« June 2009 | Main | August 2009 »

2009.07.31

日経新聞に大学時代の先輩が・・!

今朝の日経新聞 株式面


日経新聞主催のIRフェアの広告を見ていると、どこかで聞いたことのある名前が・・・・

「! ○○先輩じゃん!」


株式投資だとか資産運用に役立つ講演のスピーカーとして中谷巌多摩大学教授だとか、澤上篤人さわかみファンド代表だとか、伊藤元重東京大学大学院教授だとかといっしょに大学時代の先輩が顔写真入りで登場していたのでびっくり。


大学は違うんだけど、格闘技をしていた時に戦ったことのある先輩。今から19年前の6月の話。


その試合の模様がテレビのニュース(徳光さんの番組でした)でなぜかとりあげられ、僕がボコボコにされるシーンが全国に報道されたその時の相手の先輩。(テレビでは名前ひとつでませんでした。先輩は試合前の減量だとか、厳しい練習をテレビクルーが追っかけていたみたいですごい持ち上げようでした。)


卒業してからほとんど御縁はなかったんですけど、証券のプロとして活躍してるんですね・・・・。


よくよく考えると僕らはもう40に手が届く世代。社会人として会社にずっと勤めてればまもなく20年選手になるので、これくらい出世(?)されるのはとりたててめずらしいことではないのかもしれません。


けど、すごいですね。


ちょっとだけ刺激を受けました。一度、会いに行ってこようかな、と。


! このブログの読者にはその先輩の後輩(僕の同期ですね)も確かいたはず・・・・。


もし、先輩の連絡先知ってるなら教えてください!

July 31, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.07.30

商品を陳腐化させる、ということ

うちの会社に、ロングセラーになっている商品(ヒーリンググッズ)があります。


発売以来で1年半ですけど、売れ行きは好調。広告宣伝はほとんどやってないので、完璧にロングセラーの流れに乗っている、と感じています。


「できれば長いことこの流れが続いて欲しい」と強く強く思います。なにせ、ロングセラーになる商品なんてそうさらさらないですからね。


けど、一方で「商品は誕生した瞬間から陳腐化していく」という宿命に商品開発者は目を向けなくてはなりません。


ある商品が誕生する、それが市場で受け入れられる、すると、それよりも素晴らしい商品が誕生し、今までの商品が陳腐化していく


これは世の中の常です。


重要なのは、誰が陳腐化させるのか、ということ。僕は、「ロングセラーになっている商品を陳腐化させるのは、その商品の作り手であるべき」だと思います。その商品のいい所、悪いところはその商品の作り手が一番知っている訳ですからね。


それをみすみす他の会社にやられてはたまりません。


と、いいながらも自分の商品を陳腐化させていくことの怖さは必ず存在します。せっかく売れている商品、なんですからね。


けど、商品開発の仕事というのは「開発と陳腐化との繰り返し作業」のような気がしています。


開発の苦しみと陳腐化の苦しみ


その両輪を回して、ジレンマを感じてはじめて商品開発たりえるのかな、と。


その中で、「どう考えても陳腐化していかない」なーんて商品があるのだとしたらいいですね。商品の持つエネルギーとか、時代を超えた普遍性みたいなものですね。


僕らの志向がどんどんと変わっていくような今の時代になかなか難しいとは思いますけど、それくらいの夢はみてもいいのかな、と。

July 30, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.07.29

創業の頃は出会いばかり、でした

「事業のスタート時期は出会いばかりだったなあ」


昔からお世話になっている経営者の方と飲みにいった時の会話でそんな話になりました。


確かにそうですね。そいや、新しい出会いばかりでした。


人間だって、業務だって、お役所や銀行さんとのやりとりだって・・・すべては広い意味での出会いばかり、でした。


仕事は少なくて、先行きの不安がなくはなかったですが、こと「出会い」に関してはほぼすべてが前向きで、将来に結び付いていているような感のするものばかりでした。


でも、事業が5年を過ぎるといろんなことがでてきます。


ある日いきなり事務所をカラにして逃げていった方もいましたし、信頼関係(?)を裏切っていった人もいました。(こちらにも悪い部分がありますので、一方的に裏切られたとは思ってませんけどね。けど必ず何年かかってもリベンジします。仕事で、ですけどね)僕のことが大嫌いな人もきっとどこかで生まれていることだと思います。(否、確実に生まれています)


