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2007.07.30

経験を実体験へと変化させる

週末の土日は会社でイベントに出展をした。


いままで、イベント出展はたまにはしていたが、数万人来場(主催者発表)の規模のものははじめてだ。担当者は日常業務を回しながら、春の段階から準備を開始した。


僕にはひとつの確信がある。


準備さえきちんとやっていればそれに応じた結果はついてくる、という確信だ。


だから、今回は売り上げ目標のようなものは一切立てなかった。今回のイベントの目的を伝えて、あとは「今、自分たちがやらなくてはならないこと」をつぶしていってもらった。


そうすれば、準備に応じた結果はついてくる。


仮に万全の準備をしていても結果がでないのであれば、商品の選定や価格の決定に間違いがあったり、ターゲットと自社商品の間にズレがあったりしたということだ。


その時は、その現実をしっかりとみつめて、次の戦略や打ち手を考えればいい。「仮説をたてて、経験をして、反省をして、再び仮説をつくる」これは一つの経験を終えた後に行う経営者の大切な仕事だ。


一方、現場のスタッフや担当者は一つの経験から何を学ぶか。


まずは、経験を経験だけで終わらせないことだ


イベントに出た、という経験は貴重だ。次にイベントに出る際には、きっと半分程度の労力で同じことができるようになっているだろう。それは自身の能力が経験を通じて向上した、ということだ。


けど、職業人として更なるスキルアップを図るのであれば、経験を通じて実体験へと変化させていくことが必要だ。


豊富な経験はあるけども、どうも言葉が軽いような気がする・・・


採用の面接をして、いままでの職歴を聞いているとそう感じざるを得ない人がたまにいる。そんな人は、経験を自分自身の実体験まで変化させることができなかったのだろう。せっかく時間と労力をかけていろんな経験をしたのにこれではもったいない・・・・。


もひとつは、自分が得た実体験を組織に(特に下の世代の人)伝播させることだ


例えば来年、同じイベントに出展するとする。今年はいなかったメンバーが担当者となったとする。


そんな時に「去年、うちの会社がイベントに出展した時は・・・」と自分自身の言葉で語り、自分がつかんだ実体験を伝えていくことだ。


よく、こういった話をすると「若い世代の人は、上の人の体験談を嫌うでしょう」みたいにいわれるが、僕はそんなことはないと思う。


「俺は昔こんなことをした」という経験談のオンパレードだから嫌われるんじゃないかしら・・・・?そこには、奥行きも深さもないだろうし、次の世代に対して何かを伝える、という意図もないだろうし。。。


「俺は昔こんなことをして、反省の中からこういうことを学んだ」という実体験は、自分が仕事をやっていく上で何よりも勉強になるし、参考になる意見だ。純粋に考えるとそんな話を嫌うわけがないではないか・・・?(もちろん。実体験を話して嫌われる、というケースもなくはないでしょうけどね)


僕はそういう風に思い込んでいる。それが、下の世代にとって何よりの財産になると思っている。できれば、組織としてそんな風土になればいいな、と考えている。


今回のイベントはいろんな気づきがありました。


新たなビジネス上の出会いもありました。自分がやってることに対しての確信も得ましたし、事業の方向性を修正しようとも思いました。


多くのお客様がみえてとても勇気づけられましたし、期待も感じることができました。プライシング(価格決定)は難しいと痛感しました。


各担当者は、いままでやってなかったことを「経験」することにより、自分の能力をそれぞれの形で向上させていった、と思います。2日間、大変お疲れ様でした。


そして、経験は金を出して買わせるもの、と教えていただいた僕の師匠に感謝します。

July 30, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.07.27

万が一に備えすぎていないか?

