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2010.02.25

時代認識をつくる、ということ

会社の代表者がしなければならない仕事の一つが「時代認識をつくる」ということです。


簡単にいえば「これから先はどうなるか?」と時代を、未来を読むということですね。


もちろん、こんな時代ですから「2年後、3年後にはこうなる!」なんて正確な形で未来をドンピシャと言い当てられる人なんかいません。


けど、「2年後、3年後にはこういう流れにはなっていく」という大きな流れの予測はさまざまな情報ソースに触れることによりある程度の精度で可能になってくる、と思います。(ってか、可能だと思わなければ経営なんぞ常に先がみえなくてやってられません)


「その大きな流れの中で、自分たちはどのようにしていくのか?」


自らが考えた時代認識に基づいた打ち手を打っていくこと、それが経営です。


時代認識が「結果として」正しければ経営はうまくいった、ということです。時代認識が「結果として」間違っていれば経営はうまくいかなかった、ということです。


いずれにしても、「うまくいった、いかなかった」は「時代認識をたてている現時点」ではわかりません。数年後、「結果として」、お客さんから受け入れられただとか、売上があがった、だとかいう形で分かるだけです。


その時代認識は経営者の頭の中だけにあって、周りはよくわからないケースがままあるから「今は利益がでなくてもいいからやっていく」といった一見すると「営利団体である会社なのになんで??」っていうことがでてくるわけです。


さらにいうと、未来に対しての時代認識がある経営者はそのことに自己陶酔していたりします。


最初は「将来はどうなるか?」なんて考えていたのに、さまざまな考えをめぐらしたり、人の意見を聞いていくうちに、それが「予想」→「実感?」→「実感」→「確信」→「陶酔」と変わっていくんですね。


でも、学者でも一流の経営者でも未来予想家(?)でも分からないことに対して「予測」して、「認識」をつくるのですから、ある程度の陶酔がなければやってられません。


僕は「ある業界の、あるマーケットの、ある部分」に対して「将来的(時期は分かりません)にこうなっていく」という認識があります。(ここで書くのはやめておきます)けど、そんなことを思っている人はそんなにいないと思います。


でもそれは、僕の中で「確信」から「陶酔」へと変わりかけようとしています。


不思議なもので、「陶酔」の段階までいくと未来の現実の方からこちらに働きかけてくるような感じがすることがあったりします。


理屈ではわからないですけどね。


でも、そんな話が共感していただけたりすると嬉しかったりするわけです。


逆に、そんなことを話しているとますますよく分からん、だとか思われたりもするわけです。

February 25, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2010.02.22

変化をする、ということ

変化に対応できない企業は生き残れない


なんてビジネス誌などでよくいわれます。


で、恐竜が環境の変化に対応できずに絶滅していった話だとか、老舗企業が事業革新を続けてきた話だとか、某企業は「売り上げのうち40%はここ5年の新規事業」などといった話が続いたりします。

多くの人にとって変化は怖いし、面倒だし、できれば先延ばししたいし、できれば向き合いたくないものでしょう。


そりゃそうですよね。変化するということは「いままでやってきたことの否定」になるわけですから生理的に(?)向き合いたくないものですし、「変化の先にあるものが不透明」だから、生命の自己防衛本能が働いて「怖い」と感じるわけです。


けど、事業は「暗闇のバンジージャンプ」(たしか、幻冬舎の見城社長さんのお言葉)という側面を持っているわけです。


「面倒」だとか「怖い」だとか内発的な衝動のようなものを抑えても、とりあえず行動を起こしていって、そこから見えてくる世界を垣間見る姿勢を持たないといけないステージや局面、タイミングがあったりするわけです。


でも、そんなことを考えていても日々の忙しさや怖さにかまけてしまって「変化のタイミングを逃してしまう」のが一般的かと。だから、「変化できる企業」は称賛されるのでしょうね。


では、どこから変化をするか?


人によっては「新規事業の計画をたてて行動する」だとか、「新しい商品の開発にお金と時間を投入する」なんて人もいるかもしれません。


けど、そうした「大きな変化」は普通の人が自発的に作り出していくのは難しいんじゃないかな、と。というよりも、「大きな変化」は「小さな変化」の集積であるケースがほとんどでしょうから、もともと「いきなり大きな変化」ってのはありえないケースがほとんどかと。


さらにいうと、「変化しなくちゃ」との心配や怖れから生まれる新規事業計画は、どこか地に足ついていない感がぬぐえないのはよくあるケースか、と。起死回生の一発、って荒唐無稽な事業計画があがったりするケースは古今東西いくらでもあるでしょうし。


それよりも、「今、やっている行動をわずかでも変える」だとか「居心地のよいものを意図的に外していく」みたいなことの方が有効なんじゃないかしら。


たとえば、意識的に新しい人に会っていく。


「人脈つくるぞ」っ肩肘貼るんじゃなくて、自分がいままで接していなかった人と会う機会をつくってみる。で、話をしてるうちに「知識のなさ」に気がついたり、「考えの固さ」に直面したりする。


