« February 2008 | Main | May 2008 »

2008.03.18

お互いさま、ってこと

新宿の焼き鳥屋で酒を飲んでいた。


ホッピーが一杯280円、おつまみを食べるお箸(?)が焼き鳥の串っていう僕が好きなタイプの焼き鳥屋。


こういうところで漫画本を読んでボーっとするのはかなりの癒やしになる。


隣で、会社の上司と部下らしい2人組が会社の話をしていて思わず聞き耳をたてた。


部下(20代中盤の男性)が上司(40代後半)に「会社のシステム(何のシステムかは不明)がなってない」だとか、「人材を活かしきれていない」だとかを話している。


そのうちに「会社って何を考えてるんでしょうね?」みたいな話に展開している。ここでいう「会社」とは、文脈から考えるとおそらく代表者(たぶん社長)の事を指しているらしい。


あまりの指摘に、「ってか、お前は仕事きちんとしてんのかよ・・・・」って隣で聞いていて突込みをいれたくなった時に、この上司は言い切った。


「まあ、いろいろとあるけど、お互い様じゃないか」


「会社=自分の私物」と思っているような一部の経営者を除いては「自分の会社をまともにしたい」という思いはきっとあるだろう。


けど、人材、お金、時間、労力、能力、経験、ノウハウ(この言葉は嫌いですが・・・・)が不足していて自分や社員さんの理想とする会社とはほど遠いって現実があったりする。


そんな現実と向き合いながら、「理想の会社とはほど遠い」との批判を覚悟するメンタル的な図太さは経営者には必要。


けど、経営者だって人間。


あまり批判ばかりされるとこういう内なる声が聞こえるのも当然。


「ってか批判する前にやることやってるのかよ」って。


結局は上の上司がいっていたように「お互い様」の精神を持つことが、それぞれがWIN-WINでやっていくためには必要なんじゃないかしら・・。


自分の権利を主張する、って風潮が別段悪いこととは思わない。


けど、権利ばかりが飛び交う社会はどことなくしんどい。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ


March 18, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.11

仕事を通じて自己成長を図る、は欺瞞か?

「仕事を通じて自己成長を図る」ってよくいいますけど、欺瞞っぽいですよね


とある、テレビのインタビューでそんなコメントを見た。


発言者は20代中盤くらい、会社に勤めて2年くらいで仕事をやめてフリーターをしているらしい。


発言の背景は分からないが、その意見は分からないでもない。


僕は「仕事は自己成長(←この言葉はあまり好きではないですけどね)を図る上で、最良の手段」だと思ってるし、常々そういうことを言っている(ここでも書いてます)。


けど、その意見を誰かに押し付けるつもりはない。


逆に「仕事に意味なんてない」だとか「自己成長なんて欺瞞だ」みたいな人がいると、「同世代のライバルが減るな」とほくそ笑んでしまう、という嫌な性質を持っている。


僕は「仕事を通じて自己成長を図りたい」と思う人はその道を突き進めばいいし、そうだと思わない人は仕事と自己成長などを無理やりくっつけないほうがいい、と思っている。


仕事を通じて自己成長、という人は人間のタイプの一類でしかないのだから。


低賃金で長時間労働、本質的な仕事以外(無用の会議やら、報告のための報告など)で労力を使わせておいて「自己成長だ」なんて会社は世の中にいくらでもある。


もし仮に、そんな会社のメンバーであったら「仕事は自己成長の場」と素直に受取れるだろうか?どんな経営者なのか、どんな上司なのかにもよるけど、長期的にはなかなか難しくないだろうか?


「自己成長」というのは、リーダーが都合の悪いことを隠すときの美名に使われる


必要以上に「自己成長」を説かれるような組織は、それくらいのニヒリズムは持っていてもいいのではないか、と思っている。


自己成長を説く経営者やリーダーの人間性、言葉の背景、哲学や考え方に全身系を集中させ、疑うのは決して悪いことではない。むしろ、組織としてはそんな社員さんが存在することが健全さの現われだと思う。


僕は「仕事を通じて自己成長」とは思っているが、自分の会社のメンバーが「そうですよね、自己成長です」って皆が皆、目をキラキラさせながらいうような組織だけはつくりたくない、と思っている。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ


追記
映画「明日への遺言」を見ました。BC級裁判の被告・岡田中将をめぐる物語です。かなり期待していったのですが、失望しました。


リーダーとしての中将の姿を描いていながら、部下(裁判の被告として裁かれている)の描写がほとんどなかったのが原因か、と。


リーダーはリーダーとして存在するのではなく、メンバーとのやりとりやコントラストの中で存在が明らかになるものでは、と思いました。


まあ、いうだけだったら誰にでもいえますけど。


けど、A級裁判ではなく、BC級裁という切り口で戦争裁判を描いたのはよかったと思います。

March 11, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.06

「支払いができない局面」にどう向かうか

創業1年目、100万円近くの売掛金が飛ぶ事故がありました。


創業社長が亡くなり、新しい経営陣が二転三転し、会社の方向性に一貫性がなくなり、無謀ともいえる販売促進をかけた上の倒産でした。(あくまでも私の見方です)


