« October 2006 | Main | January 2007 »

2006.11.28

部下の骨を拾う

本ブログでたびたび登場する田坂広志先生(多摩大学大学院教授)の新著『これから何が起こるのか〜我々の働き方を変える「75の変化」』を読んだ。


いつもながら、これからの時代への示唆と自らへの気づきの多い一冊だった。


中でも、僕が非常に関心をもった部分は「部下の骨を拾う」というくだりだ。


ある企業で、1人のマネージャーをリーダーとする10人のチームが「シニアビジネス」の事業開発にとりくんだ。が、全力をあげて3年間、奮闘したにもかかわらず当初予定していた「受注目標と収益目標」が達成できず、この新事業から撤退することになった。


その時に、マネージャーであるメンバーは部下に何を語るか?


「諸君、3年間、ご苦労さま。難しい新事業開発への挑戦、本当によくやってくれた。また日を改めて慰労会を開かせてもらう。本当によく頑張ってくれた。有り難う。」


これでは済まない、と田坂先生はいう。


たとえ収益目標が達成できなくとも、「知識収穫」「関係収穫」「評判収穫」「文化収穫」という素晴らしい「リターン」を得た。そのことを部下への思いを込めて語るべきなのです。(P275)


「知識収穫」 この仕事を通して「何を学んだか」を語る。
「関係収穫」 この仕事を通して得た人間関係について語る。メンバー間で深い人間関係を築くことができた、と語る。それが将来役に立つと語る。
「評判収穫」 この仕事を通して得た評判について語る。斬新な事業アイデァを出してくる企業だ、との評価を語る。当社の市場でのイメージが大きく変わったな、と語る。
「文化収穫」 この仕事を通して、会社の文化に与えた影響度を語る。きみたちのチームスピリットは、かならず当社の企業文化を変えていくだろうと語る。

※かなり主観的にまとめてます。


田坂先生はこうつなげます。

----------------------------------------

世の中には「骨を拾う」という言葉がある。


それは、例えば、こうした事業開発が失敗したとき、戦いに敗れたとき、上司として部下の骨を拾うという意味です。


しかし、それは決して、「部下に良い配属先を遇する」ことでもなければ「昇給や昇格で報いる」ということでもない。


では、「骨を拾う」とは、どのような意味か。


「部下が捧げた尊い人生の時間を、決して、無駄にしない」


その意味です。


そして、だからこそ、新事業開発が失敗したとき、事業開発部長は「淡白」であってはならない。たとえ失敗したとしても、その新事業開発において何を掴んだのか、何を得たのか。いかなる素晴らしい収穫があったのか。そのことを、誰よりも「貪欲」に見つめなければならない。そして誰よりも「執念」を持たなければならない。


その新事業開発に部下が捧げた人生の時間を、決して、無駄にしない。


その「執念」を持つべきなのです。

(P276〜277)
------------------------------------

事業をしていれば全てがうまくいくなんてことはありません。


時には、「後ろ向きの仕事」や「撤退を前提とした仕事」に着手しなければいけない時もあります。


そんな時に、経営者は「淡白」「冷静」「不動」になってはいけないと思います。


その仕事を通して部下が得られる「収穫」に関して、あらゆる限りの手段をつかって訴えていく覚悟が必要です。


僕は会社をつくって数年は、「事業が失敗したら社員に迷惑がかかるな」と思ってました。けど、最近は「事業が失敗しても、社員にいろんなものが残せる経営をしたい」と思うようになりました。


そんな話をしたら某コンサルタントには怒られましたが、「必ず倒産しない」といえる会社の方が少ない時代の人材観としてこれはこれでありなのかなと勇気づけられました。


経営者に「部下が捧げた人生の時間を、決して、無駄にしない」の覚悟があれば、中小企業だって大企業と十分にわたりあっていけると思ってます。


↓今日もワンクリックお願いします!
人気blogランキングへ


追記
週末は沖縄にいきます。来週はカナダです。年内までに関西には2回は行く事になりそうです。ジムでも新曲(3ヶ月に1回、新曲が発表されます)され、忘年会も昔に比べて少なくはなりましたが、そこそこあるので体調管理には気をつけようと思います。


