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2006.09.28

やる気あるのか??

「やる気あるのか??」


僕はこの言葉を「なるだけ」他人に口にしないようにしている。


理由は明快、「自分がこの言葉を口にされると頭にくる」からだ。


ある企業に勤めていた頃、上司がやたらとこの言葉を口にする人だった。メンバーを集めての会議で「意識が低い」だとか「会社に依存している」だとかの後に必ずこの言葉がやってくる。


とにかく、うんざりだった。

「やる気」っていうのが仕事の成果に大きくかかわってることは当時の僕にだってわかってた。


「やる気」がある状態で飛び込み営業をするとなぜか面談率がよかったり、成約率が高かったりした経験はあった。はたまた、松下幸之助さんや稲盛和夫さんといった稀代の経営者が「仕事の技術やスキル」だとかよりも「熱意」だとか「やる気」を重視していることも知ってた。


けど、「『やる気』ってのは別段、人に見せるものじゃない」というのが僕の持論だった。


「頑張るぞ〜うぉ〜!」といった感じで「赤くやる気を表現する人」だっているし、ものごとを冷静にたんたんとやっていく「青くやる気を表現する人」だっている。


一般論だが、「やる気あるのか?」って人は、「赤くやる気を表現する人」を好みやすい傾向があるようだ。背景には、「青くやる気を表現する人」はなかなか外部からは「やる気」の存在がわかりづらいということがある。


当然のことだが、どっちが優れていて、どっちが劣っているということではない。人間のタイプの違い、だ。


人間は誰しもが「本能的にやる気を発揮したい生き物」だと僕は考えている。そう考えると、ある人がやる気を発揮できないのだとしたら、何かしらの阻害要因が存在する、と考えられる。


それが職場の環境だったり、給料が少ないことだったり、仕事が単調すぎたり、嫌なメンバーがいることだったり・・・であれば、「やる気あるのか?」って問いかけるよりも、その阻害要因をなくすことに時間と労力を費やした方がいい


更にいうのであれば、会社とはそこにかかわる人の「やる気」だとか「自発性」だとかを阻害する要因をとりのぞく一連のプロセス、という側面をもっているとも僕は考えている。


とはいえ、「やる気」の発揮要因の全部が全部、会社(=経営者やリーダー)であるはずもない。個々人が自分を鼓舞する必要だってあるだろうし、精神状態をマネジメントする必要もあるだろう。


「環境が悪いからやる気が起きない」というのは、一部は真理だろうが、僕には若干の違和感がある。


「やる気を阻害されている環境を変えるための打ち手を自分レベルで何かできないか?」を考えてみてからこの言葉を口にしても遅くはないだろう。


追記
僕は、「やる気あるのか?」という言葉は嫌いですが、やる気を否定してるつもりはありません。


むしろ、非常に肯定的に(というより、何よりも重要なもの)とらえています。「やる気がなくなった社員をずっと雇っておく責任は中小企業の経営者にはない」は持論ですしね。


もちろん、この場合の「やる気」とは「赤く表現するやる気」と「青く表現するやる気」が含まれます。

September 28, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.09.27

今日はいやーな一日

朝から健康診断です。


昨日の夜から気が重いです。「体重を軽くしなさい」といわれる以外はほぼ完璧なんですが、なにせ注射が大の苦手なので・・。注射という言葉を聞くだけで、貧血でフラフラモードになります。


ということで朝のブログもこんな感じで。。。終わってしまえば、簡単なことなんですけどね。

September 27, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.09.25

「勝ち組み」と「負け組み」と

最近、テレビや雑誌などで、「勝ち組み」「負け組み」という言葉がよく聞かれるようになった。


西欧の「競争社会」が「格差社会」を生み出し、その中で「勝ち組み」「負け組み」が生まれた、というのがこの言葉が登場する定型ストーリーだ。


が、僕の知る限りでは「勝ち組み」「負け組み」という言葉の定義はなされていない。ただ単に言葉のイメージが一人歩きしている感が否めない。


ただ、こういうフワフワした言葉はメディアにとって使いやすい。


情報をとらえる人によって受けとるメッセ−ジ性が異なるので、多くの人の焦燥感や恐怖感を比較的簡単に煽りやすい。それはダイレクトに視聴率や雑誌の購買に繋がる、というメカニズムが存在する。


僕は人生を「勝ちか、負けか」でとらえるこのステレオタイプの思想(?)が嫌い、だ。


例えばこんな人がいるとする。


ビジネスで一山あてて年収5,000万、都内に高級住宅・高級車を所有し、良妻賢母の妻に恵まれ、子供もノビノビと育っている。健康にも恵まれ、友達も多い。両親は元気で、近所付き合いもばっちり・・・


この人は一般的には「勝ち組み」といわれるカテゴリーに入るのだろう。


が、この人が「もっと年収が欲しい」だとか「もっといい車が欲しい」といって、思い焦りながら生活をしていたらどうだろう??飯を食っていても、旅行をしていても仕事やお金の事が頭から離れない、といったらそれでも「勝ち組み」といえるのだろうか?


