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2006.02.28

「君のため」と教育する側の意図

2年間のプータロー生活を経て、住宅会社に入社した。今から8年くらい前、28歳の頃の話だ。


静岡が本社の会社で、地方都市の営業支店採用だ。営業は僕以外に2人ほどいた。


平日は飛び込みの営業をして、土日は展示場に張りつく。といっても、拓銀や山一が潰れ、日本経済の閉塞感もピークに達していた頃だ。展示場にいても来展者などほとんどこない。


控室で図面を書く練習などをしながら待機をしている。すると「先輩」社員が「営業の基本を教えてやるよ」みたいな事をいって近づいてくる。

「住宅営業とは何ぞ」ということについて非常に面白く、参考になる話をしていただく。確かに勉強にはなる。


が、それからが最悪だ。


「住宅の営業マンとしてどれだけ自分が凄いか」という話になる。どこぞの消費者金融の支店長だっただとか、全国でトップの成績だっただとかがはじまる。


それがいつのまにか「どれだけ僕がモノを知らないか」という展開になる。


今までやってきた仕事を否定される。で、住宅の営業がどれだけ難しいかという話になる。その中でやっていくのは大変だ、という話になる。自分がつとめてからこの会社では何十人もの営業が辞めた、という話になる。あなたも何ヶ月もつだろうね、という展開になる。


最初は素直に聞いていた。それが僕の考える後輩の流儀、だ。が、たびたびこの手の話になるに及び僕は考えた。

「この人は純粋に僕を教育をしているのではないな」と。何か別の意図があって、「教育」してるんだな、と。

住宅展示場は当番制だ。自分の展示場当番が増えれば、お客さまに接する機会も増えていく。それは、営業数字を稼ぐことにつながる。少ない基本給と高額の歩合の営業担当には「稼がない=退社」を意味する。

だから営業担当は少なければ少ないほどいい。その「先輩」にとって僕が辞めることは、営業機会を増やす上でも得策なのだ、とある時から考えた。明らかに僕をつぶしにかかっている、と感じた。


ただ、そう考える自分がとても嫌だった。


僕のように物心ついた頃から、先輩だとか後輩だとかいう世界で育った人間には、どこかしら「先輩のいうことは絶対」という意識がある。(少なくとも当時はあった)


「先輩が後輩をつぶしにかかることなどまさかないだろう」という意識がどこかしらにある。


が、それは甘かった。そんな甘さにつけこまれた、と感じた。


その「先輩」は自分の中に感じていた怖れ(自分の将来設計や若い世代の台頭など)だとか葛藤を、僕らにぶつけることで解消しようとした。


ただ、それだけならまだ分かりやすい。彼はそれを「教育」という美名(?)のもと、「教育」というカモフラージュのもとに成し遂げようとした。


その「先輩」の特徴は、「厳しいこというけど」だとか「本当は俺がこういうこと言う筋じゃないけど」とかいいながら、「これはあなたのためだよ」という言葉が必ずついてくる。


「後輩」として、なかなかこういうい言葉には抗えるものではなかった。


当時の僕がしたことは、その「先輩」より僕が勝っていることを探すことだった。で、自分の中の自意識を平静に保つようにした。


仕事のキャリアではやはり一日の長があるのは否めない。今考えると、当時の僕でもその「先輩」より職務で優れていた事はいくらかはあっただろうが、当時は気持ち的に去勢されていた。


お恥ずかしい話だが、僕はその「先輩」なら喧嘩をしても片手でも勝てると考えた。


最悪の最悪だが、あまりこんなことが続くようだったら、一度「お前どういうことだ」といってやろう、と思った。もともとが自分の不安から僕に威圧的になってただけの弱い人間だ。考えるだけで滑稽だった。


逆にいえば、発想が貧困でそんな程度しか自分を平静に保てる自信のようなものがなかった。

僕は、社員教育は大切だ、と思っている。


が、社員教育なんて会社が音頭をとってやるもんじゃない、とも思っている。


今の時代、情報はいっぱいある。勉強するならだれでもできる環境が整っている。伸びたい人は勝手にやればいいし、伸びない人はそのままでいい。


その中で僕は「伸びたい」とか「伸ばそう」と意欲のある人間に優しく、「伸びなくてもいいや」という人間にはしんどい会社にしたいと考えいてる。それが、僕が考えるお取引先への誠意、だ。


イメージとしては昔の寺子屋だ。各自がおのおののテーマで勉強して、分からなかったら先輩だとか先生だとかに聞く、といいった感じだ。


その中で社長である僕ができることは、「自分を伸ばしたい、という人間が純粋に伸びていける環境をつくる」ことでしかない。


その第一は、「伸びたい」だとか「伸びよう」とする人間に対して少なくとも周囲が邪魔だけはしない風土をつくることだ。


かつて学生時代もいたではないか、勉強をしていると「ガリ勉!」とはやし立てる輩が。そんな斜に構えた人がいない環境をつくることだ。


更に、葛藤や自意識を「教育」という名のもとに充たそうとするのではなく、自分の仕事を通じて充たすような仕組み、雰囲気をつくることだ。


ブログの読者ならお分かりだろうが、僕は自意識が比較的高い方だ。それを充たす手段が会社を経営することだったり、ブログを書いたりすることだ。

少なくとも僕は、他人への「教育」を通して自分の自意識を充たしたくはないと考えている。それは人の人生を台なしにしてしまう可能性が多いにあるからだ。教育は教育のためにあるのであって、自分の自意識を充たすためにあるのではない。


だから押し付けの教育(含む、飲み屋での説教)はしたくないのだ。(教育実習までいった僕が先生にならなかったり理由のひとつはここかな)


大手の会社では教育に名前を借りたリストラもある、と聞く。


こんなことを書くとせち辛いが、物事はその意図を正確につかまえないと痛い目を見る場合もある。先輩だから、会社のいうことだから、と安直に信用してはならない。最終的に頼るのは自分だけなのだから。


件の「先輩」はその後、他の支店に異動になって僕とは縁が切れた。数カ月の付き合いだったが、「こういう人間にはなりたくない」という手本をさんざんと見せていただいた。ある意味では感謝、だ。


いまどこで何をしているか分からないが、きっと同じ事をしてるんだろうな。このブログを読んでいたら面白いんだけどね。


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追記
ゴールデンウィークの旅行のアイデァがまとまりそうです。めちゃめちゃ美しい水辺があって、チベッタンがいて、標高が高くて、辛い料理が食べられるところです。

