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2007.08.30

嫌われる、ということを恐れずに

「人生の生きづらさを越える」


ってテーマで何人かのセラピストのインタビューをまとめた。


なぜか人間関係がうまくいかない、周りで問題が次々と起こる、生きていて無性につらくなる・・といった「人生の生きづらさ」を心理的な側面からまとめよう、という雑誌の企画だった。


数年前の話になるのだが、ある一人のセラピストの言葉がとても印象的だった。


「なに、簡単なことですよ。人に嫌われればいいんですよ。」


・・・? 人に嫌われたら人生大変じゃないかしら???


僕は純粋にそう思った。


けど、それから心理学の勉強をしたり、いろんな本を読んだり、実生活をしてきて、確かにこれは確かにパワフルなことだ、と考えるようになった。


僕らは「人と仲良くやっていきたい」という欲求を持っている。更には「人に認められたい」というより高い次元の欲求も持っている。


けど、周りの人すべてと「仲良くやっていきたい」「認められたい」と思っても、僕らの人間関係は自分が考えている以上に広がっている。知人・友の数、付き合いの深さ・・これらは子供の頃の、学生の頃の比ではないはずだ。


そんな状況の中で、「誰とでも仲良くやっていく」「誰にでも認められる」ってのは所詮無理な話なのだ。


でも、僕らは心理的に「欠けているものを補いたい」って側面がある生き物だ。


そんなだから、身の回りに確実に存在している「自分を本当に認めてくれている人」よりも、「自分を認めてくれない人」の存在が妙に気になったりする。「なんであの人は自分を認めてくれないんだ」って思い悩んだりする。


結果、「認めてくれない人」に対して認めてもらえるような行動をしたがる。


けど、それって自分の心が本当に欲してることなのかしら??


見聞きする限りではあるが、多くの場合、自分の心と行動(認めてくれない人に認めてもらうようにするすべての行動)との間にギャップが生じ、生きづらさが生まれる原因になったりする・・・・。


だったら、本当に自分を認めてくれる人と時間を過ごしたり、愛情を注いだり、何かしらの行動をしたほうがいい、と僕は思う。


人生は有限だ、自分を認めてくれない人に対して何かしらの働きかけをする時間も労力ももったいないし。


冒頭のセラピストは「嫌われる」という表現だったが、きっとこんなことをいいたかったのだろうな、と最近思うのだ。


そんなことに共感する僕だから、「人に嫌われる」ってことはあまり気にしていない(か?)。「嫌われる要素は何かあるのか?」って反省はするけど、必要以上には考えない。


たまたま、その日、その時、その場所で「嫌われている」だけかもしれない、と思うようにする。「いつか、お互いを認め合う関係になればいいな」と思うこともあるけど、こちからから必要以上の働きかけはしない。


確かに「嫌われている」って感情は心地のいいものではないけどね。でも、それに恐れたり不安になったりして、本当に大事なことを見失うなら本末転倒か、と。


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追記
自分の臨終の際に僕は「あの人に影響を受けた」って涙する人と、「あいつがいなくなってせいせいする」って喜ぶ(?)人がいたら、自分の人生、それなりに価値あるものだったかな、と思ってます。


皆がみんな「いい人だった」っていうのは、どことなく「どーでもいい人だった」といわれてるようで嫌ですね。エッジの効いた生き方をしていれば、どこかで嫌われることはあるのは当然、だと思います。

August 30, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.08.28

経営と「物語り」と

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優れた組織に存在するもののひとつに「物語り」があります。


経営哲学やビジョンはそれ自体では、絵に描いた餅でしかありません。組織に何の力も生み出しません。


実際の業務を通じて生まれた「物語り」だけが経営者の哲学やビジョンに息吹を吹き込みます。


この「物語り」は黙っていても組織には生まれにくい、という性質をもっています。本や映画などの「物語り」には必ず作者の存在があるように、「物語り」を意図的につくる人の存在が必要となってきます。


まずは、経営者が自分の「物語り」を自分の言葉で語ること。


そして、次第に社内に「語り部」(これは、古参社員がなることが多いです)的な人が自然にうまれてきて、「物語り」は生まれていくことが多いようです。


僕がブログを書く理由の一つがこの「物語り」をつくることです。


僕は多くの人が本や映画といった「物語り」に共感するのと同様、「自分が所属している組織の物語り」を知りたい願望があると思ってるからです。


今回、僕がつづっていた「物語り」がきっかけとなって『平成社長物語』という本に登場させていただくことになりました。何でも「経営者、企業家たちの言葉で綴る18のストーリー」だそうで、大変に光栄なことです。


