが想像してください。「俺はこれに才能がある」とは、ともすると傲慢に聞こえてしまうので。僕を直接知らない方も本ブログからでも想像してください。


人からどう思われようが、僕は確実に一つの才能を持っている、と思い込んでいます。それに気がついたのは、新聞記者に挑戦したり、税理士試験に挑戦したり、住宅メーカーで営業の仕事をしたり、英語を勉強したり、いくつかの会社づとめをしたり、と僕の才能が発揮されない(されにくい)フィールドをいくつも渡り歩いてきたからかもしれない、と思うのです。


手数さえ出していればいつかは才能には巡り合える、と僕は考えています。所詮、才能なんてのはあくまで主観的で、自己満足なものですからね。


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追記 今日からお盆休みです。会社は16日まで休みですが、なんだかもろもろ予定が入っています。ヒトラーの映画はぜひ見ようと思ってます。


August 13, 2005 | | Comments (5) | TrackBack (1)

2005.08.12

1ヶ月の連続休暇がとれる会社

「1年のうち半年はいってきた旅行の事で盛り上がり
 残りの半年は、こんどいく旅行の事で盛り上がる」


ドイツ人の国民性をそう表現した人がいた。


実際、僕が旅していた時は長期旅行者はドイツ人、イスラエル人、日本人が多かったような気がする。(意外なことにアメリカ人は少なかった。これは、アメリカ人と名乗る事の不利益を受けないために国籍を偽ってるため、と聞いたが真意は定かではない)

イスラエル人長期旅行者の多くは徴兵の前後に海外に出る、と聞いた。だので、彼(女)らは自由奔放、豪放磊落だ。「俺らこれから徴兵だしい〜」といっているかのごとく勝手気侭に旅をする(僕は何回も彼らに嫌な思いをさせられた。きっと多くの旅行者もそうだと思うが・・)


日本人の多くは会社を辞めて長期旅行にでてきている。「帰ったらどうしようか」という悲愴感が漂ってたり、「帰国するまでのモラトリアム、執行猶予期間」と思ってたり、「僕らしょせん社会から現実逃避してますから」みたいな開き直りをしている人がいたりする。学生時代に長期旅行をする人は賢い、帰ったら自分が帰るべき社会のルートはまだ残っているのだから。


で、ドイツ人。彼らは会社に勤めながら1ヶ月とか2ヶ月とか長期の休みをとって海外にでてきている。「そんなに長い休みがとれるのはいいなあ〜」とあるドイツ人バックパッカーに話したら、「休みがとれなきゃ旅行にいけないじゃないか!だったらなぜ働いてるんだよ!?」といわれた。確かにそうなんだけど、それが適わない国で生まれたから僕らは会社を辞めて長期旅行に出向かざるを得ないのだ。


中国の奥地で某百貨店に勤めている日本人と知り合った。何でも「会社に勤めているが、1ヶ月の休みをとって旅に出てきている」とのこと。「仕事はあまり好きではないけど、この制度があるからいるようなものなんです」と語った彼は、1都市1週間滞在で社会人になってから30程の都市を訪れたのだという。


会社員としての雇用が保証されて、年に1度の長期休暇がとれるなんてなんて素晴らしいのだろう、と僕は思った。


旅をする生活から足を洗って、当座の金を稼ぐために仕事を探した時、僕はそんな会社がないかを真剣に探した。


「社長がバックパッカーで、旅をするということにすご-く理解があって、休みの前後はめちゃめちゃ働かないといけない。けど、長期の休みがきちんととれるような会社」-そんな会社だったらそこそこの給料でもいいなあ〜と思ったが、そんな会社はみつけられなかった。


で、現在。僕はそんな会社をつくりたい、と考えている。


僕の中では旅は充電ではなくて、放電だ。仕事をしていると気づかないうちにいろんな脂肪がまとわりついている。考えなくてもいいことを考えていたり、物事を素直に見えなくなったりしている。そのままの生活を続けると「心筋梗塞」だとかになる。頭が硬くて、時代の流れについていけない職業人になってしまう。


もちろん、それって自分が戒めてればいいんだけど、なかなか日々の仕事が流れる中で立ち止まって自分を振り返るのは難しい。とりあえず日常と離れて、放電を行うことが効果的だ。(僕の場合はそれが「旅」という手段だが、ひとそれぞれの手段でやればいい)


で、そんな会社になるにあたり、まずは社員の誰もが休んでも会社がとまらないようなシステム化を図るのが大切だ。個人が仕事を抱えるのではなく、会社として仕事をこなしていく体制づくりだ。


僕らのストレスを分析すると「これって俺がいないとダメだな」とか「私がいないと業務が回らない」いう精神状況に起因するものが多い、と僕は思っている。(そんな精神状態が「仕事のやりがい」みたいなものに結びついているのだから仕方ないんだけどね。)


でも僕は思うのだ。「俺がいなかったらダメだ」といっている人の仕事の多くは余人をもって変える事ができる、と。それは僕ら会社の代表の仕事でさえそうだ。


昔から付き合いのあるお客さまなど特異な例はあるが、ほとんどの仕事はきちんと、正しく、仕事の引き継ぎさえすればある程度はこなしていけるだろう。(もちろん、そのパフォーマンスの違いはありますけどね)


きとんと仕事の引き継ぎができて、自分以外にも自分の仕事を行ってもらえる人がいる組織。そんな会社組織であれば、長期の休暇をとって旅にでることも全く可能だ。きっとそんな組織にはキラ星のごとき人材が集まってくる、と思う。


