« March 2006 | Main | May 2006 »

2006.04.27

試行錯誤の時間を省いてやる、ということ

ここ最近、やたらと飛び込みの営業マンが多い。


きっと新人が配属になった時期だからだろう。人材会社だとか、広告会社だとか、警備会社だとか・・・それぞれの業界で研修を終えた新入社員が実践にではじめているようだ。


僕は原則、「利殖関係以外の飛び込みの営業マンには会う」ようにしている。(こういうことを書くと、「つれないですよ〜」と利殖筋から連絡があったりする。その根性はたいしたものだ)


僕にとっての転機となるような人は、案外と飛び込み営業などが縁で知り合ったりするもの、と考えているからだ。最初から「僕にとって大事になる人顔」して現れないと思っているからだ。


けど、残念なことに僕は日中は不在にしているためなかなか会うチャンスがない。


で、名刺だとか会社案内だとかが机の上に置かれている。会社によってはお金のかかった資料が無造作におかれていたりする。


ここで、一つだけ疑問に思うことがある。


皆、何で電話なりメールなりで会えなかった営業先を追っかけないのだろう??


「昨日、資料おかせていただいたんですけど、今度お時間をいただけませんか?」でいいではないか、なぜフォローの営業の電話をするように上司や先輩は指導をしないのだろう??


ひたすらに1日30件の訪問をするより、1日10件の訪問でいいのできちっとフォローした方が営業の結果がでると思うんだけど・・・どうなんだろう??


僕はこれって「自己満足の仕事」だと思うんだ。


汗を流して、いろんな会社に営業活動をする。で、面談ができた会社から見込みが見つかってくれば夜の酒もちとは美味いだろう。


けど、「成果をあげる仕事」をするのであれば、1件1件につき「何がよくて何がだめだったのか」を自分なりに分析しないといけない。でないと、いつまでたっても同じような仕事をしてることになる。飛び込みで確率だけを頼る仕事をするようになる・・・


きちんと営業でフォローして、いいか悪いかを見極めないといつまでたってもやり残した感が残ってしまう、と思うんだ。まだ、新人で気合いが入ってる頃だから飛び込み営業をする気持ちも続くだろうけど・・・。


と、いうとこういう反論があるかもしれない。


「新人は社会にはじめてでるのだから体験で覚えないといけないのだ」と。だから、「軒並み飛び込みみたいなことをさせながら、試行錯誤をさせるのだ」と。


確かに、その考えは間違いではないと思う。飛び込みを同じようにやらせていても、1〜2ヶ月もすれば担当によってやり方が違ってくる。これは、仕事のセンスの問題であったり、問題意識の違いであったりする。試行錯誤をさせて、担当の力をみるのもいいだろう。


けど僕は、「無駄な試行錯誤を省くのが教育だ」と考えている。どうせ、試行錯誤が必要なら、より実のあることで試行錯誤をさせればいいではないか、と考えている。


自分が体験して「これは大事かもしれないけど無駄だな」と思った事は僕らは下の人に引き継いでいいかないといけない。そんなことをやらせるのなら、より本質的な仕事で試行錯誤させた方がよい。


たまにアホな上司や先輩がいて、「自分が苦労して得てきたノウハウを何で教えないと」という人がいる。で、教育という名のもとに無味乾燥な仕事をやらせたりする。


こういう奴は一生部下を置かない閑職で仕事をやってもらばいい。で、実績がでなくなったらさよならすればいい。これは会社にとってこれ以上ない背任行為だ。


上司や先輩の行う教育とは「部下が行なう試行錯誤の時間をなるべく短縮させること」だ。礼儀を教えたりするのも、「そんなの知りませんでした」と試行錯誤する時間を省くから教えるのだ。


今、僕の会社に新入社員が入ったとする。でも僕は、軒並み飛び込み訪問をさせようとは思わない。もし、やらせるとしたらターゲットを絞って、最後の最後まで徹底的に追わせる仕事をさせる。電話やメールをつかって最後までフォローさせる。


で、だめだったらだめで、その理由を自分の中で実感できるような本質的な仕事をさせる。


少なくとも営業の仕事を僕がやってきて効率的だったのはこっちの方だ。


せっかくのやる気ある新入社員を、教育の名のもとにやる気を失わせてはならない。それは経営者&上司や先輩の仕事観にかかっている部分が大なのだ。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
日本の景気が悪かった原因の一つに、営業マンの力が弱くなったからだ、というのがあると思います。きちんと、フォローの電話をするといった当たり前のことが普通にできなくなっているんですね。


豪華な資料を社長宛に置いたって、電話はかかってきませんよ。どうせ営業するなら、最後まできしっとやるに限ります。で、だめだったら違う手を考えればいいだけの話です。

April 27, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.04.26

僕はなぜ旅に出たいか

India

日本で生活をしていると、何事であれある程度の予測がたてられる。


交通機関は正確だし、食事にいってもそこそこのものはでてくる。お金を払って受けられるサービスはある程度までは事前に予測ができる。


が、旅にでるとこれがちと違う。


ネパールからインドにバスで入国した時のこと。

ガンジス川で沐浴をする姿で有名なバラナシ(ベナレス)、時間は夜の9時を回っていた。ネパールで下痢になり、8時間ほどのバスですっかり体調を崩してしまった。どこでもいいから早く眠りたい。


ターミナルにつくと、リキシャー(タクシーのようなもの)が大勢で待ち構えている。5〜6人くらいの運転手が凄い剣幕で話をしている。どうやら、だれが僕を乗せるかの交渉をしているらしい。僕の意向などまったくお構いなしに。


僕が乗ったタクシーの運転手は顔に傷がある明らかに悪者顔の男だった。「●●ゲストハウスへ」と旅仲間からの情報で知った安宿の名前を告げると、「お前、何をいってるんだ!?ガンジスは雨期でそのゲストハウスにはいけないぞ!」といわれる。


「ふざけんな、俺の友達は先週いっているはずだ」というと、「昨日からガンジスが満水で道がない」という。「じゃ、お前に頼まない」と他の運転手に聞いても同じようなことをいう。


・・・まいった。


「じゃ、俺はどこの宿にいけば一番いいんだ?」と最初に尋ねた運転手にしぶしぶ聞くと、「俺の親戚が宿をやっている。そこにくればいい」という。


こいつを信じて大丈夫か・・・?