ベストセラーになったカレン・キングストンさんの風水浄化の本を読んだ。


僕は片付けるのが苦手なのと、変なもの収集癖(?)があるのでなかなか身辺整理が下手だ。「これは将来的にネタになる」と思うとガラクタでも捨てられない・・・・。


最近の掃除本、身辺整理本のブーム(?)などで、モノを捨てることの大切さを頭では理解してつもりだけどなかなか行動には移せない。どこかに、「アイデァは混乱(雑然としたカオスの状態)からしか生まれない」とも思ってる自分もいる。


人はよく、「万が一の場合」に何かを取っておこうとします。その意味を突きつめると、「万が一、二度とこのようなものを買うことができなくなっ場合」ということです。(『ガラクタ捨てれば未来が開ける』小学館)


そうなんだよね。捨てなきゃよかった、ということが怖いから捨てられないのだよ。いつか使う機会がくるんじゃないか、とね。あと、使えそうなものを捨てるのはやっぱもったいないし。。


こういった「万が一の場合」のものをためこむと、潜在意識に万が一の事態の準備をせよと指令を出すことになります。


へえ~なるほどね。そんな視点では考えたことなかったな。でも、万が一の準備は必要だと思うが・・・。後悔先に立たず、っていうし。。


このような「万が一」のものをたくさんためこむことにより、あなたは「宇宙は必要なときに必要なものを与えてくれないだろう」という不信感に満ちたメッセージを発信し続けていることになります。そしていつも未来の心配ばかりしているのです。


「万が一」のものをためこむってのは、大いなるものへの不信感の現われ? 未来の心配??


僕は軽い衝撃を受けた。


旅をしている頃、ベトナムやミャンマーで現地の人の家に泊まらせていただいた。どこもシンプルな生活だったが、宗教(ベトナムはキリスト教、ミャンマーは仏教のお宅でした)をベースにした生活はとても満ち足りた感があった。


そいや、タイに向かう飛行機の中で同席した中国系のおばさんが笑いながらいってた。「モノを持つと無意識に守らないといけないから疲れるわ。旅にくるとそれを思い出すのよ。ケラケラ」と。


そいや、僕も旅をしてる頃はパスポートと撮影済みのフィルムさえ守ればいい、って状況にすごく精神が解放された感を味わってたな、と次々に昔の思い出が蘇って・・・。


僕は「万が一」に殊更に備えすぎていないだろうか?そのために今の自分を縛り付けていないだろうか??


掃除の本(実際はカレンさんの本は掃除がテーマだけではないんですけどね)を通じてそんなことを考えました。


果たして身辺に何かしらの変化があるかしら??


July 27, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.07.26

変化を機会としてとらえる

現存する仕事はすべて正しい仕事であり、何かしらの貢献をしているはずであるとの先入観は危険である。


現存する仕事はすべて間違った仕事であり、組み立てなおすか、少なくとも方向づけを変えなければならないと考えるべきである。(『仕事の哲学』P.F.ドラッカー)


ビジネス界に影響を持つ思想家であるドラッカー博士の本にそう書いてあります。


僕は、この意見には基本賛成なので、担当者が仕事に慣れてきたなと思ったら「仕事のやり方を変えろ」ということを社内でもよく言います。


でも、いままで多くの人と仕事をしてきて、仕事のやり方を変えることができる人の方が少ないということも体験的に知っています。


多くの要因があるでしょうが、多くは変化には自己否定の側面(実際はそうでもないんですけどね)を持つからです。更には、改善や改革には、一時的な痛み(一時的には仕事が増える)を伴うからです。


では、「やり方の否定」を経営者やリーダーが否定したらどうなるか??


中小企業の場合は待っているのは、組織力の低下です。


その仕事にかかわる人の能力の低下ですし、成長の鈍化です。下の世代の成長の芽を摘むということにもつながります。長期的にはお客さんの流出を招き、その結果として給料だとか待遇だとかにも影響がでてきます。


それが現実です。


なぜなら、中小企業の場合は、変化に対応したり、変化を機会としてとらえるしか組織としての成長がないからです。成長なき企業を残しておくほど、市場は甘くはないからです。


業界環境やクライアントに大きな変化があった場合、僕らは必死になってなんとか対応をしようとします。でないと仕事にならないからです。


その変化にうまく対応ができれば会社は成長します。それは、「変化を機会としてとらえられた」ということです。


けど、優れた中小企業は変化を自らが作りだします。


業界環境やクライアントの状況の変化を待っていたらいつまでたっても企業としては受け身です。自らが率先して変化をつくりださないと、クライアントから取り残されてしまう可能性もあります。