とりあえず、早寝早起きの励行と、食生活に気をつけようと思います。

November 28, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.11.24

6回目の決算が終了

第6期の決算が終わりました。今年も、黒字決算で終了することができました。関係各位に深く感謝いたします。


今期の反省はこれからしますが、決算書類をながめていて思うこと。


1.読書の量が少ない1年だったなあ・・・
これは後(2〜3年後)に大きなダメージとなって現れる。大好きなジムの時間がかなり影響しているので、ジムの時間を押さえないとか・・・。(決算書類の図書費用が昨年より少ない)


2.業務の分掌を考えないとなあ・・・
いろんな業務を手掛けることになって、業務の前線ラインが拡大してしまった。手薄感がいなめない業務もでてきてしまった。改めて業務の分掌を考える時期にきている・・・。(売上高の構成比率をみていて感じる事)


3.現実を見詰め切れていないなあ・・・
現実を見つめることが大事と思いながら、まだまだ場当たり的な対応が多い。場当たり的な対応をしていれば、問題解決しているつもりになれるし、適度な忙しい感にもつつまれる。でも、それではいつまでも根本の問題解決はできやしない。


腹が痛くなるまで現実を見つめきって、打つ手を考えること。そのために時間を費やすこと。やはり経営者がばたばた忙しいのはいただけない。


4.利益が減ったなあ・・・
今期は売上が前期に比べて減ってしまった。一方で、販売管理費は増えているので前期よりは減益になります。それでも利益はでていて、資金繰りも悪くはないのですが、想定内のこととはいえやはりちょっとは焦ります。いままで売上、利益とも上昇一方でしたからね。


俗にいう「売上高○○億円の壁」というやつかもしれません。


5.よく社会に貢献したなあ・・・
お取り引き先への仕入れ料金だとか、デザイナーやライターさんへの外注費だとか、社員さんへの給料だとか、顧問料だとか、税金だとか・・・はたまた接待交際費や広告費、事務所家賃に交通費・・・多くのお金がうちの会社を経由してでていったなあ・・・。


毎年、これをみると「社会貢献してるな」とちょっと嬉しくなります。これらお金が「善の循環」をしてこちらに回ってくれば最高ですね。


ともあれ、来期(もう「来期」はスタートしてますが・・)もまた頑張ります。

November 24, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.11.22

コミュニケーション阻害の切り札

組織の問題の多くは、「コミュニケーションの問題」だとされる。


僕もこれに異をとなえるつもりはない。


うちの会社で起きた問題の多くは根底に「コミュニケーションの不足」が存在している。それが解決さえすれば多くの問題は氷結する(はずだ)。

そこで多くの企業では、


「じゃっ、コミュニケーションを円滑にするために定例会議をやろう」「飲み会を定期的に開催して親ぼくを図ろう」「コミュニケーションのスキルを研修しよう」


だとかといった解決策(?)がとられる。


だが、それでコミュニケーションの阻害がなくなるほど簡単ではない。多くは、絵にかいた餅に終わる。(特に研修は効果を生まない・・・)


飲み会や会議をうまく利用してコミュニケーションの円滑化を図っている会社も数多く存在している。(僕も個人的に知っています)が、こういう会社は「もともとコミュニケーションが円滑だった(円滑な土壌があった)」のがほとんどではないか?


そもそも、「コミュニケーションを取るため」の目的で飲み会をするのはナンセンス、だと僕は考えている。


「社員ががんばったから」だとか「夜遅くなって腹が減ったから」だとか「単に酒が飲みたいから」だとか「今日は息抜きをしたいから」といった目的で酒は飲むものであって、何かしらの意図があるのは僕は操作的だなあ〜と考えてしまう。(もちろん、例外はありますよ)


ではどうやってコミュニケーションをとるために組織を変えていくのか?


これを考えるには、「コミュニケーションがうまくいっている人間関係」を考えてみる。


するとひとつのキーワードとしてでてくるのが「雑談」だ。雑談ができている人間関係にコミュニケーションの阻害は起きにくい、という事実だ。(あくまでも私論です)


雑談が成立する要件を考えてみると
1)雑談ができる、ということは信頼関係ができている
2)雑談ができる、ということは雑談の時間をとっている
3)雑談ができる、ということは相手への興味や関心がある
4)雑談ができる、ということは畏縮や遠慮を極端にしていない


