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2009.01.29

信念とは生涯変わらないものか、ということについて

経営とは思いこみであり、一種の狂信的な信念です。


と、先日のブログで書きました。


すると、「『信念』ってのは力強い言葉だけど、それが一生涯変わらない自信があるか?」とつっこみがありましたので補足します。

僕には「運を呼び寄せることが経営では大事だ」という信念があります。どういう影響でこういう考えになったかはわかりませんが、「運」を味方につけることはとても重要だと考えています。


もし、「運なんて経営には関係ないでしょ」って考えの人と意見が対立した場合、僕の「信念」はなかなか変わらないと思います。


では、「未来永劫、その信念が変わらないか?」と問われると心もとないです。


すんごく大きなことが起きるのではなく、たまたま読んだ本の一節に「信念」がガラガラと音を崩れて壊れていく-そんな可能性もなくはないと思います。


「信念」という言葉をつかっていて自己矛盾するようですが、人間の信念(こと、僕の場合ですけど)なんてそんなものだ、と考える自分がいたりします。だから、会社経営者などの実務家が「信念を持つ」なんていう場合には「信念なんて変わるもの」くらいの感覚がいいのではないかと思っています。


実際、優秀な経営者の言動を聞いていたりすると、時の経過だとか外部環境の変化とともに「信念」は微妙な形で変化しているものです。(だいたいが、後付けの理屈がうまい人でしょうから周りは気が付きにくいでしょうけど)


当然ですよね。今現在の自分の能力や立ち位置からでは見えない世界ってのはきっとあるでしょうからね。


「信念」なんていう言葉を使う時に、心のどこかに「今、現在の」という枕詞(?)をつけるのはいがいに重要かもしれませんね。


「そんなのは本当の信念ではない」などといわれると困りますが、「信念」なんてものに本物も偽物もないわけであって・・・・要は自分の人生をどうしたらよりよく切り開いていくための一つの手段、って感じが付き合うのが僕は一番いいかな、と。


「信念」に縛られて身動きできなくなったり、「信念」に縛られて新しい発想が得られなかったとしたらこんなに残念なことはないですからね。

January 29, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.01.27

自分の仕事の根源について考える

うちの会社には海外のお取引先がいらっしゃいます。


カナダからはじまって、オーストラリア、アメリカ、ドイツ、イタリア、フィンランド、中国、タイといった国々です。ここ3年くらいの間にだいぶ増えました。


将来的にはもっと増やしていきたい、と考えています。ロシアとか、南アフリカとか、カンボジアとか、ミャンマーとか・・・・まだまだ、「仕事」という観点でみると面白そうな国はありますのでね。


その昔、プロレスマニアだった頃、TV中継の中で「次回のシリーズの出場外国人選手」という枠がありました。


まだ見ぬ強豪外国人レスラーの海外での映像がダイジェストになって数分の間流れるのですが、これが僕らのマニア心をどれだけくすぐったか。


「ミズーリ州チャンピオン」だとか「テキサスの荒馬」だとか「カルガリーの新鋭」だとか・・・。世界は広くて大きいんだな、ということを想起せられるエモーショなるなキャッチコピーの数々。


おそらく、僕が「海外にいきたい」とか「仕事のネタを海外にみつけたい」と思う根源はここにあったのかな、と。最近、つくづく思ったりするのです。


自分が小学生の頃に考えていたこと


あまり世の中の影響をうけずに、ピュアに(今と比べて、ですね)考えていた頃のことに仕事の原点ってあるんだな、と最近つくづく思ったりするのです。

January 27, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2009.01.26

人と同じことはしない、という立ち位置をもつ

最近、よくSEOの営業の方がこられます。


SEOとはHPに検索するときに上位にランクアップさせる手法、といっていいのでしょうか。昔からたまにこられていたんですけど、最近とくに増えたように思います。


けど、疑問に思うのです。「皆が一斉にSEO.をやりはじめたら、どうなるんだろうか?」と。


当然、検索上位にアップされることがどんどんと大変になっていきますよね。それに伴って今以上に新しいノウハウや手法が開発されていくんでしょうけど・・・・。僕は競争がどんどんと激しくなっていくような流れの中に自ら入っていく、という感覚は持っておりません。


