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2009.10.23

机だとか倉庫だとかを片付ける、ということについて

あまり片付けが得意ではありません。


机の上はいつもごちゃごちゃ。昔までは、「だいたいあの山の上から3センチのところに探している書類がある」などと勘が働いたのですが、最近はよくモノをなくしたりします。


けど、ユニクロの柳井会長が感銘を受けたといわれる書籍に「トップマネジメントに属する人間にとって、当然なすべき程度と水準の仕事をしながら、同時に机の上をきれいにしておくなど、実際からいって不可能である。」(プロフェッショナッルマネージャー ハロルド・ジェニーン著 ダイヤモンド社 P167)


なんてあるのを見つけてから、「混沌の中でこそアイデァは醸成される」などと勝手に理屈をつけたりしています。


けど、会社の倉庫(在庫商品を置いてあるところ)に関してはきちんとしていたいと思います。


倉庫管理が僕の仕事ではありませんが、必ず1日に1度は見るようにしますし、自分の机は片付けませんが倉庫は片付けます。


なぜか??


倉庫を片付けると利益があがるから、です。


何年か前のある方にいわれてから「倉庫を片付ける」「棚卸しをきちんとやる」ということをやってきたのですが、どうやら利益はきちっとあがるみたい、です。


理由をいってしまえば、「不良在庫をなんとかしようとしよう」だとか「在庫過剰の商品の発注を制限しよう」だとか「この商品が売れているのであれば、次はこういう商品をいつくろう」といった意識が働くからなのでしょう。


あと、非常にスピリチュアル的な考え方になるのでしょうが、「いつも目をかけている商品には魂がやどる」なんて思ったりします。


まあ、この辺の考え方はひとそれぞれ、でしょうけどね。


とにもかくにも、在庫を持つ仕事をされている方は倉庫の片付けをしっかりとやるようにするのは得策か、と。


昨日、あまりにもうちの倉庫が片付いていたのでこの辺の考え方を書いてみました。


October 23, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.10.22

人は「頑張らない」といけないのか?

『週刊現代』で、勝間和代さんと香山リカさんの対談記事がありました。


強烈な向上心と努力を背景に,効率的な働き方をしようと言う勝間氏と、「空費、浪費の時間があってもいい。無駄な時間を大切にしたい」という香山氏。いま話題の論戦の、「最終決着」。(『週刊現代』リード文より)


と、「激突100分」というタイトルと相まってなかなか刺激的な企画でした。

「ならばあえて聞きますが、頑張らねばダメなんですかね」という香山氏の問いかけに勝間氏は


「少なくとも勤勉は必要だと思いますよ。」(中略)「自分の能力を開発したり、他人に喜ばれる仕事をすることが、もっとも幸せを感じる瞬間なんではないか、という強い哲学を私は持っています。」と答えられています。


史上最年少で公認会計士に合格し、育児をしながら経済評論家として活躍。いくつものベストセラーを世に出し、「カツマー」と呼ばれるファン(信奉者?)に支持される勝間氏。


僕個人だけの話に限定すると、勝間氏のように「人間は頑張って能力を高めていかないとダメだ」という思いが根底にあります。それが、たまたまこの世の中に生を受けたものの使命だと思いますし、今の国を僕らにリリースしてくれた祖先や先達に対しての敬意だと思うからです。


僕らが受け取った以上のもので次の世代にこの国と受け継いでいく、という美意識は持っていたいと思いますし、勝間氏が文中でいわれているように「(努力しないと)社会がサスティナブル(持続可能)ではないですよね。」とも思います。


けど、僕以外の人も含めて考えた場合、精神科医である香山氏のいわれる「1日8時間、月曜日から金曜日まで働いて、あるいはそれにプラスして自分を向上させる努力ができる人が、人間の標準モデルととらえるのかどうか、だと考えているんです。私は、違うと思う。」という考えにかなり近いと思っています。


