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2011.11.01

教養について考える

「教養」は、英語だと「リベラルアーツ」。
つまり、「自由になる技術」。
知識は人を自由にする。


(『クリエイティブマインド』杉山恒太郎著•インプレスジャパン)

「知識」って言葉には僕は「一抹の重さ」を感じます。


「人間を行動へと駆り立てる何かを時にはなくしてしまったり、「体で感じること」を阻害してしまうような感じといったらいいでしょうかね。「知識」でいっぱいな人を見てもうらやましいとは思わないですし、「ああなりたいな」とも思えない。


けど、一方の「教養」。これを持っている人は、憧れますね。尊敬の対象です。近くにいるだけで、周囲の人々が何かしらの影響を感じてしまうような人、といったらいいですかね。あまりうまい言い方じゃないですけど。


では、「知識」と「教養」って何が違うの?といわれても言語化するのは難しいです。


世の中にあまた存在する「知識」をベースに、「行動」「経験」「反省」ってものを加えて、「時の経過」ってスパイスを付け加えたものが、「知恵」。で、その「知恵」を集めて人格レベルまで昇華させたものが「教養」って感じかな•••。


でも、この言語化したものそのものが「知識」に毒されている感満載のような気もします。本来は、「言葉そのもの」からも自由なのが「教養」の本質のような気もします。


こんなことを考えると、「知識」は普遍的ですが、「知恵」や「教養」はきわめて属人的です。さらには、「インスタントの知識」って言葉は成立しますが、「インスタントの知恵」だとか「誰にでも分かる教養」って言葉には矛盾があるように思ったりします。


「自由になる技術」を身につけるために学ぶんだ


なーんて心の底から言えたらかっこいいですね。人間は「自己防衛のために学ぶ」って側面があるでしょうし。


「自己防衛からの学び」では人は自由にはなれないのだな、とこの言葉にふれて思った次第です。それは、「教養」とは対局にある世界なのでしょう。

November 1, 2011 |

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