そんな過去を振り返ると、「創業時っていい時期だったなあ」と思うと案外に癒やし効果になったりします(笑)


けど、僕らはいいも悪いも含めて経営をすることから派生するできごとを背負う(?)宿命なんです。人間ですからいい自分だけで付き合っていければいいんですけど、それだとどこかで無理や無茶が生じてきたりします。人間関係の質や量が創業時と比べると格段に深くなったり、広くなったりしてるでしょうしね。


だから、どこかで「嫌われ者になってもしょうがない」だとか「別れがあるのはしょうがない」という割り切りを持つ必要があるのかな、と。でないと精神が摩耗してしまったりしますのでね。


嫌われても、別れがあっても何事もなかったかのように振る舞える神経の図太さが経営者にとっては必要なのだと思います。(逆に、そんな図太さがある人に「君は会社をやってけ!」という使命が大きな存在から与えられてるとさえ僕は思ってます。)


誰とでも永遠に仲良く、なんてのはこと経営の世界にとってはまさにユートピア。「人に嫌われる、ということは本当に大事な人との時間がつくれる」くらいのエッジの効いた生き方くらいがちょうどよかったりするのではないか、と。


そして、創業時の頃はシンプルで見えやすかった「出会い」。その「出会い」そのものに鈍感になったりしてる可能性もきっとあるのではないか、と。


人間関係が増えたり、仕事上のテクニックが増えたりして創業時には純粋に感動していたような「出会い」にたいして鈍感になっていないか、ということ。


「創業時はよかった・・・・」といっていながら、「今の自分がとても素晴らしい環境にいる」なんてことに気がつかない


そんなことに陥っていないか反省するのは大事なことかもしれませんね。

追記
週末は何年かぶりにクラブ(踊るクラブ、です)にいってオールでした。ヒップホップ系のクラブでどう考えても来場者の平均年齢は20歳前半(汗)2人組の女性ダンサーがとっても素晴らしかった。


踊れる人、歌える人、楽器ができる人・・・僕はほぼ無条件でリスペクトしてしまうんですよね。


少なくとも今生に限っていえば、僕にこれらの役割は与えられていないでしょうし・・・。そうそ、別で応援してるダンサーさんがバックダンサーとして週末にテレビ出演との噂が・・。いつかメジャーになるといいな、なんて思ってます。

July 29, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2009.07.28

経営者の「感覚のズレ」を考える

会社が軌道に乗ると収入が増えていきます。経費が使えるようになり、食事をしたり、お酒を飲みにいく店が変わっていったりするようになります。


タクシーに乗る機会が増えたり、ゴルフなどの付き合いが増えたり、身につける装飾品や洋服のメーカーがよくなっていったり、すごい車を乗り回すようになったり・・・。


もちろん、一般的な話ではありません。この流れに沿わない人もいっぱいいるでしょう。

けど、「会社をやる前と何も変わらない」という人はほとんどいないんではないでしょうかね。少なくとも僕の見聞きする限りは、ですけど。(もちろん、自分も含みます)


こうしたことから「感覚がズレてくる」なんて話の萌芽が生まれてきたりします。


僕の場合、昔は行くだけで場の雰囲気にやられていたようなお店に行っても緊張(いろんな意味で、ですね)しなくなってきたかもしれませんし、「電車で帰れないこともないけど、明日を考えてタクシーに乗る」なんて局面も増えました。ゴルフは月1回を限度に平日やってますけど、昔は「俺はゴルフはやらん!」といっていた人間からすると大きな変化です。


都内在住者には不効率だと相変わらず思っているので車は所有していませんし、賃貸派なので住宅も持っていませんが、昔は関心もなかった(というかしてませんでした)腕時計を「新しいのが欲しいな」なんて思ってます(そう思って1年以上経ちますが・・)。