今度いけばこの国への入国は3回目かな。決まったらまたご報告いたします。

February 28, 2006 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.02.27

「やれ」と言われればやります

3年ほど前のこと。あるお取引先の会議に参加した。


参加していたのは十数人ほど。売り上げの減少に対して、どのように手を打つか?といった内容で、「外部の視点で客観的に聞いていただきたい」との依頼でオブザーバーとして参加した。


メンバーの中に明らかに反発オーラを出している方がいた。


新しい意見が出るたびに「それは無理だ」だとか「それは現実が分かっていない」だとかと反発をする。


その反発が建設的な意見であれば、僕は全く構わないと思う。会議はポジティブな意見を交換するだけの場所ではないからだ。


逆に、ポジティブな意見ばかりの会議は妙に居心地の悪さを覚えたりする。どこかの独裁国家のようで。


ただ、そのメンバーの意見は明らかに「反対のための反対」であった。その上、困った事にこの方は社内ではそこそこの地位にいる。会議をリードする部門長もやりづらそうだった。


会議はある新しい商品を新しく取り扱う事でまとまりそうになった。が、最後にそのメンバーがいった。


「今の時代にその選択はどうかな〜と思いますよ。やれといわれればやりますけどね」と。


「やれといわれればやります??」


僕の嫌いな言葉がでた。会議が終わって、社長から「一言意見を」といわれれ僕はこういった。


「(略)やれといわれればやります、という社員に僕だったら仕事をやらせませんね。クライアントに、一緒に働く同僚に、仕事をお願いする私に、これ以上ない迷惑ですからね。サラリーマン、という言葉は嫌いですが、あえていいますけサラリーマン根性の際たるものだと思います。(略)」と。


当時は(も)僕も若かった。ついつい思ってることを口にしてしまった。もちっと言い方に配慮すればよかったと思ったが、言ってしまったことはしょうがない。別段、そのメンバーからは反発はなかったが明らかに反発オーラが漲っていた。


僕は考える。

全ての職業人はすべからく人気商売に従事している。

クライアントから人気のある営業マンは仕事が増える。

それは、単に「商品がいい」だとか、「提案力がある」だけの話だけではない。「あいつがいると心強い」だとか「元気になる」だとか「困った時に役立つ」なども含めてその人間の全人間力を通しての人気、だ。


その営業マンが「やれといわれればやりますけどね」って姿勢でクライアントの仕事をしていたらどうだろう?明らかに人気は落ち、仕事はなくなっていくだろう。


時代は「会社で働く」から「会社と働く」にシフトしている。

会社から一方的に仕事を与えられる時代は終わった。組織で働く社員も人気商売、といった側面は否定できない萌芽が至る所ではじめている。


「会社と働く」ということは、給料の対価として提供する時間や職業人としてのスキルを通して、自分の人気を高めることだ。「これは彼(女)にお願いすれば何とかなるだろう」というブランドを確立することだ。


究極的には、その人気や実力を会社に認めさせ、社長や上司から「土下座してでもいいから会社に残って欲しい」といわせることだ。

「やれといわれればやります」という社員や会社に次々と仕事が舞い込んでくる、といったこともなくはないだろう。


が、「人気」に基づいて仕事が依頼されているのかどうかは自分なりに判断した方がいいだろう。もしかしたら、他に頼める人がたまたまいなかっただけかもしれない。


せっかく仕事をしているのだから、「ぜひあの人に、あの会社にお願いしたい」といわれたいものだ。
「やれといわれればやります」などといって自分の人気をおとしめてはならない。


※今日のブログはお取引先に関する事が含まれているため、一部事実を脚色して書いています。ご了承ください。

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追記
いくら組織に所属していても、自分の価値観に照らして「この一線を越えられない」ということはやるべきじゃないと思います。あとは、「やる気が起こらない」「何となく気が乗らない」ということもやらない方が無難でしょう。

その時は「やれといわれればやります」とごまかすのではなく、やりたくない理由だとか気分がのらないということをきちんと伝えるのが、人気を得る職業人の条件だと思ってます。


February 27, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.02.23

人生の転換ポイント

仕事ではじめて大阪にいったのは29歳の時だった。


「東京支社(本社は大阪)にある車を大阪まで運ぶ」というミッションが出て、上司と2人で夜の東名、名阪を走った。強い雨の降る夜だった、左ハンドルがとても怖かったのを覚えている。


木曜日の早朝に大阪に到着。そのまま仕事に入り、週末までは大阪で仕事という予定だった。


夜は社長に大阪名物の串揚げに連れていっていただいた。そして、北新地のクラブに。場末(?)のスナックやキャバクラしか知らなかった僕には、「いややや別世界」だと思った。


食べ物はうまくて、人は面白くて、大阪はいい街だなあ〜と思った。


金曜日の夕方、社長に呼び出された。「来週も大阪で仕事をしたらどうか」という話だった。まだまだ大阪を堪能したかった僕は「ぜひ喜んで」と返答した。1週間くらいならいい経験だ、ネタにもなる。


で、大阪本社の事務所の隅っこに僕の机が用意され、1週間が始まった。


仕事が終わると連日のように飲みに連れていっていただいた。12時頃まで居酒屋で飲み、その後、2〜3軒をはしごする毎日だった。が、全く疲れなかった。体力があって、体も元気だったのだろう。


何日か経つと周囲から「で、いつ大阪に引っ越しをするんだ?」という話が冗談まじりで聞かれるようになった。埼玉に家を借りていたのだが、それを引っ越して大阪で仕事をしないのか?という話だ。


それが「大塚は大坂勤務」と既成事実のようになるのに時間はかからなかった。


大坂転勤はいいのだが、一つだけきがかりは「自宅のゴミを捨てていない」ということだった。2〜3日と思って大阪にきたので、生ゴミがそのままになっている。6月のジメジメした時期、腐ったゴミを想像しただけで憂鬱だった。


大坂勤務が決まって僕がまっ先にしたことは、自宅のゴミを捨てるために帰省したことだった。我が家は想像を絶する光景が広がっていた・・・。


僕には人生を変えた転換ポイントがいくつかある。


その一つがこの大坂勤務、だ。


結果的に8ヶ月間だったが今まで僕の周りにいなかったような人との付き合いや、仕事との出会いが僕の中で大きな変化を促した。


それまでは会社をつくるなんてちょっとした夢物語であった。が、1泊2日の旅行にいくような手軽な感覚で新しい会社をつくる方を見て、それは思い込みであるかも・・と思った。


「ダメなら潰せばいいじゃん」・・・そんな言葉を聞いて、事の是非はヌキにして会社をつくるとはそういうものかもしれないと思った。少なくとも「会社の作り方」みたいな本を読んで勉強している人よりもよほど現実的、だと思った。