更に、雑談をすることによって
1)雑談をするから、相手の「言葉」が分かる。
2)雑談をするから、相手の「価値観」が分かる。
3)雑談をするから、相手が「何をしているか」が分かる。
4)雑談をするから、相手が「何を考えているか」が分かる。
5)雑談をするから、相手に「共感」がうまれるポイントが生まれる。


だから、コミュニケーション阻害によるトラブルが起きにくいし、起きてもそうそう大事にはなりにくい。


組織でのコミュニケーションの阻害を何とかするのなら、まずは「雑談」だ。そんな場所をいたるところでつくり出すことが大切、だ。


「コミュニケ−ションを改善したい」と思ってもなかなか事は大事でうまくいかない。が、「雑談をする時間を物理的に増やす」ことであればなんとか頑張ればできる。


あの人とはうまくいかない、ということであれば、意識的に雑談をする時間を増やそう。それが転機となってコミュニケーションが飛躍的に改善することもあるはずだ。


↓よければ押してください。意外に人気ブログランキングから定期読者になる方が多いことに気がつきました。
人気blogランキングへ


追記
私の会社で会議をする時は意識的に雑談をいれています。会社の歴史やらその中で大切に思ったことなどを話しています。忙しいのに・・・と思われててもやります。


昔から付き合いのあるクライアントさんの多くは、仕事の話はほとんどせず雑談ばかりです。でも、その遊びの部分が大事だったりすると実感しています。


「雑談ができる人間関係だからコミュニケーションがいいのか」「コミュニケーションがとれてるから雑談ができるのか」どっちが先かはよくわかりませんが・・・

November 22, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.11.21

管理者の存在意義とは?

採用面接で「何ができますか?」と聞かれた人が「管理職ができます」といった話を聞いた事がある。


本人はまじめにいってるんだろうが、僕はこういう人だったら採用はしない。(というより採用はできない)


当たり前、だ。管理とは「職種」ではなくて「業務のひとつ」だからだ。


「業務のひとつ」、とはいえ管理をするというのは難しい。これだけを専門に研究する人がいるし、学問としても体系化されている。ビジネス雑誌なども「管理をどうしていくか?」のテーマでもちきりだ。


では一体、「管理」だとか「管理職」だとかは何だろう??


組織のあるべき方向を定めて、そのために人材を育成して、常に業務の効率化を考えて、会社に利益を出していく。


そんなことをいう経営者がいたら危険、だ。そもそも、そんな仕事は管理職の仕事ではなくて経営者の仕事だからだ。経営者が管理者に多くのものを負担するケースはゴマンとある。


僕の考える管理者はこうだ。


新しい人に仕事を教える事


自分が半年間かかって覚えたことを2ヶ月や3ヶ月でできるように仕事を教える事。そのための、言い方や説明の仕方を工夫する事。自らの経験や体験を通じて得られたノウハウ的なものを、実体験を通じて伝えられる事。言葉なり文章なり、伝える手段を持っている事。


すると、こういうことが起きてくる。


「もう彼は独りで何でもできるようになった」と。


新しい人が、実務知識を覚えて、仕事のやりとりを覚えて、1人で動きをできるようになっていく。そしたら管理職の仕事はお終い、だろうか??日々の仕事を文字どおり「管理」するだけだろうか?


否、ここからが勝負だ。僕は3つあると思っている。


1)経営者の言葉を翻訳すること
新しい人には、経営者の言葉はわかりづらい。新しい人にはなかなか伝わりにくい。それを翻訳していくのが管理者の仕事、だ。


例えば、経営者が「顧客満足」という言葉を口にする。この「顧客満足」という言葉にどのような思いが含まれているのかを翻訳するのが管理者の仕事、だ。


会社の歴史で起きたできごと、その中で会社がとったスタンス・・・どんな会社にもそのようなできごとが多数存在して今の形ができている。それを語りべとして伝えていくのが仕事、だ。


言葉の相互理解には、一緒に仕事をした時間の長短やコミュニケーションの大小が大きく影響している。新しい人にここを埋めるのが管理者の仕事、だ。


そんなやりとりが結果的には新しい人が自発的な仕事をするために必要だ、と認識する事。


2)危機感を察知して、伝播する
管理職が新しい人より優れている点は、「経験を多くしていること」だ。当然、その中には「会社としてのクレームや失敗」なども多く含まれる。


まずはそんな失敗やミスから危機感のアンテナを高くたてる事。その上で、「以前、こんなことがあってね」「これは気をつけろ」といった形で伝播することだ。


現場サイドから「そんなこと分かってます」といわれようが、全く構わない。危機感のアンテナレベルが違うのだ、といって軽くとらえる事。僕らの仕事は仕事をきちんとこなすこと、だ。何回も何回もいうだけのしつこさと真剣を持っている事。


3)新しい人より成長をすること
部下の成長スピードが自らのそれを越えないように成長を続ける事。経験や実績は何にも変えがたいが、そこに安住すると成長の鈍化を引き起こすことに注意、意識できる事。その上で、自らを律する事ができる事。


なぜ、自らが成長するのが必要か??


