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2007.10.25

ニュージーランドで「凄ぇ」に会う

今年に入って一番の「凄ぇ!」は何だろうか?と考えてみる。


本を読んだり、仕事をしたり、人の話を聞いたり、旅行をしたり。


人間の根本は、「凄ぇ本」、「凄ぇ場所」、「凄ぇ人」、「凄ぇできごと」といった「凄ぇ」との出会いを求める存在だ、といったらいいすぎか。


「凄ぇ」と出会うことにより、僕らの考え方が変わる。その考え方は具体的な行動となり、行動は自分の人格を変えていく。


そのプロセスを通して、次の「凄ぇ」を生み出していく。そして「凄ぇ」は確実に周囲に伝染していく。


たとえそれが「凄ぇ、いいこと」ではなく、「凄ぇ、悪いこと」だとか「凄ぇ、しんどいこと」であったとしても、「凄ぇ」のない人生は味気ない、と僕は考えている。実際、「凄ぇ」をたくさん集めた人は相応の人間味がある、と僕は思う。


そんな僕の今年一番の「凄ぇ」は・・・・・


ある女性との出会い(?)


僕がいっているジムの総本山でインストラクター(厳密にはプログラムの開発者みたいな存在)をしているリサ、だ。


今年の5月、初めて訪れたニュージーランド。1週間の旅行のほとんどがジム通い。ホテルの第一条件は「ジムに近くて洗濯機がついている」というジム仲間4人での酔狂な旅行。


キラ星のごときインストラクターが数多いる中で、僕の感性にばっちりと引っかかったのは彼女だった。


何が「凄ぇ」といってもなかなか伝わらないし、オタクみたいなのでここでは割愛するけど・・・・。


週末からリサに再び会いにニュージーランドまでいってきます。


「会社は大丈夫なの?」といわれることがあるのですが、僕の経験上、会社はある一定のステージを越えると社長が不在にしている方が、現場の仕事はスムーズになることが多いようです。


現場は日常の業務を行ってもらい、経営者は「凄ぇ」を追い求めながら日常とは離れた場所で「会社のこれから」を考えたり、「新しい知識」をインプットしていく。


それが、次の打ち手になっていったりする。


経営者が現場の仕事を一切離れて、「凄ぇ」ばかりを追い求めてると現場感覚が鈍るのでまずいとは思うけど、年に2~3回はこういう時期があってもいいのかな、と。


将来的には、1ヶ月休んでもなんともない会社を目指しますけどね。


とまれ、日曜日から1週間ほどは国内を不在にします。ご縁のある皆様、よろしくお願いいたします。携帯はつながる予定です。


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October 25, 2007 | | Comments (4) | TrackBack (0)

