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2009.09.30

政治の話、について

もう時効だからいいでしょう。


数年前、ある社長さんを紹介いただきました。なんでも、「広告の相談をしたいので」ということで。


で、飯田橋にある喫茶店で打ち合わせ。(余談ですが、この喫茶店はつぶれてしまいました。すんごくいいお店だったんですけどね)

仕事の話もそこそこに、政治の話だとか社会問題だとかの話になりました。


「小泉政権がどーだか」だとか「官僚が今の日本をダメにしている」だとか•••。


僕のスタンスは「文句いうなら自分でその立場にたって改革なりをしたらいいじゃないか」ですので、政治家や官僚の悪口をいって満足する(してるのかしら?)のがよくわかりません。


それ以前に中小企業の社長なんぞは、政治だとかに関心を持つ事は重要ですがもっとほかにやることがあるはずです。商品をつくったり、顧客満足を高めたり、資金の分配に思いをはせたり、といった使命があるはずです。


僕は「政治の話はいいです」といいましたら、「政治に関心を持たないといけない」とかいって諭されました。


別に関心はなくはないですけどね。テレビは見ませんが、新聞は読んでるつもりですし。


今であれば、鳩山政権の中小企業対策はすんごい関心がありますし、特に亀井大臣が構想されていることはすんごくインパクトがあるとも思います。


けど、政治は中小企業の社長がビジネスタイムの時間に、それも新しく紹介いただいた方と時間をかけて話をする性質のものではないと思います。自分の中だけで、考えたりしていればいいのかな、なんて思います。


むろん、松下幸之助さんのように優れた政治家を輩出して国を変える、なんて経営者は別ですけどね。


そんな志がないで、茶飲み話で政治をとりあげるほど、僕らは暇にしていたらいけないのかな、なんて思います。


そんなこというから嫌われたりするんでしょうけどね•••。


追記
今日は決算です。といっても、これからもろもろとやっていって、11月末までに税金を納めて一段落です。9期目が終了ということなんですが、実感は全くなしです。昔はもっと売上に一喜一憂していたような気がしたりして•••


どなんでしょうね。ちょっと草食系(?)になってきた部分もあるのかしら••?

September 30, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (1)

2009.09.29

経営者だからといって「人を見る目」があるものだろうか

1ヶ月前くらいの、ある飲みの席での話です。


「大塚さんは会社やってるんだから『人を見る目』があるよね?」


「なんでそう思うの?? 「会社やってる=人を見る目がある」ってイコールになるのがよくわからないのだけど•••」

「でも、いろんな人と接する事が多い仕事でしょ?」


「それは確かにそうかもしれない。けど、接客業したり営業の現場でバリバリやってる人の方が知り合う人の絶対量は多いと思うよ。」


「でも、会社の代表者って人事のようなこともやるでしょ?」


「確かに。けど、何回も面接やって入社した社員さんが数ヶ月で辞めたりすることもあるしね。人を見る目、ってのがあったらそんなことはないっしょ?」


「でも,『人を見る目』がないと会社なんてしていけないでしょ?取引先だって完全に信用できる会社ばかりじゃないかもしれないし、儲け話みたいなもので騙されたりする、なんて話もあるし•••」


「確かに『こりゃ騙されたな』ってことは何回かあるわ。けど、たいがいは自分がどこか鈍感になってたり、抜けてたり、欲が出たりって理由もあるしね。まあ、しょうがないなと反省して、次に活かすしかないっしょ。致命的な形で騙されないように注意してね。だからといって、それが自分の『人を見る目』がなかったからだとも思わないんだよね」


うんたらかんたら••••


「あの人は見る目がある」なんて、ごくごく普通にいわれます。で、実際にそういう人はいると思います。


「どーしてあの人を•••?」なんて人材をスカウトして参謀として活躍させている経営者が僕の知り合いにいます。僕にはその方を選ぶ理由がさっぱりわかりませんでしたが、その方なりの「見る目」があったんでしょうね。