そいや、ご飯を食べることが生きがいですので、御飯だとかお酒だとかにかけるお金は昔に比べるとだいぶ増えました。


「自分自身の感覚がズレているかどうか」を見極めるのは難しいことです。


「2,000万円の車を買った」という社長を「感覚がズレている」というのは簡単ですが、「リスク背負って商売をしてちょっとした成功を収めたのだから人と同じ車は嫌だ」という経営者の感覚も十分に理解できます。(会社の経費で購入したら僕的には確実にズレてると思いますけどね)


更にいうと、「社長の感覚が昔と同じままでいいのか」という問題があったりもします。


その昔、僕は露店で50円のネクタイを買っていたり、出張にいくと安くて広くてどこにでもあるからという理由だけでラブホテルに飛び込みで宿泊していたりしていましたが、「今もそのままでいいのか?」というとかなり微妙ですよね。(これは極論、かしらね?)


社長としての「自分の感覚」をどのように保つのか、というのは非常に難しいところです。何も考えなければそれでいいのかもしれませんが、社長と社員さんとの間に存在する組織の問題の根っこには多くの場合「社長と現場との感覚のズレ」が存在している以上、頭に置いておかないとならない問題かな、と。


僕はこう思います。


まずは「感覚はズレていくもの」だし「感覚はズラしていくもの」だと認めることです。僕は本をよく買うのですが、本を買う時の感覚はきっと1万円が500円くらいの感覚になっています。「いいな」と思う本を高いから、という理由だけであきらめることはほぼありません。


で、そんな「感覚のズレ」は必要なことだと思ってます。この辺の部分で「感覚のズレ」がなくては経営判断(特に、大きなお金の動く案件)なんてできませんからね。


で、僕らはその「感覚のズレ」をどこまで拡大解釈するか、を自分なりにメタの位置、客観的に見つめることです。


そんな「感覚をズラしていく」作業を、「感覚のズレの振り幅」を考えながら進めていくことが肝要か、と。


「感覚がズレなくてもいけないが、ズレ過ぎてもいけない」


その二律背反することを統合するには、「『感覚がズレ過ぎ』と口に出していってくれる人を近くに置いておく」しか究極的な対応策はないと思います。「感覚をズラす作業」自体が、自分を客観視しずらい状況に置く、ということですからね。


会社の社員さんでも、奥さんでも、苦楽をともにしたお取引先でも、ビジネスの師匠でも、コンサルタントでも、バーのママでも、歴史書でもいいでしょう。「感覚のズレ」をきちんと指摘してくれる人を味方につけることは、何よりも強いことなのですね。


今は「優しい」人が増えたのでこうした人を見つけるのは大変な時代なんでしょうけど、だからこそ値千金の価値があったりするのかな、と。

July 28, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (1)

2009.07.24

直観なのか、エゴなのか

「おっ!これは素晴らしいアイデァだ」と思う瞬間があります。


ちょうど、天から何かが降ってくるような感じですね。


「直観」といえるのでしょうかね。本当に素晴らしいアイデァの場合は飛び跳ねたくなったりします。

けど、冷静になって時間をかけて考えてみると全くたいしたことないアイデァだったりすることがよくあります。


さらに言うと、「天から何かが降ってきた」「直観だ!」などといっていながら、完璧に「自分のエゴの声」だったと気づかされることがあったりします。


自分の心の隙間だとか、自分の何らかの欲求を満たしたいという思いに無意識のうちに「直観」とかいうデコレーションをしているわけですね。


これはいただけないです。


仕事で大きな成果を残すには、ある部分で直感を頼りにしたり、自らを委ねたりしないといけないと僕は思います。(むしろ、直感を得るために仕事をしている、といっても過言じゃないかもしれないですね)


けど、自らを振り返ると、「直観に名を借りたエゴ」の多いこと・・・。これを「直観」として頼ったり、委ねたりしないセンスは必要だと思います。


それら2つ~「直観」と「エゴ」と~を分けるものは何か?


