« August 2007 | Main | October 2007 »

2007.09.28

ミャンマーのデモ報道で考える

「いつかこのお坊さんに会いたい」


Tama


27歳の時に訪れたミャンマーで僕は直感的に思った。パゴダ(仏塔)にいった時にお土産屋で見かけたお守りのようなカードになっていたお坊さんだ。


後に、そのお坊さんがターマニャーという高僧で、多くのミャンマー人から尊敬を集めている、と聞いた。


当時のミャンマーは現在と同じ軍事政権下にあった。スーチーさんは軟禁されていたし、ヤンゴンの中心部では戦車が配備されていた。


知り合ったミャンマー人と話をしていると、政治的な話になると一様に口が堅くなるのが妙に印象的だったが、外貨獲得の国策のためか、旅行者にとっては別段と危険を感じない国であった。


何でも食べられる僕には珍しく食事には苦労したが、人も街の空気も穏やかで1ヶ月の滞在期間は毎日笑って過ごした記憶しかない。まさに「微笑みの国」だった。


それから5年後、僕はターマニャーさんに会いに再びミャンマーへとでかけた。


当時の首都・ヤンゴンから車で10時間くらいだっただろうか。勤めていた会社を辞めて、年明けには会社をつくろう、と思っていたタイミング。ちょうど21世紀はじまりの頃合でもあった。


「しばらくは長い旅行はできないな」


という思いの中、数ある選択肢から選んだのがミャンマーだった。


その旅行で、僕はターマニャーさんに謁見でき、「これからは会社をつくってしばらくは仕事モードに突入するぞ」と気分を新たにできた転機となった。


昨日の報道で、ミャンマーの軍事政権への抗議デモで日本人ジャーナリストが亡くなったと知った。


テレビの映像を見ていると、まさにヤンゴンの中心部。僕が泊まったホテルの近くだったり、ご飯を食べていた食堂の近くだったり、毎日訪れていたパゴダの近くだったり。


あの時にお世話になったかたがたはみな無事なのだろうか、と思うとちょっと気がかりだ。


日本と米国はミャンマー非難で一致したようだが、中国は政治的な判断から軍政権寄り、と報道されている。


僕は近年のミャンマー情勢はよく分からないが、僕が知り合った限りのお坊さんたちでいうと、ほとんどのお坊さんが仏教徒として敬虔な生活を送っていた。(ミャンマーのお坊さんはタイなどの周辺諸国に比べられないくらい修行が厳しいようです)


あのお坊さんたちが市民と連帯して激しいデモを起こすんだから軍事政権の圧政はよほどのことだろうな、と。


高僧たちがどのような判断をするのか、がひとつの鍵になるのだろうが。その辺はまったく情報として伝わってこない。


亡くなったジャーナリストらの勇気ある活動を通して我々は数々の情報に接してるんだ、との思いを新たにした。ご冥福をお祈りするとともに、ミャンマーの政情がいい形で安定することを望みたい。


↓人気ブログランキングに復活しました

人気blogランキングへ

追記
一時期は、その人気を恐れた軍事政権がターマニャーさん排除を画策した、とも聞いたことがあります。けど、その徳や人気ゆえにどうすることもできなかった、とも聞きました。


