« September 2006 | Main | November 2006 »

2006.10.30

ストロングスタイルよ永遠なれ

「燃える闘魂」


僕の好きだったアントニオ猪木さんを象徴するキャッチフレーズ、だ。

Scan

このフレーズを聞いた時に、プロレスマニアの40代(もしくは30代の方も??)の方であれば、あるシーンを思い浮かべるかもしれない・・・。


流血にそまった顔面を相手に向けながら「もっとこい、この野郎」とすごい形相でにらむ猪木さんの姿、だ。


そう、昭和の時代(たしか、昭和56年くらいまでだったかな)のワールドプロレスリング(金曜日の20:00〜)のオープニングのシーンだ。


この当時「猪木さん=ストロングスタイル」、「馬場さん=ショーマンシップ」という図式ができていたが、その原因の一つがこのオープニングシーンの映像だ。(あくまでも持論です)


だって、毎週毎週、猪木さんのレスラー人生の中で最高の映像がテレビで流されるのだから、多感な小学生(その多くは、「俺も強くなりたいなあ〜」と漠然と思っている。でも努力はしたくない 笑)がはまらない訳がない・・・・。


実は、そのオープニングシーンで猪木さんと戦っていたのが頭突きの名手・大木金太郎さんだ。


猪木さん、馬場さんとくらべると派手さがないので今一つメジャーではないのだが、一時期は「猪木、馬場、大木」で三羽烏などを呼ばれたこともある実力派、だ。


その大木さんが先日亡くなった。


晩年のレスラー人生は決して恵まれたものではなかった。


自身が団体を持たなかったために、猪木さんや馬場さんらの団体を主戦場にして戦うことを余儀無くされた。ともすると実力はありながら、「噛ませ犬」っぽくスター選手の引き立て役として扱われたこともままあったようにも1ファンとして思う。


が、大木さんは僕の中でとてつもない存在感のあるレスラーだった。それが冒頭の「大木VS猪木」の戦いだ。


当時、日本人と外国人(主にヒール役)の戦いが主流だったプロレス界において、この戦いはセンセーショナルだった。頭突きの猛攻に耐えて、最後は綺麗なバックドロップで決着がついたこの戦い、派手な技も飛び出さず、格闘家らしからぬパフォーマンスもなく、まさにストロングスタイルの原点のような戦いであった。


僕は今の格闘技に関しては、「テレビではよく見るが、チケットを買ってまでみようとは思わない」というスタンスでいる。


それは、無意識のうちに「猪木VS大木」といったとてつもない名勝負と比べてしまう自分がいるから、だ。それは一生懸命に戦っている格闘家に対して、選手に感情移入しているファンに失礼だからだ。


さりとて、僕は格闘技が嫌いではない。


いつか「猪木VS大木」のような、見ただけで鳥肌のたつような試合をライブで見られたら最高だ、とは常々思っている。


そんな戦いを繰り広げた大木さんの訃報、心よりご冥福をお祈りしたい。


追記
早いもので10月も終わりです。10月はジムばかりで体にガタがきました。11月は読書強化月間にしようと思ってます。

October 30, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.10.26

非常に困ってます・・・

非常に困ったことになった。


創業から5年と9ヶ月、ずーっと経理まわりの仕事をしてもらっている女性が退職することとなった。


来年の1月だから、あと3ヶ月しかない・・・


話を最初にきいたのは数カ月前、だった。春先に結婚をしたので、「いつかはくるかもな・・・」という予感(?)はあったものの、いざ現実の話になると困った。


彼女には「経理まわりの仕事をしてもらっている」と一言ではいいきれない仕事をしてもらっている。代わりの人を、といったって・・・

経理は会社のお金の一切を扱う場所、だ。


毎月何千万にもなる入金や出金を管理し、お金のフロー予測し、お金が滞らずに潤滑にながれるようにするのが仕事だ。当然、一般的な仕事以上に人間としての誠実さだとか信頼感だとかが重用となる。


会社の銀行IDを知っていたり、通帳や実印、クレジットカードなども預けるのだから、「最悪、金銭のトラブルがあってもその人に任せた自分が悪い」って信頼感が僕の側にないと任せられない。


・・・本来だったら数カ月前に退職の話があった時点で打ち手を考えないといけない。


求人コンサルタントをしている友人に相談して広告なり紹介なり新しい人の採用を考えないといけないのだろうが・・・なんとなーく現実逃避(?)している間に時間ばかり経ってしまった。「経営は現実を見つめるのが大事」と常々ブログで書いてるが現実はこんなものだ(汗)


さて、どうしよう?