けど、その方の凄いところは「人を見る目がある」なんて(恐らく)ご自分で思っていないところです。


「結局は仕事を一緒にやっていく俺と合うか合わないか。お互いの不足分をカバーでき合うか出来合わないか。会社が困った時に相談できるかどうか。で、お金が続かなくなった時に自分の私財をなげうって彼のことをかばえるかどうか。それしか考えていない」といっていました。


彼を見る,という前に「彼との付き合いの中で自分はどうなのか?」ということに重きを置いて自問したんでしょうね。


僕らはどーしても経験値が高まると経験則から物を考えたりしたくなります。「人を見る目」なんてのもそうしたことのひとつでしょう。だから「いろんな人と知り合う社長=人を見る目がある」なんて思われるんでしょうし。


けど、人はいろんな側面があったりするわけです。


「第三者が知っている自分」「第三者が知らない自分」「自分自身でさえしらない自分」が複雑にからみあって存在してるわけです。更には「自分は知ってるけど、押さえ込みたい自分」だとか「第三者にいわれて何となくふるまっているけど、実際はそうでない自分」みたいなものも存在するわけです。


それを「人を見る目がある」ということで自分なりのフィルターをつけてみる事は,どーなんでしょうね。


「その人がどういう人か?」と考える事は経営をしていれば確かに大事なことかもしれません。けど、それ以上に、それに執着しすぎないことも大事かな、と。時には自分で否定することも大事かな、と。

September 29, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.09.28

事実、とその周辺と

事実と、その周辺とを見極める


会社の経営をする際にとっても大事なことの一つです。


例えば、「売上が下がったという事実」があるとします。昨年と比べて売上や利益が下がった、というのは数字で表すことができるので比較的分かりやすい「事実」です。

で、その「事実」から派生してさまざまな打ち手を考えるとします。


けど人間ですから、どーしても「事実ならざるもの」が入ってきてしまいがちになります。憶測だとか、予感だとか、思惑だとか、噂だとか、なんだとか•••


で、それらがあたかも「事実」なような顔をしていつのまにか存在するようになっていたりします。


更には、その「事実」をもとに次の打ち手が考えられていったりするわけです。すると、事実を積み上げることから生まれる打ち手(戦略)とはまったく異質なものが生まれたりするわけです。それらの「打ち手」が現場でしっくりくるかどうかは微妙、ですね。


僕はここ数年、「事実をありのままにみる」ということを意識的に学びました。


で、憶測だとか、予感だとか、うわさ話だとか、自分の思い込みだとかからなるべく遠ざかろうとしました。うわさ話を聞いても「それが事実かどうかは本人が口にしないと『事実』ではない」と思うようにしました。


けど、今の時代は情報だけはふんだんに存在するから「事実」をありのままにみることはとっても難しい、ですね。


根底には、僕らが総じて「事実」よりもその周辺にある憶測や予感やうわさなどの話が好きになっているのかな、と思ったりします。それらは、「事実」のように地味ではないですし、総じてエモーショナルでエンターテイメント性(?)も高い事が多いでしょうし。


それが集合的無意識として僕らの中に存在するようになっているのかな、と。


精神的に参ってしまう人が多くなっているなんて報道を見聞きすると、その根底には「事実よりその周辺」で振り回されているような多くなっているような気がしてならなくなったりするのです。

September 28, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2009.09.24

お酒、について考えてみる

監督になってやったことは、選手と酒を飲みにいかなくなったこと


サッカーのある監督がこんなことをおっしゃってました。(全日本の監督だったと思うのですが、記憶が曖昧ですのでその方の名前は出さないでおきます)


かつて僕はこの話を聞いて「リーダーかくあるべし」と思いました。

僕は酒が好きでしょっちゅう飲んでいます。で、午前様になることもめずらしくありません。


けど、うちの会社の社員さんと飲みにいくことはほとんどありません。


仕事が遅くなって飯を食べに行く時と、お客さんがみえた時に一緒にでむくくらいかな。


周りからは「酒好きなのに意外だね〜」などといわれたり、「もっと酒の席で皆の意見を引き出した方がいい」みたいなこともいわれたりしてた(過去形ですね)んですけどね。決して人と酒を飲むことが嫌いでないからこそ守っている僕なりの美意識なんです。