2007.10.18

うちの会社は素晴らしい、の素晴らしさ

僕より一回り下の女性と、とある席で一緒になった。


彼女が所属しているのは、文字通り日本を代表する会社で、海外では日本企業の代名詞のようになっている会社だ。

僕のこの会社に対するイメージは、


「優れた会社だけど、原価管理が厳しそう」

「協力業者がコストや納期などでしんどそう」

「社員さんが無機質で機械的なイメージそう」

「経営者が世襲ではなく、生え抜きが続いている。経営者のカリスマではなく、企業としての『仕組み』で会社運営がなされていそう」といった感じか。


正直、あまりよいイメージではなかった。


入社して半年くらい、というその女性から出てくるのは「うちの会社はすごい」ということばかり。


給料や休暇、待遇などのことから、教育制度や上司の人間性、会社の雰囲気まで・・・「ちょっと宗教っぽいけど」とはいっていたが、とにかく素晴らしい会社、と誉めるのだ

入社して半年くらいの社員さんが、自分の言葉で、会社とは直接関係のない第三者(=僕)に対してここまで誉めるって、なんて素晴らしい会社なのだろう。


まずは、社長や会社が社員さんに対してできる最大限のことをやりきる。待遇だったり、給料だったり、休暇だったり、仕事の質だったり、最大のものを与えようと努力する。


社員さんがそれを自分に対しての「期待」としてうけとめる


そんな「期待」に対して答えたくなるのが人間の本性、だろう。


その本性から「自分の会社は素晴らしい」と第三者に口にしたくなる。


人と話をすることにより「自分の会社の素晴らしさ」が強化されていく。


そりゃそうだ、世の中の多くの人は不平だとか不満だとかの中で仕事をしている人が多いのだから。


「期待」は「成果」となり、「成果」が「次の期待」へとつながっていく。


まさに、「会社と社員さんとの、善の循環」だ。


僕は2つのことを考えた。


1つめは、僕ら中小企業の経営者がこんな話を聞いて「所詮、大企業の話でしょ」と思考省略しないことの大事さだ。


確かに、社員さんに「期待」をするには相応のコストがかかる。その一方で、会社に内部留保をためて永続していく企業になっていかないともいけない。


その、相反する矛盾をどのように統合するかが経営者の力量だ。


今では日本を代表するような会社になったこの企業も、戦後の一時期は倒産の危機に直面している。結局のところ、歴代の経営者がこうした矛盾の統合をやりきったのだろう。


もう1つは、誰しもが会社や上司を無条件で尊敬したがる存在である、ということを肝に銘じることだ。


酒の席で愚痴や不平をいうよりも、「上司はいかに凄いか」「会社がどれだけ素晴らしいか」を語れる存在でありたい、それが人間の本性だ。僕は性善説に立つ限り、これには例外がない、と思っているがその思いを新たにした。


最近、ほんとに下の世代の人に教わることが多い。


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October 18, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.10.17

矛盾をそのままみつめる、という技術

「会社をこうしたい」とビジョンのようなものがあったとする。


でも、「人員が足りない」だとか「お金がかかりすぎる」だとか「クリアすべき障害が多すぎる」とかいって実現が困難だとする。


スパッと諦められるのならいい。


けど、こんな思いを諦めきれずにいると、僕らは「思っているのに実現できないという矛盾」を抱え込むことになる。その「矛盾」は僕らのどこかにトゲのように突き刺さり、モヤモヤとした存在となって体内に居続けることになる。


この「矛盾」と直面するにはパワーがいる。


何せ、「思いがあっても実現できていない自分」に直面しないといけないからだ。誰だってそんな自分に直面するには勇気とエネルギーがいる。それはできれば、見たくはない現実、だ。


だから、その現実に直面しないために、僕らは行動をする。


いたずらに忙しく仕事をしたり、やみくもに勉強をしたり、やたらと人と会ったり。。。そして、その一つ一つの活動が、将来に結びつくための打ち手だと思ったりしてしまう。


けど、これらの行動はすべて「自己矛盾を解消したい」という思いがベースに存在している。


そんな動機からの行動は、どこかバランス感を欠いている。僕はそんな行動が、「矛盾」の本質的な解決にならないと思う。ってか、むしろ本質的な解決を遅らせる、とさえ思っている。


転職だとか、仕事だとか、人間関係だとか・・・僕らは数多くの矛盾が存在する中での生活を強いられる環境にある。その中で、「こうありたいのに実現できない」と自分の中で矛盾を感じることも一つや二つではない、と思う。


そんな「矛盾」に相対するにはどうするか?


僕はまず、その「矛盾」を思い切り感じきることが大事だと思う。


「目標があるのに目標を実現できない自分」を存分に感じきる。


感じきる過程の中で、モヤモヤだとか、イライラだとか、不安だとかの感情を感じてきたら、その気持ちまでを存分に感じてみる。


ネガティブな感情だから、と感情に蓋をしないようにする。当然、自分にとってしんどくて辛い感情を感じないといけない。これは辛い作業、だ。


でも、そんなことを続けていくと・・・・


何かがドラスティックに変わっていく。すぐの場合もあれば、時間がかかる場合もある。けど、物事がなにかしらの方向に動く感覚を感じることがある。


矛盾を感じたら闇雲に動くのではなく、矛盾を感じきること


すんごく大事なことだと思うのに経営などの本ではこの手の話はあまりでてこない。でも、時代を代表する経営者の著書には折々にこういう話がでてくる。


安直な問題解決の技法よりもよほど効果的、だと思うんだけどね。


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October 17, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.10.11

部下や後輩が思い通りに動かない

「部下が思い通りに動かない」という相談を受けた。


僕は「『一人の人間である部下を、思い通りに動かす』って考え方そのものが経営者やリーダーの傲慢だと思う」といつもながらの考えを話した。


「部下を教育する」「部下を動かす」「部下をマネジメントする」・・・・・


経営者やリーダーが何気なく発するこれら言葉。ビジネス書などでも、ごくごく普通にお目にかかる一言一言。


僕はそれらの言葉に「部下や後輩は思い通りになるもの」だとか「思い通りにするもの」という思いがどうも込められているような気がしてならない。


僕の上司と部下関係の大前提は「一人の人間として互いを尊敬すること」だと思っているので、この発想はどうもしっくりこない。


部下を管理したいと思うのなら、まずは「部下を管理しようと思わないこと」が大事か、と。


まずは一人の人間としてその人の存在価値を認め、必ず職場に居場所や役割をつくるようにする。これは経営者やリーダーにしかできない仕事、だ。


その上で「うまく管理しよう」という具合に部下と付き合うのではなくて「その人間が成長できない阻害要因を無くす」というのを、マネジメントの重点項目に置く。


性善説に立てば、人間は誰しも自分の能力を伸ばして、誰かの役に立ちたい、と思っている存在だ。


そんな人間が能力を伸ばすために何かしらの阻害要因が職場にあるのなら、それを排除することに力を注ぐのが経営者やリーダーの仕事ではないかしら。


勤務の内容だったり、気の合わない社員の存在だったり、過度のストレスだったり、生活の不安だったり・・・なるべく能力を開発する阻害要因をなくしていくのがマネジメントの要諦、だと僕は考えている。


