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2006.01.31

おかげさまで創業5周年

2001年1月31日、ようやくと会社の登記が終了しました。


電話機が1台と、FAXが一台と。
お取引先の事務所の一角、それが最初の「事務所」でした。

Scan

日中は外にいることが多かったので、電話はお取引先の社員さんにとってもらってました。


1人だけいた女性社員は、これまた別のお取引先にデスクを借りて、居候させてもらいました。そんな所からのスタートでしたが、なぜか会社の成長を疑ってやみませんでした。


早いものでそれから5年、今日は創業5周年です。いままで、皆様にいただいたご縁、ご支援に改めて感謝します。


5年の間に会社は思いもよらない方向に向かいました。「想定内」のことばかりではなく、「想定外」のことも起こりました。


ある時から思いました。


見えない力のようなものが、次々に僕だとか会社に問題をふっかけてくるような感覚を。


僕の回りには、「そんなに自分にストレッチをかけてよく頑張ってるな」という人がたくさんいます。「自分だったらあんなプレッシャーだとかに耐えられるだろうか」というギリギリの線で戦っている人がたくさんいます。


きっと、そんな方も次々とふっかかってくる問題を一つ一つクリアーして耐性がついたんでしょうね。


これから3年だとか、5年だとかの間にふりかかる問題はまだまだ未知数ですが、その先にある成長を信じてきっちりとやりとりしていきたいと思います。


僕の机の前には、創業時につくった看板(?)が額縁に入っています。


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この看板をつくった頃と比べてちっとはでかくなっているだろうか、とこれからも自問を続けたいと思います。


今後ともよろしくお願いいたします。

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January 31, 2006 | | Comments (8) | TrackBack (0)

2006.01.30

僕の理想とするかっこいい大人

土曜日は通ってるスポーツクラブのオフ会が新宿であった。

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ハニートーストの店です


20代から40代までの男女14人。カラオケボックスを借りて、歌いまくる・・・ではなく、妙なアクション(?)をしまくる。


そのアクションとはこれ


毎度おなじみ、僕が通っている格闘技をベースとしたエクササイズ、「ボディコンバット」。


エクササイズでかかる曲目(全部で250曲以上)をカラオケで流してはみなで振り付け。はたから見たらへんな新興宗教みたいです。ほんと。


どんな世界にもマニアがいるけど、このマニアが凄いんです。「コンバットがなくなったら鬱病になる」だとか「生きている意味がない」って明言する人もひとりやふたりではないんです。


例えばこのシャツとパンツ。

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コンバットのオフィシャル商品なんですけど、買うのに徹夜するんです。(列の順番をめぐって喧嘩騒動まで起きたとか・・)この物余りの時代に・・・。5月にも新しいのがでるのですが、僕もきっと並びます。並ぶ事がなによりも嫌いな僕が・・・。


はたまた、このプログラムが発祥したニュージーランドにいったりするんです。で、本場のレッスンを受けに行くんです。(で、僕もニュージー行きを考えてます)


土曜日の9時くらいから4店鋪くらい回って、「今日は4時間近く動いた!」などいってる剛の者がいるんです。

好きなインストラクターの追っかけをしたり、ファンクラブをつくったりするんです。


はじめはそんな人を見ていて思ってたんです。


「なんで・・??たかだかスポーツクラブのエクササイズ、じゃん」と。

でもいまでは、「なんで・・??」って思われる側になっちゃいました。改めて思います。人は変わる生き物なんだ、と。


で、そんな仲間との付き合いを通じて考えるんです。僕の理想の大人像、を。


それは、「50歳になっても、自分なりの世界があって、その中でできた歳の離れたの仲間と積極的にかかわっているオヤジ」です。


「LEON系のもてオヤジ」や「金持ちの成り金オヤジ」、「いかにもやり手のオヤジ」や「無趣味のぬれ落ち葉オヤジ」ではなく、「ちょっと力の抜けたおもしろオヤジ」になりたいんです。


そんなオヤジ、がジムにはいるんです。


「ははは、大学生の子供がいるんです♪」なんていってながら、僕ら以上のパワフルなレッスンをするオヤジ。


「来週は●●店と●●店に遠征をかけましょう」なんて、たくらんでネットで情報交換を繰り返すオヤジ。


そんなオヤジがいっぱいいて、大変に参考になります。


かつて、僕は思いました。旅にでれば、いろんな仲間だとか自分なりの世界がつくれる、と。


だから、長旅をしているオヤジに憧れたりしたんです。


「イランからパキスタンに抜けるにはなあ〜」なんて話をされて、「すげえ!」って単純に思っちゃったんです。そんなオヤジになりたい、と思ったんです。


が、ある時から思ったんです。


旅ばかりの人生は積み重なりにくい、と。


嫌な場所であれば、移動する
嫌なやつがいれば、話をしない


旅をしていると、そんな生き方が可能なんです。でもそれでは自分の人生にストレッチをかけていないんですね。好きな事だけしているから、世界が広がらないんです。


僕はそんなことを考えたんです。(もちろん、そうでない人はいっぱいいますよ!)


