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2009.06.26

アメリカまで仕入れにいてきます

今日からアメリカにいってきます。


今回は通訳さん(いままでケンタッキー州とオーストラリア、ドイツにご一緒しました)とうちの会社の社員さんと3人でいきます。


いつも働いている場所をちょっと離れるだけで頭のスイッチが切り替わった感がする・・・そんなことってありますよね?


僕が「これは!」と思うアイデァを思いつくのは出張先のホテルだったり、通ってるスポーツクラブだったり、朝の喫茶店だったりします。(でも、思いつきだけで、よくよく考えるとたいしたことないアイデァだったりすることが多いですけどね・・・・)


アメリカ本土にいくのは2年ぶりですが、まずは、自分の頭のスイッチが切り替わった時にどのような創発が生まれるのかが楽しみです。


もひとつは、一緒にいく社員さんのとの掛け合いの中での創発です。


うちの会社で2年くらいの女性なのですが、よく僕にダメ出しをします。2年前もアメリカにいってある商品のサンプルを買って自信満々で帰国したのですが、確かダメ出しをされました。つい最近も某商品をめぐって意見が激突(?)しています。


ただ、創発は異なるもの、異なる意見、異なる個性、異なる考え方・・・それらの激突の中から誕生しやすい、と考えると出張に同行するには最強のメンバーやもしれません。


今のような低成長下では、企業は創発を促すしくみを自らがつくっていかなければなりません。思いもがけない創発が企業の運命を変えてしまう、なんてケースがいくらでもありますからね。


ここにかけられるだけの時間とお金と労力をかけようかな、と。


7月上旬には戻ります。関係各位にはいろいろとご迷惑かけますがよろしくお願いいたします!


追記
090626


最近は読書をさぼっていたので道中で本を読みたいと思います。会社にあった本を適当にセレクトして持っていきます。読みたい本より、そこにあった本、という感じかしら・・・。精神世界的にいうと、こんな時に選ぶ書籍にも何かしらの意味があるんでしょうかね・・・?


June 26, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.06.23

経営の「打ち手」について考える

経営とは「打ち手の数」につきると思います。


新商品であっても、広告宣伝であっても、販促活動であってもどれだけ数多くの「打ち手」を打っていけるかが勝負です。


時として「打ち手」が炸裂するのは、数多くの「打ち手」を打っているからでしょうし、企業に反省や改善が生まれるのは、これまた「打ち手」が失敗(?)に終わることがままあるからです。


企業は、「打ち手」を打たないと何もはじまりません。で、経営者の仕事の多くは「打ち手」を考えること、に収束されていきます。


けど、「打ち手」にはお金がかかるケースが多いですし、人材を割かないといけないことがほとんどです。


中小企業の場合、お金も人材も社内にふんだんはないことが多い(今は大企業も同じでしょうかね・・)ので、どうしても「今はお金の余裕がないのでできない」とか「現場の業務がキャパシティーを超えているのでできない」とかいう「打ち手」がでてきます。


もちろん、うちの会社にもこうした「打ち手」が存在します。時に「打ち手」が実現していかないもどかしさのようなもの、を感じることもあります。


僕らはそうした「未着手の打ち手」にどう向き合うべきでしょうか?


僕は、「打ち手を熟成する」といった焦らない姿勢が必要なのだと思います。


ITベンチャーが隆盛を極めた頃、「経営はスピードだ」といったような話をよく聞きました。けど、そんな会社で働いていた人などから話をうかがうと「スピード」という名のもとに日々の仕事に翻弄(?)されている人が多いんだろうな、と感じたことがあります。


日々、生まれていく「打ち手」に現場の処理能力がついていかないんですね。


もちろん仕事ですから現場の担当者は自分の業務水準をレベルアップする必要はあります。


けど、無理なものは無理なんです。


僕ら「打ち手を考える側」が必要なのは数多くの「打ち手」を指示することで、現場に不完全燃焼感を生み出すことではありません。それは、時として「経営者の自己満足」(=仕事をやっている感)につながる危険があると僕は思います。


一つ一つの「打ち手」が現場で完全に消化している感、これが大事だと僕は思います。


当然、頭で考えた「打ち手」のすべてが今すぐに実現しないフラストレーション(?)は溜まります。経営者の多くが「新しいことを考えるのが好き」なタイプの人が多いですからね。


