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2007.06.29

成長の落とし穴

人間が成長すると、「他人のこころの世界」がわかるようになってくる。


物事の現象だけにとらわれず、こころのメカニズムを踏まえた思考ができるようになってくる。


仮にイライラするようなことを他人から言われても、言葉の裏にある「こころの世界」に思いを馳せる余裕ができるようになったりする。


けど、「こころの世界」がわかるようになるのは諸刃の刃でもある、と僕は考えている。


いろんな経験をして反省したり、心理学や歴史を学んだり、さまざまな人間関係での喜怒哀楽を通じて、人は「こころについての理解」を深めていく。


こころへの理解が深まる、ということは自身が成長した、ということだ。実際、いままで見えなかった世界が広がっているような感覚にとらわれる(と、思う)。


僕の大好きな田坂広志先生が、「下段者には上段者の世界が分からない」といったことをいわれているが、心の世界が摩訶不思議な人(下段者)には、上段者の間で繰り広げられている世界は分からない、とも思う。


ただ、他人人の心についての理解がある、という過度の思い込みはいただけない。それが過ぎると単なる「人間ウォッチャー」や「性格分析家」でしかなくなってくる。


僕が住宅の会社で働いていた時の上司が、こんなタイプだった。


話をしていると、「分析されている感」がどーもいただけない。


「君みたいなタイプの人は・・」だとか「そうはいってるけど、本心は絶対に違うと思うぞ、よく考えてみ」とか、「ようやくこころが開けてきたな」だとか。。。


やりとりをしていると、どーも「上から目線の分析され感」が否めないのだ。


僕は頭にきたんで「何か自分のこと分かったようにいいますけど、何が分かってるんですか?」と歯向かったら、「ようやく本音がでてきたな、よしっ」みたいなことをいわれるし。。。(笑)


こと、部下や後輩と接する時は、僕はなるたけこういう姿勢を持ちたくない、と思ったんだわ。


正直、10年も20年も仕事をしてれば見えるものはたくさんでてくる。「こころの世界」だって自然と開けてくる。


けど、そんなのは自分の心にしまっておいて部下や後輩などと付き合っていくのが上司やリーダーの美意識としてはかっこいい。


僕がこういうことをしないか、といわれると実際には心もとない。


自身を振り返ると、「自分自身のこころ」が弱い時には他者を分析しがちになってくる。あとは、勉強などをして新しい知識などをゲットするとこれまた他者を分析しがちになってくる。


そんな自分にきがつくとたまに自己嫌悪に陥る。けど、自己嫌悪に陥るだけましか、という自分もいたりする。


そんな時に「他人のこころを知る」こと以上に「自分の心を知る」という大切さを思ったりする。「他人を分析する前に自分を分析せい」という内面の声が聞こえたりする。


とかく、人が成長する、ということは難しい。

June 29, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.06.28

アメリカから帰国

次回、ここにくる時には通訳を絶対につれてくる


2年前に訪れたアメリカのビジネスショーで僕は誓った。「とりあえず行けばなんとかなる」と思っての一人旅だったが、分からないことだらけで辟易したからだ。


会場にいけば、「事業者である証明をしろ」みたいなこといわれるし、品物を買おうとするとしても向こうの商慣習がよくわからないし、そもそもホールセールとディストリビューターの違いといった基本的なこともよく分からなかったり。。。


僕は海外によく行くので英語が流暢だと勘違いしている方がいるのだが、実際はかなり苦手だ。「駅はどこだ?」だとか「安くしてくれ」だとかいった旅の基本用語だけは何とかおさえている程度、だ。


でも、言葉で困ったのは2回くらいか。。。


ラサ(チベット)で高山病にかかったときに「注射は苦手なので他の治療にしてくれ」という言葉がお医者さんに通じなかったのと、アメリカで馬券を買うときに言葉が通じずに後ろで並んでいたゴツイお兄さんにどつかれたのと。


そんなものだからビジネスショーにいったのだが、バックパックの旅行をしているのと訳が違う、と痛感せられたのだ。


英語ができれば可能性が広がる、と海外にいくたびに思う。


日本より進んでいる業界が欧米にはいくつもある(らしい)。それをベンチマークしていれば、先駆者利益をとることができる、と思う。


けど、英語がなくても何とかなる、という自分もいる。


いまさら、言葉を学ぶことに時間を費やすよりももっと大事なことに時間をかけたほうがいい、とも思う。英語を学ぶよりも英語を学んでいる人にどう協力してもらうか、を考えたほうがいい、とも思う。


