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2005.11.30

欠陥マンションの報道をみて考える

耐震基準を満たしていないマンションがここ数日問題となっている。


昨日は、国会で参考人質疑が行なわれ、渦中の人物がブラウン管の前に姿を現した。


そのテレビ報道を見て思った。


「僕は住人の側からではなく、問題を起こした経営者側から一連のニュースをながめているな」と。

多くの人にとっては一生に一度の買い物であるマンション、それを今回のような物件をつかまされたらたまらない。


最悪の最悪として、ローンは残るが住むところは失う(引っ越しや住み替え費用も自腹)と報道されている。住んでいる方の心痛はいかばかりか、と思う。


もし僕が住人で子供や、親世代がいたらどうすればいいのだろう?と途方に暮れる、とも思う。やりきれなくて仕事も手に付かないだろう、とも思う。


が、僕はヒューマニストではない。地球上の全ての人を幸せにしたい、なんて考えをもっていない。


まずは、家族や知人、友人などといった身の回りの人に対してできることをする、を信条にしている。だから、縁がない方の心情を共感するにも正直、限界がある。


「住民の方のことを思うと・・」と過剰なまでに共感をするコメンテーターなどを見ると、「だったら1円でも寄付すればいいではないか」と思う。彼らは正当な意見をいうのが仕事、とはわかってはいるけど。


が、「もし仮に僕が問題を起こした会社の経営者だったら」と考えると、いてもたってもいられなくなる。


住人だったら、と考えるよりも何倍もリアルに、ビビッドに当事者に近い形で問題を考えられるような気がする。(これは我が家が賃貸マンションで持ち家でないのも影響している、と思う)


だから、テレビを見ていてもこんなことばかり考える。


●「もし自分がH社の社長だったら、どういう対応をするのだろうか?」

●「社員に、お取引先にはどんな形で今回の話をするのだろうか?」

●「参考人招致に呼ばれたら出席して意見をいえるだろうか?」

●「隠さなければならない事実があるとしたらどこまで自分には隠せるだろうか?」

●「普段、仕事の美意識などといっているけど、こうした状況でもそんな綺麗事がいえるだろうか?」

●「仮に公的資金が導入されたとしても、信用を失った中での営業戦略をどう描くだろうか?」

●「そもそも、取り引きの多い元請けから今回のような依頼をされたら、毅然と断れるだろうか?」

●「K建設の社長は部下の責任にしていたが、自分がそうしないといいきれるだろうか?」
  など・・・・


人間、修羅場になると本質が隠せなくなる、とはよくいわれる。


僕は会社の代表としてどんな本質を持っているのか?こればかりは日常のたんたんとした(?)毎日の中ではなかなか現れない。誰だって、格好つけていられるだろうし。


が、生き死にがかかってくると嫌でも人の本質は表出してしまう。それが、どんなものかは大きな修羅場を経験した人でないとわからない。


そんな時にぶれないために、経営者は仕事の軸を持つのだ。自分なりの哲学、を持つのだ。そして、それに照らし合わせて行動できるような自分を作り上げるのだ、と改めて考えた。

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追記
今回、一番取り上げられているH社のHPを見ていたらこんな文言がありました。


●「Gステージ○草」
  既契約者様・説明会を12月中旬開催予定
  (既契約者様には個別にご連絡申し上げます。詳細は各営業担当まで)

マンションを販売した営業担当者も辛いところ、ですね。


僕はお客さんの不利益になるものは売りたくない、という姿勢を持っていますので心痛はいかばかりか、と思います。


「もし、僕が営業担当者だったら会社を辞めるという選択をとらないだろうか?」そんなことも考えてしまいますね。

November 30, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (2)

2005.11.29

この本に出会わなければ・・がきました

「この本に出会わなかったらどうなっていただろう」


という本が存在する人生は幸せだ。


そんな本の数だけ彩り多い人生を送っている、と僕は思う。


僕は仕事柄(といよりは広告の仕事をしている以上、といった義務感が半分)よく本を読む。


が、最近の本に「こんな本を書いてくれてありがとう!」という本は少ない。

もちろん、僕自身の目利きの問題もあるのだが、それ以上に出版業界に志がなくなりすぎた。


横並びの企画、真似だらけの装丁、大量生産がゆえの内容の軽さ・・・こんな著者に何が書けるの??といった人も決して少なくはない。(早晩、そうした人は淘汰をされるけどね)


僕は1年間に300册くらいは本を読むけど(雑誌、漫画は除くですよ)「これは何回も読もう」という本はせいぜい10册くらいかしら。その中で、「この本に出会わなかったら・・」となると、1冊あればいい方だ。


昨日、そんな本がやってきた。


僕のブログではたびたび登場している田坂広志先生(多摩大学大学院教授)の新著『使える弁証法〜ヘーゲルが分かればIT社会の未来が見える』だ。


「ドイツの哲学者ヘーゲルの弁証法を使って未来を洞察したり、物事の本質をつかんだりする」という哲学的思索のための本、だ。


「ヘーゲル」!、「哲学」!!、「弁証法」!!!と聞いただけで嫌気がさしたんだけど、田坂先生が書いた本なので早速読んでみましたが、これがびっくりです。


今まで会社をやってきて「なんとなくこうだろうなあ〜」と思ってきた事が弁証法の視点からズバリと説明ができるんですね。昔の人の叡智ってすごい。


●「螺旋的発展」
●「否定の否定による発展」
●「量から質への転化による発展」
●「対立物の相互浸透による発展」
●「矛盾の止揚による発展」


これらをつかめば、世の中の変化の本質がわかったり、世の中の変化の未来が見えるようになる、というのだ。


例えば一つの例、として。


インターネットが流行する。それが一段落つくとする。


すると古い時代の遺物(?)が息を吹き返す。例えば、フリーペーパーなどの紙の媒体が勢いを盛り返す。数多く発刊されたり、様々なジャンルのものが相次いで創刊されたりとする。


これはヘーゲルの哲学でいうところの「螺旋的発展」だとか「否定の否定による発展」の法則で説明ができるそうだ。


更にもう一つの例、として。


「ネットVSリアル(店鋪)」と一時期いわれていた。ネットが隆盛して、リアルは廃れると真剣にいわれていた。


が、最近ではネットだけでは不十分になりつつある。ネットとリアルの融合なしには大きなビジネスは成功しなくなってきている。


これも、「対立物の相互浸透による発展」の法則で説明ができるそうだ。


改めて、昔の人の叡智って凄いなあ〜と。時代の風雪に耐えた学問は素晴らしいな〜と。


印象に残った所はいろいろとあるんだけど、一つだけ


すべての物事には、その内部に「矛盾」が含まれているが
この「矛盾」こそが物事の発展の「原動力」となっていく
そして、この「矛盾」を機械的に「解消」するのではなく
それを弁証法的に「止揚」した時に、物事は発展を遂げる
(P161より)


止揚、ってちょっと難しい言葉だけど


お互いに矛盾し、対立するかに見える二つのものに対して、いずれか一方を否定するのではなく、両者を肯定し、包含し、統合し、超越することによって、より高い次元のものへと昇華していくことです。(P165)


という意味、みたい。


企業経営における「利益追求」と「顧客満足」の問題なんかそうだよね。


安い価格で商品を提供すれば、顧客に喜ばれる。けど、その結果として企業としての利益は小さくなってしまう。結果的に、安い商品を提供できなかったり、サービスに支障をきたしてしまったりとする。


でも、そうした矛盾を弁証法的にマネジメントするのが企業経営の要諦、経営者の腕の見せ所、だね。


更に先生はいいます。


この世に存在する様々な「矛盾」を前に、それを深く心の中に把持し、


「割り切る」ことなく、格闘し続ける事。


それは、まさに「魂の強さ」とでもよぶべき力量が求められる営みなのでしょう。


そして、そのことを理解するとき、我々は、


古くから、優れた経営者や指導者に贈られる、あの言葉の、本当の意味を知ります。


「器の大きな人間」


それは、心の中に、壮大な「矛盾」を把持し


その「矛盾」と対峙し、格闘し続けることのできる人間。

そうした人物に贈られる言葉なのでしょう。


なるほど!