ひとつには、部下は上司以上に成長ができないからだ。


管理者は部下の成長に責任を持つ立場だ、という事に思いを馳せる事。部下と張り合うのであれば経験や実績で部下を張り合うのではなく、「今この時点での成長」で張り合う姿勢を持つ事。


僕が考える管理者像は以上、だ。


創業当初はこの手の仕事は経営者の仕事となる。が、組織が大きくなるにつてこの手の仕事はどんどん伝播されていく必要がある。


当然、経営者と管理職との間にも上のテーマは通用する。


会社の思いを経営者以上に伝播でき、経営者以上に危機感があって、経営者以上に成長をしている人がいればその人が経営者になればいい。管理職だって同様、だ。

November 21, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.11.14

目標は必要、されど・・・

営業目標だったり、改善目標だったり、「目標をたてましょう」だとかいわれる。


僕らは決してこの言葉を否定的にはとらえたりしない。


むしろ、「前向き」で「ポジティブ」なこととしてとらえがちだと思う。


けど、僕はどことなく違和感を感じている。

理由は2つある。


1つは、目標は自分の成長とともにどんどんと変わっていく、ということ。


今の自分がちょっとだけステップアップするとする。そうすると見える世界や聞こえる音が変わってくる。いままでは「難しくて無理だよ」と思っていた事が、何なりとできるようになっていく。


そんな状況で描く「目標」はステップアップする前と同じであるはずがない、と僕は考えている。


2つめは、潜在意識に「今の自分では足りない」と植え付けてしまう、ということ。


目標とは、「現状と理想とのギャップ」をいう。一般的には不足している部分を補う、ということで目標は達成されていく。


と、いうことは「目標を追いかけている限り常に何かが不足した状態」だということだ。これが潜在意識に与える影響は図り知れない、と僕は考えている。


目標に駆り立てられて頑張れる人もいる。一方で、そうではない人もいる。


目標に向かって頑張れない人は、常に「だめだな〜」という思いにさいなまれる。それは、本人の頑張りの問題ではないと僕は考えている。人間の気質の問題、だ。


とはいえ、組織には「目標」のようなものが必要だ。(というより、多くの人の意識をまとめるには目標をたてることが効率的、といった方がいいか・・)


営業目標だって、利益目標だって、業務改善目標だって、組織をマネジメントするには便利なツールだ。


目標をたてることに違和感を感じていながら、目標が組織にとって必要だと感じている自分。


経営は、「相反するものを統合していくプロセス」とどこかできいた。


「顧客主義を打ち出しながら利益を稼ぐ」


「社員が大事といいながら人件費をコントロールする」


「経費は最小にして、最大の売上をあげていく」


どれも、相反するものばかりだ。


そろそろ来年の計画をたてないといけないこの時期、「目標」については毎年悩みの種だ。


↓今日もワンクリックお願いします。
人気blogランキングへ


追記
うちの奥さんがインドにいってしまいました。帰国までの1週間ちょっとは可能な限り自炊をしてみようと思います。


November 14, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.11.13

冗談じゃねえぞ

会社に勤めている頃の話だ。


仕事でトラブルに見舞われた。「すぐさま対応をしないとまずい」ということで取引先の印刷会社に連絡をとった。


その担当者はこの問題の当事者で、本来ならば真っ先にトラブル処理に奔走しなくてはならない人だった。


僕は彼に連絡をした。

「すみません。すぐさま善処策を考えましょう、今から出向きます」


そんなレスポンスが当然だと思っていた僕は肩透かしにあった。彼は、緊急事態なのにもかかわらず、その電話をヘラヘラと冗談まじりの口調で切り抜けようとしたからだ。


僕は、「手前、何考えてるんだこの野郎!」と心底怒った。彼がしてしまったトラブルに対してはしょうがない。が、彼が冗談まじりでその場をやり過ごそうとしたことに腹がたった。