が、他に考えられる手段は何もない。明るくなるまで野宿をする体力もないし、土地勘がないから屋根のある所にもいたい。僕はその運転手にかけた。


バラナシではよく人がいなくなる、と聞いていた。強盗だとかがでる、と聞いていた。その話のせいだろうか、街は真っ暗で薄気味の雰囲気だった。その中を、リキシャーが真っ暗な道をすすんでいく。どこをどう走ってるのか全く分からない。


このまま、どこかに連れていかれて身ぐるみ剥がされても誰にもわからんよな・・・という思いが頭をよぎる。僕は運転手に聞くいた、「あと、どれくらいかかるんだ?」と。


運転手は、僕が不安を感じているらしい、と思ったらしい。「心配するな。俺はバラナシで一番親切な運転手だといわれているんだ」という。その一言がめちゃくちゃウサン臭い。俺はいい奴だ、というやつにいい人は少ないからだ。


結局、30分ほどはリキシャーに乗っただろうか。気味の悪い、裏道を歩いていってあるボロボロの民家についた。入り口には「●×△ゲストハウス」と汚い看板がかかっていた。どうやら、ゲストハウスにはつけてくれたらしい。


運転手はオーナーと話をすると立ち去っていった。どんな汚い部屋でもいいや、今日は寝たい・・・と思った僕が通された部屋はそれはすごい部屋だった。


ベットがあってフカフカの布団が!で、温水シャワーがついている。ネパールやチベットなどでは共同の水シャワーが当たり前だったからこれだけで感動だった。


更には、宿の親父さんが。「君は人がよさそうだから50ルピー(約150円)でいいよ」といってくれた。更には、「お腹がすいただろう?ご飯をつくるよ」と手料理までご馳走になった。カレーとナン(らしきもの)がでてきて、僕は半日ぶりにご飯にありつけた。


どうやらこのゲストハウス、ガンジスの近くにないため人がほとんどいないようだ。僕しか泊ってないようだったが、いままでとまったどのゲストハウスよりも快適だった。


・・・長くなった。


旅をしていると、予定調和を崩されることが多い。交通機関は時間通りにこないし、嘘をつくやつはあらわれるし、自分が病気になったりするし・・・思い通りにならないことがままある。


けど、その思い通りにならないことが旅をする楽しみなのだ。思い通りにならない事を通じて、僕らはさまざまな喜怒哀楽を感じる。


その中には、「ふざけやがって」という怒りや哀しみも多いが、「へえ〜こんなことを!!」という喜びや楽しみもいっぱいある。それらのほとんどが予定調和外であることが多い。


日本にいるとなかなかこうした経験をできるチャンスは少なくなっている。いい事も、悪いことも人の死だとか病気などの特別なことを除いてはほとんどが想定内のことで起こる。


予定調和を乱されたい、これが僕がたまに旅に出たい理由の一つなのだ。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
最近、コメントをさぼってました。あと、今日のひとことだとか本の紹介ページも。きちんと、これからはやっていきますので、いままでの手抜きご容赦ください。


April 26, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.04.25

人間の才能について

あなたには、才能を活かす義務がある

我々は商人である。商人は儲ける義務がある。自分ひとりが食べていくのでいいというだけじゃない。金儲けに才能があるものが、金儲けを真剣にやらなければ、いったい誰がこの日本の経済を支えるのか?(以下、略)【実践マ−ケッタ−の神田正典さんが発行しているメールマガジンから】


かつて、僕には一つだけ才能があった。


それは暗算だ。

小学3年生ではじめた珠算でめきめきと頭角を現し、中学1年生の時には埼玉県の大会(それも一般大人の部)で入賞を果たした。そのままやっていれば全国大会も夢ではない、といわれた(し、自分でも思った)。


とにかく数字が好きでたまらなかった。


4ケタのかけ算くらいなら、数字をみただけで答えが頭に浮かんでくるのだ。学校に通学する時には向かってくる車のナンバープレートをかけ合わせる。「44-32」と「22-68」というナンバー車がくればそれぞれをかけ合わせる。俺は人と違う才能がある、と気がついたのは小学校の6年の頃だった。


一方で、国語関係に関しては全くダメだった。


テストで「筆者の気持ちを述べなさい」といわれても全く分からない。「俺は筆者じゃねえしな〜」とずっと考えていた。


作文はみたままを書きなさい、といわれても全く分からない。僕の周りにはいろんなものが存在している。「それらの全てを書いたらとてもじゃないけど書ききれないじゃないか」と思った。読書感想文は義務教育中はすべて「漫画日本の偉人」で貫いた。(織田信長と平清盛を毎年交互にとりあげていた)


国語のない社会があればな〜と思った。


その後、僕は珠算を辞めた。一時は、珠算で身を立てたい、と思ったがそんなのは子供の戯れ言だったのだ。一方で、僕は大学で文学部に入った。そして、紆余曲折をしながら広告の仕事をすることになった。


中学生の頃の僕に「お前は将来、文学部に入って、広告の仕事するぞ」といったらびっくりするだろう。国語が嫌いで、文章を書いたり、読んだりするのが何よりも嫌いだったからだ・・・・。


僕は、才能だとかセンスだとかを肯定的にとらえている


無闇にやたらと努力すればなんとかなる、という考えは嫌いだ。その大前提として「自分の適性にあった方面で」というのがないとダメだと思っている。イチローと同じような練習をしたところで、イチローになれる訳ではないのだ。その現実を見つめるのは大事だと思っている。


才能とは、まずは「自分の適性にあった方面で」を見つけられる力ではないかと考えている。


「これは俺にとってちょっと才能があるんじゃない?」だとか「私はこれをやるとセンスがある」だとか思えるフィールドを探し当てる能力だ。その際、客観的なデータなどくそくらえ、主観的に自分がどう考えるかだけでいい、と考えている。


ひとつだけ気をつけなければいけないことは、人間の才能とは時代に応じて変わってくるということだ。


僕らが経験したこと、勉強したこと、教えていただいたことなどを通じて、自分の中に眠っていた才能が目を開いたりする、ということだ。


僕は、とある方面に関しては才能がある、と思っている。(反論があるかもしれないのであえて書きませんけど・・)それは、20代の僕はまったく気がつかなかった才能だ。


それとともに20代の頃「俺はこれに才能がある」と思っていたことは、別段たいしたことではないことに気がついた。それは、才能でもなんでもなく、僕の描く絵空事でしかなかったのだ。


