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2011.12.12

コミュニケーションの入り口を「イエス」にする

人からモノを頼まれるとする。できるかできないか分からないことだったとする。


人から何かに誘われるとする。「面倒くさいな」って意識がちょっともたげたりする。


人間は自然の一部って考えると、「頼まれる」だとか「誘われる」ってことは、未来が向こうから自分に向かってきているということだと僕は思います。

「頼まれごと」や「誘いごと」に条件反射的に「No」を突きつけてしまえば、自分自身の安寧(?)はその時点で保つことはできるでしょう。けど反対に、未来に対しての扉が開かれる機会を逃している可能性もあるのじゃないかな、と僕は思います。


人間は、自由意志で未来を切り開いているよりも、周囲や環境によって未来を切り開かれている方が多いでしょうしね。(100%周囲や環境によって未来は決定される、という考えもあるみたいですね)


なので、「頼まれごと」「誘いごと」に対してのコミュニケーションの入り口はとりあえず「イエス」から入るようにした方がいい。


「イエス」のスイッチをいれた上で、時間的に、能力的にどうしてもダメなことであったり、「どう考えても気分が乗らない」ってことであれば自分なりのいい方で「No」を言えばいいんじゃないかな、と。


「頼まれごと」や「誘いごと」に「No」を入り口にしたコミュニケーションを続けてれば、次第に同様の「頼まれごと」や「誘いごと」は減っていくでしょう。


これって「ラクチン」なようでもあり、「未来への可能性を自ら閉ざす」ってことでもあるんじゃないかな、って思ったりします。

December 12, 2011 |

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