そんな自問自答をしている中で「ブログで人を募ったらどうか??」との直感がふってきた。なるほど!僕がそもそもブログを書くようになったのは、「僕の仕事や生きる事に対しての美意識」を打ち出したかったからだ。


組織はリーダーの持つ美意識に共鳴、共感できるメンバーで構成されるのが一番いい。仕事をお願いするにも、自分の美意識と合う会社と付き合う方がいい。だったら、社員やお取り引き先に対して僕の美意識を打ち出す必要がある、と思ったのがブログを書いた契機、だ。


ブログの読者の方であれば、僕の美意識に共鳴してもらえるのではないか??(共感までは強制するつもりは全くないです)


「お金の労力はかからないのだから、これはやるしかないな・・・」と昨日、件の彼女に許可(会社を辞める事をオープンにすることです)をもらいブログをアップすることにした。以下の要項(?)で、メールで社員募集を受け付けたいと思います。(無論、応募の秘密は厳守します)


応募条件
●僕のブログを読んで「こんな代表だったら面白そうだ」「なんかピンときた」と思える方
●経理周りの仕事ですが、経験だとか年齢だとか性別は不問です。学歴も必要ありません。途中、「空白の数年間」がある方でも大歓迎です。
●11〜12月くらいから働ける方


こういう方は難しいと思います
●月曜日に遅刻する方、酒を飲んだ翌日に遅刻する方(人として信用できないです)
●物事を斜に構える方(これまたダメですね)
●忙しい、疲れた、時間がない、暑い、寒い、だるい、かったるいが口癖の方(うーん、会社の運気が落ちそうです)
●理想ばかりの方(現実逃避の裏返しが多いですから・・)
●成長するってことを否定する方(本来、あまりいないと思うんですけどね)


条件その他については直接、お話しの中でやりとりしたいと思います。尚、当社の面接は1次面接が私、2次面接が現場の社員が担当します。無論、普通の採用活動と同様に対応させていただきます。


ご関心のある方は、メールotsuka@visionary-c.comまでご連絡ください。簡単で構いませんので自己紹介を送っていただければ、折り返しメールをさせていただきます。ご質問などをお送りいただいても構いません。


こんなので応募してくる酔狂な(?)方っているのだろうか??


ともあれ、しばらくは採用活動にいそしまないといけません!


追記
現時点では採用広告はまだ考えていません。もし頼むにしても、旧知の友人に頼むことになると思います。今回に限っては求人広告、派遣社員の提案など営業目的でのご連絡はお控えください。

October 26, 2006 | | Comments (8) | TrackBack (0)

2006.10.24

目的は何だ??

ある日、急にひらめいた。


「僕は仕事の目的をメンバーに周知してるだろうか?」と。


われわれが行なう仕事、その仕事には必ず「目的」が存在する。


例えば、新しい商品を開発するとする。その場合、「新商品をつくって売上をあげる」だとか「競合会社のシェアを奪う」だとかが一般的に考えられる「仕事の目的」だ。


話が「目的=売上アップ」みたいな感じで単純だったらいい。


けど、経営者が考える「仕事の目的」ってのは意外に複雑多岐にわたっている。


例えば、金銭的には損をしても行なう仕事がある。義理人情がからんでいて「ダメだな」と思っていてもつっこんだり、2〜3年後のマーケットを確保するための布石を打つ、といった仕事などはそんな類いの仕事だ。


他にも、「その仕事をやることにより、会社の経験値を高めたい」みたいな仕事がある。一流とされている企業は、「そりゃ無謀だ」みたいな新規プロジェクトを意図的に立ち上げることがある。