「自らの才能のマネジメント」これは幼少の頃から自分の適性を見つけられる人は別にして、普通の人がよりよい生活をしていく上で欠かせないものだと僕は考えている。


誰にでもいずれかの分野で才能がある。ただし、それを深堀しようとしたり、見つけようとしたりする人と、諦めてしまっている人が存在している。


せっかく生きている人生、何らかの形で自分の才能を開花をさせましょうーこれは僕が仕事をしていく上で大切にしたい価値観だ。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
猫が序々にですが、ご飯をたべるようになりました。ふらふらだった足取りも、徐々にしっかりしてきています。関係各位にはご心配おかけしますが、まずは一安心です。

April 25, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.04.24

仕事に私生活を持ち込まない、とは思ってますが

仕事に私生活は持ち込まない、という主義の人がいる。


僕も普段はそう考えている。


私生活で嫌なことや、イライラすることがあろうが、それを理由に仕事が手につかないというのは僕の美意識に反している。その辺のコントロールは若い時からの仕事にとりくむ姿勢の積み重ねだ、と考えている。


けど、今回はちょっとその軸からはずれるかもしれない。

うちで飼っている猫が病気になった。腎臓がうまく機能していないらしい。獣医さんによると、体内の老廃物を出すことがうまくできなくなっている、ということだ。


最近、体重が減ってきたな、という感じはしていた。だが、普通にご飯も食べるし、散歩にもでかける。特に気にはとめていなかった。


が、ある日、僕が帰宅をすると明らかに普段と様子が違う。足はヨロヨロだし、ご飯は食べないし、体に力が漲っていなくて目の力がない。すぐさま病院に連れていき、入院。血液検査したところ数値に異常があって2日間、点滴を打ち続けた。


で、退院して家に連れて帰ってきたが、まだまだ本調子とは遠いようだ。一日中、ベットで寝ている事が多い。毎日注射を打って、クスリを飲ませているせいかだいぶ食欲は復活したようだ。


当然のこととして、ゴールデンウィークに予定していた旅行(中国の四川省)をキャンセル、看病にあてることにした。といっても、何ができるというわけではないのだが・・。うちの猫にとっての一番楽にできる環境をつくってあげようと思う。


元々は、僕が住んでいた家の大家さんが飼っていた猫だ。夜になると我が家に来て、「入れてくれ!」とせがみにくる。いつのまにか家にいついた猫だ。


で、埼玉から東京に引っ越す際、大家さんにお願いしていただいてきた猫だ。僕も妻も思い入れは半端ではない。


僕はしばらくは自宅で仕事をする時間を増やして看病にあてよう、と思っている。


うちの妻も働いている。ジムなどへいくとお互いの帰宅は11時近くになる事もめずらしくはない。その間、ひとりで家にいさせるわけにはいかない。


朝の出社にはこだわりたいが、そんなことはいっていられない。大事な存在の生命だとか健康だとか以上に仕事がに勝る、ということはない。


幸いにも仕事のモチベーションがダウンしてる訳ではない。心配で仕事が手につかない、というわけではない。きちんとアポイントにも対応するし、仕事もたんたんとかたづける。ただ、何があるかわからないので自宅にいる時間を増やそうということだ。


仕事に私生活を持ち込むようですが、僕ら夫婦のよりどころですのでご理解をいただけますと幸いです。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
昨年の冬に血液検査を受けた時は、多少数字が高い・・くらいの話だったんですね。だから驚きです。


でもHPなどを見ると、腎臓などは飼い主が分かるまでに時間がかかる、とか・・。多尿とか水分の多摂取などが徴候だとかいってました。歳がいったペットをお持ちの方はぜひ血液検査をおすすめします。


April 24, 2006 | | Comments (6) | TrackBack (0)

2006.04.20

もらっているお金以上の働きをする

ここ最近で、新しく2社の取締役となった。うち、1社は代表権のある取締役、だ。(もうひとり代表権のある取締役がいらっしゃる)将来的には今の本業との相乗効果が図れる、とにらんでいる。


来月から、この会社で働いた分の給料が入ってくることになる。今の本業の他に、収入のパイプが増えることになる。だが、ぼくの小遣いが増える事はないらしい。「会社に何かあった時のための予備資金」として銀行に回される予定だ。


現在は会議に参加して、他の役員やスタッフとともに現実を見つめている。で、今後の打ち手を考えて、ひとつひとつ実現化している段階だ。まだ役員として何の実績もだしていない。


・・・が、役員報酬は発生する。

僕はこの感覚が心苦しい。会社で利益がでたのなら大手を振って給料をいただく。リスクをとった人間、人より動いた人間に利益がもたらされなくちゃ会社など、役員などやっていられない。


けど、この仕事はまだまだこれからなのだ。母体はしっかりとした会社だが、僕の給料分だけ会社の経営は圧迫(?)されことには間違いがない。


ある席でこの話をしたら知り合いの経営者がこういった。


「そりゃしょうがねえよ、社員にだってどうなるかわからないうちから給料を払ってるじゃねえか」


確かにそうだ。まだ何の実績を出していない、仕事も覚えていない社員だって働いた初日から給料は発生する。で、僕らはそれを疑わない。


だが、多くの人と働いてきて思う。こと、こうしたことに対して人によって大きな2つのパターンがある、と。


「最初から、受け取る事を考える人」と、「最初は、与える事を考える人」と。


自分の仕事に自信があるのなら、最初から受け取る事を考えたりするのは当然だ。メジャーリーガーのように「待遇=自分のステータス」とまではいかなくても、条件が一つの評価のバロメーターであることには変わりはない。


が、僕は思う。


最初はできれば、与える事を考えた方が、結果的に多くのものをもらえるのではないか、と。


限られた時間の中で、自分がもっている能力や知識や技術を出し惜しみしない。で、もらっているお金以上の働きをしているか、と常に自分にといかける。


これを経営者である僕がいうといやらしいのは百も承知、だ。が、そう思うのだからしょうがない。


だが、それは社員が会社に対して、という側面だけではない。


経営者が社員に対してだって「最初はできるだけ与える方がいい」と思っている。もちろん、できる範囲での話しではあるが。


僕は新しく入った新入社員にすぐさま成果を求める事は期待しない。休みだってすぐとれるようにする。海外ににだっていっていい。


世間相場と比べて給料が多いか少ないかは分からないけど、利益がでればボーナスはきちんと払う。半年だとか1年いないとボーナスはでない、とはいわない。残業も服装も強制しない。やる気さえうせなければ、能力が低くても最後の最後まではリストラはしない、と保証をする。


これは僕が社員に対して行える「最初に与えること」の一つ、だ。


最初から受け取ることばかりを考える組織は最悪、だ。入社してその月からノルマがある営業組織などその際たるものだ、と僕は考えている。


「最初に与えること」の多寡が組織の盛衰を分ける、といえないだろうか?奪ってばかりの組織がダメになった例は歴史をみるまでもなく数多く存在している。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
腰痛で2週間運動をしていなかったら体重が2キロ落ちていました。