が、ジムにきているオヤジの凄い所は、みなきちんと働いてるんです。


「うーージムいきてえ〜」だとかいいながら、お客さんだとか企画だとか残業だとか上司だとかと格闘しているんです。


その上で、自分なりの世界を持って、世代の離れた仲間をもってるんです。


僕は今30代中盤。今ならまだまだそんなことはできますよ。体力も行動力もまだまだあるし。でも、50歳近くになって同じようなことをするって凄いよな〜と。


僕もそんな大人になりたい、と最近つくづく思うのです。


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追記
さあ、今日はジム関係者のコメントがふえるかしら??

January 30, 2006 | | Comments (11) | TrackBack (1)

2006.01.26

「モテる」と「モテない」と

大学時代、僕はある広告代理店でアルバイトをしていた。


社員数名の小さな会社。気分がいいと社長が寿司や中華をごちそうしてくれる。で、二次会はスナックだとかキャバクラに出向く。


当時、学生だった僕は思った。「社長って仕事はそれだけで女性にモテるんだろうなあ〜」と。事実、この社長は容姿はごくごく普通だったけど、よく女性にモテた。

人間の魅力を構成する要素が、「性格」「容姿」「仕事」「収入」だとしたら、「社長」って名刺をだしただけで、「仕事」と「収入」と、2つはクリーアしてることになるじゃないか、と僕は思った。


全てがパーフェクトな人間などいないのだから、仕事と収入だけでも相応の基準にいっている、という証、それが社長という立場だと思った。


それから十数年、僕も「代表取締役」の名刺を持った。


お金がなかったので、お取引先の女性にデザインをしていただいたごくごく普通の名刺だ。僕はこの名刺をみて、一人ほくそ笑んだ。なんか無性に嬉しかった。まだ商売の先は見えなかったけど、なにか洋々たる未来が待っているような感覚がした。


が、すぐに気がついた。


「世の中には社長と呼ばれる人がいっぱいいる!」と。


社長というポジションになって思ったのは、社長同士は仲良くなりやすい、ということだ。営業の担当者だった頃はなかなか会えなかった社長クラスの人も、自分の立場が変わる事で出会えるようになっていく、という現実だ。


だから「社長」などといっても、別段めずらしいことではない。


ましてや、「社長」だからって異性にモテたりするのは幻想だ。(これは早稲田や慶応に行けばモテるんだろうな、と高校生が考える精神構造に似ているかもしれない。実際、そんなことはある訳がないんだけど。)


結局のところ、「社長である」ことよりも「社長としてどうある」の方が大事なんだ。当たり前だけど・・・そんなことに気がついた。


(女性にモテたいから会社を興したい、って人はそんなにいないとは思うけど。ぜひともご留意ください。今をときめくヒルズ族だってそんなにモテモテか?といわれると、????だと思いますけど・・・彼らは別格??)


とはいえ、僕は女性にモテるということを放棄したら経営者(というより男性としても、ですね)はアウトだと思ってます。

それは誤解はあるかもしれないけど既婚、未婚もかかわらず、ですね。

会社経営は一種、人気商売の側面を持っています。

異性に誰からも相手にされないような経営者や上司やリーダーの元で、働きたいと思いますかしら??? 僕だったら嫌ですね。この仕事していけばあの人みたいになれるかも?って予感が仕事のモチベーションになる人間なので。


「じゃ、お前はいったいどうなんだ!!」といわれると困りますけど、「モテる自分でありたい」とは思ってますよ。


けど、それが目的にはなることはありませんけどね。


だから、「モテるためにおしゃれをする」だとか「モテるために車を買う」だとかいうことはありません。あくまでも、仕事や生き方の結果としてモテる存在でありたいとは思ってます。それが中小企業の魅力をつくる大きな要素、だとも考えています。


「うちの会社は魅力がない」と思う前に、自分の魅力を僕らはつけないといけません。


言う程簡単なことじゃないだろうけど。


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追記
ブログの更新頻度がやっと戻ってきました。

運動や読書と一緒で習慣にすることが大事ですね。

January 26, 2006 | | Comments (7) | TrackBack (1)

2006.01.25

まずは雑談からはじめます

「おっ!このアイデァは使える!!」と思う瞬間がある。


「おっ!こりゃ仕事にいかせるな」と思う瞬間がある。


僕の場合、それらは雑談をしている時が多い。机の上で必死になって考えてても、なかなかいい策など思い浮かぶものではない。ましてや、「企画の考え方」みたいな本を読んだって新しいものなどうまれない。


雑談には自分の関心事もあるし、面白くない話もある。まったく分からない話もあるし、レベルの低い話もある。とりとめのない話もあるし、頭が混乱するような難しい話もある。


これらの情報が無秩序のままに脳に入ってくる。それらが、脳の中にある僕がもっている情報や知識と結びつく。それがアイデアの本質だ、と思う。

本は情報がある程度の秩序をもって入ってくるから(無秩序な本など誰も手に取ろうとしないだろう)、雑談の方が無秩序であるだけ効果的だ。無秩序、混乱、乱雑こそがアイデァの絶対要件、だ。


全く話は変わるが「明治維新は酒場から生まれた」という人がいる。


酒を飲みながら時勢や天下国家について論じる、その中から「尊王攘夷」だとかという概念が生まれてきた、ということなのだろう。


真偽は誰にもわからないが、昔の人はよく議論や雑談をしたようだ。それが、国を動かすようなアイデァのきっかけになった、というのは僕は決して誇張ではない、と思っている。


今の時代、その場所や空間が少なくなった。娯楽が増えて、真剣に、まじめに雑談をする機会が少なくなった。


僕は来月より、ある会社の役員を勤めさせていただく事になった。ありがたい話だ、喜んでお受けする事にした。


今後は今までの事業をベースにして、新たな展開を考え、推進するのが僕のミッションだ。今の事業体とは異なる業種、だ。経験もない。皆さんなら何からはじめるだろうか??