一義的には将来の売上をつくるためだが、同じくらいに大事なのは「メンバーや会社の経験則を高めること」だ。経験則が高まらないと会社や個人のできることは限られたまま、だからだ。ルーティンの仕事をしていてもなかなか経験則は高まらない。


この「仕事の目的」が経営者とメンバーの間でぶれてくると仕事はうまくいかない。


僕はかつて仕事をする時に「この仕事の目的」をよく語っていた。この仕事の目的、とか紙に書いていた。


が、最近はちょっとさぼってたな・・・いわなくても分かるだろう、って感じかしら・・・??ここで手を抜いたらまずい。


仕事の目的が明確でなく迷走している会社はゴマンとある。


「目的??そんなのいわれなくても分かってますよ」とメンバーにいわれるくらい、目的を徹底させて仕事をすることが大事、だと考えた。


関係各位、徹底していないようであればご指摘を!


追記
今やっている仕事の目的を、文字にして整理してみようと思ってます。案外と知らず知らずのうちに「仕事の目的」ってぶれてるものですね。

October 24, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.10.23

武道系学生憩いの地、での出会い

彼女との出会いは新宿のスナック、だった。


ママが一人で切り盛りする5坪くらいのスナック。当時の僕は大学3年生、彼女は2つくらい下だった。


はじめて店にいったのは、部活の先輩の紹介だった。店内は、日本大学や明治大学といった運動部(それも、ほとんどが武道系)の学生でごったがえしている。


人口密度は濃いし、地下だから窓がないし、野獣の集まった巣窟(失礼?)のようだと思った。


ほとんどが武道系の学生の集まり、だ。日本拳法、応援団、キックボクシング、少林寺・・・・時はバブル全盛時代。サークルだパーティーだという学生が大多数の中、よくぞこんな部活動に入ったな、、といった面々に充ち満ちていた。


「押忍」「ちわっ」「ごっあんです」と運動部用語が飛び交い、軍歌や応援歌がカラオケで流れる、武道系学生には心地のいい(?)、、、、そんなコンセプト(?)の店だった。(ほかのお客さんはドン引きしてしまっただろうが)


普段は接点のない他大学の武道系の先輩と交流が持てたり、僕と同期の他大学の仲間ができたりと、そんなことを求めてる学生には楽しい店だった。女性マネージャーなんて存在はいなかったから、常に女性は彼女一人。存在自体が中性的で飄々としていたから僕らは気にすることなく朝まで飲んでいた。


でも、よくいじめられて(?)泣いてたが・・・・・


今、思うと何を話して、何を感じて飲んでいたのかよくわからない。とにかく体力とエネルギーだけはあったから、明け方までよく飲まさせてもらった。「朝まで飲んで、2,000円!」みたいなノリだった。それでもお金がなく、お金を払わないで飲ませてもらったのも、1回や2回ではないだろう。


僕はそんな中でいろんなことを学んだし、いろんな出会いに恵まれた。


僕は嫌なことがあったり、物事がうまくいかなかったりすると「自分の原点」に振り返るようにしている。そこには、今の自分が忘れてしまってるだろう大事なものが存在するから、だ。


このスナックでの出来事や出会いも、僕の大事な原点の一つ、だ。


あの頃に感じていた野心(?)や、ふつふつとしたエネルギー。自分の世界観がどんどんと広がっていくような感覚。新しい人との出会いに関してまったく億劫にならなかった姿勢・・・・


「そんなものを今の自分はもっているのだろうか?」と考えることが、今の自分が直面する難局をクリアーする上できっかけとなることが多いからだ。


昨日は、その彼女の結婚式があった。


ママと当時の面々と久方ぶりに会同し、終電間際まで楽しい時間を過ごした。


10年ぶりに合うママはふっくらしていて元気そうだった。お店を閉めてしまってからホントにご無沙汰してしまってすまないな〜と思った。


彼女のウェディングドレス姿は、僕がいうのもなんだがめちゃ綺麗だった。酔った武道系学生に泣かされていた彼女がここまででかくなって、、、、と感無量になってしまった。


「俺は昔、世話になった方にきちんと義理を果たしてるだろうか??」


そんなことを考えさせられた一夜、だった。とまれ、結婚おめでとう!末永くお幸せに!!