僕の場合は、新商品の開発、イベントへの出展、人材採用、業務改善・・・・すべては組織の変化を引き起こすために行う、という側面でモノを考えています。


変化をつくりだせる組織、人材がいたら企業はまず安泰だと思います。仮に、売上などが大幅に下がったとしても、その「変化」を「機会」として新たなことができますからね。


追記
この問題の根深いところは、日常業務が行われている中で業務の改善を行わなくてはならないことがあります。


経営者やリーダーの多くは、プレイングマネージャーとして現場の実務を取り仕切っています。時間や労力が限られたなかで変化をつくりだすのは確かに大変です。


けど、それが経営者やリーダーの仕事を割り切ることが大事だと思います。変化を引き起こせるから経営者だし、リーダーでいられる、と僕は考えています。


「自分がいなかったら、この業務をどう行うか?」「どうしたら自分が楽に、クリエイティブに業務を行えるか?」を徹底的に考えてできることから変化をさせていくことです。人任せにしないのであれば、それ以外に、道はないと思います。

July 26, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.07.23

10年前のいまごろのはなし

今から10年前の7月、僕はチベットのラサにいました。


中国のゴルムドからバスでチベット入りする道中に高山病を患い、夜中の1時すぎにチベットに着いたときには一歩も歩けない状態でした。


同行の旅行者が僕をおぶって何とかゲストハウスを決めてくれましたが、そのままでいたら野犬に襲われていた、と本当に思います。


呼吸困難で階段の上り下りがまったくできず、食事は当然ままならず、ベットから起きてトイレにいくことも一大事でした。


頭がガンガンし(太陽光がまぶしく目が開けられない)、ときどき、幻覚(なぜかバングラディッシュをひとりで旅している・・)と幻聴が聞こえました。寝ているとハエがたかってきます。体重は推定では7キロほどは落ちたでしょうか・・・・よくいわれる酸素ボンベなどは何の役にもたちませんでした。


旅にでたことを後悔した唯一(? もう一度あったかな)の時間でした。


同室(1部屋7人くらいのドミトリーでした)の旅仲間、看病をしてくれたゲストハウスのスタッフのお陰で病院にいけるようになり、何とか快方へと向かいましたが1週間近くはうなされていた、と思います。


あの時、僕のお世話をしていただいた旅仲間とは、その後、住所を交換してしばらくは写真や年賀状などのやりとりをしていました。けど、僕が住所を転々としたり、先方の状況が変わったりしてほとんどは連絡つかずになってしまいました。


メールアドレスが一般的ではなく、SNSのない時代、ですからね。


でも、僕はそれを不自由だとは思わないんです。


昔、お世話になった人だとか、昔話をして時間を過ごしたいという仲間は誰にでもいると思います。


けど、10年という歳月は僕らを確実に変えています。当時は、旅仲間ということで共感できた話も、今、それぞれが生活している環境はおそらくまったく違います。その中で、かつてと同じような共感ができるだろうか??


かつては酒を飲みながら共感できた話もそうでなくなったりする。それが人間の成長、の一側面です。


「皆、どこかで元気にやってるんだろうな?」だとか「あのときは本当にお世話になった」だとか時々、昔のことを思ってみる。


で、縁があればどこかで再び会うようになるだろうし、そうでなければ一生、その機会はないかもしれないくらいの思いでいてみる。


かつての僕は、昔の集まりの幹事やらを拝命したり、率先してやったりしてましたけど、最近はそんなスタンスになってきました。


インドで知り合ったベルギーのおじさんがいました。


何日間かゲストハウスをシェアし、酒を飲みながら自分が旅した世界の話を分かりやすい英語で教えてくれたおじさん。


明日、それぞれの目的地に向かうという夜「住所交換しよう」という僕の申し出に、「いいや、その必要はない。お互い縁があって生きてりゃいつかあえるさ」とそっけなくいわれたおじさん。


当時の僕は、冷たいおじさんだな、と思いましたが、今はその意味がなんとなく分かるのです。


その後、まったく会う縁はありませんけど、彼の言葉は僕の中ですごく生きています。それって、日常的に顔をつきあわせている以上に深い付き合いをしている、という感じもするのです。


追記
週末にチベットにいった時の写真がたまたまでてきたのでこんな内容になりました。でも、10年って時間って凄いですね。日々の進化はごくごくわずかでも、「時間の長さ」を活用したい、と思いました