僕は、まず雑談だ。


現場の担当者や責任者などとの雑談だ。


その雑談の中に、必ずその事業の改善や向かうべき方向性のヒントが隠されている。


雑談の中で僕が責任者や担当者より聞く事、僕がしゃべること、それに対して展開していく話の中に必ずや多くのヒントが隠されている。


今の段階では、何から手をつけていいか分からないが、まずはそこからヒントを探したい。


そんなことを考えていて思った。真剣に、まじめに、フランクに雑談ができる環境がある人は恵まれている。問題解決の強力なヒントを手にしているようなものだ。


まあ、そんな事を書くと「家では寝てばかりで雑談もないではないか」という声が聞こえてきそうだが・・・。


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追記
最近、体調が今イチなせいか早寝です。


起きると1時くらいで、それなりに眠った感があります。


9時に寝て、2時に起きるみたいなライフスタイルだったら何でもできるんでしょうね。


まあ、そこまで意志は強くないですけど将来的には3時半くらいに起床したいですね。

January 25, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.01.24

ライブドア報道について考える

ライブドアの堀江社長ほか幹部が逮捕された。


今回の容疑について僕は専門外なので詳しい事は分からないし、あれこれいうつもりもない。


ただ、「起業家が尊敬されるような社会」ができたらいいなあ〜と思っている僕には残念だ。よくも悪くも、現代の起業家を代表する一人に堀江さんがいたことには間違いがないからだ。


一つ、今回の一連の報道で改めてメディアのいい加減さを感じた。


ついついこの間まで「30億円ともいわれる自家用ジェット機」を取材して、公共の電波を使って「これこそが成功者ですよ!」ってメッセージを流していたのはどこの誰だっただろう??(山形かどこかにアナウンサーとジェットに乗っていってたな。あほらし)


と、ここでいってもしょうがいないけど。


「人生はお金だけじゃないよ」とはよくいわれる。


が、「お金のない人間がそんなことを語ったって負け犬の遠吠えだ」ともいわれる。


どちらのいうことも正しい、と思う。


僕は創業の時に思った。


「たくさんのお金を稼ぐ事にはあまり興味は無いけど、たくさんのお金を前にした時に自分がどうなるかには興味がある」と。


もしかしたら散財の限りを尽くすかもしれないし、家だ車だ時計だと購入しつくすかもしれない。愛人をつくるかもしれないし、誰かのパトロンになるかもしれない。


僕がどうなるか?、はお金を前にしていないと分からない。


で、会社が5周年を迎えた。創業当初は同年代の社会人より少ない給料だったが、いまでは相応にいただけるようになった。


で、改めて思う。「人生はお金が全てじゃない」と。「『お金=成功』だと考えるのなら、ちっちゃい、ちっちゃい」と。


いつか僕も死ぬ時がくる。


その時に生涯の事が走馬灯のようにかけめくるとする。


その時に、「お金を稼いでいい思いをしたこと」がかけめぐるだろうか? 僕はそうは思わない。


大学時代に所属していた部活ではちゃめちゃな減量を重ねた事。合宿で逃げ出したくなった事。会社を辞めて旅にでたことや、試行錯誤しながら旅をしてきたこと。会社に寝泊まりしながら仕事をしたことや、次々におきたいろんなできごと、などなど・・・。


それらのことを乗り越えた解放感(?)や一歩でかくなったみたいな達成感みたいなものが、かけめぐるのではないか、と思うのだ。


それらに共通しているのは、「自分が人として成長をしたか、否か」ということだ。


僕らは「成功」という価値観で生活をすると自分を追い込んでしまう。


いわゆる「成功」には、確実性がないからだ。成功するかしないかなんて時の運とか、持ち上げてくれる人の存在だとかの要素が強いからだ。


更にいうのであれば、「成功」ってのを追い求めるうちはいつまでも充たされないからだ。


堀江さんだって、自分では「俺は成功した」なんて思って無かっただろうと思うんだけど・・・。常に充たされない思いで生活してたんではなかろうか。でなかったら、あれほどまでに企業買収を繰り返さないだろうし。


それに対して「成長」は確実に約束されている。僕らが困難に直面し、それに逃げずに戦えば(時には逃げもありだと思いますけどね。しっぺ返しはいつかくるでしょうけど)、必ず約束されている。


で、何かを乗り越えた時には実感がでてくるから、自分が充たされると思うのだ。


テレビなどの報道は、いわゆる「成功者」をあおりすぎだ。


最近では、プロジェクトXみたいな、「成長」をテーマとした番組が脚光をあびたが、まだまだ少数派だ。


世の中で起きる出来事には何かしらの意味合いやメッセージがあるのだとすれば、「成功者」を安直にあおる報道に一石を投じるのであれば、今回の事件も意味はあったのだろう。


「金持ち=成功者」ってステレオタイプの報道が、いまの社会のすさみを生み出している温床になっているといったらいいすぎだろうか??


