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2010.09.28

「商い」は「飽きない」

「こんな喫茶店、いままでになかったなあ~」


初めてスターバックスを訪れたのは、12年くらい前の話。お茶ノ水のお店でした。


珈琲の香りがする店内と、そこに流れているゆっくりとした時間。スタバの創業者が提唱している「サードプレイス」(家でも職場でもない「第3の場所」)、まさにそのまんま、でした。



同じく、居酒屋(居食屋、というんでしたっけ?)の和民をはじめて訪れたのは16年くらい前の話。池袋の西口にあるお店でした。


出てくる料理の質と量と金額とのバランスが絶妙で感動しました。平日の夜だったのですが店内が満席でずいぶんと待ちました。和民の創業者が提唱する「一つでも多くのありがとうを集める」、まさにそのまんま、でした。


しかしながら、その手の感動というものはどんどんと薄くなっていきます。


まずは、店を訪れる側の経験値があがってきます。最初は「感動した」と思ったことが、ごくごく普通のことになっていきます。


そして、同業他社ができて同じようなビジネスを展開していきます。さらには、ドミナント戦略(次々と店舗を出店する)の中でスタバや和民がめずらしくない存在となっていきます。で、「ブランド」という果実を得つつも、「稀少価値」がさがっていきます。


さらには、「飽き」の問題もでてきます。お客さまが「飽きる」、そして経営者や働いている社員が「飽きる」ということがでてきます。


「商い(あきない)」は「飽きない」だ


という言葉を聞いたことがありますが、これはきっと商売は「飽きてしまう」ということが普通に起こるので、それを戒めているのだと思います。


お客さまの「飽き」と自分自身の「飽き」


僕らはそれらの「飽き」に注意しないといけません。それらは、「仕事のテクニック」と表裏一体に存在していることに思いをはせなければいけません。


先日、和民さんにいきましたが、僕がはじめてお店を訪れた時よりも料理の質も金額も格段にレベルがあがっている、と感じました。


それでも、ものめずらしさや感動が失せていくのですから成熟化した社会で働くということ、価値をつくるということは大変だな、と。


こんな時代、まずは自分自身を「飽きさせない」マネジメントが必要になってくるのだと僕は考えています。そのためにも、人と会ったり、本を読んだりして自分の中に「新しいもの」を意図的にいれていくことが必要か、と。

September 28, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2010.09.24

「自分は他人よりも損をしている」

「自分は他人よりも損をしている」


そんな思いに駆られることがだれしも一度はあると思います。


例えば、「運がない」。


回りはスムーズにいっている(ように見える?)のに、自分はそうではない。困難やトラブルがすぐに目の前に立ちはだかる。出会いやチャンスに恵まれない。

例えば、「仕事の評価」。


他人と比べて評価が低い。なぜか、認めてもらえない。仕事に比べて待遇が悪い。


僕は、社会人になって最初の赴任地が北陸だった頃、よく「損してるなあ」と思いました。


最初の数カ月はよかったのですが、友達も同期も近くにいない中で「なんとなく取り残されている感」だとかを感じて、「東京というもっと大きなマーケットで働きたかったなあ」としょっちゅう考えてました。


全国の営業成績が毎日FAXで流れてきます。


同期が「○○百貨店から○○万円の受注」「△△建設から○○万円の受注」などといった話がリアルで伝わってきます。


けど、いつも思っていました。「東京とこちらとは市場規模が違うっしょ」と。一緒に競争(?)させられるのはたまんないな、と思いました。


会社から既存客のクライアントを任されなかったのも「なんでだろなあ~」と思っていました。同期はきちんと任されているのに・・・・結局、新規で飛び込み営業ばかりしていました。


たまたま営業した先から引き合いの連絡があった時(これはめったにないことでした)、担当が先輩社員になったのも「なんでだろなあ~」でした。意味がよく分かりませんでした。


運がないと思いましたし、上司に恵まれてないな、と思いました。


それから1年近くで会社を辞めて旅に出ました。


当時の自分に、いろんな矛盾を自分の中で消化できなかった、という側面があったのは否定しません。


採用面接の時に「卒業した大学の部活のサポートをしたいので、3年間は東京勤務にしてください」という唯一の条件(これに対して自分はオッケーをもらった認識でした)が、いとも簡単に反故にされたのが「大きな矛盾」としてずーっと僕の中にありましたので。