July 23, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.07.20

部下を成長させる、をどうとらえるか

昨日に引き続き、田坂先生の講演会で刺激を受けたこと。


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「成長」という言葉は、自動詞なのです。

自発的に本人が「成長したい」と思わないかぎり、成長することはない。

それは、他動詞ではない。

誰かが、誰かを「成長させる」ことはできないのです。

だから、私は、「成長を支える」という言葉を使うのです。

「成長させる」という言葉を使わないのです。

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僕は会社の目的の一つに、「かかわる人の自己成長を促す」といった趣旨のことを盛り込んでいます。


けど、自己成長を僕がさせられるとは毛頭も思っていません。そんなのは本人の責任ですし、成長への方向性(どのような自己成長をしたいか)というのは人それぞれだからです。


だから、「あいつは俺が育てた」などという居酒屋談議的な話はまったく荒唐無稽だと考えています。こういう言葉を聞くと、部下や後輩を一人前として扱っていない感がするので、原則、話には同調しないです。


僕は、経営者やリーダーができることは、2つだと思っています。


まずは、「成長する組織」という土壌を生むことです。これは経営者やリーダーの「成長したい」という強い思いなしには生まれません。


誰でも知っている大手会社にいる僕の友人がいっていましたが、「どんどんと成長しないと恥ずかしい雰囲気が社内にある」といっていました。強迫観念的に成長を促されるのはどうか、と思いますが、こういった雰囲気は経営者やリーダーが生み出すしかありません。きっと、成長への思いが強い経営者なのでしょう


もう一点は、成長を阻害する要因を省く、ということです。


成長したい、というのは人間のプリミティブな欲求だと思います。それなのに自己成長ができないのだとしたら、何か阻害要因があるのだと思います。


モチベーションのかからない単調な仕事に従事させているからなのか、成長するということを斜にとらえる人の存在なのか、生活の不安や心配事を抱えていて成長どころではないのか・・・


「成長したって経営者に都合のいいように使われるだけでしょ」と思われているのか・・・・「部下や後輩が自分以上に成長したら困るな」という経営者やリーダーの無意識が問題なのか・・・・


そんな要因を見つけて、打ち手を打つことが大事だと思います。


経営者やリーダーができるのはしょせんその程度のことなのです。


けど、「その程度」のことこそが、凄く難しくて経営者やリーダーが一生を賭けるに足るテーマなんでしょうけどね。


追記
「部下を成長させることはできない」と書きましたが、僕には「あの人のお陰で成長できた」という先輩や上司(後輩や部下も、かな)がいます。


その方たちとのことを思い返すと、「成長をさせる」ということはできるのかな、という思いにかられることもあります。


けど、「成長をさせる」と経営者やリーダーが部下や後輩に対して思うのはやっぱりどうもなじめないです。やはり、成長の環境をつくって、成長の阻害要因をはぶくことしかできない、と思うのです。


部下や後輩が「成長させてもらった」としみじみと思うものだと思うのです。


July 20, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.07.19

田坂広志先生の講演に参加

田坂広志先生(多摩大学大学院教授)の新著が上梓され、講演会が新宿紀伊国屋で行われたため参加。


『なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか』(PHP研究所)


いわゆるマネジメントの技術や精神論を述べるのではなく、独自の視点から実体験に裏打ちされたマネジメントの哲学は、いつもながらに気づかされることが多い。


1時間半の講演のすべてに刺激を受けたといっても過言ではないが、特に共感を得た部分だけ、それも1箇所だけ書籍から抜粋したい。


マネージャーとは、「部下や社員の人生を、預かる立場である」とした上で。


その2つの意味を解説しています。(P21~)


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一つは、部下や社員の「生活」に責任を持つという意味。


部下や社員には「生活」がある。
その部下や社員に家族がいるならば、その家族の「生活」がある。
そして、我々は「霞を喰って」生きているわけではない。
マネージャーとして、部下や社員が、自身と家族の生活を支えるようにすること。
それは、マネージャーが自覚すべき、大切な責任です。


しかし、その責任を自覚した瞬間にその限界にも気がつきます。


我々は、一生涯、上司と部下、経営者と社員として歩むわけではない。
その当たり前の事実に気がつきます。
そして、その事実に気がつくとき、もう一つの事実にも気がつきます。