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追記
前にも書いたが、わが家は賃貸だし、車ももっていない。欲しくないか?といわれれば100%は否定できない。


「儲かったらベンツを買う」というのは経営者の一つのスタイルとしてよく話に聞く。


確かに、人より一生懸命仕事してリスクをとって経営しているのに皆と同じ車ではやる気が失せてしまう、とも思う。それを僕は否定しないし、それが仕事のモチベーションになっているのなら素晴らしい。


我が家はモノより思い出、だ。旅にでたり、人との付き合いにはお金をつかう。あとは飲んだり、食べたりすることかしら?


ここには、セコセコしない。


あとは、きちんとお金をためて、何かあった時のために準備しておく。いきなり僕が死んでも大丈夫な状態にしておく。僕が死んだあとも、会社が粛々と続いていくようにする。


最近、思うのだがこれが僕の仕事のモチベーションなのだ。


家や車よりも、社長が死んでも会社が粛々と続く方が格好いいではないか、というのが僕の考え方なのだ。きっと。

January 24, 2006 | | Comments (8) | TrackBack (1)

2006.01.22

すぐ役立つ情報への接し方

某出版社のライタ−さんより、本ブログをある雑誌の企画で取り上げたい、と連絡をいただいた。


かつては僕も読んでいた20代〜30代ビジネスマン向けの雑誌である。喜んでお受けすることにした。


で、ブログを書いた動機だとかネタの見つけ方だとか、メールでいくつか質問事項をいただいた。


が、ひとつ僕はどう書いたらいいか困った事があった。それは「30代サラリーマンが読んで役立つ箇所は」といった質問だ。


世の中には「これを読んだら成功する」だとか「これを読んだら簡単にできる」だとか、今すぐ役立つ系の情報が花盛りだ。


誰しもが不安な時代、「誰でも簡単に」「リスクが少なく」「近道で役に経つ」そんな切り口での情報が蔓延している。


情報の送り手であるマスメディアが音頭をとっているのだろうが、実は消費者(読者)の強いニーズでもある。


真面目であればあるほどそういう情報に簡単に振り回される。魔法のつえのようなものにすがろうとする。それで「役にたった!」と思うのであればいい。


でも、僕は思うのだ。


すぐさま役にたつ情報だとか知識にはそんなに価値がないんじゃないか、と。


例えば、「読んだらすぐに役にたつ本」の代表はNTTの電話帳だし、国語や英語の辞書だ。目的をもって調べ事をするからすぐに具体的な答えがでる。


「誰でも独立できる」だとか「誰でも大儲け」だとかのノウハウ本なども僕はこの延長だと思っている。といったら、いいすぎだろろうか?著者に無礼だろうか?


例えば、「誰でもできる株投資 1年で1,000万を稼ぐ」みたいな本のタイトルは確かに魅力がある。僕もそんな本をいっぱい買ったこともある。読んでなんとなく刺激を受けたこともある。


けど、今では思う。


「楽して、近道で、素早く」何かをしたいと考える自分の気持ちを僕らはコントロールしないと安直な情報に振り回されて一生を終えるのではないか、と。


さて、冒頭の話にもどろう。


「30代サラリーマンが読んで役立つ箇所は」と聞かれても僕は困る。なぜなら、すぐ役にたつものには価値と考えているからだ。そういうものの音頭をとりたくない、と思っているからだ。


逆に、「このブログは読んでいてもすぐさま面白かったり、すぐさま役立ったりするわけじゃないけど、なんとなく面白い」だとか「なんとなくたまにアクセスしている」って感じで読んでいただく方がいいのじゃないかしら。


で、思うのだ。


そんな姿勢で情報に接していたりすると、あるとき思いもよらない形で情報と情報がシンクロしたりする。いままでは「面白いからアクセスしている」って情報が、急に自分に役立っている、と感じたりする瞬間が訪れたりする。


その瞬間が訪れればラッキーだし、訪れなきゃそれはそれでいいじゃないか。役にたつものばかり集めたって、あまり価値はないですからね。


僕はすくなくともそういう形で周囲の情報に接したいと思う。「役立つ情報」「役たたない情報」という区分けはナンセンスだ。


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追記
ライブドアの広報さんがインタビューを受けた映像がテレビで流れてました。


ことの善悪は良く分かりませんが、毅然とマスコミに接するああいう社員の存在は社長にとって心強いですね。


逆に、六本木のヒルズ族は(僕の知る限りですが)ほとんどこの件では露出しませんね。マスコミではパーティーばかりしてたといってますけど、その程度の付き合いだったのでしょうかね。だとしたら可哀想ですね。


January 22, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.01.18

自己投資(勉強)という名の現実逃避

創業以来、いろんな外部セミナー、勉強会に参加しました。


マーケティングの講座に、経営計画の立て方、営業戦略や賃金制度などの話に、これからの社会予測、はたまた成功(←この言葉は嫌いですけどね)した経営者の話などなど・・・。