「年収で1,000万円稼ぐなんて難しい」と思っていた。が、「・・・努力さえすればそうでもないかも?」と思えるようになっていった。実際、稼ぐ人は人一倍、頭を使っていると思った。飲み屋でも、遊びの場所でも仕事の話には敏感だ、と思った。


そんなことを皮膚感覚で学んだのは大坂勤務のお陰、だ。社長及び当時の会社関係者には大変に感謝をしている。当時は「いきなり転勤なんてちょっと無茶すぎないか」と思ったけど・・・


あれから7年近くがたった。以来、大阪とはなかなか縁強くて今でも毎月いっている。もう何回でむいただろう?数えきれないほどいっている。(と、今日も出張でこのブログは新幹線で書いている。ただいま京都を通過)


もとはといえば、会社の車を運ぶミッションからだった。人間、何が転換ポイントとなるか分からないものだ。


転換ポイントの妙は、「転換ポイント顔」をして僕らの目の前に現れてこないことだ。


1本のクレームの電話、1つの小さな仕事がもしかしたら自分の転換ポイントかもしれない。少なくとも、その仕事をしている時点では、転換ポイントかどうかは誰にも分からない。


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追記
会社からの電話で、抱えている懸案事項に解決への方向が見えた、と連絡が入りました。


お金も絡む事なのでちょっと一安心です。


なぜか出張にでると、こういうことがたびたび起こります。


社長は会社にいない方がうまく回る、ということなのかもしれませんね。(と思っても僕は出社にこだわりますけど)

February 23, 2006 | | Comments (4) | TrackBack (2)

今日は出張

朝から出張に出ます。新幹線の中で更新ができれば、アップします。

お昼すぎてもアップしない場合は、「寝やがったな」、とでも。

昨日はジムのイベント、たいして運動をしてないのですがなぜか筋肉痛です。

February 23, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.02.22

「仕事を通して成長する」の成長って??

お取引先の社員募集のHPコンテンツを考えることになった。


作業の過程で、「こういう人と働きたい」とか「こういう人とは働きたくない」という話をヒアリングすると、「仕事を通じて成長することを望む人」というキーワードがでてきた。


非常にいい言葉だ・・・


が、「なぜ成長をするのが大切か?」と本質論への突っ込みが入ったら皆さんはどう答えるだろう、と考えた。

記憶では、僕がこの言葉をはじめて聞いたのは大学生、就職活動の時だ。


「仕事を通して成長をするんだよ!」とあるベンチャー系会社の説明会に行った時に社長が熱く語っていた。


いまだったら「なぜ成長をしないといけないのですか?」くらいの突っ込みは入れるだろうが、当時の僕は、「仕事をすれば知識や技術が増える。経験も増える。それが成長をすることだ!」と僕はすぐにでも仕事がしたくなった。


当時の僕が「なぜ成長することが大事か?」と聞かれたらきっと困っただろう。「大事だと思うから大事なんです」くらいのことしか言えなかったのじゃないかしら?きっと。


話は全く変わる。


僕は26歳からの2年間を無職(夢職?)として過ごした。で、お金を貯めては海外にでかけた。


いろんな国を訪れるとさまざまなことを知っていく。


パキスタンとインドのカシミール紛争だとか、チベットの独立問題だとか、クメール王朝の歴史だとか、ミャンマーの仏教文化だとかが具体的な問題、歴史事実としてリアルに存在することを知る。


で、新聞の国際面の読み方が変わる。世界の歴史を勉強したり、言葉を学びたくなったりする。シンポジウムにいったり、現地の人と友達になったりする。どんどんど世界が広がっていったりする・・・・


さて、これは「成長」といえるだろうか?


かつての僕は思った。知らない事を知っていくこと、それが「成長」だと。だから、旅をしていくと新たな発見があるたびに成長感(?)を味わった。


が、今は違う。知らない事を知っていく事、それは成長でもなんでもない。知らない事を知った、という事実だけだ。成長とはそこから先のフィールド、だ。


(でないと、友達とも付き合わず、仕事もせず、自宅でテレビゲームしかやらない人も成長している、といことになってしまう。確かにゲームの技術は成長する、だろうけど・・)


では、僕の考える成長とは何か?


それは、気づきを増やすということ。


「これはこうした方がいいのでは?」だとか「自分はこれが問題ではないか?」だとか「クライアントにはこれがいいのではないか?」だとか・・・そんな気づきを得られることが、自分の成長、だ。


ある人は気がついて、ある人は気がつかない・・・これは関心の差であり、気づきの差だ。これが長い年月がたつと大きな違いとなってきたりする。


いい仕事をすることも、いい人間関係を築くのも、将来の夢を描くのも、すべては自分の気づきがスタートラインだ。仕事を通じてその力を得ることが「成長」だ。


旅をしていたら知識が増える、経験も増える。喜怒哀楽の中でさまざまな気づきもあったりする。が、仕事をしているほどの気づきは得られない、というのが僕の実感。


嫌な奴とは付き合わない、嫌な場所は移動する、なーんて旅行していても、仕事をする以上の気づきなんか得られるもんじゃない。旅は面白いから行く、に限る。それ以上でもそれ以下でもなし。ましてや気づきなんて得にいくもんじゃない。(あくまでも自論)


仕事には気づきのエッセンスがたくさんつまっている。1日の労働時間の中でどれだけ「気づき」の力を磨いていけるかが僕は職業人としての勝負だと思っている。


そんな「気づき」が積み重なると、人としての成長になって、成功(但し、これには運と不運とがあるので100%ではない)に結びつくと信じているのだが・・・


いつもながら言うのは簡単ですけど・・


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追記
今日はジムのインストラクターの引退レッスンです。あまり好きなイントラではありませんでしたが、ちょっとしたイベント(?)を企画しました。ブログネタになればいずれアップします。

February 22, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.02.21

お金を稼ぐのは難しい!?