我々は、一生涯、部下や社員の「生活」を支えてあげることはできない。


どれほど愛着を感じる部下や社員でも、かならず巣立つときが、来る。
どれほど深い縁を感じる部下や社員でも、かならず分かれるときが、来る。


そして、そこから先の部下や社員の「生活」。
経営者やマネージャーは、それには、直接、責任を持つことはできないのです。
そこから先は、その部下や社員が、自らの力で「生活」を支えていかなければならない。


そのことを理解するとき、我々は、気がつきます。
「部下や社員の人生を預かる」
その言葉の、もう一つの深い意味に気がつきます。


部下や社員の「生活」に責任を持つだけではない。
部下や社員の「成長」に責任を持つ。


それが、経営者やマネージャーの責任であることに気がつくのです。


すなわち、「人生を預かる」とは「成長に責任を持つ」こと。


だから、我々は、自分の下にいる時代に、部下や社員の「成長」を支える。
ベストを尽くして、その「職業人としての成長」を支える。
精一杯に、その「人間としての成長」を支える。
その責任を持っているのです。


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リーダーや管理職というのは、出世のためのポストではありません。ましてや、「仕事がよくできるから」だとか「仕事に対しての経験が長いから」といったことでなるものでもありません。


まずは、部下や後輩の成長に対しての責任、という重荷を背負う覚悟が必要かと思います。まさに田坂先生のいわれることです。


けど、こういう話をすると「今の時代にはそぐわない」とかいわれたりします。「若い人は会社に対してそこまで期待していない」といわれたりします。


果たしてそうかしら??


若い世代の人が、大企業に所属したがりがちなのを考えてみるといいでしょう。そこには、「生活」や「成長」に対しての期待がかなりの割合であると思うのです。


「この会社にいれば安定してそう」「自分の能力を伸ばせそう」という思い(イメージであることも多いと思いますけどね)が大きな企業にはあるんでしょう。


けど、僕らみたいな中小企業でも経営者やリーダーが部下の成長に対して責任を持つという覚悟さえしてれば同じ土俵で十分に戦えると僕は思ってますけどね。

July 19, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.07.17

週末のできごと

よかったこと & 新しいこと


□大学のOBによるゴルフコンペ。ハンデがいっぱいだったものの、3位に入賞。賞金をいただく。


□兵庫からジム関係の仲間が上京。神楽坂で二十数名で飲み会(その後、我が家で2次会)「たかがジム、されどジム」を痛感。


□ジム仲間の自宅(千葉)へ。生まれて3ヶ月くらいの猫ちゃんをモフモフする会。めっちゃ可愛かったし、ご馳走になった料理(鳥をまるごと煮たもの)がめっちゃ美味かった。


□通ってるジムでの祝日。他の店舗からのインストラクターを招いて。午前中のスケジュールだったにもかかわらず凄い盛り上がり。


□両家の両親、我が家の兄弟を含めての食事会。新井薬師という普段訪れない街で。妹夫妻が美容院&エステサロンを9月にオープンするらしい、との話。


□某店舗でのダンスプログラムイベントに参加したインストラクターがすごく素晴らしい!早速、レッスンの予定をチェック 遠征へ。


人生は「よかったこと」「新しいこと」の積み重ねでどんどん開いていく、と僕は考えてます。


よく「ポジティブシンキング」(前向き思考、って訳すんですかね?)なんていわれますけど、結局のところポジな人は「よかったこと」と「新しいこと」に貪欲なだけなんじゃないか、と。


「ポジティブだから新しいことにトライできる」のか、「新しいことにトライするからポジティブになっていく」のか、この辺の判断は人それぞれでしょうけどね。(そもそも、ポジティブがいい、という考え方に異論もある人はいるでしょうけど。。)


少なくともジムには、よかったことや新しかったことを集めるのに貪欲な(?)人が大勢いるんだな、と痛感せられた週末でした。僕にとってはそういう空気が心地いいな、と。


そいや週末は誰かしらが我が家に泊まってたな。。。これはすでに「新しいこと」ではなくなってますが・・・・(笑)