器の大きさって矛盾を受け入れる度量みたいなものなのか。どうりで自分の器がなかなかでかくならないな、と思ったわ。


たびたびでしつこいようですが、昔の人の叡智に脱帽です。早速、ヘーゲルの本を買ってきて読みました。あー難しっ。


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November 29, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.11.28

ぶれない自分

2年ぶりにタイにいった。


旅行の合間でバンコクに住む大学時代の先輩にお会いした。


「もの凄く厳しい」「鬼の○○」といわれていた格闘技の先生に大学に入る前から師事していてとにかく強かった。1学年しか離れていないのだが、先輩が練習にあらわれるだけで僕は目の前が真っ暗になった。まったく歯がたたなかった。

大学卒業後バンコクに移り、現地でインターナショナルスクールの先生をやられる傍ら、日本人の子弟にサッカーや格闘技を教えていらっしゃる。


バンコクに定住して13年になる、という。僕はバックパッカーの時から何回も先輩にご家族にお世話になった。


あれは、ベトナムからタイに戻った時だから28歳くらいの頃の話だ。


今考えると当時の僕は
「本当の自分をみつけたい」みたいに思っていた。
「本当の自分はここには今の日本にはない」みたいに思っていた。


人間には適性だとかセンスだとかがあるのは薄々と気がついていた

でも、そんな事実を「はい、そうですか」と納得することができなかった

だから、自分では実現不可能そうな目的だとか夢をかかげた

それだけが、自分の葛藤を解消する唯一の手段、だったからだ

そんなことで不安定な精神のバランスをとろうとした


が、現実に地に足をつけて生活している人
現実の中でぶれない自分を着々と築いている人


そんな人をみると、自分はなんてふわふわした存在だろう、と思った。

そして自己嫌悪になった。


僕は先輩と飯を食べていて思った。


とりたてて格好をつけたり、自分を大きくみせようとしないのだが、ぶれない人に共通した存在感のようなもの存在を。


「俺もきちんと地に足をつけて生活をしないと」と思った。

実際に、地に足つけて生活した実感が湧くのはそれから何年も後だったけどね。


久方ぶりに先輩と話をしていて、「俺もちょっとは地に足着いたかな」と思いました。多少は気後れ(?)しなくなったんでね。


ともかく大変お世話になりました。


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追記
今回は、バンコクに同じくバンコクに住む1学年下の後輩にも会ってきました。彼も現地で働いて2年以上になるんですね。面倒なことも多いと思いますけど、ちょっとうらやましいです。


また、偶然にタイを訪れていた大学時代の5学年上の先輩にもお会いしました。


さながらプチ同窓会、でした。


November 28, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.11.22

明日からバンコクへ

明日からタイのバンコクにいくことになりました。


2年ぶり、10回目くらいの入国です。


今回も、クライアントさんの旅行にご一緒させていただきます。


なんだかこういうと語弊があるけど、佐賀だとか青森よりも心理的に近いです、バンコクって。(その地域の方すみません。ただ、タイは何回も訪問してるのでなじみが深いんです)


僕がバックパッカーとしてのスタートを切ったのが、バンコクでした。

全身がタイ特有の香辛料が入り交じったような空気に包まれた瞬間


これから自分が好きな所にいけるんだ、といった高揚感


ところで今日のホテルはどうしよう、といった不安感


こんなに自由でいいのだろうか、と夜も眠れなかったワクワク感


きっと死ぬ時に走馬灯のように駆け巡るのだろうな。


あの時にくらべると、僕は好くも悪くも旅行に慣れてしまいました。


バンコクにいってもほとんどの事が想定の範囲内で過ぎ去るでしょう。おそらく。


で、最近の僕は決してそういう旅行を忌み嫌ってないんです。


逆に、かつての一時期にやっていたような喜怒哀楽にたくさん直面するような旅行にしんどさを感じたりもするんですね。「喜」だとか「楽」はともかく、「怒」や「哀」はしんどいですしね。


まっ、旅なんでいってもしょせんは「行きたいから出かける」ってだけなんですけどね。


そこには、「目的」だとか「何を得る」だとかはないはずなんですけどね。


それでも、「旅行に出てどのような喜怒哀楽に直面するかしないか」ってのが旅のスタイルによって大きく変わってくると思うんです。


今回はどんな喜怒哀楽を集めてくるんでしょうね。


何はともあれ一路平安、予定では日曜日に戻ります。


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追記
なぜか昨晩、夢にシンディ・ローパーがでてきました。新幹線に乗ってたんですね。


普段は全く夢を見ないし、シンディは特別ファンでもないですし。


夢って何かしらの意味があるんですよね。全く意味が分からないんですけど??「いつまでも若く」ってメッセージ??


November 22, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.11.21

刺激に満ちた週末、でした

週末は全日本学生キックボクシング連盟の興行にいってきました。

200511191404000

知っている方は知っていると思いますが、僕はここの団体(大学のキックボクシング部が集う)の出身です。


今から15年位前のことなので詳細は省きますが、僕の大学生活はここを中心として回ってました。


年に2回、後楽園ホールで試合があるのですが(新人戦などは他の会場で都度開催している)、今回が63回目の開催とのこと。


「ってことは単純にいっても30年は続いてる??」これは、分裂だとかが多い格闘業界ではなかなかありえない快挙、です。


さて、試合はなかなかの好カード続き。とにかくがむしゃらにやるので、下手な中堅プロボクサーなどの試合より面白いです。


けど、僕は正直にいうと、かつての僕ほど格闘技に共感ができないんです。興奮したり、感動したりを格闘技を通じてできにくくなっちゃったんですね。何でだろ??


確かに、母校の学生が出てれば必ず負けないで欲しい、と思うよ。一つ一つのパンチやキックに熱も入るし、選手の努力が形になって欲しいと強く思う。


けど、かつてみたいな感情移入はできにくくなってるんだよ。


ある方(運動部出身で同世代の方)とかつてこういう話になった時に「それは、自分が戦ってるからでしょう?」との意見をいただいた。


その方、曰く「後輩だとかの戦いを見て、俺も頑張らねば、という人は本人が頑張っていないんだよ」なのだそうだ。


それよりも後輩だとかの戦いを見て、「格闘技と仕事とフィールドは違うが、俺は彼には負けて無い」と思えれば格闘技などみて妙な感情移入などそうそうしないのだ、という。「だって、俺らは大人だぜ!」だってさ。


なるほど・・そんな意見もあるものか。


それよりも僕が凄えなあ〜と思ったのが、僕が現役の時にすでにOBであった方々(それもかなり古い世代のOBの方々)が未だに現役で選手だとか大会だとかをサポートしていること。


仕事して、家庭もってなかなかできないよね〜休みの日を使って、当然にお金の持ち出しもあるだろうし。自分が学生の頃に接していた後輩が現役で試合にでているならともかく、まったく接点のない世代でしょ。


僕は、戦う選手よりもそちらに刺激を受けて帰ってきました。


そうはいっても、戦うっていいですね!


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追記
昨日は通っているジムのイベントにいってきました。


何でも限定ウェアを買うのに、徹夜して並ぶ人がいるほどの熱狂ぶり。僕は朝一番に起きて電車に乗ろうと外にでたのですが、あまりに寒いので家に帰って一眠りしました。


けど、ラッキーなことにお目当てのグッズをゲット!(遅く出かけたといっても売り場オープンの4時間前には現地についてたけど。)


中国で電車のチケットを買うために半日以上並んだ時のことを思い出しました。


それにしても、ジム好きの人のパワーは凄い、ですね。

http://www.btsj.jp/event/tour2005_FINAL/goods.html

November 21, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2005.11.18

会社の究極の目標??