けど、そんな時に思うのです。


「分相応」という言葉を。経営にとって「打ち手」は必要ですが、自分や現場が翻弄されるような「打ち手」は自分の分を越えてしまてるんです。


「打ち手」を打つのは会社経営者にとってすんごい大事なことですが、ここ最近は「打ち手の打ち方」が問われているような気がしてなりません。


ここに経営者の美意識が強く反映されるのだと最近よく思うようになりました。

June 23, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.06.22

100万人のキャンドルナイト

100万人のキャンドルナイトに参加するため、増上寺までいってきました。


夏至の6月21日の夜8時から10時までいっせいにでんきを消してスローな夜を迎える、というイベントだそうです。

Syasin2


増上寺の近くにある東京タワーも午後8時のカウントダウンででんきが消されました。
Syasin


昨今、エコブーム、なんていわれてます。


スローな生活を取り戻そう、なんてムーブメントもあるようです。


僕はこの流れが嫌いではありません。けど、何かをしているかといわれると何もしていませんでした。


けど、ある時から「人間の光と闇」について考えるようになりました。光ばかりが取りざたされて、闇の部分に蓋をしてしまっている今の社会の功罪について、です。


例えばポジティブシンキング。


前向きに考えることは仕事をしていてすごく重要なことです。けど、ずーっとポジティブシンキングをしていて大丈夫、という人が僕らの社会にどれだけ存在しているでしょう。


「前向きになりたくてもなれない時」「前向きになれない自分に嫌気がさす時」・・・そんな自分自身に蓋をして「前向き」になることがどれだけ僕らの精神を傷つけているでしょう。


そんなことを考えるとき、「光と闇とを共存している自分を認める」ということの大事さを思ったりするのです。


24時間明りの消えない社会で生活を営んでいる僕らは、闇と接する時間が極端に減りました。もともと、「闇の世界とは妖怪の棲む世界で、人間の闇の部分と向き合う時間だったのだ」とある大学教授に聞いたことがあります。


意識的に生活に闇を取り戻すだけで、僕らは見えないものを見ることができるのかな、と。で、今の時代は闇の中で見えるものこそが大事なのかな、と。光は黙っていても僕らの生活をとりまいていますからね。

June 22, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2009.06.18

階段の踊り場理論

大学に入った頃、お酒はビールで2本くらいしか飲めませんでした。


4月に運動部に入って、翌月の中旬くらいには酒で失態をおかして2つ上の先輩に渋谷の街で殴られました。酒の飲み方がよく分からずウィスキーのボトルを一人で1本空けてしまったのですからしょうがないですね。


「いつしか酒が強くなりたい」と思って、当時の同期生とともに渋谷のセンター街や中央街で美味いんだか美味くないんだか分からない酒をよく飲んでました。


で、しょっちゅう酒に酔って渋谷駅前で気だるい朝を迎えてました。(マンガ喫茶がない時代でしたからね。渋谷のモアイ像あたりでもよく寝てました)


それは、12月のある瞬間に訪れました。


部活の練習中に、「おでんを食べながら日本酒が飲みたい」とふとふってきたのです。日本酒なんてそれまではこれっぽっちも美味いとは思わなかったのですが、練習後に同期を誘って飲んだ日本酒の美味さときたら・・・・感動ものでした。


「お酒が好き」と心底いえるようになったのはその時からですね。好きになったら次第に飲めるようになり、会社をつくる前の20代後半の頃は毎日のように4時くらいまで飲んでました・・・(笑)


こんな「この日を境に自分が変化した日」という経験が僕にはいくつかあります。


タイのキックボクサーが夢に出てきた翌日に、蹴りが一気にうまくなった日がありました。


ビジネス書をぱらぱらとめくるだけで大まかな内容が分かるようになった日がありました。


会社の数字を見ていると数字が語りかけてくるように感じるようになった日がありましたし、本屋にいくと「背表紙が訴えてくる本がある」というのを感じるようになった日がありました。


そいや、営業をしていて「これは仕事になる」というのを肌で感じるようになった日もありました。(これはいつか忘れましたが・・・たしかありました)


すべて、ある一日、ある一瞬を境に変化しました。


僕が新入社員のころ、営業部長から「階段の踊り場理論」という話を聞いたことがあります。


「何かをやりはじめた時、人間の能力は最初のうちは右肩あがりにあがっていく。けど、すぐに踊り場(=変化や成長を感じられないとき)を感じるようになる。多くの人はそこで努力を諦めるが、それでも一歩前に進むと一気にブレイクスルーを迎える瞬間がある」みたいな話です。


「一気に、一瞬に、ある瞬間で」ブレイクスルーは訪れるものなのだという話が非常に印象深く残ってます。


僕が感じたような一日や一瞬が営業部長の話されていた「階段の踊り場理論」と一緒の性質なものかどうかは分かりません。けど、僕らは「一気に何かが変化する」と思えると日々の単調とも思える仕事の向き合い方が変わるんではないかな、なんて思います。