理由はいろいろとあるんですけど、一つは社員さんと平等に接するため、です。


働いている人の中には酒の席が好きな人も居るでしょうし、そうでない人もいるでしょう。「酒が大好きで毎日いきたい」という人もいれば、「仕事が終わってまで•••」「早く帰りたい」という人もいるかもしれません。


「酒の席にでないと仕事の情報がつかめない」とか、「あいつはいつも誘ってもこない」なんて陰口叩かれるなんて職場の話をメディアなんかで聞くことがありますけど、どーなんでしょうね。


先に紹介した監督は「レギュラーを選ぶ際に私情が入ってしまう」みたいなことをいっていたと記憶していますが、人間だからどうしてもありうることですよね。


それらの私情をなるたけ排すのはリーダーたるものの役割、と僕は思います。当然、人間ですから私情を完全になくすなんてことはできないんですけどね。酒の席を重ねているとどうしても私情が入ってきやすいと思いますので。


もひとつは、酒の席で「ぶっちゃけ、ここだけの話だけどな」といった話や、「あいつはダメだ」だとかいった不平不満や陰口みたいなことを100%言わない自信がないからです。


普段はこういう話をすることはほとんどないと思ってますけど、酒が入ると分かりませんからね。


僕はリーダーたるものは完全な人格である必要なんてないと考えています。


どこか抜けていたり、どこか頭が悪かったりして然るべきだと思ってます。陰口だとか不平不満だとか文句だとか愚痴だとかを言いたくなったりする一個人だっていいわけです。


けど、これらを一緒に働いているメンバーが聞いたらちょっと興ざめですよね。僕がそういう話を自分の親分(?)に聞いたらすぐさま「あっ、おれも陰では言われてるんだな」と思うでしょうしね。


僕の酒飲みの師匠(?)がよく話をしてました。


「飲みの席で愚痴をいいたくなったり、嫉妬心を覚えたりしたら席をたって帰ること」と。


確かにそうなんですけど、そういう判断ができなくなること自体が酔っぱらう、ということでもあるしな•••。


結局のところ、うまいつきあい方、なんでしょうけどね。


追記
連休中は横浜のヨガフェスタにいってモデルのSHIHOさんのレッスンにでてきました。200人くらいの会場で男性は僕を含めて4人•••かなり心細かったです。


キレイオーラ(?)が凄かったです。一種の才能であり、努力の賜物、なんでしょうね。目が釘付けになるってのはああいうことをいうのだな、と。


September 24, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2009.09.15

商品の目利き、について考える

「商品の目利きは誰がやってるんですか?」とあるところで聞かれました。


目利き、というのは「どのような商品が売れて、どのような商品がダメなのか」というような意味合い、でしょうかね。

うちの会社はヒーリンググッズを企画したり、輸入したりしています。


本来であれば専門のバイヤーがいて、常に国内外の動向をチェックし、いろんなイベントに足を運んだり、メーカーからの売り込みを募ったりするのがベストなのですが、そこまでの人員がいません。


なので、今現在は僕が「こういった商品をつくろう」だとか「この商品の権利を買おう」だとかいうことが商品化のスタートとなることが多いです。


上の質問からいくと、まずは僕が「目利き」をしてるんですね。


そんな話をしたら、「ユーザーとして自分が愛好しているくらいじゃないといい商品、悪い商品なんてのは分からないんじゃないのか?」なんていわれました。


確かに、ちょっと聞くとそうでしょう。


僕の今までの生活の中でヒーリンググッズはあまり関係なく生きてきましたからね。愛好家の方が自身の感性に照らし合わせて「いい、悪い」が分かるかもしれません。


けど、中小企業の代表者が「目利き」で負けるわけにはいかないんです。何せ、それでクライアントさんに商品を仕入れていただいたり、個人の方に買って頂いたりする訳ですからね。それで生計がたっているわけですし。