どっちにせよ大事なのは、「言葉が障害になるからできない」という考え方を持たないことか。


長い一人旅だって、留学だって、仕事だって、プロスポーツ選手だって


本当にやる気のある人は言葉を障害にしないものな。


でも、今回は次回に向けて「今一度、英語を勉強する」と心に誓った。


英語がよく分からなくてもなんとかなる、というのは英語をしゃべらないという現実をみつめめないための方便、だったことに気がついたのだ。


今のバタバタした日常の中で英語を勉強する時間をとるとすると・・・・


飲みや接待の時間もだいぶ減ってるし、朝は早起きしてるし、かといって睡眠時間は確保しないと動けないし・・・・


やはり、ジムにいく時間か・・・・。


これはちょっと悩むのだが、他に割ける時間がないものな。。覚悟を決めて将来への時間の投資をするか。。。

June 28, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (2)

2007.06.21

白か黒か、ではなく・・・・

白と黒、男と女、他人と自分、海外と日本、昼と夜、プラスとマイナス、メリットとデメリット、ポジティブとネガティブ

とかく、僕らは相反するものを対に並べる思考回路をもちがちだ。


例えば、他人と接する時に、「好き」か「嫌い」かで自分の気持ちを判断すると自分の立ち居地が分かりやすい。なんとなく感情の落ち着き感もある。


けど、プラスとマイナスにはゼロがあるし、昼と夜の間には夕暮れがある。白と黒との間にはグレーがあるし、メリットとデメリットの間には「メリットでもあり、デメリットでもある」こともある。


こんな中間のあいまいな部分をおざなりにした思考や行動を続けていくと人生の選択肢が少なくなっていく。


自分の美意識に照らし合わせて、「よい」「悪い」、「正しい」「正しくない」、「好き」「嫌い」とはっきりやっていくと人生の幅が広がらない。そして、その少なくなった選択肢の中から次の人生は開けていく。当然、選択肢の幅が多い方が未来は開けてくる。


人生におけるグレーの部分をどう増やしていくのか?それってある側面では人生の選択肢を増やすことだし、人としての器をつくることなのだ、きっと。


そんなことを漠然と考えている時に、陽明学という学問にぶちあたった。


日本の歴史で習った方もいるだろうが、大塩平八郎の乱の思想ベースになったり、幕末志士がこぞって学び、尊皇攘夷思想のベースになったといわれている。


特に「知行合一」説が有名で、「知る(認識)」と「行う(行動)」は一緒にする、といった行動重視(時には過激なほどの)の学問だ、と僕は習った。


けど、これは別の解釈があるようなのだ。


陽明学の<知行合一>説で、陽明がいいたかったことは、見るものと見られるもの、人間と自然などというように、二つのものを対立し競合させていく考え方の克服であった。(『真説「陽明学」入門』P192 林田明大著)


例えば、「あの人は嫌い」と上司に相談する。上司は「あの人にもいいところがあるんだからさ」とアドバイスする。
確かに、お説ごもっともだ。けど、頭では分かっていても感情は納得しない。


これを克服する手法の一つが陽明学、なのではないかと最近は思っている。


かくいう僕も「好き」や「嫌い」ははっきりとしていたい一個人だ。時にはあいまいな部分が納得できなかったり、釈然としなかったり、どうしても受け入れられなかったりするタイプだ。


けど、それだけじゃだめなんだ、と最近思う。


陽明学は吉田松陰、西郷隆盛、高杉晋作など、幕末維新の偉人がこぞってまなんだ学問、だ。彼らも同じような課題にぶちあたって、陽明学にいきついたのだろうか?