普段通り(もしくはそれ以上に?)食べていたんですけどね。痩せる=筋肉が落ちる、ですからね。安易に喜べませんが・・。週末から徐々に動いていきたいと思うのですが、腰痛の復調がどううなることやら・・。


April 20, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.04.19

有限会社から株式会社になりました

200604181625000


会社をつくる時に考えた。


株式会社にするべきか、有限会社にするべきか・・・


営業の電話などをする時には株式会社の方が何となく信頼されそうだ、と思った。出版社などと取引をする時にも株式会社の方がイメージがいいかな、とも思った。社員を募集する時にも株式会社の方が見栄えがいいな、と思った。


けど、単純に株式会社をつくるだけのお金(当時は1,000万円)がなかった。で、有限会社になった。どことなくこじんまりとしたイメージの会社、それが僕が持っていたかつての有限会社のイメージだ。


だが、今では違う。


何か有限会社の方が格好よくないか??と思っている。


見栄だとかプライドだとかを貼らずに質実剛健、利益がでてそうな経営をしているイメージはないか?


時代の流れを敏感に察知し、小回りのきく企業活動をしていそうなイメージはないか?


「まだまだ有限会社の域を越えてないっすから」みたいな若い社長ががつがつ仕事しているイメージはないか?


これは僕の周りにいる有限会社の皆さんの姿を通してのイメージかもしれない。が、「あえて有限会社でいることの価値」みたいなものにはこだわりたいと思っていた。


創業の頃に感じていた思いは杞憂だった、と気がついた。


取引先もクライアントも、有限会社だからといって差別はしない。(逆にそんなことで差別するようなお客さんは僕には合わないだろう)最終的にはそこで働く個人、我が社の担当である個人との人間的なつながり、だ。


だが、そのこだわっていた有限会社との別れがやってきた。


つい先日、株式会社に登記の変更がなされ、株式会社としてスタートを切る事となった。「株式会社になっておめでとう」だとか「よくやりましたね」といわれるが、どこがめでたいのか実はよく分からない。


「じゃ、何で株式会社にしたんだ?」とつっこまれるかもしれない。真実は、社員が結婚をするからだ。結婚式では、株式会社の方が何かと聞こえがいい、との判断(僕の判断ではないですよ。主役がそう思うかな、という判断です)で昔から株式会社にするタイミングならこれ、と決めていたのだ。


安易・・・?


僕に言わせれば、昼飯をカレーにするかラーメンにするか程度の違い、だ。仕事をきちんとやってさえいればどちらでもいい話だ。


ともあれ、先日から株式会社となりました。だからといって、根本的には何も変わりませんけど。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
10日程前にぎっくり腰になりました。2週間近くもジムに行ってませんが、慣れって怖いですね。運動をしない日常がごくごく普通になりはじめてます。


いかに、いままで無茶してたかというのを痛感する事がままあります。ジムにいって夜中帰りというのもざらでしたしね。何事もほどほどが大切、です。

April 19, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.04.18

ようやくと綺麗な体(?)に

創業して半年、国民金融公庫から事業資金を借りた。

456


500万円を5年返済、月々90,000円ほどの支払いになる。そのお金で広告の媒体を仕入れて、会社のパンフのようなものをつくって、自分の給料もきちんといただこう、という目算だ。


五反田にある公庫の事務所に事業企画書を作ってもっていった。形式通りの面談が行われ、話はとんとん拍子に進んだ。


で、担当者に聞かれた。


「社長さん以外の保証人はどなたにします??」


そうか、保証人がいるのか・・・。こりゃまいった、と思った。


僕は身内に保証人になって財産を失った人がいる。だけに、原則は「保証人はならないし、お願いをしない」で過ごして行きたいと思った。


けど、会社をやるとそうもいっていられないのだ、と思った。


大学時代の先輩であり、お取引先であり、会社に出資をしていただいた方に相談した。二つ返事で保証人の快諾をいただいた。


会社をつくったことは親には内緒だった。どうせ、いらぬ心配をするだろうから。だけに、ありがたかった。


その後、他の借金をしたり、コピー機をリースしたり、事務所を借りたりする場面で必ず保証人の存在が必要になってきた。が、僕は「経営者保証以外はしない」を原則として貫いてきた。


会社の保証人として僕個人が保証をするのなら仕方がない。が、第三者への保証は一切お願いをしないでやってきた。会社は何がおこるか分からない、よって最悪の最悪を想定しないといけない。なるべく自己の責任の範疇で仕事はした方がいい。


このたび、めでたくその国民金融公庫から手紙がきた。「完済のお知らせ」だ。


「このお知らせをもって借用証書その他付属書類の返還に変えさせていただきます」とのこと。ようやくと肩の荷が降りた感じ、だ。これで、残る借金はすべて僕の個人保証分となる。つまりすべてが自己責任だ。


今年の1月で創業5年を迎えたが、今回の借金完済が一つの区切りのような感覚だ。関係各位には大変お世話になりありがとうございました。ますます事業活動に邁進したいと思います。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
昨晩、出張先のハワイから帰国しました。

入国の際、パスポートチェックでイエメンのビザが気になったらしく別室へと連れていかれ、40分くらい足留めをくらいました。

123

昨年、イエメンに行こうと思ってビザをとったのですが、政情不安のためいけずでした。担当者は「なぜ、行きもしない国のビザがあるんだ」「イエメン行きの目的はなんだ」と繰り返し質問してきました。

いままでいろんな国にいきましたが、一番尋問が長かったです。ハワイの審査は厳しくなった、とは聞いていましたが本当にそうですね。

April 18, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.04.13

【自省】初心わすれるべからず

広告の仕事をはじめた頃の話だ。


雑誌に広告を集めるための営業電話をかける。「広告代理店なんですが、広告だしませんか?」とアポをとっていく。


で、提案をして見積もりを出して、広告掲載の申し込みをいただく。


原稿制作に進み、出版社へ原稿を入稿し、広告料金を集金する。そして、雑誌が発売される。


広告の仕事をしてはじめてのクライアントは上野にある治療院。次は八王子のこれまた治療院さん。『精神世界』という今はない雑誌だ。(精神世界は5号で休刊となってしまった)