「周りの人と同じような思考回路は持たないようにする」


僕は会社をやっていく上で大事な思考パターンだと思っています。「周りの人と同じ」ということだけでそこには競争が生まれてきますしね。だから、「周りの人がやっているからやらない」という判断はあり、だと僕は思います。


「早いうちに手掛けておいて(SEOに着手するのが早いのか、ということは抜きにしてです)損はない」ということをいわれたこともあります。確かにそうですね、経験や蓄積はどういう形であっても会社の無形の財産になりますし。


けど、今みたいな閉塞感のある時代は「機会損失がそんなに多くはない」んです。(ある人の受け売りです)


景気がどんどんと拡大しているのであれば「今やらないと乗り遅れる」という発想はありでしょうけど、今の時代は「乗り遅れる、という感覚をまずは無くす」という発想が大事なのかな、と。


そのためには「周りを同じようにしない」という自分を、自分自身が信頼することじゃないかしら。教育の成果なのか、日本国民としてのDNAなのか「周りと同じ」は心地がよかったり、安心できる側面もありますからね。


僕はベストセラーと呼ばれている本を読む時に限り「なんでこの本が流行るんだろう?」と思いながら、「なるべく本に書いていあることと逆のことをやる」ようにしています。


むろん、「早起き」だとか「本を読む」といったことを本が推奨しているのであれば、それに従うようにします。「多くの人がやればいいと思ってるけど、なかなかできない」ということはとってもチャンスですからね。


人と同じことをしない、ということは日常生活から意識していくことが大事だと思います。「偏屈」とか「変わってる」といわれた時に「褒め言葉」と感じるようになればいいのかな、と。


で、さらにいうなら「偏屈」と「素直さ」という相反する(?)ものが統合できたら素晴らしいかな、と。

January 26, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (2)

2009.01.23

「やる気」について考える

「やる気あるのか?」みたいなことを会社で言われたことありますか?


僕はあります。住宅の仕事をやっていた時にはよくいわれました。


営業の仕事から事務所に帰ってくる。それで、夜の10時くらいから「やる気云々」をいわれるとそれこそ「やる気」が削がれていくのを実感覚で感じました。


そもそも「やる気」という抽象的な言葉の概念で人を指導したり、怒ったりするのがどうなんだろ・・・と僕は思ってました。本当に嫌な部下ですけどね。上司の言う「やる気」というのがよくわからなかったんです。


当時の会社では朝礼をしてました。


標語のようなものを声高らかに読み上げるのですが、その声が大きいと「やる気があるね」といわれてました。また、新しい人が入ってきて初日から残業(それも夜の10時とか11時までです)をすると「今回の人はやる気がある」みたいにいわれていました。


そんな「やる気」という言葉がでてきた文脈から僕らは上司の「やる気とは何を意味するか?」を判断せざるを得ませんでした。


僕は「やる気」というものを軸にマネジメントを行うのは悪いことではないと思います。けど、それを行うのであればまず最初に「やる気」についての共通認識を社内につくらなくてはいけない、と僕は思います。


先日のブログで「やる気のある人の雇用は守る」と書きました。では、その「やる気」について僕なりの考え方を書きます。


まず、「素直に人の意見を受け入れる」ということです。


「やる気」には「正しいやる気」と「誤ったやる気」が存在すると僕は思っています。会社が人の集合体であり、多くの方との関係のなりたっている以上、「素直さ」は「正しいやる気」には欠かせません。逆にいうと、「素直さを欠いたやる気」は僕の考えるところ「誤ったやる気」であり、本来の「やる気」とはいえないものです。


ついで、「自分の能力を伸ばす姿勢がある」ということです。


仕事を通じて自分の能力を伸ばしたい、という気持ちがあるということですね。「生活するために仕事をする」というのはすべての基本です。が、会社が付加価値を与えていく存在であると考える以上、「自分は今と同じままでいい」と考えられても困ります。クライアントに提供できる付加価値は、所属するメンバー個々人の能力向上がベースになっているのが会社というものですからね。


