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2009.04.28

「冬眠」を受け入れる、という姿勢

今朝、お風呂に入りながら読んでいた『日経ビジネス』(日経BP社)に、「正しい『冬眠』の方法」という記事が載っていました。


学生ベンチャーの草分け的存在・堀場雅夫さん(堀場製作所最高顧問)が書かれたものです。

業績が低迷すると、おろおろして新しい事業に進出したくなるのが経営者の心理だ。しかし大抵の場合、慣れないことに想定以上のエネルギーを使った揚げ句、失敗する。よほど画期的な製品やサービスでない限り、ほかの会社が長い間取り組んできた分野に進入して儲かるはずがない。儲からないだけならまだしも、品質問題やクレーム対応などの後ろ向きの仕事に時間と金を使うはめになる。


いかなる時代でも企業として新しい分野への挑戦は必要だが、最もダメージが大きいのは、短期対応のための事業にカネと人材が奪われた結果、本業の競争力が落ちてしまうことである。それではせっかく春(大塚注 景気回復のたとえ)が訪れても、すぐに動き出せずに機を逸するだけだ。無駄に動くことなくじっと我慢できるかどうかも、経営者に必要な能力の1つである。


と、「冬眠」をすすめられています。


僕はこの考え方に賛成です。


じっと我慢をしながら次のチャンスが来るまでの基礎固めを行うこと、勉強をしておくこと、研究だとか開発だとかを行っていくこと、人材のスキルをあげておくこと


これらは、当期利益に直接結び付きにくい性質を持っています。けど、今のような、「自分がいる業界以外も悪い」、「海外のマーケットにも頼れない」とかいう時代には、体力を温存し力を蓄えておくことがなによりも大事か、と。


僕らのDNAの中には知らぬ間に、「企業として成長し続けていくこと=善」といったプログラミングがなされているように感じていますが、今のように市場が成熟化した社会ではそんなプログラムを破壊して、「企業として成長していく段階」と「成長の準備をする段階」とをうまくコントロールしていくセンスが必要な気がしてなりません。


その昔、ある先達経営者が


「今はね、売上を下げる時期なんだよ」と笑いながらいっていたことがありました。


その時は????だったのですが、今思うと彼なりの「成長と冬眠のコントロール」の話をしていたのかな、と思います。


April 28, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.04.27

ビジネスの立ち上げ期にこれをしたらいいんじゃないか、と思うこと

「○○というビジネスを考えてるがどう思うか?」という話を受けることがあります。


具体的な計画書がある場合のありますし、思いつきのジャストアイデァだったりすることもあります。


僕は仕事の立ち上げ期に大事なのは、「やる気の火種を消えさせないこと」だと思います。


計画を具体化していくと必ず「やらない方がいいのでは」といった要因が存在してきます。競合会社の存在であったり、厳しい利益構造であったり、人材や設備がかかりすぎるであったり・・・


ただ、成熟化した市場の中では「誰も考えていないアイデァ」、「誰も気がついていない市場」、「誰も気がついていないクライアント」・・・・これらはすべて幻想でしかありません。


経営の世界にも「天才」という人はいると思いますので自らをそう定義するのであれば別ですが、普通の人がビジネスを展開していく時には上のような幻想を抱くとどんどんと行動ができなくなっていきます。


だって、そんなのは先人の経営者が考えて考えて、今の日本の市場があるわけですからね。「自分が考えていることくらいは、日本全国で30人くらいは考えている」―まあ、そんなものじゃないか、と。


それよりもまず大事なのは、「自らの頭にあるものを形にしていく作業」だと思います。


僕ならまずスケッチブックを買ってきます。で、「自分が何をしたいのか?」「何がお客さんや仕入れ先に提供できるのか?」「競合会社にはどんなところがあって、そこが何をしているのか?」を思いつくまま書いていきます。


で、どこに行く時にもそのスケッチブックを持っていきます。それは、「やる気の火種を消さないため」です。


逆にいえば、「プライベートの場所にまでスケッチブックを持っていくのが面倒であれば、その程度のやる気」なんじゃないかと思います。だって、会社を立ち上げるってことは「仕事以外の時間も仕事のことを気にする」って状態にならないといけないでしょうからね。


そんな作業を続けていくと、すんごく細かいところで「自分なりの強み」が出てきたりします。「他人にはない価値観」のようなものがでてきたりします。そんな「個性」を発見し、紡いでいく作業が大事か、と。


