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2005.12.26

休みなしですか!大変ですねえ〜

週末は美容室にいった。


で、いつもの担当さんと年末年始の休みの話になった。


美「お休みはいつからですか?」


僕「会社は29日から4日までですね」


美「どこかいくんですか?」


僕「今年は旅行がないので暇です、ジムくらいですね。でも、年末までクライアントがこられたり、打ち合わせなどが入ったりするので、31日くらいまではなんだかだいって仕事してると思いますよ」


美「そりゃ大変ですねえ〜 年内休みなしじゃないですか!」

美容室あたりでよくある会話だろう。


が、僕はいつでもこう思う。「仕事ってやはり苦しいものなのかしら??」「休めないっていうのはしんどいことなのかしら」と。


かつて、泊まり込みで肉体労働をしていた。


その時には、朝の訪れが忌まわしかった。筋肉痛の体にむち打って寒い現場に向かってコンクリートを打つのだ。「休みがない」というのは生命の危機(おおげさ?)がおかされるようなことだった。


でも、今はデスクワークや打ち合わせなどが中心、でしょう。確かに頭だとか、気持ちだとかは疲れるけど、休めなくても生命が危険にさらされるようなことはない。確かに、メンタル面での休息は必要だけど・・・


僕が将来、会社を引退するとする。


その時に、会社を誰かに引き継ぐとする。


もちろん、誰を社長にするかは仕事の能力や人間性、仕事の実績などが客観的に判断される。外部の意見が参考にされる。


が、僕は「次の社長になる人にはこれだけ欠かしたくない」というのが一点だけある。


それは「休み空けの会社が待ち遠しくて仕方がない人間」だ。


そんな人っているの??


そんな人はある一定の数で存在している。経営者だとか、新入社員だとかいった区別なしに・・。「今日は何かいいことがあるだろう」とワクワクさせながら目が覚める職業人が存在している。


ちょうど、小学生が遠足にいく当日に早起きしてしまって時間を持て余すような感覚。


そんな感覚をもって月曜日の朝を迎えている人がいる。


どんなに高い仕事のセンスをもっていようとも、どんなに高い能力をもっていようとも、仕事という長丁場の舞台ではこんな奴らにはかなわない。そんな人がトップになれば、会社はおそらくほぼ安泰だ。


月曜日の朝の出社をどんな気持ちで迎えるか?これは創業以来、僕の中で一種のバロメーターみたいなものだ


「今日もなんかいいことがある!」と前向きに無理してなるのではなく、ごくごく自然に「今日はいいことあるだろうなあ〜」といてもたってもいられない朝がある。


「めちゃしんどっ!でも、遅刻したらやばいしな」と思う朝もある。


どうせだったら、前者みたいな感じで朝を迎えたいものです。


と、朝のスタバで考えました。


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追記
連休はジムのイベント三昧でした。

体がすっかりと筋肉痛です。

December 26, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.12.22

中小企業の社長の仕事って何??

ある席で「中小企業の社長の仕事って何だと思うか?」という話になった。


同席していたのは同世代の女性が数名と男性が1人。


何でも「うちの社長は会社に不在がちで何をしているか分からない」ってな話から飛び火をした形だ。


「中小企業の社長」とていっても全国には数百万人の社長さんがいる。それらをひとまとめに「中小企業の社長の仕事」というのにはちょっと無理がある。社長によって個性があったり、タイプがある。もちろん、業種によっての特性もあるのでね。


けど、僕は社長の行う最も重要で普遍的な仕事として「物事の判断基準を示すこと」が挙げられると考えている。

一担当者として仕事をしていると矛盾していることがままある。「どうしたらいいのだろう」と思い悩むということがままある。


そんな時に、社長自らの哲学と照らし合わせて「よい、悪い」「○、×」の判断基準を示すのが社長の仕事だ。


別段、会社の運命を分けるような「決断」だけが社長の仕事ではない。「この仕事は俺はこう考える」と日常の些細な場面で判断を下す事が重要だ。


例えば、「クライアントの利益と会社の利益」っていう矛盾が企業活動をしていくとままある。


クライアントは同じサービスであれば金額が安い方がいいに決まっている。だから、といって安い金額ばかりだしていたら会社は成り立たない。ある程度の利益を得ないと、人員や設備の整備ができない。それは、長期的に見るとクライアントに対して良質なサービスを提供できないことにつながる。


だから、担当者から「この見積もりはどうしたらいいですかね?」などという質問が仮にあれば、明確に答えなければいけない。クライアントの満足と自社の利益とが最高潮になる妥協点を自らの経営哲学に基づいて示さないといけない。


