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2006.07.31

コストの意識

おつき合いのある信用金庫からお金を借りることにした。


納税証明書だとか、印鑑証明書だとか役所に書類をもらいにいった。また、保証人承諾書だとか、個人情報に関する書類だとか、いろんな書類をまとめた。


一段落ついた、と思った時に信用金庫の担当の方から連絡があった。


「納税の証明書(だったかな??)が欲しいのでもう一度、手配をお願いしたい」と。


僕は即座に思った。


「また、証明書をとりにいかないといけないのか・・・??」と。


すでに一度、関係書類は集めたはずだ。再び役所に証明書をとりにいくには、僕は社員さんにその仕事をお願いする。


すると、どうみても10,000円近くのコストがかかる。それを認識していればそうやすやすと、「はい、いいですよ!!お上(?)のいうことですしね」とは言いきれない。お金を借りるための書類にコストがかかるのは本末顛倒ではないか・・・。


では一体、実際どれくらいのコストがかかるのか計算をしてみよう。


例えば、25万円(総支給額)の給料の社員さんにお願いをするとする。会社は、給料以外に、保険代を半額負担したり、交通費を出したり、退職金の積み立てをしたりする。総支給額の1.5〜1.6倍はコストがかかっている。


であれば、この社員さんに対しての月々のコストは40万円程度だ。


それを、働いてる時間数で割ってみる。1日8時間、月に22日働いたとして、176時間だ。その中から、業務に直接関係のない時間を引いてみる。


仕事中の私的なメールやインターネット。だらだらとした休憩や目的のない打ち合わせなどなど・・・どこぞの統計によると、少ない人でも職務中の15%、多い人だと25%〜35%(!)をそんな時間で費やしている。


少なく見積もって就業時間の15%は業務以外のことをしてる、としよう。そうすると、実際の働いている時間は150時間くらい、だ。


これを月々のコストで割ってみる。40万円÷150時間=2,666円、だ。役所に書類をとりにいくのに、2時間かかるとして5,332円、3時間かかるとして7,998円だ。これに交通費、申請費用が加わる・・・。


この書類をとりに行かなくて済むのなら、まずこのコストがかからない。で、書類をとりにいってもらった社員さんに同じ時間で他のことを頼める。・・・とりにいくのといかないで済むのなら大きな差、だ。


であれば、「僕らは書類をとりにいく必要が本当にあるのか??」を考えねばならない。


もちろん、数字で管理するだけが全てではない。数字だけで「得か損か?」だけで物事を判断することはバカバカしいとも思う。


けど、僕らがコストの意識を持たねば、誰が持ってくれるのだろうか??売上がなかろうが、業績が悪かろうが、月々のコストが当然のように出ていくのが僕らの宿命、だ。


で、あれば時にはセコい、といわれながらでも数字には徹底的にこだわり、コスト意識を持たないといけない。


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追記
僕は担当の方に「考えてもみてください??1枚の書類とりにいくのに1万円近くのコストがかかるんですよ」と思ってることをいいました。


その担当者は仕事の感性が優れているんでしょうね。すぐさまこちらの意図(思い?)を理解していただき、関係各所と調整いただきました。結果、書類は必要なくなりました。ありがたいです。


こちらの言葉の背景も聞かずに「そうはいっても決まり事ですから〜」とくるような担当者であったら僕はなんといってただろ?? 経験からこういう担当者の方が大多数、だとは思ってますけどね。

July 31, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.28

次はどうするか??

僕には経営者の知り合いが多数いる。


一代で新しいビジネスモデルを構築した優秀な経営者がいる。社員が次々と新しいビジネスを手掛けるしくみをつくった敏腕の経営者がいる。業界中で最高レベルの給料を支給する、といいきる素晴らしい経営者がいる。


一方で、反面教師になる経営者もいる。


「優秀な経営者の方とそうでない経営者を分けるものは何だろうか??」


これは創業の時からの僕のテーマだった。商売の原則は「うまくいってることをマネすること」だ。


「優秀な経営者を真似すれば、僕だってある程度まではいけるだろう」と考え、ビジネス書を読んだり、セミナーなどにいったり、優秀な話を聞いたりした。

ある時に思った。


「優秀な経営者をつくる普遍的な法則のようなものはないのではないか・・」と。


人間、キャラクターや性格がそれぞれ異なるのだから、他の経営者が上手くいっている秘訣を僕にあてはめたってどうか・・・。


社交的な人、内向的な人、重圧に強い人、事務作業に精通してる人、人を使うのが上手い人、女性と仕事をやると力を発揮する人、攻めに強い人、守りに強い人・・・それぞれが幾重にもからみ合って僕らのパーソナリティーは確立されている。


であれば、自らが自らのキャラにあったスタイルをつくっていかないといけない。普遍的なものなどを求めても所詮は役立たない、と考えた。


だが、今は思う。


「優秀な経営者の共通項は必ず存在する」と。


そのうちの一つは、「次はどうするか?」という質問を常に頭にいれていることだ。


仕事をしてる時はもちろん、遊びに出たときやプライベートの場所まで、「次はどうしていくか??」という質問が頭に入ってる、ということだ。


経営者は会社で先頭を走る役割の人、だ。「次はどうすのか?」を大局的に決めるのは経営者の役割、であってそこだけは優秀な社員だろうが、すぐれた取引先だろうが、委託することはできない、のだ。


「次はどうするのか?」という質問を頭にいれておくのは、優秀な経営者になるための第一歩であり、絶対条件、だと思うのだ。


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追記
その他にも優秀な経営者の共通項はあると思いますが、これ以上のものはないですね。僕は、「早起きする経営者がいい」と思ってますが、夜型の方で素晴らしい会社をつくってる経営者も知ってますし。


あとは自分の志向やら個性と相談しながら、どういう経営者像を描くかだと思います。ただ、「次どうするか?」を忘れた経営者がどんな個性を発揮しても高い成果はだせないでしょう。この質問は僕らの生命線です。

July 28, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.27

サラリーマンは性にあわない

「サラリーマンは性にあわない」


ここ最近、何回かこんな話を聞く機会があった。言葉の主は20代の社会人のみなさんだ。会社に入って数年、といったまだまだこれからの人たちだ。


僕は若い人がこんな考えを持つのは否定しない。「3年働かないと、サラリーマンのなんたるかなど分からない」などというつもりも毛頭ない。


が、一つだけいっておきたい。


世の中はサラリーマン(僕は原則、この言葉は使わないが・・これは後述します)だらけだ。それら「サラリーマンをたんたんと続けている人を前に同じ言葉を口にできるか?」は考えてみた方がいい。

「できない」という人・・・・今後は同じ発言は公の場では差し控えるべきだろう。


君の発言はまだまだ思い付きレベルでしかない。思想や哲学みたいなものに昇華されていない。いずれそのうち、どこかで痛い目をみることになるだろう。


「できる」という人・・・・では、サラリーマンを20年以上続けた人と「サラリーマンの何たるや」について真剣に語れるだろうか??


