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2009.01.23

「やる気」について考える

「やる気あるのか?」みたいなことを会社で言われたことありますか?


僕はあります。住宅の仕事をやっていた時にはよくいわれました。


営業の仕事から事務所に帰ってくる。それで、夜の10時くらいから「やる気云々」をいわれるとそれこそ「やる気」が削がれていくのを実感覚で感じました。


そもそも「やる気」という抽象的な言葉の概念で人を指導したり、怒ったりするのがどうなんだろ・・・と僕は思ってました。本当に嫌な部下ですけどね。上司の言う「やる気」というのがよくわからなかったんです。


当時の会社では朝礼をしてました。


標語のようなものを声高らかに読み上げるのですが、その声が大きいと「やる気があるね」といわれてました。また、新しい人が入ってきて初日から残業(それも夜の10時とか11時までです)をすると「今回の人はやる気がある」みたいにいわれていました。


そんな「やる気」という言葉がでてきた文脈から僕らは上司の「やる気とは何を意味するか?」を判断せざるを得ませんでした。


僕は「やる気」というものを軸にマネジメントを行うのは悪いことではないと思います。けど、それを行うのであればまず最初に「やる気」についての共通認識を社内につくらなくてはいけない、と僕は思います。


先日のブログで「やる気のある人の雇用は守る」と書きました。では、その「やる気」について僕なりの考え方を書きます。


まず、「素直に人の意見を受け入れる」ということです。


「やる気」には「正しいやる気」と「誤ったやる気」が存在すると僕は思っています。会社が人の集合体であり、多くの方との関係のなりたっている以上、「素直さ」は「正しいやる気」には欠かせません。逆にいうと、「素直さを欠いたやる気」は僕の考えるところ「誤ったやる気」であり、本来の「やる気」とはいえないものです。


ついで、「自分の能力を伸ばす姿勢がある」ということです。


仕事を通じて自分の能力を伸ばしたい、という気持ちがあるということですね。「生活するために仕事をする」というのはすべての基本です。が、会社が付加価値を与えていく存在であると考える以上、「自分は今と同じままでいい」と考えられても困ります。クライアントに提供できる付加価値は、所属するメンバー個々人の能力向上がベースになっているのが会社というものですからね。


最後に、「職業人として表情や目が死んでいない」ということです。


すごく抽象的な言葉ですけど、どんなに「素直」であり「能力を伸ばしている」と個人が主張しても、「あの人は表情や目が死んでるな」と周囲からいわれるようではいけないと僕は思います。周囲のやる気を削いでしまいますからね。「表情や目が死んでいない」というのは超最低限度のマナーです。


(ただ、「素直であり、能力を伸ばしたいと考えている」のであれば表情や目が死んでいる、ということはありえないと思いますけどね。)


僕にとっての「やる気」は必要以上にハイテンションになることではありません。仕事の実績をガンガンとつくることでもありません。夜中まで残業することでも、早朝に出社することでもありません。


「やる気」という抽象的な言葉が日本の職場で浮遊しているのだとしたら上司にも部下にとっても悲劇、だと思います。


追記
自分自身の「やる気」が削がれているな、と感じる時、僕の場合は月曜日の出社がちょっとだけしんどくなります。朝起きるのがちょっとだけしんどくなります。


これが一種のバロメーターですね。


そんな時は人の意見も聞く態勢でないでしょうし、本を読んだりすることも億劫になります。


そんな時はひたすら寝るようにします。代表者のマインドが万全の状態でいない、というのは中小企業の場合、大きな経営リスクですからね。

January 23, 2009 |

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