当時の僕は「矛盾」を解消するというアプローチしか思いつきませんでした。「矛盾」の原因(?)と戦うか、「矛盾」から離れるか(=旅にでる)という選択肢しかありませんでした。


けど、今は思います。


「矛盾」は解消しても次々と追っかけてきます。だったら、「矛盾」とうまくやっていく処世術を身につけた方がいいのだな、と。


誰かの受け売りなのか今となっては記憶にないのですが、「矛盾を感じたこと」と「運が開けていくこと」には確実に関係性がある、と僕は考えてます。


ただし、関係性といっても時間軸が非常に長い中での関係性ですが・・・。


けど、「関係性がある」と腹の底から感じられると、ひとつひとつの「矛盾」への向き合い方が変わってくるように思います。


会社を興せば好きなように仕事ができる、と思ってました。


確かにそういう側面はあるでしょう。けど、それがイコール「矛盾がなくなる」ということではないんだな、と。


「矛盾」は今でもたくさんあります。でも、それらが運命が開けていく起動装置になっているのかな、と思ったりもするのです。

September 24, 2010 | | Comments (2) | TrackBack (0)

2010.09.16

「ささいなこと」に対する認知について

「刈り込み」


20代前半の頃に働いていた会社での用語です。契約の見込みがあるクライアントの結論(契約)を迫ることです。


「追客(ついきゃく)」


これは、住宅会社に勤めていた時の用語です。住宅を建てる意志がありそうな方を文字通り追いかけることです。

当時は、別に何の疑問も持たずこれらの言葉をつかっていましたが、ある頃から違和感が・・・。


直接、自分の耳には入らないにせよ「刈り込み」だとか「追客」だとかいわれてうれしい人はそんなにいないと思います。


クライアントを「刈る」とか「追う」とかいいながら、「企業繁栄のお手伝い」みたいな経営理念をいうことの矛盾・・・まあ、こういうささいなことに文句をいっていたらやっていけないもかもしれませんけど。


こういったことをネタに話にするといくつかの反応に分かれます。


「別にささいな言葉だからくらいいいじゃないか」という反応と、「確かにそうだ!然り」という反応と。


僕は、「仕事の本質は細部に宿る」と考えるので常に後者のスタンスでありたいと思ってます。そんなことですから、具体的な実例を前に前者みたいな反応をされるとがっかりすることがあります。


時には、「自分は重箱の隅をつっついてるんじゃないか」と思うこともあったりします。


もっと自分が大まか(?)になればいい部分もあるのかもしれません。(基本的に性格はおおざっぱだ、とは思ってますけど)


けど、こうしたこだわりをなくしてまで成長を求めても仕方ない、という自分もいたりします。


そんな自分ですが、「そんなささいなことを・・・」と周囲に思ってしまうこともままあります。「そんなの考えすぎじゃん」と思ってしまうこともあります。


けど、「ささいなこと」を言える文化、「ささいなこと」が大事にされる文化は企業の柔軟度、変化への対応度の証の一つだと思います。


ここは今一度、自分の「ささいなこと」に対する認知を振り返る必要があるかもしれません。


と考えてくると、「ささいなこと」に目を向けるのはそこそこ気力がいる、ということに気がついたりするのです。

September 16, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2010.09.14

世界柔道 閉幕

柔道をしていた高校生の頃、地元の埼玉で無敵の選手がいました。


体重は160キロほどあり、相手と組むや30秒以内にはカタがつく・・まさに無敵でした。


その選手が埼玉県大会で優勝し、関東大会に進みました。で、体重が半分ほどの選手とぶつかりました。


埼玉では無敵だったその選手が、組み手を一切組まされず、動かされてスタミナを消耗され、終了30秒くらい前に内股で豪快に飛ばされました。


「すんげえ選手がいるもんだな・・・」と感動したその選手は、柔道の名門・世田谷学園で期待の新生といわれた若き日の吉田秀彦選手でした。ロス五輪で金メダルをとる6年ほど前のことです。