「それは高すぎです!」「それは安すぎませんか?」と反発(?)があれば、その根拠を明確に示さないといけない。


それを「担当なんだからあなたに任せますよ」では社員は納得しないだろう。自分の仕事に自信が持てないまま、ビジネスの現場に向かう事になるからだ。


それは、社員に自主的に仕事をさせているのではなくて、経営者が思考省略をしているだけだ。


同様に「この企画はいいと思うんですがどう思いますか?」と社員から提案を受けたとする。そんな時に、「いい、悪い」を明確に示さないといけない。「会社の方向性にあっている、あっていない」を経営者の判断として示さないといけない。


で、「悪い」だとか「会社の方向性にあっていない」ということを担当者から「何でですか?」と問われた時に、その根拠を示さないといけない。(ただし、それは100パーセント論理的である必要はない、「自分の直感だ」でも構わない)


先日、ある知り合いの経営者が参画した会議で議論が揉めにもめた、と聞いた。


新規事業への進出について、役員の間で賛成、反対の意見が噴出した。役員が集まる会議は混乱状態となった。


数時間の会議を経て、ある程度の意見が出尽くした。もはや、論理的な議論はしつくした。


心の弱い経営者なら、「皆さんの意見はわかりました。検討してみます」となってしまうだろう。が、この経営者は違ったらしい。


それまでは口を出さなかった経営者が口を開いた。


「皆の意見は分かった。ただ、これは私の夢だから誰がなんといってもやろう」と。


その瞬間で、議論の方向性は決まった。


これが経営者、社長の正しい姿、だ。


立ち上げ期の会社なら社長が現場の第一線で活躍しなければビジネスは軌道に乗らない。


が、ある程度の仕事が流れ出し、社員が入って仕事を任せられるようになったら、判断の基準を示す事に仕事の中心をもってこないといけない。


中小企業の社長はそれさえできれば完璧だ、と僕は考えている。


「検討しておくわ」だとかの体のいい言葉で僕らは逃げてはいけない。


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追記
と、いいつつ忙しさにかまけて「とりあえず検討案件」が今年も多かったです。


「現実をきちっと見つめて、その場、その場での判断を明確にすること」

で、

「失敗したら責任をとること」


それさえできれば会社などはうまくいくのが実感覚として分かってきたんですけどね。


これは来年の課題、です。

December 22, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.12.19

生活の中に冬はあるだろうか?

「20年ぶりの寒波到来」そんな中、週末は福岡にいってきました。


で、ゴルフ。


雪がふって、プレーができるかどうか分からない悪天候の中、何とか2日間やってきました。


途中、立つこともおぼつかないほどの風が吹いたり、雪が吹雪いて視界が見えなくなったりと、一種の試練(?)でした。


しみじみと、「体の感覚が麻痺してしまうような厳しい寒さってここ最近経験してなかったよな」と思いました。

野球部だったころ延々と先輩の打つ球を拾ったり、巨人VS大リーグのチケットに徹夜で並んだり、交通量の調査なんかで24時間寒空の下でバイトしたり・・・そういや、昔は冬の寒さって折々感じていたんだ。


でも、最近は寒くなると暖かい所に逃げ込むし、そもそも寒空の下にはいかないし・・・。


かつて、「寒い冬を経験したから、春がいつにも増して暖かく感じられる」と学校の先生からいわれた。確か、受験勉強を冬にたとえたんだろう。


僕がここ最近、寒い冬から僕が逃げていること。これは日常生活でも「冬」を象徴するようなものから逃避している精神性の現れではないだろうか?


調和のとれた、春や秋。
一気に物事が開花する、夏。


常にそんなものを希求している無意識の現れではなかろうか?


僕は受験勉強はもうこりごりだ。
新入社員の頃のように飛び込み営業を何年も繰り返すのも、ちとしんどい。
やっぱ、寒い冬は嫌いだ。


けど、その冬がないと春もやってこないのだ。当たり前だけどそれが自然の摂理だ。物事には必ず仕込みをする時間が必要、だ。


生活の中に冬の要素をいれているか?


生活が安定した大人だからこそ考えてみたいテーマ、だと思った。


能書きはともかく、とにかく寒かったです。一緒に回った各位、風邪などは大丈夫でしょうか?


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December 19, 2005 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2005.12.16

年賀状どうします??

僕は子供の頃から、さしさわりのない年賀状を出すのが嫌いだった。


三つ子の魂百まで、というからそのスタンスは当然いまでも変わってない。


でも、創るのはなかなか面倒だ。だからついつい先延ばしにしてしまう。


今年も気になって印刷会社に「年賀状の印刷なんですけど・・」と連絡をしたら「来週の火曜日くらいまでにはデータ(デザインをしたもの)で欲しいですね」とのこと。

・・・絶対に無理だ。うちでお願いしているデザイナーさんも忙しい時期だし。


と、いうより僕が年賀状の全体のイメージを考えて無いのだから何も進まない。


今日から九州に出張だし、日曜日に戻って早々ジムのパーティーがあって酒が入るだろうし。来週も予定が続くだろうし・・・(お陰さまで忘年会の予定がちょっとづつ入ってきました)


・・・やばいっ

ということで、今から気合い入れて着手することにしたので、今日のブログはちょっと手を抜きます!