会社を経営する、ということは初めてだったので、経験の無さを知識で埋められれば、と思ってました。


が、ある時から気がつきました。


「勉強をあまりやりすぎるのは現実逃避ではないかしら??」と。


セミナーなどにいくと、「セミナーオタク」みたいな人がいます。セミナーなどの行脚を続けている人がいます。それはそれでいい。勉強する事は悪い事ではないですからね。確かに、基礎的な知識がなければモノも考えられないから最初はこういうものに参加するのも大事でしょう。


が、ある程度、基本的な知識が入った段階で現実の仕事をやらないでセミナーなどにいっているとしたらこりゃタチが悪い。僕に言わせりゃ、現実の仕事から逃げているだけ、です。


いくたのセミナーに出ましたけど、僕は思うんです。


経営をするのってのはシンプルなことの積み重ね、だと。


「自分の知らなかった思いもよらない知識や情報があるのでは?」などとセミナーなどに期待してしまうその精神こそ日々の仕事を通じて叩き直して、シンプルなことを積み重ねていく方にシフトした方がいいのではないか、と。


では、経営をするにあたって行うシンプルなことの積み重ね、とは何か??


それは、きちんと見たく無い現実を見つめる事です。その上で、できる打ち手を考えて、粛々と手を打っていく事です。


これは僕の尊敬する先生の受け売りですが、それに尽きると思うのです。


僕らは現実を見つめているようで見つめていません。場当たり的な解決策をすぐ求めようとしてしまいます。


例えばある会社で、「売上が下がってきた」という現実があるとします。


多くの経営者は「売上が下がった!」→「そりゃ困った!新しく営業をかけないと」と反応するでしょう。やる気のある経営者であればあるほど、すぐさま解決策を探して手を打つでしょう。


けど、僕は考えるんです。


それって、「売上が下がってきた」という現実を直視したくないから目先の、場当たり的な解決策を求めてしまってるんじゃないかしら、と。


まずは、「売上が下がってきた」という見たく無い現実を直視することが大切です。「なぜなのか?」「どうしてなのか?」という発問を繰り返したり、クライアントにヒアリングしたり、取引先や社員から情報をもらったりしながら、一つ一つの現実を集めていくことが大事です。


その際、解決策は考えない。なぜか?


僕らは易きに流れやすい生き物だからです。解決策を考えるとどうしてもそちらに脳みそが流れていってしまう。誰だって痛い現実、しんどい現実を直視するのは嫌ですからね。目先の解決策を考える方がラクチンですから・・・。


で、一つ一つの現実を直視していけば、かならず何かしらの変化が訪れるはずです。解決策はそれからでもいいじゃないですか、というのが僕の持論です。(というより、見たくない現実さえ見つめれば自然と解決に向かうことも多いと思います)


話は流れましたけど、見たく無い現実を見る事なしにセミナー行脚を続けていても、結局は場当たり的な解決(実際は解決にもなっていない)を求めているだけ、ということなんですね。


仕事を辞めて「○○の仕事がしたいから勉強をする」という人も同様です。勉強を通じてある程度の知識や技術が頭に入ったら、何かしらアクションをすることをお薦めします。


でないと、いつまでも見たく無い現実に直面することはないですからね。


ちなみに僕はかつて新聞記者になりたいと思った事があります。


が、あるご縁で記者の方と知り合って、見たく無い現実をいっぱいつきつけられました。自分の才能やセンスのなさ、そのために準備してきた事のいたらなさ、目標に対しての思いだとか執念だとか・・・。


見たく無い現実をひとつひとつ見つめたらごくごく自然に、「こりゃ、俺が目指す世界ではないなあ〜」と心底思いました。


もしあの時に見たく無い現実を突きつけられた無かったとしたら・・・と考えるとぞっとしますね。才能もセンスも(←僕はこういうものの肯定論者です)ないまま、「勉強あるのみだ」なーんて考えてたらここれは悲劇ですし、喜劇でしょうしね。


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追記
明日から、見たく無い現実をみるセミナーで蓼科にいってきます。1泊2日のワークショップで、見たく無い現実をいっぱい直視してきます。(去年も一昨年も、頭が痛くなるまで直視したのでへとへとになりました)

いくたのセミナーにでましたけど、毎年参加をしているのはこの新春のセミナーだけになっちゃいました。

現実を見つめる事に比べたら、起業家の成功話なんてくだらない、と思います。結局のところ後付け話でしょうからね。確かにいい刺激になるんでしょうけど、それで経営がうまくいくと思ったら笑止です。

でも、今日の日記は変な宗教にはまってると思われるかしらん・・・?

まっ、いっか。

January 18, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2006.01.15

【TB】 あなたならどうしますか?

ジム仲間のふぁるこん君が非常に考えさせられるブログをアップした。


ふぁるこんの徒然日記 ver.2
あなたならどうしますか?