「会社の目標??それは究極的には僕の成長を図る事、ですね」


月初めに、とある席でご一緒した企業コンサルタントの方とこういう話になりました。


が、反発されてしまいました。


「そんなのはおかしい」と。


「企業の目的は従業員やお取り引き先、社会や文化などに対して何ができるか」といった思いを表現するものだ、といった主旨のことをいわれました。


僕はいいました。


「経営者が成長しないで、社員やお取引先にどうやって「何か」を提供するんですか?」と。


「それを会社の究極の目標にしてどこがいけないんですか?」と。


そしたら、「それでは、経営者の我(が)が強すぎる」みたいな話になりました。


・・・??我、って?? なんで自分の成長を目指してて「我が強い」なのかしら??


それから「経営者は我を打ち出してはいけない」みたいな話になりました。あとは、「そもそも、企業とは・・・」だとか「経営とは・・」だとかの話になりました。


僕は一言だけいいたくて反発しました。


「そもそも、経営者の我(が)が形になったものが会社ではないですか?」と。


更にいうならば、「そんな経営者の我に共感した社員やお取り引き先が集まる、というのが会社組織ではないですか?」


と話をしました。が、話は平行線をたどりました。


確かにモノの本を読むと、経営者は我を捨てて、経営をしないといけないみたいなことが書いてあります。


けど、本当にそうかしら??


まだまだ成長途中にある中小企業の経営者が、「我を捨てる」だとか綺麗事をいって経営をしてたら、経営ってうまくいくのかしら?僕はそうは思わないね。


確かに、経営者が我を捨てて、社会や文化の発展に寄与しているというのは一つの憧れとしてありますよ。


けど、それはいま創業して数年の段階で語るべきものじゃないと思うんだわ。


自分の成長が目標、というのが「我が強い」というのであれば、その我の強さを僕らが徹底的にこだわる時期だと思うんだよ。今はね。


と、考えると今の僕には自分が成長するということにお金や労力、時間をかけることが一番、だと思うんだよね。それが結果的には社員やお取引先に「何か」を提供できる自分になっていくことになるんだろうし。


一つの手本として昭和の代表的な経営者である松下幸之助さんや本田宗一郎さんは憧れますよ。


でも、松下さんや本田さんと僕とは全く置かれているポジションが違うからね。それを、一緒にされても困ります。


こんなこと書くから、「我が強い」っていわれるんだろうけど・・・。本心です。

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November 18, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.11.17

「たぶん」と「おそらく」と

人には怒りのツボがある。


他の人からみたら「なんで?」ということにめちゃくちゃこだわる人がいたりする。それを軽い気持ちで踏みにじる(?)と怒りとなってしまったりする。


うちの会社には、仕事に対する向き合い方や考え方などをまとめた行動規範のようなものがある。


僕は、時間がらみの件にはうるさい。だから、一般的には遅刻をしやすい月曜日と酒を飲んだ翌日の遅刻は絶対にするな、と書いてある。


あと、協力業者との付き合い方にもうるさい。だから、(印刷会社であれ、デザイナーであれ、こちらからお金を支払っている方に対して)下請意識を持つことを禁止する、と書いてある。


さらには、義理と人情(?)にもちとうるさい。「儲け話」と「義理人情」をはかりにかけた場合、義理人情を優先させる、と書いてある。

「僕が理想の会社をつくるためには大切だ」と定めた行動規範が16つほど存在している。これを印刷をして、社員に渡している。


逆にいえば、これらさえ守ればあとは自由だ。


服装は自由だし(レゲエヘアにした社員もいた)、仕事中にネットをみていても問題ないし(やることやってれば、ですけどね)、僕がご飯に誘ったとしてもムリしてついてこなくても別にいい。長い休みだって原則は自由、だ。


行動規範というのは、「僕の怒りのポイントをまとめたもの」みたいなものだ。


僕は経営者はこうしたものを明示する必要があると思っている。じゃないと、社員はどう行動していいかわからないだろうし。何で怒られるのか、がわからなかったりするだろうし。


が、この行動規範に書いていないことでも僕はたまに怒る。(本来、それは行動規範を改定していかないといけないものかもね)


それは「たぶん」だとか「おそらく」だとかいう言葉、だ。


仕事の報告を受けているときに、「たぶん」だとか「おそらく」だとが多用されると微妙に反応する。


「たぶん」ってどういうこと?
「実際に動いた結果」なのか「きっとこうだろうな、という自分の仮説」なのか「こうあってほしいなあ、という希望的観測」なのか、どれ?


ということをつっこむ。で、単に思考省略をしているのであれば反省を促す。


例えば営業の仕事は、「おそらく、このお客さまにはこの商品が受け入れるだろう」といった見込みからはじまるものだ。確かに、この段階では「たぶん」だとか「おそらく」だとかいう仮説での報告しかできないだろう。


が、仕事をするということは、そんな一つ一つの仮説を実際に動いてみて事実をつみあげながら、ひとつの結果をだしていくこと、だ。


営業活動や提案やらニーズ把握やらをして、「たぶん」だとか「おそらく」だとかの要素をなくしていく作業、だ。


そう考えると、「たぶん」だとか「おそらく」だとかいう報告なり連絡なりは、「まだ仕事をしてませんよ」と同義語になるのだ。


確かに、お客様とのやりとりが不十分な時点で報告を促されることもあるだろう。


そんな場合はこういったらいい。「まだ十分にやりとりをしていませんが、現時点では恐らく●●だろうと考えています」と。


 それを「恐らく●●だろうと思います」とあらゆる手を尽くしたかのような報告はなすべきではない。まだ十分にやりとりしていない、という事実から目を背けるような報告はいただけない。


「たぶん」だとか「おそらく」だとかは思考省略にはとても適した言葉、だ。こういうたぐいの言葉をなるべくと遠ざけることが、職業人として成長していくために必要、だと個人的に思う。


追記
そうはいっても、「たぶん」だとか「おそらく」だとかという言葉は普通にでますよね。


でも、「自分はきちんと打ち手をやり尽くしたかどうか?」には思いをはせる姿勢が大事だと思うんです。


その上で「たぶん」だとか「おそらく」をいうのなら問題なしでしょう。


実際、報告を受けていても手を打ち尽くした場合は結果のいかんにかかわらず、相応の迫力(?)がありますしね。


そんな報告にはまったくつっこむ気になれません。事実をして冷静に聞く事ができます。当然、「最悪な状態になりました」というような耳が痛い報告であっても、ですね。

November 17, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.11.16

「現場」に逃げない、「現場」を無視しない

ちょっと前に有楽町でご飯を食べたきのこと。


「だいたいあいつ(たぶんその人の会社の社長)は現場をよく分かってないんだよな!」


と40代くらいの利発そうなビジネスマンが語っていた。近くの会社で働く建設会社の方のようだ。同席しているもう一人(30代後半 部下?)も肯定的なあいづちをうつ。


別段、飲んで酔っているわけではないのだが話はえんえんと20分ほど続いた。


「仕事をな任せるなら任せろ、っていうんだよ!」だとか「だったら自分でやれっていうんだよ!」だとか「だいたいな現場にたたなきゃだめだろう!」だとか、耳が痛い言葉の数々だった。


実際、僕も会社員として働いている時にはたびたび思った。


いきなり上の人が仕事に入ってきて、いままでのやり方や流れを無視した仕事を進めてしまう。「えっ、それはないでしょ」と思う。「現場のことは俺の方が詳しいのに・・任せてくださいよ」と思う。


ただ、今では思う。


「うちの社長は現場が分からない」と、片付けるのはどうかと。現場のことを理解してもらうような働きかけ(連絡だとか報告だとかですね)を当時の僕がきちんとしていたか、と。


会社を大きくするためには、経営者などのリーダー層は現場の仕事に執着してはならない。もっと大局的な何か(これから先の企業ポジションだとか、戦略だとか)を考えることに時間と労力を費やさないといけない。


そのためには「この仕事は俺がいないと回らない」という発想を捨てなければならない。「社員を依存させることによって、自身のバランスをとる」みたいな罠に陥らないようにしなければならない。(こういうケースはきっと多いですね)


いきおい、現場からの仕事には徐々に離れていってしまうことになる。(もちろん全部、は無理ですよ)