「仕事を頑張れる」というのは一種の才能ではないかと僕は考えています。頑張れない人に「頑張って能力を上げろ」というのは、音楽の才能がない僕のような人間に「作曲をしろ」といっているようなものといったらいいすぎかしら。


僕はそうした「才能」を感じている人(多くの場合、空気のような形で「才能」すらも感じていないとは思いますが)が自分の範囲で努力をすればいいんじゃないか、と思っています。月曜日の朝が待ち遠しくて仕方なかったり、出社前に喫茶店で勉強しないと落ち着かない、なんて人はいっぱいいるでしょうしね。


300 年近く続いた江戸幕府を倒した明治維新だって、全ての人が「頑張った」わけではないと思います。ある意味、あの時代に時代の流れを読み、本を読んだり,教えを乞うたりして自らを啓発していった志士には「維新の活動を頑張れる才能」があったのではないか、と。


「才能」って言葉で片付けてしまうと、「自分には才能がない」とか「才能がないから無理だ」といった感じの思考省略になってしまうような気がするのですが、発想を変えて「じやあ、自分が頑張れる分野はどこにあるのか?」って視点を持つと、「自分の才能を見つけていく」という前向きな自分が得られるのかな、と。


僕は「仕事を頑張れる才能」は、人それぞれだと思ってますが、「人間には何かしらの分野で頑張れる才能がある」ということに関しては寸毫の疑いなく信じています。

October 22, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.10.20

夢はある程度の生活の安定の上に描ける

28歳くらいの頃の話。


働いていた住宅会社の給料は手取りで15万円くらいでした。そこから、家賃に4万5千円が出て行くと残りは10万円ちょっと。


歩合でしたので売ればお金は入ってくるのでしょうが、拓銀とか山一とかが倒産した頃の話です。なかなかポンポンと住宅なんぞは売れません。

僕は独り身でしたので、15万円くらいの給料でもやっていけました。会社から家まで歩いて5分くらいでしたし、朝の8時から夜の11時まで、月に2回の休み以外は会社ですからそんなに使う予定もありませんし。飲みもそこそこでしたしね。


けど、職場の上司(先輩)は大変そうでした。


40代後半で大学生の娘さんがいらっしゃる方がいました。一部上場の住宅メーカーでかつては年収1,400万円をもらっていた、と豪語(?)されてました。


年齢や経歴などは関係なく、「営業成績=給料」みたいな会社でしたからきっと僕と変わらない給料でやっていらっしゃったのだと思います。


たまに展示場などで一緒になるとよくボヤいてました。「生活が安定しないと安心して働けないよなぁ」と。当時の僕は、「だったらガンガン働けばいいじゃん」と思いました。


あれから12年近く。今の僕は「確かに生活が安定しないとなあ・・・」と思います。


一緒に働き始めて4ヶ月後くらいに、その上司は他の会社に転職していきました。その後はどうされてるか分かりません・・・。


仕事をする目的は人によりいろいろとあるでしょう。けど、誰しもが「経済」「生活」を抜きに仕事はありえないと思います。


生活が安定していない中、経済的に不安定な中で「会社のビジョン」だとか「誰もが経営者視点になれ」などといわれても、「ってか、それよりも前に生活だろう」ってなるのはごくごく当たり前のことです。


僕らが生活しているのは資本主義の世の中ですしね。


で、僕ら会社をやっている人間は雇用を長期的に守る責任が生じるわけです。「経済」「生活」を安定させ、人間としてより高い欲求を目指すサポートを長期的に行えるよう思いをはせる義務が生じるわけです。


いったい、どこのラインで「安定」なのかは人それぞれ。


28歳の頃の僕は15万円の手取りでも嬉々として(?)働いていました。2年間近くの旅人生活から社会復帰して,働けるだけでありがたかったですしね。


けど、先述の上司にとっては「15万円ではどうしようもない」というのが本音だったと思います。


僕が当時つとめていた住宅会社の経営者だったと仮定した時、上の2人の話を聞いたからといって賃金をいじるのはナンセンスだと思います。賃金の公平性が保たれませんからね。