僕はほとんどの人は「無理」だと思う。


経験が全てとは思わないが、経験に裏打ちされた言葉の重みをなめてはいけない。そんな人を前に「サラリーマンについて」を自分の言葉で語れる訳がない。


要するに安全圏内の発言でしかないのだ。


この発言を聞いた人の多くは僕みたいに噛み付こう(?)としないだろう。「へえ〜若くていいね」だとか思うだろう。そんな大人の「善意」に支えられた発言だ、と僕は考えるのだ。


「サラリーマンが合わない」という思いを持つのは自由だ。「本当に、そういうタイプだろうな」という人は僕の周りにも何人いる。そんなんであれば、自分の中でメラメラと思っていればいいのだ。


もひとつ、僕はサラリーマンという言葉が嫌いだ。(原則、使うことはまずない)


言葉の持つ語感が嫌いで、通常は「ビジネスマン」とか「職業人」という呼び方を使っている。


ということは、「サラリーマンは性に合わないと思うんです」という言葉は「ビジネスマンは性にあわないと思うんです」と言い換えられることになる。少なくとも僕の中では。


「サラリーマンは性に合わないと思うんです」という人が、ビジネスマンとしての自分を否定するとは僕は到底思えない。


こういう問いかけをすると「サラリーマンとビジネスマンは違うんですよ」といわれるかもしれない。


では聞こう、「一体どこがどう違うのだ?」と。


そこには違いなどは何もないのだ。あるのは発言者が持っているイメージ、だけなのだ。


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追記
こういうことを書くと「人それぞれだから」みたいなことをいわれるんだよね。確かに、人それぞれ。


でも、人それぞれってことで話をまとめちゃうと、人間の発展だとか進歩って止まると思うんだわ。


「何かしら発言をする」というのは痛い意見を受けとめるという覚悟を持つ、ということでもあると思います。

July 27, 2006 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.07.26

頼まれごとが、未来をつくる

僕の知り合いに、やたら物事を頼まれる人がいる。


仕事の相談や人の紹介依頼はもちろん、「接待で使う店を教えて欲しい」だとか「祝儀はいくらつつむべきか」だとか、よろず相談所のようだ。


その人はほぼすべて頼まれごとを消化する。時には自分の仕事をストップさせてでも、頼まれごとの力になろうとする。だから次々と頼まれごとが寄せられる。

実は、僕もおそらく人より頼まれごとが多い部類だ。


飲み会の幹事、結婚式のスピーチやらイベントの企画、「こんなことしたいけどどしたらいいか?」「○○のチケットは入らないか?」といった頼まれごとがよく寄せられたりする。


で、自分が可能な範囲で頼まれごとを消化していく。


「いつか自分も頼みごとをするし・・・お互いさま」という気持ちが半分、「せっかく自分などに頼みごとをしてくれるのだから・・・ありがたい」という気分が半分くらいだろうか。自分の手に負えないことは、人を紹介したりもする。


「あの人だったら何とかしてくれるだろう」というのが頼まれごとの根底にはある。で、あれば何とかしてそれを答えるのが僕らの使命といままでは考えていた。


最近は一歩進んで(?)「どんな頼まれごとをされるかが、自分の未来をつくるのでは??」と思うようになってきた。


いまのうちの会社の基軸となっている仕事のほとんどは「頼まれごと」が大きくなったものだ。


お取引先などから寄せられた「こんなことできませんかね??」といった「頼まれごと」が長い年月と試行錯誤を通じて、ひとつの形になったものだ。僕が戦略的に仕掛けたものなどは、実はあまりない。頼まれごとをたんたんとこなしていったら、結果として形に結びついただけだ。


頼まれごとは、すべて美味しい顔をしてやってくるわけではない。時には「面倒臭いことも引き受けたな〜あちゃちゃ」ということもあるだろう。が、自分にそぐわない頼まれごとは基本的にはされないものだ。


僕はこのかた「会社の売上をあげたいので協力して欲しい」という相談を何度もされたが、「どんな洋服を買ったらいいですかね?」だとか「どういうインテリアにしたらオシャレですかね?」だとかの相談をうけたことは一度たりともない。


「自分の未来は自分で決める」というのは聞こえはいいが、自分については他人の方がよく分かっている。


頼まれごとの本質が「あの人だったら何とかしてくれるかな?」である以上、「どのような頼まれごとをされるか??=自分の未来」ということなのだ。


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追記
フリーターで過ごす若い人が増えている、といわれています。そのライフスタイルを否定する気持ちはさらさらないですが、これから!という時期に「頼まれごとを受ける」という機会が少なくなるのは間違いないですよね。


職種、立場はどうであれ「頼まれごとをうけやすい」自分であるようしむけることが必要だと思います。そのためには、いろいろと方法はあるでしょうけど・・・。


僕は、「早起き、人並み以上の努力、できるだけ素直」が大事だと思ってます。あとは「暑い、寒い、忙しい、疲れた、時間がない、面倒臭い」をネガティブな文脈で口にしないということですね。それを姿勢にすれば頼まれごとも次々とはいってくる、と思います。