「最愛の人を亡くした喪失感の中で、こうしたことが書けるのだろうか?」まずはその心の強さに僕は打たれた。とにかく辛すぎる現実だ、僕の身にふりかかったら間違いなく取り乱してしまうだろう。


「この出来事にはなにか意味がある」と考えても、しばらくは現実と対峙するので精一杯だろう。

生きている中で、僕も家族や友人、同志を亡くした。そのたびに思う、「なんで彼(女)らが死なないといけないんだ?」と。


が、どれだけ考えたってその理由なんかわかりやしない。それは天の配剤のようなものだ。僕らがどれだけあがいたって変えられない運命だ。


「天運」「人運」と、僕は人間の運には2種類があると思っている。(ある方の受け売りです)


「天運」とは僕らがどうやっても変えられない運。僕の場合、男として、日本人として、大塚家の長男として、昭和の時代に生命を受けたこと・・・で、いずれ寿命を全うしていくこと。


「人運」とは僕らが変えていける運。努力したり、頑張ったりしていく中で自分が切り開いていく運。


その両輪の中で僕らは生きている。その2種類の運の中で、「この人生での使命」が形成されると僕は考えている。「魂を磨くべき方向性」が定まってくると思っている。


先日のブログの冒頭で僕はこう書いた。


「僕が社長をやらさせていただいている会社は〜」云々と。僕は一応オーナーであり、創業者である。けど、「僕が社長をしている会社は〜」と胸を張って書くことができない。


それは、何か大きなものに僕は会社をやらせてもらっているような感覚を常にもっているからだ。


僕が画家でなく、建築家ではなく、芸能人でなく、スポーツ選手でなく、教師でなく、警察官でなく、たまたま広告代理店を経営するようになったこと。その過程では相応には頑張ったつもりだが、100%すべてが「人運」、僕が切り開いた人生なんて思えない。


そうとでも考えないと、ここ数年で僕の周りに起きた出来事は説明ができないのだ。僕は経営者として生かされている、経営者としてやっていく使命がある、その中で自分の魂を磨けとメッセージを受けている、と考えると自然と腹の中に落ちるのだ。


長谷川さんはいう。


「この有限である人生の持ち時間で今、自分の出来ることは精一杯やって魂を磨いていこうって思う。(略)


私が生かされている意味、しっかり考えて行動していきたい。(略)ゆっくり自分のペースでいいから、しっかりと自分の使命をはたそうと思うんだ。」と。


僕も、近い人の死に接し、「人生の有限さ」だとか「僕が生きている意味」についてはいままで何回も考えた。けど、絶望的な悲しみが時間の経過とともに一段落すると、どうしてもそんな大切なことがおざなりになってしまう。


難しい問題に直面すると僕は考える。「なんで、こんなことが起こるんだ!」と。でも、今後はそんな時に最愛の人を亡くした彼女のコラムを読むとても勇気づけられることだろう。


僕がまだ生命を受けていて、難しい問題に直面しているうちは、まだこの人生での使命が終わっていないからなのだ。もっともっと魂を磨け、と何か大きなものにいわれているのだ。


亡くなった人に対して僕らができることは、それらの使命を僕らがそれぞれのやり方で最期まできちっと果たすこと。問題を引き受ける覚悟をすること。より難しい問題を引き受けることにより魂をガンガンと磨くこと、なのだろう。


長谷川さんのコラム、ふぁるこん君のブログを読んで、改めて僕はそんな覚悟を持ちたいと思いました。


僕にこんなことをかく資格があるのか分かりませんけど、書かずにはいられなかったので・・・。


長谷川さんの今後の活躍及び佐久間さんのご冥福をお祈りいたします。


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January 15, 2006 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.01.13

将来へのビジョン持ってますか??

僕が社長をやらさせていただいている会社は「有限会社ヴィジョナリー・カンパニー」といいます。(日本語でいうと「ビジョンのある会社」だとか「先見性のある会社」だとかいうのでしょう)


もし仮に「君の会社に確固たる将来のビジョンがあるか?」と問われるとしましょう。


すると僕はこう答えるでしょう。「うーん、微妙ですねえ〜」と。


「だって社名でビジョン云々といってるじゃないか!」とつっこまれそうですが、それが偽らざる心境なのです。

だって、3年だとか5年だとか10年だとか先のことってどう考えても分かりませんよね。逆に今から3年前、5年前、10年前に今日のことを想像できましたかしら??


今から10年前っていうと・・・僕は・・?


新入社員として入社した会社を辞める頃ですね。石川県で働いてたので寒い冬でした。3万円で購入したカローラに家財道具を詰め込んで、実家に帰ってきました。(途中、新潟の雪道でエンストして大変な思いをしてかえってきましたね)


で、時給900円の電気工事のバイトをしながら「新聞記者になる!」なんていってた・・・そんな日々でした。


それから数年の間に、住宅会社に転職して、広告代理店に転職して、会社を創業することになりました。


実家に戻っていたのですが、埼玉の川越で一人暮らしをはじめました。その後、千代田区に住んだり、大阪に住んだり、新宿に住んだり、会社に住み込んだり、再び埼玉に住んだり、それで再び新宿に移ったりしました。


中学の同級生と結婚しましたし、知人の死にも遭遇しました。それまで、中国しかいったことなかった人間が何ヶ国も旅することになりました。


「利害関係がからむので社会人になってからは友人はできにくい」とはいわれますが、数多くの知人、友人ができました。「この本を読んで人生観が変わった」という本にも出会いました。


それらのことの一つとして「ビジョンを持っていたできごと」とはいえないんですね。


いろいろと動いていくうちに「結果として」転職したり、「結果として」引っ越しをしたり、「結果として」海外にいったり、友人ができたり・・・といった感じでしょうか。


正月のブログで「将来へのビジョン信仰は多くの人にとって幻想だ」と書きました。


今改めて、思うのです。


ビジョンとは、「将来の不確かな出来事を想像したり、思い描くこと」ではなく、「日々、自分が生きる上で大事にしていく価値観だとか信念みたいなものを守る事から生まれる現実」だと。