僕は実際のところその方法についてよく分かりません。「エゴには何か急き立てられる感覚がある」などとどなたかが書いてましたが、僕にはその感覚はよく区別できません。


だいぶ時間がたったり、実際にアイデァを形にしていく過程で「直観ではなかったな・・・」としみじみ感じるもの・・・・それが今まで付き合ってきた「エゴ」のパターンです。


エゴはいろんな衣装をまとって存在するからやっかいなのですね。


それを踏まえた上で現時点で僕が一番重要だと思うことは、何かのひらめきがあった際に「直観だ!」と信じ過ぎないことか、と。「直観にゆだねつつも、直観にしがみつかない」という姿勢でいることのような気がします。


最近は、「直観」がブームのようですが、直観至上主義になるのだけは避けたいと思ってます。きっと、「直観」っていう存在はそのくらいのきままな姿勢にごくごくまれに降ってくる僥倖のようなものなのか、と。

July 24, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.07.23

勉強と、タネ銭と

起業するにあたって必要なことの一つに、「タネ銭」をつくることがあるように思います。


自己資金、ですね。


タネ銭の作り方はひとそれぞれでしょう。僕は30歳まで貯金が全くなかった(むしろ会計的にはずっと赤字でした)ので「将来、会社をつくるという選択肢を念頭に置いておこう」と考えてからはタネ銭を貯めよう、と考えるようにしました。


お茶やジュースを安易に買わず、昼飯はなるべく金と時間のかからないものを食べ、夜の飲みはなるべくなくし、早寝を心がけるようにし、給料から「絶対に使わないお金」を別口座にしてタネ銭を貯めました。(目黒の露天で1本50円のネクタイを買って連れに呆れられたこともあったりします。)


当時、働いていた会社の上司に買い物をいいつかると100円弱の釣銭をいただきました。これは立派なタネ銭になりましたし、お客さんとの席でバカをやっていただいたチップ(いい時代でしたね)もタネ銭になりました。ぜんぶ貯金箱に入れました。


もちろん、タネ銭などを自分でつくらなくても最初から融資を受けたり、出資を受けたりはできるのかもしれません。


けど僕は、理屈抜きに「タネ銭をつくることは会社を興す上でのパスポートのようなものじゃないか」と思ったりしています。


そんな話がある席ででたら、「会社をつくるための勉強や人脈形成などにお金がかかりすぎて貯められない」という20代の起業家志望の方の話になりました。


確かにそうですね。


僕が参画している経営者向けのセミナーには将来独立したい、という人が何十万という身銭を切って何人も参加していますし、いい環境や講師で勉強やればそこそこのお金は飛んで行ってしまうでしょう。今は社会人の勉強が流行りのようですから参加するものは次々と生まれているでしょうし・・・。


けど、僕はあえて思うのです。


そんなのはタネ銭ができてからでいいんじゃないかしら、と。勉強だとか学びだとかを我慢してタネ銭をためる、ということが必要なんじゃないか、と。


「起業したい!」という人がタネ銭のないうちからお金の流出を許していると、それがたとえ勉強だとか人脈形成だとかいった会社経営にとって必要なことであっても個人としてのスタンスは脆弱なままになっちゃうんじゃないかしら。


本を読んだり、人と会ったり、勉強したりは起業する上で不可欠なことなのかもしれませんが、そんなに焦らなくたっていつからでもスタートできることばかりですからね。


僕はそれよりも、「1本のジュースを我慢する」とか「車に乗らずに隣の駅まで歩く」とか「休日にアルバイトをして稼ぐ」とかしてひたすらにタネ銭をためる方が重要だと思います。


自分でつくったタネ銭は必ずや「事業の呼び水」になるでしょうからね。

July 23, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2009.07.21

賞与が終わったということで、賞与に対しての思いでなぞ

始めて賞与をいただいたのは23才の夏でした。

当時つきあっていた彼女と普段は絶対にいかないお寿司屋さんにいきました。


3回目の賞与で当時仕事をしていた金沢市内のクラブ(お酒を飲む方の、です)に友人と飛び込みでいきました。若いうちに一度はいってみたかったけど、誰も連れていってくれる環境にないので、身銭をはたいたわけですね。「ああいう所は何回もいかないと面白くない」というのを痛感して帰りました。