僕はそうは思わない、ね。


「もっと、もっと」という思いは、起業したり、いい生活をしたりするエネルギーであることには間違いがない、とは思う。が、ある程度の段階で満足できないと僕らは自分で落とし穴を掘るようなものではなかろうか?しょせん、物やお金では自分を満足することはある程度までしかできないのだ。


人間、分とか器量のようなものが存在する、と僕は考えている。誰でもが努力したら一流の経営者になれる訳がない、と考えている。そこには器量や、センスや、能力や、資質が必ず存在している。


であるからこそ、仕事や生活を通じて「自分なりの分や器量」のようなものの存在をつかみ、その中で精一杯努力する人でありたいと思う。


いつまでたっても、「もっと、もっと」と努力するのも嫌だし、「僕はどうせ負け組ですし」と開き直るのも嫌だ。


まずは、自分の分と器量を真摯に認めること。その中でできる最大限の努力をすること。人それぞれの分や器量に応じた、「勝ち」や「負け」の話にこだわるならいいが、ステレオタイプに「勝ち」「負け」に一喜一憂しなくていい、と思うのだ。


まあ、メディアでいわれてるほど一喜一憂している人は多くない、と思いますけどね。


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追記
今月も最終週ですね。とにかく早いです。11月にどこか海外にいこうと思ってますがいけるのかしら??


September 25, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.09.22

今日のブログ

朝の電話ミーティング(?)が長引き、今日も更新できてません・・・・。


やっぱ、朝起きてすぐ更新しないとだめだな・・。

September 22, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.09.20

見たくない現実をみつめる、ということ

僕の会社では毎日日報を書いてもらっている。理由は2つある。


一つは、文章を書く練習。


文字を書くのは習慣だ。書かないとどんどんその力は摩耗する。更にいうと、書けないと物事をきちんと考えられない。僕らは言葉や文字、考え方やアイデァを仕事にしている以上、まずは書けないとしょうがない。


もひとつは、事業活動で起きている「現実」を一つでも多くすくい上げるため。


「現場で起きている『現実』の積み重ねからしか、新しいアイデァが生まれたり、事業の方向性を決めたりすることはできない」と僕は考えている。


今日はこの「現実」について考えてみよう。

僕の尊敬するコンサルタントは経営者の仕事は3つだ、といっている。

1.現実をみつめること
2.打ち手を考えること
3.責任をとること

この言葉を僕なりに解釈すると、経営者の仕事のベースとなるものは「現実をみつめること」だ。


社員からの報告、お取引先からのご意見、業界・他社の状況、売上のデータ、通帳の預金残高・・・・これらの一つ一つを客観的にみていく。その上で自分の中で「現実が不足している」と思えば社員を通じて関係各所に確認したり、経理データを調べたりする。


その中で「売上が下がってるな・・・」だとか「半年後には人をいれないと大変だな・・・」「社内のシステムを見直さない大変だな・・・」といった「現実から発される声」のようなものが感じられる。


そこからはじめて「打ち手」(=事業の戦略)がみつかってくる。現実を直視せずにたてた戦略など、絵に描いた餅だ、と僕は思っている。


ただ、事実をたんたんとみつめていくと、その中には「みたくない現実」に遭遇することがある。一つの実例を示そう。


創業時になかなかお金を払ってくれないクライアントがいた。ひとつひとつの「現実」を集めていくととても悲観的、だ。


「2月ほどで社員の半数が辞めていた」とうい現実、「社長の机の上に他社の内容証明書が2通おかれていた」という現実、「社長の出社時間が不規則になった」という現実


「信用調査をしたらブラック判定だった」とういう現実、「無謀とも思える新規事業をはじめた(=だいたい会社を整理する段階になると最後は打上花火をあげようとする)」という現実・・・・・・・「こりゃやばいな・・・」と途中から事実をみつめるのがしんどくなってくる。


僕らは多くの場合、ここで現実をみつめるのを辞めてしまう。現実を直視するのはしんどいため「そうはいっても長い付き合いだろうし大丈夫だろう・・」とかいって自分にとって都合のいい解釈をしてしまう。安易な解決策(のうなもの)にすがってしまいがちになってしまう。