けど、「経済的な安定を第一に図る」ということが雇用をする上で大事だと考えた時、何かしらの打ち手があるんじゃないのかな、なんて思ったりもします。


本当に責任のある雇用をする、ということは「15万円ではどうしょうもない」というような人を歩合といった不安定な方法で雇うようなことをしない、ということなのかな、なんて思ったりするのです。


確かに、その住宅会社には年収1000万を越えるスターみたいな人がいました。けど、多くの人にとっては夢ってのは「ある程度の生活の安定の上に描けるもの」なのかな、と。


当たり前のことなんですけど、最近のビジネス本にはこの辺の視点がちょっと足りないような気がしたりします。当たり前すぎることだからあえて触れない、であればいいんですけどね。

October 20, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.10.19

ビヨンセのコンサートにいってきました

学生時代の多感な時代にアイドルに走ってしまったため、洋楽が苦手です。


マドンナもマイケルジャクソンも、同時代を生きてきたのにたいした接点がなく過ごしました。



もともと、「周りと同じ趣味や指向を追いかけるのが苦手」という性格もあって、周りが音楽にはまりだせばはまりだすほど、僕は遠くへいきました。


まだブームとはほど遠い時代の格闘技に小遣いのほとんどを使い、マイケルのアルバムを買うのであれば猪木さんのテーマ曲や極真空手のサントラを買ってました。(汗)


あの頃、いい音楽をガンガンと聴いて感性をビンビンと刺激していればその後の人生も変わったのかな??(笑)


そんな僕が行くのも恐縮なのですが、ビヨンセのコンサートに行ってきました。なんでも2年半ぶりの来日だそうです。


僕がいくジムでよくビヨンセの曲が使われているのでなんとなく興味を持ったのが2年くらい前。で、DVDを借りて「すげえ〜」と思ったのが1年半くらい前。「えっ!この曲も、この曲もビヨンセなんだ」というのが初めて彼女を知った時の印象でした。


歌も踊りも演出も衣装も、僕のような「何となく曲は知ってる」という人間でさえも引き込んでしまう魅力はいままでにいったどんなコンサートにもないですね。世界屈指のエンターテイナーだと思いました。


アンコールでマイケル・ジャクソンの写真が出てきて「HALO」という曲で締めくくり。マイケルを追悼するビヨンセに涙がでてきました。


キラキラの派手な登場シーンから華麗なダンス、途中のバラードに最後の涙・・・。


いろーんな事を書きたいけど、書けば書くだけ感動から乖離していくような気がするのでこの辺で。


ある部分では非常に流されやすい性格なので、洋楽好きになっていたら「ビヨンセに影響された」と笑ってやってください。(笑)でも、ダンスはちゃんとやりたいなあ。

October 19, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2009.10.13

職場の問題は解決しないといけないのか?

例えば、職場になにかしらの問題があるとします。


「AさんとBさんとが仲が悪くて、業務に支障がある」でも、「部下が上司のいうことをまったく聞かない」でも、「遅刻が多くて困っている」でもいいでしょう。

で、僕らはこういう問題に直面すると「解決の方向を探る」動きをします。その社員さんを呼び出して本音を聞いたり、注意したりします。


で、これらのことを当然のこと、だと思って疑いません。少なくとも,悪い事だとは思っていません。


・・・果たしてそうなのかしら?


