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2010.09.06

山本小鉄さん逝去

昭和60年4月15日


僕はプロレスの聖地・後楽園ホールにいた。プロレスの公開練習を見るためだ。


当時、大物外国人の一人だったブル―ザ―・ブロディの新日本プロレス初参戦が決まり、トップのアントニオ猪木さんと激突することになった。


「猪木さん系の新日本」と「馬場さん系の全日本」と、熾烈な外国人争奪戦を繰り広げていた時代の話。このカードはそんな時代の中で生まれた「夢のカード」の一つだった。


決戦の3日前に、開催された「公開練習」と称した1500円(だったかな?)のイベントはいやがおうにも盛り上がりを見せた。


記憶に間違いがなければ、当日の司会を務めたのが山本小鉄さんだった。


猪木さん側とブロディ側とがそれぞれの「練習」を披露する。で、戦いのムードを盛り上げるために「なんなら今から戦ってやる」とどちらかが挑発。昭和の時代のプロレスらしい一触即発のシーンが繰り広げられ、仲裁が入って事なきをえる・・・。


そんなプロレスファンの期待を裏切らないイベントだった。


けど、僕はこの日一番に印象が残ったのは猪木さんでもブロディでもなく、新日本プロレスの2人の若手選手だった。


会の冒頭、リングにあがった小鉄さんがこういう趣旨のことを言った。


「今日はプロレスラーがどれだけ強いか皆さんに見ていただきます」と。で「今から公開練習が終わるまで、2人の若手選手にここでスクワット(レスラーが行う足の屈伸運動)をし続けてもらいます」と。


それから2時間近く、顔も名前も知らない若手(確か入門して1カ月といっていた)は会場の片隅でカウンターで数を数えながらスクワットを黙々と続けた。


猪木さん、ブロディがリング上から去った後、小鉄さんに呼ばれてリング上にあがった二人の若手。手にしたカウンターの数は優に3,000回を超えていた。


小鉄さんはねぎらいの言葉もなく、「まだまだやれるだろ」と当然のような顔で一言。「プロレスラーはなんて凄いんだ!」と興奮しながら後楽園の駅を帰った日がなつかしい。


山本小鉄さんが、先日亡くなったと聞いた。


今、僕らの世代で格闘技をやっている(やっていた)人で小鉄さんの影響を直接的にも間接的にも受けてない人はほとんどいないんじゃないだろうか??


新日本プロレスの鬼軍曹といわれ、「小鉄さんのベンツの音がすると練習生が青ざめた」といった逸話の数々。


まさに、「ストロングプロレス」の体現者であり、「プロレスは最強」というブランドを守ろうとすることにかけてこれほどまでに一途であった方はいないのではなかろうか?


僕は、プロレスラーに「最強」を感じられなくなった時からプロレスから遠ざかって行った。更に言うと、「最強」以外の部分でレスラーが勝負するようになった時から一気に冷めていった。


僕の手元には昭和56年頃の新日本プロレスの雑誌がいくつかある。新日本プロレスが空前のブームとなって、有明コロシアムで伝説のイベントが行われた頃のものだ。


中央に猪木さん。その周りに坂口、藤波、タイガー、ストロング小林、長州、藤原、永源、星野、そして小鉄さん。


「過ぎた時代をなつかしむ」というのはあまり好きではないが、ことプロレスに関してだけはそういうように思えない。古きよき時代、あの時代のプロレスを知っていて本当によかったな、と。


あの時代のプロレス、において小鉄さんが果たした役割は非常に大きい。


ご冥福をお祈り申し上げます。

September 6, 2010 |

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