が、ここは陥りやすい罠、だ。


この場合は「お金を払って貰えないかもしれないかもしれない、という状況だという『現実』」をきちっとみつめる必要がある。その中での「打ち手」を考えないと痛い目にあう。


結局、この会社は数ヶ月後に倒産、創業時の会社にとっては少なくない額の未回収金がだけ残った。僕はこのケースを通じて「見たくない現実を見つめることの大切さ」を学んだ。


この「現実をみつめる」とういうのは、何も経営者だけの仕事ではない。


職場には、管理職なら管理職なりの、現場担当者であれば現場担当者なりの「現実」が存在している。仕事の第一歩はまずはその「現実」を集めること、だ。その上で、管理職なら管理職なりの、現場担当者であれば現場担当者なりの「打ち手」を考えることだ。


まずは業務を通じてさまざまな「現実」を集めないと、何事もはじまらない・・・。


その上で、「このままいくとやばいな・・・」と思ったり、「報告しておいた方がいいな・・・」と思えば上長に報告をしていかないといけない。経営者が見つめる「現実」、管理者がみつめる「現実」、現場担当者のみつめる「現実」、これらが同じであるはずがない。


経営者や管理者は現場でおきている「現実」にひとつひとつ関与するのは物理的に不可能だ。だから、相談をする報告だとか相談だとかをしていく必要があるのだ。


で、報告をするのであればきちんと「現実」で報告をすること、だ。


僕は「〜だと思います」「たぶん〜です」という報告がくると決まってつっかえす。それは「現実」を見切れていない、とういうことだからだ。


「〜思います」だとか「たぶん〜です」ということは、ひとつひとつの「現実」を確認しさえすれば多くの場合カタがついてしまう。


あまり窮屈にやるのも考えものだが、「思いますってのは誰が思うの??」だとか「たぶんってのは何がたぶんなの??」といって「現実」にアクセスできるようにしむけるのは大事、だ。


その中で、「『見たくない現実』をどの程度見きれるか」が仕事人としての力量だと僕は考えている。「現実を見きれる」現場担当者もいるし、「現実をみきれない」経営者もいる。


現実を見つめる、というのは本当に難しい。


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追記
週末は韓国にいってきました。焼き肉に、プルコギに、海鮮鍋に・・・腹一杯食べて、お酒ばかり飲んでましたが、体重を図ると1キロ痩せてました。運動ばかりしててもまったく痩せないんですけどね。

September 20, 2006 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.09.15

直感と、論理的判断と

200609141811000


「人材派遣」と「人材紹介」の許可証を取得しました。


僕の本業は広告をはじめとする企業の販売促進業ですが、今後は人材派遣などを事業を合法的に(?)できることになります。(既に登記簿も変えました)


ある日の朝、「人材派遣の免許を取ろう」とふと思いついたのがきっかけです。


そこには、「ビジョンに基づいた戦略」など高尚な(?)ものはありません。ただ、あくまで思いつき、「とりあえず取っておくか」といった直感、です。



ただ、僕はそういう感覚を大事にします。「これをやっておくといかも・・・」というように直感が振ってくるというのは何かしらの意味があると考えています。


更にいうのであれば、「直感を磨くために仕事をしている」とも考えています。直感って、人間の五感を超えたところにある極めて感覚的なもののような気がしますが、実は非常に論理的なものです。


さまざまな情報やデータ、仕事をした経験が人間の潜在意識にインプットされ、それが頭の中で熟成(?)されて「直感」として僕らの目の前(頭の中?)現れてくる、と考えています。


ですので、「自分が知らないこと、やったことないこと、関心のないこと」には直感は働きません。僕なら、広告の仕事に関しての直感は多少は働くでしょうが、「今年の秋に売れる洋服は?」だとか「○○社の株がどのように推移していくか?」などの直感はまったく働きません。


自分の直感が働く分野を極める・・これはビジネスマンとして大切な心得だと思います。


と、いいながら「直感」を100%頼り切れない自分もいます。どうしても論理的に「判断」をしてしまう自分もいます。


今回の人材派遣の許可証もそうです。「取ろうかな??」と直感がふってきても、論理的に考えるといろいろと考える余地があります。


●「お金がかかるな・・・」(申請を外部の方にお願いしたのでそこそこお金はかかりました)
●「面倒だな・・・」(研修だとか、計画書の提出だとか面倒なことはありました)
●「参入している会社が多い=競争が激しい、だな・・・」(いっぱい、申請にきてる会社があります)
●「許可証を活用できるかな・・・」(アイデァ勝負、でしょうからね)


