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2009.11.30

週末は高校の同窓会でした

週末は高校の同窓会でした。


1988年の3月に卒業でしたから、22年近く経つわけですね。100人を超える方がいらしてました。さぞかし、幹事のみなさんは大変だったと思われます。お疲れ様でした。


僕は、「普通の」子供でした。


病弱で、勉強も運動もごくごく普通(または、普通以下)、算盤しか特技がない、そんな子供がとりたてて勉強せずになんとなーく「普通に」入学した高校でした。


で、その高校で「クラスの20~25番目」くらいの「普通の」成績を3年間キープ(?)しました。


浪人時代は死ぬほど勉強し、大学時代は刺激的な友人が多くできたこともありエキサイティングな数年間を送りました。けど、基本的には「自分の中での普通感」は常にどこかにありました。


けど、それがいいとも悪いとも当時の僕は思わなかった、と思います。というか、「普通じゃない」という生き方のモデルが僕の近くには存在しなかったのかもしれませんね。


そんなものですから卒業後は、「普通に」民間企業に入社し、「普通に」仕事をしました。


そんな僕ですがいつからか「普通ではなく、変わった人でいたい」と思うようになってました。


きっかけは、本多勝一さんや藤本義一さんの本を読んだ学生の頃のようだった気もしますし、社会人を2年11か月で辞めて(「3年で一人前」ってのに対しての小さな反抗です)旅に出た頃のような気もします。


はたまた、旅先で知り合った旅行人に影響されたような気もしますし、「独創的な経営者は皆変わり者だ」と創業時に感じた頃のような気もします。


とにもかくにも「変わった人でいたい」と思うことは、僕の中での大事な信念になりました。経営者が「普通」を目指していたら社会の損失、経営者という使命を与えられたのだとしたら勇気を振り絞って(?)「普通なるもの」と決別する姿勢はこと大事なのかな、と。


同窓会で、いろんな忘れていたことを思い出しました。昔の記憶が芋づる式にでてくるから不思議ですね。


で、自分の中で驚くべき発見がありました。


「! 自分はぜんぜん普通ではなかったのではなかったか・・・??」と。


現代社会の発表で「アントニオ猪木VSモハメッドアリ戦が格闘技界に与えた影響」という話をした、だとか。「紙袋で修学旅行に参加して、『荷物が重いのは嫌だ』と帰りは何ももっていなかった」だとか。「高校野球の第1回大会からの優勝校をいえた」だとか・・・


・・・などなど。むかしの同級生に異口同音に「変わってたよね」といわれ、「普通だ」と思っていたのが、自分の思いこみ(?)だったことに気がつかされた一夜でした(笑)


そんな話をある友人にしたら、「『変わった人でいたい』ってのは元々、変わった人しかそう思わないんじゃない」と。


うーん、なるほど。数十年の呪縛(?)がとけました。


そんなこんなですが、何とか元気でやっています。先生、同級生各位。また、10年後くらいにでもお会いしましょう!連絡先を交換できなかった人はこちらまでメールくだされば折り返しいたします。


ってか、このブログにアクセスする人がどんだけいるのかしら‥‥まさに、「変わった人」かもしれませんね(笑)

November 30, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.11.12

日常の言葉、について考える

その昔、渋谷でバーテンのアルバイトをしていました。


大学2年生の頃ですから19年くらい前ですね。時はバブル絶頂期、今思えば活気ある時代でした。(ヤンエグ(?)みたいな人を見て「あれが普通の社会人だ」って思ってました。)

ある政治家(今でも活躍している重鎮です)の秘書をやっていて、独立されたという方がお客さんにいらっしゃいました。たぶん、30歳前後でした。


見た目は強面でしたが、とにかく腰が低い方でした。


オーダーをする際に必ず「大塚君、バランタイン(ウィスキーです。当時、よく飲まれてました)もってきて」とかいう感じで頼んでくるんですね。ささいなことですが、なかなかできないことだと思いました。