以後、お金をめぐってのトラブルとまったく無縁であった訳ではありません。


内容証明、支払督促、資産調査、銀行口座の差し押さえ、裁判への出廷・・・・


ほとんどのビジネスマンが無縁であろうこれらのこと。これらを当事者として体験する中で僕にいくつかの確信ができました。


「日本では、『支払うお金がない』という権利(?)が思うほか認められている」ということです。


「支払いができない」といってすぐに事業ができなくなることはありません。ましてや、倒産するなんてことはありません。(手形を切ってる場合は別でしょうけど)


裁判所がすぐに差し押さえをすることも、銀行の口座がいきなり凍結されることもありません。


給料が支払えなくなって従業員が離れていったり、取引業者に支払いができなくなって仕入れや外注ができなくなったりする。そんなことさえ覚悟してしまえば、事業は継続していけるのが日本の現状、です。


で、実際にそういう覚悟(?)を選択する経営者もいます。


で、周囲にその迷惑がかかります。


最近、再びお金をめぐってのトラブルが発生しました。毎月、数百件もの方とお取引をしていれば仕方ないもの、なのかもしれません。


誤解を恐れずにいえば、経営をしていれば「支払うお金がない」なんて局面に直面するケースがあることくらいは知っています。


資金繰りがつまづいたり、投資資金の回収が遅れたり、予定していた入金がなかったり・・・・


そんなシビアな局面に直面した時に、「経営者が経営者たりえるか問われている」と僕は思います。


僕だったら「支払いができない」ってことに直面したら、とりあえず支払いできない会社の代表や担当者に誤りにいきます。で、1万円でも2万円でも払える算段を一緒に考えてもらいます。


お金には、「さまざまなエネルギーがついている」と僕は解釈しています。


支払うべきお金をそのままにしておく、ということは激しいマイナスのエネルギーが取り巻いてしまう、と僕は思っています。


けど、「支払えない局面」なりの作法は存在すると思っています。その作法は経営者によりけりでしょうけどね。


「支払えない局面」のきっちりとした対応をしたことにより、大きな信頼を気づくことも可能だとも思います。


僕は創業以来、支払いに関してはきちっとやってきたつもりです。けど、明日はわが身かもしれませんので、経営者の誠意にはできるだけお答えしたいとは思ってます。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ


追記
「捨てると何かが舞い込んでくる」という僕の好きな考え方に従うと「支払いがないのだからすっぱりとそのことは諦めて捨てる」って考え方もできると思います。(実際に、すっぱりと諦めたことにより、新しい展開が開けた経験もしています)


けど、「支払えないから支払わない」ということを認めるということは、当社のほとんどのお客様に対して間接的に不義理をしていることになると考えています。


なので、自分ができる打ち手はすべて打つのが僕の美意識です。

March 6, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.04

会社の歴史、知ってますか?

「今働いている会社の社長はなぜ起業したのだか知ってますか?」


採用面接をしている時、たまにそういう質問をすることがあります。


「社名の由来」だとか「社長の経歴」だとかを聞くこともあります。


企業の大小にかかわらず、なかなかこの辺に関しては皆さん知らないんだな、と実経験から感じています。


「こんな商売をしたい」だとか「このような思いを実現したい」だといった経営者の思い


それが、法人という人格をまとって、経営者の思いに共感したり、協力したり、利益を求めたりしてさまざまな人格や協力者が集まったのが会社だと思ってます。


そう考えると、経営者は自分の思いを言葉にする義務が生まれます。


社員さんは、会社や経営者の歴史をちょっとだけ理解する必要性が生まれてきます。


それは、一日の多くの時間を費やす「仕事」を単なる「労働」で終わらせないために必要なことでもあります。


会社の歴史や思いを語らない経営者と、会社の歴史に関心のない従業員がおりなす企業が、エクセレントカンパニー(卓越した会社)になれるとは僕は到底思えません。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ

March 4, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.03.03

大企業で40歳の社長が就任

旅行業界第2位のH.I.S.社次期社長に、40歳の平林さんという方が就任されるそうです。


経歴を見ると、1993年にH.I.S.社に入社し、2007年に取締役就任ですから大企業ということを考えると超スピード出世です。


僕が社会人になったのも1993年でした。


風の強い春の日に豊島区・目白にあった会社の本社で新人研修をやったことは昨日のように覚えています。


実質的なトップであった会長から、「手段と目的とを混同するな」というような訓示をいただき、ちょっとだけ緊張したのをよく覚えています。


平林社長は大企業で、僕は会社を転々としながら中小企業で、と経歴は違いますが年も同世代ですので勝手にライバル認定(?)させていただきたいと思っております。


企業家は「ゼロを1」にするのが得意、といわれます。けど、「5を10」にしたり「10を20にしたり」と会社のマネジメントに関しては別の能力が必要ともいわれます。


この辺の能力に関しては、大企業でビジネスマンをやってきた方の方が優れている、なんてことはよくあることでもあるでしょう。


企業家肌のリーダーが牽引する会社が、ある時点から成長のスピードが鈍化するのは、マネジメントの壁にぶちあたるから、ともいわれます。


大企業を率いる40歳社長がどのようなタイプの経営者なのかはよく分かりません。


大企業になったH.I.S.社をどのようにしていくのかは楽しみでもあります。企業家気質を備えながら、マネジメントにも精通する、そんな40代だったとしたら凄いですね。


↓自分もたまにしか押してませんが、押すとランクがあがります
人気blogランキングへ

March 3, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (0)