もともと、このお話をもってきていただいたのは、大学時代に大変お世話になった先輩、からでした。


僕が大学4年生の時に大学の格闘技系団体の委員長なぞを拝命したときに、OB代表としていろいろとご指導いただいたのがこの先輩とのきっかけですから、もう15年ほどのご縁になります。


改めて人様のご縁を感じた次第です。ありがとうございました。


本は書店やアマゾンなどで購入できるそうです。この本がきっかけとなって、新しい「物語り」が生まれたらいいですね。


追記
NHKで放送していた「プロジェクトX」は、組織の中での「物語り」を一般の人にわかりやすく伝えた秀逸な番組だった、と思います。


セコムの社長がこの番組で取り上げられたときのこと。


エンディングで創業時の事務所(どこかのビルの屋上のプレハブで6畳くらいのところ)を何十年かぶりに訪れるシーンがありました。


「なつかしいねえ~」なんて昔を思い出す社長にもらい泣き。。。。


映画や本に全く感動しない人がいないってのを見てもわかるように、人間は潜在的に「物語り」を求める生き物なんだと僕は痛感しました。

August 28, 2007 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2007.08.27

仕事における「プライド」の存在について

あの人はプライドが高い、なんてよくいう。


プライドは仕事をする上での自信の源のようなものだ。


だから、ないよりあった方がいい。


けど、プライドって客観的に判断をしないと、「傲慢」と同義語になってしまう。「よくあれだけの実力であんなプライドが持てるな」っていわれるのも困る。


僕は、30代前半くらいまでは、傲慢すぎるくらいの自信(プライド、のようなもの)をもっていてもいい、と思う。


この期間くらいまでは、実力があるから自信があるのではなく、自信があるように振舞うから実力が伴ってくる、という側面があるからだ。


けど、僕くらいの世代になってくるとそうはいかない。


何せ、一般的には15年近く働いてるわけだし、職業人としての実力の差は人によって歴然としている。その中で自分の実力を客観視できない、としたらちょっと寂しい。


僕は自分のプライドが「傲慢かそうでないか」を観的に判断するには「天才と会う」ことが大事だと思う。


自分と同じような仕事をしていて、「天才」とか「優秀」だとかいわれている人と接して、話をしたりしてみる。


その中で、自分のプライドが崩れていかないのであれば、その自信は本物、だろう。


けど、「自分がやってることってこの人と比べてどーなの?」と思えば、それはまだまだプライドを持つに足りない仕事なのだ、と思うが如何??


外にいったり、町にでたり、新しい人と付き合わないと自分の実力なんて永遠に見えて気やしない。


そんな人が回りにいないのだとしたら、まだまだ「天才」をキャッチする能力に欠けている。職業人としての実力、には「天才と会える力」も僕は含まれる、と思っている。


追記
今日は比較的涼しいですね。


この間、飲みにいった席で隣のテーブルが「暑い」「暑い」とうるさくてまいりました。


僕は「暑い」「寒い」「忙しい」「疲れた」「だるい」「かったるい」ってのは、究極の不平不満言葉だと思ってるので、否定的な文脈では使わないようにしてます。


暑けりゃ家に帰ればいいじゃん、って。


そういう意味でも気候的にも精神的にも過ごしやすくなりそうですね。


と、ブログを書いてる横で若いおにいさんが「あっちー」のオンパレードですが。。。人間、がんばっても変えられないものに文句いってもしょうがないじゃん、と。

August 27, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.08.22

現在の自分を肯定する

このブログのせいだろうか、「ヴィジョンがあっていいですね」とか「夢があっていいですね」みたいなことを僕はたびたび言われる。


けど、「ヴィジョン」も「夢」も実はあまりない。


強いていうと、


「ご飯を食べにいった時に、値段を気にしないで食べる」
「1年に1度は1ヶ月程度の休みをとって旅にでる」


あとは、
「自分の理想とする会社組織がつくれたらいい」


ってくらいか。。。。


ヴィジョンをもたいない理由は2つほどある。


1つは、目の前の仕事をきちんとやる方が「ヴィジョン」や「夢」だとかよりも大切だ、と思ってるから。(これは以前にもたびたび書いたので今回は触れません)