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追記
年賀状は儀礼だから不要、という考え方がありますけど僕は反対ですね。


言い方は語弊ありますけど、1年に50円で人間関係が結べるんですから。


僕は新入社員で働いていた頃のお客さまと今でも年賀状のやりとりをしていますよ。もう、10年間も一度も連絡とりあってませんが、年賀状だけは続いています。


年賀状の1枚も出してないのなら、連絡とりたいって時に連絡はできませんよね。


僕は年賀状の1枚もこない人からいきなり結婚式の招待状をもらうのが何よりも嫌いです!(親戚だとか親類は抜きですよ。)


December 16, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.12.15

歩くスピードが早いです!

「歩くスピードが早すぎます!」


昨日、うちの会社の女性と歩いていていわれた。


と、いうか一緒に歩くと毎回のようにいわれる。で、スピードを落とす。が、すぐに元に戻ってしまう。


それでも、僕の中ではちょっとはスピードを調整しているつもりだ。普段、一人で歩いている時はめちゃくちゃ早い。出社する時などは、半分駆け足だ。


これって性格・・??

と、考えていたら社会人になった時のことを思い出した。


僕は、新規企業を飛び込み訪問する営業マンだった。「社長いますか?専務いますか?」と軒並みやっていく。


1日20〜30社を訪問するのだが、4〜5軒に1件くらいしか担当者と面談はできない。意志決定者クラスにほとんど面談できない毎日だった。


「コンサルタント会社」というちょっと胡散臭くもとられてしまう業種だったので、あからさまに毛嫌いするような会社もあった。当然、そんなケースだと落ち込む・・喫茶店で時間をつぶしたりしてさぼったことも1度や2度ではなかった。


そんな時、学生時代の先輩とお会いする機会があった。「最近、仕事してて自信が持てないんですよね」みたいな話になった。


当時、僕は3ヶ月くらいしか営業の仕事をしていなかった。「あほ!もちっと働いて本当に壁にぶつかってから悩め」などと今の僕ならいってしまいそうなのだが、その先輩は器が大きかった。


一つ一つの言葉は厳しいのだが、きちんと真正面から話をしてくれた。


僕は、営業マンの自信なんてものは、経験だとか実績だとか知識だとかから得られるものだと思っていた。


けど、それらが全てであれば僕ら新人営業マンは自信がつくまでに疲弊してしまうではないか・・実際、同期の営業マンが疲弊しはじめていた。


先輩は確かこのようにいわれた。


「お前、自信なんてのは自分で勝手に見つけるもんだろう。思い込みでもなんでもいいんだよ。っていうか、思いこめれば最高じゃねえか」と。


確かにそうだよなあ〜とは僕は思った。けど、営業の仕事をする上で自信が持てる事などはあまりなかった。

■パックマン(ゲ−ム機ですよ)全国大会入賞・・?
■珠算埼玉県大会3位・・?
■柔道2段・・?
■教員免許取得・・?

僕のささやかな経歴(?)の中に営業マンとして自信をもてるようなものは存在しなかった。


「どんなもんですかねえ〜」と僕。


「っていうか、何でもいいんじゃねえの!昔、『マンホールの蓋を絶対に踏まない』って先輩がいただろう。そんなんでも人によっちゃ自信になるんだよ」といわれ僕ははっとした。


「マンホールの蓋〜」というのは応援団のOBの逸話だった。

「何かお前らも一生かけてやるものを見つけてみろ」と高校時代にいわれて、本気だか冗談かしらないが「マンホールの蓋は踏まない」という誓い(?)をたてたOBがいたときいた。


事実、大学を卒業するまでそのOBがマンホールの蓋を踏む事は一度もなかったとか・・


「そんなんでもいいじゃねえか!どうせ、何も特技がねえのが俺らなんだからよ」と。


この一言でふっきれたかどうかしらないが、僕は誓いをたてた。


「営業マンで一番歩くのが早いやつになろう」と。それだったら、必死になってがんんばらなくてもできるし。


そんなだから今でも歩くのが早いのかしら??


