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2011.10.26

相手は怒っているに違いない、って時に

なにかトラブルが発生したとします。「きっと相手は怒っているに違いない」と自分の心が動いたとします。


「怒っている」ではなく、「怒っているに違いない」と心が動いたとします。これは、「事実」ではなく、「自分なりの解釈」です。


僕らは相手の表情やその場の空気感、人生経験や相手の人間性や力関係のようなものを総合的に判断して「怒っているに違いない」と判断を下していると思いがちです。ロジカルな判断が的確に働いている、と思いがちです。


しかしながら、人間はそれほど理性的な生き物ではないようです。


僕らの自我は「自分の悪い面を認めたくない時に、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう働き」をします。心理学でいうところの、「投影」ってやつですね。


例えば、ある人に怒りの感情が湧いてきたとします。


けど、職場なり、サークルなりでその感情を抑えなければならない環境にいるとします。当然、感情は抑圧されます。


抑圧された感情は、「ある人」と接するたびに刺激されます。そこで、「あの人に怒っているけど、その感情を抑圧しなくてはならない」と心が二律背反の中で強い葛藤状態におかれます。


そこで、自分の心にある「怒っている」って感情が、相手の心の中にもあるはずだ、と思いこもうとします。その結果が「相手は怒っているに違いない」なるのだ、ということですね。


そこは、ロジカルだとか冷静な判断とは全く無縁な世界、のようです。


人間関係で「相手が●●と思っているに違いない」と思ったら、ほとんどが自分の心の「投影」である


なーんて話を何年も前に聞いた時は「へええ」くらいにしか思わなかったですが、いろいろな人間関係の話を聞いたり、当事者としてかかわったりする中で「投影」ってのはほぼ間違いなく存在するのだな、と。


「相手が●●と思っているに違いない」と自分の心が動いたら、「自分の心の中にあることが投影されている」って立ち止まることができたらいいですね。

October 26, 2011 |

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