「深いレベルまで考えた上での計画」


そこには、かならず自らの個性が出てきます。で、その個性が顕在化することにより、計画は一気にパワーを帯びたものになってきます。迫力を帯びたものになってくると思います。きっと、一言一言の言葉にも言霊が宿っているでしょう。


そんな作業がお客さんや仕入れ先に対して説得力を生み出すのか、と。


誰も初めは初心者です。立ち上げのやり方や方法はいろいろとあると思いますが、あまり多くの人の意見を聞き過ぎないことも大事か、と。


皆、言うことは違うでしょうからね。そこには「個性」が色濃く存在するでしょうし。


それらすべてのいいとこどりなんてのもできないでしょうし。


まずはいろんな意見を総合して、「一番自分がいい!」と思ったやり方をやっていくことが大事か、と。「合わない!」と思えばやめて、やり方を変えればいいだけの話ですしね。

April 27, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.04.22

消費を喚起する、というのもいいけれど

「消費が喚起されない」というニュースがあります。


で、企業の開発現場では、「もっと消費を喚起するような商品を開発しよう」だとかいう話になったりしてるみたいです。


けど、よーくいわれているように日本は成熟社会に入っているわけです。たいがいのモノは揃ってるし、そもそもモノを新たに増やすスペースが自宅や会社になかったりしています。


そんな時代の商品開発は、「消費を喚起」という視点をまずは取り外すのが大切かな、と。


僕は、「消費を喚起してやる」って意図が見えるような商品は買いたくないですから強く思います。(それを、うまーくやるのが商売人の腕だと思います)


うちの会社もいろいろと商品をつくっていますが、実は「これを売るぞ!」とは必要以には思いません。それよりも、その一つ一つの商品に付随して紡ぎだされたドラマのようなものを大事にしていきたいな、と。


僕が初めて海外と取引をしたのはカナダ在住のフランス人芸術家でした。アメリカで開催されたイベントで偶然に会って意気投合(?)。30分後には日本での独占契約の話が決まってました。


けど、僕も彼も英語が母国語でないので言葉が達者ではありません。海外での初めての契約案件はスケッチブックに描かれたメモとイラストが契約書のようなものでした。


日本に帰ってから彼に正式なオファーを出すと「なんてエキサイティングなんだ!!!!!!!!!!」といままでに見たことないくらいびっくりマークが羅列されたメールをもらいました。


「自分が君の立場だとしても狂喜乱舞するだろうな」とメールで書きたかったのですが「狂喜乱舞」の言葉がでてこなかったことを思い出します。


あれから4年ちょっとの月日が流れました。


商品開発をする人は、誰しもが最初から「売れないだろな」とは思っていないわけです。「売れる」「ニーズがある」と思って企画をあげて実現へと動くわけです。(そうじゃないケースもある、のかな?)


そこには必要以上に「消費を喚起」って視点はいらないわけです。


なかなか消費が喚起されない、という理由のひとつに開発者の余裕のなさがあるんではないでしょうかね。次々と売れる商品を出していかなければならない宿命ってのはしんどいと思います。


僕は、ひとつひとつの商品に付随するドラマを集めるような感覚でモノづくりができればいいのにな、と思います。どうせ、10割の成功なんてない世界なのですからね。


その中から「結果として、売れていく」、「結果として、消費を喚起する」


そんな商品が生まれたらラッキー、という感覚が大事かなと。昔の経営者はそんな余裕があったような気がしてならないのですが・・・・。

April 22, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.04.20

彼はその昔、旅人でした

「彼はその昔、旅人でした」と、ある席で紹介をされました。


で、ある感情(?)を思い出しました。

僕が旅に出たのは26才の時です。旅に出た理由は書けば書くほど、話をすればするほど事実から遠ざかるような気がするのでよく深堀りしてませんが、そのひとつに


「俺はその昔、旅人だったんだ」とオヤジになってから言ってみたい


という気持ちがあったようなきがします。


「自分は○〇大学の卒業生なんだ」だとか「○〇の仕事をしてきた」だとかいうよりも、「元旅人」っていう方がなんとなくインパクトあるかな、と。かっこいいかな、と。


当時の僕は、「将来、教育の仕事に従事したい」って考えがあったのですが(今もあります)、「元旅人」なんて先生がいたら素敵じゃないか、と。


でも、実際にオヤジになった(?)今、すっかりとそんな感情は忘れてました。


今の僕にとっての「旅人」生活は、人生のある時期のよき思い出でしかありません。1日数百円で暮らしていたあの生活を再びやろうと思う気持ちもないですし、やれても当時のように楽しめるような気もしません。