July 17, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.07.13

先達から受けた恩は次の世代に返す

来月から僕の母校から学生のインターンがくることになった。


男性1人、女性1人 それぞれ2週間だ。


先日、「将来的に新卒採用をしたい」と思って母校の就職課を訪れた時に、たまたまインターン制度の話を聞いた。


こういった制度は大企業の専売特許(?)だと思っていたが、いえいえ、中小企業でも積極的に受け入れている会社があるらしい。


僕は、話を聞いているその場で受け入れを決心した。


「先輩から受けた恩は次の世代に返す」


僕らはさまざまな先達の影響を受けて人生を生きてきた。もし仮に、それらを恩に感じているのであれば、恩返しをするのは次の世代にではないか、と僕は考えている。


世代から世代へ、それが善の循環を生み出していく。きっと、僕らが恩を受けた先達も、かつてはどこかで誰かの影響を受けてきたのだろうからね。


僕は大学時代の部活(キックボクシング)に大きな影響を受けた。いろんなことを学ばせていただいた。


社会に出る、ということが漠然としていたあの頃、社会人として活躍しているOBの存在や体験話が僕を勇気づけた。働くってのは大変なことばかりじゃない、ってメッセージを尊敬するOBなどから僕は受けとった。


そんなご恩を返すのは、後輩であり部下であり若い世代の人たちに対してだ。


インターン制度の応募概要に「僕のブログを見てピン!と来た人」と書いておいたのだが、このブログを読んで応募してきたのならなかなかセンスがいい(?)、と僕は思う。


学生が接する「社会に出る」ってメディアなどの情報は、とかく「大変だ」「厳しい」って側面で語られることが多いように思う。そういう情報を流しておいた方が採用業界は潤うし、企業の担当者だって大上段(?)から学生に接することができるしね。


確かに、その側面がないといったら嘘になる。


けど、働いて社会にでるってことは、なりたい自分になるための手段のひとつ、なのだ。そんなことが「大変」で「厳しい」だけであるはずがない。


数ある会社からうちを選んでもらった人への敬意として、そんな一端を感じてもらえたらいいかな、と個人的には思うのだ。

July 13, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.07.10

お店をつくる、という直感が

1ヶ月ほど前の早朝、「お店をつくる」という直感が降ってきた。会社がやっているヒーリンググッズの商品を販売するアンテナショップの構想だ。


すぐさま、スケッチブックに基本コンセプトをまとめて、おおまかな資金計画をたてた。


「70パーセント以上の成功見込み率」


僕が新しいことをする際に意思決定する基準(まあ、ほとんど思い込みだけの成功率ですけど・・)に事業のラフ計画は十分に達している。事業リスクは少ないし、資金だって何とかなるだろうし、今の事業との相乗効果も見込める・・・。これはイキだ、と思った。


2週間後、ある物件が目に付いた。路面に面している1階で、会社からも近い。すぐさま不動産会社に打診をお願いし、物件を見にいった。


物件の広さ、賃料は問題ない。唯一、気になるのは土・日曜日の通行量の少なさだが、あるターゲットに的を絞ることにより何とかなるだろう、と思った。で、事業計画を更にまとめた。


ただ、唯一気になっていることが払拭できずに今回は縁がない、との結論を出した。


なんでも地下室に排水溝へとつながる階段(の跡のようなもの)があって、水場の近く(今回はその上)に店舗をつくるのがどうかな、と思ったのだ。


水場の近くに事務所を構えない方がいい、という迷信があるのかどうか分からない。けど、池をむやみに動かすのはよくない、という一般的にいわれていることとなぜかリンクしてしまったらそれが頭から離れなくなってしまった・・。


僕は、迷信のようなものを信じる方だ。


そこには、昔の人の英知が凝縮されていて、歴史の風雪に耐えた何かが存在していると思うからだ。


そんなわけで今回の店舗計画はいったん白紙とすることにした。


直感が降って来た、などというと偉そうだが、論理的に具体的につめていくと結構、ゆきづまることも多い。すでに店舗構想は僕の中では来年以降のテーマとなっている。


バタバタと相談したみなさん、お騒がせしました。

July 10, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2007.07.09

部下や後輩に迎合しない

若者(この言葉は定義が難しい、とは思うが・・一般的な意味合いとして)の会社離れが顕著だ、といわれている。


3年未満で退職したり、そもそも会社への所属を望まなかったりする、といわれている。


ビジネス系の雑誌などでもこの手の特集がよく見受けられる。


識者が分析して曰く、「今の若い人が会社離れを起こしているのは、上司が夢を語らなくなったからだ」とか「そもそも会社に夢がないからだ」みたいなことが書いてあったりする。


結論として、「上司は部下や後輩に夢を語れ」みたいなことが書いてあったりする。


・・・・。はあ~??