October 23, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.10.18

上司が尊敬できないんです・・・・

営業途中、僕は上司とファミリーレストランに昼食を食べにいった。


食べ終わって割り勘で支払いを済ませた。(僕は原則、「後輩や女性と食事をした際には奢る」がポリシーなので、これは嫌だった・・・・。先輩や上司がそこでがんばれなくてどうするの?? まあ、運動部出身の歪んだ価値観かもしれませんね・・・)


で、車に乗り込むと上司が日よけのところから何かを取り出している。みるとファミリーレストランのスタンプカード、だ。


何でもランチ1食で1枚のシールがもらえ、10枚だか20枚だか集めると商品がもらえるらしい。それまで、何回もランチにいっていたが僕はまったく気にしていなかった・・・。


上司はそのスタンプカードにシールを貼りだした。で、「お前集めてないの??だったらシールちょうだい」といった。


僕はその瞬間に会社を辞めようと思った。


それまで、仕事についてはいろいろと悩んでいた。


「このままこの仕事をしていていいのか??」-このままでもいいようであり、徐々に型にはめられていくようであり・・・何か大きなことができそうであり、大きなことをする億劫さを感じているようでもあり・・・


会社を辞めようか、と思ったことは一度ではなかった。


周囲に相談すると「まあ、会社ってそんなものだ」といわれた。僕は「そんなもの」の「そんな」がどうしてもわからなかった。「そんな」がわかってから転職してもいいかもな?と思っていた。


「転職すると給料がさがる」ともいわれた。「今以上に給料がさがったら生活できないじゃないか!」と思った。経済抜きに夢も希望も存在しない以上、これは大きな悩みだった。(が、「転職すると給料がさがる」は迷信だとその後知った)


が、その葛藤はファミリーレストランの駐車場で完全に終止符が打たれた。


僕の直感が「このままでは絶対にダメになる」とのメッセーをビシビシと出していた。生活ができなくなる、という不安がなかったわけではないが、そんなことをいって時間を費やすのがバカバカしいと思うほど僕のどこかにビシッとスイッチが入った。


それからほどなくして僕は辞表を出した。


「なんであれほどまでに反応したのだろう?」と今更ながらに思う。今の僕だったら「別にいいじゃないか」で終わりだ。スタンプカードを集めて商品をもらうことに、いいも悪いも存在しないだろうし。


が、あの頃の僕には何かが許せなかった。


もしかするとそれは「上司は全てにおいて僕の尊敬の対象であって欲しい」という、僕の身勝手な思いこみではなかったか・・・。『課長 島耕作』にでてくる中沢部長のように、「この人のためだったら頑張れる」だとかいう存在感を上司に求めていたのではないか・・・・。


でも、それって100%理想の会社が存在しないように、荒唐無稽な話なんだな。


上司が尊敬の対象である、とうのはすごく恵まれてることだと思う。さりとて、上司が尊敬の対象でない、というのが恵まれていない、という訳ではないとも思う。


「上司の存在如何によって自分の仕事の善し悪しが決まってしまう」なんてのは嫌だなと僕は思う。どんな状況でもピークパフォーマンス(最高の結果)を出せるようにするのが職業人たるもののつとめだから、だ。


上司が尊敬できないのであれば、尊敬できる人を他で捜せばいいじゃないか・・・・


この間、飯を食べてる時に「上司が尊敬できない」という話で20代前半の方とこんなやりとりをしました。「過度に上司に期待すると僕みたいに辞めるしか選択肢がなくなるぞ」と話しましたが、彼はどう考えたのでしょうね。

追記
周囲で風邪が猛威をふるってます。ついに僕にもやってきましたが、改源(昔からある漢方薬です)+チョコレート+栄養ドリンクの「風邪対策3点セット」で養生したので今日はなんとか復活の兆しです。


