嫌われる、ということを恐れずに
「人生の生きづらさを越える」
ってテーマで何人かのセラピストのインタビューをまとめた。
なぜか人間関係がうまくいかない、周りで問題が次々と起こる、生きていて無性につらくなる・・といった「人生の生きづらさ」を心理的な側面からまとめよう、という雑誌の企画だった。
数年前の話になるのだが、ある一人のセラピストの言葉がとても印象的だった。
「なに、簡単なことですよ。人に嫌われればいいんですよ。」
・・・? 人に嫌われたら人生大変じゃないかしら???
僕は純粋にそう思った。
けど、それから心理学の勉強をしたり、いろんな本を読んだり、実生活をしてきて、確かにこれは確かにパワフルなことだ、と考えるようになった。
僕らは「人と仲良くやっていきたい」という欲求を持っている。更には「人に認められたい」というより高い次元の欲求も持っている。
けど、周りの人すべてと「仲良くやっていきたい」「認められたい」と思っても、僕らの人間関係は自分が考えている以上に広がっている。知人・友の数、付き合いの深さ・・これらは子供の頃の、学生の頃の比ではないはずだ。
そんな状況の中で、「誰とでも仲良くやっていく」「誰にでも認められる」ってのは所詮無理な話なのだ。
でも、僕らは心理的に「欠けているものを補いたい」って側面がある生き物だ。
そんなだから、身の回りに確実に存在している「自分を本当に認めてくれている人」よりも、「自分を認めてくれない人」の存在が妙に気になったりする。「なんであの人は自分を認めてくれないんだ」って思い悩んだりする。
結果、「認めてくれない人」に対して認めてもらえるような行動をしたがる。
けど、それって自分の心が本当に欲してることなのかしら??
見聞きする限りではあるが、多くの場合、自分の心と行動(認めてくれない人に認めてもらうようにするすべての行動)との間にギャップが生じ、生きづらさが生まれる原因になったりする・・・・。
だったら、本当に自分を認めてくれる人と時間を過ごしたり、愛情を注いだり、何かしらの行動をしたほうがいい、と僕は思う。
人生は有限だ、自分を認めてくれない人に対して何かしらの働きかけをする時間も労力ももったいないし。
冒頭のセラピストは「嫌われる」という表現だったが、きっとこんなことをいいたかったのだろうな、と最近思うのだ。
そんなことに共感する僕だから、「人に嫌われる」ってことはあまり気にしていない(か?)。「嫌われる要素は何かあるのか?」って反省はするけど、必要以上には考えない。
たまたま、その日、その時、その場所で「嫌われている」だけかもしれない、と思うようにする。「いつか、お互いを認め合う関係になればいいな」と思うこともあるけど、こちからから必要以上の働きかけはしない。
確かに「嫌われている」って感情は心地のいいものではないけどね。でも、それに恐れたり不安になったりして、本当に大事なことを見失うなら本末転倒か、と。
↓人気ブログランキングに復活しました!押していただくと、ちょっとだけこのブログが有名になります!
人気blogランキングへ
追記
自分の臨終の際に僕は「あの人に影響を受けた」って涙する人と、「あいつがいなくなってせいせいする」って喜ぶ(?)人がいたら、自分の人生、それなりに価値あるものだったかな、と思ってます。
皆がみんな「いい人だった」っていうのは、どことなく「どーでもいい人だった」といわれてるようで嫌ですね。エッジの効いた生き方をしていれば、どこかで嫌われることはあるのは当然、だと思います。
August 30, 2007 in プチ経営の哲学 | Permalink | Comments (0) | TrackBack (0)
有限会社ヴィジョナリー・カンパニー 大塚和彦