すると、「そういうことをやっても仕事しない人がいたらどうします?」といわれた。


確かに、職場の阻害要因を経営者やリーダーがどんどんと排除していくと、それを当然のこと、あたりまえの事としてとらえ、次々と不満や不平ばっかいう人がでてくる危険性を内包している。


けど、そういった社員やアルバイトの不平や不満は経営者やリーダーの器量の範囲でどんどんと吸い上げていく。不平や文句、と片付ける前にクリアーしていく方法を考えてみる。


すると、経営者やリーダーの本気に触発され、不満や不平ばっかである自分を見つめるのが人間たるものの本性、と僕は思っている。


事実、強いといわれる会社には「やらないと恥ずかしい」という文化が根付いている、と見聞きする。


その恥ずかしさの原因は、一生懸命に仕事をしたり、成長をサポートしてくれる経営者やリーダーに対しての恥ずかしさ、だと僕は考えている。


こういう組織をつくれれば、経営者・リーダーにとっても、働く人にとっても理想の組織、たりうると僕は思っている。


そこでは「部下を思いのままに動かす」ということはまったく無縁の世界、だ。それでいて、組織としての高いパフォーマンスを発揮できる。


まさにいうことはない。


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October 11, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.10.09

連休があけました

3連休のできごと

土曜日

通ってるスポーツクラブのイベントが11月に開催。そのチケットを取るための電話かけ&飲み会。我が家に10人以上の仲間がやってきました。


日曜日

引越しした友達の家でパーティー。料理がすんごく上手くて今回もありがたくご馳走になってきました。


月曜日

大学時代の友人と10年ぶりの再会。学生の頃に頻繁にいった渋谷の中央街でホッピーをたらふく飲みました。今日は朝から頭が痛いです・・・。


とにかく食べて、飲んでの3連休。


今月は会合の予定がいっぱいなので、ちょっとセーブしないとさすがにまずい・・・・。


でも、人生の目的のひとつを「食べたいものを我慢せずに食べること」と決めてるので、我慢するのも本意ではないんだけどね・・。


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October 9, 2007 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2007.10.02

「ヒマネタ」と「社説風ネタ」

「3丁目の猫が子供を生んだ」


僕はなるべくこのブログではこの手の「ヒマネタ」を書かないようにしている。


そいった「ヒマネタ」だったら有名人のブログなんかを見てるほうがよっぽど楽しい。


同様に、新聞の社説のような「社説風ネタ」も書かないようにしている。


例えば、


「ミャンマーの問題は、圧制に苦しんだ民衆と、それに憐憫の情を抱いた僧侶によるもので、軍事政権は国際的な非難を真摯に受け止める必要がある」


みたいなことだ。


こんなことは僕じゃなくても書く人はいっぱいいるし、中学生くらいだってこのくらいのことは口にできる。多くの人が共感するけど、何も残るものがなかったりする・・・。


僕がブログのネタにする基準は、読んでいる誰かしらに「喜」、「怒」、「哀」、「楽」の感情を起こさせるかどうか?だ。(昔は違いましたけどね)


僕は職業作家ではないので、誰か一人にでも何かしらの「喜怒哀楽」してもらえばいいのだ。


僕らはここ最近、自分の意見を世の中に主張できる場所が大幅に増えた。


ブログだってSNSだって、自分の考えを世の中に問える場所を持つことができるようになった。


けど、それと反比例するかのように言論の自由(?)のようなものが束縛されているような気がしてならないのは僕だけ、か。


「これを書くとまずいかな・・・・・」


だとかいって意見を自主規制することが増えすぎてやしないかしら??


無論、意図的に誰かを傷つけたり、怒らせる記事を書くのは論外。


けど、それを必要以上に恐れるばかりにいいたいことをいえず、差し障りない「ヒマネタ」や「社説風ネタ」を書いているのだとしたら・・・・


否定するわけじゃないけど、少なくとも僕の美意識には合わないな。


「ヒマネタ」や「社説風ネタ」は、こと個人が意見を主張する場合は、無難で、安全、なのだ。


「無難や安全」に慣れると無意識に僕らはそれにすがりたくなってくる。


「無難で安全」を念頭に置きながらも、現状を打破したり、物事を変化させ続けたりするのが仕事の経営者がそこに居心地の良さを感じてたとしたらかなりリスキーなことだろうと思うが如何??


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October 2, 2007 | | Comments (0) | TrackBack (0)