人間の能力が常に努力に比例して右肩あがりにあがっていくのであれば、変化や成長を感じられなくなったらやってられませんしね。


変化や成長を感じられない時は、「自分の能力が熟成されていて、ブレイクスルー直前なんだ」と思うようにしたらいいのかな、なんて思います。


この間、それこそ「飲んでいる時」にこのようなテーマの話になりましたので書いてみました。


June 18, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.06.17

中小企業の研究開発について考える

仕事で初めて海外にでかけたのは、ドイツのミュンヘンでした。


「ドイツのヒーリングフェスティバルがある」という噂を聞いて情報にあたったのですが、ドイツ語のHPばかりでどうしようもありません。


知り合いの知り合いにドイツで秘書をやられているフランクフルト在住の日本人女性がいらっしゃって、その方に「イベントがいつどこで開催されるかだけ調べてください!」とお願いをして、なんとかイベントの概要を把握、ミュンヘン往復の航空券だけ手にしてとりあえずドイツにいきました。


当時はバックパッカー気質が残っていたため、宿も全部現地手配。英語はそんなに得意ではないんですが、「会場につけば何とかなるだろう」と思っていました。


結局、4泊ほどしたのでしょうか。


「次に仕事で海外に行く時は絶対に通訳をつけて行く」という気づき(?)が一番の収穫でした。旅にでるだけならともかく、仕事ということになると言葉の障壁があって全く歯がたたない局面ばかりでしたしね。(でも、この翌年にアメリカのビジネスショーに一人で行って同じような失敗をするんですけどね。以降、必ず通訳同行です)


こんなことからうちの会社と海外とのお取引はスタートしました。


現在では、オーストラリア、アメリカ、ドイツ、フィンランド、カナダ、イタリア、中国、タイにお取引先がいらっしゃいます。


という話をすると「すげえ」とかいわれたりします。けど、言葉は違えど同じ人間ですし、「仕事をして高い付加価値を与えたい」と考えている人たちなんですから思いは一緒なんです。話をしていけば何とかなっていきます。


で、これが僕がいままで海外に出向いて得た肌感覚ですね。いわば、海外への実体験という「研究開発」をして得たノウハウ(?)だとか感覚のようなものです。


で、今後はその感覚を次の世代に伝えていこうと考えています。近々、アメリカのビジネスショーにでかけますが、通訳さんといっしょにうちの会社の社員さんを1人連れていきます。


で、海外のマーケットを実際に見てもらってそこで何を感じるかを体感してもらおうと思います。更にいうと、「海外と取引をするということはそんなに難しいのではない」ということを肌感覚で感じてもらえればと思います。


すると世界は一気に小さいものになってきますし。沖縄よりタイやベトナムの方が感覚的に近くなったりするかもしれません。そんな感覚って体験なしには得られないものですし、海外と仕事をして得られた個人的な感覚から次のビジネスが生まれてくる、と思うのです。


通訳さんも同行するのですから経費はそこそこかかります。


けど、海外へ行くこと目的を「仕入れ」でとらえるのではなく、「研究開発」としてとらえると一気に経費の性質は変わってくるように感じるのは僕だけでしょうか。


中小企業が大手企業にかなわないのは「研究開発」の部分です。通常の業務を行う人+αを採用して研究開発させるだけの余裕がないのです。


不況期は日常業務が落ち着いたりするので、「研究開発」に目を向けるいい時期です。で、何をもって「研究開発」をとらえるかで、これから先のビジネスは大きく成果を違えてくるのだと思います。


間違っても「研究開発」に経費削減のメスをいれてはならないと僕は考えています。

June 17, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2009.06.15

経営者の人となりを理解する、ということ

新しい社員さんの採用面接がここ1カ月ほどありました。


うちの会社は、一次面接は僕が面接官になります。(アポイントなり、その他の事情で出れないこともままありますが)


それは、面接にきていただいた方への最低限の敬意です。


「分からないことや質問を分からないままで帰させない」というのが僕の面接のポリシーですので、必ず質問をいただく時間を設けるようにしていますし、どんな質問にも答えるようにしています。(ただ、HPを見れば書いてあるような質問をされた場合は「HP見てください」というようにしていますけどね。面接前にHP見てくるなんてのは最低限の礼儀でしょうし。)