そのターマニャーさんは、数年前になくなったそうです。


その辺りも軍事政権が好き放題やってることの遠因なのでしょうかね。これはまったくの憶測ですけど。

September 28, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.09.19

人間にとっての知性、について

芸能界のゴシップ記事


僕はこの手のネタに同世代の人と比べて詳しい方だ。


「芸能人の誰と誰とが付き合っている」、だとか「モンゴルに帰った横綱の去就」、だとか「一世を風靡したアイドルのその後」、だとか・・・・・。


これらの知識(?)は会話の幅を広げ、人とコミュニケーションをとる上でのネタにはなる。


けど、いい歳した大人がこればかりでは寂しい。


これらは、「人間関係を円滑にしていくための数ある手段の中の、枝の枝のそのまた枝」くらいの存在であって、幹や骨格には到底なりえないものだ、と個人的には思う。


こればかりの大人に僕は「知性」を感じないし、一緒にいて何かを学べるだけの深みを感じたりできない。


「人間の顔は履歴書」とかいった作家がいたが、観る人がみれば「知性」ばかりは隠しようがない、らしい。


僕の考える、「人の知性」とは、


知性的ではない自分に気がつける能力


をいう。


それは、「圧倒的な知性の持ち主や出来事に出会える能力」であり、そこから「自分の知性を過不足なく把握できる能力」、でもある。


「ゴシップネタなどでは通用しない世界があることをイメージできる力」、でもある。


↓人気ブログランキングに復活しました!最高順位は8位!
人気blogランキングへ

September 19, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.09.18

予定調和をあえて崩す、ということ

母校の学生インターン受け入れが先週末で終わった。


組織はある一定の「予定調和」の中で存在している。それが、ある日とつぜんに新しい人がくるとその調和が崩れる。


まさに今回のインターンは、大学3年生の男女が2週間づつ会社にくることで、その「予定調和」を崩す作業でもあったわけだ。


組織の調和が崩れていく中で、いろんな反応をする人がいる。


●面倒見がよくてあれこれと世話を焼こうとする人
●自分の五感と他人の評価で「この人はどんな人か?」を見極めようとする人
●簡単なことを難しく、複雑に伝え、自分の存在価値を高めようとする人
●単に面白おかしくコミュニケーションするだけの人
●まったく無視して我関せずの人
●仲間か、仲間じゃないかのジャッジに熱を上げる人
●異性にはやたらと強い人、逆に弱い人 などなど


僕の持論だけど、この辺りのスタンスは20歳前半くらいまでに確立されてしまって、その後もなかなか変わらないんじゃないかしら・・・。


インターン制度の本来の趣旨は「学生が就職にあたり働くことを疑似体験する」ってことだと思うけど、実は受け入れ側の組織の予定調和を崩して、「新しい人が入ってきたときに組織のメンバーがどう反応をするか?」という疑似体験(?)の場としても有益だと思う。


中小企業は大企業に比べて新しい人材を受け入れる機会が少なく、予定調和を崩されることに慣れていないケースが多い。


特に、中小企業ではこれを意識的にやらないと組織が硬直化したり、ナアナア組織になりがちだ。


インターン制度というのはあくまでも疑似体験ではあるのだが、定期的に新しい人材を受け入れられない中小企業硬直化の一助になるはずだ。


↓人気ブログランキングに復活しました!最高順位は8位!
人気blogランキングへ


追記
世界柔道が終わりました。男子の重量級は残念でした。世界大会なのにテレビで見る限り空席が目立ったのも残念でした。僕は最強の格闘技は柔道だと思ってます。ぜひとも日本柔道の復活を望みたいです。

September 18, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.09.12

反面教師、の意味

3人で酒を飲んでいた。


1人が「会社の上司がどうも好かん」という話になった。


誠実でないのに正義感を振りかざすし、上司としての自覚もないし、人としての思いやりもない・・・・話を聞いていて、そう思った。


「将来、そんな上司にならんための見本にでもするしかないね。俗にいう反面教師だよ」


と、僕はいった。


その言葉に対して、話を聞いていたもう一人がこういった。


「反面教師ってのは、『あんな上司にはなりたくない』ってこととは違うと思うんだ。『自分にもああいう上司になる要素がある』って思った方が生産的でいいんじゃないの」と。


・・・・なるほど。。


彼は僕より下の世代だ。最近、下の世代の人に教えられることがやたらと多い。


生物学的には下の世代の方が優秀だしな・・・。


今日は朝から会議だったので手短に。


↓人気ブログランキングに復活しました!押していただくと、ちょっとだけこのブログが有名になります!
人気blogランキングへ


September 12, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.09.11

無意識の扉はなぜか朝に開く

「おっ!これは素晴らしい考えだ!」


ってひらめくことがたまにある。


例えば、人材の採用。


ある日、喫茶店なんかで新聞を読んでたりすると突然に「人を採用しよう」といった「ひらめき」が降ってくる。そんな時にうつ打ち手はたいがい間違いがない。


逆に直感を論理的にあれこれしようとすると物事はうまくいかない。それはあたかも、直感に従わなかった天罰のようでもある。


誤解を招くかもしれないが、僕は「ひらめき」を頼りに会社をやってきた。というか、どうしたら「ひらめき」が降ってくるかを研究(?)してきた。


その結果、どうやら「ひらめき」は・・・


○「ひらめき」は自分の無意識の扉が開いてやってくるのではないか? 
○「ひらめき」はどうやら、朝に降ってきがちではないか? 
○「ひらめき」は論理を極めたところにあるのではないか? 