「バランタイン!」とか「氷!」とかいう感じで、オーダーをする人ってかなりいましたからね。まあ、酒の場だから仕方ないのかもしれないですけど。


同席しているお客さんには丁寧な態度なのに、僕らスタッフにはぞんざいなふるまいをする人を見ると学生ながらに「ああいう大人にはなりたくないな」なんて思ってました。こっちはたいがい素面ですからね。


スタッフにぞんざいなふるまいをするのであれば、同席している人にだって同じようにふるまえばいいんです。どうせならそんな大人の方がかっこいい、と学生の僕は思ってました。


今現在、自分の言葉づかいが丁寧かどうかといわれると何ともいえません。よく怒ったり、文句いったりしますしね。


けど、喫茶店で「珈琲」と頼んだり、社員さんに「お茶」とか「コピー」なんて頼んだり、タクシー運転手さんに「新宿」なんて頼んだり、相方に「メシ」なんて頼み方をしない


それくらいの美意識は持っているつもりです。


日本語には単語で何かをお願いするなんて使い方は本来ないはずなんです。言葉は時代とともに変わるのは当然だと思いますが、ここくらいは譲れない一線じゃないかな、なんて


上司やお客さんに対する言葉づかいや態度と、店員さんへのそれと違えて何が悪い、って考え方もあるでしょう。


けど、それって逆の立場であっても甘受できるのかしら??


言葉は人間の態度を決定づけます。態度は人間の考え方を決定づけます。考え方は人間のの人格を決定づけます。人格は人間の未来を決定づけます。


って考えると言葉って怖いですね。


僕らは言霊の国に生を受けたのですから、たまには「言葉」について考えてもいいのかな、と。

November 12, 2009 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2009.11.06

13年前の今日

13年前の今日、僕はバンコクへと向かいました。


帰国予定のない旅、のはじまりです。


アルバイトで貯めたお金が20万ちょっと。多いのか少ないのかもよく分からない中での出発。


ステレオタイプに「旅は現実逃避だ」という人もいましたが、ほとんどの人が(たぶん)好意的に受け止めてくれました。


勤めていた会社の上司から「若いうちに旅をしないと人生にドラマが無いんだよね」といわれて、心強く思いました。いつか借り物ではない自分の言葉で旅を表現できたらいいな、と思いました。


当時の僕にとって13年後の自分は全く想像できませんでした。


大阪に住む事になったことも、住宅や広告、ヒーリンググッズの仕事をすることになったことも、会社をつくることになったことも、結婚や引っ越しなどと行った環境が変わったことも


今思えば「必然」と思える事も多いんですけど、ここ13年で起きた事のほとんどは「当時の僕が描いていた将来」の選択肢外のことばかりでした。


で、思うのです。今から13年後も同様のことを思うのだろうな、と。


僕は「日々やることをしていれば未来は開ける」って考えを持っています。だから、というわけではないですけど、「将来の夢」だとか「将来の目標」みたいなものはあまりありません。


「夢や目標を持て」なんて学校教育が今の時代になされているのかよく分かりませんが、僕はあまり賛成ではないです。


むしろ、「自分が漠然と抱えている夢や目標といった選択肢の他に将来は開ける事も多い」ってことを教えたら将来に対して希望が持てるようになるんじゃないかな、など思ったりします。


夢や目標に邁進する、というのは一種のセンスであり、能力だと思います。


で、現実的に見渡してみると、その能力を持った人はそんなに多くないのじゃないかな、と僕は思ってます。


追記
この時の旅はカンボジアやベトナム、ミャンマーなどを4ヶ月くらい回りました。お金がなくなったので帰国しよう、と思った時の恐怖(?)は今でも覚えてます。


一方で、「日本でいきづまったら海外にいけばいいんだ」という深い気づき(?)のようなものも生まれました。その考えは今でも健在、です。

November 6, 2009 | | Comments (2) | TrackBack (0)