ただ、その一方で、「現場で今何が起きているか?」をきちんと把握していなくてはならない。


現場の実務は行わなくても、実際に現場で仕事をしてもらっている人からの報告だとか相談だとかを通して、「現場の現状」を理解しようとしなければならない。というより、それがないときちんとした会社の将来像など描けない。


で、思うのだ。


経営者が遊び呆けているならともかく、日常業務をきちんとやっているのであれば、職業人はすべからく報告、連絡、相談の労力を省略してはいけない。


「社長は現場のことが分からない」と逃げてはならない。現場のことを分からせるのが、職業人の義務だ。(と、いうより「経営者よりも現場の事がわからなくてどうするの?」くらいの気概がないといけない。)


反対に経営者層は、「今現場で何が起きているのか?」「何が課題なのか?」についてきちんとアンテナをたてなければいけない。そんな情報をきちんと取り組んで、それを踏まえた将来の事業スケッチを描かないといけない。


嫌われようが、いやがれれようが、現場の仕事についての報告を求めなければいけない。


経営者と社員とでは仕事の立ち位置が異なる。


会社の成長とともに、それがコミュニケーションのギャップを生み出していく。それの多くは「現場の仕事をを知っている、知っていない」の遠慮(?)からくるのではないだろうか?と僕は個人的に思っている。


職業人よ「現場」という言葉に逃げるなかれ。経営者よ「現場」を無視するなかれ。


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追記
かつて格闘技をやっていた時に半年で25kg落とした(落ちた?)事があります。


その時の成功体験(?)でしょうか、いまでも「5kgくらいならすぐ痩せられる」という気持ちがあるんですね。


けど、それが無茶になったということを社会人になって12年目で痛感しています。


とりあえず、3月末までに6kgの減量を目指してがんばります!(と、いっても食べたいものや飲みたいものはガマンしませんけどね。それが趣味?なんで)

November 16, 2005 | | Comments (8) | TrackBack (0)

2005.11.15

ストイックな準備

※昨日は一部機種に不具合があったみたいですね。も一度アップいたします!

「準備の充実なくしていい結果は得られない」

元ヤクルトの監督として3度の日本一に輝いた野村監督の本(『野村ノート』小学館)を読んだ。


最近、この「準備」ということを口にする人が多くなったような気がするのだが気のせい?? 


一流のアスリート、経営者が周到に準備することの大切さをインタビューなどでいっている。マリナーズのイチローも「念入りな準備をすることの大事さ」をよく口にしている。

先日、友人の知り合いルートである起業家予備軍の方を紹介いただいた。


何でも、新しいビジネスを展開したいので話を聞いてもらいたいという。僕でいいのかな、と思ったのだが、「ぜひ!ブログの読者なので」ということなので新宿でお会いした。


経営目的から始まって、事業の将来性、営業数字の目標など一通りの説明を受けた。なかなか素晴らしいプレゼン、だった。


けど、「すごいですねえ〜成功すると思いますよ」で終わってしまってはせっかくの時間が無駄になる。僕はいくつか質問をした。


「営業目標の立て方が甘いような気がするんですけど・・・ダイレクトメールを出して0.5%だとか1%の割合で受注なんてなかなか決まりませんよ。


広告だって、広告費を超える収入がすぐさま入る事なんてなかなかあるものじゃないですし・・・先行投資としてどうとらえてます?


営業マンを2人雇うということですが、立ち上がったばかりの会社でどう人を採るんですか?昔のつてから探してこれるんですか?


飛び込み営業をするということですけど、どの程度の確立で仕事をとれると想定しているんですか??」などなど。


僕がいいたかったのは「ストイックな準備をしているのですか?」ということ。ちょっといじわるかな、とは思ったのだが悲観的に悲観的に準備をしていかないとなかなか会社なんて軌道には乗るものじゃない。(逆にこれさえできれば、会社を軌道に乗せるなんてそう難しい事じゃない、と思う)


彼からは「最終的には前向きに動いていればなんとかなりますよ」といわれた。確かにそうなんだけど、それはストイックな準備が終わってからの話、じゃないかしら。


「悲観的に考えて準備をして、楽観的に行動する」これが起業をする上では大切だと僕は思っている(ある方からそう教えていただいた)。


が、多くの起業家予備軍は「楽観的に考えて、楽観的に行動する」。で、途中で気がつのだく。「こんなはずじゃなかった」「こんなこと考えていなかった」と。


僕は広告の仕事を通じて、そんな事例を数多くみてきた。


「どのようなビジネスをたちあげるか」はもちろん大切なんだけど、それ以上に「どのような準備をするか」の方が大切じゃないかな、と最近は考えている。(きちんと準備をすれば、「そのビジネスはダメなんじゃないかな」とかが分かってくるだろうし)


ライブドアの堀江社長もいっていたではないか「これは想定内です」と。きっとああみえて、周到な準備をしてきたんだろう。ストイックに、悲観的に考えてフジテレビに向かっていったんだろう。


プラス発想は確かに大切なんだけど、ともすると「悲観的に考える自分から逃げている」だけなんじゃないかな、と最近は思うのだ。プラス発想をするよりも、悲観的な考えをして計画をたてる方がよほど仕事をする体力を使うだろうし。


プラス発想は悲観的な準備が終わってから、だということを僕も肝に命じたいと思います。自身が悲観的な、ストイックな準備をしないままに行動して、痛い目にはいくらでもあってますしね。


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追記
週末は、アジア対抗戦「日本VS中国」にいきました。

200511121428000

はじめてのエキサイトシート(グランドの上に座席がある)でちょっと感動でした。それにしても千葉ロッテの応援団はパワーありますね。ちょっと感動しました。

November 15, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.11.11

ケチな経営者

出張が長引き、もう一泊することになった。で、社員さんにお願いをしてホテルをとってもらった。

僕「出張が長引くのでもう一泊ホテルとっておいて」

社員「いつものところがとれなかったらどうします?」

僕「●●(場所)あたりで適当に探して」

社員「金額はいつもくらいの所ですか?」

僕「もちろん」


ただ、昨晩はどこも満室でなかなかホテルが決まらない。いきおい、ホテルのグレードをあげなくてはならなくなった。


僕は通常、出張で宿泊するホテルの上限を決めている。基本的に安ければ安いほどいい。かつてはサウナに宿泊していた。(お金をすられて以後は辞やめた)


「会社やってるんだからもっといいホテルに泊ったら?」と言われる事もある。「夜が快適に過ごせれば、結果的に仕事にも影響するでしょう」とも思う。


だけど、ダメなのだ。

最近つくづく思うのだが、僕は一部お金のかけ方が他の経営者と変わっているようだ。


特に、宿泊と交通費にかけてはかなりケチな部類に入る。(車にもお金を全く使わないな。今までの生涯で車にかけたお金が8万円だし←車両価格を含む。それも2台!)