そういや、インドを旅行していたときも、インド人に「ミスターファストマン(早くあるく奴)」と揶揄されましたわ。


でも、今考えるとそんなことで自信を持つのは大事だったかな。


「泣きたいから泣くのか、泣くから泣きたくなるのか?」という心理学の話があるけど、行動を制すれば、感情はそれに従うって僕は考えている。


元気があるから早く歩くのではなく、早く歩くから元気が出てくるのではないか、とね。


少なくとも僕は早く歩く習性をつけたのはよかったかな、と思うのだ。


と、いういことで自己弁護をしてみました。


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追記
昨日は朝から姉歯氏の証人喚問にかぶりつきました。毎度のことですが、質問者のレベルの低さとスタンドプレーが問題ですね。


夜のニュースでNHKはほとんどこのニュースを取り上げてなかったですけど、賢明な判断だと思いますよ。事実「これはニュース性がある」って話はでませんでしたしね。


けど、朝のワイドショーはこのニュースのオンパレード。姉歯氏の息子さんを取材するにいたっては、完璧にマスコミの暴力性が露呈してると思います。


姉歯氏が悪いかどうかは抜きにして、息子は関係ないだろう、と僕は思います。そこまでできるマスコミってそんなに偉い存在なのかしら??


December 15, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2005.12.13

好きだからやってるんです

最近、スポーツクラブにはまっている。


マシンジムではなくて、スタジオをつかって行う有酸素運動が中心だ。


ジムで知り合った仲間たちとmixiを使って情報交換したり、オフ会(?)をしたりしている。


イベントがある時は早朝からグッズを求めて列をつくったりする。(並ぶのが大嫌いな僕がここまでするのはかなりの驚きだ!)


人気のインストラクターをおっかけて、葛西だとか池袋だとか神奈川にまで遠征している。


更にはインストラクターの私設ファンクラブ(?)をつくったりしている。

アホだ・・・。


でも、そのアホなことに一生懸命な人がいっぱいいる。


仕事を休んでジムにいく人、本場のニュージーランドまで行く人、徹夜で並んでイベントのチケットを買う人、凄く手のこんだHPをつくる人・・・僕などはまだまだあまちゃんだ。


週に3回くらい通っているが、見た目としては目に見える効果はあまりない。体重も体脂肪もあまり変化がない。逆に「運動したからいいよね」といって食べ過ぎたり、飲み過ぎたりしてしまう。


でも、そんなものはどうでもいい。(でも、最近は健康診断で痩せろといわれて注意しだした)


僕は、何かに一生懸命な人が集うコミュニティーが好きだ。


それは強制的に、脅迫的に何かをするのではなくて、自分の意志にしたがって自発的に行動する人のコミュニティーだ。


そんな集団にいるだけでエネルギーをもらえる。


かつては旅をしている仲間がそんな感じだった。


異国で聞いたいろんな話や武勇談(?)に僕は刺激をたくさん受けた。その都度、やりたいことや行きたい国が増えていった。


でも、ある時から思った。


「思い通りにならない自分にイライラして旅にでたりする人」、「俺はこんな生き方をしていると他人に主張したいから旅にでている人」、「自己を見つけるなどといって現実を見つめていない人」などの多さ、に。


それに多くの一般の人は気がついていない、と思った。だから、「旅にでている人」というだけで凄っ、と思っちゃリしちゃう。でもそんなのは、幻想であるケースがままある。


旅に出る動機はひとそれぞれだから別にいいんだけど・・・どうせなら僕は「純粋に旅にでたいからでてきたんだ」って人と時間や感動を共有したいと思うようになっていった。限りある時間を生きているのだから、心理的な不安から旅にでた人よりそんな人と一緒にいたいではないか。


で、ジム。


ここには「単純にジムにきたいから来ている」って人が集っている。そこには強制も脅迫もほとんどない(はずだ)。


一般的には、なぜか齢を重ねるごとに「やりたいからやってるんだ」「好きだからやってるんだ」ってコミュニティーがどんどんと少なくなっていく。


「義理」だとか「義務」だとか「責任」だとか「しがらみ」だとか「他人からの承認」だとかが、行動のモチベーションになっていったりする。


でも、僕らは歳を重ねるにしたがって人間関係が広がって、経験が増えていっている。知識だって増えているだろうし、稼ぐお金だって多くの人は増えているだろう。


それなのにどうして「好きだからやる」ってものをみつけられにくくなっているんだろう??


僕は最近思った。


世の中には「あれもこれもやる人」とそうでない人がいる。


「好きだからやっている」ってことを見つけられる人は、多くのことに手をだしている。その中でたまたま残ったのが「好きだからやっている」ということではないかしら。


義務だとかしがらみだとかで行動したい人ならともかく、自発的に「これは好きだ」っていうものを見つけたいのであれば、多くの事に手をださないとならないのではないかしら?確率論、としてもね。


自分が何をしたらいいか分からない、ってのもこれと同列。とにかくいろんなことをやってみることに尽きる、と思います。その中で残ったのが「好きだからやっている」ってことなんでしょうね。


と、考えるとジムの仲間はいろんなことをしてる人がいますわ。


僕も人のことはいえませんけどね。


とまれ、究極のスターでも登場して熱をあげるようでもない限りは(?)当分ジム熱はおさまりそうにありません。

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追記
今月もあと2週間くらいですね。やることがたくさんあるのですが、なかなか手付かずです。