最後に、「職業人として表情や目が死んでいない」ということです。


すごく抽象的な言葉ですけど、どんなに「素直」であり「能力を伸ばしている」と個人が主張しても、「あの人は表情や目が死んでるな」と周囲からいわれるようではいけないと僕は思います。周囲のやる気を削いでしまいますからね。「表情や目が死んでいない」というのは超最低限度のマナーです。


(ただ、「素直であり、能力を伸ばしたいと考えている」のであれば表情や目が死んでいる、ということはありえないと思いますけどね。)


僕にとっての「やる気」は必要以上にハイテンションになることではありません。仕事の実績をガンガンとつくることでもありません。夜中まで残業することでも、早朝に出社することでもありません。


「やる気」という抽象的な言葉が日本の職場で浮遊しているのだとしたら上司にも部下にとっても悲劇、だと思います。


追記
自分自身の「やる気」が削がれているな、と感じる時、僕の場合は月曜日の出社がちょっとだけしんどくなります。朝起きるのがちょっとだけしんどくなります。


これが一種のバロメーターですね。


そんな時は人の意見も聞く態勢でないでしょうし、本を読んだりすることも億劫になります。


そんな時はひたすら寝るようにします。代表者のマインドが万全の状態でいない、というのは中小企業の場合、大きな経営リスクですからね。

January 23, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.01.20

経営とは何か、を考える

「会社をはじめるにあたって、何からはじめたらいいでしょうか?」


僕は会社をつくろうと思った時に、ある方に相談しました。この方は企業の財務や経理にとても精通された方です


「何って、まずはお客さんを見つけること以外にないでしょ」


と、答えは明確でした。


僕は、「会社の売上管理のシステム」だとか「請求書を発行するしくみ」だとかの話になるだろうかなと思っていたので拍子抜けしましたが、確かに重要なことだと思いました。


それからいろいろな方の創業、起業を間近で見たり、相談を受けたりしてきていろんなタイプがいるんだな、と思いました。


●僕のように「会社の運営システムから入る人」
●「名刺や会社のロゴをどうするか?」という形から入る人
●「とにかく営業!」と動きはじめる人
●「人がいないと売上もあがらん」と採用から入る人
●「経営を理解しないと」と勉強から入る人


今の僕は「経営をするにあたって何からはじめたらいいでしょうか?」という質問に対しては、「経営における企業の死(=倒産)とは何かを知ること」というようにしています。「どうしたら倒産や廃業してしまうかを理解すること」、それなしに起業はありえません。(あくまで自論です)


僕は債権者会議に出たり、いくたの会社の廃業を目の当たりにするうちに「倒産や廃業にならないためにどうするか?」という視点からモノを考える姿勢がどうも知らぬ間に身についてしまったようです。


その上で、「お客さんのために何ができるか?を考え、それが自社の売上につながるかどうか考えること」と答えるようにしています。


どんなにスキルや技術があったって、それがお金をいただいた上で受け入れられなければ自己満足でしかないですからね。今の時代のマーケットで自分のスキルや商品、技術やセンスが活かせるかどうかを徹底的に見つめ、考えることです。


売上管理のしくみだとか、給料制度だとか、税金や保険のことだとか・・・そのようなことはやっていくうちになんとなく必要にせまられてつくられていったり、覚えたりしていくものです。(というか、今でもしらないことがたくさんですけどね。何とかなります。)


何も知らなければ経営はできないし、知りすぎているからといってうまくいくわけではない。


その辺が非常に絶妙でいいですね。


どんな形の経営スタイルをとるにせよ僕らが根本で考えておかないといけないのは、「経営とは何か?」を考える時に存在する「どこかに答えがあるのではないか?」という思いです。


どこかに「経営とは何か?って答えがある」と思うと、無意識のうちに僕らはそれを探しにいってしまします。そして、本来やるべきことをやらないで答え探しをしてしまったりします。


けど、そんな答えなんかないんです。


経営とは思いこみであり、一種の狂信的な信念です。


「こうすればうまくいくだろう」「こうやれば喜んでいただけるだろう」という信念の前には、どんな経営書だって色あせる、と僕は思います。そんな姿勢の前には、勉強すべき課題が嫌でも次々と迫ってくるでしょうしね。