僕は、ここ数年、「現実をみつめること」の重要さを教えて頂きました。


その中で、「すぐさま問題解決しようとする姿勢」が「現実をみつめないためにする場当たり的な行動であることが多い」と思うようになりました。


現実を見つめようとすると、気持ちがもやもやしたり、腹が痛くなったりします。


本当に現実をみつめる、ということはその「もやもや」や「痛さ」を感じきることです。途中で、「問題解決という逃げ道」に逃げないことです。


週末、ドラッカー博士の本を読んでいたらこんな一文がありました。


リーダーシップについての本や論文の多くが、迅速、有効、強力に意思決定を行う方法について論じる。しかし、問題が何であるかを迅速に決定させるほど愚かで,結局は時間の無駄を招く助言はない。(『経営の哲学』P.F.ドラッカー ダイヤモンド社)


問題を特定することに関しては時間をかける、ということですね。


僕はこの言葉は「現実を見つめきること」のことだと読みました。


不思議なんですけど、現実を見つめきると物事が変化することがあります。「そいえば以前は問題だと思っていたんだよな」と現実自体が変わっていることもあります。


問題解決至上主義(?)のアプローチは、病気を根絶させる西洋医学のアプローチに似ているような気がしてなりません。


むろん、それが有益な時もあるでしょう。


けど、病気と共存して生きていく、というようなアプローチが経営の世界にあってもいいのじゃないか、と思います。


だからといって、問題解決の視点を忘れてはいけないですけどね。

October 13, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2009.10.07

参入障壁を築く、ということ

例えば、3億円のお金があって商売をスタートするとします。


人によりさまざまな業種を考えることでしょう。


けど、どんなに車が好きで,車に詳しくても今の日本で「トヨタのような自動車メーカーをつくりたい」という人はいないと思います。(むろん100%ではないでしょうけど)


そこには、「参入障壁」が存在するからです。

車のメーカーをつくるには、「新車の開発」「ディーラー網の整備」「大量の広告宣伝」「アフターサービスの充実」など多くの人材と多額の資金がかかることが想定されます。


「自動車メーカーをつくりたいけど、難しいよね•••」


新規参入者にこういわせるもの、それが「参入障壁」と呼ばれるものです。(「ビジネスモデルがマネしやすいかどうか」といいかえてもいいかもしれませんね。)


社長の仕事のひとつに、この「参入障壁」を意図的につくることがあげられます。


自動車メーカーのように巨大な障壁を築けなくても、僕らは僕らなりに障壁を高く、厚くしていく必要があります。それが、安定的な経営をもたらしますからね。


「価格の安さ」「社員さんのスキルの高さ」「開発する商品の魅力」「業界内での政治力」「外国メーカーとの独占契約締結」「優秀な協力者とのネットワーク」「独自の仕入れルート開拓」などなど、参入障壁を築くにはいろんな切り口はあるでしょう。


自社の現実を見つめ、その中で最適な「参入障壁」を築いていくこと


これは、一種「アートの世界」ですね。


アパレル業界におけるユニクロの参入障壁の高さを考えると、優秀な経営者っているんだなあ•••と思わずにはいられません。

October 7, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (2)

2009.10.06

決算書に現れないもの

うちの会社は9月末で決算です。


で、もろもろ作業をして10月末までに決算賞与、11月末までに税金を支払って、配当をして今期が終わります。

すでに今日は来期(前期からみた場合は、ですね)なのですが、心情的には前期といった時期です。


決算は「決算書」として一冊のバインダーにまとめられます。1年間の売上や、利益、支払ったコストの一覧や、投資している株や保有している固有資産や在庫などの情報が網羅されています。


これは、「銀行や信金さんからお金を借りるとき」だとか「大きな会社と取引するとき」にたまに登場します。で、「この会社は•••うんだらかんだら」とかいわれて審査されていると思います。


けど、決算書にのらない会社の資産、ってものがいっぱいあるという現実に僕らは目を向けないといけません。


例えばブランド価値。


価格も性能も同じような商品を販売する2社。僕らが何の気なしにどちらかを手にしたのであれば、それは「ブランド」によるものです。


その商品や会社が醸し出すイメージや雰囲気、のようなものですね。これは、決算書には載りません。(ブランド価値を数値化できる、なんて聞いた事ありますけど僕はよく分かりません)


例えば社員さんが持っている知識や経験。


1年間仕事をすると、さまざまな経験をすることになります。そのたびに、経験値がアップします。昔は1日かけてやっていた仕事が,3時間で行えるようになってたりします。かつては、つきあう事ができなかったタイプの方と付き合えるようになってたりします。これも、決算書には載りません。