そろそろ年賀状をつくらないと、ですね。普通の年賀状は嫌いなので、そろそろちょっと考えないと。


December 13, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (2)

2005.12.12

忘年会について考える

「忘年会が面倒でさあ、何で毎年毎年あんなのやるんだよお」と、電車の中で隣り合わせた2人組OLがぼやいていた。

金曜日の夜、まさにクライアントさんの忘年会に参加する道中での話。


僕は会社員の頃は「忘年会??絶対参加じゃねえか!当たり前だろ」って考えていた。社内行事にいくのは職業人として最低限のルールだろう、と考えていた。


だから、「ちょっと都合で」なんて社員がいたら軽くしばいて(?)いた。(一応、管理職だった時もありますので)スケジュールをなんとかするのが当然、だと思っていた。


で、その考えは今でも原則は変わっていない。

けど、僕の会社は忘年会をしない。(たぶん)


それはなぜか?


一つには回りがやっていることはなるべくやらない、という僕のスタンス。


年の瀬になると何となく世間が忘年会ムードになる。「一年の疲れを癒やし」だとか「慰労のため」だとかいうことで、繁華街が混んでくる。


けど、僕は回りと同じ事をしたくない、という欲求が強い。何回がブログにも書いたけど、皆と同じことをしているな、と考えた時に一歩立ち止まる性質がある。


確かに世の中と同じ事をしていれば無難、だ。「あっ、痛てて」ってのはきっと少ないだろう。でも、そこでふんばって回りと違う事をしてみる。僕のような鈍才にはそこしか周囲に勝てる土壌はない。だって、皆と同じ事してら、自然と競走原理が働くから、ね。


それは、仕事のやり方といった大きなことはもちろん、「昼飯の時間をずらす」だとか、「朝は早起きする」だとか小さい事にほど僕はこだわる。忘年会もその流れのひとつ。細事が大事を決定づける、と思っている。


もう一つは参加するメンバーに「面倒でさあ」とちょっとでも思われるのが嫌だから


僕は飲んだり食べたりするのって、好きな人とご機嫌な状態でするのが一番だと思っている。


そりゃ仕事をしていればお腹の痛い飲み食いもたまにはありますよ。でも、原則はうきうき、わくわくして飲んだり食べたりしないと限りある時間がもったいない。


「面倒だなあ〜」って時間をもし僕がつくりだしているとしたらこりゃ最悪だ。「会社に係わる人の幸福云々」などと会社のミッションに掲げていながら、自分が幸福を阻害しているじゃないの、って。


だったらその分は決算の賞与だとかで反映したいな、と。


そんな風に考えるです。


みんなで予定を決めて定例行事みたいに忘年会などの会合をするのではなく、「社員が普段いけないような飲み屋さんやご飯屋さんに個々でたまーにいく」という方が僕は好きだな。


高級なお寿司屋さんだとか、座っただけで何万円とかする飲み屋さんとか、そんな自分の給料ではなかなかいけない世界をたまに見る方が僕は価値があると思っている。必ず絶対、その方が記憶や経験に残るだろうし、さ。それだったら多くの場合は「ぜひ、いきたい!」ってなるでしょうし・・。(人にもよるかしら??)


そこには惰性だとか嫌いや会合に参加する、ってのはなくなると思うんだよね。どだろ??


と、そんな話をある席でしたら、「それでは社員とのコミュニケーションがとれないではないんじゃないか」みたいな話になったことがある。


でも、僕の持論は、こと社員との飲みの席にはコミュニケーション云々を持ち込まない、ということ。


だって、上司や社長が「今日はこいつとコミュニケーションをとってやろう」なんて飲みに誘ってたら気持ちが悪くないかしら?? 僕だったら嫌だね。


コミュニケーションの成立要因っていくつかあると思うけど、一番には社員から「この人(上司や社長)は信頼できるかどうか」と思ってもらえるかどうかということでしょう。


それって、日常の業務の中で形成しないで、夜の飲み食いの席でつくれるのかしら??


日頃、社長や上司としての責務をきちんと果たしていない人がいくらコミュニケーション云々だっていったってダメでしょう。


と、僕は考えるのです。


とはいえ、忘年会のシーズンはちょっとうきうきしますね。


今年はあまり予定が入ってませんけど。


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追記
でも、新年会は年の初めのゲン担ぎみたいな意味あいがあるので、やろうかしら。

それにしても、「嫌だなあ〜面倒だなあ〜」と参加する社員も可哀想ですけど、「嫌だなあ〜でも立場上やらないとな」と上司や社長が思っていたらもっとかわいそうですね。

案外とそういう立場の人って多いんじゃないかしら??

