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2010.09.16

「ささいなこと」に対する認知について

「刈り込み」


20代前半の頃に働いていた会社での用語です。契約の見込みがあるクライアントの結論(契約)を迫ることです。


「追客(ついきゃく)」


これは、住宅会社に勤めていた時の用語です。住宅を建てる意志がありそうな方を文字通り追いかけることです。

当時は、別に何の疑問も持たずこれらの言葉をつかっていましたが、ある頃から違和感が・・・。


直接、自分の耳には入らないにせよ「刈り込み」だとか「追客」だとかいわれてうれしい人はそんなにいないと思います。


クライアントを「刈る」とか「追う」とかいいながら、「企業繁栄のお手伝い」みたいな経営理念をいうことの矛盾・・・まあ、こういうささいなことに文句をいっていたらやっていけないもかもしれませんけど。


こういったことをネタに話にするといくつかの反応に分かれます。


「別にささいな言葉だからくらいいいじゃないか」という反応と、「確かにそうだ!然り」という反応と。


僕は、「仕事の本質は細部に宿る」と考えるので常に後者のスタンスでありたいと思ってます。そんなことですから、具体的な実例を前に前者みたいな反応をされるとがっかりすることがあります。


時には、「自分は重箱の隅をつっついてるんじゃないか」と思うこともあったりします。


もっと自分が大まか(?)になればいい部分もあるのかもしれません。(基本的に性格はおおざっぱだ、とは思ってますけど)


けど、こうしたこだわりをなくしてまで成長を求めても仕方ない、という自分もいたりします。


そんな自分ですが、「そんなささいなことを・・・」と周囲に思ってしまうこともままあります。「そんなの考えすぎじゃん」と思ってしまうこともあります。


けど、「ささいなこと」を言える文化、「ささいなこと」が大事にされる文化は企業の柔軟度、変化への対応度の証の一つだと思います。


ここは今一度、自分の「ささいなこと」に対する認知を振り返る必要があるかもしれません。


と考えてくると、「ささいなこと」に目を向けるのはそこそこ気力がいる、ということに気がついたりするのです。

September 16, 2010 |

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