自分が100%実践できているかはともかく、として・・気をつけるようにはしてますけどね。

July 26, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.25

目標を持て、といわれても

20代中盤ごろ、僕は悶々としていた。


当時の僕は、今で言うところのフリーター。電気工事のアルバイトをしながら、お金をためては旅にでるという生活をしていた。


「好きなことができていいね〜」といわれていたが、実は気がついていた。


少なくとも僕の場合は、仕事が充実しないと好きなことをしていてもつまらない、という事実に。仕事をして誰かの役にたって、何かを生み出してはじめてバランスがとれるのだと身にしみて感じていた。


僕は旅をいかに終えるか、ということを考えはじめた。

そんな時に、いわゆる成功哲学、の本に出会った。


●目標を明確に描きましょう
●目標を絵にしましょう、口に出しましょう
●目標のためにするべきことを予定に落とし込みましょう
●強力な思いが目標達成を実現させるのです・・・


単純な僕は「へえ〜そんなものか〜」と思った。で、教材(教材セットは百万以上!したので、中古品を手に入れた)を使って成功哲学なるものを学んだ。


が、すぐにつまづいた。


目標が明確に描けないのだ・・・


フリーターやってる僕が十年後どうなってるかなんて全く想像できやしない。3年後だってあやふやなものだ。


「目標が明確化しない人へ」みたいなQ&Aがあったので見てみると、「目標が明確化しないのは成功への思いが中途半端だから」みたいな事が書いてる。・・・ってことは僕の思いが足りないということ???いくらかの堂々めぐりの末、教材はお蔵入りしてしまった。


あれから十年、成功哲学について今の僕の考え方、だ。


まず第一に、「全ての人間が目標を描けるわけではない」という現実だ。


人間には視覚に優れた人、聴覚に秀でた人、体感覚が繊細な人・・・いろんなタイプがいる。
全ての人が目標を視覚や言葉でイメージできるわけではない


また、人間には「目標をたてて、そのためにまい進できる人」
「日々のできごとを着々とこなしながら、結果として高いところに向かう人」
と2つのパターンが存在している。


僕はこと日本においては後者のタイプの方が多いのではないか、と思っている。そんな人には、将来の目標は不要、だ。それより、「毎日どう生きていくか?」という哲学の方が大切だろう。


もう一つは、「成功」とは必ずしも口にしたり言葉にできるものではない、ということだ。


「成功した姿を具体的に描く」というが、実は絵に書いたようなことが起こった時点でそれは成功でも何でもなくなっている。


例えば、今から10年前の僕にとって「会社をつくる」ということはひとつの成功イメージだった。株式会社をつくって、社長になって、従業員がいて・・というのはひとつの「成功」のイメージだった。


それが実現した今、僕は成功の余韻に浸っているだろうか??成功したという実感で感涙に打ち震えているだろうか??


・・・そんなことはあるわけがない。


人間の欲は際限がない。成功なんてものを人生のゴールにすえると、その欲求は際限なくなるのだ。「お金=成功」とすると、どんだけお金を稼いでも満足しないような人生が待っている。これが果たして「成功」といえるだろうか??


むしろ、成功ってのは具体的にビジュアル化できるものではないのじゃないかしら??「なんとなくいいな」だとか「なんとはなく幸せをかみしめてる」って感じじゃないかしら??この辺はまだうまくいえないのだが・・・。


僕の友人が会社の研修会で「将来の目標を書く」みたいなテーマが出されたという。日頃、こんな話をお互いにしてるので「将来の目標=なし。今を生ききる」と書いたらしい。


勇気のあるヤツだが、研修の評価は低いだろう・・・。でも、それが僕は成功(というものがあれば、ですが)の本質じゃないかと考えている。


ちなみに僕は「成功」なるものにはほとんど興味がない。「成長」さえすれば「成功」(のようなもの)などは結果的に後からついてくるからだ。(これは以前に本ブログでも書きました)


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追記
成功哲学はやりきれる人にはすごくいいプログラムだと思います。逆に、成功哲学の勉強をやりきれるような人は、成功哲学がなくても「成功」できるのではないかとも思います。


僕は考え方には影響を受けましたが、使いこなすことができなかった人間です。


今日のブログは「将来の目標がイメージできない」という声が僕の周りでいくつかあったので書いてみました。


将来の目標が書けないので悩む必要はないと思います。それよりも「日々どう生きたいか?」を考えたらどうかと思います。


「何を大切にしているのか?」「自分は毎日どうありたいのか?」を明確にならできない人はいないでしょう。その積み重ねが「成功」のようなものに向かっていくと僕は信じてやみません。


July 25, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2006.07.24

確かに「専門」はいいけれど・・・

ある筋から、「マンション販売関係の広告をつくれないか?」という話があった。(もう何年も前のことなので書いてもいいでしょう)


「マンションの完成現場を見せるための折り込みちらし+新聞広告を打ちたい」という。いままで取引していた広告代理店から新しい提案がなくて、どこかいい代理店はないか、という話からの相談だった。


担当の方と数回の打ち合わせがあった。


で、最後に責任者の方がでてきてこう聞かれた。


「大塚さんってマンションの広告やったことあるんですか??」と。


「やったことないですよ」


僕はマンションの広告は専門外だ。だから正直にこういった。


責任者の方からは「なんだ、やったことないのか〜」と明らかに失望した声でいわれた。


この瞬間、僕はこの仕事を受けるべきではない、と思った。


正直、この気持ちは分からないでもない。マンションの広告をやったことのある代理店の方が、やりとりもスムーズかもしれないし、いろんな情報ももっているだろう。


で、あれば最初の打ち合わせの段階から「マンションの広告をやったことがあるかどうか」をヒアリングしておけばいいのに・・・・


僕はこの責任者の方にこういった。


私は確かにマンション広告の経験はありません。が、広告代理店の担当者の価値は「自分の頭で考えること」です。それができるかできないかが代理店担当者の勝負ポイントだと思ってます。


僕ら広告代理店の最終的な目標は、皆さんと一緒に知恵を出すことです。更には、その知恵でみなさんの事業戦略や営業戦略に創発を促すことです


実をいうとその中で、業界の専門知識云々はあまり大きな問題ではないのです。やる気のある人間であれば、1ヶ月もすればだいたいの業界構造くらいは掴むはずです。


そんなことよりも、仕事人としてきちんと頭を使える、という事の方が重要ではないでしょうか?


