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2008.09.30

今日からアルバイトさんの面接があります

学生時代(&フリーター時代)いろんなアルバイトを行いました。


高校1年生の時にファミリーレストランの皿洗い(時給480円でした)に始まり、工事現場での運び屋や空調工事(当時建設中だった東京都庁によく行きました)。


バーテンダーにビデオのエキストラ。24時間勤務の交通調査に2時間おきに河川の水質を調査する仕事。神社でお守りを販売したり、選挙活動をする政治家を守る(?)なんて仕事もありました。


古書をひたすら処分したり、カーペットの毛玉をひたすらとる、なんて仕事もありました。プロレスの会場でコーラを売ったこともありましたし、女優さんと一緒にキャンペーン活動をするなんて仕事もありました。

僕の場合、アルバイトは常に生活の手段でした。学生時代は慢性的にお金がなかったですし、フリーター時代も同様です。


ただ、必ず「生活の手段+α」を念頭に置いて仕事を決めようと思ってました。


その「+α」は、僕の場合「将来的にその仕事をしたことがネタになるかどうか」でした。


「そいや昔、こんなアルバイトをしてな」ってのを自分の言葉で語れるかどうかが僕にとっては仕事を選ぶ重要な要因でした。(といっても派遣会社で働いていた時は職場は選べませんでしたが・・)


だから、変な仕事、危険な仕事、内容がよくわからない仕事はお金にかかわらずいくようにしてました。


その「+α」がなくてお金のためだけに仕事をするのはナンセンスだと思ってました。お金だけでアルバイトを決めるのであれば、上には上があるでしょうしね。


当然、「+α」は個々人で異なります。


ある人にとっては「社会人としての体験をつみたい」かもしれませんし、ある人にとっては「この仕事が自分にとって合っているか判断したい」かもしれません。


今日からアルバイトさんの採用面接があります。


せっかくの有意義な時間を使って仕事を行うのですから、自分なりの「+α」を念頭に置いて仕事をしていただけるといいですね。

September 30, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.09.23

ヨガをやるようになりました

怪我にならない体をつくるためです。


一昨年(だったかな?)にぎっくり腰をやって大変な目に遭いました。1か月は運動もできずに悶々としました。


いつかはきちっと体幹を鍛えないと、と延ばしのばしにしてましたがここ1か月でようやくとレッスンにでるようになりました。

ヨガは自分の体の内面との対話、なのだそうです。


そういえば、精神的に摩耗したり、遅い時間まで起きてると体がその影響を受けていることがなんとなく分かるようになりました。


また、自分の内面にある気持や思い、知識や情報が秩序だってくるような気がするように思えてなりません。


それはとりもなおさず、自分の直感を磨くことにつながるのだな、と。


僕は直観を磨くには、「大量の情報を頭にいれること」「朝早くに起きること」「喜怒哀楽といった感情をきっちり表現すること」そして「直観の存在を信じきること」が大事だと思っていました。


けど、それだけでは足りないのだな、と最近思うようになりました。


ヨガにその足りない部分を求めるつもりは毛頭ありませんが、おそらくはそっち方面(?)になんだかの智慧があるのではないか、と。


足を開いて柔軟をしても胸が地面につかないのに偉そうなこといってますが。。。

追記


家に帰ったらインドヨガツアーのパンフレットがありました。なんでも、インドのリシュケシュにいってヨガ三昧になるみたいです。


今回は行くことはないだろうけど、ジムのレッスンを受けにニュージーランドまでいった(それも2回。。)前科があるのでどうなることやら。。。。


September 23, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.09.18

心に強く思うことは実現する、の前提について

「心に強く思うことは実現する」なんてことが成功哲学や自己啓発の世界などでいわれます。


僕が見聞きしてきた中での実感として確かに、心に強く思うことは実現するように思います。


けど、そこには大前提があります。


それは「夢や目標に対して、自分の心の中に葛藤がないこと」です。

たとえば僕はコンピュータ関係の仕事が苦手です。メールの設定は自分ではできませんし、ソフトも基本の基本しか操作できません。


スキルアップするために解説書を読もうとしたことはありましたが、なにせ長続きしません。現在ではほぼ人任せです。


そんな僕が一念発起して「コンピュータのエンジニアになろう」と心に思うことは現実的には可能です。


例えばそんな思いを持った上で、エンジニアになるための勉強や就職活動をしていくとします。


するときっとどこかで「俺ってこの仕事に向かうことが本当にいいのだろうか?」という葛藤が頭をもたげてくることが予想されます。


その葛藤を「もっとポジティブにならないといけない」などといって蓋をしてしまってはどうしようもありません。それでは心の中に葛藤を抱えつつ、勉強や就職活動を続けていくことになります。


こんな状態で頑張っていくのは悲劇以外の何物でもありません。


僕は人間の才能(?)の一つに「心の中に葛藤が起こらない夢や目標を描けること」をあげています。


自分の心の中の葛藤の有無しは「どれだけそのことに没頭できるか?」である程度は判断できると思います。


夢や目標に対して頑張りがきかない、というのであれば単に自分に集中力や能力がないのではないかもしれません。


自分の心の中に夢や目標に対しての葛藤が存在しているのだと思います。(というか多くの場合はそうだと思います)