まずはテストケースとして僕が海外にでられるような体制を創る、これが僕の当座の目標、かな。


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追記 昨日は大阪市内に泊まりましたが、とにかくホテルに韓国の人が多いですね。聞くところによると、今では韓国人バックパッカーもかなり多い、とか。ちなみに、世界で一番使えるパスポート(いろんな国にいける)は韓国、だとか聞いたことがあります。真偽はどうかわかりませんけどね。

August 12, 2005 | | Comments (8) | TrackBack (0)

2005.08.11

寝坊しておきた朝にひとつの疑問

昨日の夕方から大阪へ出張に来てます。昨晩は、梅田名物(?)の「くりやん」でポパイ丼(ご飯の上にほうれん草と肉がのっていて、マヨネーズを混ぜて食べる)で締めたため、今朝は朝から胸焼けです。お陰で、朝は寝坊です。

kuriyan
大阪に住んでいた時は週に3回は食べていたポパイ丼
僕の胎内脂肪の数パーセントはこれのせい

僕は飲みにくと面白いネタをナフキンやコースターにメモする癖があります。今朝もみみずの這ったように文字でいくつかのネタがでてきました。


その中のひとつがどうしても思い出せません。解読(?)をすると、「比企理恵×甲斐智恵美 血液」と書いてあるようです。僕の記憶ではともにかつてのアイドル、だったと思うのですが特にファンだったわけではありません。
いったい何にピンときてメモに書いたのかまったくの謎??、です。

昨日はめずらしく(?)夜中まで飲んでいても途中で眠らなかったので意識はあるつもり、なんですけどね。

とまれそんなネタの数々から本ブログは成り立っております。では、今日は寝坊をしたのでこの辺で。うまくいけば夕方には東京に戻ります!

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August 11, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.10

同じ時代を生きられる偶然

チベット亡命政権があるインドのダラムサラにいった時のこと。


僕は1人のチベット人女性と知り合った。デリーからバスで到着して3日あまり、宿泊していた宿がどーしても寒くて「どこか安い宿知らないですか??」と古本屋で声をかけたのがきっかけだった。


当時、僕はチベット人の民族衣装を着て旅行をしていた。それが珍しかったのだろう、「チベットはどうだったか?」だとか「これからどこ行くのか?」と話が盛り上がった。

Scan

これはチベットとネパールの国境付近
この服は大のおきにだったが、首飾りはレディースものだったと後で判明した

「せっかく旅行に来てるんだったら街を案内するわ」といってもらったので僕は善意に甘える事にした。彼女の卒業した学校に連れていってもらったり、自宅でお母さんからトゥクパ(チベット料理)をご馳走になったり、チベット仏教館みたいなとことに連れていってもらった。また、チベットの歴史やチベット難民の現状について教えてもらった。

Scan
インドなのにダラムサラは寒かった
お風呂はバケツ1杯のお湯 だからずっと体調が悪かった
大変お世話になったナムギルさん


彼女は学生で帰省をするためにダラムサラに帰っている所だった。「明日には学校に帰らないと」ということだったので最後の晩餐をした。2日ほどではあったけど、とても楽しく有意義な時間だった。


チベットの料理を食べながらいろいろと話をした。そんな中で彼女がふと口にした、「同じ時代を生きられる偶然だとか運命、幸せってあると思うの」と。


僕は英語が達者ではないのだが、確かにこんなことをいっていた。別段、真剣な話をしていた訳ではなくて、会話の中でサラっと流れてしまうような一言だったが、僕はこのフレーズがやけに気に入った。


以来、「同じ時代を生きられる偶然」というのをかみしめて人と接したいなあ、と思った。


有史以来、いくたの人間が誕生したのかは僕は知らない。ただ、僕は何ゆえか今この時代に生を受けた。


まずは考える。戦国時代でもなくて、幕末でもなくて、昭和の初めでもなくて、今の時代に生を受けた偶然の不思議さを。


そして思う。僕がおつき合いしている皆さんも何の因果か、この時代に生を受けている不思議さを。で、更に思う、それぞれ異なる環境の二つの人生がシンクロした偶然を。


「地球64億人の1位」と世界陸上が連日熱い戦いが繰り広げられているが、考えても凄いではないか、同じ時代に生を受けているのが64億人いる中で互いの人生がシンクロするごく僅かの確率なんて。


「周りにいる人と同じ時代を生きられる偶然に感謝をする」ということを僕はそのチベット女性に教えてもらったような気がした。


日本には5百万近くの会社が存在する。その中でたまたま同じ会社に所属し、同じ時代を生きられる偶然。日本では年間に5兆円に近い広告費が使われる。その中でたまたまうちの会社とご縁をいただいた偶然。


まずは、そんな同じ時代を生きられる偶然とご縁をいただいている事に感謝したい。


その上で、僕は考える。いずれ僕らは引退をする時がやってくる。若い世代から引導を渡される時がやってくる。そんな時に「俺らが生きてきた時代はこうだったな」と同じ時代を生きてきた同志が一人でも多くいるのなら幸せな人生だろうな、と。


人それぞれ、生きる道は違うし、手段も当然違う。成功するとかしないとかのアウトプットも違ってくるだろう。でも、そんなのヌキにして「俺らって同じ時代を生きてきて相応におもろかったよな」「ちょっと同じ時代をいきてきた同志が亡くなって残念だな」と自身の葬式で参列した同志に言ってもらえれば最高だ、と僕は思うのだ。


昨日は飲みに出てちとそんな話をしたものだから、今朝のブログネタとしてみました。今日は夕方から関西です!