雑誌が発売されると僕は本屋を回った。自分が作った(といっても制作をするのはデザイナーさんだが)広告が掲載されている本を探しにいった。


が、・・・・なかった。


マイナーな雑誌だけに最寄りの本屋さんには配本されていなかったようだ。僕は神保町の本屋街にいき、何件か目で精神世界のコーナーでこの雑誌を発見(?)した。自分がてがけた広告が掲載されていたのを見た時はちょっと感動モノだった。


その後、いろんな業種、数えきれない雑誌、広告を扱わせていただいた。北海道や大坂に出向いた時に現地のコンビニなどで自分が扱った雑誌をみかけると不思議な気分になった。


タイのバンコクで自分が取り扱った広告と出会った時は、長旅をしていて海外の僻地で日本人とあったかのような感覚だった。「よくぞこんなところに!」という喜びだった。


あれから何年も経過した。


広告の仕事にたいする取り組み方は当時も今も基本的には変わっていない、と思う。


更にいうなら、広告やマーケティングのことなど当時は知らなかったことも学んだ。会社を経営するなかでさまざまな生きた勉強をした。人間関係も増え、相談できる人の数も飛躍的に増えた。結果、クライアントに対してできることも当時よりは格段に増えた(はずだ)。


けど、本屋さんにいって自分が取り扱った広告に一喜一憂することはほとんどなくなった


昨日、うちの社員さんが「自分が扱った広告が書店に並ぶ日が楽しみです」といっていた。僕は、広告の仕事をした時に感じていたこのような感性を恥ずかしながら久しく忘れていた。


「キャリアを積んでも初心者の気持ちを忘れない」とは仕事の奥義(?)としてよくいわれることだ。


初心、初心とは思っているつもりではあるが、まだまだのようだ。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
広告の仕事を「凄え!」って思ったのは、「外回りの営業マンがいなくても売上があげられる」という事実でした。いままでにいた会社は営業マンがたくさんいて、飛び込み営業、夜討ち朝駆けをして稼いでいる会社ばかりでした。


けど、広告をうまくつかえば(外にいく)営業マンを雇わなくてもいい、ということに気がつきました。今思えば当たり前のことなんですが、当時の僕にはパラダイムの変換でした。


そんな初心の頃に感じた気持ちや思いは、「仕事をしていく上での哲学」の萌芽ですから大切にしたいと思います。


追記2
今日から海外に出張です。ブログの更新は未定ですが、できればやります。

April 13, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.04.12

ダメと思うなやれると思え

「ダメと思うなやれると思え、そこには必ず道がある。理屈を越えたものがある」


14年前、某企業に入社した僕は研修で営業部長からこの言葉を紹介いただいた。(確か、帝人という会社の常務の言葉だったと思う)


単純な僕は思った。「理屈を越えたものか!確かにそうだ!!」と。


学生時代を通じて、何とはなしに成功体験だとか失敗体験だとかのストックができていた。その中で、意識だとか思いだとかが作用する部分は大きいと感じていたからだ。


僕は研修でめちゃめちゃ動機づけされて現場に配属された。

で、1日何十軒と法人企業に飛び込み営業をしていく。担当エリアの石川県、富山県を徒歩と自転車を使ってひとつづつつぶしていく。


当然、断られたり、邪険(?)に扱われたりする。たまには凹む事もある。が、「ダメと思うな」という言葉で新たな気持ちになったりする。新入社員の頃はその繰り返しだった。


「同期で入った○○は1日50軒も訪問しているぞ」といわれるたびに焦った。


「雨が降る日は意志決定者が会社にいることが多い」といっては雨の日営業をした。それがポジティブシンキングだと思ってやまなかった。「ダメと思うな〜」の精神だと思った。


が、数年たった時に無理が生じてきた。頭では納得していても気持ちがついていかない感覚にさいなまれた。


「ダメなものはダメではないか?」という意識に襲われたのだ。


頭ではいくらでも思考をポジティブに考えられる。「ダメと思うな」だとか「成功をイメージしろ」だとか。ただ、「ダメなものはダメなのだ」という意識が無意識に入り込んでしまったのでどうしようもない。


頭で考えたイメージ(顕在意識)が強ければ強いほど、反作用の法則で「無意識」が働いてくる。「本当はダメなものはダメと思ってるんでしょう?」といいたげに。


頭と心と考えている事にギャップが生じることとなってきたのだ。


僕は「ダメなものはダメだ」を認めるのが強さだと思うようになっていった。「ダメなものはダメ」と言えずにダメになった組織や個人は歴史にゴマンとある。そんな過ちを僕はしたくない、と思った。


そう考えると僕の中で意識の変化が起きた。


「自分の無意識がダメだと思わないことを探す」それが仕事ではないか、と思うようになっていったのだ。自分の無意識が納得できるようなことを仕事にする、営業の商材にする、それが仕事ではないかと思うようになっていったのだ。


例えば、「こんなもの今の時代に売れるのか?」という商品を営業しなくてはならないとする。で、「ダメと思うな〜」と思いながら営業をしていく。ポジティブな思考を次々と描いていく。


でも、同じ労力をかけるなら「これって動けば売れるんじゃん!?」という商品を探す方にかけた方がよっぽど効果的だ。無意識のレベルでまで自分が納得している商品を扱った方がいい。


が、世の中の会社は「よくぞ今の時代にこんなもの営業するなあ〜」というものを営業しなくてはならない営業マンがたくさんいる。「ダメと思うな〜」の精神でモチベーションが長続きする人はいい。どこにいっても頑張れるだろう。


ただ、僕のように「ダメなものに力を削ぐなら、本当にいいと思っていることに・・・」と考える人は立ち止まって考えた方がいい。いずれ頭と心とのギャップに悩むだろうから。


で、会社の上層部だとかにかけあうなり、頭も心も納得できる商品を扱う会社に転職したり、扱う商品を自分で捜せる事ができる会社に転職したり・・・と考えた方がいい。


無意識の力はものすごい。顕在意識の力でコントロールしようと思ってもしょせん無理だ。であれば早めにアクションを起こした方がいい。


ちなみに僕は広告の仕事をして、上記のような思いはなくなった。広告の仕事は商品(媒体や企画)の選択から営業の範疇だからだ。


今考えると運がよかった、と思う。

↓今日もワンクリックお願いします♪
人気blogランキングへ


April 12, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.04.11

引き上げてくれる人の存在

「いくつで会社をつくったんですか?」と聞かれる事がある。


「31歳の時です」というと、ITベンチャー起業家が多い昨今とはいえ多少驚かれる。


で、起業への野心がある人であれば「起業のひけつ」みたいなことを聞きだそうとする。「何が一番大事か?」ということを聞いて、参考にしたりしようとするのだろう。


僕は必ずこういう。


「引き上げてくれる人の存在と運だ」と。更には「それらを引き寄せるために僕らは働くんだ」と。


僕は、専門的なノウハウだとか、誰にも負けない技術があって起業をした訳ではない。「会社を辞めよう」というのが先にありきで、いくつかの選択肢の中からたまたま選んだのが起業にすぎない。