20代のうちは、日々の仕事をたんたんと行いながら自分なりの価値観や信念を築いていく時代


30代は、その価値観や信念を検証していきながら進化をしていく時代


僕はざっくりと、そう考えています。


「百歩先を見る人は狂人扱いを受け、現状のみを見る人は落伍する。十歩先を見るもののみ成功する」
阪急グループを創始した小林一三氏がこう語ったとか。


松下グループの創業者、松下幸之助氏も「先を見つめ過ぎない事の大切さ」みたいなことを話していた、とある本で読んだ事があります。


ビジョン、ビジョンで日々の仕事をないがしろにしてしまう危険を僕はいったのではないかと解釈しています。


うちの社員の日報に「『取引先の方から20代は目の前のことをコツコツやっていくことが大切』とアドバイスをいただいた」と書いてあったので、日々の仕事とビジョンのことについて改めて書いてみました。


壮大な目標をかかげるよりも、日々の仕事をコツコツとこなす事の方が大きな力を生み出す、と僕も考えています。こういうことをいっていただく方が近くにいらっしゃるというのはありがたい事ですね


↓参考ブログ
「ビジョンは必要なのだが・・・」


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January 13, 2006 | | Comments (6) | TrackBack (2)

2006.01.12

慣性の法則に抗う

会社をつくるまでに3社、退職の経験をしました。


その中で感じたことの一つが「人間には慣性が働いている」ということ。


僕らは、「変化しなきゃ」「変化したい」と思いつつもどこかで昨日と同じ今日、今日と同じ明日を心地のいいものと考えている生き物だ。


ダイエットだって禁煙だって転職だって、「体に悪い」だとか「こんな会社は嫌だ」と思っていてもなかなか実行できなかったりする。「なんとかしなきゃ!」と思っていても心ののどこかで昨日と同じ自分に心地よさを感じていたりする。で、結局は今のままでいてしまう・・・。

僕は初めて会社を辞める時、「辞めよう」と思ってから1年近くの時間がかかった。


「今辞めたらクライアントや会社に迷惑がかかる」と思ったりだとか、「とりあえずは3年は勤めないと」という強迫観念に苛まれたりだとか、「この仕事も続けてみるといいじゃないか」と思い直したりだとか、とにかく逡巡を重ねた。


が、今は思うのだ。きっと、今日と同じ明日をどこかで追い求める「慣性の法則」に抗うだけのパワーが当時の僕にはなかったのだ、と。新しい自分を希求しながら、どこかでそんな自分を楽して手に入れたい、と思っていたのではないか、と。


さてさて、年末からここ最近までブログの更新頻度がめちゃ下がりました。


体調を壊したり、来客や出張が続いたり、僕なりに言い訳はありますが、結局のところ「ブログを書かない毎日」にどこか心地よさを感じていたのかもしれません。それが慣性となって日々が過ぎていく。


一概に「慣性」が悪いとはいえません。


規則正しい生活をする習慣、早起きする習慣、勉強する習慣、これは「いい慣性」ですね。そんな習慣は人間の性格を形づくって、結果的には運命までも変えてしまうのだと思います。


が、物事を怠ける習慣、思考省略する習慣、新しい事に尻込みする習慣、暴飲暴食を続ける習慣、そんな「悪い慣性」はどこかでふんばって軌道習性しないといけない、ですね。そんなに長い時間を僕らは第一線で生きられないのですから。


僕は改めて平日のブログ更新を誓うとともに、今年は無茶な飲みは止めて体を鍛える習慣を確実なものにしていきたいと思います。


ご心配(?)いただきました皆様ありがとうございました!


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January 12, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.01.06

拝啓 後輩諸君

今年も大学時代や社会人になってからの後輩に数多くの年賀状をいただきました。


「ブログ読んでます!」だとか「ブログ毎日楽しみにしています」だとかのコメントの数々、感謝感謝です。(その割には最近ブログのアクセスが少ないのはなぜ??)


僕が仕事をするモチベーションの一つは「後輩や下の世代の人に負けたくない」ということです。(かつてもこんなこと書きました。)


大学時代、僕はある運動部に所属していました。

数多くの後輩に文句をいいました。説教をしました。時には殴りましたし、蹴っとばしました。


当時は、運動部(それも格闘技系)に所属しているのならそんなのが当たり前、だと思っていました。「いやや、あの時ああでしたね」って酒が飲める未来がくるものだと思ってやみませんでした。


当時は僕なりに真正面から向き合って付き合っているつもりでした。「私は私、君は君」って考えだけの薄っぺらな付き合いは絶対に避けたいと考えていました。こと後輩関係には遠慮も妥協もしたくない、と思ってました。だから、他の大学の後輩にもよく説教をしました。


僕のいくつか上の学年に尊敬する先輩がいらっしゃいました。その先輩がある席でいわれました。


「後輩に厳しくすると自分にも厳しくしないといけないんだよな。社会人になったからサヨナラ、ではいけないんだよな。でねえと、『あの人は昔はああいってけど・・しょせん口だけの人だったな』って後輩にいわれかねねえしな。大学4年間、部活やっててそりゃ悲劇だろ」と。