私が広告の業界でご飯を食べられているのは、「この業界の専門です」などといって安穏としている代理店が存在しているからです。そういう会社の担当者が時代(=お客さまが広告について知りはじめた)の中で、不必要とされはじめているからです・・・(以下、略)


専門家、というと聞こえは大変にいい。が、僕の持論はこうだ。


「昨日の専門家と明日からの専門家は違う」


例えば、ライバル会社がいるとする。


その会社が「うちの会社は○○の専門だ」と打ち出しているとする。でも僕は、「確かに昨日まではそうだったかもね」と考えるようにしている。時代は刻々と変化をしていているのだから、明日その道の専門である保証はどこにもない。


それよりも「うちの会社は専門分野がないけど、各担当者、頭は使えます」っていう会社は怖い。時代はどのように変わろうとも、「頭を使う」という仕事の姿勢は普遍的な価値を持っている。そうそう簡単には身につかない仕事のスキル、だ。


ともあれ僕は、「専門家どうかというより、頭を使うかどうかに価値を置く」というスタンスをとりたいと思っている。


とはいえ、○○専門とやると営業的にはいいんだけどね・・・


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追記
夏休みの予定がいまだきまりません。たぶん今年も海外はありません。11月にニュージーランドにいこうかどうかを画策中です。


あとは、国内の旅をしたいですね。僕が社会人としてのスタートをきった富山や石川はぜひいって仕事の原点を確認してきたいと思ってます。

July 24, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.20

僕と、俺と、私と、自分

「普段、『僕』などといわないのに、なぜブログでは『僕』というのだ?」


ある席でそんな話になった。


確かにそうだ。


僕という幼児性丸出し(?)の一人称は、日常生活の中ではほとんど使うことがない。むしろ嫌いな言葉の部類、だ。普通は、「私」もしくは「俺」、でお相手に応じて(?)「自分」を使うのが一般だ。

なぜ、「僕」にしたかというと「私」でも「俺」でも僕のブログには相応しくないからだ。「私は○○と考える」だとか「俺は○○と思う」とやると、どことなくゴーマンな雰囲気がでてしまうと思ったからだ。(特に文字にすると・・)


僕は経営をすることに関してはまだまだ発展途上、だ。まだまだ幼児レベルだ。そんな僕が経営のことだとか、仕事のことを語るのに「僕」という呼称こそが相応しい。


もし仮に「俺」という言葉で書けば、このブログはもっと過激(?)になるだろう。「俺」という一人称に相応しい内容になるだろう。自分をどのように呼ぶか、はささいなことだが実は重要な問題なのだ。


「他人への呼称」についても同様、だ。


一緒に働く人、お取引先、クライアント、外注先・・・これらの方を分け隔てなく呼ぶ、というのが僕が大切にしている仕事の姿勢だ。


こと仕事の上では「○○さん」や「○○くん」と必ずつけて呼ぶようにしている。あだ名や学生言葉呼んだりすることはほとんどない(はずだ)。


それは、なぜか?


まずは、「あだ名で呼ぶと、皆をあだ名で呼ばないとフェアーでない」からだ。


住宅業界にいた時の話だ。僕を毛嫌いしている営業の先輩がいた。彼は僕に対してだけ「あなた」という呼称しか使わなかった。周りの人には「○○さん」とかあだ名で呼んでいるのに・・・まったくもって失礼な奴だ。


僕はそんなアホで器量のない人間は無視したが、あまり精神的にはよくないものだ。


そんな経験からか、人の上に立ったらだれ分け隔てなく呼ぼう、と思った。小さいことだが仕事をしていく上でとても重要なことだ。

もうひとつは「怒りたい時に、真剣に怒れない」からだ。


リーダーになったら、他人を真剣に怒らねばならないことがある。その時に大事なのは「普段、その人を何と呼んでるか」といったことだ。


ごくごく日常の些細な言葉のひとつひとつが人間関係を形づくる。日頃、あだ名や学生言葉で呼んでいる人間を僕らは真剣に叱ることはなかなかできにくい。(できない、ということではないが・・・)


やり方、方法はいろいろだろうが、怒ったり、叱ったりすることを放棄したらリーダーは存在価値がない。そのための日常的な一言一言に注意を払うのも重要な作法、だ。


とある野球チームの監督は「選手と飲みにでかけてばかりいると選手を真剣に怒れなくなる」ということで、あまり席を同じくしないそうだ。


僕は100パーセントの共感はしないが、この気持ちは分からないでもない。「叱ったり怒ったりするのが大切」というより、「叱ったり怒ったりできる人間関係をつくることの方が大切」と僕は考えている。


「仕事は細部にこそ思想が宿る」と僕の尊敬する田坂広志先生はいわているが、まさに自他への呼称はその通りだと思う。


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追記
週末は自宅でホームパーティー(?)を行ないます。講演をする予定なのでちょっと準備しないといけません。


内容は「ある日、お気に入りのインストラクターがいなくなったら」というテーマです(笑)最近、インストラクターの退職があちこちであって落ち込んでいる人が多いので決死の企画(?)です。


とまれ、真剣にバカをやるのは楽しいものです。


July 20, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.19

誰が事業の戦略をたてるのか???

経営者とは、「事業のスケッチを一番最初に描く人間」のことだ。


「こんな会社にしたい」「こんな戦略でいきたい」ということを考え、更には実践するのが経営者だ。


一般的には「こんなことをしたい」という思いが会社設立の動機になることが多い。だから、経営者は黙ってても、誰かにはっぱをかけられなくても事業のスケッチを勝手に描いていく生き物だ。


ただ、こういうケースがままある。


経営者の他に出資者やオーナーがいるケース、だ。

最近、僕の周りでもよく見られるようになってきた。


出資者、オーナーは経営の一線にタッチせず、オーナーに任命された経営者が経営の実務を行なうケースだ。(僕も最近、ある会社の代表取締役を拝命したが、この会社もオーナーは僕ではない)