僕よりも1回り以上も上のその担当者は、普段から明るくて面白い人だった。打ち合わせではいつも冗談ばかりいって僕らを楽しませてくれた。そんなキャラクタ−だったから皆にも受け入れられていた。


が、冗談は言っていいタイミングとそうでないタイミングとがある


それが分からない、ということは人の機微が分からないということだ。そんな人が営業の仕事をしていても、お客さんのニーズやらが分かる訳もない。そもそも、真剣にやってる人間を冗談でちゃかす精神構造がいただけない。


僕には、その人を切る権限などなかったが、無理をいって印刷業者を変えてしまった。


職場における「冗談」が人間関係をつくったり、人との距離を縮めたりという効用があるのは認める。仲のいいクライアントに冗談の一つでもいえなければ、職業人としてどうかとも思う。


が、「冗談」には罪の部分も多くあることに我々は注意しないといけない


実をいうと、「冗談」をベースに人間関係を築くのは比較的たやすい作業、だ。


人間関係は、本来は別人であるはずの個々人が相手の距離を慎重に見極めながら付き合っていく作業だ。一つ一つのやりとりを通じて「あの人はあれが地雷だ」だとか「これ以上は踏み込んではダメだ」だとかを見極める作業、だ。


そんな試行錯誤の中から信頼だとか信用だとかは醸成されていく。


が、「冗談」をベースに人間関係を築くと、相手の琴線や逆鱗にに触れるようなことを口にしてしまっても「冗談だから」の一言で済んでしまう。つまり、人間関係に常に逃げ道がつきまとうのだ。


だからその人間関係がトラブルに見舞われた時に脆い。ほとんどの場合は、「冗談」をいってその場をやりとりするしかなくなってしまうのだ。そう、上記の担当者のように。


最近、いじめの問題が大きく報道されている。


いじめた側は「軽い冗談のつもりだった」とよく口にする。その言葉に嘘はない、とも思う。人間関係をつくる一つの手段として「軽い冗談」が存在していたのだろう。


が、僕は「悪意に満ちた中傷よりも、悪意のない冗談の方がやっかいだ」と考えている。


悪意に満ちた中傷には、人間は戦える。少なくとも相手が自分に対して向かってきている。「そんなことはない」と火の粉を振り払えるし、ほとんどの教師はそんなのを無視するほど無能ではないとも思う。


それに比べて、悪意のない冗談はやっかいだ。自分が頭にきても「何、本気にしてるんだよ。冗談だ」の一言で、それ以上は追求できなくなってしまう。


日本の社会はここ数年、「冗談」に充ちている。多くのお笑い芸人のギャグだって、どこかしらの逃げ道の中で「冗談」をいってるだけにしか過ぎない。


会社だって、学校だって、職場外の集まりだって、「冗談」は蔓延している。先述の通り、「冗談」は使い方によっては有益なツールにもなるし、刃物にもなる。


僕は将来、教師を目指している。


その時には、「冗談」に関しての教育は必須だと考えている。

November 13, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.11.10

今日は終日外出

今日は、11:00〜17:00まで横浜でセミナーに参加します。


僕が尊敬しているコンサルタントが主宰している会員組織の「VIPミーティング」です。


内容は・・・よく分かりません。年に数回あるのですが、映像の話だったり、歴史の話だったり、哲学っぽい話だったりします。


中小企業の経営者が集う経営に関する会員組織ですが、一見すると経営とは関係のないような話だったりします。


けど、そんなところにビジネスのヒントだとかがあるのだから不思議です。

November 10, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.11.08

大人の遊び

今日の午後から、遅い夏休みをとります。


行き先は、愛媛県。明日の午後には帰ってくる弾丸ツアー(?)です。


松山城も、夏目漱石ゆかりの地も訪れる予定はありません。


目指すは、僕の通ってるスポーツクラブの支店です。


ここ数カ月ですごく好きだったインストラクターが相次いで異動してしまいました。そのインストラクターのレッスンを受けにいく、という酔狂な(?)旅行です。


周囲からは「芸能人のおっかけじゃあるまいし・・・」だとか「ストーカーみたいじゃないか??」とか、いろいろといわれました。


が、なんといわれてもブレません(笑)