僕は単純に後輩にそういわれたくない、と思いました。卒業をしても、自分らしく生きなければならない、と思いました。でないと、後輩は殴られ損ですし、蹴られ損です。


よくいわれることですが、先輩と後輩との関係は一生涯変わりません。先輩はいつまでたっても先輩ですし、後輩はいつまでたっても後輩です。


けど、一方で僕は考えます。


先輩を追い抜こうとする後輩と、追い抜かれまいとする後輩と、そんな姿こそが本当の先輩、後輩の関係ではないか、と。こと、社会人として社会のフィールドにでている以上は。


後輩は盲目的に「先輩、先輩」とやるのではなく、先輩も「お前は後輩だから」と短絡的にやるのではなく、先輩から恩を感じた後輩が、その恩を返すために先輩を追い抜こうとする。先輩は一種のライバルとして後輩と接する・・・の繰り返しこそが、僕らがとりくまなくてはならない宿命ではないか、と。


僕は同世代の友人は、あまりライバルとして意識したことはありません。むしろ、同士的な感覚で接する事が多い。そんな感覚を持ち込みたくない、という心境もきっとどこかに存在している。


けど、後輩には異様にライバル視してしまう。それは、生物学的に後から生まれた世代の方が優秀、ということからくる潜在的な恐怖感なのかもしれない。


と、いうことでかつて偉そうなことを口にした君らへの最低限度の義務として、君らに追い抜かれないように今年一年もがんばります。


すでに追い抜かれた感のある後輩もいますけどね。僕なりにやっていきますのでよろしく!


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January 6, 2006 | | Comments (6) | TrackBack (1)

2006.01.02

あけましておめでとうございます

21世紀のはじまりを、ミャンマーのパアンという町で迎えました。


勤めていた会社を退社し、「この旅行から帰ったら会社をつくろう」と思っての10日程度の旅。


「自分はこんな会社をつくりたい」
「自分はこんな会社にはしたくない」


そんなイメージが沸くたびに、スケッチブックにメモを書き連ねました。


仏教遺跡を見てても、現地で友人と会っても、ゲストハウスで寝ていても、将来の会社のことばかりを考えていました。


「この旅行中に、会社のビジョンを明確にしたい」と焦っていました。常に、時間が不足しているような焦燥感にさいなまれていました。


が、ある時点から気がつきました。

「会社のビジョンなんてものがそうやすやすと描けるのか?」と。


時代の変化が早い時代、起業の経験がない僕が、「会社の将来のビジョンを描こう」なんてのはおこがましいのでは・・・と考えました。


それよりも、自分なりの仕事の軸や価値観を明確にして、目の前の仕事を一つ一つ片づけることの方が重要だ、と思いました。


そんな日々の積み重ねが、自分が進むべきビジョンのようなものにつながっていくのではないか、と思いました。


以来、ビジョンを描くよりも、自分の仕事の軸を明確にしようと思いました。「これだけは仕事をしていて譲れない」を明確にしようと思いました。


あれから5年がたちました。


会社は創業時は予想もしていなかった展開をみせました。

当時は思いもよらなかったクライアントとご縁をいただきました。
当時は思いもよらなかった社員が入ってきました。
当時は思いもよらなかった問題も多数発生しました。


ただ、どれ一つとっても創業時にビジョンとして明確に描いていることはありませんでした。目の前の仕事に取り組んでいるうちに、ご縁をいただいたり、運がまわってきたりとした結果として、いろんな展開が生まれました。


「将来のビジョンが明確になれば力一杯とりくめるのに」と、僕は旅ばかりしていた27歳くらいの時に考えていました。


でも、今は思います。将来へのビジョン信仰は多くの人にとって幻想だ、と。


景気が回復の兆しをみせた、とはいえ日本にはまだ閉塞感がただよってます。僕らの親世代はいうに及ばず、僕らや僕らの子供世代も将来のビジョンや方向性を描きにくい時代が続いています。


それらを受け入れない人がフリーターやニートになっている、とも報道されています。「ビジョンを描きやすい社会」みたいなことをいう学者や政治家がいます。


けど、僕は考えます。「将来へのビジョンだとかにあまり固執するのは、いかがなものか」と。


過去を反省して未来に生かすことは大切です。が、もっと大事なのは今を反省して今に生かすことです。


明確な将来のイメージがあれば素晴らしいことです。けど、将来のイメージがないことで僕は悲観をする必要はないと思います。目の前にあるやるべきことを淡々とやっていれば、それらが積み重なって、結果としてビジョンのようなものに繋がるのですから。


2006年もスタートを切りました。


そんな僕ですから、今年の漠然としたビジョンのようなものはありますが、確固たるものは残念ながらありません。


けど、仕事の軸を明確にして毎日たんたんと仕事をしていれば、自分が望むような素晴らしい一年になるものと確信をしています。


「今年もいい一年だったなあ」-そんな余韻にひたれる大晦日を迎えたいと思ってます。


皆様と同じ時代を生きられる幸運に感謝。本年もよろしくお願いいたします。

January 2, 2006 | | Comments (8) | TrackBack (0)