お取引先の社長と飲みにでかけた先で、お金の話になった。


何でもその社長は「使わなくてもいいから、常に100万円ほどをカバンにいれている」という。


その理由は、(社長の言葉を僕なりに解釈、表現すると)「お金に対して難しく考えなくていい秘訣」だからだそうだ。


「常にお金を持っていて、何があっても大丈夫だ」という安心感、「自分にとってお金とは、ごく普通にいつでも持っている」という意識づけなのだろう、と話をしていて感じた。


「100万円入れていたら、常にビクビクじゃないですか!」と聞くと、「落としたらしょうがないな、と思えばいい」とのこと。それくらいの気持ちじゃないと「お金はたくさん寄ってこない」のだという。


なるほど・・。

僕はこの社長が会社員だった頃から知っている。だから、「そりゃ、あなただからいえるんでしょう!お金持ちだし」と一概にはいえない。


そういえば、ごく普通の給料の時代から、自分なりに金銭の哲学をもっていたような気がする。


「財布のお金の向きを揃える」だとか、「お金はきちんと旅に出す」とかのこだわりがあったような気がする。


どんなことに対してもそうなのだが、物事は難しいと考えすぎるとうまくいかない。


「お金を稼ぐのは難しいこと」と考えるとなかなかうまくいかない。潜在意識にその情報がインプットをされてしまい、僕らの行動を無意識に規制してしまうからだ。


だからといって「ポジティブに考えればうまくいくか」というとそうでもない。


「お金を稼ぐのは簡単だ」という暗示を繰り返しても、それを頭で考えて意識的に行っているのであればどこかで無理が生じる。無意識のレベルで納得しないといけない。


「常に100万円ほどをもっていること」というのはそれは凄いイメージづけだ、と思った。


常々思うのだが、「この人はお金をたくさん稼いでるだろうな」と思われる人ほどこういうことに真剣になったりする。トイレ掃除をするとお金が儲かる、だとか聞くとトイレ掃除をはじめたりする。


「え〜そんなの迷信でしょ!?」という前に「やってみて、そうだったらラッキーじゃん」という感覚でいる。それだけ物事を難しく考えていない、ということなのだろう。


僕はかつて会社を辞めて旅に出る時に「人生は甘くない」と散々といわれた。


が、それらの言葉は僕には響かなかった。


「逆に、難しく考えない人には人生はきっと甘い」と思った。

「少なくとも厳しいだけのものではない」と思った。

「甘いか甘くないか自分が確かめる」と思った。(ほんとうに嫌なやつだが、本音です)


本当は厳しいのが人生なのかもしれない。


が、それは腹の痛むような挫折を味わい尽くしてからでも実感すればいいじゃないか。


そんな経験や体験がなしに「甘くない」とステレオタイプで語るのはちゃんちゃら可笑しいのではないか?僕には人生の可能性を自らが閉じてしまっているように思えてならなかった。


お金であれ、人生であれ、仕事であれ。もっと難しくないものとしてとらえたい、と考えた。人間は想像力があるから難しく考えがち、な生き物なのだが。


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追記
JUDY AND MARYの復元版CDを買いました。


解散から5年して、このCDが出るってどんな意味があるんでしょうかね?せっかくと YUKIのソロ路線が軌道に乗ってきたので水を差すようなことはしてほしくないのだが・・


このネタはまたいずれ。


February 21, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2006.02.20

【日記】ジムを休んで催眠療法スクールへ

「あの事件がトラウマで・・」だとか「あの女性(男性)がトラウマで・・」などと、僕らはトラウマという言葉を日常的に使っている。


僕は、ヒ−リングやセラピー関係の仕事をしているので、この言葉はごくごく日常的に使われている。が、実をいうとあまりこの言葉を軽々しく使うのは好きではない。


一つには、「本当にトラウマがある人に対して失礼だ」ということ。


それは、バックパッカーが使う「放浪の旅」みたいな言葉と同じ感覚だ。世界を流浪している民族に対して、少なくとも帰る国のあるバックパッカーごときが使う言葉ではない。これと同様の感覚、だ。


もう一つは、「自分の問題をトラウマの責任にしてしまうのはいかが?」ということ。


自分を取り巻く問題の数々を、性格だとか家族関係だとか生い立ちだとかの責任にすれば自分は楽だ。「それはトラウマだ」という一言が免罪符になってしまう-そんな生き方をするは勝手だろうが、僕はそんな人とは仲良くはなれるが、仕事は一緒にしたくはない。

僕はかつて、いくつかのセラピーを体験取材で受けた。

その中で、「親だとか家族との関係が今の自分に大きく影響を及ぼしている」と感じた。


僕は精神的なストリッパーにはなりたくないので詳細は割愛するが、僕が社会人としてきちっとやってこれた理由、社会人として「普通」(普通というのも幻想だけど・・)にやってこれなかった理由、の多くはかつての人間関係に起因していることもある、ということが何となく分かった。


それらはセラピーを通じて良い方に持っていくのは可能、だ。カウンセリングだとかを通じて思考のパターンを変えていったりすれば可能、だ。


ただ、僕は考えた。


その「僕に影響を及ぼしているもの」が僕が会社をやってこれた原動力だ。


「それを思考パターンを変えたりして、改善していくのはどうか?」と。「自分の個性のようなものが薄れてしまうんではないか?」と。決してその囚われは、「僕にとってマイナス面だけではないのではなかろうか?」と。


僕は、あるセラピストに聞いた。


「僕は変えた方がいい思考パターンがあると思ったんですけど、それが自分が仕事や活きている原動力みたいなんです。それでもセラピー受けた方がいいですかね?」と。


そのセラピストはいった。


「大丈夫、大丈夫、今のままで生活をしていていいと思う。けど、社員が次々辞めたり、お取引先が次々離れたり、なかなか人間関係が思うようにいかなくなったり・・・とどうしても辛くなったらセラピーにいらっしゃい。そんな時でもないと、あなたみたいな人はセラピー受けよう、って気にならないでしょ?」と。


「なるほど、そういうものか」


とりあえず、このまま進むとマズイ(というより進めない)という状況までがんばろう、と思った。


今から3〜4年くらい前の話、だ。


その僕が週末の2日間、過去のトラウマだとかを癒やす研修に参加した。ヒプノセラピー(催眠療法)といって、人間の無意識にアクセスして、思い込みや囚われなどといった思考のクセを修正してく技術、だ。


ダイエットだとか、禁煙だとか、生活改善だとかに効果的らしい。セラピーの経験をつめば、過去から引きずっているトラウマなどへも対処が可能だという。


2日間で何が学べた、というわけでもないのだが、心の世界の深淵さ、無意識が人に与える影響とその改善への方向性など、についてはぼんやりと見えたかしら。とにかく貴重な体験だった。


経営者向けのセミナーなどに参加すると、経営計画や営業関係の内容だったりするのに「無意識のマネジメント」だとか「潜在意識へのプログラミング」だとかいう言葉がごくごく普通に使われていたりする。


言葉だけ聞くと怪しい感は否めないが、僕らが知覚できる顕在意識だけではもう解決できない問題がたくさんありふれている時代にきている。その中で心、とか無意識について知っておいても損はない。