「なんでかな〜」と考えたのだが、きっと旅をしていた時のなごりなんだろう。


海外を旅していた時に宿泊していたのが、だいたい2ドルから5ドルくらいまでの安宿だった。


長期の貧乏旅行で単にお金がなかったせいもあるのだが、僕は基本的に安宿が落ち着く。気を張らなくていいし、知り合いもできたりする。宿の人間もフランクでフレンドリーなやつが多い。


安いご飯の情報も教えてくれたりする。ベットにダニやノミさえいなければ(いることも多いのだが・・防御策もあるしね)、いいことづくめだ。


旅をしていた時と仕事をしている今は違うんだけど、「この宿に泊ったらミャンマーの●●ゲストハウスに1ヶ月泊れるじゃないか!」とか考えるとどうも二の足を踏んで(?)しまうのだ。


交通費にしても同様、しんどくてもビジネスクラスやグリーン車にはなかなか乗れない。さすがに最近は夜行バスは乗らなくなったが、原則お金がかからない方になびく。


乗り物でのしんどさは旅(移動)にはつきもの、とどこかで思っている自分がいる。「バスに乗ってチベットに入った時の事を思うと快適!」と思える自分がいる。


その分、食べ物にはお金を使う。どんなに高くても「これは食べたい!」と思ったものがあれば、高くてもお金をつかう。


あと、本にもお金をつかう。「この本はよさそうだ!」とピンとくる本があれば、迷う事無く買う。本との出会いは一瞬の勝負、だ。まよっている時間はない。(だから、よく吟味しないで買うので同じ本がいっぱいある)本の金額を気にする事はまずない。


経営のセミナーなどにもお金を使う。「これはいいな!」と思ってスケジュールが合えばまず参加する。金額を気にすることは「ほとんど」ない。20万だろうが30万円だろうが参加をする。それ以上のものを持ち帰れば安い安い。


最近感じるのだが、今の時代に元気のいい経営者は良くも悪くも変わりものが多い。


ある分野についてはめちゃめちゃオタクだったり、他の人がみたらどうでもいい事に熱中してたり、妙なこだわりがあったり・・・。


それが、取引先や社員さんに迷惑をかけるようではいけないんだけど、経営者が変わりものというのは僕はとても大事だと思う。


「いい人ってのは人の価値観で生きている人」とどこかで聞いた。


確かにそうだ。誰もが納得するような価値観を持っているから「いい人」でいられるんだし。


でも、僕は思うんだよ。人と同じ価値観で生活をしていたら結局は埋没してしまうだけなんじゃないかとね。少なくとも経営者がそれでは微妙、だと思うんだ。


会社であれ、経営者個人であれ万人にとって「いい会社」「いい人」というのは、無価値でしかないんじゃないかな、今の時代は。


それよりも、ある一定の人(価値を認めてくれる人、だね)には「いい会社」であったり「いい人」であったりしたいな、僕はね。


「人がやらないことをやる」「人とは違うことをやる」というのが、企業経営の要諦の一つだとしたら、なんか変わっていて個性的でないとこれからの時代はダメでしょう。万人にとって「いい人」の発想は、誰かが考えるような発想にしかならないだろうし、ね。


と、ケチな自分を肯定してみました。


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追記
とはいっても「こりゃ凄い!」ってホテルに宿泊することもありますよ。出張とかではないですけどね。

主に「このホテルのサービスは凄いから体感しにいこう」だとか思ってですね。リッツカールトンだとかは素敵、でしたね。でも、広くてフカフカなベットはあまり慣れていないので逆につかれたりします。僕は固い床や狭いソファーで寝るのが好きですしね。(そいやこの間のアメリカ出張では広い部屋だったのにソファで寝てたな)


こんなところで人と違う、みたいなこといってもしょうがないんですけど。

November 11, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.11.10

カウンセリングやコーチングもいいけど

「これからのリーダーにはカウンセリングやコーチングのテクニックが必要です」


と出張に向かう新幹線で読んだ雑誌に書いてあった。


みなさん、これだけ読んでどう思いますか??


「そうそう!うちの上司にこそそんな勉強をしてもらいたいよ」という社員の方


「たしかにメンバーの育成にはそういうテクニックは必要」という職場リーダーの方


肯定的にとらえる方は案外と多いと思います。


僕もかつては、コーチングを学ぼうと体験セミナーに参加しました。そこで、コーチングを長い間にわたって体験した経験もあるので、決してこうしたことに否定的ではありません。


が、職場のリーダーが、メンバーに対して育成を図ったり、職場のコミュニケーションをとったるするためにこうしたテクニックに飛びつくのであれば、ちょっと待った方がいいのではないかと思うのです。

そもそも、リーダーがメンバーを教育する、という考えが僕はどうもしっくりときません。


社員募集の面接をしていると必ずこういう人がいます。


「一からやりますので、勉強させてください」と。


僕は必ずいいます。


「会社は仕事するところで勉強するところではないですからね。まずは、自分で勉強してください。それで分からないことがあれば聞いてください。朝でも夜中でも徹底的に付き合いますから」と。


リーダーのやるべきことは、教育ではなくて、社員が育っていくための「場づくり」でしかありません。日常業務の中でごくごく自然に教育が完結してしまう環境をつくること、です。


それは、研修の機会をつくるとか、ツールを整備することではありません。第一は、リーダーが自分自身を教育すること、です。自分に投資をして、自分を高めること、です。


そんな組織には「成長してかないとみっともない」だとか「取り残される」といったムードが、脅迫的にではなくごくごく自然に形成されます。それが「教育する場」、です。


かつて、S急便の配送員の仕事をしている友人がいました。


月給が80万円とか100万円とかの時代で、やればやるだけ給料がもらえる時代、です。決して勤勉とは思えない(?)彼がいっていました。


「うちの会社は仕事やらないとみっともない、って雰囲気が凄いんだ」と。20代で年収1,000万円を超えるわけですからね、そんな空気にみちているらしいんです。


その会社の場合は、お金というものがモチベーションになっていたと思うので、ちょっと異なるかもしれませんが、「やらないとみっともない」という組織風土は強い会社には必ずあるものだと思います。


これからは中小企業といってもそうした風土を備えないといけません。


教育をする場をつくるのに比べたら、コーチングもカウンセリングも末梢的なことでしかありません。逆にいうのであれば、自分への投資を抜きにして、カウンセリングやコーチングのテクニックで、一人前の大人であるメンバーを育成しよう、という発想自体が貧困です。


まずは、自分への教育をすること。それ以外に、メンバーへの教育はありえません。逆にいうのであれば、自分への教育ができないのであれば、人の上にたつ資格はありません。


リーダーはそれぐらいの覚悟をもつべき、です。ともすると人の人生に影響を与える存在、なのですから。


で、リーダーの親玉的な存在である(?)経営者はその際たるものです。より自分への教育が必要なのがいうまでもありません。そんな考え方を持ってコーチングもカウンセリングも学ぶ、のであればいいんでしょうけどね。


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November 10, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.11.09

できたらいいけど、なかなかできないこと

健康診断の結果が返ってきた。


なんと驚く(?)ことに、ほとんど全てがA評価(問題なし)だった。肝臓も中性脂肪も問題なし、だと。


けど、一つだけC評価があったんだ。


それは「太り過ぎ」だということ。平均体重を10キロ以上オーバーしている、のだという。


病院からのコメントには「現在の健康状態は問題ありませんが、今後現在の体重が続くようだと、様々な病気を引き起こす怖れが・・」みたいなことが書いてある。

ジムに通って3年弱(といっても最初は風呂しか入らない会員だったけど)。減量なんてのはあまり考えて無かったんだ。何といっても食べるのと、飲む時間が好きだしね。だから、汗かいてもそれ以上にカロリーを摂取する生活をしていたんだ。


けど「さまざまな病気を引き起こす怖れ」などと書かれては・・ね。さすがに、ちょっと体を絞ろうかな、と思ったんだ。筋トレやって筋肉つけて基礎代謝をあげないと、脂肪は燃えないしね。


で、もちろん食生活もちょっとは考えないといけない。


いままでみたいに、「俺は運動してるから大丈夫だもんね」ではなく、高いタンパクのものを栄養バランスよくとらないと。


僕はかつて運動をしていたので、トレーニングの方は問題ないと思うんだ。そこそこだけど、続くだろう。


けど、食欲に対しての意志がめちゃ弱いのでこっちが心配だ。だから、ノートにこれだけは注意しよう、というのを書いてみたんだ。

●肉から野菜へ! 
 肉食の回数を減らす。夜にお肉を食べそうな時は、昼は魚か野菜にする

●夜から朝へ!  
 夜の暴食を減らす。飲んだ後の寿司やラーメンはなるべく辞める。(最後に「なるべく」が入ったのがそもそもの自分の弱さ)

●スピードからじっくりへ! 
よく噛んで食べる。飯を食べるのが早い人は仕事ができる、なんて考え方を捨てる(でも、けっこう基準にしたりしてます)