その後、会社を辞めて、電気工事のアルバイトをしながら旅人になりました。夏のエアコン工事が真っ盛りの時期に社長から特別ボーナスで5万円いただきました。950円の時給だったので大変助かりましたが、すべてバンコク行きのチケット代に消えていきました。


旅人から「社会復帰」して勤めた住宅会社は「毎月、ボーナスがもらえる」と入社時にはいわれましたが、「毎月、ボーナスがもらえる(可能性もある)」という現実なのだと知りました。確かに可能性はあったのでしょうが、僕は賞与とはほぼ無縁でした。


その後、転職した広告代理店では「入社1年経たないと賞与はいただけない」と賞与の支給日に知りました(汗)


ちょっとはアテにしていただけにショックでしたが、当時の上司が「あいつは頑張ってるから」とかけあっていただき、いくらかの賞与を特別にいただきました。1週間もしないで消えてしまったとは思いますが、自分が人の上の立場になる時にはこの上司みたいな男気を出したいな、と思いました。(ちなみに、翌年の賞与はすべて起業のためのタネ銭になりました。)


賞与って生活給のようでありながら、宝くじのようにまとまったお金が入るっていう取扱いが難しいお金のような気がします。


賞与をいただいた側が自分の責任や主義主張(?)でお金の使い方は考えればいいのでしょうが、やはり活きたお金として使っていただきたいな、なんて思います。


だから、数年前までは「賞与の5%は本を買うこと」なんていっていました。(実際に実行している人はいたのかしら•••??)


けど、最近は止めました。何が活き銭で何が死に銭か、なんてのはお金を使ったその時点では誰にも分からないですからね。


そういえば、僕が社会人2年目の時に使ったクラブでのお金は「死に銭」のような気がしていました。けど最近思うのは、「何かやりたい事があった時に蓋をしない」という自分の原点がこの頃のような気がしてなりません。


「いつかお金がたまったら」なんて考えてると歳をどんどんと重ねてしまいますからね。


賞与がそんなお金として長いスパンの中で活きてくるのであれば支給する側(厳密には、支給ではなくて分配する役目があるってだけなんですけどね)としても幸いかな、と考えたりするのです。

July 21, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2009.07.09

「公私混同」について考える

「うちの社長は公私混同している」なんて話を考えてみます。


日本の職場でこの言葉が語られる時、「経費を使いすぎ」だとか「平日ゴルフに行き過ぎ」だとかいったネガティブな文脈で使われるようなことが多い気がします。


特に、景気が悪化したりするとこうした話が噴出しやすいのが組織というもの。戦国小説を読むと負け戦になると公私混同がやり玉に挙げられたりするシーンがでてきたりします。きっと組織や人間というものの本質的な部分(?)なんでしょうね。


中小企業の代表者のどこからが「公」でどこからが「私」なのかを区別するのは非常に難しい、僕はそう思っています。


事業を行う動機やきっかけは、多くの場合「私」としての経営者の考え方がベースになることが多いはずでしょうし、そもそも、「私」を全く抜きにした「公」なんてものは存在しないと思いますので。


僕は、「経営者が公私混同だと周りにいわれないようにする」という頭を持つことと、「公私混同してるんじゃないですか?」と意見を具申(?)してくれる人を近くに置くことが大事だと思います。(これは倒産コンサルタントみたいな人の受け売りです)


あとは、「自社の社員さんが自分と同じようなふるまいをした時に甘受してられるのか?」という問いを持つことかな、と。


ある社員さんが1ヶ月に10日間ゴルフをしていても問題ない、なんて思うのであれば自分だってそうしたらいいんです。(あくまでも「公私混同」という観点からの話ですけどね)甘受できないのであれば「公私混同」をしている可能性が高いのかな、と。


