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2011.11.22

「悪口」と「建設的な意見」との間

「悪口」と「建設的な意見」とを見分けるのは難しいです。


なぜなら、「悪口」は「建設的な意見」を意図して口にされることが多いからです。


例えば、酒場で繰り広げられる「上司は何もわかってない」的な話。


本人を前にしたら口に出せない時点でこれは「陰口」であり「悪口」です。けど、「会社を良くするための『建設的な意見』だ」といわれればそういう見立てもできないくはない、とも考えられます。


では、「陰口」あるいは「悪口」と「建設的な意見」を分けるものは何か?


僕はこう考えます。


「悪口」は口にすれば一時的にすっきりします。誰かが共感してくれたり、合いの手を入れてくれたりしたらなおさらでしょう。自分の中の葛藤が一時的にでも解消されるわけですから当然ですね。


一方、「建設的な意見」は口にすれば、何かを背負うような感覚になります。ちょっと「めんどうだなあ」っていう気分になることもあります。時には「今できることは何か?」って思考のスイッチが入ることもあるかもしれません。


そんな自分の内的感情の違いがあるのかな、と。


人間の営みから「陰口」や「悪口」が消えることは聖職者でもないかぎり難しいでしょう。けど、「建設的な意見」という名前の「悪口」を言っていないか、ってのは時に自覚するのは大事でしょう。


なぜなら、「無自覚な悪口」は自分のブランドを失墜させ、時間と空間を超えて必ず自分の身に振り返ってくるでしょうし。


「悪口」は、「回り回って自分の身に降り掛かってくる覚悟をすること」と「悪口のほとんどが、自分自身の見たくない姿の投影だということ」を理解した上で口にしたらいいと思います。


むしろ、「悪口」を掘り下げた中に「本来の自分の本音」が出てきたり、「自分自身の思い込みの強さ」に気がついたりすることもあるので、「時」「相手」「テーマ」を選んで口にすることは案外と大事かもしませんね。


大事なことは、「意識的になれるかどうか」だと思います。

November 22, 2011 |

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