「いつかは何かしたい」とは思っていたが、「会社を辞めよう」と思ったタイミングではなかなか起業の決断はできなかった。まだ、広告の仕事をはじめて2年、経験不足は否めなかったからだ。


が、幸運なことに引き上げてくれる人の存在があった。


仕事を発注していただけるクライアントとして。多額の支払いを待っていただいたり、「会社の利益がでたら出世払いで」という形で仕事をお願いできる協力業者として。「うちの媒体安く融通するよ」という広告の仕入れ先として。


「会社をやるなら協力するよ」という人の存在がここまでいるとはびっくりだった。たまたま偶然にそういう方々との縁があったからこそ起業する勇気と覚悟が出てきたのだ。


と、こういう話をすると「そうですか!人脈ですね〜」と目がランランとなる人が多い(特に、成功教におかされている人に顕著だ)のだが僕のニュアンスは違う。


僕は人脈という言葉が大嫌いだ


なんか打算的で、計算高くて嫌だ。「あいつは僕の人脈で・・」などと陰で言われていたらぶん殴ってやりたい衝動にかられるくらい嫌いだ。


そんなのではないのだ。


一生懸命に仕事をする、人生を生きたりする。


すると「お前さん、そんなに気合いいれてるならいっちょう手伝ってあげようか」という人が必ず現れる。そんな人の中から自分を引き上げてくれるような人がでてくる。


「引き上げてくれる人」を見つけることが仕事の目的ではないのはもちろんだ。


が、一生懸命仕事をした結果として「引き上げてくれる人」が見つかれば幸運だ、という考え方は僕は悪くないと思う。所詮、一人ではたいしたことなどはできないのだから。


ただ、一生懸命に仕事をしても、引き上げてくれる人が現れる人もいるし、そうでない人もいる。


これは運の世界だ。出会いだとかタイミングだとか、僕らの努力ではどうしようもない範疇の世界だ。


が、運は引き寄せられる、と僕は考えている。


ある外食産業のベンチャー経営者は運を引き寄せるには「明るく、前向きに、人並み以上の努力をすること。更には早起きをすること」といっている。


まことにもって至言、だと思う。


運の総量は決まっている、「運が引き寄せられない」「運が悪い」と考えている人にまでまわってくるほどの量はきっとない。


運がいいと思う事と、運を引き寄せる為の正しい努力を心がけたいものだ。


本日は自省として。


↓今日もワンクリックお願いします!!
人気blogランキングへ


追記
今日は人材派遣の免許をとりに研修にいってきます。週末から海外にでるというのに、形ばかりの研修会にでるのは精神的にもしんどいですが、なんとかいってきます。


April 11, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.04.10

あっちゃ〜やられた!!

「ライバルに先にやられたら『あっちゃ〜やられた!』と思うこと」


優秀な企業戦略とはそういうものだ、と教えてくれた人がいた。


なるほど、これは分かりやすい。


実際、僕がこれからやろうと考えていることを、資本力も人材も揃っている会社にやられたらしんどい。まさに、「あっちゃ〜やられた!」だ。


だから僕らは大手企業が参入しにくいスキマで戦々兢々(?)としながら戦略を実現していく。


いつの日か必ず訪れる「あっちゃ〜やられた!」にビクビク、オドオド(?)しながら、ばれないようにコソコソと(?)打ち手を粛々と打っていく。


もう一つ僕が考える優秀な企業戦略の一つが、「あの社長は敵に回したくないな〜」とライバルに思わせることだ。


それは、「あの社長は押しが強いから揉めたらいやだなあ〜」とか「あの社長はうるさ型だから穏便にいきたいな〜」だとかいうことではない。


僕はあまりもめ事などに活躍をするタイプではない(そういう場になると活躍するタイプの経営者は結構いますよね)が、押しの強い社長さんと何かしらもめた時、それがきちんと戦うべきタイミングであるのなら、きちっと戦わないといけない。


僕自身が押しの強さで経営をしていくタイプでないので、「押しの強さだけで経営はやっていけませんよ」ときちんとメッセージを発しなくてはならない。少なくともそれが僕の美意識だ。


で、押しの強さは臆病の裏返しであることが多いため、きちんと話をすれば何とかなることが多い。(けど、押しの強い方に煮え湯を飲んだことは何回もありますけどね 汗)


そんなことよりも、僕が敵に回したくない経営者は「夜中まで飲んでも朝の5時にメールがくる経営者」であったり、「ひとつのことをたんたんとやりきれる経営者」であったり、


「朝の5時だとかに起床して、夜は早く寝ている経営者」だったり、「物事を考えると、何時間でも没頭できる経営者」などだ。


こういう人がライバルで、うちの会社と同じ市場でぶつかるとしたらそりゃ恐ろしい。まさに「あっちゃ〜やられた」だ。


「より有利なポジションに自社を導く事」それが企業戦略であるのなら、僕自身が「あの社長は敵に回したくないな」とか「あっちゃ〜やられた!」だとかとライバル会社から思われる存在じゃないといけないということだ。


その思いと現実はつり合っているか、と考えると心もとないものだ。最低、毎日のブログ更新はきちっとしないと。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
週末、ジムに行こうと荷物を持とうとしたら腰に痛みが走りました。「・・・ギックリ腰??」腰が全く動かず、やむなく家で休みました。


日曜日も様子に変化なしです。


何事もやりすぎは控えた方がいい、ということですかね。


April 10, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.04.06

朝の喫茶店には神が降る?