●濃いから薄いへ! 
焼酎のロックは辞めて水割りにする。ウィスキー、ブランデーも同様。


どれもこれも「できたらめちゃいいんだけど」ということばかりなんだけどね。それがなかなかできないから健康診断でC評価、なんだよね。


と、そこで思ったんだ。


「できたらめちゃいいんだけど、できそうでできないこと」ってのはなかなかパワフルなことだな、とね。


「できたらいいけど、なかなかできないこと」さえやれるようになれば、仕事だって健康だって、ほぼ自分の思い通りになるんじゃないか、ってね。


例えば、早起き。


早朝は仕事の能率がいい。電話もかかってこない。朝は時間の経過がゆっくりに感じられる。俗にいうところの成功者の多くは早起きだといわれている。


けど、「なかなかできない」。


夜型の社会になっているし、前の日は飲み過ぎたし、朝ゆっくりする時間は捨てがたいし・・・と。


例えば、読書。


本を読むのがいいのはわかる。読みたい本もいろいろとある。自分の業界も勉強したいし、スキルもあげたい。


けど、「なかなかできない」。


仕事で帰ってくるのは遅いし、テレビも見たいし、酒も飲みたい。読んでも寝てしまうし・・・と。


仕事でも健康でもそう、世の中のほとんどの人が「できたらいいけど、なかなかできないんだよね」と思っている事にはチャンスがありそうだよ、と思いました。そんなことをひとつづつつぶしていけば、ちょっとそこそこ大きなことができそうな自分になるかもね。


大嫌いな健康診断、ですがそんなことを考えただけでも収穫(?)があったようです。


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November 9, 2005 | | Comments (6) | TrackBack (0)

2005.11.08

後づけの成功話にご注意を

もし仮に、だ。


僕がインタビューを受けるとする。タイトルは「これから起業をするあなたへ」みたいなテーマで。


読者は20代の男女だとしよう。「何かをやりたいけど、何をしたらいいのか分からない」ともがいている人が多い世代をターゲットにした企画、だとしよう。


僕はそこでこんなことを語る。


「31歳で会社をつくりました。平日は会社に寝泊まりして、土曜日、日曜日も仕事をしていました。酒も飲まず、友達とも会わず、ひたすら仕事に打ち込みました。『いつか理想の会社をつくりたい』と毎日思っていました・・・


営業で回ると面白いように仕事がいただけました。やはり起業家になるにはまずは営業力、ですね。仕事がなければビジョンも理想も掲げられません、から。


あとは、仕事の美意識を打ち出すことですね。これからの企業は商品やサービスの差別化ではなくて、美意識の差別化の時代になっていきますからね。」

20代後半の頃の僕がこれを読んだらこう思うだろう。


「この人は凄いな!会社をつくった当時から「理想の会社」みたいなことを掲げていたんだ。営業力、か・・・確かにこれも大事だよな。かといって俺の営業力はごくごく普通だしな・・まてよ!この人って35歳??ってことは俺もあと数年しかないじゃないか!それでこんなことを考えてるの??こりゃダメだな」と。


世の中、なぜか起業(家)ブームです。(もう一過性のブームは去ったかな?)


一般誌にまでIT企業の社長さんが登場し、創業の頃の話などを語ってくれてます。僕は日本が「経営者がスポーツ選手や芸能人みたいに尊敬される社会」になればいいなあ〜と思ってるのでこの流れには基本的に賛成、です。


けど、思うんです。


起業家のインタビューだとかは読み過ぎない方がいいですよ!ってね。それは、「起業家や経営者は後付けの成功談をつくるのがうまい人が多い」からです。


自分の生きざま(?)を勝手に自分の都合のよい解釈をして、さも自分が先を見通していたかのように作り上げる能力の高い人が多いのです。(偏見??でも事実、そんな力がないと会社もできないだろうし)


僕の会社は、創業時とは全く考えられない方向に向かいました。


創業時に「こういった事業をやりたい」と思ったことにはなかなか手が着かず、「まさかこの事業が!」という事業が将来の大きな仕事の種として成長してきています。


それって僕に先見の明があった?


いえ、違うです。いくつも手をだした中でたまたま残ったのがその事業なんですね。


でも、経営者ってのはそこをうまく言い包めるわけです。「この事業に出会った時にピーンと来たんだよ!うむっ」とかさもありそうなことをいってね。


それを聞いて、「あの人だから出来るんだ!俺にはできない」と思っては絶対にダメですよ。それって、多くの場合は「後付けの成功談」なんです。結果的には「成功」したんですけど、その影には数多くの世に浮かばれない失敗事業の数々があるはずなんです。


最終的に仕事の「成功」ってのはどれだけ手数を出せるか、が勝負ですからね。その中であたったのが事業体として確立していくわけですから。


上の僕のインタビューだって、結局は「後付けの成功談」なんです。会社をひーこらいってやっているのが実を言うとここ数年の現実だったんですけど、インタビューになるとなぜか格好をつけちゃうんですね。きっと。


所詮は人間のやること、あまり大きな違いはありません。後付けの成功談に迷わされて自信を失ってはなりません。


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追記
これは僕の知り合いで雑誌だとかにも登場される経営者を見ていて実感したこと、です。そう考えると、世の中にでている成功関係の本のほとんどが、あまり役立たない、ということに気がつきます。
結局は後だしの理由づけ、ですからね。

November 8, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.11.07

和泉元彌のプロレス参戦から、プロについて考える

プロとアマの違いって聞かれたらなんと答えますか?


僕は「好きな事、できる事しかやらないからいつまでも取り巻く世界が変わらない、だからアマチュア」。反対に「嫌いな事、できない事に手を出すからどんどんと世界が広がる、だからプロ」と自分なりに定義をしてました。(たぶんだれかの受け売り)


が、なんかしっくりとこなかったんですね。


例えば、いろんな事に手をだしてどれも中途半端な人っていますよね。(僕もその傾向はあるけどね)そんな人がプロっていえるか、ということに直面するわけです。この定義だとね。


こうした場合はとりあえず質問を頭に入れておきます。「俺の考えるプロってなんだろ?」と。そしたらいずれ答えのようなヒントがやってくるんですね。


で、やってきました。

金曜日に参加したとあるセミナーで講師の先生が語ったんだ。


「僕の考えるプロっていうのは、『そこまでやるか!』と周囲に言われること」

とね。僕はピーンときましたよ。


その先生は4年位前に知り合ったんだ。マーケティングのコンサルタントで中小企業の経営者を組織化してセミナーだとかコンサルティングをしてるんだ。


「1ヶ月に50册本を読む」だとか「朝は4時に起きて仕事する」だとかをサラッというんだね。「だって僕らが成長しないと、会社ってダメになっちゃうでしょ」って感じで。

会うたびに常に進化をしていて僕は「すげえなあ〜」といつも思うんだよ。話の内容だとか以前に、仕事に向き合う姿勢を勉強しているみたいだな、ってね。


「こんな人が僕の業界にいて、ライバル会社の社長だったら嫌だなあ〜」といつも感じるんだ。「そこまでやるの」ってことの数々はまさにプロフェッショナル、少しでも見習わないとと思いを新たにしました。


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追記
和泉元彌さんがプロレス(?)でデビューしましたね。(涙)何でも勝っただとか!