実をいうとこのスクールに参加したのは「このまま進むとマズイ」だとか「心とか無意識について知っていおても損はない」といった感覚、以上にもっと別の理由がある。


それはおいおいお伝えすることになるでしょうが、自分を取り巻く環境が変化しつつある中、いままでは「いずれは一度は研修にでてみたいなあ〜」と思っていたスクールに、予定も確認せず参加することになったのは、それはそれで何かしらの理由があるのだろう。きっと。


昨日、一昨日とベーシックの2日間コースでしたが、来月からはじまる半年間のコースにも大好きなジム通いを割いて参加しようと思っています。一つ難なのはゴールデンウィークに予定が重なること、か。


旅にいかない、というわけにもいかないだろうし・・・。


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一昨日はジムの仲間が1日5店鋪でエクササイズをする企画をたてました。


朝9時に神奈川の店鋪からスタートして、蒲田、池袋、飯田橋、新百合丘と回るという壮大な(?)自主イベントです。なんでも正味300分(5時間)レッスンをするらしいです。


僕は研修があったのでやむなく参加を見送りました。


が、どうしても気持ちを押さえきれず、夜の10時から新百合丘のレッスンに合流、感動の(?)フィナーレに同席できました。


バカみたいなことを真剣にやる、ってのはいいですね。家に帰ってきたら夜中の1時でした(涙)翌日、研修だっていうのに〜来月くらいにもイベントが開催される、とか。その時は這ってでも参加します!


February 20, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.02.16

今日は研修会

朝から中野まで人材派遣免許の講習にいってきます。


何でも夕方まで、とのこと。


途中、内職ができるようならブログをアップします。

February 16, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.02.15

言わなくてもいい一言

「督促状」


かつて住んでいた埼玉の市役所から税金の督促がいきなりやってきた。


何でも数年前に手放したバイクの軽自動車税、らしい。


所有権はかなり前に移転しているし・・・と思って電話をいれた。


で、担当者が二転三転した後、僕の留守中に会社に電話がかかってきたようだ。机の上にメッセージがおいてあった。


「●●市役所の○○さんより 業務が17:00までなので16:30頃かけ直します、とのこと」


業務が17:00までなので・・・って。

お役所は残業に関してはうるさい、と聞く。定時もきっと17:00なのだろう、組合もきちんとしてるのだろう。それを否定するつもりも資格も僕にはこれっぽっちもない。


お役所の方の職業意識云々に結び付けるつもりもない。個人的にはめちゃめちゃ働く市役所職員の友人を知っている。お役所云々といったら彼がかわいそうだ。


俺らの税金で・・とも思わない。僕らは役所がつくったインフラを使って事業をしている側面は否定できない。事業資金を借りる時に利子補填をしてくれるのはお役所だ。ゴミを片付けてくれるのもお役所だ。だから僕は税金はきちんと支払おう、というスタンスを持っている。


が、一つだけいわせてくれ。


「業務が17:00までなので〜」なんて、別にいわなくてもいい一言じゃないの??「16:30に電話する」だけじゃなぜいけないの??


最近、いわなくてもいい一言を聞く機会が増えたような気がする。


ライブドアの堀江さんの「人の心は金で買える」発言もその一つ。本心はそう思っていても別にいいだろうさ、ある面ではお金のパワーは否定できないだろうし・・・。でもそれを口に出していわなくてもいいじゃないの??

昔の人はいいことをいった。「本音とたてまえ」と。

若い人の間で、「本音を語れる友達が減っている」などといわれている。「軽くて浅くて広い友人、という交友関係が増えている」などともいわれている。それは、決して若い人だけの問題ではない。実は僕らの世代にも確実にそういう流れになりつつなっている。

そんな中で「本音とたてまえ」を使い分ける人間関係が少なくなっている。人間関係は濃密だからこそ、「本音」をオブラートでつつむ「たてまえ」をみにつけなければならなくなる。

これは相手を尊重するがゆえの処世術、だ。本音をバシバシいえばいいってもんじゃない。

17:00近くに市役所から電話がかかってきた。やりとりの末に、違う部署に確認をしなくてはならない案件がでてきた。


僕はいった。「今日は外出するので、明日の朝にでも電話ください」と。(実際はもっときつめの口調だが)一瞬、電話の先でほっとしたような空気が流れた(ような気がした)。


確かに外出はする予定だった。が、それはスポーツクラブと夜の会合、のためだ。そのために仕事を片付けなければならないから明日の朝に電話をしてもらったのだ。


「スポーツクラブにいきたいんで明日の朝に電話ください」といったら担当者はどう反応しただろう??


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追記
近藤真彦が22年ぶりに日本武道館でコンサートをやったそうですね。「スニーカーぶる〜す」「愚か者」「ギンギラギンにさりげなく」などが披露された、とか。


まだ41歳、だというのに驚きです。たのきんの再結成とか見てみたいですね〜。松本伊代だとか堀ちえみだとかのユニットは今いちでしたけど、たのきんならうまくいくんじゃないかしら?よっちゃんの位置づけがちょっと難しいかもしれないけど。


February 15, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.02.14

小利口(こりこう)と素直と

「当社のマーチャンダイジング戦略からいいますと・・」


担当の部長さんが流暢に話をする。メモをとりながら聞く僕の上司。その横で所在なく聞き耳をたてる僕。


今から13年前の春のこと。新入社員として入った会社での研修の一環で、上司の打ち合わせに同行したときの話。


打ち合わせは1時間に及んだ。社内でも実力派として名高かった上司だ、打ち合わせはズバズバと本音に切り込みつつも、なごやかに進んだ。


終わってから、有楽町の駅前で昼食を食べた。刺身定食を食べながら上司が一言。「で、今日わからなかったことは?」


僕は打ち合わせの中で疑問だったことについていくつかの質問をした。


「ん??それだけ??」


僕はあえて質問をつくった。本当だったら聞かないでもいいようなことを考えた。「それだけ?」と聞かれたらほとんどの新入社員はそうするだろう。面接試験みたいだ、と思った。


「だいたいそれだけだね」


上司はぶっきらぼうながらも質問に答えてくれた。僕は研修で教えてもらったようにメモを取り続けた。


「じゃ俺から逆に聞くけど、マーチャンダイジングって何??」


先ほどの打ち合わせの中で頻繁にでてきた言葉、だ。当時の僕はマーケティングに近いようなイメージの言葉だと思っていた。が、本来の言葉の意味は分からなかった。


そんな僕をみすかすように上司はいった。


「分かってねえよな〜 分かってたらもっとまともな質問がくるだろうしなあ〜」


分からないこと聞け、って話をされたのだから僕は聞くべきだった。が、こんなことを聞いてもいいのか?という意識が働いた。


「そういうの何ていうか知ってるか?小利口(こりこう)っていうんだよ」


新人研修は何日か続いたが、この瞬間以上に「あいたたた・・・」と思う一瞬はなかった。


小利口は素直の対極だ。

そこには自分なりの判断だとかが働く。自分の仕事に自信を持てるようになったら小利口でもいい。逆に小利口くらいでなければ手掛けられない仕事も存在してくるようになる。


ただ、これから仕事で実績をつくる、という人には小利口はハンデだ。


小利口は一時的には高い成果をあげるかもしれないが、長続きしない。これは今まで何人も部下とか後輩とかいう人と付き合ってきた感想、だ。(小利口な人は飽きが早い、という共通項も持っている。辞めるのも早いようだ)


なぜか?