この場合、「会社の事業スケッチを誰が書くか?」で揉めることがままあるようだ。


会社組織ではよくありがちな、「それって僕の役割ですか・・・??」ということが経営レベルで起きるといったケースだ。


僕の考えは、「社長業を任命された経営者が実務の責任をとる」ということだ。


事業のスケッチを描いて、次々と打ち手を打っていく戦略をたてるのは実務の責任者の役割であって、オーナーではないと考えている。


で、その戦略がオーナーの考える戦略に適しているかどうかは随時、報告や相談をして擦り合わせをしていく必要があると考えている。


この点をナアナアにしてしまうと厄介だ。


現場の責任者である経営者が戦略を決められない。一方で、オーナーは戦略を決めるつもりがない・・・そんな組織になってしまう。これでは事業はうまくいかない。


せっかく相乗効果を生み出すような関係がありながらこれではもったいない。こんなねじれ現象(?)に悩む組織がすることは売り上げアップの方策を考えることではなく、誰が責任を持って戦略をつくって実行していくのか、をしっかりと決めることなのだ。


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追記
「それって自分の役割ですか??」が生み出す事業ロスは甚大なものがあると思います。僕の基本的な考えは「気づいた人間がやりましょう」です。


僕の役割はこうですから・・・と自らで規定してしまってると新しいものが入ってきにくくなりますしね。少なくとも僕は「それって自分の役割ですか?」というような人間に仕事を頼もうとは思いませんし。

July 19, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.18

賞与について考える

社会人になって僕がはじめてもらった賞与は17万円ほどだった。


「おいおい、給料の他にこんなにお金もらえるのかよ!」と思った。一気にお金持ちになった気がして、寿司屋(当時は石川に住んでいた)で散財しまくった。


その後、何回か賞与をもらううちに賞与の愚痴がでるようになった。「自分はもっとやってるつもりなのに」・・・大学時代の友人が、「3年目で○○円もらった!」などと聞くとどうしても比較してしまう・・・


最初は嬉々としてもらってた賞与なのに・・人間は欲に際限がないのだ、と思った。


数年後、僕はその会社を辞めた。「給料分は稼いで辞めた」と思ったが、それが事実とはほど遠いことは後年、自分が経営をしてみて分かった。余りにも身の程知らずだった。


賞与の原則は、「会社にたまった利益を働きに応じて分配する」ということだ。逆をいえば「利益がでていないのであれば賞与は払えない」のも原則だ。


ただ、「今年は利益がでていないから賞与を払わない」といいきれないところに経営とお金を巡る難しさがある。ほとんどの職業人は賞与はもらえて当然、と思っているからだ。


僕の賞与に決定のプロセスはこうだ。


1.まずは会社の利益予想をたてる。
売上から仕入れ、月々の経費を引いて概算の利益を出してみる。それを従業員の数で割ってみる。


2.本人の査定をする。
「その査定期間に本人がどの程度能力があがったか?」を考える。「どれだけ学びが多かったか?」を考える。「何ができる」というより「何ができるようになったか」を考える。自分なりの仕事の哲学みたいなものができたかどうかを考える。


先輩や上司という立場の人であれば、「指示だとか命令だとかを人にできるか」を考える。「下の人に嫌なことをいえるか」を考える。「教えることにもったいぶらないか」を考える。「人の人生に影響を与えている可能性がある、ということを覚悟しているか」を考える。


3.会社に対しての貢献度を加味する。
会社にどれだけの期間、所属しているか?は一つのロイヤリティーと考えている。「会社にどれだけ所属しているか?」、「その中で何をしてもらったか?」を加味する。年功序列には興味がないが、長く勤続した人にメリットがあるようにはしたいと考えている。


4.で、金額を出す。


5.金額を検討する
「その金額で納得するか?」を自問する。「会社の利益はいまいちでてないんだけど、仕方ないからな・・・」と自分が愚痴をいわないかどうか、を自問する。「その金額を嬉々として支払えるのか??」を自問する。でないと、お金が死に金になりかねない。


6.で、金額がでる。


あくまでも主観的な要素が多い、ということですね。


万人に満足がいく賞与ってのはなんだかんだいって難しいと思います。人間はやっぱ自己評価が高い生き物だからです。


でも、矛盾やら思いやらが錯綜(?)する中で最大限の結果を出すようにするという作業は、経営者を鍛えるにはいい機会なのかもしれません。


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追記
僕はかつて、「もらえる!」と思った賞与がもらえなかった事があります。あの時の落胆はなかったです。


その日は社長を含めて飲みに出ましたが「飲むくらいならその分、賞与に回してくれ・・・」と切に切に思いました。金一封だけでもよかったんですが・・・・


それってボトル一本よりはるかに安い、と思うんですけどね。(すみません、グチでした)

July 18, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.14

インストラクターについて考えてみる

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その瞬間、百人を越える会員で埋め尽くされたジムのスタジオは静寂につつまれた。


インストラクターとしての人生をひとまず終了し、家業を継ぐという男性イントラが挨拶をする。


「なぜ、インストラクターになったのか」
「その過程でどんなことを考えたのか」
「これから何をしていくのか」


・・・見た目は男前(?)だが、性格的には三枚目に近い彼とは思えない立派な一言一言だった。


近くで女性の会員さんが泣いている・・僕も思わず涙がでそうになった。


レッスンが終わって、みな余韻にひたる。彼との思い出などを語ったりする。


「仕方ないよね。家業継ぐのが一番いい選択肢だよ」といって自分を慰めてみたり、「彼が再びレッスンをやるように説得する」と息巻いて(?)みたり・・。


ともあれ、彼と同じ時間、同じ空間を共有する、ということはひとまずの終わりを迎えた。


「・・・なんでジムごときにここまで感情移入ができるの?」


といわれるかもしれない。


僕もかつてはそんな一人だった。


接待だ、会食だ、イベントだといっては夜の予定をいれまくった。深夜のラーメン、お酒のチャンポン、2軒3軒のハシゴ、会社での寝泊まりはごくごく普通の毎日だった。


「運動ばかりしている人間は仕事をしてないみたいだ」「広告代理店の経営者は病気くらいもってて普通だ」だとか妙な理屈をつけて全く運動をしていなかった。一応、ジムには入会したのだが、ほとんど風呂会員に近かった。お風呂やサウナしか使わないグータラ会員、だ。