June 21, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2007.06.20

相談の効用

いま振り返ると、去年は大変な一年だった。


長年の人間関係が壊れたり、飼っていた猫が亡くなったり、お取引先の急激な変化がおきたり、自社が戦っていた業界に構造変化が起きたり・・・・。


社長を任されていた会社もなかなかうまく回らず、そうこうしているうちにリスペクトしていたジムのインストラクターが転勤になって、会社の運営方法が今までのやり方では通用しなくなることを痛感せられ・・・・


創業時から会社をサポートしていた社員さんが辞めたり、できればあまりお付き合いしたくないお役所との接点がでたり・・・・


ここで書けること、ないこと、いろいろあった一年だった。


こんな時には、がんばれば頑張るだけドツボにはまって行く。それは頭では分かっていたつもりだったが、案外と人間はバカな存在だ。どんどんと袋小路にはまっていった。


けど、解決や改善の方向性がみつからなかった。


そんな時に、ある「気づき」を得た。「誰かに相談する」という気づきだ。


僕は、人に相談をするのが苦手だ。これは昔から分かっていた。


けど、人間の短所はある面では長所でもある。相談をしないでいろいろと決断してきたからこそ、会社が軌道に乗ったんだ、とも思っていた。


人に相談してネガティブな意見を聞いたら行動が萎縮してしまう、ってのは僕の持論だった。だから、できうる限り自分で事実を集めて、自分で判断する、という形をとってきていた。


会社の創業時はそれでもよかったかもしれない。


けど、僕の会社はそんなんじゃやっていけないステージにまできていることに去年の自分は気がついていなかったのだ。それから「相談する」ということを大事にするようにした。


以降、物事がスムーズに回ることが多くなってきた。安っぽい通販の広告のようだが、効果はてきめんだった。


いったいなぜなのか?


努力が報われない時、人間の無意識のレベルでどこか問題がある、と僕は思っている。


それは人間関係の葛藤であったり、親子間の解決されていない問題であったり、職場に対するイライラや不平不満であったり・・・


無意識レベルでのこうした思いが、僕らの「努力しなければ」という行動にブレーキをかける。それは、作用反作用の力が働くので、がんばれば頑張るほど物事がうまくいかなくなっていく。


「相談する」という作業はこの無意識を整理したり,顕在化させる作業ではないか、と最近感じている。


自分ひとりではなかなか無意識に働きかけることはできない。


他者とのかかわりを通じて、自分の無意識はどんどんと顕在化し、整理されていく。それは、自分自身の不安やイライラ、葛藤などと向き合うことでもあるし、「がんばる」を無駄にしないことでもある。


だから「相談する」という作業が有益なのだろう。もちろん、これだけの理由だけではないですけどね。

June 20, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.06.19

違和感のあることば

僕は26歳で会社を辞めて旅にでた。


「会社を辞めて旅に出る」というと、周囲からいろんな反響をいただいた。その中で多かったのは「人生、そんなに甘くはない」的な反応だ。


僕は、「甘いか甘くないか自分の人生をつかって経験したい」と繰り返し口にした。というより、「そんなに甘くはない」といっている人が、自らの人生でチャレンジや挫折を繰り返していると当時の僕は思えなかった。


ただ、一度だけ「自分がやっていることは甘いのかな?」と思ったことがある。ある中小企業の経営者と話をした時、だ。


その経営者は初老で、40年近く工事店を経営している。


普段は職人気質で寡黙なのだが、僕が旅に出る、と口にすると「若いからいいけど、そんなに人生は甘くはないよ」といわれてその言葉の重みに身が震えるような思いをした。


決して饒舌ではなかったが、ものすごく重みのある言葉  あれは一体、何だったのだろう??


話は変わるが、インターネットなどのコミュニケーションサイトなるものが流行している。僕も会員であるミクシーなどでは、個人の書いた日記に対して数々のコメントが寄せられる。


「会社でこういうことがあった」「どこどこにいってきた」と書くとマイミクからのレスポンスが数々寄せられる。


時間や空間を越えて、個々の感動や思いを共感できるツールとしては秀逸だ、と思う。ミクシーがなければここまでの関係にならなかっただろうな、という人間関係も一人や二人ではないし、僕自身ミクシーなしの生活は考えられなくなりつつある。


けど最近、人の日記に軽々しくコメントをする自分にどうもしっくり感がきていない。


「3丁目の猫ちゃんに赤ちゃんが生まれました」的な日記であればコメントは楽、だ。「へえ~一度見に行きたいな」だとか「写メール送って!」とか軽いコミュニケーションでコメントを投稿すればいい。そこには何ら自分の中での違和感はない。通常のおしゃべりの延長線と考えればいいし。


けど、マイミクさんが悩みや不安を日記に書いていたりするケースで僕は安易にコメントを残すことができなくなってきている。


そんなのは、本人の表情や言葉のニュアンスといった言葉にはならない部分がどう語っているか、が重要だ。日記という形で言語化されているが、そこには言語化されない数多の思いや事実がフィルターにかけられて言語化されていないわけだ。