と思うようになってきた。(僕の尊敬する方の意見も参考にしています)


人間は日々、論理(顕在意識)の中で生きている。勉強したり、体験したりしたことが「ひらめき」の萌芽となって僕らの潜在意識に蓄積される。


その萌芽が何かしらのタイミングで、無意識の扉を開いて顕在意識へとやってくる。これが、「ひらめき」、「直感」、「インスピレーション」と呼ばれるものだ。


そして、僕の経験上、「ひらめき」はなぜか朝にやってきがちだ。


○朝は無意識の扉が開きやすいのか? 
○寝ている間に顕在意識が整理されて、無意識を感じやすいからなのか? 
○自然に従ったライフスタイルが僕らの無意識に何かしらの影響を及ぼしているのか?


それはよく分からないけど・・・。


僕は朝の喫茶店にいくことを日課にしている。


それは、「無意識の出現を待つ時間」でもある。


今日の仕事の整理をしたり、ブログを書きながら、無意識が現われるのを待つのはなかなかエキサイティングなことだ。


↓人気ブログランキングに復活しました!押していただくと、ちょっとだけこのブログが有名になります!
人気blogランキングへ


追記
自分も朝型人間になりたい、という知り合いがいたので書いてみました。でも、このブログを読んだだけで朝型になれれば世話ないけどね。


僕は朝型になるまでに、半年近くかかりましたし・・・。


夜に無意識が開く人もいるでしょうから一概にはいえないでしょうけど、「ひらめき」のようなものが降ってこない、というのであれば一度生活スタイルを変えるのは手だと思います。

September 11, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2007.09.10

エゴとか自己愛ってものについて

人間は自分にとってプラスの行動しかしない生き物だ。


たしか、マークトゥエインだったかがこんなことをいっていた。


例えば、身銭を切ってボランティアをする人がいるとする。家庭も仕事も犠牲にして、休日のほとんどを活動へと費やしているとする。


でも、そんな人は「ボランティアをしていない自分のセルフイメージでいるのが辛いから行動しているのだ」という考えだ。


僕はここまで厭世的(?)にはなれないし、道徳だとか善意だとかを否定する立場ではない。無償の愛だとか、他人に対しての献身ってものが存在すると思っている。


けど、この考え方をまったく否定する立場でもない。


むしろ、「自分が行っているこの行動は、自分のどういうエゴからでているのか?」を冷静に判断できるってのが大人だと思っている。


「クライアントのため」だとか、「会社のため」だとかいいながら、心の深いところでは自分のエゴや自己愛を満たすための言動だったりするのが人間だ、と僕は思っている。当然、僕だってその例外ではない。


まずは、人間はそういう存在なのだ、と素直に認めること。


その上で、自分のエゴや自己愛を満たしながら「世のため人のため」に何ができるのかを考えるのがバランスのとれた考え方じゃないかしら。


かつて、「世のため人のためになる商品だ」って目を血走らせながら(?)僕をあるビジネスに誘ってきた人がいた。


僕は「でも、結局のところ自分のためっしょ??」とビジネス云々の前にその人の言動に関して一言いったら思いきり全否定された。


「まずは、自分のため。でも、それだけじゃないんだよ」といった形でいえば話くらいは聞いたんだけどね。


「自分もいい、人もいい。自分は人よりちょっとだけいい。けど、たまには人の方がいい」


そんな感じの生き方が僕はできればいいな、と思っている。


ビジネス書などでは「ビジネスマンは「ギブ&テイク」ではなく「ギブ&ギブ」の精神で」、みたいなことをいっている。確かに、「ギブ&ギブ」の精神は必要だ。


けど、それだけで人間は生きていけるのかしら??


僕らは献身的な活動を続けたマザーテレサではないし。。。与えられる(テイク)って期待があるから、与える(ギブ)するんでしょうしね・・・。


エゴや自己愛との正しい付き合い方を身につけないと、ギブ&ギブしてる自分に対して心の葛藤が生まれてくる、と僕は思うのだけどな。


経営は、相反するものの統合をする作業だ。


「利益をあげながら、社員やお取引先に還元する」「社員の自発性を発揮させながら、一定のルールをつくっていく」


どちらかに偏りすぎてもいけない、ギリギリのバランスをとっていかないといけない。


「エゴや自己愛を満たしながら、世のため人のためを実現していく」ってのも、相反する二つのものの統合だ。


当然、どちらかに偏りすぎず、バランスをとっていかなければいけない。これは、自分の心と直面する問題だけに難しい。

September 10, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.09.05

昨日は研修会(埼玉・大宮)

昨日は終日研修会にいってきました。


気がついたこと、感銘を受けたこと。


□経営者という人間の「自己愛」について


「社長のようになりたいんです」と面接などの場で僕が言われたとする。その時に、なんともいえない心地よさを感じるのであれば、それは「僕の自己愛が満たされた」ということ。