その昔、僕は格闘技マニアでした。


空手、柔道、キック、プロレス・・・とジャンルは問わずなんでも見ましたし、読書嫌いだった僕が空手家や柔道家の本や漫画、技術書だけはよく読みました。


高校時代に初めてやったファミレスで皿洗いのアルバイト(時給は480円でした)の目的は、「アントニオ猪木熱血十番勝負」(全10巻)「山下泰裕 伝説の203連勝」「柔道」(たしかこのようなタイトル)というビデオソフトを買いたいから。これらのビデオをなんとか手に入れたいと思いました。


そんな過去から25年近く。


空手もキックもプロレスも、僕の中では遠いものになってしまいました。残念なような、しかたのないような、時の流れのような・・・・。


けど、なぜか柔道だけは今でも見るのが好きです。


内股で大きな選手が宙を舞う瞬間、低い体勢から入る背負い投げの形式美、相手の虚をつく釣り込み技の妙技は真に芸術的だと思います。


日本の柔道が今回の世界選手権で、10個の金メダルを獲得しました。


大会の解説を吉田秀彦さんがつとめていました。


今回の大会でも素晴らしい技の数々が繰り広げられました。


けど、僕は吉田秀彦さんが160㌔の選手を内股で豪快に投げ飛ばしたあの試合。高校時代の吉田選手のあの時の内股に勝る内股は今までみたことがありません。どこかにあの試合の映像がないかな・・・・


過去の郷愁などからいろんな思いが交錯しているのかもしれませんが、格闘技マニアとはこんな話でいつまでも盛り上がれる種族(?)なのです。


ともあれ、日本柔道が結果を残せてよかったです。

September 14, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2010.09.13

叩きのめされた経験

18歳。大学受験の全国模試を受けました。国語、英語、社会の主要3科目の偏差値が28.9・・・全国でビリから4番目でした。高校時代、全く勉強をしてなかったのですが、ここまで悪いのはさすがにショックでした。


19歳。大学に入ってキックボクシング部の練習を見学に行きました。自分より30キロ近く体重の軽い先輩とスパーリングをやって全く相手にされず翻弄され続けました。格闘技をやっていてちょっとだけ自信があったのでこれはかなりショックなできごとでした。


23歳。就職試験での最終面接。役員による意志確認で、「御社が第一希望ですが、これでいいのかな?と正直迷っている気持ちもあります」と伝えると、担当の表情が変わり、面接は一気に終息モードになりました。最後は「お帰りください」と無表情でいわれました。結果は不合格。最終面接にいった中で自分だけが落とされた、とその後聞きました。


26歳。退職して旅にでました。で、自分なりに文章を書いていました。当時、僕と同じような旅をして、文章を発表したカメラマンがいました。物事をとらえる視点、クリア―でよどみがない文体、ちょっとだけフリーライターのようなことをしていましたが、「こんなヤツがいる世界では絶対に叶わない」と思いました。


27歳。帰国してちょっとだけお金が欲しかったのである飲食店のアルバイトに軽い気持ちで応募しました。面接して、結果は「不採用」。なんでかの理由も分からず、さすがにこれはこたえました。


28歳。住宅会社に入りました。営業の仕事には自信があったのですが、まったく売れずでした。3か月売上がゼロの社員が参加する研修に参加して、草むしりをしました。とにかく行動だ!といわれて、1日70件近くの飛び込み訪問をしたのですが成果はでませんでした。


と、まだまだいっぱいあるでしょうがざっと思い出してみました。


人は年齢を重ねると「叩きのめされる経験」が少なくなってくるように思います。


「叩きのめしてくれる人」が周囲に少なくなったり、「叩きのめしてくれる事実」を自分なりに都合のいい形でとらえたりするようになるからでしょうか。もしくは、「叩きのめされること」に麻痺していくか・・・・いずれにせよ、「叩きのめされる経験」がアップデートされなくなると、人間は「過去の叩きのめされた経験」に逃げがちになります。


「昔はこんなだった・・・・」だとか、「俺が若い時は・・・・」だとか


それは、単なる懐古趣味ではなくて、今現在の自分が「叩きのめされていないこと」を自分の無意識が感じているからなのかな、と僕は思います。


「人間は、叩きのめされてはじめて自分の中に節のようなものができる」と僕らのDNAにはきっと刻まれていると思うので。


かういう自分も、歳とともに「叩きのめされる」ことが少なくなってきています。大上段に文句をいわれることは少なくなりましたし、「知らないこと」や「できないこと」をなんとなくごまかすすべも身につけたでしょうし。