2つめは、「ヴィジョン」や「夢」を立てると現状の自分をどうしても否定しがちになってしまうから、だ。


ビジョンや夢は現実とかけ離れているからこそ、「ビジョン」や「夢」たりえる。


ということは、「あれがしたい」とか「これがしたい」って思うということは、僕らの無意識に「今の現状は違うけど、お金や時間ができたら○○の夢が実現できる」ってメッセージを送ってることになる。


例えば、これが人生の一時期、だったらいい。


例えば、大学生が就職する時期、何もない状態で起業をする時、仕事で大きなヤマを迎える時。。。現状と、自分の「ビジョン」や「夢」とのギャップの狭間の中で悶え、苦しんでもいいだろう。


けど、僕らは何となくダラダラと「夢」や「ビジョン」のようなものの存在に駆り立てられていないだろうか?それって、日々たんたんと「現状の自分を否定し続ける」ことに他ならないと僕は思うのだが・・・・それって恐くね??


それよりも大事なのは「現状の自分をまずは肯定する」ということ。


「夢」も「ビジョン」もいいけど、まずは「現在の自分」のありのままに認めること。逆説的になるけど、「現在の自分」をありのままに認めることが、「ヴィジョン」や「夢」の実現には大事なのかな、と考えるんですがどうなんでしょうね??


追記
と、いいながら会社は「現在の自分を否定するプロセス」の繰り返しです


昨日と同じ商品、昨日と同じやり方、昨日と同じ人材、昨日と同じ思考プロセス。


これらを打破して、改善、改革していくプロセスの積み重ねが会社です。これは、ともすると「現在の自分を否定」することにつながります。


「現状の自分を肯定」しつつ「現状の自分を否定」することの中でどのようにバランスを取るか?が僕らには求められてるのではないでしょうかね。。


僕ら現代人は「自分を否定すること」に慣れきりすぎ、だと思います。それって、無意識にやってるからやっかいなんですよね。あえていいますけど、「ビジョン」や「夢」なんかはほどほどがいいんです


そんなものに人間が必要以上に急き立てられるなんてどこか間違ってる、と僕は思います。


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August 22, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.08.20

ショック

今日のブログが飛んでしまいました・・・・


せっかく、書いたんですけど、もう一度かく気力がないので今日は休みます。


すべての事柄には、何かしらの肯定的な意味がある、と思うことにします。


今日から本格的にお盆あけ。

August 20, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.08.16

辞められたら困るでしょ

「いいんですか?私が辞めても」


かつて、僕がいた会社で上司と先輩社員が揉めた。先輩は上司に対して、「私が辞めたら困るのあなたですよ」といった物言いで喧嘩ごしになった。


実際、会社の売上には貢献している人だった。彼のファンだったお客さんも一人や二人ではなかったはずだ。


辞められたら困る社員の一人


素行には若干問題あるけど、僕はそう思っていた。


けど、上司はきっぱりといった。


「辞めたいなら辞めればいいじゃないですか。別に止めませんよ」と。


先輩は思惑が外れ、機先をそがれた様子、だった。その上司にとっても「辞めたら困る」って社員だったはずだろうに。。。


人は成長をしていくと組織での存在感が大きくなってくる。


その中で「辞められたら困る」って存在感を打ち出すことはそんなに難しいことではない。


ってか、中小企業なんて人材がほとんどだから、1年も所属していれば誰だって「辞められたら困る」存在になっていく。


けど、それを「辞めたら困るでしょ」ってスタンスで来るのはいただけない。「辞めたら困る」ってのは、辞められる側(経営者や管理者)がいうセリフであって、辞める側が軽々しく口にしたり、非言語のメッセージとして訴えると自分が軽くなる。


ってか、これを切り札に自分の主張をしてくるなんて論外だ。そこには、仕事をしていく上で必要な信頼関係が存在していない。「辞めさせたら困るだろ」って経営者が口にしているのと同様だ、と僕は思う。