そんな自己愛を満たすためだけに仕事をしていると、いつか無理がくる。歪みがくる、ということ。


自分の存在や強さを認めて、自己愛が肥大しないようにコントロールすることの大切さ。また、自己愛が肥大した人との対応などについて。


□素直さとは、人を信頼する力のこと


素直になれ、とは松下幸之助さんもいわれた仕事をする上で大事なこと。けど、人間を信頼できない人に対して、「素直になれ」ということの難しさ、困難さ。


人を信頼できない、という人に対して「素直になれ」というアプローチをどうとったらいいのだろうか?ということ。セラピーなどの心理療法なのか、それとも日常の生活の中で改善が可能であるのか、ということ。


そもそも「素直」ということが分からないのでは、ということ。そんな人が増えていくだろう時代に自分ができることについて。


□専門家の専門家たるゆえんは、予想性の有無である、ということ


専門的な知識を知っている専門家はたくさんいる。けど、業界の将来や未来に対して、借り物でないオリジナルの意見をいえる専門家はそうそういない。


「専門家」を名乗るのであれば、将来に対しての予見性を持つこと。そのための情報収集に時間と労力とお金をかけること。


例えば、「果たして自分はセカンドライフが広告業界に与える影響に関して、自分なりの意見をいえるだろうか」ということ。


以上、備忘録として。


今週は週末が関西です。

September 5, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.09.03

今の政治についてどう思いますか?

「今の政治は○○だ」


だとか


「今の社会は○○だ」


だとかって意見をブログやミクシーなどでよく見聞きする。


僕は、「政治や経済についてはなるべく語らない」「社会問題ってのにも首をつっこまない」というスタンスでいるので、この手の話は原則スルーだ。


理由は2つある。


一つ目は、その任にあらざる者は外野で意見をいうべきではない、と思っているため。


僕に与えられた役割は「会社を経営すること」だ。同様に、政治や経済に関しては、その役割を与えられた人たちが存在している。


それをとやかく外野でいうことは僕の美意識には合わない。よく言われることだが、文句やいいたいことがあるのなら政治家にでも学者にでもなればいい。


も一つは、自分の不安から逃げないため


僕も実体験があるのだが、とかく人間って不安になると大きなものと戦いたくなる存在だ。


その対象は、具体的なものであるよりも「政治」や「社会」といった抽象的なものの方が好ましい。(「具体的なものとガチンコで戦う」だけのエネルギーは、不安に陥いった人間には基本、枯渇している。)


と、考えると政治や社会に文句をいいたくなるってことは、裏を返せば「自分の中にどこかしら不安がある」ことの証左なのだといえないだろうか?それを、政治や社会といった大きなものと向き合う(?)ことにより解消してるのではないだろうか?


政治や社会に対して文句をいいたい、って気持ちが起きたらまずは自分の心の中と対峙をすることが重要だと僕は考えている。


そんな話をある席でしたら、「政治や社会問題に対して無関心なのは社会的な存在としての経営者としてどうなのか?」といわれた。


僕は同じ世代の人よりも政治や社会問題に対しては関心のある方だとは思っている。けど、そんなのは自分に与えられた器の中でたんたんと関心をもっていればいいだけの話だ。


政治や社会問題を語るにもエネルギーが必要だ。


そんなエネルギーがあるのなら、僕の場合「政治」や「社会問題」に対して、「企業の経営者として何ができるか?」って考えたほうがいい。


「政治」を行う上で必要な財源としての「税金」、それを払うために会社に利益をもたらさねばならないし、社会的な責任として人の雇用をしないともいけない。


喧々諤々と空虚なスタンスで「政治」や「社会問題」を語ってるエネルギーも時間もないのだ。

追記
不安にさいなまれ、大きなものと戦いたくなった自分に気がついたらどうするか?


「政治」や「社会」に対して文句でもいわないと自分の心の平静が保てなくなったらどうするか?


僕なら「政治」や「社会」に対して徹底的に文句をいいます。


そのうち、「文句をいってる自分はどうなのよ?」って冷静に思えれば第一段階はクリアーか、と。


そこから何かしらの動きが生まれればいいですね。


そうそ、今日のブログの話は社会人(特に20代中盤以降)向けです。学生の時は意味もなく「政治」や「社会」に反発したりするものですしね。そのパワーを否定するつもりは僕にはありません、念のため。

September 3, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)