僕だったら葛藤を抱えたままの夢や目標を追いかけるのではなく、葛藤の存在しない夢や目標がどこかにないか探しにいきますね。

追記
葛藤が心の中に生れたとして、それをクリアーできる方法のようなものも世の中には存在するかもしれません。けど、僕はそれを知りません。


成功哲学や自己啓発のノウハウの功罪はいろいろとありますが、「がんばればなんとかなる」的なものはいい加減に見直されてもいいのではないか、と思います。


僕は新聞記者なろうと思って勉強をしてたことがあります。今思えば葛藤だらけでした(汗)あのまま続けていたら、と思うとぞっとします。。。。

September 18, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2008.09.17

最近、やたらとうるさくなった社会に

気に入っていた喫茶店があった。


店内が暗いので考え事にてきしているのと、携帯電話の電波が届かないので静かなのが気にいっていた。


が、ある時からカウンターの一席に同世代の男性が陣どる(?)ようになって携帯で仕事の連絡を次々とするようになった。


この店のカウンターの一角だけなぜか電波がつながるらしい・・・。


僕の中から静寂な環境がまた一つなくなった。

日本はいつからこんなに騒がしい国になったんだろう、と最近おもう。


公共機関での必要以上のアナウンス、どこかまわずに携帯電話で話をする人たち、テレビなどでの芸の範疇を超えた騒がしさ・・・(そいや最近はやたらと声がでかい人が増えたように思うが、これは気のせい??)


なんといったらいいか、日本全体が必要以上にテンションが高いと思うのだ。


テンションの高くなりすぎた社会で僕が身を守るのは「テンションの高くない自分である時間をいかにつくるか」になってくる。


静寂だったり、沈思だったり、没頭だったり


自分一人でテンションとの対局にある空間をいかにつくれるか?は精神的に破たんしない自分をつくるために必要だと思うが如何?


やかましくなった社会とテンションの高さはマズロー博士のいう「自己承認の欲求が強い」といういう部分で根底はつながっているように思う。


「自己実現の欲求」に目が向いている人は必要以上のテンションの高さはない、と思んですけどね。日本人の欲求水準が落ちたのもしれません。

追記
と、書いてる喫茶店でも携帯電話のおじさんがうるさいです。

September 17, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2008.09.08

困ったことは天の神様のいうとおり

物事の判断に困ることがあるとする。


例えば、転職。


今の会社の居心地はとてもいい。けど、将来性がなくて不安、なんて場合。


転職した場合と転職しなかった場合のメリットとデメリットを考えたり、他人に相談したり、関係する書籍を読んだり。


が、考えれば考えるほどよくわからなくなってくる、なんて場合。論理的にはそこそこ考えつくしてしまって、あとはどちらかに行動する、なんて場合。


最近、ブログの読者の方でこのような悩みの方がいらっしゃいました。


みなさんならどうしますか?


僕がこの方にしたアドバイスは「困ったことは天の神様の言うとおりにしたらいいんじゃないの」でした。


僕は特定の宗教は持ってると自覚していません。(感覚的には仏教が一番しっくりきますけど)


けど、人間の叡智をはるかに超えた大きなものの存在を常に信じています。


で、どれだけ人間があれやこれや考えても、その大きなものの存在に太刀打ち(?)できるわけない、と思っています。


さらに言うと、理屈や論理で考えてもわからないことは、大いなるものの存在にゆだねるのが自分にとって最良な結果になると信じています。


昔の人は「天の神様の言うとおり」といいことをいいました。


今の僕らに足りないのはこの精神ではないか、と僕は考えています。


処理する情報だけでも膨大な時代に、あれもこれも自分の判断だけでジャッジをしていくのは時間的にも労力的にも無理があります。


論理を極めるところまで自分の力で考えるのは当然でしょうが、それ以上にあれこれ思いをはせるのは自分の精神を摩耗させるだけです。


論理的にがっちりと考えて、「天の神様の言うとおり」という姿勢をもっていればこれらのメッセージは「直観」やら「インスピレーション」やら「ひらめき」といった形でうけとれると思います。


それらは人間の努力の対局にあるものではなく、常に延長線にあるものです。


努力をしていても、「大いなるものの存在を否定するような努力」はもったいないし、突き詰めていうと無駄じゃないか、と思うのです。

追記
今週は火曜日から出張が続きます。最近は夜のお付き合いがだいぶ減っていましたが、今週は毎日のように会合が入ってます。健康診断も終わりましたし(結果はまだですが)、ジムもそこそこいってるのでちょっと無理しようかな、と。

September 8, 2008 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2008.09.01

無為な一日

事業においては、リスクを最小にすべく努めなければならない。


だが、リスクを避けることにとらわれるならば、


結局は最大にしてかつ最も不合理なリスク、


すなわち無為のリスクを負う。


『ドラッカー名言集 変革の哲学』P.F.ドラッカー


週末に読んだドラッカー博士の本から。

企業活動をしていれば「無為」なんて一日はありえないはずです。


仕事の電話は鳴るし、メールだってやってくる。伝票のチェックをしないといけないし、原稿制作の締切も次々とやってくる。


ただ、丹念に一日を振り返ってみると上にあげたことのほとんどは「今日だとか、今月末だとか、数か月先のための仕事」であることに気がつきます。


今日のための仕事や今月末のための仕事を今日やるのは当然のこと。経営者は、「半年から一年後にどうするか?」を頭に入れておき、今日の時点でできる打ち手を考える必要があると思います。


「半年だとか1年先に実を結ぶような仕事をしていない一日」


僕はこれを「無為な一日」というようにしています。


僕らは直線的にものを考えがちです。今日の延長線に明日がある、と直線的にものを考えがち。「無為な一日」を脱するには、その考え方から脱却することが必要だと思います。


といっても、夢や目標ばかり追っていて現実の仕事をおろそかにしてもいけないですけどね。

September 1, 2008 | | Comments (0) | TrackBack (0)