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2006.02.28

「君のため」と教育する側の意図

2年間のプータロー生活を経て、住宅会社に入社した。今から8年くらい前、28歳の頃の話だ。


静岡が本社の会社で、地方都市の営業支店採用だ。営業は僕以外に2人ほどいた。


平日は飛び込みの営業をして、土日は展示場に張りつく。といっても、拓銀や山一が潰れ、日本経済の閉塞感もピークに達していた頃だ。展示場にいても来展者などほとんどこない。


控室で図面を書く練習などをしながら待機をしている。すると「先輩」社員が「営業の基本を教えてやるよ」みたいな事をいって近づいてくる。

「住宅営業とは何ぞ」ということについて非常に面白く、参考になる話をしていただく。確かに勉強にはなる。


が、それからが最悪だ。


「住宅の営業マンとしてどれだけ自分が凄いか」という話になる。どこぞの消費者金融の支店長だっただとか、全国でトップの成績だっただとかがはじまる。


それがいつのまにか「どれだけ僕がモノを知らないか」という展開になる。


今までやってきた仕事を否定される。で、住宅の営業がどれだけ難しいかという話になる。その中でやっていくのは大変だ、という話になる。自分がつとめてからこの会社では何十人もの営業が辞めた、という話になる。あなたも何ヶ月もつだろうね、という展開になる。


最初は素直に聞いていた。それが僕の考える後輩の流儀、だ。が、たびたびこの手の話になるに及び僕は考えた。

「この人は純粋に僕を教育をしているのではないな」と。何か別の意図があって、「教育」してるんだな、と。

住宅展示場は当番制だ。自分の展示場当番が増えれば、お客さまに接する機会も増えていく。それは、営業数字を稼ぐことにつながる。少ない基本給と高額の歩合の営業担当には「稼がない=退社」を意味する。

だから営業担当は少なければ少ないほどいい。その「先輩」にとって僕が辞めることは、営業機会を増やす上でも得策なのだ、とある時から考えた。明らかに僕をつぶしにかかっている、と感じた。


ただ、そう考える自分がとても嫌だった。


僕のように物心ついた頃から、先輩だとか後輩だとかいう世界で育った人間には、どこかしら「先輩のいうことは絶対」という意識がある。(少なくとも当時はあった)


「先輩が後輩をつぶしにかかることなどまさかないだろう」という意識がどこかしらにある。


が、それは甘かった。そんな甘さにつけこまれた、と感じた。


その「先輩」は自分の中に感じていた怖れ(自分の将来設計や若い世代の台頭など)だとか葛藤を、僕らにぶつけることで解消しようとした。


ただ、それだけならまだ分かりやすい。彼はそれを「教育」という美名(?)のもと、「教育」というカモフラージュのもとに成し遂げようとした。


その「先輩」の特徴は、「厳しいこというけど」だとか「本当は俺がこういうこと言う筋じゃないけど」とかいいながら、「これはあなたのためだよ」という言葉が必ずついてくる。


「後輩」として、なかなかこういうい言葉には抗えるものではなかった。


当時の僕がしたことは、その「先輩」より僕が勝っていることを探すことだった。で、自分の中の自意識を平静に保つようにした。


仕事のキャリアではやはり一日の長があるのは否めない。今考えると、当時の僕でもその「先輩」より職務で優れていた事はいくらかはあっただろうが、当時は気持ち的に去勢されていた。


お恥ずかしい話だが、僕はその「先輩」なら喧嘩をしても片手でも勝てると考えた。


最悪の最悪だが、あまりこんなことが続くようだったら、一度「お前どういうことだ」といってやろう、と思った。もともとが自分の不安から僕に威圧的になってただけの弱い人間だ。考えるだけで滑稽だった。


逆にいえば、発想が貧困でそんな程度しか自分を平静に保てる自信のようなものがなかった。

僕は、社員教育は大切だ、と思っている。


が、社員教育なんて会社が音頭をとってやるもんじゃない、とも思っている。


今の時代、情報はいっぱいある。勉強するならだれでもできる環境が整っている。伸びたい人は勝手にやればいいし、伸びない人はそのままでいい。


その中で僕は「伸びたい」とか「伸ばそう」と意欲のある人間に優しく、「伸びなくてもいいや」という人間にはしんどい会社にしたいと考えいてる。それが、僕が考えるお取引先への誠意、だ。


イメージとしては昔の寺子屋だ。各自がおのおののテーマで勉強して、分からなかったら先輩だとか先生だとかに聞く、といいった感じだ。


その中で社長である僕ができることは、「自分を伸ばしたい、という人間が純粋に伸びていける環境をつくる」ことでしかない。


その第一は、「伸びたい」だとか「伸びよう」とする人間に対して少なくとも周囲が邪魔だけはしない風土をつくることだ。


かつて学生時代もいたではないか、勉強をしていると「ガリ勉!」とはやし立てる輩が。そんな斜に構えた人がいない環境をつくることだ。


更に、葛藤や自意識を「教育」という名のもとに充たそうとするのではなく、自分の仕事を通じて充たすような仕組み、雰囲気をつくることだ。


ブログの読者ならお分かりだろうが、僕は自意識が比較的高い方だ。それを充たす手段が会社を経営することだったり、ブログを書いたりすることだ。

少なくとも僕は、他人への「教育」を通して自分の自意識を充たしたくはないと考えている。それは人の人生を台なしにしてしまう可能性が多いにあるからだ。教育は教育のためにあるのであって、自分の自意識を充たすためにあるのではない。