・・・が、ある時からスイッチが入った。


一つはジムで知り合う友人の存在。立場、性別、仕事を越えて同じ楽しみを共有できるコミュニティーはそうそう簡単に見つけられるものではない。そんな所属の快感を感じてしまった。


もうひとつは、インストラクターの存在、だ。


インストラクターによってレッスンの質は全く変わってくる。運動の量や効果も、天と地ほどの差ができてくる。


「おっ、疲れてたのにこんなに動けた」、「なんだか時間を忘れてしまうな」、「あの人のレッスンにでるとなんだか元気になれる」というのはインストラクターの技能&キャラの成せる技、だ。


僕は幸いなことに何人もの素晴らしいインストラクターに巡り会うことができた。


その一方で、それらのインストラクターとの別れも経験してきた。


人間、高い世界が見えれば新たなチャレンジをしたがる存在だ。


僕が共感するようなインストラクターたちだ。少なくとも、現状のレッスンに満足して、慢心しているような種類の人ではない。次々と自分の力をたかめて、新しい世界を垣間見ようとする人ばかり、だ。


結果的に、いいイントラほど辞めたり、異動したりというひとつのジレンマが生じていくのだが・・。


僕は、彼が辞めるにあたって代わりのインストラクターを探さないと(?)いけない。いろんな店舗にいって「この人は最高だ」という人を見つけないといけない。でないと、毎日の気合いが入らない。


そこで、素晴らしいと感じるインストラクターとそうでないインストラクターについてふと考えてみた。


●運動のセンス・・?(これはある程度ひつようだけど絶対条件じゃないな)
●容姿の端麗さ・・?(確かに重要だけど、性格が暗くて綺麗な人だったらレッスンにはでないな)
●おもしろさ・・・?(確かに重要だけど、面白いだけなら芸人にはかなわないしな)


すると、ごくシンプルなことにいきついた。


皆がみな「僕の目標となるような存在」なのだ。


僕は広告を中心とした仕事をしている。現在のところ、(=将来はわかりません!)将来的な目標としてインストラクターになったり、運動の方でビジネスをしたりするつもりは毛頭ない。


が、インストラクターがレッスンに向かう姿勢、トレーニングを続けて自分を維持させる姿勢、しんどくても明るくふるまっている姿勢、別の業界で仕事をしているが、そんな職業人としての姿勢にきっと共感をしているのだ。


「あんな人になりたいな」という自分の姿をインストラクターに投影しているのだ。


短い人生、だ。生涯で同じ時間を、空間を生きていける人の総数も限られる。で、あれば自分が成長したイメージに近い人と一緒の時間を共有したい、と思う。


僕の中でのインストラクターはそんな存在、なのだ。


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追記
ラストのレッスンには、彼の上司にあたる女性のイントラさんが登場しました。僕も年中、レッスンにでていたカリスマ性のある素敵なイントラさんです。5月末で所属店鋪を辞めて以来ですから久方ぶりの登場です。


こんなに素敵なイントラさんばかりいたんだな〜としみじみと思いました。人間、本当に幸せだったな〜って実感ってちょっと時が経ってから感じるものなんですね。

July 14, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.07.11

原因思考か、結果思考か

「週末、問題がおきまして・・・」


うちの社員さんから話しがあった。


なんでも海外のお取引先と代理人を通じてやりとりをしているのだが、「契約違反ではないか」と連絡が入った、という。「お取引先はかなりお怒り」とのことだ。


「まず、代理人の方とのやりとりをメールで確認してみる」とのことだったので僕はちと違和感を感じた。



僕らがこの場合、すぐにやることは「お取引先の意向をきちんときくこと」だ。その上で「できる限りのことをやっていくこと」だ。間違ってたら誤るべきだし、そうでなければきちんと話をすればいい。


少なくともうちの会社と代理人の方とのやりとりに時間を割くべきではない。その分のエネルギーをお取引先との問題解決のために向けるべきだ。


確かに、事実確認をしないとこちらも対応ができないこともあるだろう。また、今後も同じような問題が起きないように原因を追求しておく、という姿勢も重要だ。


だが、そんなのは問題が解決してからきちんとやればいい。


問題の原因を追求して今後の同じ過ちが起きないようにするのは「緊急じゃないが重要な仕事」だ。クレーム対応といいう「緊急で重要な仕事」に優先順位を置き、労力と時間をかけた方がいい。(というよりかけるべきだ)


いくつかの会社をみてると、問題の対応策に社風が現れるような気がしてならない。

問題がおきた時に「原因思考」の会社がある。


「問題がなぜ起きたのか?」「どうしてこうなったのか?」に時間を費やすタイプの会社だ。姿勢は悪くはないが、「あの人がメールを送らないからだ」だとか「あいつの報告がなってないからだ」だとか「社長が早急に手を打たないからだ」だとか犯人探しの展開になりがちだ。


一方、「結果思考」の会社がある。


「問題を解決するにはどうしたらいいか?」「理想の結果は一体なにか?」「そのためにどれだけの打ち手があるのか?」そんなことを真っ先に考えるタイプの会社、だ。


僕は、結果思考の会社でありたい、と思う。


仕事をしていれば問題が起きるのは当たり前の話、だ。そのたびに原因思考をしていたら会社はすさんでくる。


それよりも、結果思考で問題を解決して、頭がクリアーになった時点で「今後、同じようなことが起きないようにする」と考えた方がいい。きちんと問題をクリアーすればその過程で「同じようなことが起きないための方策も決まってきた」ということも珍しくはないだろう。


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追記
昨日、ジムのインストラクターが退職してラストレッスンでした。お気に入りのイントラが退職するのは5月末に引き続き、2人目です。最近、やたらと別れが多くて寂しい限りですが、新しい道にいってもがんばってもらいたいと思います。


July 11, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.07.10

沢山のお金をもったらどうなるか??