話は全く変わります。


中小企業の場合ほとんどの経営者が個人保証をしていると思います。


僕の場合、「事業資金借り入れの保証人」「事務所の保証人」「コピー機などリース機器の保証人」「お取引先との取引の保証人」など、数多くの保証人になっています。


本来、会社は倒産しても経営者個人は責任を負わないのが株式会社というシステムなのでしょうが、日本の保証人システムによって多くの経営者が「会社の倒産=経営者個人の責任追及」みたいな形で責任を負う立場になったりします。


いってみればこれだって「公私混同」です。


会社が危機を迎えれば経営者は自分の給料をカットしたり、自分の貯金から貸し付けをしたりします。まあ、会社が危機になった責任の多くは経営者にあるのでしょうから当たり前といわれれば当たり前かもしれません。


けど、「公」とか「私」とかいう視点から考えるとそもそも日本の中小企業の場合は「公私混同せずにはやっていきにくい」側面を持っているのも事実なんです。代表者の「私」としての立場を出さないと事務所だって借りられませんし、リースだってできません。事業資金だって借りられませんし、大手会社と取引だってできなかったりします。


だからといって悪い意味での「公私混同」を認めていい、という理屈にはならないと思います。けど、悪い意味での「公私混同」を少しはしてもいいかな、という気持ちになるのは仕方なかったりするのかな、とも思います。経営者だって人間ですからね。


その中で、「公私混同というものとどう折り合いをつけるか?」が各経営者としての美意識なのでしょう。


「公私混同なんていくらでもできるけど俺はやらない」ってスタンスがとれるとかっこいいですけどね。(僕がそうしている、ということではありません。念のため)

July 9, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2009.07.07

報告、連絡、相談について考えてみる

住宅会社で営業の仕事をしていた時のことです。


夜の9時すぎに営業先から事務所に戻ると大量の報告書が待ってました。

「営業日報」「重点顧客活動報告書」「明日の予定表」「週末の見学会の集客報告書」「営業活動分析書」・・・・書くだけで軽く1時間半以上はかかります。その他に、明日の準備もあるので帰途につけるのが早くても11時、遅い時は1時とか2時とかがザラでした。


書類は書くだけ書いて、フィードバックはなし。翌日、上司のハンコがついて机の上に戻ってくるだけでした。いきおい、報告のための報告が横行し、同期の人間と営業をさぼってファミレスでドリバを飲みながら報告書を書いたりしてました。最悪ですね、人生の時間の浪費です。


「そんなのだけは繰り返したくない」という思いが強かったので会社をつくった時からは報告書の類はなるべく少なく、の方針でいくようにしました。


創業以来、日報はA4で1枚。それがすべてですし、今後も増やしていく予定はありません。ただ、何があろうともこの営業日報だけは続けていこうと思っています。


「報告、連絡、相談」-僕らは新入社員研修などで社会人の基本としてこれらを知識として学びます。「報告をしないと上司が判断できないのできちんとしましょう」だとか「大きな問題になる前に上司に相談しましょう」とかいう形で学びます。


けど、最近思うのです。


「報告、連絡、相談」はビジネスの中で基本でありながら究極のスキルだ、と。そう、それは料理人が卵料理にはじまり、卵料理におわる、なんていわれるのと同じようなものなのかもしれません。


例えば「報告」。


そこには、「物事を簡潔に第三者に説明する力」「報告を行うタイミングを読む力」「報告すべきことと必要でないことを区別する力」「上司のつっこみに耐える力(?)」「上司により報告のやり方を見極める力」など、さまざまな「力」が必要です。


新入社員のうちは何をしていいか分からないでしょうし、「報告はすべきもの」みたいな刷りこみがあるでしょうから「報告」をきちんと行う人は多いでしょう。


けど、仕事に慣れてきた人が「報告」をおざなりにしてしまいがちになるのはある意味当然なのですね。多種多様な「職業人としての力」が必要なのが「報告」なのでから、「力」がない人には本来できないものなのですから。


