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2011.12.07

「意見」と「個人」とを分けて考える

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」


フランスの哲学者•ヴォルテールの「表現の自由」に対する言葉のようですね。僕が大学の授業で習ったことで記憶している数少ないこと(?)の一つです。


「意見」と「個人」とは、まったく別ものです。当然といえば当然ですよね。

ここをごっちゃにしてしまうと、ちょっと話が通じなかっただけで、「あの人は分かってくれない」だとか「まったく話が通じない人だ」って全否定になってしまったりします。


はたまた、自分の意見に反論をされただけで、「自分自身が根底から否定されたような感覚」になってしまうこともあったりします。


当然、人間ですから「むかっとする意見を口にする主体」としての個人に嫌悪感を抱く気持ちもでるでしょうし、「すわっ、自分が否定された」と自己防御センサーが働くこともあるでしょう。


重要なのは、その気持ちをどのようにリセットできるか、だと思います。


嫌悪感や自己防御の気持ちは自分自身を無自覚にコントロールしていってしまうので、少なくしていった方が日々楽に生きていけるでしょうし。


かくいう自分も、「好き放題いいやがって」だとか「それって自分への攻撃?」とかで嫌悪感や自己防衛モードが働くときはあります。


そんなときは「個人と意見は別物だしな」って考えることで自分自身の感情をリセットするようにしていました。


けど、嫌悪感や自己防衛て感情ってのはパワーが強いので頭(知識)で制御してもダメなことがあるんですね。


一度制御された嫌悪感、怒りの感情が、ジムでレッスンを受けている時に突然感情がでてきて「レッスン終わったら電話してやろう」って思ったこともありますし。


これに対する最善の策は、「自分の感情を素直に出すこと」なのでしょう。


「今の意見、『好き放題言ってるよな』って思うんだけど、どうだろ?」って具合にですね。


「波風がたつなあ」と思う気持ちもでなくはないですし、僕らには遠慮って気持ちが働くのでなかなか難しいかもしれませんが、「意見」と「個人」とは別物って考えれば別段、個人否定をしているわけじゃないですからね。


僕らは社会性を身につけるために、という名目(?)でいくつもの感情を抑圧して年齢を重ねてきました。


で、今の時代はその行き場のない感情をコントロールすることを、一人一人が突きつけられているように思えてなりません。


心理学だとかの学問ではどう考えるのか分かりませんが、僕の実感では感情コントロールのための第一歩は、「意見」と「個人」とを分けて考えることからか、と。

December 7, 2011 |

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