そんな中で僕らみたいな年齢層が「叩きのめされる経験」をするには、「自分に居心地の悪い場所」に身を置くのが大事かと思います。


「常連だらけの飲食店に一人で入って行く」でも、「受講者が仲間だらけの研修会に参加してみる」でもいいでしょう。


「叩きのめされる」まではいかなくても、「自分がいかに普段居心地よくやっていたか」を感じることしきりだと思います。


あとは、「叩きのめされる経験」のは上の世代からではなく下の世代から、という視点を持つことが大事か、と。


「自分の言葉が下の世代に通用しない」、「自分のやり方が下の世代に通用しない」という中で、自分がやってきたことが「叩きのめされる」


まだこれは仮説(?)なんですが、僕らは「叩きのめす経験」を与えている側から「叩きのめされた経験」を与えられている・・・・そんな側面もあるのかな、と。


僕が最終面接で落とされた会社の面接担当者。


当時は、「なんてつまらん担当者だ」としか思っていませんでした。けど最近は、「今日さあ~、最終面接なのに『御社が第一希望ですが、正直迷ってます』なんて学生がきたんだぜ。俺らの世代じゃ考えられないよな・・・」とかいいながらお酒を飲んでいたような気がしたりするのです。

September 13, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2010.09.10

「経営の効率」について考える

「在庫を持たずに商売する」


「人材を抱えず、外注を上手く使って軽い本社にする」


10年ほど前の経済誌を整理していたら、こんな記事があったのを見つけました。

インターネットの可能性がさまざまにいわれていた頃の話。「ネット活用によって企業経営が効率化する」といったひとつの幻想があった時代ですね。


で、多くの人が「効率化した経営」に突っ込んでいきました。人を採用せず、外注に仕事を任せ、在庫も実店舗も持たず・・・


それらが、戦略的に打った打ち手であれば問題はないでしょう。


けど、最初から「月々のコストがかからない」だとか「ビジネスとしてやっていくのが容易」といった「効率」を目指していての打ち手であったなら本末転倒、今の経営環境は厳しいだろうと思います。


「効率化」は誰もが望むパラダイスであり、そこには多くの人の行列ができます。で、人の行列はごくごく自然に競争を生み出します。


その結果、「効率化を目指したが故に競争に巻き込まれる」という皮肉な事態が至るところで起きています。


「効率化」の本質は、「もともと非効率なものを効率的にやっていく」の意味だと思います。


効率的な経営をしているといわれるトヨタ自動車さんは、有名な「カイゼン活動」を通じて非効率なものを効率的にしていく智慧が優れているのであって、はなから「効率的なもの」につっこんでいるわけではないのかな、と。


「非効率」と思われることを「効率的にしていく」プロセスが経営において大事なことの一つであって、これが企業間競争の源泉となっていくのだと思います。


自身を振り返ると、「効率」の幻想(?)にさいなまれながらも人を増やしたり、在庫を積み上げたり、業務を内製化してきてよかったと思います。


けど一方で、「効率的」の幻想に負けて(?)もうちょっと思い切った打ち手を打てなかった、と思うことも場面場面であったりするわけです。


経営は「相反する二つの概念を統合するアート」という側面があると思いますが、「効率」と「非効率」の統合をいかにうまくできるかは僕らが永遠に直面する課題なのかもしれません。


ゆめゆめ「効率」にだけ突っ込むことのないようにしたいな、と。

September 10, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2010.09.07

人生における「トレードオフ」について

「トレードオフ」という言葉がビジネスの世界でちょっとだけ脚光を浴びているみたいです。


ウィキペディアによると、トレードオフとは「一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという二律背反の状態・関係」のこと。


「価格」「品質」といった二律背反することを統合し、自社の戦略にすることは素晴らしいことです。


けど、本来はこの両者はトレードオフの関係にあるので、企業経営者は「価格か?」「品質か?」について自社のとる戦略を決めないといけません。

「あれもこれもやっていく」というのでは、戦略でも何でもなかったりします。どれもが中途半端な打ち手に終わり、戦略そのものがエッジの効いていないつまらないものに陥る危険性を持っています。(戦略が不全化する理由の原因には、「あれもこれも手を出す」とモノの本にはよく書いてあります。)