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追記 
インドのダラムサラではダライラマ猊下に謁見ができました。天候は悪く、衛生状況も今一つであまり居心地のいい町ではなかったですけど、謁見してそんな思いはすべてふっとびました。「もう旅行はしなくてもいいかな」と思ったのもこの町でです。

August 10, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.09

職業人としての耐力

「運動部の学生はどっちかなんだよな。使えるか、使えないか。運動の体力と仕事の体力は違うからな」


大学4年生のある日、就職活動で訪れた新橋にある某企業で30すぎの担当者に言われた。勉強せずに運動ばかりしていたのが僕の大学時代だ。その言葉は僕のアイデンティティにも関係してくる。「何を!!」と僕は反発した、「誰がこんな会社きてやるか!」と。

それから2年、僕は富山県のある建設業者に営業をかけていた。そこで、バリバリの体育会出身と思われる社長からこんな言葉をいただいた。


「ホワイトカラーに必要なのは『体力』よりも『耐力』。仕事に関係ある本を徹夜で読んだり、企画書を書くために妥協せずに調べあげるのが『耐力』。仕事は面白くやるのが一番だが、修行中の君たちには『耐力』を使う仕事が多く与えられる。もちろん『体力』も必要だけど、『耐力』も意識的に養わないとね」と。


この言葉は僕にとてつもない衝撃を与えた。


僕は思っていた。「大学時代にあんだけ元気だった体育会の学生が、仕事をするとごく普通になってしまうので何でなんだろう??」と。「学生時代にあれだけ忌み嫌っていた(?)「一般的な学生」と変わらなくなるのはなぜなんだろう?」と。(もちろん人によりけりですけどね)


その鍵は、社会人になってから本格的にスタートする「耐力」の鍛え方にあるのではないか、と。なまじ体力があるだけに過信をしてしまうのではないか、と。


先述の社長は、耐力をつける手段として、「本をよむこと」と「仕事の数をこなすこと」が大事だとおっしゃった。それはスポーツ選手が筋力トレーニングをするがごとく、ごく当たり毎日コツコツとやっていかないといけない、とも言われた。そんな中から仕事をする筋肉のようなものがつくられる、とも。


僕は2年くらい前からジムにいくようにしてる。不摂生で体重が増え始めたこと、目の下のクマがとれず不健康な顔色になっていたこと、などだからだ。経営者の健康は最大の経営資源だ、と考えるとこれは仕事をする以上に大事なことだと考え方をシフトした。


体力不足は「最近、体がなまってるな」だとか「寝起きがしんどいな」だとかと具体的に認識できるからまだいい。けど、耐力不足はなかなか自覚しにくいのでやっかいだ。


特に、部下や後輩ができていくと雑務をこなすことが少なくなっていったりする。仕事を後輩に任せたりできるようになる。何となく仕事のテクニックみたいなものを身につけていくので、形をとりつくろうことができるようになったりする。お付き合いの飲み会などが増えていって仕事の絶対量が減ってきたりする。その結果として「耐力」はだんだんと落ちていく。若い頃に培った「耐力」のストックはそうそう無限に貯蔵されている訳ではない。「体力」と同様、鍛え続けないと。


先日、このブログが縁である若い人(20代中盤 ♂)と会うことになった。「会社を創りたい」という意欲にみちていて、非常に好感の持てる方だった。今は会社に勤めていて、あと2〜3年のうちに何かしらをしたい、のだという。「いったいそれまでに何をしたらいいのか?」と言われたので、「本を読むこと、早起きして仕事すること、土日に連休をとらないこと」と話をした。


「将来は人と違う何かをしたい。けど、何をしたらいいのか分からない」と漠然と思ってる人は多いだろう。目標や夢がいまいちあやふやだから何をしていいのか分からない、というのもよく分かる。だからといって何も行動をしないのであれば、心もとない。夢や目標なんてぽっと現れるものではない。時間と労力を使って、自分の中から掘り起こすものだ。


そんな時は、「耐力」をつけるためのトレーニングをいまのうちにしておこう。そのためには、たんたんと数多くの仕事をこなすことだ。本を読むことだ。


10年前とは比べものにならないくらい忙しい時代だ。「土、日曜日くらい休んでもいいでは」とも思わないでもない。けど、僕は職業人として一流のイチローや松井が週休2日だとは到底思えない。「人と違う何かをしたい」という熱い思いを持つのであれば彼らの何十分の一かでも努力(この言葉は嫌いですけどね)をしていくくらいの覚悟はごく当然のことだ。


かくいう僕はここ最近、体力は確実に復活をした。2時間スタジオで動いていても全く問題がない。では、肝心の「耐力」は・・・これは難しい。僕は比較的他人から強制をされない環境で仕事をしている。これはともすると易きに流れていってしまうおっかない仕事環境だ。せめて、毎日ブログを書いて職業人としての基礎トレーニングだけは欠かさないようにしよう、と思っているのだが。


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追記  最近、韓国の方に道を尋ねられます。髪を短くしたので、韓国人っぽいのでしょうね。

August 9, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.08

信じられる会社・信じられない会社

ついにこのブログも半年目に突入した。記事数もまもなく100本に突入する。


そもそものきっかけは、「ブログメディアに取り残されないようにしないと」と職業的な思惑で書き始めたのだが、これが書いてみるとなかなか面白い。


最初はごくごく近い人に「ブログを書き始めました」と、メールを送る際に一言添えた所からPRをはじめた。次に、ブログのアドレスが入った名刺を200枚つくってみた。大学時代の仲間に、スポーツクラブで一緒になった人に、銀座や新地など飲みにいった先などなど、仕事のお客さまとは遠い所から名刺を撒いていった。