などなど。論理的に判断をしていくと躊躇してしまうことが沢山です。


でも、僕のいままでの経験からいうと「論理的な判断よりも直感の方が多くの場合、正しい」です。


ふと思いついた「直感」を、実務レベルで仕事に落としていくには当然「論理的な判断」が必要です。けど、事業のスタート時点では原則、「直感を信じるというスタンスがいい」と考えています。


さてさて、「直感」で取得した人材派遣の免許ですが、どうなることでしょう・・・頭の中にいろいろと構想はあるのですけどね。

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追記
明日から韓国にいってきます。1年半ぶり、3回目の訪問です。時間があれば、「NANTA」にもいちどいきたいですね。


September 15, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.09.13

9.11から5年がたちました

あの日、会社に寝泊まりしてました。1月に会社ができてから8ヶ月、どうにかこうにか軌道にのりはじめた頃です。


社員が3人に増えて、新しいお客さん(後に億の仕事をやらせていただきます)と今後の事業の話をした頃です。一日の生活のほとんどを会社に費やしながら、何とか手ごたえのようなものを感じていた頃です。


会社で焼酎を飲みながら、テレビをBGM(?)にして広告の原稿を書いていました。その時、「ニュースステーション」で見かけた光景は衝撃的でした。


直感的に「戦争がはじまる」と思いました。

「せっかく会社が軌道に乗ってきたのに・・・」と思いました。「自社にどんな影響があるのだろう?」と考えました。仕事がストップしたり、クライアントに影響がでて、業務やお金の流れに滞りがでないか?と思いました。


反面、不謹慎ではありますが「ひとつのチャンスだ」とも思いました。世の中が混乱した時にはいろんなチャンスの萌芽が芽生えるのは歴史の常、だからです。


次の瞬間、「友達はいないだろうな??」と思いました。僕の知り合いは世界を旅している人が多いので、皆の安否が気になりました。「インドやチベットを旅行しても、まさかニューヨークの高層ビルに登ってる奴はいないだろうな・・・」と思いました。けど、気になる数人の友人に連絡をいれました。


その次の瞬間、「ビルの最上階にいたらどうするか?」と思いました。下から迫ってくる炎と煙りを前に、僕だったらどうするのだろう?と思いました。


その次の次の瞬間、「できすぎた映像だなあ」と思いました。戦争映画さながらのテレビの映像は何となくできすぎのような気がしました。


数十分のうちにいろんなことを考えました。


後日、真っ先に仕事のことを考えた自分がいたことに気がつきました。会社をやっていく、という使命感のようなものがふつふつとできあがってきた頃の話です。寝ても覚めても仕事のことを考えていました。家に帰るのがなぜか怖くて、会社に寝泊まりしてました。


僕は大学で昭和の歴史を勉強しました。日本と中国との戦争から、東京裁判までを専攻しました。おそらく、ごくごく普通の方よりも「戦争」だとか「国際関係」だとかについては関心がある方だと思います。


けど毎年、9.11のニュースに接するたびに思う事は、「あの頃の職業人としての自分に近付けるか?」ということばかりです。


ここ5年でいくつもの経験をしました。「不安や心配などについての耐性」もだいぶできましたし、人間関係が広がり、職業人としてのスキルも5年前よりはついた、と思います。


けど、あの頃に持っていた何かが足りないような気がしてなりません。


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追記
「歌舞伎町のビル火災」が確かニューヨークのテロの10日ほど前だったと思います。


「麻雀店がテナントで入っている」という報道でこの時は真剣にあわてました。お客さんで新宿で麻雀を打つ方がいらっしゃいましたからね。


September 13, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.09.12

上司に求められている能力とは?

雑誌『PRESIDENT』(第2・第4月曜日発行)最新号で非常に考えさせられる一文にぶつかった。


「いま上司に求められている能力とは何か」


そう尋ねていったとき、マネジメントの研究、開発に携わる人たちが異口同音に取りあげるものがある。意外なことに、それは「人望」なのだ。(P87)

(略)

リーダーが発するメッセージのなかから一貫性、平等性、気配りなどを読み取って人望のあるなしを判断し(チームに ※)参加するかどうかが決められている。 ※は大塚注


僕はこの意見に大賛成、だ。

組織のマネジメントに、カウンセリングやコーチングなどのスキルを使うのは確かにいい。


が、僕の考えるマネジメントの成立要因は「リーダーが下の人に『まともかどうか』を認められるかかどうか?」が根底にある。


極論(で、私論)だが、「うちのリーダーはまともな人間だ」と認知されれば多少の無理をいってもリーダーと部下との人間関係など崩れない。が、「まともじゃない」と思われれば、どんなにリーダーがさまざまなスキルを学んでも人間関係は(長期的には)崩れていく。


その上で、「自分の生活だとかの安定に対して身を張ってくれるかどうか?」だとか「自分が成長をしていくための機会をもらえるか?」だとかの要素がメンバーにとっては重要になっていく。


そんな思いを実現させてくれるだろう、というリーダーが「人望がある」とされるのだろう、と僕は考えている。


では、そんな「人望」を僕らはどうしたら身につけられるのか??