もひとつあげるとしたら、職場の雰囲気や働いている人の輝き、など


「不平不満に満ちている会社」なのか「皆がイキイキとして働いているのか」なのか。「きちっと仕事上のルールは守れているのか」とか「マネジメントは機能しているのか」。


それだって会社の財産なのにもかかわらず、決算書には載っていません。


もともと、決算書が税金を申告するための書類、みたいな側面があるからしょうがないんでしょうけどね。


けど、これからの時代(実はいままでも)決算書に載らないこうしたことがらがとっても重要なのかな、と思ったりします。


企業は赤字は困りますが、これらのことを無視した形での黒字に突き進むのも考えものです。


この辺、昔の経営者には学ぶ事が多いです。

October 6, 2009 | | Comments (0)

2009.10.05

なぜ社長の話はわかりにくいのか

タイトルと同名の書籍を読んでみましたので、このテーマについて考えてみます。


僕の場合、「俺の話はわかりにくいんだろうな•••」と思うことは日常茶飯事です。


例えば、会議などで「これからの時代はこうなって、うちの会社はこうする」的な話をするとき。


こうした話には様々な背景が存在しています。


「僕が今まで読んできた本」、「僕が今までに考えてきたことがら」、「いままでの職業人としての経験」、「職業人としての美意識」、「歴史観」などなど、それらをブレンドさせた上澄み液、それが僕が話をしていることがらです。


当然、僕と同じような経験をし、同じようなことを考えてきて、同じような本を読んだり、人と会ったりしている人の方が少ないでしょう。


もともと、「社長と社員さんとの話はわかりにくいもの」である土壌は存在しているわけです。


また、多くの場合、社員さんよりも僕の方が会社の事業について長い時間考えています。当然、「社長の頭では整理できてているけど、社員さんの頭の中では問題すら顕在化していない」なんてこともあったりします。


当然のこととして、「わかりにくい」話になります。


もひとつ、「朝と夕方といっていることが違う」という場合。


これも半分くらいは自覚していますが(半分くらいはきっと無自覚です)、よくあります(笑)


で、朝話したことが変更したことを伝えないから「聞いてない」「朝いっていたことと違う」とかになったりします。で、僕の方は、「そもそも朝話をしたこと」さえも忘れてたりします。


会社の軸となる部分(美意識ですとか経営理念の部分ですね)がコロコロと変わるのであれば問題でしょうけど、「打ち手(会社でやっていく業務だとか戦略だとか)なんて刻一刻と変化していくものだ」と考える性格の人がどうも社長職の人には多いようですね。


自分も含めて、ですけど。


それが、「社長の話はわかりにくい」になるのかな、と。


むろん、それ以外にもいろいろと要因はあると思います。「主語が抜けて話をする」だとか「擬音ばかりで会話する」だとか「そんなのわかってて当たり前って姿勢で話をする」とかですね。


僕は、「そもそも、社長の話なんてわかりにくいもの」ですし、「社員さんが話をしてもわかってくれない」っていうのは社長の傲慢(?)と思ってます。(もちろん、程度の問題はありますけどね。)


逆に言うとそれだからこそ、社員さんの側に「わからないことは『わかりません』という」ことが求められているのかな、と。


「社長の話はわかりにくいんだよね」で終わりにしていたらお互いに不幸(?)ですからね。


僕は「わからない」とか「わかりにくい」といわれれば、「この話は今の状況では相手に伝わらないだろうな」とか思ったり、「自分の言葉でうまく説明できるかしら」と思ったりしても自分の言葉で説明するようにします。たとえ、誤解を受けたり、曲解されたりしてでもです。


それが、上に立つ人が果たさなければならない「義務」の一つかと。


「いつかわかるだろう」なんて思っているうちに時間なんてどんどんとたってしまいますからね。要注意です。

October 5, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)