直観なのか、エゴなのか
「おっ!これは素晴らしいアイデァだ」と思う瞬間があります。
ちょうど、天から何かが降ってくるような感じですね。
「直観」といえるのでしょうかね。本当に素晴らしいアイデァの場合は飛び跳ねたくなったりします。
けど、冷静になって時間をかけて考えてみると全くたいしたことないアイデァだったりすることがよくあります。
さらに言うと、「天から何かが降ってきた」「直観だ!」などといっていながら、完璧に「自分のエゴの声」だったと気づかされることがあったりします。
自分の心の隙間だとか、自分の何らかの欲求を満たしたいという思いに無意識のうちに「直観」とかいうデコレーションをしているわけですね。
これはいただけないです。
仕事で大きな成果を残すには、ある部分で直感を頼りにしたり、自らを委ねたりしないといけないと僕は思います。(むしろ、直感を得るために仕事をしている、といっても過言じゃないかもしれないですね)
けど、自らを振り返ると、「直観に名を借りたエゴ」の多いこと・・・。これを「直観」として頼ったり、委ねたりしないセンスは必要だと思います。
それら2つ~「直観」と「エゴ」と~を分けるものは何か?
僕は実際のところその方法についてよく分かりません。「エゴには何か急き立てられる感覚がある」などとどなたかが書いてましたが、僕にはその感覚はよく区別できません。
だいぶ時間がたったり、実際にアイデァを形にしていく過程で「直観ではなかったな・・・」としみじみ感じるもの・・・・それが今まで付き合ってきた「エゴ」のパターンです。
エゴはいろんな衣装をまとって存在するからやっかいなのですね。
それを踏まえた上で現時点で僕が一番重要だと思うことは、何かのひらめきがあった際に「直観だ!」と信じ過ぎないことか、と。「直観にゆだねつつも、直観にしがみつかない」という姿勢でいることのような気がします。
最近は、「直観」がブームのようですが、直観至上主義になるのだけは避けたいと思ってます。きっと、「直観」っていう存在はそのくらいのきままな姿勢にごくごくまれに降ってくる僥倖のようなものなのか、と。
July 24, 2009 | Permalink
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