« January 2011 | Main | May 2011 »

2011.03.22

情報の「正統性」について


東北地方太平洋沖地震で震災を被った皆様へ心よりご冥福とお見舞いを申し上げます。


--------------------------

情報、があふれています。


「政府高官情報」や「○○党議員の情報」などがまことしかやに私の手元にも届いたりしています。


通常であれば、「そんな情報が自分のところに来るわけないだろ」と一笑に付して見向きもしません。

けど、ここ最近、僕に押し寄せる情報そのものが僕の専門分野ではありません。


また、情報の量そのものが僕のキャパシティを超えています。


結果として、情報そのものよりも重要な「情報のフィルタリング」をすることが個人の力でできないので、人の手を何回も経てきた「極秘情報」が妙に信憑性があるように感じたりもします。


今まで、僕ら(少なくとも僕)は、「情報のフィルタリング」のほとんどをメディアに任せてきました。


世界各地で様々な分野で起こるできごと。


これを一個人が「情報のフィルタリング」を行うことなどはとうてい不可能ですから、「情報のフィルタリング」機能としてのメディアは非常に有益でした。


けど、そのメディアが「情報をフィルタリングすることの正統性」がなんとなく疑われはじめているようです。


「海外の報道がどうだ」だとか、「メディアには出ない識者の意見」だとか


メディアが「情報をフィルタリングする正統性」に疑いを抱いているとしか思えないようなできごとが至る所で噴出しています。


「正統性」を復活させるのはなかなか難しい。


会社組織だって、「社長である」ことと、「社長であることに正統性がある、と皆が認めている」こととの間には天と地との開きがあります。


「創業者だから」だとか、「仕事の能力が高いから」だとか、「株を持っているから」だとか、


それだけで社長としての正統性がある、とはいえません。


正統性は自然に発生するものなどではなく、日々の仕事や生き方を通じて、つくられたり、目減りしたり、維持されたりしていくもの。


もしかするとメディアは「正統性」に対して無関心だったのかもしれないな、と。


メディアが「情報をフィルタリングすることの正統性」が薄れていく中、「専門分野の情報をフィルタリングしてくれる個人」の存在が大きくなってくるように思います。


更には、その個人と自分との間にある一定の信頼関係があること、が望ましくなってきます。


信頼関係がある個人がフィルタリングしてくれる情報に「正統性」があるかどうかは分からない。けど、少なくとも「安心感」はあるのかな、と。


今の僕らが求めているものの一つが、「安心感」がある情報なのかもしれません。


March 22, 2011 | | Comments (0) | TrackBack (0)