最近、朝青龍の問題を見ていて思う。


「俺が辞めたら困るだろ」って思ってるんだろうな、と。それを親方や協会だとかの交渉(?)の切り札にしてるんじゃないか、とね。


マスコミの報道を見聞きしている上での僕なりの予測、ですけどね。


大横綱ですから「いやなら辞めればいいじゃないか」とはいえないでしょうけど、高砂親方(朝潮)は好きだったのでちょっとさびしい感じがします。


追記
今日からお盆明けで業務再開です。

August 16, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.08.09

夏の予定

会社のお盆休みは13~15日


でも、皆が動く時期に動くと高いし混むのでおとなしく掃除でもしています。家と会社と、「いつか使うだろう」ととっておいたものを捨てます。


浪人時代の勉強ノート。学生時代につくった部活の勧誘パンフ。旅行していた時に集めたお土産だとか民族衣装。


今の人生を生きるうえで必要はないんだけど、いつか必要になりそうな気がするものばかりです。


お盆を開けたら、日本のどこかに旅行にいきます。


友人がいる熊本だとか、一度レッスンを受けたいジムのイントラがいる福岡だとか、僕の原点をたずねて石川や富山だとか、いくつか予定にしてます。(京都で新撰組の墓参りもしないといけないな。。)


一方、海外は秋にはニュージーランドにいって、ジムのレッスンを受けにいってきます。もひとつ、ドイツにいくかもしれませんが、不確定要素も強く現在はまだ未定です。あと、香港あたりが予定に入るかもしれませんね。。。時間の都合がつけばそこから雲南あたりに飛んでも・・・・


一時期、四半期に一度はいっていた松山は今のところ予定なしです。。大阪方面は月に1度は行く予定です。


この時期、「お盆どっかいくの?」と挨拶のように聞かれるので、整理してみました。


追記
ドラマ「女帝」に触発されて漫画の「女帝」を読んでます。「火の国の女」って随所にでてくるんですよね。これも、熊本にいけ!というサインかな、とも思ってます。


それにしてもこの漫画、一人の女性がホステスとしてなりあがっていくストーリーなんですけど、めっちゃ感動させられます。まだ途中ですけど、そのうちに、ブログで取り上げようかな、と。

August 9, 2007 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2007.08.07

社員教育についての考え方

僕はその昔、経営コンサルタントの会社にいました。


聞こえはいいですが、地元の企業の社長や役員に飛び込みやテレアポで会いにいって経営改善や企業研修などの提案、契約をする地道な仕事です。


よく、「企業研修って何でやるの?」という根本的な問いかけを営業先でいただきました。こういった仕事の原則や根本の話になると担当の仕事観が露呈するものです。経営コンサルティングという右脳優先的な仕事だったためか、結構この手の質問を受けました。


僕はどこかで覚えたせりふ(?)をよく話してました。


曰く、「企業にとっての三大財産は、人、モノ、金です。モノや金を生み出すのはひとえに人材しかいません。そのために、人材のスキルをあげるのです」と。

 
当時は我ながら満足のいく答えをしていたと思ってましたが、いま改めて考えるとビミョーだと思います。


確かに、社員さんの力を向上させるのは企業規模の大小、業種によらず大きな課題だと思います。


僕はよく、「世界のトヨタの経営陣及び現場の責任者クラスが10人がうちの会社にやってきたらどうなるか?」ということを考えますが、きっと僕らが思いもしない方に会社はシフトしていくと思います。


これが人材力の差、です。


だからといって、「すわっ、うちも研修して人材力を高めないと」ではないと思うんです。この辺りの感覚はうまくいえませんが・・・・


そんなことを考えるうちに、僕は「社員のスキルを向上させる」という経営者や研修担当者の発想がいつの頃からか自分に合わないと感じるようになりました。


そこには、どこかに人を操作するような語感があるからです。


僕が会社勤めをしていたとして、そこの研修の担当者が「大塚のスキルをこういう風にあげてやろう」なーんて考えて研修プログラムを組んでたりしたら、その場を逃げ出したくなります。


自分の能力くらい自分で責任もって向上させるわ、と。


だから僕は社員さんに対しては特別、教育プログラムのようなことを強制してないんです。自分の能力を伸ばすのは自分の責任、と思ってますからね。(ここを他人(この場合、会社)任せにしたら自分の主体がなくなるとも思ってます。)


本当は、「広告の仕事をするんだったらこれくらいの本は読め」などと社員さんにはいいたくなるときもありますが、「どの本がいいか?」と聞かれでもしない限りいわないようにしています。


僕の部屋にある本は勝手にもっていっていい、といってます。僕は本を多買いするのでもっていってるのか、もっていってないのかはよく分かりませんが・・・・。


これは、昔の寺子屋の発想にもつながります。


生徒は、自分の関心のあることを学び、先生は学びから生まれる疑問や質問に答えていく、といった形の教育です。そもそも、教育の原点は疑問や質問、だと思います。


実際、この教育という形は効果的でありながら先生の資質、能力に依存することが多く、現在の企業教育や学校教育では導入されていないようです。


けど、僕は会社での社員教育の究極の形は寺子屋にあると思っています。


社長が先生というのはちょっとおこがましいかもしれませんが、その覚悟くらいはもっておいてもバチはあたらないでしょう。従業員の教育に責任を持つ、というのは経営者の仕事と多くの人が口にしますしね。


