仕事を通じて自己成長を図る、は欺瞞か?
「仕事を通じて自己成長を図る」ってよくいいますけど、欺瞞っぽいですよね
とある、テレビのインタビューでそんなコメントを見た。
発言者は20代中盤くらい、会社に勤めて2年くらいで仕事をやめてフリーターをしているらしい。
発言の背景は分からないが、その意見は分からないでもない。
僕は「仕事は自己成長(←この言葉はあまり好きではないですけどね)を図る上で、最良の手段」だと思ってるし、常々そういうことを言っている(ここでも書いてます)。
けど、その意見を誰かに押し付けるつもりはない。
逆に「仕事に意味なんてない」だとか「自己成長なんて欺瞞だ」みたいな人がいると、「同世代のライバルが減るな」とほくそ笑んでしまう、という嫌な性質を持っている。
僕は「仕事を通じて自己成長を図りたい」と思う人はその道を突き進めばいいし、そうだと思わない人は仕事と自己成長などを無理やりくっつけないほうがいい、と思っている。
仕事を通じて自己成長、という人は人間のタイプの一類でしかないのだから。
低賃金で長時間労働、本質的な仕事以外(無用の会議やら、報告のための報告など)で労力を使わせておいて「自己成長だ」なんて会社は世の中にいくらでもある。
もし仮に、そんな会社のメンバーであったら「仕事は自己成長の場」と素直に受取れるだろうか?どんな経営者なのか、どんな上司なのかにもよるけど、長期的にはなかなか難しくないだろうか?
「自己成長」というのは、リーダーが都合の悪いことを隠すときの美名に使われる
必要以上に「自己成長」を説かれるような組織は、それくらいのニヒリズムは持っていてもいいのではないか、と思っている。
自己成長を説く経営者やリーダーの人間性、言葉の背景、哲学や考え方に全身系を集中させ、疑うのは決して悪いことではない。むしろ、組織としてはそんな社員さんが存在することが健全さの現われだと思う。
僕は「仕事を通じて自己成長」とは思っているが、自分の会社のメンバーが「そうですよね、自己成長です」って皆が皆、目をキラキラさせながらいうような組織だけはつくりたくない、と思っている。
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追記
映画「明日への遺言」を見ました。BC級裁判の被告・岡田中将をめぐる物語です。かなり期待していったのですが、失望しました。
リーダーとしての中将の姿を描いていながら、部下(裁判の被告として裁かれている)の描写がほとんどなかったのが原因か、と。
リーダーはリーダーとして存在するのではなく、メンバーとのやりとりやコントラストの中で存在が明らかになるものでは、と思いました。
まあ、いうだけだったら誰にでもいえますけど。
けど、A級裁判ではなく、BC級裁という切り口で戦争裁判を描いたのはよかったと思います。
March 11, 2008 in プチ経営の哲学 | Permalink
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