「たくさんのお金を稼ぐことにはあまり興味がないが、お金をもった自分がどのようになるのかは興味がある」と創業の時に思った。


僕は思っていた。「最低限度の生活ができるだけのお金があればいい」と。


周りの人はいった。「お金をもったら人間、必ず変わる」と。


僕がどうなるのかは実体験をしないと分からない。そのためにも高い給料をもらいたい、と思った。


あれから、5期の決算を終えた。お陰さまで創業時から黒字を出すことができた。それとともに僕の給料も増えてきた。まだまだ、たくさんのお金を稼いでいるとはいいがたいが、少なくとも同じ世代の人よりか給料をもらっていることは間違いない。


で、改めて感じるのは「僕は最低限度の生活ができればいい」。


確かに、時計だとかスーツだとかの持ち物は昔よりよくなった。(時計は昔もっていなかった)ご飯を食べたりする店もレパートリーが増えた。タクシーに乗る機会も増えた(時間をお金で買う、という理屈、いいわけ?がつくのだが・・)5万円の築40年近くの住まいから都内の賃貸マンションには移った。


住まいやタクシーはともかく、持ち物だとかは「本当に自分が持ちたいのか?」と思うとちと疑問、だ。


もともと、時計をつけようと思ったのはうちの社員さんから「時計をしていない経営者はダメだ」みたいなことをいわれたからだ。「なるほど!」と思ったので翌日、買いにいったのが今の時計、だ。(ちなみに5分で選んだ。買い物は苦手)


スーツにしても同様、だ。相応にしていないと周りの人に迷惑がかかる、それが経営者の仕事だと思ったから「2着で○○円」みたいなスーツに手を出していないのだ。本当に自分が欲しいのかどうなのかは実は疑問、だ。(うちの奥さんと付き合ってる時に、フリマで50円のネクタイを大量に買ったことがあった。あれにはかなり引いていたが、原則、そんな感じだ)


たびたび書いたが家もクルマももっていないし、長期ローンの類いは一切ない。食事だけは、高いもの安いものこだわらずどん欲に美味しいもの食べたい、とは思ってるが・・・。


なんでだろ、と思った時に一つの仮説がでてきた。


きっと、旅をしてモノを所有しない快感を味わったからだ。


僕はベトナムで25年間旅をしているおじさんと出会った。


30歳の時に1,000万円のお金をもってずっと旅に出ているのだという。「まだ、400万円残ってますよ!」と誇らし気にいっていたそのおじさんの荷物は、セカンドバックのでかいやつくらい、だった。


「パスポートと自分の体だけありゃ旅なんかできるでしょ」


僕はそのセリフが格好いい、と思った。で、実際に旅先での荷物を少なく、少なくしていくようにした。


すると何ともいえない解放感のようなものを味わった、のだ。


・・・・そんな昔のような生活スタイルを今の生活に持ち込むわけにはいかないが、考え方としてはきっとまだひきずっているのだ。


こと、所有欲に関しては収入が増えたからといってかわりはないようだ(たぶん)。逆に、所有欲は仕事の大きなモチベーションであることを考えると、ちと大きなことできそうにないな、とも思うのだ。


まあ、その半面、おもしろいことをやりたい、という欲求は人一倍あるようなのでまあいっすか。


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追記
僕は給料のほとんどを貯金しています。これは会社になにかあったときのために使うためのものです。「最悪の最悪からものごとを考える」という僕の哲学からはごくごく当然のことです。


もしかすると、会社の不安(?)が全くなくなって、お金をすべて使えるようになったときには、めちゃめちゃ所有欲が増えるかもしれませんね。


たぶんかっこういいクルマを買うよりも、「チベットでみつかった鉱石」だとか「ミャンマーの高僧が使ってたお守り」だとかのマニア路線に走っていく、と思いますが・・。

July 10, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.07.06

重圧のマネジメント

今日は関西方面へ出張。


新幹線で『芸術企業論』(村上隆著・幻冬舎)を読んだ。


芸術には、世界基準の戦略が必要である。とうコピーに魅せられた。


要するに「いいものをつくればいい」ではダメなわけだ。アメリカならアメリカの芸術業界(?)の構造を知って、そのための戦略を考えないと世に出ることは無理、ということなのらしい。


モノをつくりだす芸術家がこのような事を語る、というのはとてつもなく面白い。


感銘を受けたく部分はいくつもあったが、特筆すべきは、


是が非でもやりたいことがあれば「是が非でもやらせる」という圧力も必要というくだりだ。


現代の芸術はチームで一つの作品をつくりあげていく。


その中では仕事を組み上げて「報酬と対価に見合うように何が何でもやりとげろ」とプレッシャーをかけていくことが必要だ、と著者はいう。


セナやシュ−マッハなどの一流レーサーは、最高のクルマを作らせるために本気でチームメイトを追い込んでゆくはずです。(P58)


・・・なるほど。


世の中、いいひと流行り、だ。


部下に仕事のプレッシャーをかける上司、は少なくなっているようだ。


自由に、自発的に、個性をもって、といった仕事の進め方や教育のスタイルが皮肉なことに、無勝手で無責任な人間を大量生産した。


僕は、会社は個人の能力を伸ばす場所、だと考えている。


個人の能力が伸びないでより幸せな人生などないではないか、と思っている。更にいうと、高い付加価値をお客さまに与え続ける場所が会社だ、とも思っている。


で、あれば会社として重圧のマネジメントをきちんとかけることはリーダーの重要な仕事、だ。


それは、個人の自発性をつぶしたり、会社の思いを無理強いすることではない。はからずとも組織を率いることになった全ての職業人が持つ姿勢だ。


もし仮に、「メンバーがいうこときかない」と嘆くのであれば「自分はきちんとマネジメントしているか」に思いを馳せる個人でありたい、と僕は思います。もちろん、重圧をきちんとかけているかも含めて・・・。


当然、人間ですから重圧をかけて嫌われるのは嫌ですけどね。それを受けて入れてはじめて一人前です。


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追記
チームにかける重圧にもWBCの時のイチロー式のかけ方と、今回のワールドカップでの中田式のかけ方がある、と思います。今の時代、中田式ばかりでも難しいとは思います。