かつて、僕は大のプロレスマニア(俗にいう猪木信者)でしたけど、猪木さんが「1.2.3ダー」をする頃からパッと見なくなりました。この辺の心境は昔からのファンなら分かってもらえると思います。きっと。


昨日のテレビ番組で、和田アキ子さんが「和泉元彌なら私でも勝てる」みたいなことを言ってました。僕もテレビを見ていて「俺ならこいつには絶対勝てる!」と思いました。(もちろん、勝負なんかしてもしょうがないけどね)


かつてレスラーは強さの象徴、でした。新日本プロレスの公開練習(昔はお金を払って練習を見せるイベントがあった)で入門して1ヶ月の新人が、スクワットを4,000回くらいやるのを見た事があります。


イベントの最初から最後まで、ですね。スクワット後のインタビューで「まだまだできますよ!」っとサラっと話す姿に僕はプロを感じました。「すげえ〜!レスラーってそこまでやるの!」とね。


楽しいプロレスがアメリカから入ってきてから、レスラーもだいぶ変わりました。かつてのように、ストロングスタイルを標榜するレスラーがほとんどいなくなったような・・


楽しいプロレスもいいんだけど、レスラーの基本は「強さ」でしょう。その本筋だけは忘れて欲しく無いですね。


「和泉流の稽古はとてもしんどくて、それを乗り越えた元彌の運動能力は高い」だとかいわれてましたけど、事実はどうであれ、視聴者から「あいつには勝てる」とバカにされるようでは「レスラー」としては失格です。


それは僕ら経営者が「俺がやった方がいい会社になる、利益があがる!」と第三者に言われるようなものですからね。それはプロの職業人としてこれ以上ない屈辱、でしょう。


レスラーとして「そこまでやるの!」ってプロの姿勢をぜひみたいけど、どう考えても無理だろうね。
僕は彼のキャラが嫌いじゃなかっただけにちょっと残念、です。


November 7, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.11.04

素直じゃなくて伸びた奴はいないんだよ

「お前は素直じゃねえなあ〜、俺は何百人の部下を見てきたけど、素直じゃなくて伸びたやつはいないんだよ(以下、ガミガミが続く)」


僕が住宅の仕事をしていた頃、会社の上司にこういわれたことがあります。


叱咤とも、中傷とも、指導ともいえない物言いでした。延々と1時間あまり。「よう話をするな〜この人」とばかり思ってました。


僕も人間ですからね、「伸びたやつはいない」なんていわれていい気はしませんでした。けど、思うんです。怒られてもしょうがないかな、とね。だって全く素直じゃなかったですから。

「成功のためには素直になりなさい」-現代を代表する経営者、松下幸之助さんや稲盛和夫さんなどの本には必ずといっていいほどそう書いてあります。


僕は、「素直になれ!」といわれるようなダメ社員でしたけど、「素直になる」というのが大切だと思います。


素直になれば情報だとか知識だとか入ってきますし、いい人間関係が形成されますからね。実感覚として素直な人の方が成長が早いのも事実、です。


けど、思うんです。「誰に対しても素直になるのが大切なのかしら?」って。


例えば、仕事をする中で上司から指導をしてもらうとしますよね。新人であれば、仕事のなんたるやが全く分からないからあまり疑問も生じず、素直に従えると思うんです。


けど、数年間でも仕事したら誰だってそれなりに自分なりの仕事の価値観が生まれてくるわけです。


もしそれが上司の価値観と相容れなかった場合。もっというならば上司に「それは違うんじゃないでしょうか?僕ならこうだと思います」と訴えても話を聞き入れてくれなかった場合。更にいうならば「お前は分かってない!」と経験論だけで物言いされた場合、それでも僕らは素直にその上司に従わないといけないのでしょうか?


僕は「否」だと思います。


そんな上司に「素直」になって大切な時間を費やす事はありません。世の中にはもっと他に自分が手本にする素晴らしい人がたくさんいます。そんな人を探したり、そんな人に素直になる方に時間を費やした方がいいに決まってます。


それを「素直になれ」っていわれてもねえ〜。


「素直になれっ!」って部下にいいたいのであれば、「あの人に言う事にはなぜか素直にしたがっちゃうんだよな」っていう哲学や姿勢を打ち出せばいいんです。そんな仕事のやり方をすればいいんです。人間性を身につければいいんです。それをヌキにして「(俺に対して)素直になれ」というのは傲慢です。立場を利用したパワハラです。


当時の僕は、住宅メーカーで営業をしてました。住宅展示場にこられた方に後日、営業をかけるのです。


ある時、こんなことがありました。


「うちは絶対に自宅に営業に来てもらうと困る」というお客さんが展示場にこられました。自宅に体が不自由な方がいらっしゃって、夜の訪問は困るというのです。(住宅会社の営業マンはたいがい夜に訪問しますしね)


僕は了解をしました。が、これが上司の逆鱗(?)に触れてしまったのです。「今から訪問してこい!」と。(住宅展示場に来られた当日に訪問するのが会社のルールだったものですから)日曜日の夜8時くらいでした。


僕がもしお客さんだったら、自宅にこられた時点でアウトです。その会社とは一切取引をしないと思います。僕は「訪問なんかするんじゃなくて、もっとゆるやかな形で営業をしたらいいんじゃないか」と思いました。手紙を使うとか、メールを使うとかですね。


けど、そんなのは「お前は住宅の営業ってものが何も分かってない」の声で一蹴されました。バカバカしい、と思いながらそのお客さんの家に訪問しました。今であれば、「いってきましたけど、留守でしたよ!てへへ」って嘘でもついちゃうんですが、当時はそんなことができなかったんですね。本当にいったか確認されることもありましたから。


結果は罵声を浴びせられて、終わりでした。会社に帰って報告をすると「そりゃ営業のアプローチが違うな」みたいなことをいわれました。「そもそも住宅の営業ってのはなあ〜」とお勉強法発表会がはじまりました。ああ、あほらし〜。


全てが終わって「何かあるか?」といわれて一言「その考えは確かに住宅営業の基本なのかもしれませんけど、私にはどうも納得できないんですよ」といったら冒頭のように「素直じゃねえ」になっちゃったんですね。


僕が1ヶ月に2棟とかを売るスーパー営業マンだったらともかく、当時は売れない営業でしたから怒りも殊更だったでしょう、ね。

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スポーツの一流選手はとても素直、だといいます。野球のイチローしかり、ゴルフの丸山茂樹しかり、と聞いています。


けど、イチローは新人の頃にオリックスの土井監督から「振り子打法を直せ」といわれても頑として譲らなかったと聞いています。そのために二軍に落ちたとか・・。


それを指して「イチローは素直じゃない」といえるのでしょうか?


そんなことはないでしょう。イチローはプロとしての自分のイメージに「素直」だったのです。「これをしたら俺がだめになる」という声に「素直」だったのです。


もし仮に、イチローが振り子のフォームを変えていたらどうなっていたでしょう?


かつて藤王という松井、イチローレベルの逸材が中日にいました。けど、彼はコーチにフォームをいじられた挙げ句、プロでは大成しなかったんですね。そんなことを考えるとあくまでも結果論ですけど、イチローが今ほどの活躍をしていたかは疑問です。イチローは「素直」だったからこそ大成したのです。

素直になるというのは確かに大切なこと、です。


けど、それは上司や先輩のいう事に対して単純に「素直になればいい」という訳ではありません。それは、思考省略の最たるもの、です。


でなくて、自分の価値観や哲学に照らし合わせて「素直」になる方が大切、だと思います。「先輩は上司はこういっている、確かにそれは正しいのだろうが僕はこう思う。だから話をしてみよう」ということで素直になるのが大切ではないでしょうか?


結局のところ自分の人生は自分でしか責任をとれないのですからね。変な上司や先輩に「素直」になって大切な時間を費やしてはなりません。自分のスタイルを崩してはなりません。


本当の「素直」って何かをきちんと考えないといけません。


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追記
僕には尊敬する人がたくさんいます。その人たちの言う事などは自分なりに「素直」に聞いているつもりです。


その方々の考え方の視点や仕事の姿勢はもちろん、ノートの取り方だとか、本の読み方だとか、お酒ののみ方だとかも真似します。「○○さんだったらどう考えるだろうか?」というのをよく考えます。


でも、100%全部尊敬っていうのは基本的にしないんですね。あくまでも部分尊敬です。「この人の仕事に対する姿勢」だとか「この人の人間関係をつくる力」だとか「この人の勉強をする力」だとかいった具合です。


大人の尊敬に100%尊敬はない、と僕は思ってます。どんなに優れた人であっても、ですね。そうしないと自分がなくなってしまいますからね。


November 4, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2005.11.02

サパにいこうかしら?

