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2009.06.23

経営の「打ち手」について考える

経営とは「打ち手の数」につきると思います。


新商品であっても、広告宣伝であっても、販促活動であってもどれだけ数多くの「打ち手」を打っていけるかが勝負です。


時として「打ち手」が炸裂するのは、数多くの「打ち手」を打っているからでしょうし、企業に反省や改善が生まれるのは、これまた「打ち手」が失敗(?)に終わることがままあるからです。


企業は、「打ち手」を打たないと何もはじまりません。で、経営者の仕事の多くは「打ち手」を考えること、に収束されていきます。


けど、「打ち手」にはお金がかかるケースが多いですし、人材を割かないといけないことがほとんどです。


中小企業の場合、お金も人材も社内にふんだんはないことが多い(今は大企業も同じでしょうかね・・)ので、どうしても「今はお金の余裕がないのでできない」とか「現場の業務がキャパシティーを超えているのでできない」とかいう「打ち手」がでてきます。


もちろん、うちの会社にもこうした「打ち手」が存在します。時に「打ち手」が実現していかないもどかしさのようなもの、を感じることもあります。


僕らはそうした「未着手の打ち手」にどう向き合うべきでしょうか?


僕は、「打ち手を熟成する」といった焦らない姿勢が必要なのだと思います。


ITベンチャーが隆盛を極めた頃、「経営はスピードだ」といったような話をよく聞きました。けど、そんな会社で働いていた人などから話をうかがうと「スピード」という名のもとに日々の仕事に翻弄(?)されている人が多いんだろうな、と感じたことがあります。


日々、生まれていく「打ち手」に現場の処理能力がついていかないんですね。


もちろん仕事ですから現場の担当者は自分の業務水準をレベルアップする必要はあります。


けど、無理なものは無理なんです。


僕ら「打ち手を考える側」が必要なのは数多くの「打ち手」を指示することで、現場に不完全燃焼感を生み出すことではありません。それは、時として「経営者の自己満足」(=仕事をやっている感)につながる危険があると僕は思います。


一つ一つの「打ち手」が現場で完全に消化している感、これが大事だと僕は思います。


当然、頭で考えた「打ち手」のすべてが今すぐに実現しないフラストレーション(?)は溜まります。経営者の多くが「新しいことを考えるのが好き」なタイプの人が多いですからね。


けど、そんな時に思うのです。


「分相応」という言葉を。経営にとって「打ち手」は必要ですが、自分や現場が翻弄されるような「打ち手」は自分の分を越えてしまてるんです。


「打ち手」を打つのは会社経営者にとってすんごい大事なことですが、ここ最近は「打ち手の打ち方」が問われているような気がしてなりません。


ここに経営者の美意識が強く反映されるのだと最近よく思うようになりました。

June 23, 2009 |

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