ほとんどが「仕事の具体的な流れ」や「業界の今後の動き」などがオーソドックスな質問ばかりなのですが、今回は「なぜ、ブログを中止しているのか?」だとか「どのようなお酒の飲み方をするのか?」だとか「チベットやミャンマーの政治問題についてどう思うか?」だとかなかなか厳しい(?)質問をいただきました。


でも、こうした質問を通じてその会社の代表者の人となりや性格が分かるんだったら、比較的リスキーな「転職」という活動そのもののリスクもだいぶ軽減されるのかな、なんて思います。中小企業の場合は会社社長の性格が事業に色濃く反映されますしね。


僕がブログを書いている理由のひとつが、「自分の性格についてわかっていただく」-この辺の部分です。


究極的にいえば、「永続する組織」は所属するメンバーがそのリーダーの性格に合うか合わないかという部分が大きいのか、と。そのための自己開示(?)はこれからの経営者はなんらかの形や手段でこちらからしていくのが望ましい時代になっていると思います。


「いわないでも理解する」


それが僕らの国の文化の特色、なんていわれたりしています。


けど、僕らをとりまく環境はその昔(高度成長時代など)に比べて、経営者の人となりを理解する余裕が少なくなっているのだと思います。ビジネスを行っていく上で必要な知識やスキルがここ数十年で飛躍的に増えましたからね、時間的に難しいんです。だから、仕事をしていく上で必要となるリーダーの性格や人となりの把握が不十分で、「いわないでも理解」がしようもなかったりするんです。


経営者の人となりを理解しないで仕事をする、というのは今の時代とってもリスキーだと思います。


僕がもし転職活動をするのであれば、代表者と面接ができないような会社にはいかないでしょうね。入ってから、「へええ~こんな人だったの・・」では遅いでしょうし。


面接は経営者が自分を見られている場、くらいに思うのがいいのか、と。二次面接を応募者の側から辞退される方がいらっしゃると「残念だけど、自分が面接してよかったな」と思うようにしています。

June 15, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.06.11

売上がさがる、について考える

「ここ最近、売上が下がった」という話をお取引先の代表者クラスからよく聞きます。


「世の中の市況がこうだからしょうがない」と考える方がいれば、「ユニクロなどは最高益を出しているのだから工夫が足りないのだ」と考える方もいるようです。


僕は、「大きな流れに一個人(一会社)は抗えない」と考えているのでどちらかと前者の考え方に近いと思います。そもそも、ユニクロさんなどが今期最高益を出しているのはここ数年(数十年?)の積み重ねの結果であり、昨年の秋以降に新たな打ち手をうった結果でもないでしょうしね。


けど、「市況がこうだからしょうがない」なんて話をすると反射的にネガティブな反応をされる方もいらっしゃいます。「経営者がネガティブになったり、守りの姿勢になったらいけないんじゃないの」と。


確かに、この手の論理(?)は正当性があるように思います


けど、こうした「売上はあがるもの」「売上はあげるもの」という考え方が行き着くところまで行きついて、今回の景気悪化の一因になっているんではないか・・・・と考えると、僕らの中の「売上」や「利益」に関しての考え方をまず改めないといけないのかもしれません。


「売上」も「利益」も永遠に上げていく、なんてのは今のように時代が成熟した中では神業です。イチロー選手が毎年打率とヒットの数をあげていくようなものでしょうしね。まずはこの呪縛(?)から経営者自身が自分を解放することです。


更には、「売上」や「粗利」が「お客さんのためになる打ち手を打つための原資」である以上、今の「売上」「粗利」の中で何ができるかを徹底的に考えることの方が必要ですし、「売上」や「粗利」が「社員さんがバランスをとれた生活をしていくための原資」である以上、今の「売上」「粗利」の中で何ができるかを徹底的に考えることの方が必要です。


いままでよりも「原資」がなくなっている以上、工夫だとかアイデァだとかの勝負になってきますしね。不況はチャンス、という言葉の一側面はここにあるのかと。


「経営者が待ちの姿勢になったらまずい」なんてよく聞きますが、こういう時代には「待てない経営者こそ先に自滅していく」と僕は思ったりしています。ネガティブになったって、打ち手を打たないって選択肢をしたっていいじゃないですか・・・。


待っていれば時代の風向きが変わったり、自分をとりまく環境にうねりがあったりしていくはずです。それを信じる姿勢が、「売上をなんとかあげよう」と一生懸命になるよりも重要ではないか、と。


不況期は大きな存在からそうした姿勢を問われているような気がしてなりません。


追記
1か月ほどお休みしてましたがようやく復活します!

June 11, 2009 | | Comments (3) | TrackBack (0)