確かに、若い人が3年間もたたないうちに辞めてしまうのは会社にとっては痛い。けど、それを恐れるばかりに、若い人に迎合(あえてそういいますが・・)してどうするんだろ??


夢を語れ、って視点はどー考えても部下や後輩に媚びを売っている視点だ。更にいうならば、(夢を語ることにより)部下や後輩は自分の思い通りにできる、って視点だ。


もっというならば、部下や後輩を自分の思うように操作したいっていう視点だ。


そんなことをやってるから若い人が会社や上司に愛想を尽かすんじゃないかしら・・・。僕の知る限りでは若い人はもっとクレバーだし、夢などを無理して語らなくても上司や先輩の本質を見抜く目を持っていると思うのだけど・・・。


部下や後輩が辞めてしまうかもしれない、ってのは上司や先輩が持っておく必要最低限の覚悟だろう。そんな覚悟がないから部下や後輩に迎合し、雑誌などをみて慣れない夢などを語ったりする。


夢などは語りたい人が語ればいいし、そうじゃない人は語る必要などない。ましてや、部下や後輩が辞めないように、と迎合するすべての活動はナンセンス以外の何者でもないだろう。


それが、部下や後輩を一人前のビジネスマンとしてリスペクトする、ということだ。


僕は、若い人が短い間で辞めてしまうのは、結局のところ一人前として扱われている感がないからだ、と思っている。


追記
「うちの会社には夢がない」とか「上司に夢がない」ってことで会社を辞めていく若い人がいるのは事実だと思います。僕もよくこの気持ちはわかります。


けど、会社や上司に夢がないから辞めるっていうのは、「他律思考」以外のなにものでもありません。そこには、自分がどーにかする、といった自律の思考が少ないように思います。


今の時代、夢やビジョンを明確に語る人の方がめずらしいんじゃないかしら?逆に、将来のビジョンをガンガンと語る人ってのはどーもうさん臭くないかしら??


僕は、上司や先輩が夢を語るか否かってことよりも、自分なりの哲学をもって仕事をしている人かどうかってことが重要だと思います。こればかりは付け焼刃でどうにかなるものではないですしね。


その哲学が自分のそれをばっちり合えば職業人として所属する組織としては最高ですけどね。

July 9, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2007.07.05

アンジーがきた!

僕の通ってるジムで行われているスタジオプログラムがある。


ニュージーランドから全世界、10,000のスポーツクラブに配信されている、というプログラムだ。一部に熱狂的なマニアが存在している。(僕もきっとマニアだと思われている。本意ではないのだが・・・まっ、いっかね)


以前に、僕は現地にいって生のレッスンにいってきた。


「何もそこまでしなくても・・・」といわれるかもしれないが、ビーリー・ザ・ブートキャンプにはまった人がビリーに会いたくなる(よな??)のと一緒だろう。


源流だとか、大元だとか、川上だとか・・・そこにはそれ相応のよさがある。実際、ニュージーランドでの数日は興奮と感動と刺激に満ちた素晴らしい日々だった。


そのニュージーランドのインストラクターのひとり、アンジーがプライベートで来日、昨日は僕のいっているジムでレッスンに特別参加した。


イメージとしては、ビリーの娘・シェリーがレッスンに現れた、という感じか。アンジーはプログラムの開発者ではないのだが、そのお膝元のジムでレッスンをしている。本場ならではのインストラクション、あの楽しかった日々がよみがえってきた・・・・。


それにしても、全世界で共通のプログラムが同じ(当然、イントラによって個性はあるけど)インストラクションで行われているなんてなんてダイナミックなことだろうね。以前にも書いたがちょっとこの会社の社長に嫉妬するわ。。