いつもながらに、風邪をひくと「健康は最大のマナー」といっていた昔の上司を思い出します。この人は、あまり好きではなかったですけど、この言葉だけはなぜか僕の琴線にひっかかってます。


結局、人を尊敬するのは「部分尊敬」(いいところだけを尊敬する)しかない、ということなんでしょう。


October 18, 2006 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.10.17

最悪の最悪を考える

「最悪の最悪は何か?」というのが僕の口癖、だ。


社員さんの報告や相談なり、クライアントからの意見なりといった形で今、会社の現場で起きていることに直面する。その中に、「これはこのままいくとまずいかな・・」というセンサーが働くことがある。


そんな時に、まずは「最悪の最悪どのような結果になるか・・・?」を考える。


「取引先から仕事を切られる」だとか「会社の資金繰りが悪くなる」だとか「損害賠償金を支払う」だとか・・・考えるもおぞましい結果を想像したりする。その上で、それらのイメージを受け入れる覚悟をする。


「取引先から切られた・・」「月末に払うお金がない・・」「損害賠償で、○○円支払わないと・・」といった状況を想定する。それはそれは、辛くてしんどい作業、だ。


「ちょっと考え過ぎではないか?」と思う事もままある。ほとんどの出来ごとは、今までの経験則で「最悪の最悪」にならないことを知っている。考え過ぎはよくない、とも思う。


けど、「このままいったらヤバいな・・・」だとか「最悪の状況になったらどうしようか・・」って思いが心のどこかに存在していると、ひとつひとつの行動や思考に迷いが生じてくる。


不安や心配が根底にある状況で何をしようとしてもいい結果は生まれない。で、あれば一度、最悪の最悪をシュミレートして自分の腹を決めておくのが一番だ。


理屈だけいうと、最悪の最悪を受け入れる覚悟をしておけば、何があっても泰然自若としていられる、からだ。


楽観的になるには、一度、超悲観的になって反動(?)をつけないといけない。僕は、真のポジティブシンキングは、「悲観的に最悪の最悪を考えることの反動からくるもの」と僕は思っている。


更にいえば、「最悪の最悪を考えられる能力」は経営者やリーダーにとって非常に大切な能力だと思っている。一般的にいうと、問題意識だとか危機意識とかいう言葉になるのだろう。


「このままいったらやばいかもしれない」ということを、誰よりも早く、深く考えて、そうならないための手を打つのがリーダーのリーダーたる仕事、だ。


経営者やリーダーは日常業務をこなしていればいわけではない。さりとて、将来のビジョンという名の夢想をしていればいいわけでもない。


まずは、目の前の現実からくる最悪の最悪をイメージすることが仕事、だ。


「ちょっとそりゃ考え過ぎですよ」と周囲からいわれるくらいがちょうどいい、と僕は考えている。誰も自分以上に会社の将来を心配してくれる人はいないですからね。


追記
会社を経営していて、現時点で考えられる「最悪の最悪」は、「代表である僕の死」、です。これだけは、明日かもしれないし、50年後かもしれないし、まったく分かりません。


けど、うちの会社は今の現状であれば、事業を変わりなく続けていくことができると思います。(というより、「俺が死んでも会社が続く」を意識して会社をつくってきました)


昔から「死を念頭においた人は強い」といわれますが、結局のところ「最悪の最悪」のイメージがリアルにできているからなのでしょう。


経営者の死生観と経営とは切ってもきれないものだと思います。

October 17, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.10.16

遅刻、について考える

酒を飲んだ翌日と、月曜日の遅刻には注意をする


僕が会社で定めている憲法のようなもので徹底していること、だ。


要するに、「遅刻をしがちな時に遅刻をするな」ということだ。


本来であれば「遅刻はするな」と明言するのが一番いい。が、人間はそうそう完璧であるはずがない。で、あれば「遅刻しがちな時だけでも、遅刻するのはやめろ」ということを徹底させた方がいい。

遅刻がなぜいけないか??


