賞与が終わったということで、賞与に対しての思いでなぞ
始めて賞与をいただいたのは23才の夏でした。
当時つきあっていた彼女と普段は絶対にいかないお寿司屋さんにいきました。
3回目の賞与で当時仕事をしていた金沢市内のクラブ(お酒を飲む方の、です)に友人と飛び込みでいきました。若いうちに一度はいってみたかったけど、誰も連れていってくれる環境にないので、身銭をはたいたわけですね。「ああいう所は何回もいかないと面白くない」というのを痛感して帰りました。
その後、会社を辞めて、電気工事のアルバイトをしながら旅人になりました。夏のエアコン工事が真っ盛りの時期に社長から特別ボーナスで5万円いただきました。950円の時給だったので大変助かりましたが、すべてバンコク行きのチケット代に消えていきました。
旅人から「社会復帰」して勤めた住宅会社は「毎月、ボーナスがもらえる」と入社時にはいわれましたが、「毎月、ボーナスがもらえる(可能性もある)」という現実なのだと知りました。確かに可能性はあったのでしょうが、僕は賞与とはほぼ無縁でした。
その後、転職した広告代理店では「入社1年経たないと賞与はいただけない」と賞与の支給日に知りました(汗)
ちょっとはアテにしていただけにショックでしたが、当時の上司が「あいつは頑張ってるから」とかけあっていただき、いくらかの賞与を特別にいただきました。1週間もしないで消えてしまったとは思いますが、自分が人の上の立場になる時にはこの上司みたいな男気を出したいな、と思いました。(ちなみに、翌年の賞与はすべて起業のためのタネ銭になりました。)
賞与って生活給のようでありながら、宝くじのようにまとまったお金が入るっていう取扱いが難しいお金のような気がします。
賞与をいただいた側が自分の責任や主義主張(?)でお金の使い方は考えればいいのでしょうが、やはり活きたお金として使っていただきたいな、なんて思います。
だから、数年前までは「賞与の5%は本を買うこと」なんていっていました。(実際に実行している人はいたのかしら•••??)
けど、最近は止めました。何が活き銭で何が死に銭か、なんてのはお金を使ったその時点では誰にも分からないですからね。
そういえば、僕が社会人2年目の時に使ったクラブでのお金は「死に銭」のような気がしていました。けど最近思うのは、「何かやりたい事があった時に蓋をしない」という自分の原点がこの頃のような気がしてなりません。
「いつかお金がたまったら」なんて考えてると歳をどんどんと重ねてしまいますからね。
賞与がそんなお金として長いスパンの中で活きてくるのであれば支給する側(厳密には、支給ではなくて分配する役目があるってだけなんですけどね)としても幸いかな、と考えたりするのです。
July 21, 2009 | Permalink
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