たとえば、読む本を変えてみる。


「普段だったら絶対に読まない」という本を新聞の書評だけで買ってみたり、「友達に薦められた」という理由だけで好きや嫌い、楽しいとかつまらないといったジャッジを抜きに映画を見てみる。で、見えなかった世界が垣間見れたりする。


たとえば、仕事のやり方を変えてみる。


ノートの取り方を、筆記用具を変えてみる。アポイントの取り方、仕事のお願いの仕方、ファックスを送り方、メールチェックのタイミングなどをすべて変えてみる。


そんなことを通じて「変化している自分」を潜在意識にインプットすることが大事かと。


変化はスイッチが入るまでが大変ですが、一度スイッチが入ってしまえば「新しい世界が垣間見れるもの」ですし、「自分が伸ばせる余地」がある世界が広がっている場合がほとんどですから本来は、怖くも、面倒でもありながらも楽しいものなのかな、と。


かくいう僕は、周りから「メタボ化した」といわれ続け、「やせたら貧相になる」とかいって否定に否定を重ねていましたがようやくこの方面の(?)スイッチがはいりました(笑)


玄米&和食中心の食事に変え、パーソナルトレーニングの予約をとってトレーニングをはじめました。数か月たっても見た目が変化してないようなら、「変化できなかったんだ」と笑ってやってください(笑)

February 22, 2010 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2010.02.17

誰かに相談をする、ということ

たまにですが、相談事などを受けることがあります。


で、30分なり1時間なり話を聞いたりします。一方的に話を聞くこともあれば、そうでない場合もあります。


で、「話してすっきりした」といって表情ががらっと変わる人がいたりします。


一方で僕の場合、人に相談するのがあまり得意(?)ではないです。


だから、誰かに相談話をすると「話してすっきりした」というよりかは、「あんな話してよかったのかしら??」とか「なんかかっこわるいなあ」などと後悔したり、反省したりします。


それが自分自身の可能性を狭めていたり、人間としての魅力(のようなもの)をブロックしたりしている自覚は何となくあるんですけどね。でも一方で、自分が持っていたい美意識なんだ、って気持ちもあったりして・・・


きっと、若いころから武道家や経営者の本ばかり読んでたせいもあるんでしょう。それらの本は「男性性」をベースに描かれている本ばかりですし、「妻に相談して解決の方向性がみつかった」だとか「悩みは酒場で解消した」なんて展開はあまりないですしね(笑)


なんでもかんでも「トラウマ」って言葉で片付けるのは本意ではないですけど、自分の生き方のクセみたいなものなんでしょう。


・・・・と、ある方に話をしたら「誰かに仕事以外の頼みごとをしてリハビリするといいんですよ」と。


ふむふむ、なるほど。「相談」だとなんとなくおおごとだけど、「頼みごと」であればできそうだな、なんて。


でも一方で、仕事以外の頼みごとって案外とすることないんだな、なんて思ったりする自分もいたりするわけです。


そんな気持ち自体が、きっと自分の生き方のクセ、まさにイナ―シア的なもの(昨日のブログ参照)なんでしょうね。

February 17, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2010.02.16

イナ―シア的なものをみつめる、ということ

ずいぶんと更新せずに放置しました。


凄く忙しかったわけでも、仕事や私生活に激動の変化があったわけでも、僕自身の心境の変化があったわけでもありません。(かつて、心境の変化があってブログを辞めた時期はありました)


ただ単に、「イナ―シア(inertia)の法則」にとらわれていただけ、です。

イナ―シア、とは日本語で「慣性」のこと。物理学の言葉で、物体が同じような行動をとりつづけようとする法則のことのようです。


水平面に置いた球体に力を加えると、ある一定の方向に向かって転がり続けます。これが、イナ―シアの法則。理系の範疇ですので文系の僕には「なぜなのか?」だとかいったメカニズムについてはよくわかりませんし興味もありませんが、それが自然の摂理(?)なのでしょう。


で、当然のこととして僕らもその「イナ―シアの法則」にあらがえない生き物です。


昨日と同じ今日、今日と同じ明日を心地よいと感じる心情。変化したり、変えたりすることを拒否したがる心情。これらは、すべて「イナ―シアの法則」のためです。


ブログを毎日書き続けても苦痛じゃない、ってのもイナ―シア。


ブログを更新するのが面倒だな、ってのもイナ―シア。


なんてことを考えると、イナ―シア的なものを自分の生活の中でみつめることってことの重要さに気がついたりするわけです。


なぜって、変化するものだけが生き残るって時代に突入してしまいましたからね。個人的にはそんな社会は嫌ですけど、僕が、うちの会社が日本という環境で生きている以上はそれを与件としないと仕方ないことですしね。


そんな時代環境の中では、自己に存在する数々のイナ―シア的なものを見つめ、付き合い方を変化させていくことが大事なのかな、と。


このブログを書こうと思ってイナ―シアのスペルを確認するため辞書を引いたら「inertia=慣性、惰性」とありました。誰が翻訳したのかよくわかりませんが、慣性と惰性って意味を併記したセンスは素晴らしいですね。

February 16, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)