すると序々にだが、アクセスが増えてきた。それとともにいろんな動きがあった。


昨日は2時まで飲んでいた??ってうちの店には全然こないじゃない」と縁ある飲み屋さんのママさんから。「えっ!YUKIのファンだったんですね。全く知らなかった」と昔の旅仲間から。「格闘技やってたのは知ってたけど・・かなりおたくとみましたよ」と同業者から。「知り合いに起業したいという若い人がいるけどぜひ会ってもらえないか」と昔からの友人から。「田坂先生のファンなんですね。うちの会社の顧問なんですよお〜」とスポーツクラブで一緒の女性から、その他にもモロモロ・・、と。


お客さまには「きちんと更新が続いたら教えよう」と、あまりPRをしていなかったのだが、最近では会社のHPからリンクを貼ったので相応にアクセスがあるようだ。プリントアウトした僕のブログを前に「社員に読むように、といっています」といわれた時は嬉しかった。


時代の価値観は「良い・悪い」「好き・嫌い」を越えて、「信じる、信じない」の段階に入ってきた
CSR(企業の社会的責任)などが問われ始めてきたのは、信じられる企業の選択が始まった証拠だろう

とマーケッター・谷口正和先生が最新著書(『オンリーワンのつくり方』講談社)で書いている。


それは一種の「布教活動」のようなものであるという。お客さまに信じていただくためには、自分の情報開示をするしかない。当社はこんなことに関心があって、こんな事を考えていて、こんな美意識を持っている、ということを主張しないとこれからの時代「信じる・信じない」の土俵で戦うことができなくなっていく、と僕なりに解釈をした。


ブログはそんな時代にとっても適したメディアだ。


僕が事業を行っている広告業界は、ともすると分かりにくい業界だ。外部から見ると、価格が不透明だったり、事業のしくみが分かりづらかったりとする、と思う。そんな中でいままでは「良い広告会社」「悪い広告会社」という選択がお客さまの選択基準の一つだった。出版社に対して交渉力や人脈があったり、企業規模が大きいということが力だった。


けど、これからは「信じられる広告会社」「信じられない広告会社」という選択要素がどんどんと強くなっていくだろう。「私は騙されたくはない」という欲求は今の時代非常に強い。「たとえ価格が高くなっても、信じられる所と取引したい」と思う方も案外と多い。だから、信じられる会社にお客さまや情報が集まってくるのはごくごく当然の流れだ。


では、僕らはどのようにして信じられる会社になっていくのか?それはブログを書くのが第一だ。「信じてください」とやるのではなく、自らの美意識や哲学をたんたんと打ち出しさえすればよい。それらに共感した人にとっては「信じられる会社」として認められることだろう、と僕は思うし実感覚として感じている。


半年経過して、記事もそこそこたまってきたので僕はブログを一般にPRしていくことにした。そんな中から僕の将来を変えるような出合いができればいいなあ〜などと思いつつ。


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いままで読者の多くは顔の見える方ばかり(多分、そうだと思うけど)だったと思うのだが、これからは一般ブログマーケットでもやっていけるよう進化していきたいと思ってます。


ぜぜひ、協力をお願いしますね。

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追記 これからはブログ立ち上げを仕事のメニューにいれていこうと考えています。個人経営者、社長のキャラが大切な業界、値段設定の高い業界はブログは必須です。そのうち、動画配信できるようなブログができたりしたら、個人がメディアを持てる訳ですからね。

August 8, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.08.07

亡国のイージス、を見て

今話題になっている映画「亡国のイージス」を見に行った。

「よくみろ日本人、これが戦争だ」  

国家に反旗をひるがえした自衛官(?)とテロリストが結託、全ミサイルの標準を首都東京圏内にあわせる。国家への復讐に燃える反乱軍から、艦を取り戻すために伍長と海士が過酷な闘いに挑む。そんな中でテロリストが口にした台詞だ。

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真田広之がみせた迫真の名演技の数々
「日本映画は韓国にはかなわない」とは
この映画を見てからでも遅くはない(かも)

「国を守る」という国際社会の中では当然のことが我が国では憲法の制約があってできかねる。「よくみろ日本人!」などと、イージス艦強奪云々はともかく、テロリストがやってくるのは絵空事ではない現在、それなりのリアリティをもってこの映画を見た。


かつて「日本人は水と安全はタダだと思っている」といった作家がいた。


これは世界の常識の中では、かなり異質なのだという。安全を守るには相応のコストと人的な犠牲が必要だ。自由の国アメリカに徴兵がある事実を僕らは真摯に考えないといけない。


安全を守るためのコストは僕らは分担をしなくてはいけない、と僕は考える。そのために税金が高くなるのなら全く問題はないし、訓練をしなくてはならないのなら僕は嫌だけどでかけるだろう。「自由だ、平和だ」とやっていれば平和は守られるという時代は終焉を迎えたのだから。


12億円の予算と、防衛庁、海上自衛隊、航空自衛隊の協力を得て実現した本物のイージス艦や実物大のオープンセットを建造しての映像は「これが日本映画?」と思わせない圧倒的なリアリティと迫力を持っていた。


日本の上層部がテロリストから最後の決断を迫られている場面の緊迫感がなかったり、女性テロリストが突然でてきたり、「亡国」っていっている割には「私欲」で行動していたり・・とつっこみたい部分はいろいろとあるが、僕は純粋に面白かった。


我が家のベランダからは防衛庁が見える。普段は夜になると電気が消えるのだが、たまに夜遅くまで電気がついていることがある。「すわっ!事変発生??」と思い戦々恐々としているのだが、今のところは何もないようだ。けど、僕らが知らないだけできっと防衛庁の人はいろいろと動いているんだろうな。


僕は戦争を肯定しよう、とは思わない。けど、国を守るというのはごくごく当たり前のことだ。子供だって自分のおもちゃが取られそうになったら必死に反抗するではないか。 理屈の通用しない人間が、理由もなくやってきたら僕はきちんと戦う人でありたい、と思う。