ひとかどの経営者が書いた本などを読むと、「人望をつけるには古典を読んで人間を知る」だとか書かれていたりする。


けど、僕の感性では「人望をつけよう、って目的で古典を読む」時点でアウト、だ。そこには底の浅いコンビニエンスな思想が見え隠れしているような気がしてならない。「何かを得るために何かをする」という思考回路をいかに断ち切るかが僕ら経営者には大事、だ。


そこには競争が働くし、思考の省略が働くから、だ。(この手のことは何度も書きました)


僕は逆説的だが、人望を得るには「人望を身につけようという目的で何かをしないこと」がまずは大事だと思う。


僕らは実務家、だ。


古典をを読んで人望をつけるために時間を費やすのであれば、仕事をした方がいい。これから先の事業について思索を巡らした方がいい。


それらの試行錯誤の中で、腹の痛い事があったり、物事がうまくいかなかったり、とする。その過程で反省したり後悔したりする。その中ではじめて「人望」の萌芽ようなものができていくのではなかろうか?


仕事をしてきた、という経験が自信をつくり、その自信がより高い自分へと向かう原動力となっていく・・・それが仕事に対しての哲学を生み出し、結果的には「人望」の形成へとつながっていくのではなかろうか?


今の時代、組織のマネジメントに「人望」は必須条件だ。だからといって、「人望」を追い求めるのは本末転倒、だと僕は考えている。


これらのものは、追い求めると逃げていような気がしてならない。たんたんと何かをやった「結果として」しか手に入らない、と思うのだ。


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追記
今回の『PRESIDENT』には僕の好きな田坂広志先生の寄稿もありました。


リーダーシップの格言に「自分の原則を持っている人間が、最も柔軟である」という言葉があります。


「これだけは絶対に譲れない」という原則を持っていない人間が柔軟になろうとすると、単なる無節操に陥ってしまいます。


このブログで「あーでもない」「こーでもない」と分かったように書いている自分に一時期ぶれそうになった時があります。(偉そうに、だとか陰口を叩かれたので・・・)


この一文に接して、僕は「柔軟性を持つために自らの原則を持つんだ」と思おうと痛感しました。

September 12, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.09.11

【日記】週末はよく寝ました

金曜日は久方ぶりに飲みにでて、帰宅したのが2時半すぎ。たいして飲んではいないのですが、最近は遅くまで起きてるだけで体力を消耗します。


そのまま眠りについて、目が覚めたのが土曜日の16:00。実に、13時間あまり、久方ぶりによく寝ました。


すぐさまジムにいく準備をして18:00すぎからのレッスンへ、終わって焼肉を食べて、また23時くらいには寝て・・・・

200609092101000


目が覚めたのが日曜日の10:30すぎ。これまた、12時間近く寝ました。


すぐさまジムにいく準備をして14:00すぎからのレッスンへ、終わってジム仲間と「世界一の杏仁豆腐」を食べにいって、池袋で買い物をして、マッサージにいって。またまた23時くらいには寝につきました。

200609101654000
眠りは全ての基本、ですね。憑き物がとれたように、体が軽くなりました。僕は寝タメができるので、たまにめちゃくちゃ睡眠時間をとります。何もなければ24時間近くは眠れると思います。


会社をつくった頃は、寝ているとなんだか不安になって寝つけない、ということがありました。


けど、今はそんなのほとんどないですね。どうせ考えたって状況は変わらない、というふうに思うので。であれば、寝てた方がいいや(というより、寝てると状況が変わってることが多い)と思うのです。


週末ばっちりと寝たので今朝はばっちり5時に目覚めました。今週もたんたんと業務にいそしもうと思います。


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September 11, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.09.08

きまぐれで・・・

200609061659000


「諸君、春の風を爽やかな頭で迎えてみないか・・」


ある日、部室に統制長のこんなお言葉がホワイトボードに記されていた。今から15〜6年ほど前、僕が所属していた大学の部活での話、だ。


統制長とは、部の規律を徹底する役割の人。主将よりも、副将よりも怖い。原則、幹部(4年生)の中で一番のうるさ型(?)が任命される。


その統制長からのお言葉、だ。「頭を短くするように」と直接的にいわている訳でもないのだが、真意はその辺にあることは明らか、だ。ただ、「どの程度、頭を短くすればいいのだろう??」と僕らは考えた。