現在の僕にとっての「旅」は、26~28才くらいの人と話をする時に、「ああ、このくらいの年齢の時に旅をしてたんだな」と思ったり、ミャンマーやチベットなどの新聞報道を見ると「現地で知り合ったあいつらは元気かな?」と思いをはせるくらいでしかなかったりします。


そんな僕にとっての「旅」とは何だったんでしょうね?


このブログも「元バックパッカー云々」というタイトルですが、元バックパッカーってのにはあまりこだわってない自分もいたりして・・・・てか、最近はそれに違和感を感じてきていたりします。


ただ、僕の性格形成(?)において「旅」の果たす役割は非常に大きかったな、と。


周囲の人や環境をうらやむ気持ちがだんだんとなくなってきたり(当然、全部はなくなってませんよ。特に素晴らしい才能の持ち主には時に嫉妬します 笑)、「何をしても生きていけるんだ」と思えたり、「成功するとかしないとかじゃなくて、ネタを探す生き方をしよう」と思えたり


これは旅をしてからのことかな、と思ったりするのです。


それ以上に「自分にとっての旅とは何だったのだろうか?」などと考えると、せっかくの思い出が霧散してしまうような気がしたりもするのです。


「何だろうか」って考えてもしょうがないことは考えない


そいや、こう思うようになったのも旅に出てからかもしれませんね。

April 20, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.04.13

起業するのにお金はいくら必要か?

「起業するのにどのくらいのお金がかかるか?」


会社をつくる時に、悩みました。


モノの本を読むと、「年収の3年分(!)は蓄えをもっていないと心もとない」といったものから、「結局はやる気なので、お金は後からついてくる」みたいなものまでさまざま。


どこにどれだけのお金がかかるかよく分からない状況で、タネ銭もわずかで突っ込むには相応の勇気が必要です。けど、それを行うのがはじめての起業です。

「蓄えはあるに越したことない」-確かにそれは起業をする場合の厳然たる事実でしょう。


けど、「どうしても起業したいけどお金がない」といった時に、「お金」を理由に起業をあきらめてしまうのもナンセンスだと思います。「お金がなくても起業しようと思ったというのは、大きな存在がそうさせているのだ」、と僕は思いますしね。


問題は、「どの程度お金が足りないのかがよく分からない」といった部分にあるのかな、と。


研究開発型の業種や店舗や在庫などの先行投資が必要な業種は別にして、クライアントから仕事を受けた時点で仕事が発生する受注業種の場合は案外とシンプルだと思います。


「自分が最低限生活できるお金」(人を雇う場合はその人の給料も)+「事務所家賃」+「月々の管理費見込み」


これを最低限6ヵ月もっていればなんとかなるんではないか、というのは僕の実感です。


僕の場合は、お金がなかったのでまずは最高の(?)事業計画書を書きました。今でも手元に残っていますが、当時の自分の能力でできる最高のものです。


で、近い人に協力をお願いしました。すると、「お金を出資していただける」「一緒に働いてくれる」「事務所の一部を貸してあげる」という人がでてきました。「仕事をふってくれる」という人もでてきました。


で、ようやくなんとか形になりました。


一度立ち上がってしまえば、あとは「経営」の部分です。


新しいクライアントを開拓したり、外注先に取引先に支払サイトを長くしてもらったり(今でもこの時に上司を説得していただいたT印刷の担当者には足を向けられません。)、逆にクライアントからの支払いを早めていただく交渉をしたり、といった部分に入っていきます。


起業をしたいと思っている人は、「どの程度のお金があれば起業できるのか?」といったこと考えすぎる落とし穴にはまってはならないと僕は思ってます。


それよりも「自分には何ができるのか?」、「それが市場に受け入れられるのか?」、さらには「それがお金になるのか?」を考えることの方が大事か、と。


そんなサービスであり、企画であり、会社でありさえすれば、


さらにいうと経営者自身の熱意があるのであれば、


お金も人も情報も何とはなしに集まってくると思います。


精神論みたいですが、それを信じきれるかどうかが「いくら必要か」よりも重要かな、と。

April 13, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (2)