これに対しては僕は、明確な理屈をもっていなかった。赤信号が「止まれ」であったり、窃盗が犯罪であったりするのと同様、「説明するまでもなく当たり前のこと」だと考えていた。


が、知り合いの会社にこんなことにまで理屈を求めてくる人がいる、という。


曰く、「きちんと出社して仕事ができない人と、遅刻して仕事をきちんとする人とどちらがいいか?」だとか「遅刻をしてもきちんと仕事をしているじゃないか」だとか「では、無報酬の残業はどうなるのか?それも時間厳守ではないではないか?一種の遅刻ではないか?」


そんなことを、社長に訴えて(?)きて、管理者としての彼も困っているという。


僕がこの社員に対してもし仮に何かをいうのであれば、以下のような主旨のことをいうだろう。

---------------------------

仕事で大事なのことの一つが「初心を忘れないこと」だ。


はじめて社会人になった日のこと、はじめて現場にでて慣れない営業をした時のこと、はじめて仕事を受注したときの感動・・・こうした思いを永劫に持ち続ける人がきちんとした、ブレのない仕事をしていると僕は考えている。


はじめて会社に出社した時、きみは遅刻をして会社にでむいただろうか?


否、そんなことはあるまい。きちんと電車の時間を調べて、間に合うように家を出たはずだ。もしかしたら、電車が遅れた時のために一本早めの電車に乗ったかもしれない。


仕事さえしていれば遅刻などはどうでもいい、などと思っていただろうか?


否、そんなことはあるまい。社会人として守らねばならないマナーとして、仕事をすること以上に遅刻を気にしていたはずだ。もしかしたら、遅刻をしないように目覚ましを二つくらいはかけていたかもしれない。


要するに、仕事ができるようになって初心を忘れているだけなのだ。


初心を忘れた人間の仕事が、打ち上げ花火のように一発大当たりすることは時々あるかもしれない。僕もそんなケースはゴマンとみている。


が、そんな仕事のスタンスでいい仕事が永遠に続くわけがない。いつか必ず馬脚を現し、足元を救われる、世の中はそのようにできあがっている。初心を忘れず、たんたんと仕事をする人間にだけ道は開けている。


であれば、僕らは初心を忘れないためにも、初心者だったときにやっていたことを可能な範囲で守るほうが職業人としての選択として賢い。


まずは、遅刻をしない。筆記用具をメモ帳をきちんと持つ。報連相(報告・連絡・相談)をきちんと行なう・・。


そんなこと当然だ、と思われることにこと価値があるのだ。現に、君は遅刻をしないってことを社会人になって何年も経つのにできていないではないか???

--------------------------

時間の観念は、経営者によって考え方が違うと思います。


僕は遅刻に対しては、「初心わすれるべからず」の観点から厳しくとらえるスタンスでいます。


遅刻をしてドキドキしなくなったら人間、お終いだと思います。僕は、朝は早いので遅刻をすることはほとんどないですが、今でも遅刻をしそうになったら「まずいっ!」と緊張しますし、タクシーにも乗ります。


ここがブレてきたら、悪い意味で仕事に慣れが生じてきた時だな、と思うようにしてます。

追記
と、いいながら初心を守れていない事がちらほら。「机の上を整理する」・・・こりゃ全くダメですね。「読みやすい字を書く」・・・これも、激しくヤバいです。「5W1Hを使って話をする」・・・これも、どう考えてもまずいよな。


かくまで初心の頃にやっていたことを全うするのは難しいもの、です。


でも、はじめて社会人として出社した時のこと(風の強い日でした)、はじめて営業に出向いた日のこと(K工務店という金沢の建設業社でした)、はじめて契約をとった時のこと(これまた建設関係の団体でした)


会社がたちあがった日のこと(登記を委託していた方が登記簿をもってきてくれました)、はじめて仕事をもらった時のこと(四日市の法人です)、はじめて入金があった瞬間(五反田の三和銀行、10,500円でした)のこと


これらはいまでもリアルに覚えています。全ての原点はここにある、と考えています。


October 16, 2006 | | Comments (6) | TrackBack (0)