ハノイ(ベトナム)から中国国境に向けて電車で10時間あまりラオカイという町


そこから更にバスで2時間、山をいくつか越えると「サパ」という町に到着した。


旅のルートから外れていたのだが、「なんか素敵な響きの町だなあ〜」と思ってでかけたのがきっかけ。


「ラサ」(チベット)とか「トルファン」(中国)とか「カトマンズ」(ネパール)だとか、聞いただけで旅心を誘われてしまう地名、そんな語感が「サパ」にもあったのだ。

c
サパのモン族 左からグーちゃん、モーちゃん


ここには少数民族「モン族」だとか「メオ族」だとかが、毎週末になるとやってきて市場をひらく。


東南アジア全般にいえることなのだが、男性より女性が働く。更にいうのであれば、モン族は子供がよく働く。


カゴいっぱいに自分達がつくった藍染めの衣装やら、帽子、楽器等をつめこんでマーケットを行き来する人たちに売っていく。


非情(?)なことに愛嬌のある子供、かわいらしい子供ほど次々と商品が売れていく。


売れない事もは売れる子に商品を託したりする それでバックをしたりしている。子供ながらの苦肉の策として考え出した知恵、だろう。


僕はモーちゃんから全身の衣装と、帽子と、楽器と、バックを買った。これだけ買っても15ドルくらいだったかな。けど貧乏旅行者には痛い出費だった。宿がたしか1日2ドルのゲストハウスに宿泊していたから。


マーケットが終わり、僕は知り合いになったおばさんの村にいくことにした。


サパから山道を歩いて2時間、更にそこから険しい傾斜を30分かけて登っていく。僕はへろへろだった。


家に着くとおばさんがご飯とお酒をふるまってくれた。米に野菜の煮物のシンプルな料理、だった。


おばさんはモン語しかしゃべれない。だから何をいっているか全くわからない。「ジョリー」が美味しいだとか、綺麗だとかという意味で、「バジョリー」がその反対という意味だということは知っていた。


だから「ジョリー」と「バジョリー」だけで会話をした。


けど、確かにこういっていたのが分かった。「ベトナム人だったらもっと美味しいものをご馳走するんだけど、モン族は貧しくてこんなもので」と。


子供の頃に聞いた。


「すみませんこんなもので、といって食事やお土産を出すのは日本人だけだ」と。


それが嘘だったと僕は知った。謙遜だとかの心はかなりの民族が持っている普遍的な感情だ、と僕は旅を通じて感じた。それをモン族のこのおばさんがはじめて教えてくれた。


疲れと酒とで一気に眠くなって、僕は藁の中で寝た。


すると、見知らぬ外国人が来たということで遠くから僕を眺めていた子供達がわらわらと集まってきた。そして、クリスマスだということで賛美歌を歌ってくれた。時は9年前、ちょうどクリスマスイブだった。

aScan


中国語は4声の発音で言葉が成り立っている。だから抑揚だとかがあって、上手な中国語はちょっとした楽曲みたいだ。


が、モン族は6声(人によっては8声といっていた)で言葉がなりたっているらしい。だから、賛美歌なんかもいままで聞いた事がないほど美しい、のだ。神様の声、といったらいいすぎかもしれないが。


「なんかだ夢みたいだなあ〜」と僕は写真を1枚だけとらせてもらった。「旅にでてきてホントによかった」としみじみと思った。

-----------

昨日、寝る時にふと思った。「サパにいきたいなあ」と。


でも、「9年前に会った子供達が変わっていたら嫌だな〜」-そんな思いが頭をもたげた。


実際、僕はある国を再訪した時に、かつての知り合いが妙にツーリスト慣れしてしまって嫌な思いをしたことがあるからね。


思い出は大切にしておくべきか、思い出よ再びとアクションをおこすか。


しばらく逡巡は続きそうだ。


November 2, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2005.11.01

社長と社員とを分けるもの

「社長にならないと分からない事があるんだ。そんなのはお前が社長になってからいえ」


会社勤めをしている頃、ある件で社長に具申してこういわれたことがある。


「社長になってからいえ」というのは確かにそうなんだけど、それじゃ全く話が続かないじゃないか。「大人になっていからいえ」と子供にいう親みたいじゃないか。子供がどうあがいても乗り越えられない安全な場所から意見を言うなんて僕はフェアじゃないと思うよ。


あくまでも立場的に弱い側の目線になってしゃべるべきでしょう。それは親と子供、採用担当と学生、社長と社員、すべて同一です。「働かないと分からない」「社長にならないと分からない」で逃げてはならない。


もし仮に、伝家の宝刀「君には分からない」で逃げたとしても「社長にならないと分からない事って何ですか!」と下の世代にいわれたらそれを自分の言葉で語れないといけない。採用担当や社長にはその程度の覚悟は最低限度必要なんです。

僕はその社長の元で勉強させていただき、結果的に「社長」と呼ばれる立場になった。


その中で「社長にならないと分からない事」についてはかなり前から考えていたんだ。けど、なかなか頭のもやもやを整理できずにいたのだ。そもそも、そんなものあるの?から始まってね。


僕は「社長にならないと分からない事があるんだよ」といっている自分のイメージが嫌だったんだ。なんか偉そうで。さも高い境地みたいなものに達した自分をPRしているみたいで、さ。


けど、最近は自信を持って言えるのだ。「社長と社員を分けるものは確実に存在する」とね。


今まで曖昧だったんだけど、最近、僕の尊敬するコンサルタントからの手紙でキラリ!と光る言葉があったんだ。そこから、「うん!そりゃ確実にあるよ」といえるようになったのだ。それは


私たち経営者は、自分の会社は永遠じゃないことを知っている事です。


という一言。「おっ!これだよ俺の言いたかったことは」と小躍りしました。


極論ですが、僕らは「会社はいつか倒産するかもしれない」と考えて毎日を過ごしています。豪快な社長であれ、イケイケの社長であれ、石橋を叩いて系の社長であれ、これは変わらないのではないでしょうか。


「倒産しないためにどうしよう」と終点から考えるからこそ、いろんな打ち手を考えるのです。小さいことに対してガミガミいうのです。一生懸命仕事をするのです。社員が見えなかったものが時にはみえたりするわけです。(もちろんこれらのことは社長によるけどね)


死(倒産)がくるということを意識すると見える世界も、聞こえる音、感じる風も変わってくるんです。それは、死刑囚が死を直前に芸術の才能が開花するのといっしょかもしれませんね。凡人が社長になっても「いつか倒産するかも」という仕事のスタンスが能力を磨いてくれるのです。


反対に、社員は「この会社は続く」という前提で仕事をしています。これは当然、だと思います。僕が、借金まみれの日本国家が永遠に続く事に疑いがないのと同一です。いつか頭のいい人がなんとかしてくれる、という意識がどこかにある。自分が国家破産に直面するなんて毛頭考えていない。


確かに意識の高い社員は「会社のためにどうしよう」といろんな手を考えたり、行動に落とし込んだりはするよ。けど、「倒産という現実がくるかもしれない」という所まで考えて仕事をするということまではなかなか追い込めないんです。


「会社の借金に連帯保証してくれ」だとかを即答できる一社員は少ないんです。「私財をなげうって資金繰りを助けてくれ」といわれ「はい!」といえる人はなかなかいないわけです。「支払いの延期の交渉をしてきてくれ」と言われても尻込みしちゃったりするわけです。


でも、多くの経営者にとってはそれは当然、なんですね。死なないためにはどんな手を使っても生き延びようとするんです。


そんな死生観(?)を無意識にであれ、意識的にであれ多くの社長という人は持っています。だから社長同士は共感したり、仲良くなったり、群れたり(?)するんです、ね。きっと。


追記
「最悪の最悪を考えられない社長」はちょっと怖いですね。良く言えばポジティブ、なんですけどね。誰だって「倒産した時の自分」なんてイメージするのは嫌ですよ。


けど、そうしたこともやっておかないといけないんです社長の仕事、って。あくまでも僕の私論ですけどね。


経営の世界に、「晴天の霹靂で自社が倒産する」なんてのはないんです。全ては経営者が最悪を直視しない現実逃避が折り重なった結果、なんですね。


November 1, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)