僕は、「何かに夢中になってる自分を客観的に眺める」のが好きです。


何かに夢中になれることなんて、そうそうあるものじゃないです。夢中になれることの芽を、理性的な判断だとか、世間の意見だとかでつむぐような生き方はしたくないと考えています。


その上で、「自分の人生の中に酔狂な部分を持つこと」が大事だと考えています。


僕の師匠筋にあたる人が「人間はバカでは使い物にならない。同様に、バカになれなければ使い物にならない」といわれていました。「バカになる」というのは、僕的に解釈をすると「酔狂になる」ということです。


「酔狂になる」というのは先述の「夢中になる」と表裏一体です。


そこに「遊び」という要素が入れば完璧です。更にいうのであれば、それが仕事に結びつけば最高の生き方です。


まだまだそんな生き方にはほど遠い、ですけどね。


ということで、理論武装(?)はこの辺にして、昼過ぎの飛行機で現地に向かいます。一緒に、酔狂な旅に同行いただく皆さん、よろしくお願いします!


↓しばらくリンクしてませんでした。よろしくお願いします!
人気blogランキングへ


November 8, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.11.07

これからのチャレンジに・・

ご縁のある方が「整体の治療院を開業する」という計画を持っているという。


僕よりひと世代若い方のチャレンジ。ぜひ頑張ってもらいたい。


当の本人はこのブログの存在を知らないと思うのだが、以下、彼へのメッセージとして。

「開業するのに正直、不安があります」と君はいった。


その言葉に偽りはないだろう。


僕も最初に会社をやる時は不安だらけだった。勉強しなくてはならないこと、処理しなければならないことが常に山積みのような感じにさいなまれていた。


「きちんと売り上げはたつのか?」「取引先に支払いで迷惑をかけないか?」「給料や社会保険料は支払えるのか?」・・・考えだしたらキリがなかった。こうした不安の一つ一つをどうにか解消したかった。


「不安をバネにしてポジティブになる」
「不安があるから頑張れる」


なーんて自己啓発の本に書いてあった。


が、きれいごとだと思った。


どこまでいっても不安は不安だし、ポジティブに変化などしやしない。不安であるよりも、不安でない方が頑張れるに決まってる。こと自分に関しては嘘っぱちだと思った。


そのうちにこう考えるようになった。


「不安は消えてなくならないものではないか?」と。


不安をどうにかしようとするから逆に意識してしまうので、「不安と共存すればいいのではないか?」と発想を変えた。「不安があるのは当然」と思うようにした。


すると変化が起きた。


不安に対する耐性がどんどんとついてきたのだ


会社ができて6年経ったが、今でも不安になるケースはゴマンとある。開業当時には考えもしなかった不安に襲われることもままある。


が、不安から立ち直るまでの時間や労力は明らかに変わってきた。


不安の芽がもたげてきても「別に当たり前のことじゃんか〜」と軽くとらえられるようになってきた。「これ以上考えても答えがでないから寝る(で、寝てる間に答えがでるのを待つ)」とラクにとらえられるようになってきた。


新しいことをチャレンジするのに不安はつきもの、それは正常な感覚だ。まずは、不安である自分は正常なんだと自分を正当化すること。


その上で、不安は僕らの「物事を冷静に考える力」を一気に奪ってしまう。なので、一刻も早く「不安があるのが当たり前」と割り切って、「不安のなくし方」ではなく、「不安との付き合い方」に目を向ける事。


もひとつ、不安は「ネガティブなものを引き寄せる力」があることに目を向ける事。「今はやるべきではない」だとか「事業計画がないのにうまくいくはずがない」といったネガなメッセージを引き付けてしまう、と思い馳せること。


「今は開業すべきではないんではないか」といいながら、無意識のうちに若い人が一人立ちするのを拒む人もあまた存在する。困るのは「君のためだ」と善意のスタンスでくること、だ。こうした手合いはなぜか「他人の不安にやたら敏感」だ。


「整体院を開業しよう」なーんて思いを抱く人はそうそういるわけではない。そんな夢を抱けた時点で、自分には才能があるんだ、と思い込もう。才能は思い込みから生まれる、と信じよう。