「報告・連絡・相談」の悲劇は先にもいいましたように新入社員研修などで「社会人の基本」として取り扱われるということです。


本来は、「報告・連絡・相談」は会社として、個人として取り組む課題としてすんごく高度ですし、つきつめていってしまえばこれを完璧に行えればどこの会社でどんな仕事だってやっていけるほどの高等スキルだと思います。


僕らは、「社会人の基本なんだから報告、連絡、相談をするのは当たり前だろう」という考え方から「自分の仕事のスキルを磨くためにも報告、連絡、相談はきちっとするようにしろ」という考えにシフトしないといけないのかもしれませんね。


「力」のあるビジネスマンだから「報告」ができるのではなく、「報告」ができるから「力」があるとみなされる。本来はそうとらえられるべきなのかな、と。


それを実現するためにも「日報」はおざなりにしてはなりません。

July 7, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.07.06

誰々さんが、何々と言っていた を考える

「○○さんが、あなたのことを『大嫌いだ』と話していた」


かつて、ある方からそんな話をされたことがあります。


まあ、「大嫌い」だと話していたという人を僕も別段、気にとめてなかった人なんでどーでもいいんですけど。けど、聞いていて決して気持ちのいい話ではないですよね。


こちらから「俺のことなんか言っていた?」と聞いたのならともかく、なんでそんな話を当事者である僕にするんでしょうかね??「大嫌い」と言っていたという人よりも、「大嫌いだと話していた」と言っていた人を「大嫌い」になりそうでした。


「大嫌いだと話していた」と言われた側。(=僕のことですね)「大嫌い」と言っていた側。そして、それを仲介(?)する人。


すべてにとって何のメリットもないことだと思うんですけど・・・。(否、仲介する人には何かしらの「メリット」が存在するんでしょう。だから口にするんでしょうしね。)


同様のことがまた再び僕の身に起きたらどうするか?


■「大嫌い」といっていた人が僕にとって別段どうでもいい人であった場合


まあ、それもしょうがないかな、と思いますね。エッジを利かせた生き方をしていれば批判されたり、嫌われたりはしょうがないですからね。むしろ、批判や中傷はがんばってる証拠だったりする場合も多いでしょうし。


ですので、とりあえずは無視します。けど絶対に、「大嫌い」と言ったという人が自分の目の前で「お前なんて大嫌いだ」というのを聞かない限り事実として認知はしないと思います。そんなこともありかな~くらいに思うようにします。本当は仲介者こそが僕を嫌いなんじゃないかな、と思うようにします。


■「大嫌い」といっていた人が信用している人であった場合


その仲介者に「今聞いた話を本人に確認していいですか?」と聞いて本人に確認をするでしょうね。事実だか事実でないことなのか分からないことで思い悩んでせっかく築いてきた人間関係を壊すのはバカバカしいですからね。迷ったり、悩んだりしたら事実のコアの部分に近づくのは鉄則ですからね。


たぶん、おそらく、ほとんどのケースで「いいですよ!」という仲介者はいないでしょうけどね。


噂話だとかゴシップというのは人間関係を潤滑にするためにある程度は必要だと思います。


けど、それは人間関係におけるスパイスのような存在であって、決してメインメニューになりえるものではありませんし、人間関係の本線に存在しえるものではありません。


噂話だとかゴシップが怖いのは、噂話やゴシップを使って人間関係をつくるのは比較的たやすいことにあることだと思います。


「ここだけの話」的な話を嫌いな人はあまりいないでしょうからね。どうしてもそれに頼った人間関係の作り方が基本になってしまうのか、と。それで長く続く人間関係が築けるのであればいいんでしょうけど、そうはいきませんでしょうしね。