それは教える人のモチベーションが続かない、からだ。

だれも小利口な人に物事を教えたりしたくはないだろう。「分かってるなら勝手にやりなよ」という単純な話、だ。上司や先輩が部下や後輩を指導するのが当然、と思ったら大間違いだと僕は思っている。


なぜか?


会社は働くところであって勉強しにくるところではないからだ。そこでは、当然のことながら教わる人にも教わる作法、がなければならないからだ。


確かに、無茶な上司や先輩もいる。僕だって自分のいうことの100%が正しいなんて思っちゃいない。けど、少なくとも数年のキャリアしかない人たちよりもまともな判断、考え方をしている可能性が高い、とは思っている。


上司と部下を分ける価値とは、つまるところその可能性の大小、でしかない。


話を元に戻そう。


僕の社会人としての生活はこの小利口な自分、と直面することだった。


「お前は頭が良すぎるんだ」と皮肉まじりに何回もいわれた。松下幸之助(松下グループ創業者)さんの本を読んで「素直にならんとあきまへんで」と書いてあって、「そうだよなあ〜」と思うのだがなかなか行動にまで結びつかない。


で、いろいろと考えた結論。


小利口が治らないのなら、本当の利口を見ることだ。


世の中には本当の利口がたくさんいる。そうした人をみると小利口では太刀打ちができなくなることを痛感する。小利口の化けの皮が剥がされる予感をひしひしと感じてしまうような圧倒的な人物、そんな人に会うのが一番だ。


僕はこうした存在に幸いながら巡り会う事ができた。


それでも、小利口な自分はなかなか治らない。人の話を聞いてるようで聞いていない自分に気がつく時、「素直、と口でいうのはたやすいがなかなか難しいものだ」とつくづく思う。


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追記
最近、文章を書く仕事が多いです。なかなか進まない案件を前に、ブログを書く時間をあてれば、と思うのですが、もうしばらくブログの更新にはこだわりたいと思います。


文章のいい考えが浮かぶのが、実はジムのスタジオなんですね。


スタジオで回し蹴りやパンチをした瞬間に、いいアイデァが浮かんだりします。といってもメモがとれないんで、すぐ霧散してしまうんですけどね。

February 14, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.02.13

緊急ではないが重要なしごと

住宅の仕事をしていた時だから今から8年くらい前の話だ。


夜の9時過ぎに夜訪(お客さんの家に夜にいくこと)を終えて会社に戻る。で、大量の報告書が待っている。


営業日誌はまあいいだろう。これは業務を振り返る上で非常に大切だ。


が、週間行動予定表、重点顧客分析表、バス見学会(工場を見に行くツアーがある)見込み分析表、ゼロ社員活動分析表(売り上げがゼロだった社員が書く自己反省みたいなやつ)などなどなどなど、とにかく大量の報告書が続く。


この報告書が終わると夜中からプラン書きがある。お客さんの要望にそって、僕ら営業マンが自分なりにプランだとか資金計画だとかをまとめるのだ。

正直、大量の報告書があってはプランを書いたりなんかする労力は残っていない。(朝から飛び込み営業してるし)勢い、内容は「なんちゃって」になっていく。ありもしなかったことを報告したり、「これを書けば無難だろうな」ということを報告していく。


最初は、「こんな狡い自分が嫌だな〜」と思っていたがどうやら人間は何にでも慣れる生き物らしい。数カ月もすると僕の作文能力は一気に開花(?)した。


「営業の成績があがっていれば報告書なんか書かなくてもいい」と上司にはいわれた。


でも僕は思った。


「これだけたくさんの報告書があれば営業成績なんてあがるわけないだろう」と。まあ、当時はゼロ社員にもなって、草むしり研修なんかにもいくような低成績営業マンの僕がいうのもなんなんだけど・・・。タマゴが先かニワトリが先か・・・。


仕事には4種類ある、と俗にいわれる。


●緊急で重要    
●緊急で重要でない   
●緊急ではないが重要  
●緊急ではないが重要でもない


僕らが取り組むべきは「●緊急で重要な仕事」「●緊急ではないが重要な仕事」だ。


僕のいた会社にとって日々の日報報告は「緊急で重要な仕事」としてとらえられていた。(で、なければ毎日毎日、あれだけの報告書を書かせないだろう。)


その考え方が過っている、とは思わない。


リーダーが考える「重要」だとか「緊急」だとかの考え方が組織の方向性を決定づけるからだ。大量の報告書を「重要」とする考えもあれば、その時間を顧客のために費やせということを「重要」だとする考え方もある。どちらが正しい、間違っている、という訳ではない。


が、当時の僕はもっと「●緊急で重要な仕事」があると思っていた。更に、「●緊急ではなく重要な仕事」があると思っていた。


確かに、日々の営業報告は「●緊急で重要な仕事」だろう。商売のタネは現場にこそ落ちている。それを集約するのが日報報告、だ。


けど「なんたらかんたら分析表」みたいな重箱のスミをつつくような報告書は、どう考えても「●緊急ではないが重要でもない」と思っていた。だって、その報告書から具体的な改善策や指導が本部からなかったしね。


こうした報告書に忙殺され、ほんらいやるべきことが手付かずになっていることが僕は次第にストレスになっていった。


それだけが原因ではないが住宅の仕事は1年近くで辞めた。


いろんな経営者と付き合っていて思う。仕事をしていて何が重要か、というのは人それぞれだ、と。


●毎日の業務報告を携帯にさせることを重要、と考える経営者がいる
●とにかく会議を重用視して、社内の調整ととりまとを重要、と考える経営者がいる
●一つ一つの案件にまで細かく報告を求める事を重要、と考える経営者がいる
●飲んだり食べたりの席でのコミュニケーションが重要、と考える経営者がいる
●社員が自発的に活動をして、その中からの展開が重要、と考える経営者がいる