追記
とはいえ、社歴が浅かったり、仕事暦が浅かったりする人には多少の押し付け(?)的な教育は必要だと思いますけどね。理由は、仕事をやって最初のうちは最初は疑問や質問すらも湧かないからです。


あとは、知らないことは行動できない、ということですね。挨拶だって、ビジネス文書だって、知らなければできないことはとっかかりだけでも教えるのは経営者やリーダーの仕事だと思います。


でも、それからすぐ先は疑問と質問の世界です。

August 7, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.08.06

恐怖と焦りとお休みと

創業から1年半弱の間、僕は会社で寝泊りをしていました。


それが効率的かどうかはともかく、創業時は理屈抜きに頑張る時期、です。できることならなんでもやらないと、運も仕事も開けていきません。会社をすることに対する覚悟も生まれてきません。


そのうち、社員さんが増えるに従って会社での生活をやめていきました。


今までは会社で作業をしていた土曜日だとか日曜日だとかもきちんと休むようにしていきました。ジムに通ったり、旅行にいったり、飲み会を再開するようになってきました。


すると、ある感覚に気がつきました。


会社にいるだけで心が落ち着くような感覚、です。更にいうならば、休むということに恐れを抱いている感覚です。


当時は、「仕事をどのようにしていくか?」だけで頭がいっぱいでした。それ以外のことは意識の中でシャットアウトしていました。


季節の移ろいを感じることも、遠い世界に思いを馳せることも、体をゆっくりと休める時間をとることも、何だか時間が無駄になっているように感じました。仕事をしていく上で効果的でないもの、効率的でないものに時間をかけたくない、と思っていました。


けど、ある心理学者(だったかな)の方の本を読んでパラダイムの変換が起こりました。


「食事をゆったりとできない人が、きちんと仕事をできるわけない」


そんな一文にです。


当時の僕にとっての食事は、「いかにして早く食べるか?」の対象でした。けど、そんな人にいい仕事ができるわけない、と著者は言い切るのです。これは衝撃でした。


そこから、僕は「休む」だとか「ゆったりする」だとかについて考えたり、本を読んだりしていきました。そこから心理学にいきつき、「休むことに対しての罪悪感のようなものがどこからくるか?」について研究(?)しました。


それまでの僕は、100パーセント自分の意志で仕事をしていると思っていました。けど、自分の心にアクセスすると、どこかに強迫観念的に仕事をしている自分の存在に気がつきました。


これ以上書くと、自分を開示しすぎるのでやめますが・・・。


「会社が倒産したらどうしよう?」「会社を解雇されたらどうしよう」といった恐怖感


「幼少時のコンプレックスを仕事を通じて解消したい」という焦燥感(のようなもの)


これらに急かされるように仕事をしていないか、ということを休みが続くお盆の時期だからこそ僕らは一度かんがえてもいいのでは思います。


僕の今のところの結論は、「休んでると不安だ、落ち着かない。」という人は休むという選択肢を仕事にいれた方がいいと思います。(逆に、「もっともっと休みたい」という人は働いたほうがいい、とも思います 笑)


何かしらの思いや問題がどこかにあるからこそ、不安を感じるのでしょうしね。


それでも自分は大丈夫、というのであれば、そのまま突き進むのがいいと思います。実際、世の中の多くのベンチャー企業家はコンプレックスや焦り、不安をバネにして大きな商売をしていると報道されていますしね。


でも、そんな姿をみてうらやましく思うのなら、という前提ですけど。


追記
と、偉そうにいいましたが、僕はまだ休むのが苦手のようです。


柄にもなくリゾートにいくと、大量の本を持っていきますし、日曜日の夜は月曜日の朝が待ち遠しくて仕方がなかったりします。


どこかに、急き立てられるように仕事をしてきたから会社が立ち上がったんじゃねえか、という自分もいたりします。


けど、きちんと休むときに休む、というのが成熟した職業人だとも思ってます。


以前は「休むということが大事だから頑張って休む」という感じでしたが、ここ最近は「頑張らなくても休める」ようになったのはちょっとした成長かもしれません。

August 6, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)