けど、それは最悪の話。そんな状況にならないように防衛庁は存在するのだ。目まぐるしく動く国際情勢の中、防衛庁も常に進化していかないといけないから大変だ、ぜひ頑張ってほしいと思う。僕はこと国防に関しては何もできないけど、せめてきちんと法人税を払うことでお役立ちしたい。変な節税をせずにね。それが僕なりの国を守る、という具体的な行動だ。

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August 7, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.06

仕事で「てんぱる」!その前に

「お前どこで何しとん??こっちはみな月末でてんぱってるんだよ!」


雑誌の入稿締めきりが近くなると本社にいる上司から電話がかかってくる。趣旨は良く分からないのだが、とにかく「バタバタ」で「てんぱって」いて、「ひっちゃかめっちゃか」なのだという。


要するに「お前も仕事をとってこい!」「こっちはこんだけやってるんだ!!」ということをいいたいらしい。僕が今の会社をつくる前にお世話になっていた会社での話だ。

この上司は、こと「仕事をとってくる」ということにかけては天性の才能がある方だった。第一印象で与える好感度、広告のプロとして自信満々な語りぶり、「社長助けて下さいよ〜」と卑屈になりすぎずにお願いする姿勢、「調子はいいけど憎めないし実力もある」と思っていたクライアントは多かったはずだ。


僕より5歳ほど上でしかなかったのだが、「こと、仕事をとってくることにかけては絶対に勝てないな」と思った。とにかく、面倒見もよくて学ぶことの多い上司だった。(今ではいろいろとありご縁がないのだが、大変に感謝しています。)


けど、僕には一つだけ違和感があった。それは、上司が「てんぱる」を多用することだった。


「てんぱる」という言葉にどれだけの普遍性があるか分からないが、僕らの周りでは普通に使われる。「てんぱっていて、手をつけられなかった」だとか「すみません、てんぱってまして」など、目一杯で頭が混乱している状況を表すのに使われている。


もともとは、麻雀の「テンパイ」からきたらしい。いつでも上がれる、という状態が転じて、あと少しでどうしようもなくなる、という意味だそうだ。


僕は人間にとって言葉のマネジメントはとても重要だと考えている。「暑い」「寒い」「忙しい」「疲れた」「時間がない」「だるい」「面倒だ」などといった否定的な言葉を、他人との会話の中で何気なく使わない、というのはより良く生きる上での投資効果がめちゃめちゃ高い、と考えている。


もちろん、「今日は暑かったねえ〜」だとか「疲れたでしょう」と他人に語ることはごくごく普通にしている。「否定的な言葉を使わない」ということではなくて、こと自分に対して向ける言葉としてこれらの言葉は絶対に使わないということが大切だ。(僕は多分つかってない、と思うのだが・・へこんだ時には無意識につかっているか??)


「てんぱる」もそんな言葉のひとつだ。確かに、膨大な仕事を目の前にして「こりゃやばいな」という状況は働いていればあるかもしれない。僕もかつては、誰もいない夜中の会社でロッカーを蹴っとばしたりしていた。創業時は「てんぱる」という状況はごくごく自然のことだった。


けど、「てんぱる」ってあまり格好のよくない言葉で自分の可能性が狭くなるのがとても嫌だった。「僕はてんぱってまして」というのは「僕はこんなことしかできないんです。助けてくださいね」といっているみたいでとても嫌だった。


だから仕事ができて、尊敬もしていた上司がごくごく何気なく「てんぱる」を使うのにとても違和感があったのだ。


「てんぱる」を口にする前に考えよう。「そもそもやることが多い」のか「自分にそれらをやるだけの力がない」のか、を。


仕事の多くは「時間をかける」「お金をかける」「人手をかりる」、それさえできれば何となしに課題は消えてしまうものだ。てんぱる、を口にする前に「それらの手段がとれないか」を考えよう。


けど、人により働く環境はまちまちだ。これらの手段がとれない、という職場もあるだろう。で、あれば1時間くらいぼーっとしよう。しょせん「てんぱった」状態で仕事してもまともな仕事はできまい。仕事をさぼって喫茶店にでもいって、頭をリセットしよう。


それでもだめなら「俺はてんぱってるな、なーんてね」とでも言っておこう。その言葉を口にした時点で、「てんぱっている自分」から「てんぱっている自分をみている自分」に立ち位置が変わってくるはずだ。


それでもだめなら、ごくごく控えめに、万感?の思いをもって「てんぱってる」を口にしよう。


「お前のブログは世話焼きじいさんだ」と15年来の友人からメールをもらった。確かに、そうかもしれない。「てんぱる」なんて言葉云々を語るのをテーマにして、「こうしよう」「ああしよう」といっているなんてなんて世話焼きだ、と僕も思う。


でも僕は「ひとはそれぞれでしょ」って今の社会が持つ文化が嫌いだ。「僕はこう考える」という個人のぶつかりあいが、他人と一緒に生きる、ということだと思うのだ。だから、世話焼きよろしくこれからもいろいろと書いていく。


「『てんぱる』だとか、『だるい』なんて言葉一つで何が変わるのよ」と思われる人は、例えば「お父さん(お母さん)忙しくてね、てんぱってるのよ」といい続けて子供を育てて欲しい。120%まっとうに子供は育たないだろう。


ぜひとも会う人ごとに「最近、だるくてねえ〜」だとか「疲れたわあ〜」をいい続けて欲しい。友人は確実に減っていき、誰にも干渉されない老後を送る事ができるだろう。


日本は言霊文化の国だ。ささいな言葉の持つ力をあなどってはならない。


追記 
この上司と働いていた頃は、毎日3時〜4時ごろまで飲んでました。毎日、何を話していたのか覚えてませんが、きっとその時のさまざまなやりとりが会社をやる上で役にたっているんでしょう。今週は月曜日からよく飲みました。週末は肝臓を休めます。