僕は「目利き」とはきわめて左脳的な部分で成り立っていると思ってます。


業界の内外でどんな商品が売れている、だとかいったあらゆる「情報」を頭に入れ、あとは「経験の量と失敗の量のかけ算」から生まれるものではないか、と。(売れなかったら反省もしないとダメですね)


で、そんなことを信じていなければ企画開発型の商品なんて怖くて生み出す事はできません。売り上げが立つ前にどんどんとお金がでていく訳ですからね。


僕は12年ほど前にミャンマーで翡翠(ひすい)の買い付けをしていたおじさんと知り合ったことがあります。彼は元々はバックパッカーだったのですが、旅と仕事を融合させるにはどうしたらいいか、を考えた結果、宝石の買い付け人になったのだといっていました。


35歳くらいから必死になって勉強したみたいです。きっと「目利き」ができるとかどうとかは思わなかったんじゃないかしら、と今振り返ると思ったりするのです。


とうぜん、人間のやることですから基本的なセンスや感性はある程度は必要でしょう。けど、自分がやりたい、と思ったことにセンスや感性を理由にしてあきらめるのもバカバカしいか、と。


芸術や音楽の世界ならいざしらず、センスや感性だけで諦めなければならないことって世の中にそんなに多くはないのかな、なんて思ったりしています。


最終的には、経験と失敗をできる環境(金銭的に、だとかも含めてですね)にいられるかどうかの勝負になってくるような気がします。


ネパールでもいろんな商品を仕入れてきましたが、みなさんにどのように受け止められるんでしょうね。

September 15, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.09.14

ネパールから帰国しました(20日ほど経ってますが)

「そんな毎日、働いていたら彼氏つくる時間もないじゃん」


と僕はいった。場所はネパールはカトマンズの郊外、今から12年前の夏。相手はチベットの絨毯工場で働いていたチベット人の女性。年齢は僕より6から7歳は下、か。


彼女が職場の同僚4人で映画にいく、というので僕もついていったのだ。

確か「カルパチー」とかいう映画。貧乏な主人公が一躍億万長者になる、といったストーリーだ。観客の騒ぎようの凄さと、100%勧善懲悪のストーリーがとても印象的だった。ネパール語を英語に訳してもらいながらの視聴だったが、十分分かりやすい映画だった。


映画が終わりご飯をご馳走になった。


彼女たちは絨毯工場でのセールスを主にやっていた。僕は絨毯を買いもせず(映画にいった翌日、お礼の意味を込めて安いのを1枚買いました)毎日工場にいってはお茶をご馳走になる。暇があれば近くの学校にいったり、お寺に行ったり、カフェにいったりしてボーっと時間をつぶす。なんだか非常に居心地のいい街だった。


働く彼女たちをみて「よく働くなあ〜」と僕は思っていた。当時は無職(対外的には「夢職」と言っていましたが••••)だったので、余計にそう思えたのかもしれないんだけど、「休みが月に2日しかない」なんて話を受けて冒頭のような話になったのだ。


彼女は当然のような顔をしてこういった。


「Some day,GOD goft for me」と。


いつか、神様が•••みたいな意味なんだろう。


当時の僕は神様だとかいうのはよく分からなかった。けど、海外を旅していると宗教だとか神様だとかを抜きには理解できない文化や価値観だとかがいっぱい存在していることを肌感覚で知るようになっていた。


なんだかきれいな言葉だな•••と思った。


「神様にゆだねるって生き方は、決して人任せにする生き方じゃなくてきわめて主体性のある生き方だ」なんて後年,僕は思うようになるのだが、この時は言葉の語感の美しさだけが印象的だった。


先月、ネパールに行って彼女が働いていた絨毯工場にいってきた。


けど、アメリカに移住したとかいうことで会う事はかなわなかった。


会えなくて残念、のような


会えなくてよかったのかな、のような


なんだか複雑な気分。


ネパールから帰国して20日あまり。ようやくとネパールネタを書こうか、という気分になってきました。


ボチボチいこうか、と。


September 14, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)