今思うと「何からはじめたらいいでしょう?」って質問は、どこかに答えを探していた気持のあらわれなのかな、なんて思ったりします。

January 20, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.01.18

お金が回らない、なんて時代に「お金」を考える

23歳で金沢に転勤になりました。


会社のすぐ近くに市場があって、地元の方や観光客でにぎわっていました。横断歩道を挟んだ向こう側には当時一世を風靡していた量販店。


「市場と量販店」-僕はなぜかその光景が奇異に映りました。


「そのうち日本全国がどこにいっても同じような光景になっていくんではないか?」-だとしたらなんて味気ないんだろな、と思いました。


次第にその思いは現実化してきました。消費者金融、居酒屋のチェーン店、コンビニエンスストアにコーヒーショップ・・・・日本のどこにいっても駅前が似てくる現象がどんどんとでてきました。


僕が学生時代を過ごした渋谷。注文をしてみるまでどんな料理がでてくるか分からない居酒屋やマスターが個性的な喫茶店があったビルのテナントが、時代の趨勢とともに消費者金融やチェーン店の居酒屋になっていきました。


それぞれの事業活動ですから何をいうつもりもありません。が、僕は多様なお店があることがその国のもつ柔軟性や個性だと考えてました。


「どこもかしこも画一化された街になっていったら、日本を訪れた外国人にかっこわるい」-旅に行くようになってそんなことを思うようになっていきました。


そんなことですから、今でもなるべく個人商店で商品を買うようにしています。電球は電気屋さんから、文房具は文房具屋さんからですね。飲みに行く時も自分にお店の選択肢があるのなら個人商店のようなところになるべくいきます。


「お金を使う時はお金が回っていく姿をイメージしながらつかう」


とある人にいわれたことがあります。「自分が使うお金が個性的な街や商店街をつくっていく原資になっていく」そう考えただけで消費は投資、という意味合いを含んできます。


「お金が回らない」なんていわれている時代はそういうお金に対する考え方が大事なのかな、と。


当社は一時期、中国や韓国の印刷会社に仕事を発注していました。コストがだいぶ安いですからね。けど、ここ最近は一部の案件を除いては国内の印刷会社にシフトしていこうと思っています。


国内の消費を誰かが喚起していかないと景気なんていっこうによくならないですからね。前回のブログに続いてこれもまた僕の中小企業代表者としてのオブリージュ(義務)の果たし方です。


中小企業の代表者が「誰かがなんとかしてくれる」なんて考えてたら景気なんてよくなりませんからね。

January 18, 2009 | | Comments (4) | TrackBack (1)

2009.01.16

二者択一に直面しないために

前回、二者択一に至らないことの重要さを書きました。


これを「景気悪化に伴う売り上げ減」というケースを元に考えてみます。


仮に、景気の悪化に伴い業績が下がるとします。僕なら自分の給料を下げます。会社の業績はほぼ100%が代表者の責任によるものですからね。

それは、懲罰(?)というよりも、「会社にある現預金を少しでも残す」という判断からです。緊急時には自分で自分を懲罰していてもしょうがないですからね。


それでもどうしようもなくなったら、自分の個人資産を会社につぎ込みます。僕の給料は生活費と一部の貯金を除いてはすべてこういった事態に対応するためのお金として考えていますので当然のことですね。


どうしようもなくなったら、という判断は僕の場合、「会社にある資金÷1か月の必要経費(給料や事務所賃貸料などの固定費)」の数値がある一定程度の値にまでいってしまったら、と考えています。要は「会社の売上が全くゼロになったと仮定した時に何か月運営できるか?」という数字です。


この辺の基礎データは毎週、毎週チェックしています。


で、それでもどうしようもなくなってきたら、「販売」と「営業」を全社体制で取り組みます。この段階までくると業績の悪化で仕事の量も少なくなっているでしょうからね。で、営業担当者以外の人にも「販売」や「営業」のサポートをするなり、現場に出てもらうなりしてもらいます。