200604060905000

昨日から大阪にきています。


今朝は、近くの喫茶店でモーニングです。(大阪のモーニングは飲み物代だけで、トーストだとかサラダがつくからおトクなんです。今日はなぜかドトール、ですが)


朝の喫茶店には神様が降ってくる、と僕は思っています。


「おっ!」というアイデァが降ってきたり、面倒な問題の解決策がふってきたりします。


それは朝、早起きした人間へのご褒美のようなものだと思ってます。


今朝も新しく扱いはじめた商品のことについて考えてました。


「これからどうしていこ??」「今できる打ち手は何だろうか?」


・・・と考えてるとアイデァがひらめきました。


でも、そんな時にふってくるアイデァって、とっぴょうしのないものであることは少ないです。


「何でそんなことに気がつかなかったんだ??」と思えるようなことばかりです。少なくとも僕の場合は。


今日、ひらめいたアイデァはその芽をつむがないようノートに書かれて、数日間の熟成(?)の後、現場に回されます。で、打ち手の一つとして実行されていきます。


けど、ヒットする確率は正直低いです。でも、時々すごい結果を生み出すことがでてきたりします。


経営とはその繰り返しです。


何ら特別なことをしてるわけではありません。ただ、「それら特別でないことを地道にできるかできないか」で僕はすべての勝負が決まると思います。一部の、経営センスのある経営者は除いて凡人経営者はそこが全てです。

↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ

追記
今日は、午前中からアポイント。午後からはご紹介いただいたり、今後の打ち合わせをしたりです。今日中に帰ってジムに行きたい、と出張先にまでジムセットを持ってきてます。ほとんど病気、です。


April 6, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.04.05

ブログに関しての自己開示

「大塚のブログのターゲット読者は誰なの?」


・・・痛い所をつかれた。


とある場所で、知り合いの経営者からの質問だ。


僕のブログの欠点は、ターゲットが分かりにくいことにある。


ある時は中小企業の経営者に向けて、ある時は企業で働く社員さんに向けて・・・ブログ全体のコンセプトとして「誰に情報を発信をしているのか?」が著者である僕に一貫性がない。


しいていえば、「その日の朝に思い付いた事をあーでもない、こーでもないと語る」のがコンセプトといえばコンセプト、か。


当初は、多くの方に読んでいただきたい、と思って書いてきた。で、アドレスの入ったオリジナルの名刺をつくったり、メールを使って読者を増やしたりしようとした。


が、いつからか思った。


「読む人は、探してでも読みにくるし、読まない人はお願いしても読まない」という事実に。


考えてみりゃごくごく当たり前のことだ。僕はジャニーズのような人気アイドルでも、物事を面白おかしくかける文筆家でもないのだから。


逆にいうと、僕なぞのかいた文章を読んでくださいね、とやるのは非常にゴーマンだと思ったのだ。


そんな中、継続的に読んでいただいている読者の方には感謝だ。僕の知っている限りだが、ブログの読者にはこんな方々がいらっしゃる。


●年商数十億円企業の経営者や、いくつも会社をもつ起業家


●当社の成長を支えていただいたお取引先


●大学時代に同じ部でご指導をいただいた先輩(おそらく後輩の一部もみている)


●旅先で知り合った元バックパッカーの仲間、以前に勤めていた会社の同僚、先輩、上司


●「独立をしようと思っているが何をしたらいいか分からない」と野望を持つ男性がいる、反対に、「何か人生が変わらないかな」と思ってばかりで行動が伴わない人もいる。「会社を辞めたいけどどうしたらいいか見定めている」という人、夢ばかりで現実逃避してるなあ〜という人もいる。


●「大塚の経営に対しての考え方は・・・」と論争(?)をしてきたがる起業家仲間がいる。「なんだかいつまでもやりたいことしていていいよな」とメールをくれる古くからの友達がいる。


●「外にあまりでないから会社で働くことが分かって面白い」という子育て真っ盛りの友達。「あなたの考え方はおかしいんじゃないか」とメールをくれる友達や友人。


●「ブログ読みましたよ、今日はお客さんがくるんですね〜接待よろしく」と情報収集(?)に使っている人も。「ブログ読みましたよ!実は提案で〜」と電話をかけてくる営業マンもでてきた。


●学生の時の友達でまったく音信はないのだが、ブログを訪れてくれる人がいる。


●当然(?)うちの会社の社員さんがいる。(・・・読んでる、よね?まあ強制じゃないけど。)


と、分かっている範囲の中だけでもいろんな属性の方がいらっしゃる。


・・・みなさんの共通項はなんだろう?


誤解を恐れずにいえば、共感する共感しないにかかわらず、僕の美意識に共鳴していることだ。


僕が打ち出している経営や仕事に対しての考え方、これは非常に主観性の強いものだ。


僕はブログの中で「経営とは●●だ」だとか「仕事とは●●だ」と断定的にいうが、それが僕の人生観(?)に基づく、極めて主観性の強い考えであると常に思っている。


だから、その考えを押し付けようだとか共感してもらおうだとかはあまり思わない。(否、共感はしてもらえると嬉しいかな)


が、共鳴はしてもらいたい、とは常に思っている。


「あほっ、若造が何をいってるんだ!」でもいい「その通り!うちの社長にきかせてやりたい」でもいい。「そりゃ、自分の考える経営の原則とは違う」でもいいし「ちょっとやる気になった」でもいい。


共感はいらないが共鳴は欲しい、というのが僕の偽らざる心境、だ。


文章は難しい。


こちらの意図とは逆にとらえられてしまうこともあったりする。


ただ、誰もが「へえ〜なるほどね」なんて差し障りのないブログを書くのなら僕はブログを辞める。


誰かを喜ばせたり、共感いただいたりするような文章は、誰かを傷つけたり怒らせたりする可能性があるはずだ。しんどいことでもあるが、そんなブログを目指したい、と思っている。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
昨日は運動をして焼肉を食べました。朝から元気ですが、筋肉痛がしんどいです。今日から関西に出張にでます。

April 5, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.04.04

経営者?社員? それはどちらの仕事?

「数多くの打ち手を考え、その中から『これ』という打ち手を決めること」


これは経営者の重要な仕事の一つ、だ。「今の現状で何ができるのか?」を考えに考え、その上で人員とお金、更には時間軸を念頭においた上で「次にこれをしよう」と意志決定することだ。


いうなれば、「打ち手のレパートリーの多さ」と「打ち手を決める意志の強さ」が経営者の実力、といっても過言ではない。この部分だけは、社員さんや外部業者さんに任せる事も本来は不可能だ。


「今後どうするのか?は現場で考えてください」とは、経営者である仕事を放棄していることに等しい。けど、案外とそういう会社は存在している。


「社長が方向性を出さないから何も進まない」という社員と、「これから何をするのかは現場が決定するものだろう」という社長との見えない対立だ

これに対しての僕の答えは明確だ。


方向性は経営者が出すということだ。で、決められた打ち手に基づく現場の実務を社員さんにお願いするということだ。(更には、経営者が最終責任までをとる、ということだ)


会社が創業して間もない頃ならこの辺はスムーズだ。社長が次々と打ち手を考えて、実行をしていく。それでないと会社はすぐにダメになってしまう。が、社員さんが増え、社長の仕事が増えるに従ってこのへんがあいまいになっていくというパターンが多いようだ。


