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2009.04.06

『論語』について考える

よく、「自分の一冊」みたいな企画で会社の経営者が『論語』をとりあげます。


孔子とその弟子が語ったことをまとめたもので、人間として「守るべきこと」、「行うべきこと」など当り前のことが簡潔な言葉で記されています。

僕は歴史学科にいたのですが、この本を読んだことがありませんでした。なんとなく古い道徳主義的な感じがしたもので・・・。


けど、あまりにも多くの職業人がこの本を推挙したり、明治・大正時代の大実業家 渋沢栄一さんが『論語』をベースとした倫理と利益との共存を図る経営をしていたなんて話を聞いて6年くらい前に手にとりました。


読めば読むほどすごい本だな、と。


情報の渦の中にいたり、さまざまな打ち手を考えていく中で僕らはどうしても自分の軸を失いがちになってしまいます。周りの環境に合わせてある程度は自分を動かしていかないとならないからです。


そこに判断を要することが加わってきます。「やる方がいいのか」「やらない方がいいのか」といった決断を迫られることがでてきます。


その判断のよりどころは人それぞれ、でしょう。


けど、「自分にとって得かどうか?」という判断で僕らが行動をするには複雑怪奇(?)な時代になっているような気がします。短期的にみたら「得」かもしれないけど、長期的にみたら「損」-なんてことはいくらでもあるからです。


そんな中で、ぶれない自分をつくるのが『論語』なのかな、と。


「ぶれない自分」ってのは「自分の価値判断に照らして、やらないこと、できないことには手を出さない」ってことだと僕は思っています。


どんなにその先に明るい未来があるような気がしても、「自分がやらないこと」には進まないという選択を判断することのような気がしています。


もちろん、そうした生き方が自分の生き方を制限している、という側面はあるでしょう。


けど、『論語』には「知足」という言葉がでてきます。「足りていることを知る」ということですね。僕の中では、それは安易な現状維持ではなくて、天から与えられた環境の中で最善を尽くす、ということです。


「あれもこれもやらなきゃ」という考えがシフトしてきたのは、『論語』を読みはじめてですね。会社の代表者としては面白みがなくなったのかな、という気もしないでもないのですが・・・。

April 6, 2009 |

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