そんなところを踏まえないで安易に励ましたり、共感したりすることに僕は違和感を感じるのだ。時には「俺は偽善者だな」と思ったりすることもある。。。。


「別段、そんな深いところで相談したいって訳じゃなくて、単に共感してもらいたいだけ」というケースは多いだろう。不安やイライラは他の人が知ってくれた、理解してくれた、というだけで解消できる部分も多いとも思う。


けど、僕は日々口にしている言葉や書いている文字がその人の雰囲気をつくると思っている。それはミクシーなどでも一緒だ。


僕が軽い言葉のキャッチボールで日々を過ごすなら、時間の経過とともにそれが僕の雰囲気となっていく。


僕が衝撃を受けた経営者のような重みのある言葉を語るようになれるには、自分の体から発されていない言葉(=違和感を感じる言葉)を日々の作法としてなるたけ口にしないことが必要だと思うのだが、どうなのだろうか??


僕はマイミクが不安や不満を日記に書いたらコメントを残すではなく、暇なら会おうや、という種類の人間でありたい、と思うのだ。


June 19, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2007.06.18

月曜日の朝

タイガーウッズがでていたテレビに釘付けになりました。


全米オープン最終日、トップと一打差でラスト2ホール


結果的には惜しくも負けてしまいましたが、朝からすごい精神力を見せ付けられたような気がしました。


僕は一日でいうと朝、一週間でいうと週明けの月曜日、一ヶ月でいうと月初をなるたけ大事にしようと思ってます。最初がうまくいくと、力を多少は抜いてもいい流れができあがるからです。


週のはじめの月曜日である今朝は、本も読めませんでしたが、よい一日でした。


今週は週末からアメリカにいきます!

June 18, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.06.11

新しいビジネスの展開について

週末からメルボルン(オーストラリア)にきています。


ひとつは、昨年の末からお取引をはじめたビジネスパートナーにお会いするため。もうひとつは、新しいビジネスのネタを探すべく、とあるイベントに参加するためです。


昨年の今頃、インターネットで検索をしている時にたまたまこの方のことを知りました。すぐさま「日本で事業を展開しないか?」とメールでもちかけ、いくつかの障害はあったものの比較的スムーズに契約に至りました。


ある日突然、自分の知らない国からメールが届いて事業展開の話が持ちかけられるなんてなんてダイナミックなことか、と僕は思います。(実際、僕らが日本での事業を打診した多くの方がそういう反応をされるようです)


僕は「旅をしながら仕事がしたい」と思っているため何とか海外と仕事ができるネタを探しています。待っていても何も起こらないので、こちらの側から仕掛けていこう、と考えています。


けど、近い将来は自分がまだ知らない未知の国から、ある日突然に事業の話が持ちかけられるようなビジネス展開をしていきたい、と思うようになりました。ここ数年で何回か仕事がらみで海外にいって、打ち手の数にこだわれば決して絵空事ではないな、と実感しています。(非常に抽象的ですが、ご容赦ください)