最近、海外と仕事をすることが多いのだが、言葉を超えたサービスを提供するって視点から考えるとまだまだいろんなものを提供できる余地があるかな、と。喜怒哀楽の感情は世界中どこいってもそうそう変わらないだろうし。。


アンジーの名前にちなんで(?)アンコのお菓子3点セット(モナカ、どら焼き、八つ橋)をお土産にあげたのだが、つたない英語で意図は伝わったかしら・・・。


そうそ、アンジーと秋にニュージーランドでの再会を約束したのでニュージーランドにいくことにします。占星学の先生によると、僕は来年の1~2月まで娯楽の時期なんだって。何でも12年に1度、だとか。。。。これは十分にニュージーいきの理由づけになるかな、と(笑)


これに向けて英語の勉強のモチべがあがるといーけど。。


追記
今日から北海道です。金曜日の夜には戻る予定。

July 5, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.07.03

決断、は経営者の仕事のみにあらず

「昼飯をカレーにするか、ラーメンにするか」,「目的地に地下鉄でいくか、JRでいくか」、「晩酌のビールを飲むか、のまないか」


そんなささいなことから、引越や転職や結婚といった大事(?)まで、僕らの日常生活は「決断」で満ちている。


仕事もいうなれば決断の連続だ。


一般社員には一般社員なりの、管理職には管理職なりの、経営者には経営者なりの決断を僕らは迫られる。


けど、なかなかこれが苦手な人がいる。


まずは、責任の棚上げ(「上の者に相談してみます」)という決断の回避がなされる。


企業の最終的な責任者は経営者だ。だから、「上の者に相談してみます」も分からないでもない。


けど、現場レベルで決断するようなことを経営者がジャッジしていたのでは、その人の役割は何なの?って僕は考える。まずは、現場レベルでの決断を行った上で、必要とあれば経営者の判断を仰ぐのが仕事の作法としてはふさわしい。


もひとつは、時間の繰り延べ(「もうちょっとじっくり考える」)という回避がある。


僕の実経験ではじっくりと考えていいことが浮かぶことはあまりない。えてしてこのケース、じっくりと考えるポイントが判断できていないことが多い。そんなだから、時間を「じっくり」費やしても徒労に終わる。


一歩譲って、「やはり、じっくりと考えたい」というのであれば、「何を」「どのように」「だれの協力を仰いで」「いつごろまでに」くらいのことは報告する義務があるだろう。


中小企業にとっての時間はかけがえのない財産だ。「じっくり」してる間にどんどんと会社の財産は減っているのだから。「じっくり」に付き合ってるほど市場は優しくはない。


「決断できる力」は仕事を通して涵養されると僕は考えている。それでも「決断が苦手」というのであれば、決断を必要としない仕事をなんとか探したほうがいいだろう。


決断のない人生がないように、そんな仕事があるのか分からないが・・・。


追記
僕自身が決断を先送りするケースは、「決断をするための事実」が集めきれてない時ですね。けど、これもある程度のところまでで決断をしないと、時間ばかりかかってしょうがないと思います。


時間軸を検討要素にいれないと、どんな優れた決断もタイミングを逸した味のないものになってしまいますからね。

July 3, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.07.02

今月のよてい

お取引先と北海道にいきます。
大学のOB関係のゴルフコンペがあります。


ジム関係の飲み会が最低3つあって、大学時代の関係の飲み会があります。
元社員さんの家にお邪魔します。


某イベントに会社として出展します。
あと、尊敬する岡本先生とセミナーと田坂先生の講演会にいきます。


占星術のセッションを受けます。
あとは、自宅の引越しの目算をたてます。


自宅に溜まった本やモノをばしっと捨てます。
英語の勉強をして、海外の取引先をやりとりできるようにします。


社員面談をして、賞与があります。
新しい外注先を見つけ、版権の交渉をきちっとします。


やることがたくさんあると、ともすると心地のよい多忙感につつまれたりします。
けど、そんな時だからこそ「~である」という現実をみつめることが大事だと思います。


現実をみつめることなしに行う行動は、「不安や恐れからの逃避」だったりします。ワーカーホリック的な行動だったりします。


「多忙」なときだからこそ、自分の忙しさはこうした思いから派生していないか、を考える必要があると思います。


ご縁のあるみなさん、よろしくお願いいたします。

July 2, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)