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August 6, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.08.04

ひとそれぞれの宿命

僕は旅をしている間、基本はドミトリーにとまっていた。ドミトリーとは、3〜10人ほどが入れる大部屋で、基本的にベットだけ借りる。インドあたりで150円くらいから、タイあたりで200円くらいからだったかな?とにかく安いのが売りだ。


国籍、男女、老若を問わずに旅人が集まるので、いろんな情報交換がなされたりする。僕が旅に出よう、と思ったのはドミトリーで旅の情報交換をしている旅人を見ていいなあ〜、と思ったということは以前にも書いた。僕もこの共同宿泊施設でいろんな人の生きざまに触れて、いくたの勉強をした。

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ベトナムのハノイのドミトリーに宿泊した時のこと。


3日ほど前から隣のベットにいたスイス人の女性が、外出先から泣きながら帰ってきた。当時27才の僕よりちょっと若いその女性は半年かけてベトナムの少数民族を研究しているのだ、という。興味深い話の数々に僕の好奇心はかきたてられ、毎日彼女の話を聞いていた。


「今日は郵便局にでもいって、久しぶりに自宅に電話でもしてくるわ」といって外出したのが数時間前。その間に、一体何があったのだろうか?彼女は全く語ろうとしない。ずっと水を飲み続け、泣いている。


ドミトリーには僕の他にノルウェーの女性と日本の男性がいた。けど、僕らは何もできずに彼女を見守るしかなかった・・。


しばらくすると彼女が口を開いた。何でも「自宅にしばらくぶりに電話をしたら弟が交通事故で亡くなっていた」との知らせに接したそうだ。部屋にいいようのない空気が流れた。


「そうなの・・」とノルウェー女性が口にした。「いくつだったの?」だとか「兄弟、仲はよかったの?」だとか話を続ける。口数は少ないが、ポツリポツリと語るスイスの女性。そんな中、僕は彼女を前にどうしていいかが分からなかった。


翌日、彼女はスイスに帰っていった。「またどこかで会いましょうね」といって明るく宿を出ていった彼女。僕は自分の非力さ、器量のなさのようなものに自己嫌悪を感じていた。このまま旅なんかしていてもいいのか?と思った。


人の器量、みたいなものは想定外の出来事が起きた時に真価が問われる。想定内の出来事の中では、誰しもが器量を持って(るように)生きていける。今思えば、あの状況で周囲が何をできる訳ではない、と思う。どんな言葉をかけても慰め程度にもならないだろう。


ノルウェーの女性はそれをきっと分かっていた。そして、彼女なりにできることをその場の判断で行っていた。事実、当初はポツリポツリとしか話せなかったスイス人の女性が序々にではあるが落ち着きを取り戻していった。明らかに人としての器量、で僕は負けていた。


旅には喜怒哀楽が凝縮されている。いろんなことが起きるので自分を発見する機会が増えていく。何が得意で何が不得意かが分かっていく。どんなことに怒り、どんなことに感動し、どんなことに困るのかが分かっていく。それはとりもなおさず「自らの役割」(=生きている宿命、のようなもの)に出会いやすくなる、ということだ。


僕は何ごとも努力、努力でやれば何とかなる、とは思わない。人にはオギゃーと生まれた時から与えられた役割のようなものがある、と思うから。自分なりの役割を見つけて、それを最大限に活かす事が生きることだと考えている。僕はあの状況で何もできなかった、というのはその後も僕の中で大きなテーマとなった。逆にいうとそんな事を通じて、僕は自分の役割を考えた。「一体、俺にはどんな役割が与えられているのか?」と。


追記
僕もインドから数週間ぶりに電話をしたら叔父の訃報に接しました。

August 4, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.03

元旅人の将来設計

「大塚君ちは海外ばっかいってていいねえ〜」と妻に嫌味をいわれるんだ、と僕の友人にいわれた。


僕の個人向けの年賀状は「あそこにいった!ここにいく!」みたいなことばかり書いている。だから年柄年中どこかにいっている、と思われるみたいだ。最近はこのブログもそれに拍車をかけている。

今ぐらいの時期になると「夏はどこにいくの?」と必ず聞かれる。それも、「海外に行くの?」というよりは「どの国にいくのか?」というニュアンスで聞かれる事が多い。


けど、皆が思っているほどしょっちゅう海外にいっている訳ではない。ここ数年の海外訪問国を振り返ってみたがこんなもんだ。

2003 
バンコク(タイ)、カサブランカ他(モロッコ)、アムステルダム(オランダ)、セブ(フィリピン)

2004 
福健省(中国)、ミュンヘン(ドイツ)、ザルツブルグ(オーストリア)

2005
ソウル(韓国)、デンバー(アメリカ)


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中国 福建省の客家円楼

これが多いのか少ないのかは人により評価が分かれるだろう。「年に2回は海外??おいおいいい暮らししてるなあ〜」と思われる方もいるかもしれない。


けど、我が家には自家用車がない(バイクも売ったので、自転車が2台しかない)し、家も賃貸で住宅ローンがない。洋服を買う事も少ないし、時計や鞄などもあまりこだわりがない。子供もいないので教育費はかからないし、ギャンブルの類いは一切しない。


だから、旅行くらいには(あとは食べること!)お金を注ぎ込んでもバチはあたらない、というのが僕の家の考え方だ。その旅行も、安宿にとまったりするから安くあがるし・・(新婚旅行で空港野宿がスケジュールに組み込まれてたりする)

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カサブランカ(モロッコ)の空港で野宿する我が妻
空調がほどよくて寝心地は抜群!