あくまでマスコミで報道されている限り、での話ですが。

July 6, 2006 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.07.04

かんたんなこと、難しいこと

どこぞの「優秀」大学を出て、僕の勤めていた会社に一人の若者が入った。


「営業の仕事を教えてくれ」と上司にいわれて一緒に同行したり、ロールプレイを行なったりした。


もともと、頭のいい若者だった。すぐに仕事を覚えて、一人営業現場に向かっていった。


人を不快にさせるようなキャラでもないし、人間性だっていいし、話も面白いし・・・「成果がでるのは時間の問題だ」と誰しもが思った。


が、彼は鳴かず飛ばず、だった。


一つ一つの営業活動を分析すると一つの仮説がでてきた。


彼は、「誰でもできる簡単なことをやらずに、難しいことばかりやっている」ということだ。


中堅社員クラスでないとまとめられないような大きな仕事にとりくんだり、意志決定者が大勢いる仕事(=根回しが大変)に果敢に向かっていったり・・・


その姿勢は評価できるのだが、新人であれば身の丈にあったような仕事があるではないか。「もっと今のレベルに即した仕事をやるように」といったのだが、頑として聞き入れない。


「仕事のやりがい」だとか「自分を成長させる」だとか耳障りのいい言葉で反撃をしてくる。


確かに、大きな仕事や難しい仕事は「やりがい」もあるだろうし、「自己の成長」もはかれるだろう。ただ、自分がそのレベルに達していないうちにそんな仕事をしても不完全燃焼で終わらないか??それが今の結果になって現れてるんじゃないか??


思い入れも強い若者だっただけにガチンコトークになってしまった。


あれから10年近くの時間が経った。


彼がどこで何をしているのか、は風の噂でしかしらない。


僕はその後、何人もの人と一緒に働いた。で、たまにこういうタイプの人が現れる。


何度もいうが、むずかしいことにチャレンジする姿勢は大切、だ。ただ、それは誰でもできる簡単なことをしっかりやってからの話、だ。


営業の仕事のケースでいうと、営業日報を書く、時間通りに出社する、きちんとメモをとる・・・これらが第一段階。


次は、簡単で誰でもできるような営業先をきちんと押さえる、・・・それが第二段階、だ。


そんな中で仕事の体力がついてくる。大きな仕事を行なうチャンスの扉が開けてくる。


大きな仕事、難しい仕事はそれからでも遅くはない。と、いうよりそのプロセスなしに本当に地に足ついた仕事などできやしないだろう。


人間は不安になったり、必要以上に自己の成長を求めると自分の実力以上の仕事に走りがち、だ。


自分が目指している夢や仕事のアウトプットが今の自分の現実に根ざしているか、は日々自省していく必要があるだろう。で、ないと燃え尽きてしまうことになりかねない。


簡単なことの積み重ねが自分を大きくするーそれを信じられる人に運命の扉は案外と優しい、と僕は考えている。


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追記
サッカーの中田選手が引退を発表した、と聞きました。サッカーはあまり思い入れはありませんが、一つの時代が終わったのだと寂しく思います。


彼のことは良く分かりませんが、自分の美意識を言葉で打ち出すことができる稀代のアスリートだった、と思います。そんな美意識にファンは反応していたのでしょう。


「人は一人一人に個別性はあるが、誰しもが個性をもっているわけではない」という言葉を思い出しました。個性を打ち出すのも努力が必要、ということですね。

July 4, 2006 | | Comments (3) | TrackBack (0)

2006.07.03

喜怒哀楽を感ずる機会を提供する

僕は毎日、日記(日誌?)を書いて寝るようにしている。


(だいたいが、お酒と睡眠の誘惑に負けてしまうが・・)


ポイントは、「今日はこの言葉(できごと)に刺激を受けた」ということをメモしておくことだ。


それらは自分の内面にある「何か」と共鳴しているから刺激として表出したのだ。これは書き留めておかないともったいない。


仕事に対して何の目的意識ももたない人が、仕事の話を聞いても共鳴するはずがない。


逆にいうと、自分が仕事の話に共鳴を受けたのであれば、自分の中に「仕事に対する何か」が眠っているということだ。それが顕在化しているか潜在下に眠っているかは別にして・・・


つまり、自分が受けた喜怒哀楽という刺激を丹念に拾っていけば、自分という存在がリアルに掴める、という訳だ。


全く話は変わるが、いまだに「旅にでると自分が見つけられる」という迷信(信仰?)が、若い人の間であるようだ。


僕の持論は、「日常生活の中で自分をみつけられない人間が旅にでても、何もみつけられないに決まってるだろう」だ。自分を掘り起こす作業に、日常も旅先もあまり関係がない。


ただ、旅には喜怒哀楽が凝縮している。僕らが自分を知る切っ掛けとしてのできごとが数多く存在している。


ということは、「旅にでると自分が見つけやすい」とはいえるかもしれない。


またまた話はかわる。


僕は優秀な職場リーダーの条件として、「部下や後輩の成長を促すことができる」ということをあげている。


それは、部下や後輩に新しい知識を教える、といったレベルの事ではない。そんなのは、部下や後輩が勝手に学べばいいだけの話、だ。上司や先輩は聞かれたことをきちんと教えさえすればいい。


ではなく、「仕事を通じて部下や後輩に喜怒哀楽の感情を起こさせる」ということだ。あたかも、日常の仕事という範囲の中で、あたかも旅にでているかのごとく喜怒哀楽の機会を提供できるリーダー、だ。


「部下や後輩を喜怒哀楽させることにより、自らに気がつく機会を提供していく」


こんな舞台演出(?)ができるリーダーは秀逸、だ。


そんなことができるリーダーはほぼまちがいなく、自らが喜怒哀楽のある生活を送っている。「喜」ばかりでも「怒」ばかりでもないバランスのとれた生活を送っている。


で、ないと他人に対して喜怒哀楽のある時間を提供することなどできないだろう、し。


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追記
最近、僕の生活は「喜」と「哀」が多いような・・・ジムや旅行いって遊んでばかりいたり、いろんな人との分かれがありましたからね。


「怒」については、最近はちょっと減りました。昔はよく怒ってた、と思いますが・・


「大人になった」という見方もできるでしょうし、「自分を知るきっかけを無くしている」という見方もできるでしょうね。


ただ、仕事を通じて「怒」ことができる姿勢だけは持っていたいとは思ってます。「怒」はものごとを改善していくパワーの源、ですからね。

July 3, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)