July 6, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.07.03

小さい言葉の言い方にこだわってみる

「キャバ嬢」・・・キャバクラで働く女性のこと、ですね。


本当かどうかよく分かりませんが、若い人の憧れの職業だとか・・・・。


僕はこの「キャバ嬢」という語感がなぜか昔から嫌いです。なんとなく上から目線のような感じがするんでしょうかね。


ある女性にこの話をしたところ、「『キャバ嬢』って言い方は、働いている人を『平社員』といっているのと同じような感じがする」といっていました。


なるほど・・・。僕の感覚もきっと当たらずとも遠からずです。


全く使わない、といったら100%の自信はありませんが、「キャバクラのキャストさん」という言い方をするようにしています。


言われた方はどうでもいいのかもしれませんが、こういうところにこだわるのは僕の美意識です。


同様に「うちの社員」という語感がなぜか嫌いです。


なんか束縛している感があるような・・・なんか偉そう感があるような・・・言葉の裏側に「自分の意のままになる」みたいな感じがあるような気がしてなりません。あくまでも僕の感覚の問題ですが。


なので、必ず「社員さん」というようにしています。


「サラリーマン」という言葉も嫌いですし、「外人」いう言葉も絶対に使いません。人を「お前」と呼ぶこともしたくないですし(怒った時は使うかな?でも「お前さん」といっていると思います 笑)、人を名前で呼ばずに「あなた」だとかいういい方もしたくありません。


って考えると、こういう部分に関してはかなりうるさいタイプの人間にいつの間にかなってしまってました。


けど、一つ一つの言葉にこだわりを持つことはとっても重要かな、と思ってます。


社員さんを「うちの社員」って呼びつけにしていれば、それにふさわしいものの言い方にごくごく自然となってしまいますでしょうしね。日本語における主語って、その後に続くメッセージの方向づけを無意識にしてしまうくらい大きな存在ですからね。


July 3, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2009.07.02

アメリカから戻りました

いつもですが行ってしまうと早いですね。


アメリカでの備忘録を兼ねて、気になったこと、思いついたことを。

□アメリカの景気はよくないみたいですね。今回、3回目となるイベントに参加したのですが、出展社が少なかったですし元気がないように感じました。もちろん、肌感覚ですけど。


□空気が薄い場所にいくと寝た感じがしないですね。よく夢をみました。そいえばチベットを旅行していた時は毎日のように夢をみていました。今思うとあの時に見た夢はすんごく素晴らしいインスピレーションだったような気がします。日記を書いていないのでどんな夢か覚えていませんが・・・。


□ネパールにいこうと思いました。12年前にお世話になったチベットの人は元気でいるかしら?映画につれて行ってもらったり、食事をごちそうになったり・・・。とりあえず、あの時にお世話になったチベットの絨毯工場を訪ねて、仕事に結び付けられるようなヒントがないかな・・・と。


□マイケルポーターの『競争戦略論』をずっと読んでました。企業の戦略について書かれた本ですね。戦略のムダ、ムラ、ムリに気づきがありました。こんな本が書けたら死んでもいいですね。すごいです。


□アメリカにいっても普通にメールは来ますし、仕事をする上で何も困らないですね。時差を利用したビジネスはいろいろと考えられそうですね。僕が旅人だったらこの辺から新しい事業などの考えを攻めるかな・・・・。


□いつもながら英語はきちんとやっておくべきだった、と思います。けど、英語を改めて学ぶ時間があったらそのほかのことをやった方がいい、という自分もいたりします。


□毎回、お土産には困ります。ボーダレス化した今の時代に「もらって超嬉しい!」なんて手軽なお土産ってあるんでしょうかね。


□カリフォルニアのワインはめちゃおいしかったです。いままで、焼酎ばかりでしたが、最近よくワインをいただく機会が増えてるのでちっとは勉強してみようかな、と。


□アメリカの方が日本市場に参入する際の障壁は、我々がアメリカの市場に参入する際などとは比べようもないくらいあるみたいですね。ここは仕事のネタになりそうです。僕はやりませんけどね。


□「今、自由に使える1000万円のお金があったら何をする?」-旅をしていた頃は「アフリカと南アメリカにいく」でした。今は、「中東と北欧、アフリカに行きたい」です。本質的には変わらないみたいですが、目的は「知らない世界を訪ねたい」から「日本にはないものをみつけてくること」に変化しているみたいです。


とりあえず思いつきで書きましたので、校正なしでアップします。昨日から7月ですね。1年の半分を適度にがっちし生きていきたいと思います。

July 2, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)