2009.04.08

「今、ここにある」ということ

最近、本をジャンルを問わずに乱読してるのですが、「今、ここにある」という趣旨のことばによく遭遇します。


「今、ここにある」ということは、僕なりに解釈すると「今、この瞬間に自分の意識をフォーカスする」ということ。「意識を100% 今に向ける」ということです。

僕らの意識はDNAに刷り込まれているのか、どうも「今」が苦手のようです。仕事や勉強をしながらも、「先のこと」だとか「他のこと」に意識が飛んでしまいがちです。


さらには、「今」を生きなければならないのに、「先の人生」について考えたりするのが好きだったりします。


就職したての社会人がすることは、「目先の仕事をクリアーし、ひとつひとつを覚えていくこと」なのにもかかわらず、「30才までに何とかしなくちゃ」なんて焦りから仕事もそこそこに「先の人生」の算段をとりはじめたりします。


むろん、こうした将来に対しての計画性があるのが人間の素晴らしい部分、だとはいえるでしょう。それが未来を切り開いてきたのでしょうしね。


けど、今の日本が抱える社会不安の根底には、「先々の人生を考えてばかりで、今を生き切れていない」ってものが存在しているように思います。


僕は、「未来のことは考えるけど、考えすぎないのが大事」と考えています。


人間の脳は2つのことを同時に考えることができない、という性質を持っていると聞いたことがあります。だとすると、「未来について考えること」と「今、現在に意識を向けること」は両立しえないということです。(あくまでも同時に、ということです)


社会が成長局面にあるときは「未来について考えること」に重点をおいてもいいかもしれません。


僕らの潜在意識も「今日より明日、明日より1年後」がよくなっている未来を描くことを難なく肯定的に受け入れるでしょうしね。


けど、今の成熟した社会で同じような思考パターン(?)はどうなのかしら?と思います。


そのカギが、「今、現在に意識を向けること」なのか、と。で、「未来は今現在の積み重ねの先にあるもの」という至極当たり前の生き方をしていくことかな、と。


「未来への準備はするけど、それにとらわれず」 そんな姿勢が必要だと思うのです。


そうみると、今の社会は「今、現在に意識を向けること」を妨げるものが数多く存在しています。「めちゃ暇だ」だとか「なんとなくさびしい」だとか「ちょっと不安だ」いった「今、現在」を意識しないですむための道具や手段がたくさんありますからね。


「今、現在に意識を向けること」ということは、自分の喜怒哀楽すべてを感じきることだと思います。今の社会で、自分の寂しさや不安を少なくしていくためには、逆説的なようですが「今、現在の寂しさや不安をなくしてくれる」とついつい手にしてしまう手段を意識的に遠ざけることが必要かもしれません。


それらは、「不安の先送り」を提供してくれているだけ


そんな可能性も高いですからね。


追記
僕はジャーナリストでも政治家でもないので「今の社会は」と書くのにすごく抵抗があるのですが・・・・。一実務家(?)としての考え方として。

April 8, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.04.06

『論語』について考える

よく、「自分の一冊」みたいな企画で会社の経営者が『論語』をとりあげます。


孔子とその弟子が語ったことをまとめたもので、人間として「守るべきこと」、「行うべきこと」など当り前のことが簡潔な言葉で記されています。

僕は歴史学科にいたのですが、この本を読んだことがありませんでした。なんとなく古い道徳主義的な感じがしたもので・・・。


けど、あまりにも多くの職業人がこの本を推挙したり、明治・大正時代の大実業家 渋沢栄一さんが『論語』をベースとした倫理と利益との共存を図る経営をしていたなんて話を聞いて6年くらい前に手にとりました。


読めば読むほどすごい本だな、と。


情報の渦の中にいたり、さまざまな打ち手を考えていく中で僕らはどうしても自分の軸を失いがちになってしまいます。周りの環境に合わせてある程度は自分を動かしていかないとならないからです。


そこに判断を要することが加わってきます。「やる方がいいのか」「やらない方がいいのか」といった決断を迫られることがでてきます。


その判断のよりどころは人それぞれ、でしょう。


けど、「自分にとって得かどうか?」という判断で僕らが行動をするには複雑怪奇(?)な時代になっているような気がします。短期的にみたら「得」かもしれないけど、長期的にみたら「損」-なんてことはいくらでもあるからです。