僕には将来、夢がある。海外を旅行しながら仕事が回っていく仕組みをつくることだ。


インターネット回線を通じて週に2回は日本の会社と会議を行いながら僕は旅をする。パキスタンから、イースター島から、シリアから、僕は会議に参加する。例えば、東京で夜の7時は、アメリカで朝の4時。と、いうことは僕が海外できちんと仕事をするのなら、うちの会社は常になにかしら動いている会社になる。これは凄い事だ。


それで、海外に1ヶ月でもいって帰国する。社員は社長がいないのだから自発的に仕事をして成長を遂げている。僕は海外で得てきたことをネタに新しいことを考えつく。それをお客さまに伝えていく・・どこをどうとっても最強のビジネスプラン(?)だ。


そんなことを創業時に考えて早5年近く。序々にではあるが、基盤は築けてきたかもしれない。いつかこのブログに【サンパウロ発】だとか【ナイロビ発】だとかが載ることを夢見て・・

と最近、硬いテーマが続いたので、今日はやわらか系のネタでした。【東京/飯田橋発】


追記
今年の夏はどこにもいきません。スポーツクラブとゴルフの練習と読書と部屋の片づけ、あとはお墓参りでしょうかね。カザフスタン、イエメン、インド・・行きたいところはいろいろあるんですが今年はおとなしくしようと思ってます。


August 3, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.08.02

カリスマのマネジメント

「猪木はジャーマンスープレックスはもう、やれないだろう!」


時は1984年の今日、8月2日。当時、所属していた新座第四中学校野球部は大のプロレスファンの集まりだった。「アントニオ猪木VS長州力」が遂に遺恨の戦いに終止符を打つ、ということで僕らは友人宅に集まった。


当時のプロレスファンは、「全日派」と「新日派」に二分された。明るく楽しいプロレスを標榜するジャイアント馬場率いる「全日本」と、ストロングスタイルを標榜し、プロレスは格闘技最強を標榜するアントニオ猪木率いる「新日本」と。

全日派と新日派とが、お互いの視点でプロレスを見て、語る。現在みたいに、団体が無数に存在するプロレス乱世の時代ではない。カラーが明確な巨大2団体が微妙なバランスをとって存在している、今思えばいい時代だった。


僕は、大の「新日派」だった。けど、その頃の猪木さんのファイトには精彩を欠く試合が多かった。だから、冒頭の「全日派」の一言は大きかった。


プロレスの大技、ジャーマンスープレックスホールド(原爆固め)は相応の負担が体にかかる。かつての猪木さんはたびたびこのワザを使っていたが、少なくとも大舞台で3年はこのワザを封印をしていた。


「猪木はジャーマンをできるか?」は僕ら「新日派」の大きな関心事だった。僕は「大丈夫だ!これ、という一番で必ず炸裂する」と主張していたが、実際は心もとなかった。


その瞬間だ、長州の背後に回った猪木さんが綺麗な弧を描いた。「ジャーマンスープレックス〜!!」古館アナウンサーが絶叫する。マットに叩き付けられる長州、スローモーションのようにパーフェクトな形で原爆固めが決まった。僕は生涯、この日の感動を忘れられない。


カリスマ性のある人、というのがいる。超人的な力、教祖的な指導力を発揮する能力を備えた存在だ。そういう意味では、アントニオ猪木さんは稀代のカリスマだった。


僕らは猪木信者だったし、猪木教の信奉者だった。「諦めたらなにもはじまらない」だとか「物乞いになるなら、世界一の物乞いになれ」だとかいうメッセージに僕は大きな影響を受けた。強くなれば、猪木さんみたいになれる、と僕は単純に思って格闘技に目覚めた。


あれから、20年あまりが経った。猪木さんが「イチ、ニー、サン、ダー」を始めたころから軸がぶれてきた、と僕は感じている。それと同時に僕もプロレスを見なくなった。見るのが辛くなった、といってもいいかもしれない。猪木さんはいまでも精力的に活動を続けて、格闘技界のフィクサーみたいな存在になっているらしいが、あまり関心はない。


別段、「古きよきプロレスを懐かしむ」という懐古主義でもないのだが・・・。でも、l僕は今でも猪木さんが好きだ。けど、その多くは子供の頃にもらった感動や興奮、驚きなどの貯金のような気がしている。(そう考えると、膨大な貯金をもらっているなあ〜)


カリスマ、というのはその存在が強すぎるがゆえに、晩節のマネジメントが難しい。僕の近くにもカリスマ的な指導者がたくさんいらっしゃるが、勢いのある時は爆発的なパワーを発揮している。次々と手をうって、トップマネジメントで全て自分で決済をしていく。


けど、勢いが衰えた時、自分が一線を引こうとした時が難しい。自分の存在が強いがゆえに、No.2以下の人材が育っていなかったり、「俺が出なければ」と身をひけなかったりとする。第一線にしがみつく人も多いだろうが、多くはしがみつかざるを得ないのではないだろうか。


いきなり組織の話になるが、組織にとってカリスマの存在は時には害毒だ、と僕は考えている。


永続する企業の生存法則を書いた名著『ビジョナリーカンパニー』(日経BP)にも「世間の注目を集めるカリスマ的なスタイルは、ビジョナリーカンパニー(永続的な企業)の基礎を固めるのに、まったく不必要だ」とまとめてある。


野球の長島茂雄、ダイエーの中内会長、西部の堤会長・・昭和を代表する偉大なカリスマが第一線を引きはじめている。それと同時に、それぞれの組織は迷走を続けている、と報道がなされている。