かつて松下電器さんが1929年の恐慌を、全社員(だったかな?)で在庫を販売して苦境を乗り切った、という話がとても参考になります。


それでもどうしようもなくなってきたら、社員さんの給料をカットするしかないでしょうね。話題になっているワークシェアを行うかどうかは微妙ですけど、フォルクスワーゲンさんが労働時間と給料をそれぞれ2割カット、全社員の雇用を守った、という話はとても参考になります。


それでもどうしようもなくなってきたら・・・・ここまでくるとそろそろ「倒産」か「雇用死守」かの二者択一に近くなってくるでしょうね。だいぶ後がないような気がしてきますね。


けど、考えてみればここまでに至るまで僕らにはいろんなオプション、選択肢があるはずなんです。時間的だって稼げるし、その中で景気や業界の風向きなんて一気に変わることもあるわけです。


「金融機関からお金を借りる」「お取引先に売掛金の入金サイクルを早めていただく」なんて経営の基本のような打ち手だってあるわけです。


そんなオプションをシュミレーション&実行することなく、世の中の動きに惑わされて「うちも雇用調整を」という視点は僕にはありません。


今、日本が総不安化しています。この時代に中小企業の経営者ができることは「とりあえず雇用はまかせとき」という言葉を周囲にかけることが一番なのではないか、と僕は思います。


10人ほどの中小企業(零細企業?)といっても拡大解釈すれば30~40人の人生を背負っています。少なくとも、そういう立場としてのオブリージュ(義務)の果たし方は人それぞれでしょうが、あってしかるべきだと僕は思っています。


追記
昨日、一昨日と山中湖に研修に行ってきました。年のはじめに毎年行ってるもので、今年で5年目くらいになります。


Fujisan


新しい知識を習得する目的ではなく、ただひたすら現実を認識する作業を行います。


現実を認識する、というのは時にすごい気づきがあったりします。そんな気づきが一つでも増えると僕らの経営は安定してくるのだな、と思います。ただ、その気づきが「現実」なのか「妄想」なのかを自分が認識していることが重要だと思いました。


よく分からない話ですいませんが・・。

January 16, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2009.01.13

倒産か、雇用か といった二者択一を考える

「会社は薄情な存在だ。内部留保を切り崩してまで雇用を守らないじゃないか」


とある討論番組でそんな意見を聞きました。


日本に数百万社ある会社を一般論のような形で「薄情」と決めつけるのはどうかと思いましたが、昨今の報道をみているとそんな思いをぶちまけたくなる気持ちも分からないでもありません。


ほとんどの方が「今現在、勤めている会社は1社」である以上、この問題は「自分が所属している会社は薄情なのか?」という視点から考える必要があると思います。


僕の場合、まず「薄情」とは思われたくないです。それは、社員さんはもちろん、クライアントさんだって、協力業者さんにだって、友人にだって同様です。


だから、最後の最後まで雇用は守ります。否、「だから」というよりも、会社は社会的な存在なので雇用は守ります。


会社は、「雇用の安定」を提供することにより、働いている人に「経済の安定」(生計がたてられる)を与えます。


それは、「健康の安定」(病気になっても収入がある、病院に行ける)につながり、「自己実現の安定」(社会とかかわる場がある、自分の能力を伸ばせる)のベースになるものです。


さらにいうと、「家族の安定」(家庭が円満でいられる)や「人間関係の安定」(友達と会う時間がつくれる)、「趣味の安定」(仕事外の時間を持てる)の要因となるものでもあります。


経営者はまずこの義務(=雇用の安定)を背負っている、と僕は考えています。


だから、会社をつくって以来「やる気のある人間の雇用は守る」を貫いています。(やる気のない人の雇用を守るほど、僕はお人よしではないです)


が、ここで「会社が倒産するかしないかの局面で雇用を守れるか」という疑問にぶちあたります。「雇用を守ることを死守して、倒産しちゃったら元も子もないではないか」ということです。


確かにそれはナンセンスです。僕は、「倒産か雇用か」の二社択一になったら、関係各位に頭を下げてでも倒産回避の動きをすると思います。


が、そもそも二社択一の選択肢になるような現状を経営においてつくる(=いままで放置しておく)ことが経営者として問題です。


「経営に二者択一という選択をなるべく入れない」これはとっても重要なことです。


二者択一には、高い判断や決断が求められます。「判断を間違えられない」という状況の中でベストの判断を必ず下せる、と胸をはっていえる人がどれだけいるでしょう??