だから押し付けの教育(含む、飲み屋での説教)はしたくないのだ。(教育実習までいった僕が先生にならなかったり理由のひとつはここかな)


大手の会社では教育に名前を借りたリストラもある、と聞く。


こんなことを書くとせち辛いが、物事はその意図を正確につかまえないと痛い目を見る場合もある。先輩だから、会社のいうことだから、と安直に信用してはならない。最終的に頼るのは自分だけなのだから。


件の「先輩」はその後、他の支店に異動になって僕とは縁が切れた。数カ月の付き合いだったが、「こういう人間にはなりたくない」という手本をさんざんと見せていただいた。ある意味では感謝、だ。


いまどこで何をしているか分からないが、きっと同じ事をしてるんだろうな。このブログを読んでいたら面白いんだけどね。


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追記
ゴールデンウィークの旅行のアイデァがまとまりそうです。めちゃめちゃ美しい水辺があって、チベッタンがいて、標高が高くて、辛い料理が食べられるところです。

今度いけばこの国への入国は3回目かな。決まったらまたご報告いたします。

February 28, 2006 |

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Comments

エンジェルズさん> コメントありがとうございます!文から察するに、「大先輩」は私の大先輩、でもあるんでしょうね、きっと。いつも大変な役回りばかりですみません。僕は「お前のためなんだ」という言葉には敏感ですね。過去、何回もそれで痛い目をみましたから。本当に、「お前のため」と思っている人はそんなことを軽々しく言わない、と思ってもいます。でも、社員さんが辞めたり、お客さんが離れていったり、あらぬ誤解を受けたりすると「皆さんのためにやったのに・・」と思ってしまう自分もいるんですね。それって、どこかしらに、周りの人を「教育」したいという意識の現れではないか、とも思うんです。人が人をこちらの意図のままに教育なんかできない、と思ってはいるんですけどね。まだまだ修行が必要なところ、ですね。

Posted by: 大塚和彦 | Mar 8, 2006, 10:11:28 AM

sanaveさん> コメントありがとうございます!すっかりそのままにしゃいました。まさに、自らのストレス解消、でしょうね。更にいうなら、精神的な葛藤だとかを解消しようとしていたのかしら?自己の中に矛盾が生じた時や、気持ちが安定しない時って外部に対してめちゃ攻撃的になるか、外部に対してめちゃ優しくなるかのどちらかでしょう。この「先輩」はきっと前者ですね。(でも、案外と外部に対してめちゃくちゃ優しくなることで自己矛盾を解消しようとしているケースも多い、と思います)意識してるんだか、意図的なんだかわかりませんけどね。いずれにしても、こういう「先輩」がいたらきっちりと戦いましょう。自分なりのやり方でいいですからね、で、ないと自分が参っちゃいますよ、というのが僕のスタンスです。

Posted by: 大塚和彦 | Mar 8, 2006, 10:10:31 AM

昨夜(2/28)ある大先輩から深夜に至るまで「教育」を受けました。良い教育、悪い教育、恣意的な教育~教育というものは元々思想なり哲学なりに基づいて施されるものだと考えています。つまりなんらかの意図のない教育は存在しないのですね。その先輩もどうにかして自分に利益が流れるように計らいたい、でも先輩としての体面上「金ないから助けて」とは言えない、そんな思いが「お前のためなんだよ!」て言葉の影に見え隠れしていました。無碍にも出来ない、難しい上下関係、ここで使われたのが「教育」という言葉でした。私が昨夜何を学んだか・・・人間の生態学ですよ笑。

Posted by: エンジェルズ・プロデューサー | Mar 1, 2006, 4:40:52 PM

大塚社長は大学の先生のような社長ですね!中学や高校では先生達は生徒に対して半強制的に勉強を教え込むような教育をされていたと思います。でも、大学へ入学してみると先生(教授)は勉強することを強制しませんでした。しかし、生徒側から疑問点を投げかければ、理解するまでとことん教えてくれます。(大学はなんと便利なところだろう!と思いました。)だから、勉強する気のある人は好きなだけ知識を得ることが出来、勉強したくない人は全くしなくても叱られない……のですが、せっかく大学に行って何も得て来ないのはもったいないですよね。私もやる気の無い人に対しては冷たいかも知れませんが、放っておきます。大人なんだし…。ところで本文の「先輩」ですが、それは教育では無くて自らのストレス解消法?だったのかな?自分では気付いていないでしょうけどね(笑)

Posted by: sanave- | Feb 28, 2006, 1:58:52 PM

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