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2010.08.17

経営における知識、について

「経営」のことについてはほとんど知らずに会社をスタートしました。


もともと、「会社を興したい」という野心が強くあったわけではありません。仮にそういう野心があったにせよ「何かになるための勉強」「何かをするための勉強」をコツコツと続けられるタイプでもありません。


「やっていくうちに何となく覚えていくんだろうな」と軽い気持ちでした。

ただ、一つの目標として「大企業の一線で働く50歳くらいの人に負けない」と漠然としたイメージがありました。


何をして「負けない」なのかは今思うとよく分かりませんが、仮に経営やビジネスの話になった時に少なくとも経験や知識といったもので遅れをとりたくない、ということですね。創業してまもない会社の代表者としてはそこそこのハードルだったように思います。


会社をやって5年目くらいの頃、ふと思いました。


ビジネスの経験や知識は豊富。だけど、どうも職業人としての重みのようなものが感じられない人がいる、ということを。


そんなことを感じてから「経営における知識」は別にどうでもいいことなのかな、と思うようになりました。それに伴って研修会などにいく機会がどんどんと減っていきました。


後年、私が感じた感覚を多摩大学大学院の田坂広志先生が「経験を体験へと昇華させる」という視点から指摘されていることを知りました。


経験や知識を、反省や追体験をしていくことにより「体験」へと変えていく


それがなにより必要なんだと思いました。


となると、「知識」はそれ自体が力なのではなく、「体験」をつくりあげていく上での触媒であり、補助線のようなものなんだ、ととらえるようになりました。


知識をつける上で読書が有益なのは、多くの方が認めるところだと思います。僕も読書は半分は趣味、半分は仕事で人並み以上にはしています。


僕にとってのいい本は「知識が知識として自己主張していない本」です。


更にいうと、知識が「触媒」や「補助線」になって読み手の人生に変容を促したり、経験を体験へと昇華させることをサポートするような本です。


読書をすることは大事だと思ですが、「知識が知識として自己主張している本」にうずもれるのはどうなのかな、と思います。


えてして、そういう本における知識は「触媒」や「補助線」になるおしとやかさ(?)を持っていません。「読み手を動かしたい」という荒々しさに満ち満ちています。


僕らが生きている社会は「いたるところで知識が自己主張している社会」です。


今後は、知識を世の中に流通させる職業人の美意識の変化も大事でしょうが、受け取り側の「知識」に対する防御に対しても考えてもいい時代なのかもしれません。


でないと、知識だけで経営ができるような錯覚に陥ってしまうかもしれませんし。

August 17, 2010 |

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