結局、僕らは自発的に(?)角刈りになった。まさに、「春の風を・・・」という奴だ。統制長からは「おおっ!気合いはいっていいねえ〜」とお誉め(?)の言葉をいただいた。どうやら統制長の真意に僕らの髪型は近かったのだ、と思った。


僕がいた部では「男らしい髪型」というのが暗黙のルールだった。


で、なぜか分からないが推奨髪型(?)として「角刈り」と「アイパー」があった。当時は学生服を着て大学にいってたので確かにこれらの髪型は学生服には似合ってたのだが・・・。


お金がないと角刈りにして、お金に余裕があるとアイパーをかける。一度、「アイパー」と「アイロンパーマ」といい間違えて、終わったら「アイロンパーマ」になってたこともあった。いわゆる「パンチパーマ」だ。時あたかも、就職の面接の時期・・・僕はパンチパーマで就職活動をしていた。


後年、髪型に対してあれやこれやいう部員もでてきたみたいだが、僕はどうでもいいことだと思ってた。逆に、一生の一時期にアイパーにしたり、角刈りしたり、パンチパーマかけたりした方が面白いのに(=将来のネタになる)くらいに思っていた。社会人になったらなかなかできないからね。


その考えは原則、今でも同様だ。


僕は一度でいいから社会人になって坊主頭になりたかった。なんとなくそんな姿勢って恰好いいではないか・・・と思っていた。(アントニオ猪木さんがいきなり坊主になったことがあったのが根底にあるのかしら??)


ただ、僕は体がでかいので今のままで坊主になったら海坊主みたいになる。「4キロ痩せてから坊主にしよう」と決意してジムに励んだ。


・・・が、なかなか減らない。。。そんなことをいってるうちに坊主頭シーズンの夏が終わりに近づいてきた・・・。来年かな、と思っていたのだが・・・


やってしまった・・。


美容師さんの「本当にばっさりいいんですね?」の問いかけに多少動揺はしたのだが、ばっさりといってしまった。ここまで短くしたのは高校生の時、以来だろうか・・。


昨日お会いした方の感想は
●視線をどこにやっていいか分からない・・・(み、みたいですね)
●頭洗うのが楽そうでいいですね・・・(確かに!何人にもいわれました)
●これからは事前に相談してください・・・(って、ダメだってことかしら?)
●セクシー&ダンディーって感じですね(もち、半分冗談でしょうけど)
●スーツが似合わなくなりますね(自覚済み、です 笑)
●松平健みたいだ(これは何人かにいわれましたが、ありがたい言葉がけですね)
●奥さんと喧嘩でもしたんですか?(喧嘩すると坊主頭になるんですか? 笑)


などなど。一番のヒット(?)は「A歯建築士に似てますね!」だろうか。ってか、髪型だけだと思うんだけど・・・。


ともあれ、髪をばっさりときりましたのでみなさんよろしく!まあ、特別、深い意味はありませんのでで詮索なきよう・・・。


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追記
次の髪型は未定、ですがしばらく短い路線でいこうかなと思ってます。スポーツクラブいって鏡みたらごっつくてまいりました。まじめにちと痩せようかと思ってます。


September 8, 2006 | | Comments (7) | TrackBack (0)

2006.09.06

まじめすぎるのも・・2

昨日のブログで「まじめが美徳とされるのは、義務教育までだ」と書きました。


すると、ある方から「まじめでなぜいけない??」とメールが入りました。


本人の許可ももらったので、追加で説明をしたいと思います。


まず、僕は「まじめ」を否定しません。


社員を採用する時に、「まじめでなさそう」な人を採用はしませんし、近い人が「まじめでない人」と結婚しようとしたらたぶん反対するでしょう。「まじめ」なお取引先には誠心誠意やりたいと思うでしょうし、自分に子供が生まれたら「まじめに育って」と思うでしょう。


けど、経営者やリーダーが自らの生き方として「まじめ」を美徳とするのはどうか?と思います。それは、「まじめ」には柔軟性がないから、です。


例えば、僕の仕事である「広告」でいうと、「まじめ」に物事を考える方ほど、広告はありきたりのものになります。


「安さ爆発!」だとか「大セール中!」だとか、決まりきった文句(クリシェ)が並ぶ広告をつくります。


「これって他の会社の広告そのままじゃないですか?」と話をしても、ご本人に「遊びの要素」が弱いために、発想を飛躍することができません。


結果的に「まじめ」に「真剣」につくった広告のレスポンスがない、ということにつながっていきます。ご本人は、「まじめ」に商売をやってるのですが、結果がついてこない、ということになります。