ビジネスはある日突然に展開していく、から面白いと思います。
その反面、ある日突然に展開していく、ということにフォーカスしていてもうまくはいきません。


ギャンブルのように一発逆転をするような思考は僕には毛頭ありません。日々の準備を徹底的にやった先にある「展開」、それが一番の醍醐味だと思うのです。


追記
こちらの気候は秋~冬の初め、くらいでしょうか。今朝は雨が降っていて寒いです。今日はクィーンズバースデーのため休日みたいです。

June 11, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2007.06.08

がんばれ営業マン

毎年、春になると多くの新人営業マンが活動をしはじめる。


オフイス事務機、電話・通信、投資、経営コンサルタント会社、などなど当社にも若い方がやってくることが多くなるのがこの時期だ。


僕は原則として、時間があれば営業の方にはお会いするようにしている。


営業マンからの情報や提案が当社をドラスティックに変革する可能性はゼロではないし、僕自身が飛び込み営業を長くつづけてきたのでお礼返し(?)の意味を込めてだ。


25歳の時、担当していた富山県であるリフォーム会社に飛び込み営業をした。


「社長さんいらっしゃいますか?」と受付の方に伝えると、豪華な応接に通された。目立つ位置に額が飾ってあった。そこには「当社を訪れる営業マンの方へ」と書いてある。

「あなたの商品やサービスを熱意を込めて提案してください」
「あなたが持っている最新の情報を教えてください」


といった趣旨のことがかいてあった。どんな社長なんだろ、と戦々恐々としていると40歳くらいのやり手っぽい社長が現れた。


挨拶もそこそこに、僕は自分が売り込む商品の説明をはじめた。


黙って聞いている社長、納得しているのかも、理解しているのかも、まったくわからない。表情がまったくないのが不気味で、僕は焦った。


「なるほど、それだけ?」


ある程度の話がおわると社長がそういわれた。がんばって提案をしたつもりだったのに、社長には物足りなかったようだ。


別れ際に「借り物の言葉で営業をしたらダメだ」といったようなことをいわれた。


研修や上司などからの指導で僕らは営業のスキルを磨く。けど、そこで教えてもらった技術(?)はあくまでテクニックだ。そのテクニックは原則、経営者には通用しない。


なぜか?


経営にはテクニックは通用しないからだ。そんな世界の中で生きている種類の人間にテクニックで勝負をして何とかなるはずがない。


当時の僕はこのことがわからなかった。


営業は人間を売れ、といったことはよくいわれるが、それは安直なテクニックに走りたくなる自分の気持ちと戦う、ということだ。


多くの営業マンが会社にやってくる。中にはセンスのいい営業マン、というのが存在する。


その人たちの共通点は、「自分の言葉で語っている」「自分の人間で勝負している」ということだ。


日々の活動の中からテクニックの無意味さを感じるセンスのある人たちだ。


当然、物事には順序がある。最初にテクニックを学ぶのは効果的だとは思う。けど、テクニックは永遠に頼るものではない。学んでから捨て去るものだ。


捨て去るには数多くのクライアントとやりとりをして反省やきづきの機会をつくらないといけない。飛び込み営業はお金をもらいながら、そんな気づきを得られる職業だ。


へこむことも多いがぜひがんばってください!


追記
その後、この社長さんから受注をいただく機会に恵まれました。で、翌年の春のこの会社の新人研修で僕が営業マンとしての体験談を話することになりました。


営業マンとしての仕事としては決して大きな仕事ではなかったですけど、あの社長に認められた感がその後の自分にものすごい自信となりました。

June 8, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.06.06

依存させる精神

ハワイに5日間いってきた。


海外でも使える携帯を持っていったが、ほとんど着信がなかった。


夕方になると会社に電話をした。「何か連絡入っていない?」と。だが、ほぼ毎日「特にありません」と答えが帰ってきた。


自分がいなくても会社が回るようになった、と思うと同時に一抹の寂しさを感じた。


この寂しさの源は何か?について考えた。するとあるひとつのキーワードが出てきた。


「依存させたい願望」、だ。


「自分がいないと会社が回らない」という社長や上司がいる。


「自分がいないとこのお客さんは対応できない」という営業担当がいる。


一見するとその考え方は素晴らしい。責任感があり、自らが仕事を進んで行う姿勢を感じられる。


が、程度をすぎるとどうか、と僕は考えている。


「自分がいないと…」と思う気持ちのベースには「依存させたい願望」が潜んでいるからだ


社長は社員を依存させる


上司は部下を依存させる


営業マンはクライアントを依存させる


そのことによって、組織での居場所を見つけ、自らの「他者承認の欲求」を満たしていく。


これは人間の本能だからある程度までは仕方ないかもしれない。


が、依存も度が過ぎると「共依存」になっていく性質を持っている。


「社員は自分がいないとどうしようもないんだ」という社長と、その社長に「依存」する社員と。。。


カリスマ社長と呼ばれる組織ではよくよく見聞きする光景だ。


僕の理想とする組織はこうしたものとは対極にある。依存をさせたい気持ちをどのように抑えていくか、は僕の経営者としての課題でもあり、組織のテーマでもある。


依存させる、ということは長期的なスタンスでみると社員や部下やクライアントさんを仕事のできない人間にしていってしまう可能性を秘めているからだ。

June 6, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.06.05

20回目を前に考える

1998年、僕はバックパッカーから社会人に復帰しました。


「仕事をしたい!建設的なことをしたい!」と思っての社会復帰でしたが、反面、長い旅に出られない現実を受け入れなくてはなりませんでした。


あれから9年。気がつくと19回海外にいっていました。今週の末にオーストラリアにいくので、20回目になります。


予想していた以上にいけたかな、というのが実感です。


1999年 韓国
2000年 アメリカ(ケンタッキー)、タイ、ミャンマー
2001年 なし
2002年 タイ、オランダ、モロッコ、バリ
2003年 フィリピン
2004年 ドイツ、オーストリア、中国
2005年 韓国、タイ、アメリカ(コロラド)
2006年 グアム、韓国、ハワイ、カナダ
2007年 ニュージーランド、ハワイ