実はこの「トレードオフ」は生きていく上でも大切なこと、です。


26歳の頃、僕は「仕事を続けるか?」「旅にでるか?」という二律背反を統合できずにいました。


学校の先生であれば、夏休みなどに1カ月程度の長旅に出ることは可能でしょうが、僕がいた会社は有給休暇だってロクにとれず・・、まさに「トレードオフ」の状態にありました。


そんな悶々とした中で、中国に短期間の一人旅にでて「旅に出たい!」欲求がつのり、僕は会社を辞めて旅に出ることを選択しました。トレードオフに自分なりにカタをつけたわけですね。


「トレードオフ」をする、ということは様々なことを捨てる、ということです。


「月々の給料」、「慣れてきた仕事」、「会社に所属しているだけで得られる社会的な評価」、「大学までいって入った会社なのにもったいない、という意識」「もういちど、社会人になったら一からスタートだな、という意識」などなど・・・。


今思えばしがみつくには値しないようなことばかりですが、当時の僕には「捨てるにはもったいないこと」ばかりでした。


けど、意を決して当時の僕なりに「トレードオフ」に判断をしたことは、旅に出たことと同じくらいに重要だったと思います。


実は僕ら、いたるところで「トレードオフ」に囲まれている社会を生きています。


資本主義が「欲望を満たす」ということを主眼に置いた社会ですから当然ですね。自分のアンテナや軸をしっかりと持っていないと、「あれもこれもしたい」というようになってしまう社会なんです。


その中で、「全てを回りと一緒」という生き方をするとどこかに無理が生じるので、主体的に「トレードオフ」にカタをつけていく


それだけのことでずいぶんと生きやすくなっていくと思います。


プライベートのことになりますが、我が家は賃貸ですし、自家用車も持っていません。その代わり、「食べること」や「旅にでること」に関してはお金を使おうと考えてます。


これだって一種のトレードオフです。


生きることに戦略、などを持ち込むと堅苦しいようですが、僕は意識的に「トレードオフ」を考えることは大事なことだと思ってます。

September 7, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2010.09.06

山本小鉄さん逝去

昭和60年4月15日


僕はプロレスの聖地・後楽園ホールにいた。プロレスの公開練習を見るためだ。


当時、大物外国人の一人だったブル―ザ―・ブロディの新日本プロレス初参戦が決まり、トップのアントニオ猪木さんと激突することになった。


「猪木さん系の新日本」と「馬場さん系の全日本」と、熾烈な外国人争奪戦を繰り広げていた時代の話。このカードはそんな時代の中で生まれた「夢のカード」の一つだった。


決戦の3日前に、開催された「公開練習」と称した1500円(だったかな?)のイベントはいやがおうにも盛り上がりを見せた。


記憶に間違いがなければ、当日の司会を務めたのが山本小鉄さんだった。


猪木さん側とブロディ側とがそれぞれの「練習」を披露する。で、戦いのムードを盛り上げるために「なんなら今から戦ってやる」とどちらかが挑発。昭和の時代のプロレスらしい一触即発のシーンが繰り広げられ、仲裁が入って事なきをえる・・・。


そんなプロレスファンの期待を裏切らないイベントだった。


けど、僕はこの日一番に印象が残ったのは猪木さんでもブロディでもなく、新日本プロレスの2人の若手選手だった。


会の冒頭、リングにあがった小鉄さんがこういう趣旨のことを言った。


「今日はプロレスラーがどれだけ強いか皆さんに見ていただきます」と。で「今から公開練習が終わるまで、2人の若手選手にここでスクワット(レスラーが行う足の屈伸運動)をし続けてもらいます」と。


それから2時間近く、顔も名前も知らない若手(確か入門して1カ月といっていた)は会場の片隅でカウンターで数を数えながらスクワットを黙々と続けた。


猪木さん、ブロディがリング上から去った後、小鉄さんに呼ばれてリング上にあがった二人の若手。手にしたカウンターの数は優に3,000回を超えていた。


小鉄さんはねぎらいの言葉もなく、「まだまだやれるだろ」と当然のような顔で一言。「プロレスラーはなんて凄いんだ!」と興奮しながら後楽園の駅を帰った日がなつかしい。


山本小鉄さんが、先日亡くなったと聞いた。


今、僕らの世代で格闘技をやっている(やっていた)人で小鉄さんの影響を直接的にも間接的にも受けてない人はほとんどいないんじゃないだろうか??