で、最大の悲劇は結果がないことを自省して、「まじめさ」が足りないと一層の努力をしてしまうことです。努力やがんばりが足りない、と自分を責めて更なる努力をしてしまうことです。


「まじめ」になりすぎない、ためには生活の中に遊びの要素をつくること、です。遠回りのようですが、「まじめ」すぎる方には一番の処方箋、だと僕は考えています。


偉そうに「まじめ」について述べましたが、この問題(?)は僕自身の課題でもあります。


僕は、『明日のジョー』や『巨人の星』、『空手バカ一代』などのマンガを読んで成長しました。


これらのマンガの根底に流れている基本的な思想(?)は「人生求道」の思想です、「努力賛美」の思想です。頑張れば現状を打破できる、という思想です。


だから、僕は仕事の成果がでないときや物事がうまくいかないときは、「自分の努力が足りない」と思考してしまいがちになります。で、どんどんとマイナスのスパイラルへと向かっていきます。


ただ、僕の職業人としての経験からいうと、無理くり頑張るよりも、ボーっと寝ている方が上手くいったりすることがあります。旅行にでもいって問題を直視せずにいた方が上手くいったりすることもあります。


それは「まじめすぎるとダメだ」と神様(?)がダメ出しをしてるようでもあります。


そんな経験から、「まじめ」すぎはダメだ、と思うのです。


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追記
最近、ブログの読者がやたらと増えているような気がします。何かあったのかしら・・・??


僕にとっていい話であれ、耳の痛い話であれよければコメント残してくださいね。今日みたいに、そこからテーマが広がることもありますので・・。

September 6, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.09.05

まじめすぎるのは・・・

「ワクワク、ドキドキ仕事をする」


そんなフレーズが何年か前から見かけられるようになった。


なかなかうまいキャッチコピーだ。


多くの人がこの言葉に反応したということは、今の仕事が「ワクワク、ドキドキ」ではない人が多数いるといるということなのだろう。そんな時代背景をみごとにとらえたコピー、だと思う。


でも、ちょっと考えると「ワクワク、ドキドキ」だけでプロの仕事が完結することはありえない。(アマチュアは別、ですよ)

アマチュアのように自分のできる範囲のことだけをやっていれば「ワクワク、ドキドキ」もあるだろうが、プロの仕事とは自分のキャパシティーを超えることを行なうことだ。だから、序々に新しい世界が見えるようになっていくのだが・・・そこには、「ワクワク、ドキドキ」だけではなく、不安や恐怖感が必ずつきまとうはずだ。


そんな不安や恐怖を感じない(=ワクワク、ドキドキで仕事をしていける)という人は、「生来のお気楽主義」「現実を見つめない人」のどちらかではないだろうか??


案外と、現実を直視したくないためにポジティブシンキングを装ったり、新しい仕事ばかりやる人というのは多いものだ。


僕らが仕事に向かうに対して抱える不安や恐怖、これらの感情に蓋をして「ワクワク、ドキドキ」とお題目と唱えても、抑圧された感情は解消されないままで残っている。


で、不安や恐怖といった未消化の感情が時に頭をもたげるのを「ポジティブシンキングだ」だとか「ワクワクドキドキだ」だとか、頭で処理をしようとすると心と思考にギャップが生じてくる・・・


そんなんであれば、不安や恐怖って感情を「ネガティブだ」だとか「マイナス思考だ」だと悪く考えるのではなく、「仕事をしてれば当然に生じるもの」と認めた上で、正しい付き合い方を学んだ方がいい。


一方、そんな「ワクワク、ドキドキ」と対極にいるのが「仕事はしんどいもの」というタイプの人、だ。


常に不安や恐怖、プレッシャーや重責と戦いながら仕事をしている人、だ。仕事に向かう姿勢としてはまじめで実直、だと思う。


けど、1日の大半を過ごす「仕事場」が、いろんなプレッシャーを受ける場所になってしまってもつまらないのではないか、と僕は考える。


あとは、そんなタイプの人が社長だったら社員さんはしんどいだろうな、とも考える。別段、仕事は「苦行」でも「刑罰」でも「我慢」でもないのだ。


かつて僕がいた会社では月に2〜3度、営業責任者が「この苦しい困難な時期を乗り越えよう」みたいな激励文を送ってきた。僕はこの手のノリは嫌いではなく、そんな文章が送られてくるたびに自分なりに刺激を受けていた。


けど、今、冷静に考えてみると、この激励文って僕ら読み手の潜在意識に「今は困難な時期だ」と植え付けてる、ということだ。長いスパンでみるとものすごく組織の力を削いでること、なのだ。


営業の責任者が今の現実を見つめて「苦しくて困難だ」と感じるのはいい。けど、それを一社員にまで「共通認識」として広げてどうするのだろう?「苦しくて困難だ」と勝手に押し付けるのはどうなのだろう??