アントニオ猪木さんの生きざまをみて僕は思う。「カリスマは重荷を背負っていきる存在」だと。数万人に一人の存在であるカリスマは、天から優れた才能を授かっている。(もちろん努力は前提、ですけど)その才能はマネジメント如何では、武器にもなるし、自らに向かってくる刃にもなりうる。


多くのカリスマや、それをとりまく組織が一つの時代の終焉とともに迷走を続けている。これからはカリスマのマネジメントが求められる時代になりつつある、と僕は考えている。だからといって、凡人の僕になにができるというわけではないのだけど。

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最近発売されている、猪木さんのビデオのパッケージ。
試合前の直立不動の姿だけで絵になるまさに稀代のカリスマ、だ

August 2, 2005 | | Comments (6) | TrackBack (0)

2005.08.01

そんな売り方したらあかんで

「自分なあ〜若いからってそんな売り方したらあかんで!」


建設会社の部長の一言は僕に大きなショックと反省、そして自己嫌悪を与えた。それは、営業マンとして2年目の僕が「営業力とは?」「営業とは?」について明らかに間違った考えを持っている、と気がついた瞬間だった。

僕は、大学を卒業してある経営コンサルタント会社に入社した。


建設業や飲食業の経営者や幹部を中心に、経営改善の提案や人材育成の提案をするのだが、なかなかこういう提案をするのは難しい。そのため、若手の営業マンは1日3万円くらいの経営セミナーなどの集客や社員教育用のビデオ教材などを販売して売り上げを稼いでいく。その中で、縁があった会社に経営改善などの提案をしていく、という営業幹部の戦略だった。


会社が売り上げをあげるには、極論だが「営業マンを動かす」か「広告を打つ」しかない。(口コミなどの手段もあるが、これは高い戦略性をもたないと成り立たないからここでは考えないことにする)今、僕がこの会社の営業幹部だったら広告媒体を使ってのビジネスモデルを考えるだろう。おそらく、それが費用対効果として有益だと思うからだ。


僕がいた会社は、「営業マンを動かす」の戦略をとっていた。全国に営業所を配置し、飛び込み営業を軒並み行っていく。「社長いますか?」「専務いますか?」とやっていく。


けど、市場は限られている。僕がいた北陸地方(福井、富山、石川)だと、数ヶ月も飛び込みをすると訪問する会社のネタが尽きていく。「そんな中でどう新しい提案をするかが大切なんだ」と上司から叱咤されても、新しい商品はなかなかでてこないし、どんな手段をとったらいいのか分からない。いきおい、いままで案内した商品のお願い営業になっていく。


「部長の力でなんとか」だとか、「お付き合いでお願いします」だとかがはじまると営業はドツボ、だ。商品を、サービスを安売りすることで自分と商品のブランドを自ら低めていくからだ。自分の商品に自信を持てない、ということは自分の仕事や会社に対して自信を持てないことにつながる。


僕もそんなマイナスにスパイラルを描きはじめていた。どんどんネガティブな思考になっていき、週の始まり月曜日がしんどくなっていく・・・。そんな時に、冒頭の言葉をいただいたのだから衝撃は大きかった。


どうしても、売り上げをつくらなくてはいけない状況で僕がとった手段は「最悪キャンセルしてもいいですから、とりあえず今日ハンコください」と、お願いすることだった。「これ売らないと会社に戻れないんです」と憐れみ(?)を乞うことだった。そんなことをしても売り上げ数字をあげる、というのが営業マンだと僕は考えていた。そんな状況でも負けずに諦めないのが営業力だと思っていた。


けど、それは誤っていた。「自分を磨くための仕事で、自分が卑屈になってどうするのか?」僕はお客さんからそんなメッセージを投げかけられているような気がした。以後、僕はこういう売り方から足を洗おうと考えた。


それから数年後、僕は会社をつくるにあたり「売りたくない商品は売らない」、「お願い営業はしない」など、いままで営業をしていてイヤだったことはやらない、と誓った。「やりたくないこと」を明確にすると、「やりたいこと」が明らかになってくる。そこには、作用反作用の法則が働くからだ。

いろいろと考えるで「お客さまが欲しいモノを販売することに力を注ぐ」という一つの方向性が出てきた。


いままでの日本の営業は、「メーカー主体の販売代行」といビジネスのモデルだった。が、これからは「顧客主体の購買代行」のビジネスモデルを軸に構築しないといけない、と考えた。


「売るためにはどうするか?」をメーカーの視点で考えるのではなく、「お客様は何が欲しいか?」に時間と労力を使うのだ。そんな考えの中では、広告代理業だとか建設業だとかいった業種のくくりも時として不要になってくる。お客様が欲しいのは別段、広告のスぺースやデザインだけではないのだから。


僕は飛び込みで営業マンが訪れるとなるべく会うようにしている、とはいつかも書いた。そこからどんな縁が広がるか分からないからだ。


けど、「会社からやれっていわれてるんですよ」だとかを軽々しく口にする営業マンにはちと厳しい。「そんなの俺の知ったことか」と初対面でも平気で口にしてしまう。「別段、嫌われるようなことをいわなくてもいいじゃない」と言われることもある。


けど、おせっかいだが僕は憎まれ口をたたいてしまうのだ。「そんな売り方したらあかんで」といってくれた部長へのご恩返しといったら格好よすぎるが・・・。


追記  僕は今でも、「イヤなことをやらない」営業組織を作りたいと思ってます。けど実際には、「イヤなことを経験しないと、イヤではないこと(=こうありたいということ)が何か分からない」というのも現実です。むちゃくちゃな組織に所属したり、価値の低い商品を販売したり、はいつか必ず肥やしになると思ってます。「あんな会社や組織はイヤだ!!」と思いが強ければ強いほど、理想は明確になっていきますからね。


August 1, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (0)