新日本プロレスの鬼軍曹といわれ、「小鉄さんのベンツの音がすると練習生が青ざめた」といった逸話の数々。


まさに、「ストロングプロレス」の体現者であり、「プロレスは最強」というブランドを守ろうとすることにかけてこれほどまでに一途であった方はいないのではなかろうか?


僕は、プロレスラーに「最強」を感じられなくなった時からプロレスから遠ざかって行った。更に言うと、「最強」以外の部分でレスラーが勝負するようになった時から一気に冷めていった。


僕の手元には昭和56年頃の新日本プロレスの雑誌がいくつかある。新日本プロレスが空前のブームとなって、有明コロシアムで伝説のイベントが行われた頃のものだ。


中央に猪木さん。その周りに坂口、藤波、タイガー、ストロング小林、長州、藤原、永源、星野、そして小鉄さん。


「過ぎた時代をなつかしむ」というのはあまり好きではないが、ことプロレスに関してだけはそういうように思えない。古きよき時代、あの時代のプロレスを知っていて本当によかったな、と。


あの時代のプロレス、において小鉄さんが果たした役割は非常に大きい。


ご冥福をお祈り申し上げます。

September 6, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (0)

2010.09.01

「問題発見者」と「問題解決者」と

例えば、職場に問題があったとします。


で、誰かがそれを「発見」するとします。


「職場の問題」には大きくいって2つあると思います。

一つは、「問題、として認知されただけで解決されていく問題」です。


職場に限らず、多くの組織は自然治癒力のようなものを持っています。メンバー間に問題意識が芽生えたり、「問題」として言語化されるだけでごくごく自然に解決へ一歩進む・・・そんな比較的軽めの問題です。


もうひとつは、「問題、として認知されただけでは解決できない問題」です。


これを解決するには、誰かしらが「問題解決」をする必要があります。そのための、「時間と知恵と労力と気力」を日常業務以外の部分で使う必要があります。


で、それらのものを投入したところで「問題」は解決できないことがあります。というか、多くの場合は根本的な問題解決までは難しい、というケースの方が多いと思います。


僕が新入社員の頃(今から17年ほど前のことです)、企業の経営者を集めた研修会の運営手伝いをしたことがあります。


そこで、講師のコンサルタント(経営計画をたてる専門家でした)がこういっていました。


「企業の指導をするために何人かにインタビューをすれば、企業の悪いところなどすぐに分かる」と。


僕は、「へええええ~専門家ってのはすげえなあ」と思いました。


けど今思うと、多くの人と働いたり、多くの職場の話を聞いたりしていれば「問題発見」はそんなに難しくないのかな、と。職場の問題のパターンや構造はそんなに数があるわけじゃないですからね。


「この会社の問題はここにある」、なんてのは別段高いスキルがなくてもそこそこの経験があれば指摘できたりするんです。


一方「問題解決」は、様々な力が必要とされるわけです。


経験やスキルだけではなく、その人の人間力や世界観、仕事に対する使命感などが問われる世界なんです。


自分が最適だと思ったやり方が通用しなかったり、自分の言葉そのものが伝わらない局面があったりするわけです。


更には、自分がかけた「時間」「知恵」「労力」「気力」が、時には全くの徒労に終わってしまったり、反感だけかって終わってしまうこともままあるわけです。


いつからか、僕らは効率万能の社会を生きるようになりました。


自分がかけた「時間」や「労力」が正当にリターンされるのが(多くの人の無意識レベルでは)当然、って考えるようになってしまいました。


けど、「職場の問題」ってのはそもそも非効率でリターンなんか少ない世界なんです。


けど、その非効率や少ないリターンが、会社の代表者や管理者を精神的に図太く育てていくのかな、と。


仕事の中に意図的に「非効率」を組み込んでいくことはとっても大事だと僕は思います。効率万能だけでは時代が立ち行かない、というのはここ最近の歴史が証明しましたしね。

September 1, 2010 | | Comments (0) | TrackBack (1)