誰しも働いていれば、「これは重要」だとか「これは緊急」だとかいった感覚は生まれてくる。


が、それがその組織のリーダーのそれと合っているか、は別次元の話だ。メンバーは「とても重要」と思っていてもリーダーはそう思っていないことがある。


逆に、メンバーは「重要でない」と思っていても、リーダーは「これが重要だ」と思っていることもある。


「会議が活発でない」というのであれば、社長にとって会議は「重要」だが、メンバーにとって会議は「重要でない」という位置付けなのかもしれない。会議以外に「緊急で重要な仕事」があると考えているのかもしれない。


社内の打ち合わせの中で「それって重要ですかねえ〜」とメンバーのオーラが発されているのを感じる時、僕は住宅の営業だった時のことを思いだすのだ。


「重要」だとか「緊急」だとかの摺り合わせをきちんとしないと、リーダーとメンバーとお互いがストレスを感じるようになりかねない。


「ストレスの犠牲になるのは多くの場合、メンバーだ」ということを僕らは肝に命じないといけない。


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追記
週末はグアムにいってきました。はじめていきましたけど、日本人ばかりでびっくりですね。全てが予定調和のうちに終わって素晴らしいです。


JTBなどの旅行会社がグアムであのソフトのインフラを造るまでにどれだけの時間と労力がかかったか、と思うと気が遠くなりそうです。日本のサービス業、恐るべしです。


でも、個人的には「このバスに乗ったらどこに連れていかれるんだろう?」だとか「この人は自分にとっていい人か?悪い人か?」という思案をする旅が好きですね。

February 13, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.02.08

六本木ヒルズから拘置所へ

ライブドアの堀江さんに関する報道も一段落ついたようだ。


事件の真相だとか、彼が今後どのようになっていくか、は僕には分からないし、あまり興味はない。


けど、栄華を極めた(?)経営者が一転して拘置所に入った、という事実。その中で彼がどのようなことを考えているのか、は非常に興味がある。


西武やリクルート事件などの被告は僕と世代があまりにも離れ過ぎていて微妙に実感が湧きにくいが、堀江さんは同世代、同時代の社長だからだ。


テレビなどでは「六本木ヒルズから畳3帖の拘置所へ」などとステレオタイプに繰り返している。


でも、彼はそこでの環境にめげているのだろうか?ヒルズでの華やかな暮らしがなつかしい、となげいているだろうか?


僕はそうは思わない。


「会社が倒産したらどうしよう」と考えた事のない社長はおそらく世の中にいないはずだ。


資金繰りにつまっていれば当然だし、成功の途上にあっても時としていいようのない不安に襲われる、それはどうやら会社をやる人間、組織を牽引する人間の宿命らしい。


そんなシュミレーションの中で、社長によっていろんな思考のパターンが生まれる。


ある社長は社員や取引先に迷惑がかかることを恐れる。社員の給料やこれからの就職先などに思いを馳せる。お取引先へのお支払いなどについて思いを巡らす。


またある社長は、いままでと同じ暮らしができないことを恐れる。車や家は大丈夫だろうか?銀座だとか六本木で引き続き飲めるだろうか?生活のレベルは落ちないだろうか?などについて思いを巡らす。


またある社長は自分の将来、を恐れる。仕事や生活はどうしていこうか?家族をどう養っていこうか?などということに思いを巡らす。


そこには社長の人間観や仕事観が大きく反映される。


堀江さんは、僕は少なくとも「今までと同じ暮らしができないことを恐れる」タイプの人間ではないのではないか、と思う。


彼はヒルズ族を象徴するような存在だった。(マスコミがつくりあげたんだけど)コンピュータさえあれば汚いワンルームマンションでも満足できるような種類の人、ではなかろうか。


ブログでは「こんなものを食べた!」といっているが、「麦飯しか食べられなかったらまっそれでいいか」という種類の人、ではなかろうか。


ジェット機を買ったり、次々と買収をしたりしたけど、全てがなくなれば「まあ仕方ないか、次にリベンジすればいいし」と思えるような種類の人、だではなかろうか。


付き合いがない僕がいうのもなんだが、僕にはそうおもえてならない。


この辺の感覚は上の世代の経営者とは一線を画しているように思えてならない。失敗したらそれから考えれてまたやればいいじゃん、と意外にドライなのが若手の経営者ではないか。(もちろん、人によるけどね)


テリー伊藤さんがこの辺のことを言っていたような気がするけど、「六本木ヒルズから拘置所へ」みたいな報道に接するたびに僕は微妙な違和感を感じるのだ。


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追記
今日のブログは堀江さん肯定論、ではないですよ。念のため。


でも事の善悪はともあれ、一代であれだけのことをしでかした人間の自信のようなものは凄いと思います。


「何があっても食べていける」ときっと思ってるんではないでしょうかね。その中では六本木ヒルズに住んでたことなどは小さい、小さいと思ってると思うんですけどどうでしょう??

February 8, 2006 | | Comments (8) | TrackBack (1)

2006.02.07

誰でも活躍できる場所をつくる

高校卒業程度の読み書きそろばんができて
性格は明るくはなくとも、人を不快にさせるほど暗くなくて
「運はいい」とまでは思ってなくても、「運は悪くない」と思ってて・・・


更にいうなれば、僕と性格が合う。


それが、うちの会社の社員採用にあたっての条件。
あとは、あまり望みません。


採用広告などみるとよく思うんです。


・高い視点から物事を総合的に判断し、的確な戦略がたてられる
・コミュニケーション能力に優れ、部門をマネジメントして成果をあげられる


だとか書いてあると、「俺が一番受からないわ!」と思うんです。だって、これだけのことができたらすぐさま経営者になれますって。で、1期目から黒字決算間違いないじゃないですか。


確かにこういう社員がくればありがたい。事業も大きく伸展するでしょう。けど、僕ら中小企業はそんな宝くじのような僥倖にゆだねてはいけないんです。


それよりも与えられたリソースである既存の人材の組み合わせを考えたり、社員がすぽっとハマる場所を考えたりしないといけないんです。


たいそうな教育云々ではなくて、少なくとも育つことを阻害されない環境をつくらないといけないんです。(僕は教育などは他人がするものではない、と思ってます)


で、更にいうのであれば「高い視点から物事を・・・うんたらかんたら」だとか「コミュニケーション能力に優れ・・・うんたらかんたら」だとかいって鳴り物入りで他社(多くは大企業、でしょうけど)に入社した社員に、数年後の自社の社員が気持ちだけでも負けないようにしないといけないんです。


最近、お取引先の人材募集のお手伝いをする仕事をしていて思いました。


「採用とは社長の考えを打ち出して、それに共感する人に手をあげてもらう作業だ」と。(でも、これはある友人の受け売りだな〜)


面接で僕らはなにげなしにいいます。


「あなたの自己PRをしてください」と。でも「うちの会社PRをしますね」とはほとんどの場合いわない。


僕らは「きちんと働いてくれるだろうか?」だとか「面接通りの人だろうか?」などと採用の時に不安になったりする。


が、応募者はもっと不安に感じている。「きちんとした会社だろうか?」だとか「面接通りの会社だろうか?」と。僕ら以上に不安に思ってたりする。(そうじゃないケースも最近は多い、かしら?)


