誰々さんが、何々と言っていた を考える
「○○さんが、あなたのことを『大嫌いだ』と話していた」
かつて、ある方からそんな話をされたことがあります。
まあ、「大嫌い」だと話していたという人を僕も別段、気にとめてなかった人なんでどーでもいいんですけど。けど、聞いていて決して気持ちのいい話ではないですよね。
こちらから「俺のことなんか言っていた?」と聞いたのならともかく、なんでそんな話を当事者である僕にするんでしょうかね??「大嫌い」と言っていたという人よりも、「大嫌いだと話していた」と言っていた人を「大嫌い」になりそうでした。
「大嫌いだと話していた」と言われた側。(=僕のことですね)「大嫌い」と言っていた側。そして、それを仲介(?)する人。
すべてにとって何のメリットもないことだと思うんですけど・・・。(否、仲介する人には何かしらの「メリット」が存在するんでしょう。だから口にするんでしょうしね。)
同様のことがまた再び僕の身に起きたらどうするか?
■「大嫌い」といっていた人が僕にとって別段どうでもいい人であった場合
まあ、それもしょうがないかな、と思いますね。エッジを利かせた生き方をしていれば批判されたり、嫌われたりはしょうがないですからね。むしろ、批判や中傷はがんばってる証拠だったりする場合も多いでしょうし。
ですので、とりあえずは無視します。けど絶対に、「大嫌い」と言ったという人が自分の目の前で「お前なんて大嫌いだ」というのを聞かない限り事実として認知はしないと思います。そんなこともありかな~くらいに思うようにします。本当は仲介者こそが僕を嫌いなんじゃないかな、と思うようにします。
■「大嫌い」といっていた人が信用している人であった場合
その仲介者に「今聞いた話を本人に確認していいですか?」と聞いて本人に確認をするでしょうね。事実だか事実でないことなのか分からないことで思い悩んでせっかく築いてきた人間関係を壊すのはバカバカしいですからね。迷ったり、悩んだりしたら事実のコアの部分に近づくのは鉄則ですからね。
たぶん、おそらく、ほとんどのケースで「いいですよ!」という仲介者はいないでしょうけどね。
噂話だとかゴシップというのは人間関係を潤滑にするためにある程度は必要だと思います。
けど、それは人間関係におけるスパイスのような存在であって、決してメインメニューになりえるものではありませんし、人間関係の本線に存在しえるものではありません。
噂話だとかゴシップが怖いのは、噂話やゴシップを使って人間関係をつくるのは比較的たやすいことにあることだと思います。
「ここだけの話」的な話を嫌いな人はあまりいないでしょうからね。どうしてもそれに頼った人間関係の作り方が基本になってしまうのか、と。それで長く続く人間関係が築けるのであればいいんでしょうけど、そうはいきませんでしょうしね。
July 6, 2009 | Permalink
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