December 12, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.12.07

ALWAYS三丁目の夕日

映画館で号泣しました。

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小さな自動車修理工場と売れない小説家が切り盛り(?)する駄菓子屋さんを舞台に、昭和33年の古きよき日本の家族の触れあいを描いたドラマ「ALWAYS 三丁目の夕日」を見ました。

僕は操作主義で貫かれている映画は嫌いだ。


「泣かせてやろう」「感動させてやろう」という制作者の意図が見え隠れすると、その瞬間に一気にしらける。だからハリウッド系の映画はほとんどみない。いやらしくて。


「感動を一つでも集めることが生きることだ」と考えているのが、それはあくまで自分が動いたり、頑張ったりして得られるものと考えている。


だって、自分が動いた結果で得られる感動と人が頭をつかって「感動させよう」と思ったのにのっかるのでは、そもそもその価値からして異なる、と考えている。


この映画も、はじめは「今の時代に昭和??感動させてやろうって意図がみえみえだね」なんていってたんだ。


けど、なんか直感が働いたんだ。「この映画は絶対に見ろ!」ってね。


確かに、夢を語ったり、人に思いを寄せたり、情愛を抱いたり、と人間が持つごくごく普遍的なテーマで「泣かしてやるぞ」って迫ってくる映画でした。


「そろそろ泣かせにくるぞ」と途中から分かるような映画、でした。「あっ!この音楽はそろそろ泣かせにくるぞ」なんて分かるんだよね。


でも、そんな予定調和の中でもぼろぼろ泣いちゃったんですね。これって何でだろ??


人が夢をもっていた時代、周りの人に対して余裕があった時代。


そんな素の素材がよかったのかしら? 一回じゃわからないのでもう一度見に行きます。


感動の押し売りはするのは本意ではないけど、ぜ、ぜひおすすめです!


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追記
突っ込みとして2点。
主人公の一人に小雪さんがでてましたが、昭和33年の時代にあんなスタイルの人ってそうそういないよな、というのが一点。僕なら和久井映美を使います。


あと、プロレスのシーンがでてくるんだけど、あれってシャープ兄弟VS力道山の映像?? シャープ兄弟だとしたら昭和33年には来日してなかったと思うんだけど??


日本テレビ制作だからその辺りの時代考証はきちんとしてると思うけど・・元プロレスマニアとしてはちょっと気になりました。もう一度いって確認してきます!


December 7, 2005 | | Comments (4) | TrackBack (1)

2005.12.06

忘年会の予定が・・・

「忘年会のシーズンでしょ、暴飲暴食で胃もたれが激しくって」


なーんて、去年くらいまでは毎年この時期いっていました。


胃腸薬が必需で、夕方になると栄養ドリンクとサプリを飲んで、繁華街にかけつけてました。


原則、僕は誘われた会合には時間の許す限りかけつける。会社員として働いていた時も上司との飲み会もほとんど断ったことがない。これが僕の職業人としての美意識だったからだ。


が、今年は


「忘年会の予定がほとんどない!」


なんで??


ひとつには、お取引先の担当が現場にうまくスライドしていること。


だから、僕などはでる幕がなく(と、いうよりむしろ邪魔になることが多い?)ほぼ現場で仕事は完結する。お客さまなどからの問い合わせなども僕が対応しなくてもよくなったことが増えてきた。


そのため、「仕事終わったから一杯」みたいなのが少なくなった。ちょっと寂しいけど、僕の仕事は机に向かって将来を考える事だからしょうがない。(ホントは現場仕事が好きなんだけどね)


もうひとつは、僕が健康志向になっていること。


社会人、フリータ−と十数年間、運動らしい運動をしていなかったんだけど、今年はいくたの知人の死や病気に接して「中小企業にとっては経営者の健康が最大のリスク要因」だと痛感した。で、週に3回は本気でジムに通うようになった。


そんなだから、「今日はジムの日?」などと聞かれることが増えてきた。


で、何回に一回は「ごめん!今日は大好きなインストラクターの日なんで別の日に!」と断る事がでてきた。去年までの僕からくらべると考えられもしなかったセリフだ。でも、それが会社にとって必要だと僕は思ってるからしょうがない。(というよりジムにはまってしまったからしょうがない)


あとは、「他の人と同じことをなるべくしない」って僕のポリシーかしら。


広告や出版関係の仕事は飲んだり食べたりすることが他業種に比べて多い。実際、僕もそう思っていたので、会社が軌道にのりはじめた頃からはいろんな予定をいれまくっていた。それが、広告業で仕事をする上で大切だと思ったから。


けど、ある時に思った。


「今までの広告代理店と同じようなことしていてもダメではないかしら?」と。


人と同じ事をしていては、先を歩んでいる方にかなわない。更に言うならば、回りがやっていること、回りが思っていることは競争も激しい。三連休にディズニーランドにいくようなものだ。(僕は平日の、それも雨の日にディズニーランドにいくことを選ぶタイプだ。)


そんなだから脅迫観念的にスケジュールをいれるのを止めにした。最初は、まっ白なスケジュール表を前にすると「大丈夫かしら??」と思ってたけど、しばらくすると何とも思わなくなっていった。なにごとも無理はいけない。


そんな理由で今年は予定が少ない、のかしら?