まだまだ雇う側の力関係が強いためか、この辺はなあなあで終わっている事が多い。応募者は限られた情報、限られた時間の中で会社を選択する。


これからの時代はこうはいかない。


2007年問題と同様に中小企業に人材難時代がくる。優秀な人材の個の力に頼った経営では厳しくなっていく。逆に、平凡をして非凡をなさしめる組織が強くなっていく。それは中小であれ、大企業であれ変わらない。


そんな時代に備えるためにも、会社のトップは仕事の考えや、自分の会社がどういう方向にいくか?を借り物の言葉ではなく、自分の言葉で訴えなくてはならない。でないと、一緒に働いてくれる人も見つからない時代はすぐそこまで来ている。


「どんな方向にいくかなんて分からない」というのではなく、そこを思考省略せずに考えないといけない。方向が不明確であれば「少なくとも今日の段階ではこういう方向を考えている」と打ち出さないといけない。


「できる社員が入ってくるより、ごくごく普通の社員が成長した方が面白いじゃん!」と、僕は思っている。


が、面白いもので世の中にごくごく普通の社員なんてのはいない。誰しも必ず得意なフィールドがある。それを仕事に結びつけられれば、成果などだまってもあがる。


そんなフィールドを見つけるのは会社(及び経営者)の努力が半分、残りの半分は社員自らが仕事を通じていろんな経験をしながら発見していくものだ。


すべてを会社のせいにするのもよくない。すべてを個人の責任にするのもよくない。


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February 7, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.02.06

週末は結婚式

200602051437000
最近はどこにいくにもカメラをもっていかないので携帯からです


最近、やたらと涙腺が弱くなってきた。


映画をみても、本を読んでも、人の話を聞いても、昔に比べて泣く事が増えてきた。


「ジムのインストラクターが異動する」といっては泣けてきたり、「取引先の社員さんが辞める」といっては泣けてきたりする。


なんで・・・??


この歳になって感受性が豊かになったという訳でもなかろうし。

週末は、大学時代の後輩の結婚式。


7つ下だから学生時代には直接のつながりはない後輩だ。が、勤めていた会社を数年で辞めて海外に旅にでてたりしたから、僕と境遇が似ている部分がある。


一時期は、僕の会社にきたらいいなランキング(?)にも入った事のある逸材、だ。今は、あるベンチャー企業で社会復帰(?)して、日本全国で活躍している、という。


式の中盤、新婦さんの友人の挨拶。


友人が話していることは正直たわいもないことだ。


「塾にいってどうだった」だとか「ファストフードで勉強せずにポテトを食べた」だとか。話の内容だけからすると、別にごくごく普通の話だ。


だた、その話がたわいもなければたわいもないだけ、真実味がある。そこで友人がその話をあえてしようと思った事にきっと意味があったりとする。


僕は思うのだ。


「誰かを感動させてやろう」って下心(?)あるものには僕らの心は案外と拒絶意識が働く。今の社会はそんなものに満ち満ちてるからだ。僕らが見聞きするものには、「見聞きする人間をこうしたい」という操作性のあるものに満ち満ちている。


そんな時代だからこそ、自分の気持ちだとか思いだとかを純粋に淡々と語ったりするようなものに出くわすと、感動をするのだ。きっと。


新婦さんが化粧直しの時にお兄さんにエスコートされたりだとか、二人の昔の写真がスライドで流れてたりだとか・・・僕は不覚にもうるうるしてしまった。昔は仲のいい友人の結婚式であっても、そんなことなかったんだけどな。


ともあれ結婚おめでとうございます!いい人生をつくりあげていってくださいね。


僕は「あの時に大塚の会社にいっておけばよかった!」というような会社を目指します!


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追記
僕は今年、何件か結婚式が決まってます。(今週は妹の結婚式です)


その中にはなかなか縁の近い人がいて、挨拶をすることになっています。


いままでいろんな式で挨拶をしたので、別段緊張はないのですが、最近は涙もろいのでちょっと心配です。


言葉で語らず、自分の思いを自分の言葉で話ができたらいいなあ〜と思いますがどうなることやら。


February 6, 2006 | | Comments (6) | TrackBack (0)

2006.02.01

妙な胸騒ぎ

「あれれ、もしや運転免許の書き換えしないといけないかも?」

昨日、ジムのレッスン中にふと思った。


2年ほど前に埼玉から東京に引っ越し、住所移動もしないままに免許を落としたのだが、「どうせ車には乗らないし」とそのままにしていた。


が、免許には更新がある。僕の誕生日は1月4日、1ヶ月後まで更新可能となるとデッドは2月3日。そいや何年も更新した記憶がない・・・それが妙に気になったのだ。

今日は午後から出張だし、もしそうだったらやばいなあ〜と朝一で免許センターにいってきた。


「住所変更してなくて、免許なくしちゃって、そろそろ更新時期かもしれないんです」と相談すると免許相談窓口の男性担当者はコンピュータをガチャガチャして「ビンゴでーす。もちっとでやばかったですね」と明るい笑顔で一言。


「でも、大丈夫ですからね!ひとつひとつやってちゃいましょう!」と安心の一言まで・・。


免許センターってお役所お役所してるイメージがあったけど、とても親切でした。


だので、今から免許の講習。ほとんど車に乗らない僕は優良者講習でゴールド免許です。


かつて、引っ越しを繰り返した時に自分の住民票だとか、免許の住所だとか、銀行やカード会社の登録住所やら、はたまたいろんな会員証だとか。


いったいどこの住所で登録しているか自分でも把握していなかった時期がありました。


こういうことはきちんとしないとですね。肝に命じます。


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追記
今までは埼玉の鴻巣までいかないと免許の更新ができず大変でした。

東京は便利な場所にありますね。鴻巣にはほぼ一日がかりで更新にいったことを思い出します。


February 1, 2006 | | Comments (4) | TrackBack (0)