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2009.10.22

人は「頑張らない」といけないのか?

『週刊現代』で、勝間和代さんと香山リカさんの対談記事がありました。


強烈な向上心と努力を背景に,効率的な働き方をしようと言う勝間氏と、「空費、浪費の時間があってもいい。無駄な時間を大切にしたい」という香山氏。いま話題の論戦の、「最終決着」。(『週刊現代』リード文より)


と、「激突100分」というタイトルと相まってなかなか刺激的な企画でした。

「ならばあえて聞きますが、頑張らねばダメなんですかね」という香山氏の問いかけに勝間氏は


「少なくとも勤勉は必要だと思いますよ。」(中略)「自分の能力を開発したり、他人に喜ばれる仕事をすることが、もっとも幸せを感じる瞬間なんではないか、という強い哲学を私は持っています。」と答えられています。


史上最年少で公認会計士に合格し、育児をしながら経済評論家として活躍。いくつものベストセラーを世に出し、「カツマー」と呼ばれるファン(信奉者?)に支持される勝間氏。


僕個人だけの話に限定すると、勝間氏のように「人間は頑張って能力を高めていかないとダメだ」という思いが根底にあります。それが、たまたまこの世の中に生を受けたものの使命だと思いますし、今の国を僕らにリリースしてくれた祖先や先達に対しての敬意だと思うからです。


僕らが受け取った以上のもので次の世代にこの国と受け継いでいく、という美意識は持っていたいと思いますし、勝間氏が文中でいわれているように「(努力しないと)社会がサスティナブル(持続可能)ではないですよね。」とも思います。


けど、僕以外の人も含めて考えた場合、精神科医である香山氏のいわれる「1日8時間、月曜日から金曜日まで働いて、あるいはそれにプラスして自分を向上させる努力ができる人が、人間の標準モデルととらえるのかどうか、だと考えているんです。私は、違うと思う。」という考えにかなり近いと思っています。


「仕事を頑張れる」というのは一種の才能ではないかと僕は考えています。頑張れない人に「頑張って能力を上げろ」というのは、音楽の才能がない僕のような人間に「作曲をしろ」といっているようなものといったらいいすぎかしら。


僕はそうした「才能」を感じている人(多くの場合、空気のような形で「才能」すらも感じていないとは思いますが)が自分の範囲で努力をすればいいんじゃないか、と思っています。月曜日の朝が待ち遠しくて仕方なかったり、出社前に喫茶店で勉強しないと落ち着かない、なんて人はいっぱいいるでしょうしね。


300 年近く続いた江戸幕府を倒した明治維新だって、全ての人が「頑張った」わけではないと思います。ある意味、あの時代に時代の流れを読み、本を読んだり,教えを乞うたりして自らを啓発していった志士には「維新の活動を頑張れる才能」があったのではないか、と。


「才能」って言葉で片付けてしまうと、「自分には才能がない」とか「才能がないから無理だ」といった感じの思考省略になってしまうような気がするのですが、発想を変えて「じやあ、自分が頑張れる分野はどこにあるのか?」って視点を持つと、「自分の才能を見つけていく」という前向きな自分が得られるのかな、と。


僕は「仕事を頑張れる才能」は、人それぞれだと思ってますが、「人間には何かしらの分野で頑張れる才能がある」ということに関しては寸毫の疑いなく信じています。

October 22, 2009 |

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