2006.10.10

多忙感・・そこからくる不安や心配

仕事が忙しくてどうしようもない、とう時がある。


仕事はなぜか、均等には舞い込んではこない。バランスよく入ってはこない。


仕事が重なる時は自分の実力以上に立て込むし、仕事が無いときにはなぜか全くはいってこない。


だから、実力以上に立て込んだ時期にガンガンと仕事をしておく必要がある。そう、それは「仕事の貯金」をするようなものだ。


仕事が入ってこない時にはこの「貯金」を取り崩しているようなものだ。


この「貯金」がないと職業人としての「仕事をしていく腕」は確実に落ちていく。仕事が入らない時は「腕」はどんどんと劣化していく。これを防ぐには、仕事が立て込む時に「貯金」をするしかない


そうはいっても、「がんばり」だけでは通用しないときがある。


スケジュールの管理をしっかりして、遅い時間まで仕事をして、頭を使ってもなかなか仕事が消化できないときがある。寝ていても、仕事のことが心配で目が覚めたり、遊んでいても仕事の事が気になって存分に遊べなかったりする。


そのメカニズムは単純、だ。


「仕事が忙しい」という慢性的な思いが、僕らの「正常に考える能力」を奪い、「不安や心配」と形を変えて僕らに根付いてしまうから、だ。


かつて僕はプライべートでも仕事のことが気になってしょうがなかった。


夜中に目が覚めては手帳を開いたり、行く必要がないのにもかかわらず休日に会社にいったりとしていた。常に不安だったし、常に心配だった。


でも、「会社を経営するということは『不安や心配』を常に抱えていることなんだ」と思っていた。だから、人より高い給料をもらえるのだ、と思っていた。


けど、よーく考えると微妙、だ。


自らが自発的に「やりたい!」と思って会社をつくったのに、その会社での仕事で「不安や心配」にさいなまれるのはいかがなものか??? 何かおかしくはないか???


以降、僕は「プライベートで不安や心配にさいなまれないようにしたい」と考えた。


そのために「俺は何が不安で、何が心配なんだ??」という問いかけを定期的にするようにした。ノートに「不安と心配」と書いて、一つ一つの事柄を文字にすることにした。


更には「不安や心配に感じている自分」の中にある「不安や心配」に話かけるようにした。「お前はいったい、何が不安なんだ??」と問いかけるようにした。で、その答えに耳を傾けるようにした。(これは心理セラピーでよくやる手法のようです)


すると・・・・劇的な変化はないけど、昔に比べて格段と「不安や心配」にとらわれることはなくなったかしら。少なくとも、休日に「仕事の多忙感などからくる不安や心配」を考えることはなくなったな。


多忙感からくる不安や心配はその存在が目に見えないのがやっかい、です。けど、いろんな問いかけをしながら見える形にしてしまうと案外とたいしたものではなかったりすると思ってます。

October 10, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.10.04

知識だけではどうしようもない

数年前、お金のトラブルに巻き込まれました。


当時は気軽に相談できる弁護士の知り合いもいなかったので、たまたま法律を勉強している知り合いに相談しました。


彼は「司法試験を受けて弁護士になりたい」と勉強をしているのですが法律の実務経験はありません。けど、現役で勉強をしているので法律に関しての知識は豊富、です。


いくつかの法律的なアドバイスをいただきました。


しばらくして、どうにもいかなくなったため知り合いの紹介で弁護士さんに相談をしました。30分5千円の法律相談、というやつです。


アドバイスの内容は知り合いに相談した時とあまり変わらず、正直いうと落胆しました。弁護士さんだったらもっと秘策の手のようなものがあると勝手に思いこんでたからです。


けど、相談をした僕の中に残る感情は大きな違いがありました。弁護士さんのいうことには「説得力」や「安心感」がある、と感じました。


アドバイスの内容はほとんど変わらないのになぜなんだろう・・・・??