まだまだ行きたい場所はたくさんあります。


チベットのラサ(僕の原点です。次は最近開通した電車でいきたい)
中国の雲南省(旅をしているときにここを逃したのは後悔です。ベトナム北部に抜けて、モン族のエリアにいきたい)
ブラジル(日本のジムでやってるプログラムがあるらしいので、それを受けに。同様の理由でポルトガルも)
南インド(ここもいってません。本場のほうれんそうのカレーを食べたい)
イエメン(予定まで立てましたが、直前にキャンセルしました。次はリベンジ)
ペルー(定番ですがマチュピチュへ)
□カザフスタンなどの「タン」のエリア(すごくいいらしい、と某旅行者から聞いたので)
などなど。。。(ヨーロッパは老後に残しておきます)


働きながら長期の休みをとるといいうのは難しい、これはいうまでもありません。僕らは好きなことをやるときに必ず経済の問題にいきつきます。「飯はどう食うのか」という現実です。


ただ、働いているから長期の休みがとれない、というのは僕はバランスがとれていない、と思っています。どっちを取るか、ということではなく、どちらも統合できるようにしていくのが人間らしい思考だと思います。


働いている人が1ヶ月ほどの長期休暇をとって旅にでるようになる。そうしたら日本は大きく変革していくと思います。


すべての人類は、いい形で後世の世代に自分の国を引き継いでいく役目をになっています。それは、政治や経済の中核で大きなことを成し遂げる、といった仰々しいものである必要はありません。自分ができる範囲の中で、自分が「これが僕の役目だ」と思えることでいいのです。


僕の場合は、長期の休みをとれる会社、ということかと思っています。元バックパッカー社長としての錦の御旗をたてている(?)以上、僕はこの課題に挑戦するのが宿命だと勝手に思っています。


旅をしているときに「赤いカード」で有名な某デパートの社員さんとよくお会いしました。ここの会社は長期の休みがとれる、とか。僕は最高の社員教育の形じゃないかな、と考えます。


まだまだ道遠しの部分はありますが、徐々に理想にちかづけていきます。そのためには自らが休まないと、と思う今日この頃。


と、最近の海外続きを弁解してみました(笑)

June 5, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.06.04

ハワイから帰国

お取引先の会長の結婚式にお招きいただきハワイにいってきました。(本当におめでとうございます!引きでものでいただいたナッツ入りのチョコが週末に行われた我が家でのパーティーで大人気でした!)


「ハワイなんかいっても日本人だらけで、元バックパッカーとしては物足りないんじゃない?」とよくいわれますが、いえいえそんなことはありません。


僕の中でのハワイは訪れた場所(といっても、25ヶ国くらいかな 数えたことないが)の中では、もっとも好きな地域のひとつ。


湿気交じりのない暖かい風に吹かれているだけで、体内にたまったネガティブなものが霧散してしまうような感覚を覚えます。月にライトアップされた夜の海の美しさは、自分では見ることのできない自己の内面を象徴しているかのように思えます。


その昔、インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗り合いバスだけで旅を行い、『深夜特急』という多くの若者をバックパッカーへと駆り立てた本を著した沢木耕太郎さんも、「世界でいちばん好きな土地はハワイだ」といったことを話していて意外だな、と思いましたが今では納得です。(確か、高倉健さんとの対談で二人とも同様のことをいっていたような)


よく寝たので海外疲れはまったくありません。今週末はオーストラリアに行商にいくので、週明けからハイピッチでいきたいと思います。


追記
海外にいっている間に、大好きなスポーツクラブのインストラクターが6月末で退職するとのニュースに接しました。去年からやたらとこの手の別れが多くて悲しいです。残念ですけど、決断に敬意を表したいと思います。。今週はレッスンにいけるかな。。。

June 4, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)