多くの打ち手を考える上で必要なのは「次の打ち手は何か?」という質問を常に頭にいれておくことだ。


仕事中はもちろん、酒を飲んでる時も、ジムにいってる時も、車に乗っている時も、頭の中に質問をいれて潜在意識を働かせておくことだ。


更には、衆智を集める事だ。本を読んだり、取引先や有識者の話を聞いたりして情報を得て、打ち手を多く考える事だ。


そこでは社員さんが現場でつかんでくる情報がなによりも有益、だ。会社の打ち手を考える上で何よりの素材がそこには埋まっている。で、打ち手の数にこだわることだ。どうせ、打ち手の多くは外れるのだから確率的に高めるのは量にこだわることだ。


そうして表出した打ち手の中から、「これをやろう!」と選択することは経営者の意志決定の範疇だ。


そこで衆智を集める、というのは心の弱さでしかない。自らの直感と、哲学と、集められた情報に基づいて自分で判断をしないといけない。


不確実な要素の中から今後の打ち手を決めるのは、なかなか骨の折れる事だ。が、ここは逃げてはならない。


と、いうよりこれをヌキに経営者がどんな仕事をするのだろう?アルバイトでもできる仕事をしたりしてたら会社の将来は、正直暗い。


実際、経営者が会社のステージによっては、現場の仕事に忙殺されることもあるだろう。けど、そんな中でも「打ち手を考え、意志決定する」という仕事を活動の中心にもってこないと、という意識は忘れてはならない。


打ち手さえきちんと考えて、「これ!」という意志決定さえできれば経営者など会社にいる必要はない。


あとは現場でクリアーできない問題が発生した時にだけ動けばいいだけの話、だ。


実はこのテーマはかつて僕自身が直面をした課題、だ。


が、あるコンサルタントの話がきっかけで自分の心の弱さに直面をした。すべての打ち手はすべからく経営者の仕事に帰結する、と僕は考えた。


それは「社員の自発性発揮と矛盾するのでは?」と考えたが、経営者が打ち手を明確にしてはじめて社員は自発的に働けるのだ。


なんでもかんでも現場に任せることが自発性、ではないのだ。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
打ち手はたいがいが失敗します。が、数ある打ち手の中から成功するものが失敗を埋めてしまうくらいのパワーがあるから事業は面白いのだと思います。

そいやうちの会社でも「これはいい!」と思って打った手でコケたことが何回もありました。逆に、いま伸びている分野は、あまり期待していなかった打ち手の一つなんですね。

だから数にこだわる必要があるのだと思います。

April 4, 2006 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2006.04.03

【日記】何かに突き動かされて仕事してないか?

がむしゃらに働く人がいる。休みの日だとかでもぼーっとできない人がいる。


何かしらの予定をいれないと不安になる人がいる。


かくいう僕もそうだった。


かつては会社に家財道具を持ち込んで寝泊まりしていた。土曜日だとか日曜日だとかは関係なく、仕事をしたり、人とあったりを繰り返した。


自分は体力はある、という自負(?)もあったのだろう、とにかくゆっくりと止まることができなかった。


家でぼーっとしていても、必ず何かをしている。本を読んだり、パソコンをいじったり・・。さもなければ、泥のように寝ている。


リゾートにいっても大量に本を持っていったりする。仕事で使うノートを必ず持参する。


それって、自分の性格の問題だと思っていた。昔から「落ち着きのない子供です」と通信簿には書かれていたし。


けど、心理学だとかセラピーだとかの仕事をするうちに、幼少時に自分が抱えていた感情のようなものが密接にリンクしているのかもと思うようになっていった。


「働きたいから働いているのか?」それとも「何かに突き動かされて働いているのか?」


これを明らかにすることは僕の中での課題だ。いつしか、そう思うようになっていった。


一方で、そんな課題に取り組んでいる時間がもったいない、とも感じていた。そんなことをするのであれば、会社の売上をあげる事を考えた方がいいに決まっている、とも思っていた。


心理セラピーを受ける人を否定する気持ちはさらさらないが、「自分を見つめる事=自分が止まる事=成長がストップする事」という感覚に襲われていた。


けど、いろんな話や本を通じて「経営者という種類の人は、子供の頃に心の傷を受けている人が多い」と知った。お金に対する欲求が物凄くつよかったり、人をコントロールしたいという思いが強かったり、異性に対して尋常な関心を示したり・・・


それらの傷を解消するために、「仕事だとかお金儲けに異常なモチベーションを発揮する人が多い」のだと。


もちろん、あくまでも一般論の話だ。全部が全部そうじゃないかもしれない。けど、性格が後天的につくられていく要素が強い以上、何かしら過去の自分の中にカギがあると僕は思うのだ。


昨日は催眠療法スクールの2ヶ月目。いつものようにパートナーを組んで催眠の実習。


すると、僕の親族が意識の中に出てきた。


入退院を繰り返し、なかなか定職にもつけない親族。家にきては、うちの親に小遣いをせびる(?)。「今回こそはきちんと社会復帰を」という話を何回聞いただろう?入退院を繰り返し、そのたびに我が家に居候をする。


で、親がいる時と、親がいない時の態度が明らかに変わる。


僕はその姿をみて僕は心底、嫌ーな感じに襲われていた。「お前、きちんと働けよ」だとか「自分できちっと自立しろよ」だとかと子供の頃の僕はいつも僕は考えていた。


もう何年も前に他界したその親族が突如、無意識の中からでてきたのだ。


「・・・何であなたが??」


昨日の実習セッションだけで、「あの親族がいたから、僕は働かなきゃという欲求が強いんだ」と短絡的に結び付けるのはどうか、と思う。


けど、何年も記憶の彼方にいっていたその親族が僕の無意識から現れたのも何かのメッセージがあるのだろう。


自分の心の中は、なかなか奥が深い。

↓関連の過去ブログ

過去の関連ブログ1
過去の関連ブログ2


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
ここ最近は、相変わらず朝は早いですが、夜は早めに帰るようにしてます。で、きちんと自分の時間をつくる。(だからジム通いがとまらないんですけど・・)


自分一人でできることは限られているのだから、生き急いでもあまり結果は変わらないと心底おもった事が転換ポイントだったかもしれないですね。


でも、がむしゃらに仕事をする時期ってのは大切だと思います。仕事の力をあげるには、それしかないですからね。それが心にできた傷が原因でもか?といわれると何とも言えませんが、スクールを通じて自分なりに考えていきたいとは思ってます。


April 3, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)