そんな中で、ぶれない自分をつくるのが『論語』なのかな、と。


「ぶれない自分」ってのは「自分の価値判断に照らして、やらないこと、できないことには手を出さない」ってことだと僕は思っています。


どんなにその先に明るい未来があるような気がしても、「自分がやらないこと」には進まないという選択を判断することのような気がしています。


もちろん、そうした生き方が自分の生き方を制限している、という側面はあるでしょう。


けど、『論語』には「知足」という言葉がでてきます。「足りていることを知る」ということですね。僕の中では、それは安易な現状維持ではなくて、天から与えられた環境の中で最善を尽くす、ということです。


「あれもこれもやらなきゃ」という考えがシフトしてきたのは、『論語』を読みはじめてですね。会社の代表者としては面白みがなくなったのかな、という気もしないでもないのですが・・・。

April 6, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.04.03

新しく社会人になられる方へ

僕が社会人デビューしたのが、15年前の風の強い日でした。


同期の社員10人ちょっとと本社の会議室で会長や社長のお話しを聞きました。

会長のお話しは「手段と目的を取り違えるな」といった話だったように思います。社長の話はほとんど覚えてません。


翌日から営業や管理部門の責任者による研修がスタートしました。


印象深かったのは営業部長が帝人の松岡常務(だったかな?)という方の話をしていただいたことですね。「だめと思うなやれると思え。そこには必ず道がある、理屈を越えたものがある」という言葉などに「がんばろ」と思ったように記憶しています。(ちなみにこの営業部長からは研修中に寝ていて思いきりはたかれたりしました。僕が尊敬している職業人の一人です)


で、2週間後くらいに人事発令があって僕は営業部長の「飯のうまいところにいかんか?」という言葉のもと、石川県の金沢市に赴任していきます。


少なくても3年間は東京にいたい、という僕の思いは粉々に打ち砕かれました(笑)面接の時もこの点だけは話をしていたつもりだったんですけどね。


納得がいかん、って僕に周りが「会社ってそういうものだ」っていうのですが、僕は「そういうもの」ってのがよくわかりませんでしたし、「そういうもの」ってのをきちんと理屈で説明できる職業人になりたいな、と思いました。


ともあれ、拒否することもできず、生まれて初めて飛行機に乗って赴任していきました。


当時の僕にとって金沢への転勤は「逆境」(?)でした。東京と比べて金沢のマーケットの小ささは語るまでもないでしょうし、プライベートでも友達がいず土・日曜日に一言も話をしないなんて週もしょっちゅうでした。


結局、もろもろとあって2年と11か月(3年たてば一人前ってのに対する僕なりの反発です)で辞めるのですが、「ああ、東京で働きたいな」とずーっと思っていました。


けど今思えば、金沢にいっていろんな形で人生の伏線が敷かれていました。長期的にみると決して「逆境」ではなかったんですね。


たぶん、金沢に赴任してなければ本を読む習慣も生まれなかったでしょうし、海外に目が向くこともなかったかもしれません。周りに人がいることのありがたみ(?)を感じることも少なかったかもしれないですし、「会社をつくるならこういう会社がいい」という思いも生まれなかったかもしれないです。


「どのような部署に配属されるか」「どのような上司の下で働くか」ってのはすごく大事な要素だと思います。けど、それは長期的なスパンで見ていかないと「順境」が「逆境」かなんてのはわからないことです。(もしかしたら一生わからないかもしれませんね)


けど、僕らは短期的な視点で「順境」「逆境」をジャッジしたがります。それが自分を苦しめたりします。


けど、目先に開けている人生が「逆境」だと感じるのを、「いややや、これは長期的に見たら順境だ」なんて気持ちをコントロールするのは難ししいことだとも思います。


そんな時にどうするか?


僕は現実を素直に受け取れない毎日の中では「日々をネタにする」と思って生きるようにしています。「納得がいかんな」という現実、「受け入れられんな」という現実をネタにしようとするのです。


そう考えると、「逆境はネタの宝庫」です。


今思うのは、そんな「ネタにしようとする」姿勢を持つことは結果的には現実を受け入れる姿勢だったのかな、と思ったりします。少なくとも現実には向き合っている、でしょうしね。


働いているといろいろといやなこともあると思いますが、自分なりにがんばってやっていきましょう!


April 3, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)