で、「俺はこんなことをしたいんだ」と周囲に話をしよう。「それじゃちょっと協力するか」という仲間が現れるかもしれない。


その上で、悲観的に、ネガティブに計画をたてよう。「これ以上の最悪はない」ってくらいの計画をたてよう。眺めているだけで、心臓がドキドキいうような最悪の計画をまとめよう。


綺麗な事業計画など、開業時には畑の肥やしにもならない。どうせ先はわからないのだし、覚悟をきめるための最悪の計画をつくろう。借金取りから逃げる自分の姿でも想像できれば、最高の事業計画書、だ。


そんな計画をたてたら、楽観的に、前向きに行動をしよう。「最悪の計画通りにならないためにどうするか?」と考えよう。そのための第一歩を考えよう、今日できるわずかのことを考えよう。


つまるところ事業はその繰り返し、だ。


以上、おじさんのお小言として。これからのチャレンジに期待しています!


November 7, 2006 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2006.11.01

いつか再び風が吹く日まで・・

何をやってもうまくいく時がある。


会社であれば、売上があがったり、新商品が当たったり、思うように取引先が開拓できたりするときがある。


逆に、何をやってもうまくいかない時もある。


打つ手、打つ手すべてが裏目にでたり、市場の環境が急激に落ち込んだり、ミスやクレームが頻発したりする。


不可思議なのは、いい時にはなぜか自分(会社)の実力以上の仕事が入ってくる。逆に、悪い時には自分(会社)の実力以上の仕事がでていく。

なぜこんなことが起こるのかは分からないが、自身の実体験や多くのお取り引き先などの現実を見ると、「実力相応にビジネスが回っている」という方が少数ではないか、と僕は考えざるをえない。


実力相応にビジネスが回っていればこんな簡単なことはない。


実力に応じた人員配置をして、実力に応じた事務所を構えて、実力に応じた投資をすればいい。会社の売り上げだとか経費だとかも十分に予測の想定内におさまる。そんなんだったら誰でも会社経営などやっていける。


難しいのは神様(?)が実力以上の負荷をかけてくることだ。


例えば、新しい仕事が入ってくるとする。それは現状の体制(人、モノ、金)ではうまくこなせないレベルの仕事だとする。


「この仕事を行なうには人員を増やさないといけない」
「協力業者を開拓しないと仕事が追い付かない」
「設備をそろえないと対応ができない」、


といった、問題がでてくるとする。


そんな時に人や設備を揃えるのは簡単なことだ。これから伸びていく案件に対して、僕らの気持ちは前向きだ。多くの経営者は「これ、ビジネスチャンス!」と借金をしてでも投資をするだろう。


が、どこかで「これは自分の実力以上の仕事ではないか?」という思いを持っていることが僕は重要だと考えている。


でないと、自分の実力以上の仕事に翻弄されることになってしまう。


大手企業の仕事を受けたはいいが、クライアントの営業戦略が変わって仕事がなくなった、などというケースは世の中にゴマンと存在している。残ったのは過剰な設備と、仕事がない人員、あとは借金、ではどうしようもない・・・


さりとて、常に「実力以上の仕事では?」とビクビクしているのも考えものだ。


コツコツとやってきたことが、ある日とつぜんに花が開く瞬間がある。急に追い風が吹いてきたような感覚を感じるようなことがある。「・・・ん!? 実力以上の仕事がやってきた??」と考えるが、どうもそうではない。


それは、自分の職業人としてのステージがあがった瞬間、だ。そんな時には外部環境だとか、運だとか、人間だとかがいろんな形で味方をしてくれる。そんな風を感じたなら一気に勝負、だ。


「実力以上の仕事が入ってきた」のと「職業人としてのステージがあがった」というのは、一見すると現象は似ているが根本はまったく異なるものだ。この二つの現象を自分なりに解釈し、運を味方につけるのが僕はとても大事だと思う。


会社をやって6年間、僕は自分なりにどちらも経験できた。


職業人としてのステージをあげるには、明るく、前向きに、人並み以上の仕事を、ごくごくたんたんと行なうこと、だ。それ以外に秘策(?)などあるはずもない。(更にいうなれば、朝早起きして、本を読んで、ステージがあがった自分の姿を信じること、だ。)


次に風が吹くのはいつのことになるやら・・・


「風が吹くのは順番制」だと僕は思ってます。たんたんと待ち続けることに勝るものはありません。


November 1, 2006 | | Comments (0) | TrackBack (0)