弁護士資格を持っている、ということが醸し出す威光(?)は大きい要因だとは思いました。弁護士は仕事で相談を受けているが、知り合いはあくまで相談でといったことも関係しているかと思いました。


ただ、明らかにそれだけではありませんでした。


結局は、弁護士という知識の最高峰の資格をとった人たちの世界は「知識だけではどうしようもないんだ」ということなんだと感じました。


法律の知識を実践に活用する技術はもちろん、相談者の気持ちを安心させる雰囲気づくり・ヒアリングの方法、解決までの流れを論理的に説明する力、実体験をした人だけが有する自信のようなの・・・・


それらがトータルに作用し、相談者が安心したり、不安に感じたりするのだと感じました。


インターネットが登場し、知識が誰でも簡単に得られるようになりました。法律に関しても、ある程度のことであれば調べられる環境が整ってきています。


そんな時代の中で僕は、知識の習得よりも、知識の生かし方を体得した方が職業人としての寿命(?)は長くなる、と考えています。知識の生かし方とは、本を読んだり、人の話を聞いたりしても学べない技術のようなものです。自らが実体験の中から学んだノウハウやスキルのようなものです。


勉強をして資格をとる、という選択肢を僕は否定するつもりはありません。


けど、情報化社会とは「知識の価値が限りなく無価値になる社会」だという側面を持っています。知識偏重になってしまうとその知識にやられてしまうかもしれない、という冷めた目をもつ必要はあるでしょう。


常に知識の先にあるものを考える必要があると思います。


October 4, 2006 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2006.10.02

外部業者を怒りました

先週の話です。


当社の仕事をお願いしているとある会社の経理担当者を怒りました。


当社への入金額が間違っていたために修正を依頼したのですが、社内のシステムの関係でもあるのでしょう、来月の請求書で調整させてくれ、といってききません。


当方に落ち度はありません。更には、当社の入金処理が分かりづらくなります。社内の事情は分かるのだが、としつこく対応をお願いしました。


先方が提示してきたのは、お茶を濁してきた案、でした。何ら本質的に解決をしようという気が僕には感じられませんでした。「テキトーにこの場を乗り切ればいいや」って感じがヒシヒシと感じました。


僕は担当者をどなりつけました。


僕には一つの考え方があります。


それは、お金をいただくクライアントであれ、仕事をお願いする(=お金をお支払する)外部業者であれ、同様の対応をすることです。


僕らはお金をいただく対価として、さまざまなものを提供しています。僕がいる業界の場合、それは智慧やノウハウだったり、時間だったり、広告のスペースだったり、原稿制作の労力だったりとします。


一方で、お金をお支払する対価として、さまざまなものを提供してもらってます。


現在の当社のケースでいうと、印刷やデザインの技術であったり、税務や法律の知識だったり、荷物を予定通りに運ぶ安心などを外部業者さんに提供していただいています。


そこには「対等のビジネスの関係」があって然るべき、です。お金をいただくことにも感謝、お金をスパっとお支払することにも感謝の気持ちがあるべき、です。


けど、残念ながら当方の期待水準に満たない仕事をされるケースがあります。(当然、当社がクライアントに対して同様のことをしてしまうこともあります)


そんな時にきちんと「こういう風に考えてるのだが、こうしてくれ」と話をできるのが、僕は一流の職業人だと思ってます。


「あそこには世話になっている」だとか、「いろいろと事情があるのだから」と事をナアナアにしてはなりません。


なぜか・・・?


人間、何もいわない担当者だと無意識のうちに手を抜いてしまうからです。ナアナアの関係が続くとどこか心の底に「あそこは何もいわないからいいや」という思いが生まれてくるのが人間の性だからです。


僕らと仕事をしたことで、仕事のできない担当者をつくってしまうということにさえなるのです。これは怖いこと、です。


だから僕は時には怒鳴りつけてでもこちらの思いを伝える必要があると思ってます。


追記
怒るということにはパワーが必要だと思います。あとは問題意識、ですね。


「上司が部下を叱れない」だとか「先生が生徒を叱れない」って流れが一般的にあるようですが、上司や先生の中に哲学(そこから派生する問題意識)のようなものが存在しないのと、物理的にパワーがなくなったからではないか、と思います。

October 2, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)