芸能人だったらお座敷がすくなくて慌てふためくんだろうけど、僕の本業は広告だしね。でも、ちょっと寂しいですね。根本的には人との飲み食いは大好きなので。


と、矛盾だらけの冬の朝。


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追記
年末年始、今年はおとなしくしようと思ってます。1月1日からジムにいくつもり。


来年の夏頃までには、どこかに旅にでようと画策しようと思ってます。「カザフスタン」や「パキスタン」といった「タン」のつく国か、シルクロードの奥の方、またはチベットがいいかな。まだ、もやもやですけどね。


December 6, 2005 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.12.05

自信はどこからやってくる??

「お前んとこの会社は何回いえば分かるんだ!!」


いきなり僕は罵倒された。北陸の某建設会社でのこと。


新入社員で営業として配属された僕は一軒一軒、飛び込み営業で新規開拓をしていた。が、その中に昔、大きなクレームをして出入禁止になっているクライアントが偶然にあった。


普通なら業務の引き継ぎがあって、「あのクライアントは要注意だからいかなくてもいい」だとかありそうだが、僕のタスクは軒並み訪問だったため、たまにこういう地雷(?)にぶつかるのだ。


従業員100人ほどの会社の取締役の部長さんだ。年齢は50歳ちょっと、だろうか。延々と恨みつらみが続く。鋭い眼光が迫力があって、僕はタジタジだった。


「そもそもなあ、お前らの仕事は現在と過去の取引先を知る所からはじめるべきだろう」だとか、「今の時代に飛び込み営業なんて何を考えてるんだ」だとか、「そんな会社と付き合った俺がバカだった」だとか「一体どんな教育受けてるんだ」と続く。


僕はすいません、と謝るしかなかった。


が、苦言は延々と続く・・・。


そのうちにふと考えた。「何で俺が謝らないといけないんだろう??」と。


僕が手掛けた仕事ではないのに、たまたま同じ会社の社員だったというだけなのに・・・確かに忙しい時に飛び込み営業をして作業の手を止めたのは悪い。


けど、大の大人が他の従業員が大勢といる前で、20分も30分も大きな声あげて怒り散らすことかしら??どんなクレームがあったか分からないけど、大人気ないんじゃないの??


僕はその人の迫力に負けそうだった。が、次の瞬間にふと思った。


「この人迫力あるけど、キックボクシングのパンツをはかせてリングの上にたたせたら、10秒で倒せるな」と。


今思うと、学生あがりのバカな発想なのだが、逃げ道を塞がれた僕がとった選択肢は、そうイメージして僕自身のイライラ、ムカムカを解消することだった。


人と人との喧嘩で、相手の逃げ道を完全に塞ぐというのは最もいただけないやりくちだ。例えどちらかに一方的に非があっても、どこかに逃げ道を残しておくのは最低限のルールだ。


人のプライド(昔はその程度でプライドを傷つけられた、と思っていたので僕も甘ちゃんですけどね)を完璧に損ねない程度に攻撃を加えないとならない。その部長さんはそのルールを逸した(と僕は思った)。


僕は表面上は謝りながら、頭の中ではその人をキックボクシングのリングにたたせた。何でキックボクシング?? それは僕がたまたまやっていたから。この人には勝てる、ってものはその時はそれくらいしか思い付かなかったから。


すると不思議、いままで迫力があって怖いと思っていた部長さんが、頼りなーく思えてくるではないか。言葉は悪いが、おこちゃまみたい、だ。延々と小言が続いていたが、精神的なストレスはほぼなくなっていったのには驚き、だった。


以後、僕は人に対して迫力を感じたりすると、僕が勝てるだろうと言う土俵に乗せてしまう。もちろん、イメージの中、だけどね。


すると、交渉ごとだとかが気後れしないでできるような気がするんだ。


後年、坂本竜馬が「偉い人と会う時には、その人が奥さんと情事をしているところを思い浮かべる」みたいなことをイメージしてセルフコントロールをしていた、と聞いた。・・・これって根本は同じじゃん?!