であれば、二者択一に至るまでの過程でどれだけ打ち手を打っておくか(二者択一に至らないようなポジションをつくっておく)、が大事になります。ここについては、改めて。

January 13, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.01.09

生き残り、の時代について

世界でも有数の治安がいい国

識字率が高く、基本的な教育の機会が幅広く与えられている国

世界第2位といわれるGDPの国

大学の新卒が20万円近くも給料をもらえる国

医療制度がしっかりとしている国


そんな国の年末年始をメディアが、「生き残り」などと表現している現実。

本当の意味で「生き残り」の渦中にいる世界各地の方がそんな日本の風景を見た時、何を思うのでしょう?


僕が長い旅をしている時に、あるチベット人にこういわれました。


「お前らの国はチャンスがいくらでもあるのに、何で若いうちから旅なんかしてるの?」と。「勿体ないじゃないか」と。


世界と比較すると日本はまだまだチャンスに満ちていて、機会の均等があって、努力が結ばれやすい環境にある、と僕は思います。


何かしらの運命でそんな国に生を受けたのですから、「生き残り」を目標にするのは、僕は大きなものの意志に反しているような気がしてなりません。


当然、職を失って、住むところを失って、当面の「生き残り」に直面している個人はいらしゃるでしょう。その現実の中で将来の漠然とした絵さえ描けないという方もいらっしゃるでしょう。


そんな状況の中では、「生き残り」とは比較的に無縁な国に生を受けたこと-その事実だけでも自分の中の拠り所にするしかないんじゃないかな、と僕は思います。


僕は、個人であれ、会社であれ「生き残り」という言葉を安易に使うことはしたくない、と思っています。日本は国力が落ちた、とはいえまだまだ恵まれている国ですしね。そんな国に生を受けたことだけでも、素晴らしいことです。


追記
あるビジネス本編集者が「生き残りをテーマにすると売れるんだよ」といったことをいっていました。商売ですからしょうがないんでしょうけど・・・。

January 9, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.01.05

2009年のはじめに~今日から始業です

「今年一年はどういう年になるか?」


年初めの3日間くらいはそんなことを考えて過ごします。


で、年の瀬になると1年を振り返ります。

「年の瀬の初めに考えたこと通りにいった一年」


もちろん、そんな1年などありません。神風(?)が吹いて売上が激増した一年もありましたし、想定外のできごとによって売上が激減したり、社員さんが退職したりした一年もありました。


では、年の瀬に1年を見通すという作業が不毛か、というとそんなこともありません。


未来予測はさまざまな要因を加味して考えます。


市場のマクロやミクロの動向に、人々のニーズの変化。今、うちの会社が持っている経営資源(人、モノ、お金、情報、時間、在庫など)やお取引先(出版社やメーカー)の環境変化。そして大事なのは、我々を取り巻く人々の意識の変化・・・・


そんなことを考えながら一年を俯瞰する


僕はこれほどまでに創造的で刺激的な(?)作業を他に知りません。


で、今年はそんな作業をすることが苦ではない経営者にとって追い風が吹く1年になると思います。本質的に仕事が好きな人が市場から正しく評価される時代です。


さらにいうと、「経営者が勇気を振り絞る決断を迫られる時代」だとも思います。


「ビジネスは暗闇のジャンプの連続」と幻冬舎の見城社長が言われています。


先の見通しがきない中で、自分の運や力を信じて暗闇ジャンプを跳ぶ。そんな決断を市場や環境に迫られる時代のような気がしています。


いずれにしても、やるべきことをやっている人にはあたふたする必要はありません。


そんなことを自分自身が信じきることができるかどうか、が今年一年は大事なのかと思います。


本年もよろしくお願いいたします。

January 5, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)