社員にはない不安や恐怖を感じるのは、経営者や営業責任者の責務の一つ、だ。で、それを感じきれるからこそ、リーダーはリーダーとしての立場でいられるのだ、と僕は考える。不安や恐怖にさいなまれて、メンバーに共通認識として広げてはリーダーの責任放棄、だ。


「そんなこといったって、うちの社員には危機意識が足りない」といわるかもしれないが・・


社員さんはそれぞれの立場、それぞれの視点に応じた「不安や恐怖」を感じているはず、だ。(感じない人は無論、いますでしょうけどね)それをリーダーの立場からの不安を植え付けてもしょうがないではないか。


僕の理想は、「ワクワク、ドキドキ」と仕事もできるし、不安や恐怖とも向きあえる、という姿勢を持つこと、だ。更には、「まじめは大切、けど、まじめになりすぎない」というスタンスを持つこと、だ。


まじめが美徳とされるのはしょせん義務教育まで、ですからね。


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追記
大学時代からの友人が結婚するとのメールを今朝もらいました。


彼女は僕が大学時代に大変にお世話になった新宿のスナック(というのかしら・・・?)のママさんの娘さんで、若いときからお店に顔を出してました。


僕の原点、ってこの時代にお世話になった方によって形成されたものです。不義理をしてしまってる人間関係もありますが・・・感謝の思いは持ち続けたい、と思います。


当日はかつての先輩もこられる、とのこと。・・・何事もおこらねばよいのですが・・(笑)ともあれ、結婚おめでとう!

September 5, 2006 | | Comments (1) | TrackBack (0)

2006.09.01

夏バテ!?

ここ数日、元気がないです。


僕の場合の元気の判断基準は「朝の目覚めの感覚」&「朝の目覚めの時間」です。


普段は、目が覚めてすぐさま活動を開始(それは芸術的な寝起きのよさ、です)しますが、ここ数日は「もちっといいだろ」っと二度寝をしてしまいます。


本を読む気力が湧かないし、ジムにいってもすぐバテる・・・どうやら夏バテのようです。本来、まとめなきゃならない案件があるのですが・・ちと手付かず、です。


僕は図体が大きいからか「夏バテなんかになるの??」といわれます。けど、実は普通の人よりもかなり体が弱い、です。


子供の頃から心臓だとか喘息だとかの病気があって、年に4回(季節の変わり目)はほとんど体調を崩しお医者にいってました。(だからいまでも医者が怖いです)


だから普段は「疲れる前に休む」ようにしてるんですが、今年の暑さと体力の過信(体が弱いのですが、体力には自信があります)がキャパを越えてしまってるようですね。(確実に歳も重ねていますし・・)


経営者の行なう判断は、その時の環境や体調に大きく左右されます。


上昇気流に乗っている時の判断と、下降ぎみの時に行なう判断はやはり違います。下降ぎみの時に行なう経営判断は、どこか根底に「恐怖(このままいってしまうのではないか、という意味で・・)」があるように思えてなりません。そんな怖れや不安が経営者の判断を微妙に誤らせます。


体調も同様です。


事実を集めたり、面倒な案件を考えたりする力(=体力や耐力)が体調不良で削がれていてはマトモな判断はできません。一番やっかいなのは、そんな状態でも「自分はまともな判断を行えている」という過信を持っていることです。


体調が悪い時には大好きなものでも食べて、よく寝るに限ります。僕は元気が入らない時は、天津丼&餃子&ビール(&ピータン豆腐)の組み合わせを食べます。


一種のおまじないみたいなものですが、昔からそうでした・・・。


「健康は社会人にとっての最大のマナーだ」と僕は社会人になったころある先輩に何度もいわれました。


会社を代表する経営者もそうですね。仕事のしすぎ、接待のしすぎ、酒の飲み過ぎなどによって体調を崩すのはお取引先や社員など事業活動にかかわる人に対してのマナー違反だ、と思いました。


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追記
8月も終わりましたね。実感が全く湧きません・・・。旅行にいかないと月日のペースがまったくつかめないようです。

September 1, 2006 | | Comments (6) | TrackBack (0)