先日、飛び込みで営業にこられた方がなぜか緊張しまくっていた。


僕は雑談の中で上のような話をした。


「なるほど!でも僕は人より勝ってるものってないんですよ。どうしたらいいですかね??」


「そんなのは自分で考えなさい。『この人よりも朝早く起きている』だとか『この人より飯食うのが早い』だとか『この人より本を読んでいる』だとかでもいいじゃないですか。」


「そんなものでいいんですか??」


そんなことで十分、でしょう。


自信なんてものは、仕事を通じて経験をすることで身についてくるもの半分、無理くり掘り起こしていくもの半分、だと思うんです。


こと、僕に関していうとキックボクシングには自信がなくなったんで、その他の部分で「俺はこの人にこれなから勝てる」ってのを切り札、にしてます。


このブログを読んでいる方には、いずれ交渉事をしないといけない方もいらっしゃるので手の内(?)は明かしません、けどね。


自信など、自分なりの理屈で勝手に持ったもの勝ちです。


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追記
後年、とある会社の社長さんに企画を提案にいきました。


大きな社長室でサシで話をするので、緊張なんてものじゃありませんでした。


「ではいつものイメージを」と思いましたが先方の社長は柔道5段で僕より二回りも大きい。


「この人はキックやっても俺より強いな」と思うとたじたじでした。


引き出しは多い方がいい、とこの時に痛感しました。

December 5, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2005.12.02

本は天下の回りもの

「別段、この本は返さなくてもいいですからね」


「何かいい本がないですか?」などと相談されて、人に本を貸す時に僕は必ずこういう。


Amazonを使えば、ほぼ問題なく本が手許に入る時代だ。一部の希少本ならともかく、「また読みたいな〜」と思えばまた買えばいい。


僕はある分野(?)についてはケチだが、本にかけるお金はまったくケチらない。それが、広告という仕事、経営という仕事に従事するものの最低限度の自己投資だと思うからだ。


200512020859000
出陣の時(?)を待つ本たち

僕はフォトリーディングという速読の技法を習った。だから、というせいでもないが本を読むのは人よりも早い。


常に3〜4册の本を持ち歩き、暇があるとぱらぱらと本をめくりながら、「こりゃ使える」だとか「こりゃネタになる」だとか「俺がいいたかったのはこういうことだ」とかいうページを折りながら読んでいく。(というより眺めていく??)

200512020846000
これはいい、というページは折られていくので人に本は借りられない


ジムのサウナや家の風呂の中でも本を読んだりするのでボロボロになったりする。でも、そんなのは関係ない。「本を綺麗に読むのは、本に無礼だ」とちょっと思っている。


本を読み終わったら、読んだ日付けを表紙の裏に書いて(かつては、この本を買った動機を書いていたが最近はしていない)しばらくそのままにしておく。本を折ったページを見直すこともない。


で、1週間だとか10日だとか経過した時点で折ったぺ−ジをノートに転記する。それまでの間、読まれた本は僕の机の上で知識の熟成の時を待つ。


200512020847000
ノート(ネタ帳)は僕以外はほぼ読めないほど悪筆


本を読み終わると、僕らは無意識のうちにその本に関係した情報を脳でとりこもうとしている。その本に関連した情報やニュースがなぜか入ってくる、という経験はないだろうか?それは、自分の無意識がなせるワザ、だ。そのためには知識や気づきが熟成する時間が必要、だ。

200512020845000
本の熟成状態

ノートへの転記が終われば、本は本箱へと向かう。それで、誰かの元へと旅立つ瞬間を待つことになる。


「何かいい本ないですか」と誰かから声がかかったり、うちの社員に持ち出されたり(原則、僕の本は勝手にもっていっていい、と社員にはいっている)、「この本はいいから読め」と僕に指名(?)される瞬間を待つ。


旅立った本は別段、僕の所に帰ってくる必要はない。


なぜか?


「お金は使わないと入ってこない」というお金の原則と一緒だからだ。


「これはいい本だ!」と思ったら、その本は流通させないといけない。僕が影響を受けたのと同じような影響を誰かに与える可能性があるのだから。だから、自分一人がその本にしがみつく(?)のはいけない。


「あの本はいいですよ」と口で紹介するだけでもいけない。僕らは忙しい時代を生きている。「その本には関心がある」という人にはプレゼントをしてでも本を送り届けてもいいくらいだ。


そんなことをすることによって、なぜかしらいい本が僕の回りを流通しだす。


「この本は凄えなあ〜」って本が誰かの紹介でやってきたり、書店で強烈なオーラを放っていたりする本を発見したりする。


まさに、本も天下の回りもの、だと思う。


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追記
昨日は、おなじみ(?)田坂広志先生の講演会にいってきました。ヘーゲルの弁証法の話でしたが、具体的な事例が多くて分かりやすかったです。


「人類5,000年の叡智をどう今の時代のコンテクストとして活かすか」という話には納得。


僕らは表層的なビジネス書だとかにともすると目を奪われがちな時代を生きていますからね。ちょっと真面目に古典ととりくも、と思いました。


December 2, 2005 | | Comments (2) | TrackBack (0)